何を食べたかで人生が変わる  

毎日こころ豊かに グルテン・カゼインフリー 米粉・大豆粉・オートミールに助けられて生きている

我が家は機能不全家族 私が子供の頃から機能不全だった

機能不全家族

40年生きてきて初めて聞く言葉

 

You Tube不登校関連の動画を観ていると次から次へと

おすすめや関連動画が上がってくる

ただ観てるだけだと果てしなく止まらなくなって

なかなか抜けだせなくなる

 

ちょっと困った便利機能だと思っていた

でもこの機能のおかげで

自分の抱えてる問題

我が家の問題がなんとなく見えてきた

 

それが

不登校』から『心の安全基地』→『過指示・過干渉・過保護』

そして機能不全家族

 

まだまだいろいろありますが

今回はこの『機能不全家族』を知ることによって

我が家がどういった人と人との集まりなのか

いろんな事にぶち当たっていることに気づいた

 

我が家は機能不全家族です

この言葉に興味を持ち調べていくと

どうやら我が家は『機能不全家族』であると

確信しました

まぁお恥ずかしい話です

 

機能不全家族とは

家族で集まって仲良く笑ったり楽しい時間を過ごしたりすること

お互いを尊重し、支えあうという「家族としての機能」が

十分に備わっていない家族のこと

 

また家族がそれぞれの役割を役割を果たせず

家庭としての機能が果たされていない家族のこと

極端な例として

・虐待やネグレクト(育児放棄

・家族同士の不仲による対立

・生活貧困

・子供に対する過剰なプレッシャーなど

家庭内で身体的・精神的なダメージを与える機会が日常的にあること

 

これらのダメージを受けやすいのが

家庭内で弱い立場になりやすい高齢者や子供

 

一番問題となるのが子供に対する

『親の役割不全』

 

親の役割とはありのままの子供を愛すること

これは以前の記事で書いた通り

私は条件付きの愛情しか与えていなく無条件で娘たちを

愛してるとは言えなかった

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

 

また「普通の家庭」に見える家族の中でも

親が「親としての役割」を果たしていないケースも多々あり

私の行いもいくつか該当する

 

例えば・・・

・親の嗜好・趣味を極端に子供に押し付ける

・親が子供の進路や日常生活に過剰に口出しをする

・子供は良い成績・優等生的な態度を取った時のみ褒められる

・子供が親の愚痴の聞き役になる

・「長男だから」「女だから」と家族の中での役割を押し付けられる

 

要するに

親の自分好みの行動をする子供しか愛せないという状態

この状態が続くと

次第に子供は「ありのままの自分では愛されない」と

歪んだ認識を持ってしまう

 

こういった幼少期からの愛情不足

親の価値観にさらされ続けた結果

認知の歪みから

大人になって生きづらさを強く感じるようになる

 

一方で

健康的に家族という集団が機能していると

子供は自分の身近な大人や友人を見本に

生きる上で必要なさまざまな能力を身につけていく

人格形成に大切な時期に家族から

合理的・道徳的な物事の考え方を学ぶ

 

こういったことって自然と家庭の中で行われていて

誰も家族のあり方

家族の役割など教えてくれる人はいない

親が常に教える側に回る

 

親だって初めから親ではなく

少しずつ親になっていく

教科書らしいものはなく

頼りになるのは自分の親や近所の大人だけ

 

でも今はあまり近所づきあいもなく

みんな忙しいだろうから相談できる相手もなかなかいない

 

すると自然と自分を育ててくれた親の育て方を真似る

それしか方法がわからない

 

それが健全な家庭環境で健全な子育てなら言うことはないが

そうでない場合は

我が家みたいなことになる

 

親にされて嫌だったことを昔の記憶として忘れていた

でも潜在意識のなかで存在していて

知らないうちに同じことの繰り返し

 

となると今我が家は機能不全家族

私の幼少期も機能不全家族

 

そして私の父と母が育ってきた家族も機能不全家族の定義に

いくつも該当することから

みんな機能不全家族だったんだ

 

そりゃ先祖代々ではどうにもならないね

気づかず気づいても時代背景や

背負っているものでどうすることも出来なかったかもしれない

 

でも今はいろんな生き方、多様化された時代だ

悪い習慣、自分の考えに合わない習慣は変えればいい

今なら変われる気がする

いや 変わりつつある

 

なぜなら私だって学校へなんか行きたくはなかった

楽しくもなかったし、普通にいじめられてた

でもただ親が怖くて言えなかっただけ

 

言っても心配されると言うよりは怒られる気がしてた

『いじめられるお前が悪い』

そんなことを言いそうな親なので言えなかった

だから不登校にはなれなかった

 

でも

娘たちは違う すげ~不登校になった

娘たちはちゃんと自分の気持ちに正直になり

ちゃんと自分達と向き合ってとサインを出したんだ

そんな行動ができる娘たち

カッコイイ(≧▽≦)

 

そしてその行動のおかげで

私は『機能不全家族』と言う言葉と出会い

自分の居る場所を見つけた

ようやく向き合うことができた

 

これから私がすること

まずは認識すること

 

問題を一つ一つ洗いだしてクリアにしていく

するとまた問題が浮かび上がってくるので

それをまた認識しクリアにする

 

この繰り返しをしていけば私も娘たちも

家族みんなが少しづついろんな問題から

解放される気がした

 

それはとても長い道のりかもしれない

たった数月で数年で変われるとは思っていない

 

だって娘たちでさえもう12年もこんな家族の中で

生活してきたんだ

変えるには同じくらいの年月が必要かもしれない

 

私なんかもう40年この性格で生きてきた

どれだけの時間を費やせば修正されるだろう

でもまだ人生半分くらい残ってる

 

このまま家族の問題をその場しのぎで取り繕いながら

生きていくこともできるが

娘たちがいる以上そうもいかない

そしてそんな

生き方は望んでない

 

生きづらい生き方をするのは

もうこりごりだ

 

娘たちはまだこれからだ

こんなところで私が足かせになっては

生まれてきた意味がない

 

だから私は娘たちとともに

本来の姿に戻る

 

早く自由にさせてあげたい

心の安全基地に過指示・過干渉・過保護はいらない

2022年2月から娘たちが不登校となり

いろんなことに向き合う時期が訪れた

 

不登校問題で一番の原因は心のエネルギー不足

 

ではなぜ心のエネルギー不足が起きているのか考えてみた

そこで出てきたのが

『心の安全基地』

 

『心の安全基地』がきちんと出来ていないがために

エネルギー不足を引き起こす

 

『心の安全基地』とは

精神的に安定し、保護される守ってもらえるという保証がある環境のこと

これは子供も大人も同じ

 

子供は養育者などの信頼を寄せる人がいることで

自分から周囲の環境に関わっていき、自発的・自主的な人間に成長する

そして

安心して帰れる場所がある

困った時には必ず助けてくれる大人がいる

この安全基地があることで子供は主体性に育っていく

 

この主体性は現代の社会で求められている力

 

自分で考え、判断し決断する

そして責任をもって行動する

 

今はITの活躍でいろんなことが最適化され

人が身を削って働かなくてもよくなりつつある

そこでこれからの人に求められてることは

ITをうまく使いこなす考える力

それが出来なければ社会に通用しない

 

少なからず私が学生だった頃は

知識の詰め込み、暗記で学業・学歴は

なんとかなった

でもこの先の将来はそうはいかない

 

知識はネットでググれば簡単に見つかる

ということは

その知識・情報をどう使いこなすかが重要

 

娘たちが社会に出るころには

決められたことを決められたとおりにこなす人なんて

もうたいして必要のない時代になってる

 

なのに私ときたら

心配する気持ちが先回りして

娘たちのためにとあれもこれも手を出してきた

要するに

過指示・過干渉・過保護

 

こんなこと親なら当たり前で

多少のことは仕方ないのかなって思わなくもない

 

でも過指示・過干渉・過保護のせいで

言われたとおりのことしかできない

言われたとおりのことしかしない

指示待ちちゃんに育ってしまったら

 

『自立』どころじゃない

将来何もできなくなってしまう

 

何が大変って

娘たちが

一人で何もできない

一人で何も決められない

一人で何も責任が取れない

 

そんな風になったらいけないと思い

いろんなことを先回りして教えてきたつもりが

ただのおせっかいだった

不必要な指示ばかりだったということ

 

大人になって苦労しないためといろいろやってきたつもり

でもそれはただの親の自己満だった

 

過指示・過干渉・過保護の3つが揃うと

・子供に主体性が育たない

・自分で考える力が育たない

・親や人の顔色を伺う

そんな子に育ってしまうようだ

 

というか私がそんな子供だったような・・・

 

自分と同じようにはなって欲しくないという思いが

そこへフォーカスしすぎて

同じことの繰り返しをしてしまっていた

 

そうもうすでに娘たちは

これらの傾向が出てる

 

例えば

何も決まっていない状態で「今何をするべきか?」

ということを考えることは苦手

 

その時に本当にしなくてはいけないことがあったとしても

何をすればいいかなどと自分で考えることはあまりしない

指示をされるまで動けない

または動かない

 

幼い頃から幼稚園や学校へ行く時に

全て準備を手伝い次から次へとやるべき行動の指示を出してきた

「○○持った?○○の用意は出来てる?」

 

学校から帰宅すれば

「手を洗った?うがいした?宿題はあるの?」など

一つ一つの行動の前に確認の意味も含め声掛けしていた

 

その積み重ねが娘たちを一人では何もできない子

にしてしまった

 

私が頑張れば頑張るほど

手をかければ手をかけるほど

娘たちは私に言われてからしか動けない子

として育ってしまった

 

幼い子が費やす時間を私が理解できずまたは待てず

大人の時間と同じ感覚で考え、幼い我が子の時間を待てなかった

待ってあげるということを怠った

 

それが娘たちの考える時間

考える必要性を私がこの手で

奪っていったんだ

 

だから私が居ないと

この年齢ならできるであろう行動も

私が手伝ってきた故に

出来るはずなのに出来ないという問題を作ってしまった

 

私が自分の『母親という価値を生み出すために』

一人では何もできない子

私が手助けしなければ何もできない子

そんな娘たちを育て上げてしまった

 

すると周りは出来るのに自分はできないという場面に遭遇し

長女は『みんなは出来るのに自分は出来ない』と

自分を追い込んでいってしまったのかもしれない

 

心配する気持ち、良かれと思ってついつい細かく声掛け

そして自分の存在価値を確立させるために

私はいろんな先回りをしていた

 

いやそもそも良かれと思ってやっていたことなのか

それすら分からない

 

娘たちの行動の責任が親に帰ってくる気がして

親の私が娘たちを通して評価されるじゃないかと思って

びくびくしてた

 

そして自分がやってしまうことの方が

私は楽だったんだ

 

自分が先に立って先導していくことで

自分の気持ちが楽になることを知っていた

 

自分の気持ちを優先させた結果がこれだ

 

娘たちは次第に自分で物事を考えたり

判断したりすることをやめてしまった

 

常に

「言われたらやろう」

「言われたものを用意しよう」

という受け身の思考を育ててしまった

 

だから私はいつまで経っても

一人で出来るだろうことも

一人で考えられるであろうことも

一緒に取り組まなくてはいけない

 

なんで自分一人で出来ないの?

なんで自分一人で考えようとしないの?

なんで全てママに聞くの?

どうしてそんなことまで確認するの?

 

でもようやく分かった

 

私が娘たちを

私がいなければ何もできない子に育ててしまったんだ

私が娘たちの主体性を阻害していたんだ

 

この現実を受け止めることは結構きつい・・・

でも受け止めなければ先には進めないので

受け入れます

 

 

私はなんのために娘たちを産んだんだろう

主人と自分の子に会いたかったから

ただそれだけなのに

 

いつのまにか何か変わってしまったのかな?

もうそれすら分からなくなってしまった

 

そう言えば次女が小学校1年生の時

すでにこんなことを言っていた

 

『どうして私を産んだの?』

『どうして私は産まれたの?』

なかなか返答に困る質問だった

 

それと同時にどうしてそんなことを思うのかな

と疑問だった

 

でもきっとこの時から

自分で何も決められないという人生に嫌気がさしていたのかも

生きていてもつまらないと薄々感じていたのかもしれない・・・

 

そう言えば私も

子供の頃にそんな事を思ってた

 

両親には言えなかったが

『なんで産まれてきたんだろう?』

『なんで私を産んだんだ・・・』と

 

産んでくれてありがとうなんて思ったことないかも

親子なのかな~

せつないな・・・

心の疲労を回復させる為の家がどんどんごちゃごちゃに・・・


自分の居場所がない学校

自分に自信がなくて不安だらけで行けなくなってしまった学校

 

その学校から離れた生活をしている

ストレスを減らしているはずなのに

なぜか心の疲労はまだ回復しない

 

なぜだ?

 

他にも原因があるの?

 

娘たちの不登校が始まり一番ざわめき始めたのは

私の父だった

 

そうこの人の存在が一番大きなダメージを与えてくる

 

私の父は・・・

・学校は義務教育だ、学校へ行かないなんておかしい

・学校へ行かないでゲームばかりしていていいわけがない

・勉強しないで好きなことだけしているなんてただの甘えだ

・世の中は我慢の連続だ、みんな我慢してる、頑張れ

・無理やりにでも学校へ行かせるべきだ

・子供の言うことを聞いている親が甘い

・学歴がないなんて将来やっていけない

・世の中をなめすぎだ

・当たり前のことができないなんて・・・

 

孫の心が疲れ切って疲弊している状態だと伝えても

こう言った言葉ばかり投げかけてくる

一体それに何の意味があるのだろう?

 

『学校へ行けない』と動けなくなっている子供に

そんなこと言って渋々行くようなら

初めから不登校になんかなっていない

 

学校へ行かせていない親は親としての役目を果たしていない

そんなことを言って親を追いつめて一体どうしたいんだ?

 

父が放ってる言葉はただの自分の憂さ晴らしにすぎない

思いやりでもなんでもない

 

自分は常に我慢を強いられてきてそれに耐えてきた

だからお前らも我慢して耐えるべきだ

 

そんな気持ちがひしひしと伝わってくる

 

それがどれだけマイナスな感情を作りだしてるか

分かっていない

私も娘たちもうんざりしていた

 

まぁそんなことも分からないような

クソじじいだ

 

家族が大事 家族が一番と言いながら

言ってることとやっていることが矛盾してる

 

私は毎日そんな父の愚痴や不安を聞かされていた

 

そんな私の姿を見せられ聞かされて

心が休まるはずがない

 

学校を休んでいることに罪悪感を与えるのは良くない

そんなこと分かってる

でも常識まみれの父はそんなことお構いなしに

自分の不安を私にぶつける

 

もちろん将来を不安に感じないなんてことはない

見えない先のことは誰だって不安

 

でも

それよりも私は娘たちを無理矢理に学校へ行かせて

もっともっと精神的に追い込んで

精神疾患や自分を傷つけるといった行為を起してしまうことの方が

私はよっぽど怖かった

 

だからたとえ甘やかしだと言われても

私の気持ちは変わらなかった

 

学校は休めばいい

行かなくていい

ゆっくり休もう

 

そもそも娘たちの親である私たちが

不登校を認めているのに

なぜ祖父のあなたが出しゃばるんだ

 

そして何度も黙っていて欲しいと伝えているのに

なぜか自分の不安を垂れ流すかのように

自分の意見ばかり主張する

 

正直父の意見など求めていない

聞きたくもない

 

娘たちの思いを

娘たちのあるがままを受け入れてほしい

見守るだけでいい

何もしないで

何も言わないで

 

これの何が難しいんだろう

 

こんな私と父が言い争いをしてる姿を見て

娘たちの心に罪悪感が芽生えないか気が気じゃなかった

 

だから次第に父との会話は

娘たちが寝た後や娘たちがいない部屋などで聞かさることとなった

 

こんな解決策のない意味のない話し合いに私の時間が奪われるようになり

だんだんと苛立ちを覚えるようになり

父を避けるようになった

 

同じ空間にいるのが嫌で

常に動き回り会話させる時間を与えなかった

また娘たちや主人の近くへ逃げていた

 

そうでもしないとひたすら話し相手にさせられ

私が疲れてしまいそうだった

 

なぜだか父の心の中では自分がなんとかしなければという

思いが強かったよう

 

でも私は私なりに主人と共同で

不登校・子育てに関する本を読み

二人で話し合いをして決めた行動

 

父の意見は必要なかった

 

そもそも私がタッグを組む相手は父ではない

私がタッグを組む相手は娘たちの父親である主人だけ

 

この二人で考え決めたことに口出しは論外

 

だけど決まってこういう時

家族なんだから

家族の問題は家族で解決すべきだと

乗りだしてくる

 

残念ながら私の中での家族の定義には

私の父と母はいない

 

同じ家の屋根の下で暮らしてはいるものの

父と母は家族ではない

あえて言うなら親族だ

 

我が家は私の両親と同居してはいるが生計は一応分離している

それは私が親に『おんぶにだっこ』の状態を好ましいと思っていない

まぁ素直に甘える方法を知らないからかもしれない

 

だから我が家は我が家で生計をなり立てて独立している

 

私が幼いころ父に歯向かった時よく言われたのがこの言葉

『誰が食わせてやってると思ってるんだ』

 

この言葉が大嫌いで自分でお金を稼ぐようになってからは

早く自立したくていろんなことを自分で決めて責任を取ってきた

 

だから一緒に暮らしていても

私は主人に養ってもらってはいるが

父には養ってもらってはいない

 

少々冷たい言い方かもしれないが

結婚して家を出るまでの間にいろんなことがあり

親の世話にはなりたくないという意志でここまできている

そして親の世話もする気はない

 

だから娘たちの問題でも父の意見など聞く気はなかったし

実際に聞いてもいない

 

するとだんだんと私との話し合いの時間が確保できなくなった父は

娘たちへの将来を考えるとどんどん不安に駆られ

苛立ち始めた

 

その不安を私に吐き出せないため

今度は私の母へと矛先を向けた

 

私の母も最初は不登校を認めなかった

 

『背中押して無理やりにでも行かせなさい、行ったらなんとかなるから』

『頑張らせることも母親の努めよ』

『行かない選択をするってことは普通じゃないよ』

『あなたにその覚悟はあるの』

そう言い放たれた

 

私は頭にきた!

『覚悟ってなんだ?ちゃんと考えてる。娘たちの親は私だ!黙ってろ』

と啖呵を切った

 

私は元々気が強く母にもそれほどやさしくはないので

はっきりと自分の意思を伝えるのは案外平気だった

 

そしてそれから母は私に何も言ってこなくなった

 

だけどそんなやり取りの後

父は母にこれからどうするんだと問い詰めていた

 

母は娘たち夫婦の子供なんだから任せておけばいい

口出しはする必要はないと父に話してくれたようだが

父はそんなことでは引き下がらず

 

私の考え方がおかしい

私の考え方が甘くておかしいのは母親のお前に似たんだ

お前の育て方が悪いなどと母を攻めたものだから

自体は変な方向へ向かっていった

 

元々私の母はストレスに弱くよく引きこもる

私が小学校3年生の時にはすでに精神疾患を患っていた

 

あれから30年ずっと躁うつ病強迫神経症、買い物依存

ひどい時はアルコール依存もあった

 

もはや子供の時から普通とは無縁の家庭で育っていたので

普通じゃない事すら忘れていた

 

こんな祖父母と一緒に暮らす家が健全な『心の安全基地』になるはずがない

 

娘たちの心はこの家の中ですり減ってる

問題は外ではなくこの家の中だ

 

『心の安全基地』

どうすれば修復できるんだろう

 

娘たちの不登校

娘たちに問題はない

学校にも問題はない

となれば娘たちを取り巻く環境に問題があるんだ

 

このことに気づくのに4か月ぐらいかかった

我が家は一体どんな家族なんだ

家族とはどんな状態が健全なのか

 

知らない、そしてわからない

不登校で分かったこと・・・心のエネルギー不足は私の間違った関わり方が原因だった

不登校は心のエネルギー不足

心のエネルギーってなに?

なぜ心のエネルギー不足が起こるの?

 

不登校になる原因はいろいろあると言われる

きっかけは学校という場所、友だち、先生など

 

でも一番大きな原因は心のエネルギー不足

これが根っこにある

心のエネルギーが不足していると

いろんな事に立ち向かえないということが起こる

 

他の不登校児に実際に合って話したことはないので

あくまでこの考えは私の体験と我が家のこと

 

 

ではなぜ心のエネルギーが不足してしまう状態が生まれるのか

それは

心のエネルギーを充電するための家が安らげる場所ではないから

 

要するに

外で活動する、エネルギーを放出する

     ↓

家でゆっくり休んで無条件の愛情をもらい

エネルギーを充電し、満タンにする

     ↓

そしてまた外へ出て活動する

この流れが滞りなく行われていることが理想

 

子供は学校で常に新しいことを学び、常に競争という世界に放り込まれ

休むことなくカリキュラムが組み込まれ活動している

 

友だちや先生との関わり

いろんなことにエネルギーを使ってエネルギーが減った状態で帰ってくる

 

それでも

安全基地の家でエネルギーをしっかり補充できれば

次の日もまた学校へ行ける、外へ向かって飛び出せる

 

これがとても重要だということを知らなかった

そして考えたことがなかった

 

家は家族が集まる場所

清潔で快適な空間であれば家は家としての機能を果たしてると思っていた

 

よ~く考えれば分かることなのに

気づかなかった

 

家自体は雨風もしのげて生活する分には特別不備はない

 

なら何が足らなくてエネルギーが補充できない状態を作りだしているのか

 

足らないところと言えば

家族が集まる家がただの家という枠組みだけでしかなかった

心の安全基地にはなっていないということ

 

しまったΣ(゚д゚lll)ガーン

これかなり重要でないかい?

ここが足りていないから娘たちは不登校児になったんだ

 

この時初めて知った言葉

『心の安全基地』

 

不安や恐怖にさらされた時逃げ帰る場所

安心して傷を回復し休める場所

そして心のエネルギーを補充できる場所

これが心の安全基地

 

また心のエネルギーを補充する方法は

辛いことや不安なことを一緒に受け止め合い

頑張らない自分でいてもいい

条件付きではない無条件の愛情を注がれると

自然とエネルギーは貯まるらしい

 

これが私には欠けていた

 

はて?娘たちは

親からの無条件の愛を十分に与えられずに育ったのだろうか?

 

自分の行動を振り返ると・・・うつむきたくなる

 

無条件の愛・・・

『ありのままのあなた』

何が出来ても何が出来なくてもあなたはあなた

出来る出来ないは関係なくそこに存在するだけで価値がある

とっても大好きでとっても大切な存在

どんなことがあっても守りたい

これが無条件の愛というものらしい

 

正直生まれたばかりの幼児の時はこんな風に感じていた

無条件の愛で育ててきたつもり

でも少しづつ成長して大きくなるにつれこの思いは薄れていった

 

何が出来て何が出来ない

出来ない事を補うために埋めるように頑張ることを強いていたんだ

 

娘たちからすると与えられた愛情は条件付きの愛情だったため

娘たちは無条件に自分のことを見て欲しいサインを出した

 

思い返せば・・・・

ちょっとした節々に条件付きな態度や言動が混じってたこと

否定できない

 

しょぼん (´・ω・`)

 

『宿題を一人でやったのえらいね』

『テストでいい点を取ったの!頑張ったね』

『一人で用意ができたね,えらいね』

『ママを手伝ってくれたからご褒美に何か買ってあげるね』

『これをしてくれたらゲームを買ってあげるね』

など 何かをしてくれたから見返りに何かをしてあげる

 

こう言った声掛けが普通にされていた

 

どれも親が良しとすることをした時に

『えらいね、頑張ったね、すごいね』

などの褒め言葉をもらい

褒めてもらうには頑張らないといけない

そんな関係になっていた

 

正直そんなつもりはなかったんだけど

気づかないうちにそういった行動で娘たちに接していた

間違った褒め方の典型的なパターン

 

どうやら親が子供に無条件の愛を与えるべきなのに

我が家では親が子供から無条件の愛をもらっていたことに気づかされた

 

娘たちは私が体調不良で寝込んでて家事も娘たちの身の回りの世話も出来ない、

してもらえていない状態でも私を心配し慰めてくれる

 

私の出来ないところを咎めたりはしないのに

私は娘たちの出来ないところに注目してなんとかしなければと

もがいてた

そんな条件付きでしか愛せていなかった現実が

苦しすぎた 辛かった

 

どうしたら無条件で子供を愛してあげられるんだろう

こんな問いを自分に投げかけると

なんだか病んでくる・・・

 

 

こういったことの積み重ねが娘たちを追い込んだ

何かを頑張っていないとダメ

大人たちが良しとすること喜ぶことをしていないと見てもらえない

そんな雰囲気になっていたのかもしれない

 

娘たちの気持ちが置き去りになってた

何が大事なのか何を大切にしなければいけないのか

よく考えるきっかけとなった

 

この時参考にさせてもらった本がこれ

 

これは主人が娘たちにこれからどう向き合い接するかを学ぶため

ありのままの子供に対して親はどうあるべきかを学ぶために購入した

母親である私にも読んで欲しいと渡された本

そしてこの本をきっかけに不登校を前向きに捉えるいい機会にもなった

 

母親である私は一体どんな言葉がけをしていたら娘たちを潰さずにすんだのか

そしてこれからどんな言葉がけをすれば良好な親子関係につながるのか

私には学ぶ必要があった

 

低学年のうちは評価されることが案外簡単なので

問題ないんだけど

高学年や中学生になれば評価される基準が高くなり

評価されること自体が少なくなくなる

すると頑張っても成果をだせなくなるため条件付きの愛では行き詰ってしまう

 

そうでなくても常に何かが出来なければ認められない

振り向いてもらえないでは

愛してもらえていないと感じるのも無理はない

 

娘たちとの関わり方を変えることがとても大切で重要

そしてどこまでいっても母親の愛は絶大だ

人一人の人格に影響を及ぼす

子供を授かった時にこの重要性をもっと自覚するべきだった

今更ながらちょっと荷が重いが・・・

 

この本に登場してくる親たちは

私と違って我が子を丸っと受け止める器の大きい親ばかり

親が広い心で全てを包み込めば

子供たちはのびのびと幸せになれる気がした

そう信じて見習いたいと思った

 

こういったことは本当 誰も教えてくれない

 

私の母はいつも言ってた

『母親になるのも初めて、子育ても初めて

みんな手探りで子供と一緒に成長すればいいんだよ』

『育児書に頼るとまともな子に育たないよ』

そう言われてそれ以上考えなかった

なんとかなるのかなと思ってしまった

 

この母の言葉を真に受けた私が招いた結果がこれだ

 

確かに育児書通りの子育ては必要ないかもしれない

でも子供の発達や子供の特性

子供の行動の意味などそういったことを理解した上で

娘たちを育てていたらもう少し違った成長ができたかもしれない

 

大人が子供への接し方を学ぶ必要はあると思う

子供の心の成長の仕方

健全に成長するにはいったい何が必要なのか

 

この大切さをもっと早く知りたかった

我が家は”明るい不登校”です

不登校』っていうだけでなんだか悪いことしてるみたい

もちろんそんなことはないって

頭では分かってるけど

 

世間や今までの常識のイメージが強すぎて

ネガティブな言葉に聞こえる

 

だから我が家では不登校は悪くない

そう意識したくて

”明るい不登校って名付けた

 

当時小学3年生の次女の担任の先生は

最初毎日電話をかけてきてくれた

 

次の日の持ち物と宿題を伝えるために

そして次女の様子を伺うために

 

毎日30分ぐらいは話してた

 

毎日電話をくれるんだけど

次女の様子はこれといって変わらず

『明日こそは行くぞ!』なんて気は起こらなかったから

『暖かくなるまでは学校へ行かない』と言っています

としか伝えようがなかった

 

初めは先生から電話が来るたびに

『今日の宿題は何?』ってそわそわしながら聞いてきて

宿題の範囲が分かると速攻で宿題に取り組んでた

 

学校へ行かないと宣言してるのに気になるらしく

宿題をやらないと落ち着かなかった

 

毎日の電話で状況確認されて

申し訳なさそうに先生が話すから

こちらもさすがに申し訳ない気持ちでいっぱいになった

 

先生は学校へ来てほしい

でも娘たちは行きたくない

そんなやり取りの中でだんだんとネガティブな方向に心が傾いていく

 

先生の気持ちを汲みたい

待ってくれる人がいるならそれに応えるべきでは・・・

なんだか気持ちが外に向いてる気がした

 

人の顔色 周りの目

みんながどう思っているのか・・・

どう思われているのか・・・

なんだか気になって

大事なことに霧がかかってきた

 

一番大事なのは

娘たちの気持ち

この気持ちと外への気持ちが交差して妙に疲れてた

 

外へ意識が向いてる

自分では気づかないうちに

いい顔をしようとしているような気がした

 

すると

先生と電話する度に迷いが出てくる

 

いつかは学校へ戻さなきゃいけない

どうしたら戻りたいって思うんだろう

 

先生と連絡を取るとなんだか義務感に苛まれる

 

私自身が落ちていくような気がして

娘たちに悪い影響を与える気がした

 

だんだんと自分が辛いと思うようになり

2週間目ぐらいには

電話を控えてもらうようお願いした

 

『学校へ行けそうなときが来たら通常の時間割に沿って持ち物を持たせます』

『忘れ物があっても叱らないでください』

とお願いをして電話連絡の頻度を減らしてもらった

 

朝の欠席連絡も今はない

 

最初は毎日連絡してた

でも電話の時間になると娘たちの気が重くなり

私もどんよりしてした

なので

教頭先生に電話連絡をやめたいとお願いしたが

1週間に1度は連絡が欲しいと言われ

毎週月曜日の朝電話してた

 

小学校の教頭先生は女性でとても明るく優しかった

最初に学校を休む時

体調不良ですって嘘をついて連絡したから

コロナ時期もあってかなり心配された

 

でも毎日続く電話連絡

早い段階で体の調子ではなく心の調子が悪いと告白した

 

教頭先生の明るい元気な声がとても嬉しかった

また時々私のことも労ってくれた

 

『お子さんも大変だけどお母さんの方がもっと大変だからね、無理しないでね。

学校で手伝えることがあれば声掛けてね』

『学校ではスクールカウンセリングもあるから一人で抱え込まないでね。利用したくなったら教えてね』

と言われ泣きながら

『ありがとうございます』と答えた

 

外の目やこの先どうなるのかを気にしていた時期でもあったから

あの時の優しさはとっても心に沁みた

 

それでも一週間に一度の電話連絡さえ

日が経つに連れて泣きべその電話連絡に変わっていき

かなりしんどかった

 

次女が4年生になって

始業式の日の夕方

新しい担任の先生から電話連絡が来た

教科書をもらいに学校へ出向き

先生と顔を合わせた

 

次女の今までの経緯

現在の状態

これからのことを話した

 

親としては無理やり学校へ行かせる気は全くない

本人が行くと言いだすまでは学校へ行かせるつもりはない

そう断言した

 

そして

学校への電話連絡はもうなしにして欲しいともう一度お願いした

 

相手が教頭先生ではなく担任の先生だったからなのか

すんなり受け入れてくれた

2月からずっと学校へ来ていないので

簡単には戻らないと考えてくれたのかな・・・

それとも諦めたか・・・

 

まぁどう思われてもかまわなかった

 

よって小学校への朝の電話連絡は4月の始業式以来なくなった

 

今は先生と私とで互いに連絡がある時に連絡を取り合うというルールに変わった

 

正直朝の電話連絡がないのはかなり楽

朝から罪悪感ありありの電話から一日がスタートするのはしんどい

 

 

長女は中学1年生

入学式は私たち親子一緒に出席ということもあって

なんとか頑張って学校へ行った

 

それでも入学式以外では3日しか登校できなかった

入学式の翌日、あとはいつだったかな・・・忘れた

 

提出しなきゃいけない書類があるから

健康診断があるから

などの理由でなんとか頑張らせた

 

2ヶ月間学校へ行っていなかったから

6限目まで学校にいることがとてもしんどかったよう

 

学校という場所・空気感が合わなくて

帰宅するとぐったりしてた

表情も暗い

 

小学校から中学校へ場所は変わっても

学校という空気感は変わらないためか耐えられなかった

 

進学して少しは環境が変われば学校へ行けるかなと

甘い期待をしてみたけど

長女にはしんどい場所に他ならなかった

もちろん長女自身もそれほど大きく変わったわけではないので

無理もない

 

それでも長女もまた自分自身に期待していた

入学式の前までは

『中学校って楽しそう』

『体育祭や文化祭があるんだって』

『中学校は行くよ、行けそうな気がする』

そう言っていた

 

でもたぶんそう思いこまなきゃやってられなかったのかも

無理しているような感じが強かった

 

リフレッシュ休暇のつもりが

いつの間にか出口の見えない迷路に迷い込んでた

 

日が経つにつれて心配度は大きくなっていく

 

でも悪い方へは考えたくない

実際自分達は悪いことをしてるわけじゃない

 

だから堂々としているためにも

 

我が家は”明るい不登校です

そう宣言した

 

先生たちもいろいろ気にしてくれる

でもあまり気にされたくないから

『”明るい不登校”だからね』

『気にしないでね』と先生にも私自身にも言い聞かせた

 

そうしないと気が重くなる

 

実際次女は本格的に休み始めてから一度も学校へは行っていない

3月の修了式・4月の始業式

進級してクラスも変わったけど一度も学校へは行っていない

 

まぁここまで来ると諦めというより

この方がいいのかもって思えてくる

 

娘たちはただ学校という場所に合わなかっただけ

そうそれだけ

 

まぁ実際はそれだけじゃなくていろんなことが絡み合っているんだけど

学校に合わないっていう考えは変わってない

 

別に娘たちが悪いんじゃない

正直に言えば悪いのは私だ

 

でも下を向いてても始まらない

娘たちが学校と言う場所に合わないなら

娘たちがのびのびと生きられる場所を探すしかない

娘たちに合った場所に出会えるまで待つしかない

 

だいたい幼稚園・小学校・中学校・高校と

先生に任せっきりにしていたのが間違ってた

 

私の役目は生んで終わりじゃない

 

自分の子は自分で育てる

そこへ戻ってきただけ

 

ただ自分が育ってきた世界と違うもんだから

正直どうする?ってなってる

 

人と違う生き方を選ぶってとても大変!

 

だってよくわからん

知らないもん

 

不安になったり心配になったり

でもこの気持ちを娘たちに垂れ流すのはよくない

 

娘たちが身動き取れなくなってしまう

親が不安になれば

子も不安になる

 

まぁ初めてのことだから仕方ないよね

手探りでいくしかないよね

 

そう思って開き直るしかない

 

もともと決められたレールに乗るのが嫌いな性格

だったらレールから外れた人生を楽しめばいい

堂々とレールから脱線できる

結構わくわく

 

食生活もそうだけど

みんなが3食食べるから私も3食食べる

みんながこれがおいしいから私もこれを食べる

 

これが私には合わず、むしろ体を壊していた

だから一日一食のグルテンカゼインフリーの食生活

 

そしたらベストコンディションになった

 

みんなの常識は私には当てはまらない

ということはみんなの子育て・教育方法も

私には当てはまらないのかも

 

みんなと違っていいかもしれない

 

娘たちには何度も

『世の中と違う生き方をするってことは大変だよ』

『簡単じゃないからね』

そう言ってきた

 

その時は本当に不登校になってこのまま学校へ行かなくてもいいの?

って思っている時期もありそう話していた

 

後から後悔されても仕方がないからね

 

でもこれって私にも言えること

世の中と違う生き方は大変・・・

でも世の中の常識が私たちを苦しめているなら

解放する方法を見つけるしかない

 

それが私の望んでいるものだとしたら

その道に進んだ方がいい

 

誰のせいにもしない

誰のせいにもできない

自分で選んだ子育て・教育

 

私は食生活を変えたように変えられる

 

そう考えた時

とても気持ちが楽になった

 

自分なりに学び知識を得てそれを実践していく

失敗したら修正しまた実践する

 

生きていくことはこの繰り返し

 

主人は娘たちに

『自分達が思っている常識を見直す機会を与えてくれたんだね』と

言っている

 

たぶんこの娘たちの不登校がなければ

何も考えずに娘たちを学校へ送りだしてた

 

学校へ行くのが当たり前でなぜ行くのかなんて考えてこなかった

みんなが進む道

ただそれだけの理由で学校への生活を強いてた

 

学校で娘たちが何を学び、何を感じ、何を得ているのかも知らずに

ただ常識という言葉に甘えて考えることをやめていた

 

これはただの怠慢だ

 

だから夫婦で娘たちを理解し

新しいライフスタイルに変えようと考えた

 

でもこうやって前向きに取り組もうと決意すると

大抵邪魔が入る

 

『子供に今の状態がちゃんと理解できてるのか?』

『学校へ行かないと将来がないぞ』

『子供に判断なんてできっこない』

『子供の意思を尊重しすぎだ』って

言う大人が出てくる

 

この大人が近所の人や他人ならまだしも

身内となるともうしんどい

 

不安になってる親や子供にグサグサと言葉の暴力をふるう

 

それ暴力ですけど

それいじめですけど

わかってますか?

って聞きたい

 

そうこれ 

これが一番厄介😢

 

この一番厄介な大人が正真正銘私の父と母です

本当悲しい・・・

 

次第にこの二人が私の天敵となっていき

私たちの”明るい不登校”を邪魔するのです

不登校児の心理状態 心の疲労

不登校児の心理状態

だいだい想像がつく?

いやいや 正直よくわかりません

どこまで思い悩んでいるのか・・・

 

日中はゲームやYou Tube

おのおの好きなことしてる

だからゲラゲラ笑ったり元気な姿が見られる

 

でも朝起こしにいくと

半泣き?うなされてる?

とても調子がいいとは言えない寝起き

 

最初の頃は 自分達で休む~と宣言しているわりには

どこか後ろめたさがあり

この先どうするのかよくわからない不安

いろんなものが混ざって娘たちの心は少し不安定だった

 

YouTubeや本でいろんな子の体験を知って

こんな風に感じてるのかな?

こんなこと考えてるのかな?といろいろ考えてみた

 

 

次女は学校への不満が爆発して不登校になった

長女は次女に引っ張られるようにして学校を休み

自信のない自分と向き合うにつれ不登校になった

 

どんなタイミングで

どんな理由で不登校になるかは

本当わからない

 

不登校は子供の心の疲労

子供の心の疲労・・・

正直あんまりピントこない

でも子供は子供なりにいろんなことを感じ取ってる

 

楽しい時、嬉しい時、頑張った時、認められた時、

悔しい時、辛い時、悲しい時、やるせない時、どうにもならない時

いろんな気持ちでいっぱいで

いろんな感情で頭の中ぐるぐるしてる

 


それを何とか言葉に出して表現できる子

言葉にできなくても感情で表現できる子は

上手く立ち回わり自然と心をコントロールする

 

娘たちは他の子のようには上手く立ちまわれなかった

心のコントロールができない=不器用

ただそれだけのこと

 

今までは何か起きても

何かあっても

 

ご飯を食べて

いっぱい遊んで

いっぱい笑って

いっぱい寝る

 

そしたら大丈夫って

また起き上がれる

そう思ってた

 

初めはそう思ってた

 

でも

そんなことはない

そんなことでは立ち上がれない

 

というか

ご飯を食べることも

いっぱい遊ぶことも

いっぱい笑うことも

いっぱい寝ることも

心が疲れきっていては

そもそも何もできない

 

だから とりあえず休憩するしかない

ゆっくり休むのが一番

 

これって大人のうつ病と似てる?

子供でも同じってことなんだ

 

娘たちの心はいつの間にか疲れ果てて

本当の自分にフタをして頑張りすぎてた

 

だからいろんな理由、言い訳を見つけて

もう嫌だ~ってドロップアウトしたわけだ

 

次女はよく自分のことをこう言っていた

『学校に自分の居場所がない』

『死んだ魚のような目をしている』

次女は自分のことをこんな風に客観視してた

 

家では本当の自分でいられる

おっきな声で笑ったり、怒ったり、叫んだり

 

でも学校ではよそ行きの自分になる

それがつまらないと言う

 

 

小学3年生の子供にこんなセリフを言わせてしまった

いったいどんな風に私は育ててきたんだろう

とても悲しかった

涙が止まらない

 

本当の自分でいられない

学校での顔と家での顔

それなりにギャップはみんな持っているかもしれない

でもこれに違和感を感じる様になり

辛いと思うようになってしまった

 

本当の自分のままではいられない

だからまだ

『学校へ行かない』

 

違う

行かないんじゃなくて

『学校へ行けないんだ』

 

学校へ行ったらまた学校生活で良しとされる姿を演じなくてはいけない

先生・親の言われたとおりに生活しなくちゃいけない

それはもう嫌だ 苦しい

 

学校へ行かない選択

怠けてる・甘えてる・ふざけてるように見えるかもしれない

 

みんなが出来て自分だけが出来ない

そう感じて、そう思ってしまう

 

みんなと同じことができないわけじゃない

出来るけど本当の自分じゃないからそんな自分ではいたくない

 

この感情が苦しい

 

学校へ行かない選択をしたこと

とても勇気がいること

それだけでエネルギーが削がれていく

 

どうしたらエネルギーが奪われない

どうしたらこの義務感から解放してあげられるんだろう

 

私たち親には何が出来るんだろう

 

たぶん何もできないんだろうな・・・

 

それでも何か手伝えることはないかと模索中

 

不登校になってから始まった娘たちの観察

そして

不登校に関するネットの記事や本、You Tubeからの情報収集

 

現実を知れば知るほど不安にもなる

でも同じような子達の気持ちを知ることで

いろんな角度から物事を見れるようになってきた

 

 

この本は不登校の子達だけではなく

子供から大人へと成長する段階の子たちの気持をわかりやすく解説してくれてる本

子供と親、友だち、先生との関係で生まれる心の動き

表面的には見えにくく分かりにくい子供の感情を漫画でも表現してくれているので

私にはスっと心に入ってきて分かりやすかった

そして読みやすかった

 

こういった本のおかげで凝り固まった頭がだんだんとほぐれていく

 

私にも子供時代はありいろんなことを経験してきたはず

でも肝心なその当時の自分の気持ちは忘れちゃってるんですよね

たぶん向き合うのが怖いからだと思いますが・・・

 

この本を読んでいろんなケースの子供たちの気持ちに触れることで

娘たちもこんな気持ちなのかな?

こんな辛い思いをさせていたのかなと

いろいろ考えさせられる内容

 

泣きながら読んでいました

 

子供たちの心は敏感にいろんなことに反応してる

大人の些細な言動でいっぱい傷ついてる

その現実をしっかり受け止め

私が変わらなくては

 

今からでも娘たちを知ろう

親だから分かっているつもりでいたけど

全然分かってなかった

 

いやそもそも分かろうなんて

初めからしていなかったのかもしれない

 

子供だから

私の娘だからって

勝手に決めつけていた

勘違いもはなはだしい

 

娘たちと改めて会話をする時間が増えたことで

いろいろ見えてきた

 

何が嫌なのか・・・

どんなことにイラつくのか・・・

どんなことが苦しいのか・・・

どんな風に感じながら学校生活を送っていたのか・・・

 

二人ともいろんなことを少しづつ話してくれた

 

だいたい話す時は入浴時

お風呂はリラックスできるのかな

ボロボロ ボロボロと気持ちを吐き出す

 

子供でもやっぱ女の子なんだな~

話したい、聞いてもらいたい共感されたい生き物

 

きっと毎日毎日小出しに吐き出して

いろんなことを聞いてあげて受け止めてあげていたら

もう少し生きやすかったのかもしれない

 

子供だけど子供なりに真っ直ぐでしっかりとした考えを持ってた

そしてそれをちゃんと私に話してくれた

 

今まで何してたんだろう・・・

家のことで頭の中いっぱいだったのかな?

食生活も大事だけど

もっと大事なものがあったんだ

 

心の疲労 回復できるように

本当の娘たちの姿を取り戻せるように

 

まずは凝り固まった常識をぶっ壊す

そして娘たちの特性をもっと知る

 

娘たちは私から生まれた

でも私の分身ではない

ましてや私の所有物でもない

 

一から娘たちをもっとよく観察しよう

 

そしてありのままの姿を無条件に受け入れること

どんなことにもジャッジしないこと

 

常に他者との競争に駆り立てられる社会で

これを気にしないようにするには結構難しい

 

母親は母親なりに競争させられているのかもしれない

 

だからそもそも初めからスタートラインに立たないようにするしかない

今となってはそれでも構わない

 

大事な娘たちを潰してしまわないように・・・

そして私自身も潰れてしまわないように・・・

 

競争社会からドロップアウトすればいい

その方がのびのびと生きられそうだ

学校へ行きたくない理由 自信がない長女

長女は自分の気持ちがよくわからない

好きなこと、嫌いなこと

 

ざっくりとした好き・嫌いは言える

でも

その理由までは・・・

 

『学校へ行きたくない』ここまでは言える

でも

どうして学校へ行きたくないのか

学校の何が嫌なのか

どんな学校なら行ってもいいと思うのか

 

大人はそれ相当の理由がないとなかなか納得しない

 

長女は上手く言葉で表現できないから

少しづついろいろなワードを投げかけてみた

 

それによって

長女自身も自分の気持ちに気づくことができた

 

長女の気持を整理していくと

≪長女が学校へ行きたくない理由≫

・自分に自信がない

・学力が不安

・友達の視線

 

この3つはそれぞれ絡み合っていた

長女の一番の原因

自分に自信がない

 

これがいろんなものにくっついて芋づる式に足を引っ張ている


例えば学習面

とりあえずこれは大きな不安のよう

 

小学校5年生から算数が特に難しいと感じるようになった

テストでいい点を取りたい

分からなかった問題が分かるようになりたい

という気持ちは持っていなかったので

特別な勉強はしなかった

 

親としては私立中学へ行かせるつもりはなかったので

勉強は学校だけでいいと考えてた

 

テスト・授業態度も悪くはなく

先生も親も学習面で不安になることはなかった


しかし長女は違った

 

授業中に不意に当てられた時

頭の中が真っ白になる

1年生並みの簡単な問題もパッと飛んでしまうらしい

 


長女は決して分からないわけじゃない

落ち着いて考えれば答えは分かる 

そう分かってるはずなのに

 

緊張して上がってしまうせいか

頭の中が吹っ飛んでしまう

 


そんな自分の姿を周りの友達は笑っているんじゃないか

バカだと思っているんじゃないかと考えてしまい

怖いという・・・

 


ある日クラスの友達が学校を休んだ

その子は次の日算数の授業で教壇の前に立って先生と復習がてら問題を解いた

 

それが次第に

休んだ次の日には自分も教壇に立たされるという仮説に発展した

もう無理だった

 


怖くてしかたない 嫌だと言う

 


『誰も笑ってないよ』

『気にしてないよ』って話しても

ダメだった

 

長女も分かってる

誰も笑わない そんなクラスじゃない

でも恐怖はなくならなかった

 

これを機に一日休むつもりが一週間学校へ行けなくなった

学校へ行ったら教壇に立たされ

みんなの前で問題を解かなきゃいけない

もう無理 学校へ行きたくない 行けない

 


長女の気持はなかなか治まらず

毎日夕方に長女の様子を伺い電話連絡をしてくれる担任の先生に

相談した

 


授業中に長女を指名するのはやめてほしい

簡単な問題でも長女には当てないでとお願いした

 


もちろん理由は包み隠さず話した

長女が感じていること

 

何にどう不安に思い感じているのか

大人にはそんなことっていうことでも

長女にとっては大きな問題であることを長々と説明した

 

正直びっくりされた
何がそんなに恐怖になっているのか先生も理解出来なかった

 

なぜならおとなしいだけで友だちとの関係も特別悪くなく

成績だって悪くない

どちらかと言えば真面目に取り組んでいる

 

授業中も問題が解けずに困っている様子もないという

 


先生が授業中に子供たちを当てる基準は

その問題が答えられそうな子 だそうだ

 


だから長女が学校を休んで授業に遅れたからと言って

教壇の前に立って先生と復習がてら問題を解くことはしない との話

 

長女が見た光景は

たまたまその子が賢い子でできそうだったからそのような授業の進め方をした

だけとのことだった

 


でも長女には自分も同じように立たされて

みんなの前で問題を解かされる

解けなければ笑われてバカにされる=恥ずかしい

という図式が成り立ってしまった

 


後から何を言っても聞き入れてもらえなかった

 


また

体育の授業で準備運動の号令をかけることも苦手だった

途中で数が飛んでしまうらしく

うまくできないという

 


それはすごく簡単なことでみんなが出来て

でも長女にはそれがなぜか出来なくなってしまう

そして間違えた時にとても恥ずかしいと思ってしまうよう


間違えたり失敗したりすることは誰にでもあるよ

直せばいい ただそれだけだよ

 

でも長女にはその臨機応変な対応ができないようで

パニックになるという

 

その時気づいた

知らないうちに極端に失敗を恐れる子になってしまった

そして
失敗や間違いをひどく恐れて何もできなくなっていた

 

低学年まではそんなに気にしていなかった

だけど成長するにつれ恥ずかしいという気持ちが大きくなり

失敗する自分、間違いをする自分を上手く受け止めることができなくなり

辛くなってきたと言う

 

失敗や間違いをあまりにも恐れるため自分で自分を追い込んでいるよう

真面目に取り組む姿勢はとてもいいこと

だけど

長女はきっと今まで無理して取り組んでいたということになる

 

学校は自分が望んでいなくても常に競争という

空間に引きづりこまれる

 

常に頑張っていないといけない

この状態がしんどい

 

少し気を抜けばぼーっとしてる

やる気がないと言われかねない

 

これは学校だけじゃない

家庭の中に居ても変わらない

 


一週間も学校を休むと

初めはリフレッシュのためにと考えていたのが

だんだんと『学校へ行けない自分』と向き合うようになり

行けなくなってしまった自分をダメな自分と思うようになっていった

 

長女は学校へ行けない自分に対して

『あの時無理してでも学校へ行っていれば

こんな風にはならなかったのかな?』

そうつぶやいた時があった

 

でも私は

無理はいつか限界が来ると思う

遅かれ早かれ 同じ状態になる

 

今だろうが数年先だろうが問題を先送りにするだけ

だったら今がやり直すチャンス

 

目を背けた時間が長くなれば長くなるほど

ややこしくなり本人はもっと辛くなる

 

そう考えればこの不登校はいいきっかけだ

 

今娘たちがSOSのサインを出してる

変わらなきゃいけない時

 

不登校として問題の壁が現れてきた

壁は超えられる人にしか現れない

なら超えられるはず

 

私はこの不登校っていう問題に潰されないよう

娘たちと主人と乗り越える道を進む

 

体の調子はもう整ってる

次は心を整える番

 

不登校=娘たちのSOSのサイン

私への課題

 

これはもう

受けて立つしかない<(`^´)>

 

一般の正解とは違う

私たち家族なりの答え

 

いつか振り返った時

あんな不登校の時期もあったね

 

みんなとは違ったけど楽しかったね

って家族で笑えるよう

 

”明るい不登校を歩んでいきます