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学校へ行くための目的・目標がないから学校へは行かない

★学校へ行く目的・目標がないから行かない

先月通知表を理由に次女の担任の先生が訪ねてきた

先生に会うのはこれで最後

これで5年生が終わった

 

いつもは電話連絡

会うのは一年ぶり

 

電話連絡の時もそうだが

大抵

『元気にしてますか?お変わりありませんか?』

と次女の状況確認からスタートする

 

今回はこれにプラスし、最後ということもあって

『そろそろ学校へ行く気になりませんかねぇ?』

と尋ねられた

 

??? あれ?

 

”行く気になりませんかねぇ~”って

本気で聞いてる?

 

普通に過ごしていたら

”行く気になんてならないでしょ!”

と言いそうになった

 

娘達は学校へ行けないタイプの子ではない

自分たちの意思で学校へは行かないと決めた子

 

何をどうしたら学校へ行くと考えが変わるんだろう?

と 疑問しか浮かばなかった

 

学校自体は不登校になった時からなんら変わっていない

 

先生がいて同級生がいて

みんなと同じ時間に同じことを習う

同じを強要される場所

同じじゃないとダメな場所

 

そして同じことが出来ないと

否定される場所

 

そこへ何をどうしたら

登校しようなんていう考えに至るんだろう?

 

それに

2年間もずっと不登校なんだよ

休み出してから一度も登校していないんだよ

今更何も無かったかのように

登校出来るほど

さすがにそこまで神経図太くないよ

 

 

我が家では学校へ戻るときは

しっかりとした”行く目的”を見つけてからと

決めている

 

将来なんだか不安だから

やっぱりみんなが行っているから

なんとなく行かないといけない気がするから

 

これらの理由で学校へ復帰しようと考えるなら

そんなことはしなくていいと伝えている

 

自分の頭でしっかりと考え

目的を持ち目標を持って学校へ行く

そして自分の行動に自分で責任を取る

 

そこまでの目的がなければ

安易に学校へ戻ったところで

またすぐに引き返すだけ

 

引き返してくるだけなら大して問題にはならないが

劣等感を植え付けて引き返してくるぐらいなら

行かない方がまし

 

学校へ行く行かないはどっちでもいい

問題はそこじゃない

 

出来ないことで否定され

自信を失い

なおかつ自己否定を覚えてしまうことが

問題なんだ

 

学校へ行けなかった

学校へ行けない自分はダメなんだ

みんなは普通に出来るのに

自分だけが出来ない

出来ない自分はダメなんだ

 

このスパイラルで自己否定の感情を育ててしまうくらいなら

行くべきじゃない

 

自己否定の感情が生まれる時は

大抵自分の意思に反することをしている時

させられている時

 

本当は行きたくないけど

行かなきゃダメだろう

 

行かないと怒られる

周りに見放される

などの不安や恐怖からとった行動は

自分の意思に反した行動

だいだい失敗する

だいたい上手くいかない

 

失敗してもそこからどうするか考えられれば問題ないが

自己否定がスタートしていると

考えるどころではなくなる

 

生きる気力を失い、うずくまり動けなくなる

 

そんなことなら

自分の意思に忠実に生きればいい

自分の意思に逆らうべきじゃない

 

2年間の間にいろんな出来事があり

何度も考えてきた

 

その結果

我が家では

安易に学校へは戻らせない

と決めた

 

それ相応の覚悟と理由が必要で

しっかりと説明出来なければ学校は行かせないと

話している

 

残念ながら私もそれなりに覚悟してるからね

ここまでくると普通と同じになんて

今更戻らないよ😁

 

とは言え

どんな目的であれ

次女が考えて出した答えであれば

全て受け入れる

 

もちろん長女に対しても同じこと

 

勉強したいから

将来のために学びたいから

友達が欲しいから

一人は淋しいから

どんな理由でもかまわない

 

次女が自分で考え決めた目的のために

目標を決めて学校へ行くと言うなら

その時には”行ってらっしゃい”と見送るよ

 

 

目的も目標も何もない状態で

ただ闇雲に学校へ戻ることだけを目標にすると

何かある度に

逃げ道、いいわけを見つけ

元の状態に戻ろうとする

 

元の状態=不登校

これなら問題ないが

ここに自己否定がプラスされ

自分を追い詰め出すと危険しかない

それだけはさせない

 

不登校児が頑張って無理をして

場所や環境を変えて学校へ再登校を試みるも

登校できなかったという話をよく聞く

 

かわいそうだなって思いながらも

本人の意思はどうなの?って

問いたくなる

 

本当に学校へ行きたいの?

学校へ行って何がしたいの?って

聞きたい

 

そもそも目的も目標もないのに

学校へ行かなきゃいけないのが

おかしなシステムなのかもしれない

 

学びたくなったら

行きたくなったら行く

それじゃダメなの?・・・

 

不登校であることの現状から逃げるために

周りから焦らされ致し方なく登校する

が 結果耐えきれなくて出戻る

 

長女が中学に進学した時がそうだった

 

環境が変われば

大きなきっかけがあれば変われるだろう

 

そんな風に本人も周りも期待するけど

不登校児の潜在意識を根本から変えない限り

環境を変えたってすぐに元に戻る

 

私は不登校児の親も潜在意識を変えない限り

物事はいい方向には進まないと考える

 

ものの見方を変えなければ

環境を変えても何も変わらない

変わるわけがない

 

事態はどんどん悪化する

執着が強化されるだけ

 

長女のものの見方は数月では変わらず

中学校は小学校の延長線上にあると

認識した

 

だから頑張って3日登校したけど

変わらなかった

 

幸い長女はその状態から自分を追い詰めはしなかった

学校へ行けない自分がダメだとは考えず

やっぱり中学校は小学校と変わらない

そう確信しただけだった

 

長女は自分の頭で考えて小学校=中学校と考え

答えを出した

 

中学校もなんら変わらない

無駄なことをさせる面白くない場所

自分には不要な場所

 

たった3日しか登校していないけど

この3日でそう判断した

 

次女は無駄が大っ嫌いだから

長女みたいな頑張りはしない

 

だけどちゃんと考えてる

小さいながらも今分かる範囲内で考えて

学校は不要だと判断した

 

私は

子供だからまだよく分かっていない

先の見通しもできないから

大人の親の言うことに従っておけばいいと

思い込んでいた

 

でも大人の私ですら

先のことなんて分からないし

考えたら不安しか出てこない

 

将来絶対にこうなるなんていう保証なんてゼロ

 

自分の将来ですら確信が持てない

それなのに

どうして子供の将来を想像できる?

 

私には娘達の将来を用意することも作ることも出来ない

娘達が自分たちで作り上げるしかない

 

結局何をどうしたって

本人しか現実は作れないし

本人しか未来は作れない

 

親ですら子供の幸せの責任なんて何一つ取れやしない

それなら最初から関わるべきじゃない

手を出すべきじゃない

 

口を出すこと

手を出すことは

全て無責任な行為

 

だから将来を心配して

あれこれ指示を出すのはやめた

先回りはもうやめた

 

かなりの極論だが

これでいい

娘達にはこれがちょうどいい

 

今までの自分が見たら

”げっ”って言いたくなるような

冷たい親

 

でも子供を自立させるためには

これでいいんだと決めた

 

今のところ

この考え方でいいと本気で思っている

 

 

小さな娘達のためにといろんな事を先回りし

用意周到して導いてきたが

それは単なる

考える経験を奪ってきただけ

 

私の小さな指示がいつのまにか大きな指示へと変わり

それに伴って

娘達は自分の意思が分からなくなり

小さな決断もしなくなっていた

出来なくなっていた

 

小さな決断が出来ないということは

大きな決断はもちろんのこと

 

知らず知らずのうちに

他人の顔色を伺いながら生きる

他人軸の人生に導いていた

 

それはそれで楽ではあるが

いつまでも自分の人生を生きていないということになるため

どこまで行っても虚しさだけがつきまとい

充実しない

 

そんな生き方をさせたかったわけじゃない

そんなことを望んで育てていたわけじゃない

 

普通に学校へ行き不登校にならなければ

こんな考えにはならなかった

 

学校へ行くのに目的が必要だってことに

気づきもしなかった

 

でも気づいた

知ってしまった

 

目的なく学校へ行くことが

当たり前になっていることが不自然なんだ

 

学校へ行くには目的・目標が必要

この2つがないから

自分の立ち位置に迷いが出る

 

今の次女にはまだ目的も目標もない

だから学校へは行かない

 

たとえ学校が嫌いな場所でも

そこへ行く目的を明確に見いだしていれば

そこがどんな場所でも

覚悟を決めて行くよ

 

私はそう信じる

 

でも今はまだその段階まで達していない

目的も目標もそれらを手に入れる覚悟もない

 

そんな状態の次女が行動を起こすわけがない

 

今の娘達にとって目的のない行動はもう取らない

そして

親の私たちも無理矢理行動を取らせることはしない

強要する力はもうない

 

そもそも間違いだったから

絶対に強要はしない

 

だから待たないで

学校へ来たらなんて仮定しないで

 

今は学校へ行く目的がない

少なくとも

今の学校には行く目的がない

 

 

次女が知る限る

目的とは関係なく学校へ行きたくなるような

魅力的な要素も学校にはない

 

次女が勝手に魅力がないと思い込み

一人でシャットダウンしていると言えばそうかもしれないが

私が知る限りでも

今の学校に魅力的要素は微塵も感じない

 

学校は我慢、忍耐、努力を美徳とする場所

会社という組織に従順に従い

管理された場所で能力を発揮する人が学ぶ場所

会社にとって必要な

生産的な人材を育成する場所

 

これはこれで社会にとってとても大切なこと

 

会社という組織がなければ

社会は成り立たないからね

必要なんだよ

 

だからみんなに必要ではない場所

だとは思ってはいない

 

会社という組織の下で働きたい人にとっては

学校は絶好の学びの場

会社に入り仕事をしていくための練習の場

多くの人によっては必要な場所

 

私は管理教育の中でもろに育ってきた人間

だから自由に自分で考えて決めることの方が正直苦手

誰かの考えに賛同し行動することの方が合っている

大して責任もないし気楽なわけだ

 

そういうタイプには会社は適してる

 

まぁ会社で働けるよう従順に従う教育を受けてきたから

当たり前なんだけど

 

でもその一方でそういった環境を好まない人もいる

 

我慢、忍耐、努力が苦手な娘達にとっては

管理された空間は苦痛でしかない

これも事実

 

もうこんなの向き不向きの問題

もしくは時期的にまだ早かった

子供のうちから管理する必要はなかった

ただそれだけ

 

とまぁ単純に私の娘達には

私が育ってきた管理教育の場は向いていなかった

こんだけの話なんだよ

 

時代の流れだね

もう管理される時代は終わったんだよ

みんな自由なんだ

 

だけど管理されて育ってきた私みたいなのが親になると

自分が育ってきた子供時代をベースに考えるから

世の中が自由になっても

管理される時代に逆戻りしてしまう

 

それしか知らないからね

それはそれでしかたないような気もする

 

でもそれでは子供達は苦しいんだよ

娘達は苦しかったんだよ

 

 

もちろん全てが管理教育ではない

 

オルタナティブスクールのような

子供の主体性を重視する学校

少しずつ増えてきている

 

独自の魅力満載の学校

私が通いたいくらいの自由でワクワクする学校

 

そんな学校があることは知っているが

残念ながら我が家から通える場所に

そういったオルタナティブな学校はない

 

とりあえず

何度も繰り返してしまうが

次女の場合は

学校の中身というより

 

学校へ行って自分が何を学びたいか

学校へ行って自分は何がしたいのか

という目的がないことが

そもそもの問題

 

この目的がない以上

”学校へ”なんていう話にはならない

”学校へ行く”という考えは絶対に生まれてこない

 

この”学校へ行く目的”がない子が

自分たちには合わない場所と判断している親子が

どう頑張っても

学校へ行くという思考にはならない

 

先生はそんなこと十分承知の上だと思っていた

伝わっていると思っていた

理解してくれていると思っていた

 

でも違った・・・

 

おそらく理解できないよね きっと・・・

 

正直こんなこと議論することではない

 

毎年毎年担任が代わる度に

家庭内の話

我が家の独自の考えを説明するのもどうかと思う

先生にとっても面倒な話だと思う

 

だから正直分かってくれなくていい

なんとかしようなんて思わなくていい

 

 

学校へ行かなくて後々困るのは次女

苦労したり後悔するのは次女

そんなこと百も承知

 

それでも

自分の思うままに生きたいと彼女は望んだ

 

それに学校へ行かないことが後悔になるかは

次女自身の見方、捉え方の問題

 

実学校へ行かなかったという事実があるだけで

それが後悔になるか正しい選択になるかは

次女が決めること

 

後悔なんてものは

見方捉え方でいくらでも変わる

 

何に関しても良い方向へ解釈してしまえば

全て良い結果に変わる

 

だから私的には

次女の選択は問題ないと

ベストだと考えている

 

この先の未来も

過去の解釈の仕方で全て決まる

 

過去なんていくらでも変えられるんだよ

それが分かったら素直に自分の心に従え!

これが一番!

 

生きる目的・目標を見つけられている子は

きっと強くたくましい生きる

 

まだ見つけられていなければ

自分の人生を生きるためにしっかり考えよう

それが今やるべきことで、できること

 

そのためには焦らずじっくりと考えることが一番の近道

 

焦らなくていい

いくらでも時間はある

いつからでもスタート出来る

 

大人は子供を焦らせずじっと見守ること

これが大人に出来る唯一の手助け

不登校児の通知表 ”評価せず”の文字 そもそも評価してとは頼んではいませんが・・・



不登校児の通知表 ”評価せず”の文字

学校は修了式を迎え今は短い春休み

さっそく修了式の後

次女の担任は訪ねてきた

 

『1年間名ばかりの担任でしたがお世話になりました』

と 次女の通知表を持ってあいさつに来た

 

通知表は形式的に受け取っている

正直なんの意味もなさないこの通知表

ただのゴミでしかない・・・

 

一応将来のために取っておくけどね

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

 

以前は先生の仕事も減るだろうから

”無し”でいい、要らないと伝えたが

通知表を出さないということはできないと言われ

今はしぶしぶ受け取っている

 

正直なところ

娘の名前が入ったこの無意味な紙切れ

処分しにくいんだよ

 

だから最初から作成しないで欲しいと伝えるんだけど

そうもいかないようで

こちらの意思とは関係なく作成される

 

それが今回の通知表はいつもと表示が少し違っていた

 

いつもは評価しないという意味で各項目に斜線が引かれ

線ばかりの通知表が出来上がる

 

それが今回は”評価せず”の文字で

通知表が埋め尽くされていた

小学5年生の次女の通知表

長女とこの通知表を見て

『機械の故障・バグですか😮?』と 笑った

 

”評価せず”の文字

思わず心に浮かんだのは反発心

 

学校へ送り出していたのは

先生達の評価、学校の評価を得るためではない

 

そんな評価をお願いしたことは一度もない

それなのにどうして評価されるんだろう

 

それとも学校へ入学させた=評価してください

という意味なんだろうか・・・

 

なぜ赤の他人に評価されなきゃいけないんだろう

これって不思議なことではないのかな・・・

 

この時気づいた

 

評価されることは当たり前

そして

それに抗うことはできないと

思い込んでいるということ

 

まぁ実際は不登校という形で抗った

 

今回の次女の通知表には斜線ではなく

”評価せず”の文字がぎっしり印字され

思わず

評価して欲しいとお願いした覚えはありませんが

とへりくつを言いたくなってしまった

 

勝手に評価されるこの仕組み

学校って何様だ?

 

子供の本当の価値すら見つけられず

一部分しか見ないで

勝手に評価する

そして望んでもいないレッテルが貼られる

 

この評価で子も親も一喜一憂してしまう・・・

 

本当にこの不要な通知表

ストップして欲しい

まじ 要らない

 

というか学校へ通っていても

子供自身が望まないなら

通知表なんて要らない

 

なくても困らないよね

むしろ評価されることの方が不都合だ

 

元気に楽しく学校へ行けるだけで十分なのに

それを妨害してくるのは学校側だ

 

相変わらず無意味な紙切れで

腹が立つ

 

そして相変わらず

”詐欺でしょ”と言わんばかりの修了証

次女の修了証

一度も学校へ行っていないのに

小学5年生を修了しましたとさ

 

まじウケるんだけど

これになんの意味もないんだよ

 

こんな通知表を作成する時間があったら

もっと必要なことに時間を使ってあげて

本当時間の無駄遣いだ

 

そして

この通知表を届けるために

先生は我が家へ出向くんだよ

 

誰か止めようよ

 

いくら我が家が学校から徒歩で来れる近場でも

もっと有意義な時間の使い方があるでしょ・・・

 

先生!

先生の時間

もっと大切にしてあげて!

 

休む時間もなく働いているんでしょ

本当に我が家に来る時間は

必要な時間ですか?

 

我が家の次女にかまわなくていい!

放っておいてくれ!

 

次女に充てる時間を

先生の休息の時間に充ててください<(_ _)>

欠席した卒業式 あの時の不安は欠席したことではなく将来への不安だった

もう3月も半ば 卒業シーズン

 

ちょうど2年前

長女はこの時期いろんな感情に揉まれ

毎日心がざわざわしていた

そして 私もざわついていた

 

不登校になりかけて間もない頃だった

 

卒業式の練習がスタートしたため

私は担任の先生と長女の間で軽く板挟み

 

人様に迷惑をかけないように

なんていう考えでいっぱいだったため

本音と建前を右往左往していた

 

何が正解で何が不正解なのか

正直分からなかった

 

時が経ち

その時を思い出した時の立ち位置で

過去は肯定にも否定にも形を変える

 

だから今どんな選択をしたって

振り返った時の感情で見方は変わるものだから

どんな選択をしても

出した答えがすべて正解になる

 

とは言え、それを頭で理解していても

子供を第一優先にと言いながらも

心の奥底では自分の体裁を第一に考えていた

おそらくそんな母親だった

 

それでもなんとか最終的には

長女の意思を尊重させた

 

卒業式の主役は長女

長女本人が納得していればどんな形であれ

すべてそれが正解となる

 

そう信じるしかなかった

 

だから私は間違っていない

長女の気持ちを一番に優先したのだから

あれでよかったんだ

 

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

 

2年前長女は卒業式を欠席

 

私も長女も欠席したこと自体を

今も悔いてはいない

 

そして現在不登校児であることに対しても

悔いてはいない

 

ただ正直に言えば

悔いてはいないが得体の知れない不安がある

これだけだ

 

おそらく不登校になった当初

小学校の卒業式を欠席した時

中学校の入学式を迎えた時

そして現在

 

いつだって見えない不安が心の奥底に

ずっと滞留してる

 

 

卒業式を迎えるこの時期

毎日後ろめたさ、やもやも感や不安感

いろんな感情でいっぱいだった

 

それは親も子も一緒

おそらく他の不登校児もみんな不安を抱えている

学校に行く子供たちさえも

どこかしら不安は抱えている

 

不安を感じない人はいない

人間の生存本能の機能で備わっている能力

だから決してなくなることはない

 

2年前の私と長女は

お互いにずっと不安だった

 

口に出し自分の耳で聞くと

さらに不安感が増加する

 

だから口にはしなかったが

心の奥では不安の感情でいっぱいだった

溢れないようにせき止めることで精一杯

 

 

小学校に欠席と意思表示をし

その後の事務手続きなども調整済み

事が丸く収まることが決まっているにもかかわらず

ようやく小学校から解放されるということが

確定されているにもかかわらず

依然 心には霧がかかったまま

 

一段落する予定なのに

きれいさっぱりと晴れる気がしない

 

このきれいさっぱりとしない感覚は

卒業式が過ぎ去ってもずっと続く

 

卒業式が過ぎ去り

中学校の入学式に出席できれば

また元の生活に戻れる

そうすればこの不安もきっと

なかったことになる

消えるだろう

 

そんな風に安易に考え

深くは追求してこなかった

 

でも最近なんとなく分かってきた

 

きれいさっぱりと晴れなかったのは

卒業式に参加しなかったことじゃない

みんなと同じことができなかったことじゃない

 

自分たちの将来がどこに進んで行くのか

行き先がわからなくなったから

きれいさっぱりと晴れていかない

 

自分たちのこの先のイメージが湧かない

自分たちが楽しく生活している姿が想像できない

ここに不安が滞留している

 

どんな風に生活し

どんな毎日を送り

どんな人と関わって

どんな風に学校生活を送っているのか

この想像ができない

 

少し先の自分たちの姿すら想像することが

私たち親子には難しかった

 

今しか見えていなかった

今の足下しか見えていなかった

見渡せる広がった景色があるのかないのかも分からない

霧でモヤがかかって怖くて進めない

 

だから進むことも戻ることもできなくて

現状がずっとそこにある

このままの状態しか存在しないような

感覚になり不安だけが増す

 

ちょっと先の明日よりさらに先の未来なんて

到底想像できなかった

 

というより

それが必要だって知らない

 

要するに決められたレールを歩いてきたから

それが居心地悪いと気づいて離脱したけど

その先の道をどう自分で開拓していくのか分からない

その方法を知らない

 

自分で進む道を決めたことがない

どこへ向かいたいかということも

自分自身に聞いたことがない

 

行き先がないということは

とても不安定な状態なんだ

 

どうやら私たちは

自分の進みたい道

将来というものを深く考えたことがない

 

将来というと少し緊張するが

どんな風に生きたいか

どんな風に生活していきたいかということすら

言語化できない状態でいることに気づいた

 

要するにざっくり言えば

”生きる目的”を考えたことがない

ということにようやく最近気づいた・・・

 

 

おそらく私たちは

”生きる目的”を考えた事がないため

目の前に起きる些細な出来事に

振り回される

 

自分軸を主体にと考えて進んできたが

その軸の根っこを固め

自分の生きていく目的が決められていないから

いろんなものに左右され

ブレブレになる

 

そして揺らされる度に不安を感じ

大丈夫かな、これでいいのかなって

迷うんだ

 

いやいや~ 

相変わらず気づくのに時間がかかったな

 

長女の卒業式から2年

その間にもいろいろあったけど

生きていくのに”生きる目的”が必要だとは

知らなかった

 

なんとなく生まれたから生きるしかない

みたいに考えて生きてきた

 

小学生の頃から

30歳には自害しようなんて考えて生きてきた人間

 

あの頃も自分の未来が想像できなくて

想像するのが怖くて逃げていた

 

それがなぜか主人と出会い結婚し

パートナーができたら簡単には自害できなくなった

 

そして

長女を授かったら

次は責任で生かされるようになり

さらに現実から逃げられなくなった

 

娘たちに対しても

なんとなく産んでしまったから

最後まで面倒を見なくては

なんて気持ちで育てているところがなきにしもあらず

 

言葉は冷たいがおそらく

心の奥底ではそんな風に思っている

 

責任ばかり

見えない将来が自分の分だけでなく

娘たちの分まで積み上がっていく

 

 

明るい不登校をモットーに生活してきた

学校へ行かないこと

学歴を持たない生き方を選び

それに向かって進んで行くと覚悟は決めてはいるものの

 

生きる目的が設定できていないので

どうやって未来に向かって進めばいいのか

どこへ向かえばいいのか正直分かっていない

 

おそらく闇雲に突き進もうと進めているから

どこか不安なんだ

 

いつもいつも目の前に出される課題をこなすことで

いっぱいだった

 

自分の人生に目的地を設定し

それに向かって問題を乗り越えていくなんてこと

今までにやってきたことがない

 

目の前にある娘たちの卒業式・入学式

これらをどう無事に乗り越えられるか

ここだけを見ていて

ここだけの問題を解決しようとしていた

 

でも本当の問題はここじゃない

問題は娘たちではなく親の私の将来

 

私は自分の将来に不安がっているんだ

 

みんなと違う生き方を選んだ

娘たちの不明確な将来に不安を感じていると思いきや

本当は自分の将来の想像ができないため

不安を感じている

 

どうりで目の前に迫り来る出来事を片っ端からやっつけても

不安がなくならないし終わらないわけだ

 

相変わらず

自分のことは見えてこないし分からない

 

おそらくすぐにすり変えてしまう

 

今までの経験上

いつもそう

 

娘たちに起きている問題は私への課題

娘たちを使って提示されている

 

自分の問題は自分が解決するしかない

でも娘たちの問題であれば娘たちに問題解決させればいい

 

私は自分の問題をあたかも娘たちの問題だと思い込み

私の将来を娘たちに解決させようとしていたことになる

 

自分の生きる目的が明確でないために

幾度となく足下がぐらつき

その度に周りを使って足下を固めようとしていた

 

他人に機嫌を取らせる行為がこれなんだ

 

はぁまたまたなんと恥ずかしことをしていたんだ

 

すごく大げさな大きなテーマに感じる

気恥ずかしい”生きる目的”

 

でも振り返れば真剣に考えたことない

反抗期や就職活動で自分と向き合う時間を作ってこなかった

これが大きな代償なわけだ

 

そして今これに向き合えと言われている

うん?誰に?

幼い頃の自分に・・・

 

 

普通の家庭に生まれ普通に育ってきたと

思い込んでた

 

普通が嫌で普通から逃げるように生きてきたつもりだけど

ただ逃げるだけでどうなりたいかはよく分からない

表現できない

 

自分がどういった生き方をしたいかなんて

考えてきたことがなかった

 

とりあえず大きくなって大人になって働く

 

いつも働く目的はお金

生きるためにはお金が必要で

そのために働いてきた

そしてとりあえず遊んできた

 

自分でお金を稼ぎ

自分に自由にお金を使う

 

自由を手にして自由に振る舞ってきた気でいたが

満たされてはいなかった

 

それがようやく理解できた

 

自分の目的地を設定していないから

そこへ向かう努力もしないし

何かを達成して得る感覚がないため

生きる喜びも少ない

 

目的地がないため目標のない毎日を

ただなんとなく過ごして

ただなんとなく生きてきたから

うまくいかなくなったら簡単にリセットして

終了してやり直そうとする

 

でもいくらリセットしてやり直しても

根本は変わらないから

どこまで行ってもつまらない

 

つまらない生き方になるのは目的がないから

これだけだ

 

少し考えてみた

 

こんな暮らしがしたい

こんな部屋に住みたい

こんなことをやってみたい

こんなことを経験したい

 

この想像すら私にはちょっと大変だった

答えが出てこなくてすぐにま~いっかって投げた

 

おおっこれっていささか重傷ではないかい?

どんな部屋にしたいかさえ想像できないって

どうなの?

ゼロから想像するって結構大変なんだ

 

この目的の話を主人にすると

みんなそんなもんでしょ!って言われる

 

いやいや

それでいいんかい?!

 

ここで安堵していては

私の将来は

今の状態は変わらない

 

両親がこんな状態では

娘たちに何を伝えても説得力に欠ける

 

将来を考えたことのない親に

”将来を考えて”なんて言われても

ピンとこないから

娘たちだって考えられるわけがない

 

 

過干渉の親に育てられ

指定された中の選択で進んできた人生

 

自分の好きも

自分が楽しいって感じることも

うわべ上では分かっているつもりでいた

 

でも心の奥底で感じる感情や気持ちは

おそらく分かっていない

 

考える習慣を持たないということは

生きる気がないということと同じ

 

私は過干渉で娘たちを育ててきた

考える機会を奪い

考えさせて来なかった

 

だから指示待ちタイプで安易に答えを求める

自分に期待はせず

人に期待する

 

すべて周りが指示してくれて

その指示に従えば楽だと学習してしまった

 

でもこの先を考えると

私の二の舞になるのは確定だ

 

自分で自分の生きる目的を考える

これを繰り返し練習させることが必要

 

とはいえ

教えるのは違うので

私が実践するしかない

 

私が自分の”生きる目的”を考え見つけ

不安がそれに打ち勝つことを証明するしかない

 

その過程を娘たちに見せることでしか

伝えられない

 

娘たちの将来が不安なんて心配して

右往左往している親の姿より

自分の目的地を設定してそこへ向かって

毎日を一生懸命送る姿の方が健全だ

 

自分のためにもこの方法が楽

 

どこへ向かって行けばいいか分からなく

闇雲に真っ暗な道を歩くのは怖いに決まっている

 

見えない不安を作り出し

どんどん増殖させる原因が自分だったら

やることは簡単

 

目的地を設定してしまえばいい

そしてスモールステップでこなせる目標を

細かく作りそれを実行していくだけ

 

間違っても自分の不安を娘たちと

すり替えてはいけない

 

 

学校を卒業しても

何も変わらないよ

 

環境を変えても

心をリセットしても

何も変わらないよ

 

必要なのは”目的”

自分の”生きる目的”を設定すれば

そこへ向かうための選択をしていくだけ

そこへ向かうための努力をしていくだけ

 

私は娘たちの将来の不安を潰す行動よりも

自分自身の目的地を設定することが

この先の人生に必要だと理解した

 

そうそうまだ残り半分もあるよ

闇雲に進むよりは目的地があった方が

迷わなくていいよね

道しるべって重要なんだ

 

そんなわけで

これから急いで目的地を考えなければ・・・

 

もうこんなことなら

義務教育で英語や数学の勉強なんて教える前に

生きる目的地の見つけ方を教えてくれた方が

よっぽど将来役に立つと思うんだけどな

 

娘たちには未経験の私では教えることは何もないけど

一緒に考える時間を共有することはできるかもしれない

 

そのためにも一歩先へ

私が進む

 

正直娘たちのことなんてどうでもいい

彼女たちは彼女たちでやっていくしかない

それに彼女たちにしかできないこと

 

それがいつになるかは彼女たち次第

これが分かっただけでもう十分だ

 

できることはいつだって

自分を変えることだけ

自分を幸せにできるのいつだって自分だけ

 

まずは私の行き先だ

国産醤油で作られたみたらし団子🍡と米粉100%の丸いたい焼き

★みたらし団子とたい焼き

たまたまネットサーフィンで見つけた

Googleのお勧めで私の所に舞い込んできた記事

そこには”グルテンフリー米粉100%”

”まん丸たい焼き”という文字(*゚∀゚)

 

この言葉の記事に惹きつけられ

関連記事を探しまくるが

あまり情報が見つからない

 

なんだか気になり過ぎて止まらない

気になる・・・

 

そんなわけで翌日”まん丸たい焼き”を求めて

我が家から1時間ほど車を走らせた

 

行ってみれば分かる

私が行ってもいい場所なのかどうか

自分で見ればいい

 

久しぶりのワクワク感🎶

久しぶりのお出掛け

久しぶりの自分の行動力に

とりあえず心がときめいた✨

 

まん丸のたい焼き屋は

愛知県一宮市の篭屋という所にある

camino(カミノ)というお店

住所:愛知県一宮市篭屋4-11-3

電話番号はないらしい

いっぱい探したけど見つけられなかった

 

『お子さまでも安心して食べてもらえる、

お米から作った人と地域にやさしいもの』

をコンセプトに提供されている

 

外観はシックでレトロ

ネットで下調べしていたから分かったものの

普通に店の前を通り過ぎただけでは

「?」ってなりかねない佇まい💦

↑ この写真は駐車場から撮影したもの

お店の側面

興奮しすぎていたため正面の写真は

撮り忘れた・・・💦

 

とりあえず

なんともオシャレでカッコイイ外観の中に

まん丸のたい焼き屋は存在していた

 

camino(カミノ)”さんには

たい焼き

・あんこ

・豆乳カスタード

・プレーン(生地だけ)

の3種類

 

団子

・しょうゆ

・みたらし

・あんだんご

の3種類

 

ドリンク

コーヒーなど

沢山の種類のドリンクが用意されていた

 

お店のどこにもグルテンフリーとは書かれていない

もちろんカゼインフリーとも書かれていない

そんな張り紙は一切ない

だからまずは確認!

 

中にはお客さんらしき人はいない

我が家だけ

 

これは絶好のチャンス!

気兼ねなく質問が出来る!

というか質問させて・・・

そうしないと食べられない💦

 

 

外で売られているもので

パッケージに成分表が記載されていないものは

原材料の確認が必須

まずはお店の人に聞かなきゃ始まらない

 

中身が何なのか

原材料は何を使っているのか

ある程度確認をしないと

怖くて口に出来ない

 

そうです、そうです

遅延型アレルギー症状が発生するため

確認は必須!

 

私はお店の人に

小麦と乳製品のアレルギー持ちの自称リーキーガット

いくつかネットで情報収集はしたが

分からない事があるので教えて欲しいと伝えた

 

米粉100%のまん丸たい焼きは

無農薬米の米粉の生地

米粉、豆乳、米油、卵で作られている

 

中身はカスタード

卵、牛乳不使用の豆乳カスタード

あんこは自家製

 

この情報はネットでGET!

そこはそのまま信じて

たい焼き自体の細かい確認はすっとばしていた

 

だって気になるのは

みたらし団子

 

私の本命は”みたらし団子”

たい焼きも好きだけど

みたらし団子のほうがもっと好き

 

グルテンカゼインフリーの食生活にしてから

一度も口にしていない

 

手作りしたこともあったが

失敗したような・・・

あの甘ダレが上手くいかない

 

今は在宅ワークに没頭しているため

お菓子作りに時間が割けない

優先順位が低いため頑張れない・・・

 

 

団子といえばお米で作られている

だからほぼほぼ問題はない

手作りの団子なら米100%が多いため

大体セーフ

 

なんだけど・・・

 

アレルギー反応を起すのは

みたらし団子のタレ

 

タレに使われる醤油にアレルギー反応を起す

 

幸い、私は醤油全てがNGではない

醤油を作るのに使われる小麦が

しっかり熟成されタンパク質が分解されていれば問題ない

体に取り込んでもアレルギー反応は出ない

 

アレルギー反応がでない醤油は国産醤油

 

どのメーカーでも問題ないが

とりあえず国産小麦・国産大豆で作られているもの

これであれば体に取り込むことが出来る

 

そこで

『みたらし団子のタレに使われている醤油は

国産醤油ですか?』と聞いてみた

 

お店の人は大きな醤油のボトルを棚から出し

持ち上げ確認してくれた

 

そして

『国産醤油ですよ』と教えてくれた

 

一応念のために

『その国産醤油は国産小麦と国産大豆で出来ていますか?』

って聞くと

『そうです』と応えてくれた

 

この会話が凄くうれしかった

涙が出そうで泣きそうだった

 

あ~😭私でも食べられるみたらし団子に

出会えたよ・・・見つけたよ!

 

主人は大げさだな~って笑っていたけど

だいたいいつもダメ元で聞いて

いつもNG⤵

食べられるみたらし団子に出会ったことがなかった

 

それがOKだったんだよ

タレまで私が理想とするものを使っているなんて

そうそうないことなんだよ

私でも安心して食べられる😊

 

こうやって中身を確認させてもらえ

食べても大丈夫だと教えてもらうと

安心と優しさを分けてもらえたような気分になる

 

とっても心が温まる

凄く胸が喉の辺りが

カーッて熱くなる

 

基本どうしても諦めモード

だからその反動

喜びは倍増する

OKがもらえた瞬間は感動しかない

 

 

ネットでお店のコンセプトを知り

もしかしたら国産醤油でタレを作っているかもと思い

淡い期待を抱いて訪ねた

 

概ね団子自体はお米100%

ほぼほぼグルテンフリー

というか当たり前と言えば当たり前

 

だけど

肝心のタレまではグルテンフリーとまではいかない

こればかりはどうしようもない

 

それでもタレが国産醤油で作られていれば

小麦のタンパク質が分解され無毒化されているので

私は食べることが出来る

 

そんなお店があればうれしいなっていつも考えてた

それが現実にあった

 

手作りのお店

独自のコンセプトを持って営んでいるお店は

商品以外の物まで提供してくれた

 

私はみたらし団子だけではなく

お店に立つ人達の優しさまでいただくことができた

 

言い方はちょっと違うかも知れないが

お金を出して買う物は物だけではない

目には見えない

だけどそこに確実に存在している温かみ

人の温かみも買えると知った

 

優しさに触れられる時間をお金で買う

何という贅沢なお金の使い方

 

これでまた一つ

私の宝物が増えた✨

 

今回いただいたのは

みたらし団子&あん団子

たい焼き(あんこ&豆乳カスタード)

ドリンクもろもろで

四人分で6000円ぐらい使ったかな・・・

 

価格は普通のたい焼きに比べたら3倍くらいかな

我が家は口に入れる物への金銭感覚はおかしいので

まったく気にしない

 

食べれるものを食べたいだけ食べる

これが出来る生活をさせてくれている主人には

感謝しかない

 

本当幸せなこと

ありがたいこと

いつも ありがとう😊

 

 

ではでは食べた物の紹介!

みたらし団子とオシャレなあん団子2種

私の宝物:みたらし団子

何年ぶりかのみたらし団子

この日は1本いただいた

念のため様子見をするため1本にとどめた

 

結果アレルギー反応は出なかったので

次回は5本くらいペロリといただく予定

 

団子は玄米100%

少しつぶつぶ食感が残っていて

お米って感じ

 

タレは甘だれ醤油

優しい甘さで甘ったるくない

これはいくらでも食べれちゃう

 

近所にこのお店があったら毎日通いたい・・・

 

 

そして米粉100%の丸たい焼き

 

カミノの丸たい焼き

中身:自家製あんこ

中身:豆乳カスタード

外はカリカリの中はもっちもち

米粉特有の食感

 

自家製あんこは甘すぎず小豆の甘さが引き立つ

 

元々甘い物が得意でない私はあまりカスタードは食べない

でもせっかくだからと豆乳カスタードもいただいた

 

あまりバニラ風味はなくさっぱりとしたクリーム

とりあえず甘すぎなかったので完食

 

甘いのが好きな主人と次女でも

甘すぎない豆乳カスタードのたい焼きがお気に召したよう

私と長女は自家製あんこのたい焼きにロックオン

 

これ生地だけでも絶対に美味しいって4人で盛り上がった

米粉で育ってる我が家にとっては安定的な美味しさ

次回は中身なしの生地だけを2、3コ食べたい

 

米粉は胸焼けしないからいくつでも食べれちゃう

でも体重は増加するのでほどほどに🤣

 

この丸たい焼き

シルエットはもうアートだね★

パリッとした凜々しさの中に愛らしさがある

可愛いというより

う~ん🧡芸術!

 

毎日米粉で何かしらの手作りおやつを食べているけど

誰かに作ってもらうおやつはまたさらに格別🎶

 

 

最近ではグルテンカゼインフリーの食生活が

前から存在していたかのように板についてきた

 

自分の体に気付くまでは

普通にスーパーで売られている安価なみたらし団子を

普通に何も考えずに食べていた

それはそれで美味しくいただいていたし

決して不味いわけじゃない

決して悪いものでもない

 

ただ自分の体を

体調を優先しているだけ

 

それがちょっと極端な行動になってはいるが

これが私のスタイル

 

そんな中食べられるものを選別することは

私にとってかなり労力のいること

 

大体NGの返答が多いため

もう確認することも億劫になる

 

でも今回のみたらし団子の出会いで

もう少し宝探しをしても良いかなって思えた

 

失敗ばかりが続くと萎える

もういいやって諦めてしまう

そしていつしか自分が悪いんだって思ってしまう

たまにそんな時もある

 

でもたまに宝物を発見すると

今までの沈んでた気持ちが一変する

かなりテンションが上がり

気持ちが高揚するのがよく分かる

 

やっぱりこの高揚感が忘れられない

この高揚感を味わうためにまたアンテナを張り

行動しよう!

 

そしてこの時 気付いた

 

この確認作業でお店の人と話ができる

お店の人にとってはいささか面倒な客だなって

思われるかも知れないが

私にとってこの確認の作業は

人とのコミュニケーションの場

とても大切で楽しいひととき!

 

基本自宅にこもっていて

家族以外コミュニケーションをとる機会がない

 

質問することがないと

お店の人と会話することもめったにない

 

私にとっては人とふれあえる

またとないチャンス!

 

グルテンカゼインフリーのおかげで

体調は良くなり

ブログも始めた

そして人と話すきっかけももらえた

 

どうやら大変な事ばかりではないらしい

 

捉えようによっては

何でもイイことに変換できる

 

普段ならスルーしがちな出来事も

気づけるようになってきた

感じられるようになってきた

 

イイこと悪い事なんて全て自分の見方

受け取り方で自分の思い通りに変わる

 

自分にとって幸せなことでいっぱいにしたいなら

幸せになる考え方に全てシフトすればいい

ただそれだけのこと

 

すべてイイこととして受けとってしまえれば

すべてイイことに変わる

簡単だね!

 

 

これから一宮へ行った時は絶対

丸たい焼きに会いに行く

みたらしに会いに行くぞ!

 

ちなみに丸たい焼きはお持ち帰りしても

まったく問題なく美味しく食べられた

 

レンジで少し温めてトースターで少し焼けば

できたてと変わらない

カリッとしたたい焼きに復活する

 

一つだけ期間限定の白あんいちごの丸たい焼きを

テイクアウトした

 

さすがに熱が伝わり過ぎて

いちごがちょっとふにゃけちゃったけど

甘酸っぱくて美味しかった

中身:白あんいちご

こちらはどうも期間限定らしい

いつまで販売しているかは確認していないけど

次回お邪魔した時にあれば

絶対いただきたい

 

 

今まで誰かに自分の価値観を認めてもらいたいと

思うところがあったけど

なんとなく変わってきた

 

今は自分の興味のあるモノについて

あ~だ、こ~だと一緒に話したい

 

だから自分の好きなことを勧めたりはしない

米粉をみんなに好きになってもらいたいとは思わない

 

最初から米粉を好きな人同士でコミュニケーションがとりたい

そんな人とのふれあいが欲しい

 

そのためには今の場所にいてはダメなのかもしれない

人と関わりたいなら自分から動かなきゃいけないのかも知れない

 

さて次はどこへ行こうかな・・・

やっぱり心の奥では一人は寂しいだな

家族以外にも誰かと繋がりたいんだな・・・

 

少しだけ自分の欲求に気づき始めた

今日この頃です

 

不登校児の反抗期 同じ環境で育った姉妹でも反抗態度は違う

★次女の反抗は長女とは違っていた

同じ女の子でも1番目の子と2番目の子では性格が違うように

反抗期の始まりも違えば反抗する態度も違う

 

同じ親と環境の中で育ったにもかかわらず

表に現れる現象が違うということは

やはりおのおのが違う人格を持っているということ

 

大げさなようにも感じるが

”娘”としてひとくくりしていると

上手くいかない

 

 

娘達を見ていて違いに気づき

面白みを感じようになる

我が子が実験の対象物になってきている 

 

この思考が我ながらあっぱれ!

なんとなく研究者になったかのような

ちょっと上から目線で

観察できるようになってきた

 

こんな解読が必要と知っていたら

最初から細かく記録をとっていたのに

 

母子手帳すらまともに書けなかったので

幼い頃の娘達の成長記録なんてほとんど書き残していない

 

記憶を遡るのが少し難しい

 

たまに記憶をすり替えているような気にもなるが

そこはおそらくすり替えるというよりは

自分の偏った見方で記憶しているだけ

 

記憶の曖昧さというよりは物事の捉え方が下手くそ

 

それでも今ではこの解読作業が娘達を知ること

そして、自分を知ることにも繋がるため

ゲームを攻略しているように楽しめている

 

知らなかったことを知り

分からなかったことが分かるようになり

出来なかったことが出来るようになる

 

勉強だけでなく全ての経験に対して同じことが言える

 

なんでもゲーム感覚になれた時点で苦しくない

こんなことにありがたさを感じる

 

新たな発見🧐

再認識するきっかけ

毎日少しずつレベルアップし

私の生活&生き方が楽になっている

 

考えることで全てが変わる

解放に向かっていると体感して知っているため

考えることがとまらない

 

 

さてさて娘達の反抗期

長女の反抗は『無気力』

一般的に待ち構えていた反抗とは違う反抗態度

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

 

では次女は・・・

一言で言えば

予定通りの

想像通りの反抗態度

 

ちょっと乱暴で親の言うことは素直に聞かず

屁理屈や文句がこぼれる

また、あからさまに無視をしたり

少々冷たい言葉が飛んできたりする

 

めっちゃ腹が立つといった暴言までは吐かれないが

あっ反抗期ですか?って感じる

 

そうだよね、これくらいの反抗はあるよね

長女の反抗が静か過ぎるんだよ

 

それでも女の子だからか

悩むほど凹むほどのダメージは受けない

 

それにまだ小学5年生

この年頃に負けるほど

私もまだ老いぼれてはいない

 

 

次女は幼少期の頃

我が家の中で”怪獣”と呼ばれていた

 

少々行動が乱暴で家の中で走り回ったり

扉をドタバタ開け閉めしたり

力の加減が上手くコントロールできなかったため

少し動きが荒かった

 

少し男の子みたいな側面も感じられ

行動、思考も男の子よりだったため

おまけに長女よりもかなり活発で

私にとって未知な存在だったことから

”怪獣”と呼んでいた

 

とは言え

所詮幼い女の子なので

たかが知れている

 

ただどうしても行動の穏やかな長女が比較対象になってしまうため

次女の行動は激しいなと感じていた

おまけに私自身も比較的おとなしい子どもだったので

次女の行動は想定外

というより分からない

 

癇癪を起してギャーギャー騒いだ時は

基本主人がなだめてくれていたので

私自身が手を焼いてた記憶はない

 

子どもをなだめることも苦手なので

あまり関わらない

そういう場面は主人の出番

 

主人にとっては”怪獣”になっている次女でも

単に可愛い愛くるしい娘

男親にとって女の子は可愛いしかない

 

とりあえず”怪獣”といっても怖くないし危険でもない

可愛いニックネーム

 

ただ今振り返れば

癇癪を起している時点で

”怪獣”に変身している時点で

次女の心にもいろんな物が積み上がっていた

 

次女の気持ちを理解していない

寄り添えていなかったこと知ると

”可愛い怪獣”で終ってはいけなかったんだと知る

 

当時は気付いていなかったため

平然と”怪獣”と呼んでいたが

やっぱりこのニックネームはまずかったかな・・・

 

 

次女を怪獣にしたのは

紛れもない子どもへの理解不足の大人の私

 

親の私達が知識不足だったため

知らず知らずのうちにレッテルを貼っていた

 

単に自分の気持ちに忠実に従い

自分の気持ちを伝えようとしていただけの次女を

”怪獣に仕立て上げていた

 

本当 ごめん💦

 

 

自我の目覚め→自己表現→反抗 と理解し

右へ行くほど悪い事だと勘違いしていた

 

だから全ての行動、動きが

親の範疇を超えると”おかしい”って判断され

親の理解できる枠組みまで引き戻される

 

そしてそこに躾という行為が発動する

 

躾がされていないから行動が荒い

躾がされていないから言動がキツい

 

だから正しく躾をして元に戻さなきゃ

親の、大人の言うことをしっかり聞く

良い子にしなきゃ

 

いつも娘達を通して自分の親に

子育てを評価されているような気がしていた

いつもいつもジャッジされているような感覚が苦しかった

 

次女が叱られていると

自分が失敗をして叱られていると感じていた

 

見えない圧がいつも娘達を通して

私に向かってくる

 

親の評価を気にするあまり

私が理解できる枠組みに押し込まなきゃ

戻さなきゃ、修正しなきゃって考えるから

現実がこじれる

 

子育てを間違えているって言われるのが怖くて

間違えてる自分も認められなくて

母親失格というレッテルを貼られたくなくて

隠蔽工作をする

 

次第にそれらがストレスに変わり

躾という名の行為に拍車がかかる

 

まぁなんて情けない姿

みっともない姿

 

間違えることに過敏になると

現実はどんどんこじれる

 

 

自我の目覚め=自己表現=反抗 

と理解していれば

反抗=間違いではなく

単純に

あっ 私とは違う

この現実を知るだけだった

 

私と娘達は違う生き物で”同じ”ではない

これが次女なんだと受け止めていさえすればよかったのに

この違いに気がつくだけでよかったのに

 

私は成人して社会に出て働いて大人になっていたけど

まだまだ知らないことは山ほどあって

子育て、子どもの生態

これら何一つ知らないんだ

知らないって事がまだまだあるんだって

気付いたらよかった

 

その事実を受け入れるだけで物事は変わる

そこから学びへの扉が開く

ただそれだけだったのに~悔しい😭

 

娘達は私に”自分”という課題を与えるために生まれ

気付かせる為に生まれてきた

絶対そうだ

そうとしか考えられない

 

知らないことは未熟なこと

格好悪いこと

間違っていることはとても大きな罪

と思い込んでいたため無意識に隠す

 

私は義務教育を受けて

その先の教育も受けてきたけど

 

学んできたこと得てきたことは

おそらく隠す技術だろう

 

嘘をつきまくってきた人生だったかもしれない

 

凝り固まった価値観で石頭になり

既存の情報が知識が全てだと思い込んでる

 

成人して社会に出て少し経験を積んだだけで

なんでもかんでも分かったような気になり

失敗が許されないという世界にいると思い込んでいる

だから失敗するのが子どもの頃よりも更に怖く感じる

 

子ども=自分

子どもの失敗は私の失敗

そんな思い込みで隠蔽工作が発動する

 

そして隠蔽工作の先に

娘達は失敗という経験を私から根こそぎ奪われ

学ぶ経験も奪われる

過干渉の親にありがちな末路

 

間違い、失敗から

周りの反応が、評価が気になり

そのストレスから娘達を追い込む

 

成人して社会に出て生きてきた私の方が

何でも知っていて正しい

子どもは私に従っていれば間違いないという

傲慢さで娘達を育てていたんだ

 

そして

躾というあたかも正論らしきものを振りかざして

次女を修正しようとしていた

 

私の両親もそんな親だったので

私もそんな母親だ

 

 

そんな私に対して自己表現する

自分の感情をあらわにする次女は

どんどん抵抗しどんどん怪獣化した

 

次女がとった行動を

起きた現実を

そのままその状態のまま

受け止めていたら

絶対に”怪獣”なんて呼ばれることにはならなかった

 

”怪獣”だったのはきっと私

 

”乱暴” ”マイペース” ”わがまま” ”自由人”

こんな言葉でひとくくりせず

子どもの生態を理解していれば

押さえつけられることも

修正されることもなかった

もっとのびのびと育てられた

 

当たり前に浸透していた子どもの姿が

全て正しい姿なのか

周りが理想としている子ども姿が

全て正しい姿なのか

疑問に思わない時点で親の役目を放棄している

 

完全に間違えていた

子どもに関すること全て間違っていた

 

私はそれをモンテッソーリで知った

 

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

 

 

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

 

ある程度子育てが落ち着いてから子どもの生態を学んだ

本当に遅い

遅いけど今からでも間に合った

 

子どもの生態を知ることで

自分の育ちも知った

クズな親に育てられて来たんだと知った

 

そんなクズな親から育った私が育てた娘達を

これ以上クズな人間に育てないように

真面目に学んだよ

真面目に向き合ったよ

 

学んで実践する

行動し検証すると理解度が増す

すると次へ進みたくなる

どんどん欲が出る

 

誰だって間違えることはある

大切なのは

間違えたらそれを認めその次を考える

そして考えたことを実行し確認する

要するに行動するまでいかないと

何も変わらない

学ぶだけでは意味がない

 

この行程を理解し親が実践していないと

おそらく子どもに失敗なんてさせられない

怖くてできない

 

私は娘達の親として自分の失敗を見せられたのは

いい事なんじゃないかなと思う

 

思いっきりポジティブに自分の都合の良いように解釈し

今ではかなり割り切っている

 

 

親が完璧すぎると

完璧を求めすぎると

子どもは絶対苦しくなる

 

親が苦しいんだから子どもも伝染して苦しくなる

こんなつまらないことはない

 

間違えたことを認められるだけで

ものすごく心は楽になる

解放される

 

最初はどうしようもない罪悪感に

アップアップしてたけどそれも今はない

 

 

モンテッソーリで学んだ事を

オウム返しにして娘達にアウトプット

 

家族みんなで正しく学び直し

今までの間違いを洗いざらい白状し

許してもらった

 

この時点でもう親子の立ち位置は逆転している

 

子どもの声にちゃんと耳を傾けたら

親の知識が全てじゃない

親の知っていることは

本の一部だったって分かる

 

娘達の方が真っさらで歪みが少ない分

物事を正しく見ているってことが沢山ある

 

そしてそのことを教えてくれる娘達は

私のティーチャー・先生

とても優しいティーチャーなんです

 

とは言ってもね

許してくれたとは言ってもね

たまにちょいちょい戒めのように吐き出される

 

そう笑いながら嫌みったらしく

過去を掘り起こされ、蒸し返される

 

もう今ではかなりの笑い話

そんときに言ってよ~教えてよ~

って笑い話になる

 

でも繰り返し同じ話題を蒸し返すってことは

それだけ次女の心を突き刺してきたんだろうなぁ

 

次女の反抗態度は年々成長している

そして少しずつ姿を変えている・・・

本年も大人の反抗期を続行&不登校児の親として変わらず生きていく!

★大人の反抗期&不登校児の親

本年も引き続き大人の反抗期を続行しつつ

不登校児の親として娘達から新たな生き方を

学びながら生きていこうと計画中の私

 

ぽつぽつと自分の感じるままに赴くままに

心の声を吐き出し自分を知っていく😁

この作業が面倒くさいわりには面白い

 

そして確実に楽に生きられていることを感じているため

やめられない

 

ただなんとなく

私だけが楽に生きられるようになっている

まだ周りは完全にはついてきていない

 

それがちょっと後ろめたさを発生させているような気もするが

それでもまずは”私が!”の精神で進むしかない

 

娘達にもこの楽さが伝わり

本人達が望めばいつか追いかけてくる

追いついてくる

そう信じるしかない

 

それがいつになるかは・・・不明だが

 

娘達にとって必要になった時

自然と体験するんだろう

私が体験したように

 

初の主人だけの帰省

年末に主人が自分一人だけで帰省すると義理の母に連絡

特別何も言われることもなく承諾してくれたと思いきや

帰省したらなにやらネチネチと言われたよう

 

『盆と正月以外にも顔を見せなさい』

???

 

この前予定を調整する時には何も言わなかったのに

実際に目の前にすると愚痴るんだって

ちょっとびっくりした

 

どうやら1年ぶりの帰省だったよう

こちらは毎日自分達に集中しているため

親の事なんてすっかり忘れていた

 

また嫁の私も孫の娘達もいないものだから

なんだかネチネチいびられたよ

と 笑って話していた

本当主人はさっぱりした人でよかった

 

とは言え

正直当分の間は私は主人の実家に顔を出す気はない

 

 

実は我が家がグルテンカゼインフリーの食生活にした時点で

主人の実家との間に少し溝が出来てしまった

 

まぁ実際は自分の両親との間にも食の問題で

大きな溝が出来ていたので

普通と言えば普通の流れ

 

お土産やおやつ

そしてみんなで揃っての外食

どれも簡単にはできなくなった

 

ちゃんと考えれば難しいことじゃないって

わかるんだけど

 

今までと違うことっていうのは

なんでも受け入れがたいらしい

 

私の強いこだわりのせいで

食に関しての選択が全て億劫になり

投げやりになっていた

 

そんな中私には

自己中にもなりきれないため

後ろめたさが発生

 

義母に理解を求めるのも違うような気がして

たわいもない会話すら難しくなった

 

たわいもない話の中心がだいたい食べ物

あれが美味しい

これが美味しい

これが上手く受け入れられないため

会話が出来ない

 

私達は遅延型のアレルギー

即時型のアレルギーではないため

アナフィラキシーショックを起す心配はない

 

そこまで酷くない症状であるが故に

私の行動は面倒くさいこだわりと認識されているようで

事の深刻さは理解されていないような気がする

 

遅延型のアレルギー反応は

どこかみんな当たり前に抱えている

軽い持病みたいなもの

 

その程度に捉えられ

頭痛や鼻炎症状が出ても

それくらいみんなあるでしょ

普通でしょ と扱われる

 

だから簡単に

『たまには食べてもいいんじゃない?』

『今日くらい大丈夫だよ!』

なんて軽い言葉が

主人の口から簡単に飛び出す

 

自分の親への気遣いなのは分かるが

正直これがキツい

 

大人になりきれていない私は

軽く主人に反論してしまうため

喧嘩とまではいかないが

モヤッとした重い空気を発してしまう

 

それを見ている娘達は

”ちょっとだけ食べたいな”という気持ちが沸いても

私達 大人の顔色を伺ってしまい

自分の感情に蓋をする

 

こんなのよくない

分かってはいるが

するっと受け流せない

 

だから食に関する話題は苦手

 

主人と娘達はさほど酷くはないので

アレルゲンを摂取しても一時的な排毒症状ですむ

 

私はたった少量でも

1ヶ月以上悲惨な状態がずっと続く

毎日の生活がかなりしんどくなる

 

確かに以前はそれが当たり前の状態で

持病だと諦めていた

 

でも摂取しないだけでこれほどまでに

状態が激変し

普通に生活出来ることを知ったら

そんなもの口にしたいわけがない

というより私が口にしてはいけないものなんだ

 

みんなが普通に食べられる物でも

私にとっては毒になる

それを知っているのに

食べないの?っ言う神経を疑ってしまう

 

あ~私は大事に扱われていないんだと

勘違いして悲しくなる

 

それでもここは妥協できないため

私のスタイルは変わらない

 

よって頑固者として扱われ

そしてストイックすぎると呆れられる

 

たまに主人もそう感じるくらいだから

かなりの頑固者なのだろう

 

それが家族の輪を乱しているのも分かってる

そんなこと十分分かってる

 

だからみんなで外食へ行く話題になると

申し訳ない気持ちでいっぱいになり

居心地が悪くなる

 

まぁ仕方ない

私がどれだけ苦しんで

どれだけ自分の体調の悪さに

自己否定していたかなんて知らない

 

話していないから理解されるわけがない

 

主人や娘達と違って

悲惨な状態を隣で見ていたわけでもないし

たまに合っておしゃべりするくらいで

体調の悪さも後の祭りのように笑って話していたから

何も伝わらない

 

違う

私が伝えていない

ただそんなことを伝えたところで

私のアレルギー反応がなくなるわけではない

 

不安をばらまくだけで

空気を重くするだけ

私はただ普通におしゃべりして

普通に接したいだけ

 

そう思っていても

変な食事法に切り替えたおかげで

家族との外食が自由に出来なくなったと

ポロリと本音がこぼれ落ちた時は

ちょっと残念だった

 

それからだ

私が主人の実家に帰省するのが億劫になったのは

 

決して変な食事法なんかではない

生きるために大切な事

それを学んで実行しているだけなのに

よく分からない食のルールを

可愛い息子と孫達に押しつけていると

思われているよう

そんな風に捉えられているんではと考えるようになった

 

そして次第に義母も気を遣ってか

私達の前では食べ物の話はしない

タブーになった

 

まぁ私自身、自分の親で体験している

他人に同じ食生活を求めることは

無意味だと知っているため

一緒に食事をとらなければいい

そう考えた

そしたら気まずくはならない

 

そして何度か割り切って

顔だけ見せに帰省したりもしていたが

居心地も良くなければ楽しくもないので

いつの間にか我慢に変わっていた

 

そんな時間が過ぎていたら

次には娘達が不登校になった

 

 

娘達が不登校になってからは

孫の心配よりも私達夫婦のことを心配してくれた

そして根掘り葉掘り聞くこともなく

黙って見守っていてくれた

 

主人も義母には

『心配要らないから』

『何も言わなくていい、大丈夫だから』と伝えていた

 

そして本当に何も言わない

何も聞いてこない

 

ただ少し腫れ物的な感覚で見られている気がする

孫の娘達と久しぶりに会っても

勉強のこと、学校のこと、友達のこと

どれも触れられない

 

というよりどれも義母が話を振れる話題がないから

自然と会話が成立しない

年齢的な影響もあるだろうが

不登校という現実が拍車をかけている

 

正直当初は申し訳ない気持ちでいっぱいだった

義母にとっても大事な孫なわけで

その孫が普通の子どもと違う生き方を選んでしまったこと

普通の生き方を上手に提示してあげられなかったこと

普通に愛情を注いで育てられなかったこと

私が毒親になっていたこと

謝りたい気持ちでいっぱいだった

 

義母も義母なりに孫の娘達を可愛がってた

大切にしてくれていた

 

ただお互い言葉にしないため

正直分からない

 

伝えようとしていないのだから

伝わるはずがない

 

そういえば

私一生懸命理解してもらおうと

伝えようとしていない

勝手にがんばる前から諦めてる

 

でもそもそも私は義母に理解されたいのかな

私を知ってもらいたいのか?

仲良くしたいのか?

 

食のこと

娘達のこと

自分のこと

 

正直自分がどこまでを望んでいるのかも

考えたことなかった

 

単純に主人の大切な親だから仲良くしなきゃ

義母に心配かけることなく

ちゃんと娘達を育てなきゃって

思い込んでいるだけ

 

理解してもらいたいなら

一生懸命伝える行動をしなきゃいけない

 

でも心が動き出さないということは

今はまだその時じゃない

 

とりあえず今はこのままでいい

 

主人だけ帰省させて

私はその間ゆっくりと自分の時間を楽しむ

 

この距離感がちょうどいいのかもしれない

これが今の私に必要な距離なんだ

 

自分で出した答えを受け止められると

なんだかモヤッとしていた心も一気に晴れていく

 

主人が私を理解してくれるよりも

誰よりも私が自分のことを理解できることの方がうれしい

 

なんだか不思議な感覚・・・

 

とりあえず今年も大人の反抗期を継続しつつ

娘達はまだ義務教育期間中なので

必然と不登校児の親であることには変わらない

 

てなわけで両方とも続行しながら

我が家なりの私なりの生き方を模索していきます!

イベントには義務感しか感じられない 何も”ない”を学ぶ

★何もない日々を体験し”無”になっていく

先週学校が終業式を迎えた

一般的には子ども達は冬休みに突入

 

この”冬休み”という言葉も

娘達の担任の先生の電話連絡が来るまで

すっかり忘れていた

 

本当に久しぶりの電話

日常的に電話に出ない私が

珍しく受話器を取ると

担任の先生だった

 

次女の先生は小学生ということもあって

毎回様子を伺う程度

 

長女のことも一応知っているため

二人の状況確認をされる

 

特に変わりないと伝えると

それで会話は終了

 

そう別に変わりはない

学校に対しての心の変化はまったくない

 

というより

既に自分達が不登校児だということを

忘れている

 

学校へ行かない罪悪感もない

 

私達に見せていないだけかもしれないが

どう見ても罪悪感を抱えているようには見えない😅

 

娘達は毎日なんの変哲もない生活を送っている

本人達がそれを望んでいるのだから

それでいい

 

そして何も変わらない毎日を送っているため 

これといって先生に話せることがない

 

去年は次女の担任の先生も

ちょくちょく電話連絡をくれたり

家庭訪問に来てくれたりしていた

 

それなりに私と先生との間にも関係があり

その関係を私自身が楽しんでいた

 

可愛い若い先生でお友達感覚でいろいろ話していた

単純に楽しかった

 

専業主婦で日頃誰かとおしゃべりすることの少ない私にとって

先生との時間は貴重だった

 

でも今年からは違う

 

学校には単に所属しているだけなので

先生との関係はかなり希薄

 

所属しているだけの身で

先生達の大切な時間を奪うことには

気が引けた

 

それに先生達は親の私と会話がしたいわけではない

仕事として子どもの様子を伺いたいだけ

 

そんな風に考えたら

先生達と楽しく会話している場合ではない

 

学校へ行きたくても行けない子どもではない娘達

その娘達と親に先生の大切な時間を割くよりは

先生を必要としている子ども達に時間を割く方が有意義だ

 

そして私の時間も大切な時間

自分のために使いたい

 

先生との関係にこの先得られるものがないと感じたら

その時間を割く理由がわからなかった

 

メリット、デメリットというと大げさだが

1年間娘達の担任の先生方と連絡をこまめにとり

まぁまぁ良好な関係を築いてきたつもりだったが

学年が変わり担当が外れると学校の先生との関係は

”無”になる

 

それなりに楽しい時間を過ごしてきたが

きれいさっぱりなくなる

 

残ったのはちょっとした思い出

それも娘達の思い出と言うよりは

私の思い出・・・

 

もうこの時間はいらないかな

 

だから今年は学校とは縁をこちらから切っている状態なので

担任の先生との関係も必要以上に持たないと決めた

 

すると当然のように

所属しているだけの身なので

必要なことがほとんどない

連絡事項もほとんどない

 

まぁそんな感じなので

先生との関係は希薄

先生の顔も思い出せない

 

関係が増せば気遣いも増える

わざわざ自分で増やすことはない

これぐらいがちょうどいい

 

 

外の気温の下がり具合で冬が来たことは気付いていたが

学校という環境がないと

冬休み、クリスマス、年末年始

といった行事ごとは

頭の中からすっぽり抜け落ちてしまう

 

そして今年はすっかり抜け落ちてしまい

普通にクリスマスをすっぽかした

 

娘達はクリスマスだからと予定を立てるわけでもなく

クリスマスプレゼントの要求もしてこなかった

 

部屋にすらクリスマスのオーナメントを飾ることもなく

年に1回のお披露目を楽しみにしているオーナメント達は

誰の目にも触れず

クローゼットに眠ったまま

 

そして何も飾られない

普通の日としてクリスマスを過ごした

ただの普通の日として

 

娘達は何も気にせず普通に

『あっ今日、クリスマスなんだね』

って言うだけだった

 

ただ一番びっくりなのが

そのことに対して私が罪悪感を感じなかったこと

これが一番大きな発見だった

 

今までなら

家族の為に

娘達の為に

良い母親でいる為に

クリスマスを楽しく過ごさせなければ 

 

と どこか義務感と使命感みたいなものがあり

自分だけがんばってる

自分さえがんばればという思考でぐるぐるだった

 

応えてあげたいのに応えきれないもどかしさも多く

イライラに変わり自己否定が進む

 

この気持ちの解消方法を知らないために

自分で自分を追い詰めるから

イベント事はほとんど苦痛

 

いつもイヤイヤ取り組み

無理矢理楽しもうと努めていた

 

そんな感情を外に吐き出せない

言葉に出来ないのも苦しかった

 

面倒くさい

やりたくない

などといったことは言ってはいけない

親の私が口にしてはいけない

 

口に出したら娘達が悲しむというよりは

両親に怒られるといった感情の方が大きかった

 

どこまで行っても

いくつになっても両親

この存在が重荷だ

 

本人達がのしかかってくるというよりは

私の中で勝手に築いた固定観念がのしかかってくる

 

 

誰かと一緒にイベントをするのは楽しいが

家族の中で一緒に計画し

一緒に行動してくれる人はいなかったため

家族のイベント事は好きじゃない

 

一人で全てを計画し仕切るのなんて楽しいわけがない

でもそんなこと今まで言えなかった

主人に対してすら言えなかったんだ

 

主人はイベントに参加するのは比較的好きな方だが

自分が仕切る側に回るのは好きじゃない

 

主人の周りにはいつもなんやかんや世話を焼いてくれる人がいる

友達でも仕事仲間でも

 

だから自然とイベントを仕切る側には回らないため

やり方が分からないらしい

そのためそれを理由に家族のイベントはほぼ私に任せっきり

 

だから家族でも夫婦でも

行動を起すのは決まって私の役目

 

いつも出来る者がやればいい

その考えで生きてきた

 

そして家の中での出来る者と言えば

私しかいない

だから当然のように私が一人で動く

 

でもそれが納得いかなくて嫌だったんだ

これが正直な気持ちなんだ

 

私だって日々の生活で疲れはたまる

ゆっくりと休める日なんてそうそうない

 

精神的にも肉体的にも

そんなに余裕はない

 

だいたい

なんでこうも毎月のようにイベント事があるの?

 

正直 絶対必要なイベントって何?って疑いたくなる

 

そんなのないって分かっているのに・・・

やらないといけない気がする

このわけのわからない義務感が嫌いだ

 

だからこの義務感から逃げることにした

もう逃げていいんだってわかった

 

今では主人に胸の内を話せるようになった

というより

自分が勝手に自分の気持ちに蓋をしていただけで

主人が受け止めてくれないわけじゃなかった

吐き出してはいけないと自分で思い込んでいただけ

 

自分から動き出したくなるもの以外は

手を出さないと決めた

そう白状した

 

娘達と同様に気持ちを打ち明けると

『それでいいじゃん!』と言われた

 

なんだこんなものか

たいしたことないじゃん

これが答えだった

 

だから今年はクリスマスはやらなかった

お祝いしなかった

気にもしなかった

 

私の方から先回りして

あれこれ考えることは一切しなかった

もうその必要はなかった

 

そして親子の関係も何も変わらなかった

これでいいんだ

 

今までは強制されていたからやっていただけ

それが分かった

 

今年のクリスマスはなかったけど来年は分からない

もちろん全てのイベント事をなしにするわけじゃない

 

やりたいと思った時にはやる

やらなきゃという考えを手放しただけ

 

クリスマスは本当に楽しめる

楽しみたいって思える時まで

そっとしまっておくことにした

 

家族のイベント事がなくなっていくことは

なんだか寂しい気もするが

惰性で進める感情はストレスにしかならない

 

今は”無”になることが必要なんだと捉え

今は何もしないことを学んでいる!

 

何もしないとどうなるかを学ぶ

それが良いか悪いかではなく

どうなるかを体験する

 

立ち止まることが苦手な私には

やっぱり立ち止まって考える時間が必要

 

立ち止まると置いてかれると感じ不安になる

でも周りに流されて生きてても不安は感じる

 

なんだ

どちらでも不安は発生する

見えないものだから不安になる

 

だったら自分で選んだ方法で

不安と向き合いたい

 

何かしなければって思って義務感で生きるくらいなら

何もいらない

 

きっと本当に何もなくなり”無”になったとき

ようやく動き出せる気がする

 

というか動くんだよ

だって暇だもん

つまらんもん

 

だからその時までほったらかしにしておく

自分からやりたくなるまで

動きたくなるまで

 

なんだか娘達がこれといって行動を起さない気持ちが

分かってきたかも

 

私が今この気持ちを体験しているのは

娘達の状態を理解するためかもしれない

 

今まで娘達もいろんな義務感の中で生きてきた

それを今一つずつ手放し”無”になろうとしている

 

そして”無”になった時

ようやく自分の色を付けるために動き出すんだ

 

失うものもあるけど

失わなきゃ分からない事もある

 

その経験が必要だから体験させられている

必要なことなんだ

それなら体験して学ぶしかない

 

 

とりあえず年始の挨拶に

主人の実家に帰省するのを断った

 

毎年主人の実家に家族で帰省していたが

今度の年始は主人だけ帰省することになった

 

この提案も案外すんなり受け入れてもらえた

 

娘達も思春期で祖母の家に帰省しても大して楽しくない

という理由で行かないと言い出した

 

私も今はあまり仲良くないため

嫌いなわけではないが

行っても楽しめないと感じるため

私も行かないなと伝えると

”自分だけ帰るよ”って言ってくれた

 

その話をしても夫婦の空気感が悪くなることもなく

すんなり話はついた

 

私は今回の年末年始は心置きなくゆっくりする

日頃できないゲームに明け暮れるつもり😁

 

何もないことを怖がって

何かしなきゃって思い込んでたから

この思い込みを手放す

 

そして

何もない日々を大切に過ごそう

 

来年はもっともっといろんな事を手放し身軽になる

何もないことは怖いことじゃないって

体験したい

 

一度まっさらに真っ白にクリアにしたい

そして一から私なりの色をのせていき

私を作りあげたい

 

今更だが娘達と同じように自分を作りたい

 

来年はどんな一年にしようかな

あとちょっとで新しい年が来る

どんな風に毎日を送るか決めていかなきゃね!