何を食べたかで人生が変わる  

毎日こころ豊かに グルテン・カゼインフリー 米粉・大豆粉・オートミールに助けられて生きている

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レゴブロックで娘と楽しい時間を共有した 母が自分の為に時間を使うと娘は喜ぶ😊

★次女といつもより仲良くなれた🤗

ごきげんな日!

なんだか心にゆとりがある

好きなこと!

やってみたいこと!

そろそろやろうかな・・・

というかそんなこと考える前に勝手に体が動いてた

 

いつもなら時計とにらめっこして諦めてしまう

なのにこの日は本当に心から笑って楽しめた日

その余韻が続いている

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家族で楽しい時間を過ごしたことがきっかけで

なんだか心が緩んだ

頭では考えず心が勝手に動いた

体が向いた

 

私のやりたいこと

ブロック遊び・・・・

 

娘達が小さい頃よくレゴのブロックで遊んでいた

誕生日やお祝い事にはよくレゴをねだられ

沢山のレゴをプレゼントしてきた

 

でも今はゲームとYou Tubeの生活

レゴはクローゼットの奥に押し込まれ

場所だけ陣取っている

 

普通のレゴから

ディズニーシリーズやマイクラのレゴ

いろんなレゴを買ったのに今では全てクローゼットの奥

なんだか可愛そうというより

申し訳ない気持ちでいっぱい

 

でも無理に遊んでくれとは言えないし

モヤモヤしていたので処分しようかと思った

 

でもなぜか踏み切れない

児童書を処分した時のように行動できない

もう年齢的にも環境的にも合わないということで

手放そうと考えるんだけど

なんだか上手く手放せない

 

そこで一度本当にもう二度と遊ばないおもちゃなのかを

見極めるためにブロックを出してきた

 

私はブロックは遊ぶというよりは

クリエイティブな作業

作り出すという作業に近い感覚

 

でもそんなに想像力が豊かなわけでもない

ゼロから作れるほどの発想力もない

だからお手本を見て作ってみることにした

 

今もダイソーでプチブロックという可愛い小さいサイズの

ブロックが何種類も販売されている

プチブロックjp.daisonet.com

 

娘達が小さいときにいくつか作って飾っていた

でもあまりにも可愛いので娘達が遊んでしまい

すぐに壊れてしまって

コレクションとまではいかなかった

 

作って飾ってもすぐに遊ばれて壊されきりがなかった

そして意図的に壊しているわけではないので怒ることも出来ず

作ることを諦めていった

 

未だに買ったのに作ってないブロックもある

そして壊されたブロック自体は処分したものの

取扱説明書の紙だけは捨てられず

大事に取ってある

その時からいつかまた作りたいと思っていた

ブロックの取扱説明書

ようやくその時が来た!

本物のレゴで大きいブロックを作ろう

いつかやろうと思って取っておいた取扱説明書

ようやく出番が来た!

 

ずっと作りたかったんだろうな

もう何年も引き出しに眠らせて

断捨離するたびに捨てられなくて

ずっと気になってた

 

やるやると言って出来ないときは心がモヤモヤする

それがようやく解消出来る

うれしかった😊

 

今回はクローゼットにずっとしまわれていたレゴと

引き出しにずっと眠っていたプチブロックの取扱説明書を元に

レゴで遊ぶことにした

遊ぶって言うか創作することにした

 

とりあえずレゴ自体は沢山あるんだけど

シリーズ物のレゴが多いため使えそうな

普通のブロックが思いのほか少ない

 

なにより細かいパーツが多い

ごちゃごちゃ感半端ない

というわけで仕分けからスタートした

 

そんなことをしていると

私と同じようにごきげんな次女が私のガチャガチャ音に惹かれて

一緒にレゴをやり始めた

 

私は最近長女が作っていた猫のブロックを参考に

大きな猫を作ることにした

意外にも沢山のブロックが必要で

同じ色のブロックが揃えられないため

だいぶ色を変えてしまった

 

沢山あると思ってたのに

簡単に作れると思ってたのに

結構時間が掛かってしまった

 

色やブロックの形などところどころ変更はあったものの

なんとかそれらしい形に仕上がった

 

そこで気付いたのが

プチブロックの猫よりも

レゴブロックの猫の方がかなり大きくてスマートな体型になった

 

あまり配列は変えず色だけ変えて作ってみた

ブロックをはめる作業が気持ちよくて楽しかった

それに結構可愛い猫が完成した

プチブロックの猫をレゴブロックで作ってみた

レゴブロックは母の作品

プチブロックは長女の作品

 

次女は結構大喜びでめっちゃ褒めてくれた

このまま色違いの猫をもう一体作りたかった

でもブロックが足らない

 

これ結構な量を使った

我が家には沢山ブロックがあったような気がしていたのに

どうやら気のせいらしい・・・

でももっと作りたいよ~

 

隣でブロック遊びをしていた次女は

アナ雪と美女と野獣のレゴブロックのアイテムを使って

次女なりのお部屋を作っていた

 

これはレゴというよりドールハウスみたいな感じ

鼻歌を歌いながらごきげんで作っていた

 

次女もだいぶ久しぶりにレゴに触った

もともと大好きだから

『楽しいね!楽しいね!おもしろいね!』なんて言いながら

私の隣でせっせとパーツを探してきては部屋を作っていた

 

長女はゼロから自由に作ることは苦手

決まった形の物を決まったように作るのが得意

だからアナ雪のレゴも美女と野獣のレゴも説明書を見て

いとも簡単に一人で作っていた

 

ただ作れるけど途中で分解されると分からなくなり

途中修正は苦手で全て放棄してしまうタイプ

まぁ分からなくもない

 

次女は逆に正確にその通りに作ることは苦手

適当に感覚的にものを作るタイプ

そしてまだ幼いためかごっこ遊びが好き

一人でブツブツと物語を作っておしゃべりしながら

楽しんでいた🎶

 

そうか~私はいつも隣に居たけど

心ここにあらずの状態で側に居た

だから楽しくなかったんだね

 

今回それを実感した

一緒に同じことを共有できることはうれしい

でもそれがイヤイヤではうれしくない

一緒に共有出来なくても

側に居て互いに別のことを楽しんでいても

それはそれで楽しいんだ

うれしい時間なんだ

 

私はいつも一緒に付き合わなければという意識で常に側に居た

自己犠牲の下一緒にいる感覚が伝わっていたんだろう

だから一緒に遊んでいてもつまらなく

一体感が生まれないためうれしくない

 

いつもそんな寂しい思いをさせていたんだ

私は自分の母と一緒に何かをして遊んだ記憶がない

だからどう遊びに付き合えばいいか良く分からなかった

それはいつも感じていて分かってはいた

 

次女はまたもや教えてくれた

同じことをする必要はないんだ

同じ物を使って楽しまなきゃいけないと思うから

どちらかに合わせてどちらかが我慢するということが起きる

 

今回のように私は私で楽しんで

次女は次女で楽しむ

強制も強要もない空間

それがお互いに心地よかったんだ

 

今まで楽しませなきゃ!付き合わなきゃ!なんて

娘達中心とは言え

心からそれがしたいわけではないので

無理していた

我慢していた

どうもそれは次女にはバレバレだったよう😔

 

だからいつも『○○して一緒に遊ぼうか?』

と誘っても『別にいい』と言われるんだ

無理して合わせようとする私がいることを知っていたんだ

 

子どもってすごいな

言葉でそのことを説明してくれないから、伝えてくれないから

私は気づけなかったし分からなかったけど

 

次女は次女で違和感やイヤだと思う感覚をちゃんとアピールしていた

受け取る私が知識がないものだから

上手くキャッチできず気づけなかった

 

でも今回はごきげんの余韻の行動で

二人してごきげんになれた

そしてごきげんになれる方法も分かった

 

おのおのが好きなことをして

くっつきすぎず離れすぎない距離が今はベスト

 

学校へ行っていない分一日中家に居る生活

同じ空間にいすぎるとなんだか疲れてしまう

気になってもくる

 

でもずっと別々の空間で過ごしているのも

どこか寂しいんだ

 

というわけで夜の寝る前のルーティンが

漫画からレゴに変わった

 

夕食後に次女に『レゴで遊べる?』って聞かれるようになり

『遊ぼっか!』と声をかけると

食後の片付けも手伝ってくれる

 

当分の間はレゴの時間で楽しく過ごせそう!

沢山取扱説明書もあることだから

ゆっくりレゴの時間を楽しもう!

次女とおしゃべりしながら🎶

You Tubeで見つけたレシピを家族で作ってみた 料理が美味しいと感じる瞬間はみんなで食べるよりも作る時かもしれない

今日は久しぶりに家族みんなで料理をした

メニューはマッシュポテトフライ?

 

次女がよく見るYou Tubeのショート

そこで見つけてきたレシピ

動画内のレシピをスクショして材料が揃うか確認

材料がちょうど用意できたので次女を先頭に作り始めた

次女が選んだのはこれ↓


www.youtube.com

 

材料はジャガイモ・片栗粉・だんごの粉

動画内ではだんごの粉ではなくてもち粉だったんだけど

なかったのでだんごの粉で作った

そして味付けの塩とブラックペッパー

たったのこれだけ

 

家族4人で食べるため

材料は全て倍にして用意

 

ジャガイモをレンジで加熱して潰したものに

粉類を全て入れて混ぜる

あとは柔らかくなるまでよくこねて

棒状にして均等にカットしたものをフォークで潰して

油でカリッとするまで揚げれば出来上がり!

 

レシピ動画を見る限り簡単

でもなかなか動く気になれない

 

工程は簡単なんだけどポテトっておやつみたいな感じで

食事というイメージがない

1品に参加できないものはなかなか作りたくない

 

今はやりたいことがいっぱいで料理に時間をかけたくない

そんな理由でなかなか気乗りしない

 

でも今回は次女がかなりやる気で

主人を巻き込んだ

 

まず自分ではできないことを人に割り振った

じゃがいもの芽を取って皮をむく作業

『これはママの仕事ね』ってお願いされた

 

できない作業だけど気になるらしく

私の隣で芽の取り方と皮のむき方を一生懸命見ていた

そしてYou Tubeで学んだジャガイモの芽の毒素について教えてくれた

こういった豆知識は大好きで

よく私と主人に話してアウトプットしている

 

皮をむいたらその次は1cm角にカット

この作業は次女が好きな作業

楽しそうにカットしていた

 

そして水にさらしたジャガイモを

レンジで加熱

柔らかくなったら潰して

粉類を計量して投入

計量スプーンを使う作業も楽しいからと進んでやってくれた

そして後はポテトが柔らかくなるまでこねる

 

これはねんど遊びと同じ要領

もうほとんど次女にお任せ

でもちょっと量が多くて一人では辛くなったようで

途中で長女にお声がかかった

『食べたいなら手伝って~』

『手伝わなきゃ食べさせてあげないよ~』

 

長女は料理があまり好きじゃない

でも次女がにこにこ顔で誘ってくるのですんなりと誘いに乗ってくれた

 

長女は次女が棒状にしてカットしたものをフォークで潰す係

ひたすらフォークで潰した

それを次は主人が油で揚げる番

ここからは娘達にはできない作業

大人の出番!

 

主人は基本キッチンには立たないが

みんなと一緒に楽しみたいと言い参加してくれた

揚げ物もしたことはないので

最初に私がポテトを揚げてやり方を見せた

そしてそれを途中で代わり

これくらいなら自分にもできるよと言ってくれたので

最後までお願いした

 

次女が楽しそうにマッシュポテトを作っている姿に

みんなが引き寄せられるように参加した

みんなで少しずつできることで参加し協力した

こんな風に料理をすることはあまりない

 

なんせ娘達が自発的に作りたいと言うこと自体珍しい

でも今回はYou Tubeの魅力的な動画のおかげで

次女が作りたくなり

楽しそうに作っている姿にみんなが吸い寄せられていった

 

みんなでおのおのができることを分担して

誰にも負担が集中せず

愚痴も出ずに最後まで楽しんで料理ができた

 

家族みんなで手分けして作ったマッシュポテトフライ

作ったマッシュポテトフライは動画のような見た目にはならなかったが

だんごの粉のおかげで中はもっちもち

すっごく美味しくできた

 

最初ちょっと作りすぎたかなってみんなで話してたんだけど

余裕でペロリと食べてしまった

 

私は日頃ポテトは食べない

今回は家族みんなで作ったマッシュポテトフライ

食べないわけにはいかない

今日だけ自分の制限を解除して頂くことに

 

試しに一口食べたら

美味しすぎて止まらなかった

 

ポテト自体中毒性のある食べ物

ジャガイモは糖質の塊で栄養価も低い

だから基本食べない

 

でも今回のポテトは違う

家族みんなで作ったから格別に美味しかった😊

 

大した料理ではない

至ってシンプルで簡単な料理

でも家族みんなで一緒に作ったことが美味しさを倍増させた

くさい表現かもしれないが

”愛”がスパイスになるんだな♥

 

娘達も本当に満足していた

ポテト食べたい時はまたみんなで作ろうね

みんなで作るポテトが一番美味しいねと言ってくれた

 

次女は自分が見つけたレシピが好評だったので

鼻高々だった

みんなが喜んでくれたことで次女自身も満たされていた

 

いつも娘達と何かしようと思うと時間がかかってしまい

そのかかった時間の穴埋めを一人で補わなければいけなかった

 

だからついつい何かやりたいと言われても

自分のやるべき家事の量とかかる時間等を天秤にかけて

娘達の要求に応えることを疎かにしていた

 

でも今は家事の量を最小限にし

いろんなやるべきことを手放してきたから

以前よりは娘達との時間に付き合えるようになった

 

それでもやっぱり主人がそこへ参加してくれることは大きかった

3人でやるよりも4人でやった方が一人あたりの負担は小さく

楽しさは大きくなる

そして自分ばっかりという思考が一切湧き上がらない

このストレスのなさが心地よかった

 

いつも料理をすることが私の役目で

母である以上仕方ないのは分かる

でもどこかで自己犠牲の上に成り立っている

 

子どもを産んだ以上自分より子ども

自己犠牲が当たり前で仕方ないこと言われるのも分かるけど

それでもやっぱりこの犠牲で失ったものの代償は大きい

いつもストレスという形で帰ってくる

 

そしてそのストレスは娘達へ伝染する

私のストレスは私だけではなく

娘達も絶対と言うほど影響を受ける

 

イライラしている時に娘達に見透かされると

さらにイラッとしてしまう

コントロールできんのですわ

 

いくらイライラの原因が娘達でないと説明したとて

イライラしていることには変わりない

イライラの私を見て娘達は元気がなくなってしまう

負のループが回り始めると止められない

 

でも少しずつ自分のパターンが分かるようになってきた

自己犠牲で物事が起きているときに

私は決まってイライラする

 

だからなるべく自己犠牲をしないように

自分の心に忠実になるようにする

食べたいものがあると言われても作りたくなかったら

今日はこういう理由で作りたくないと

ちゃんと伝えよう

娘達のことでも全て背負う必要はない

 

今回みたいに食べたいものや作りたいレシピがある時

それを作るにはどうすれば実行できるかを私だけじゃなく

娘達にも考えてもらえばいい

 

現に次女は自分で考え行動して実行した

あれやってこれやってと指示を出して仕切ってくれた

仕切る人がいつも私である必要はないんだ

家の中でももっとラフに生きていいんだ

なんとなく自分で自分にかけていた足かせを

少し外すことが出来たような気がした

 

次女のおかげでみんなで作って

みんなで食べることが楽しいって美味しいって知った

 

たまにでいい

こんな時があるだけで

あっ料理って楽しいな

悪くないなって再確認出来る

日頃は私の役目だけど

たまにはみんなで楽しい美味しい料理を味わいたい

 

主人は次女にもっとYouTubeでレシピを探しておいで

またみんなで作ろうねと声をかけていた

 

この日は次女はその後もずっと超~ごきげんだった

私はなによりみんなで一緒に取り組むことに

楽しさやうれしさを感じるんだと分かった

 

それが分かった私もその後ごきげんで一日を過ごせた😊

自分で考え決めたことには実行できる 頑張りと努力はいらない

★『決める』力ってすごい

今日は久しぶりに長女と自転車でお買い物

大好きな漫画の続きがどうしても欲しくて

我慢できなくて出した答えが

 

お小遣いを前借りして

自転車に乗って近所の書店へ行く

これが今日の長女の目的

 

もう11月のお小遣いをあげたばかりなのに

もう12月分の前借りとは・・・

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あれから毎日飽きることなく読み続けている漫画

TVアニメ版も楽しんで見ているおかげで

漫画なのに頭の中に

効果音とキャラクターの声が飛び交うらしく

何回読んでも楽しいらしい

だからたまに声を上げて笑っている

 

もうその時は頭の中で漫画が動き出して

アニメを見ている感覚

これがかなり興奮するんだとか

長女はただいま漫画に幸せにしてもらっている最中なんです

 

私はまだ12巻までしか読めていないから

『まだ読んでないの~』

『早く読んでよ~』とせかされている

 

そしてついに続き欲しさに

滅多に買い物へは行かない長女が自分から動き出した

 

『自転車で本屋さんまで行きたい

一緒に来て欲しい』という

 

買い物へ行くときは決まって欲しいものがあるとき

長女は自分のお目当てのものをGETすると

すぐに帰ろうと言う自分勝手な女の子

というより正直な女の子

 

長女は自分がつまらないと感じることに付き合うことは

本当に難しくしんどいらしい

そして付き合えても短時間が限度

それは相手が私だろうが主人だろうが

義理の母でも同じ態度

だから私は帰りたいと言ったらすぐに帰るように心がけている

 

そうしないと帰宅途中険悪な雰囲気になり

買い物がさらに苦痛な時間となってしまう

そうならないようになるべく負担をかけないように

気をつけている

 

自分の幼少期を思い出すと長女の行動はただのわがまま

私の両親はそれに付き合うことはないと言う

でも苦痛なら仕方ない

我慢できるできないの問題ではないし

我慢させてまで付き合わせることでもない

 

私が長女に合わせられれば問題なくて

長女に合った行動の対策を考えればいいだけのこと

 

その為には私がいくつか対策パターンを用意して

限界だけは私も提示する

そうすればケンカにもならないし楽だと気付いた

 

だから長女の買い物に自分の用事はプラスしない

用事をプラスするときは短時間で済む工夫をし

その予定を長女に説明する

そこで長女が自分の付き合える範囲かを考え

長女のOKが出れば私の用事も済ませる

 

明らかに時間が掛かる時は後日に回す

それがお決まりのパターン

 

今年の3月に私は自分の車を手放した

だから平日には簡単には買い物へは行けない

行くなら自転車でエッチラオッチラと行くしかない

 

もう今は車があった頃のように

ちょっとスーパーへ

ちょっとあれが欲しいから買いに行ってくる

なんてことは言えなくなった

 

時間もかかれば労力もかかる

娘達は生まれたときから車がある生活

どこへ行くにも車に乗ってちょっとそこまで~

っていう生活だったため

今は出かけようものならちょっと考えてしまう

 

今までは私に買ってきて~っと甘えられたが

自転車生活の私に漫画をわざわざ買いに行かせるほど

そこまでわがままではない

 

だけど早く欲しくて

ちょっと待てば休日に主人が車を出してくれるのも分かっているけど

黙って待っていられなくて

ついに二人で自転車で買いに行った

 

こう言う時は出発時間を指定してくる

朝起きたらすぐに出かけられるように支度もする

 

いつもは一日中パジャマor部屋着なのに

自分で考えて決めて行動するときは何かが違う

 

でもこの様子を見ていると

自分で決めたことにはちゃんと実行する

まぁワクワクすることだから当たり前と言えば当たり前

 

言ってもやらないこと

やるべきだと分かっていても体が動かない時

行動がゆっくりな時は

心と体が一致していないことがよく分かる

 

長女も次女も小さな事でも自分で決めたことには

ちゃんと責任を持って取り組む

それがたとえ親から見たらこれくらいできて当たり前でしょっていうことでも

娘たちにしてみたらそれも決断なんだ

決断したからできたことなんだ

 

たぶん今までは親の言うことが正しくて

それに従うのが一番だと思っていた

そこにもそれなりに娘達のがんばった決断があったに違いない

 

でも無理させずにできること

やりたいことだけをやらせていたら

本当にだめなんだろうか?

 

ついつい私は自分の過去と比較して

私はこれくらいやってきた

私だって我慢してやってきた

 

どこまでいってもこの思考はなくならないような気がした

 

自分が我慢して育ってきたから

今を我慢して努力しなきゃ将来がないみたいな空気の中育ってきた

努力しない奴は

頑張らない奴は

ダメだという教えの元育ってしまった

 

でも我慢の先にあったのはなんだろう?

我慢して努力して本当に望んだものは手に入ったんだろうか?

たぶん我慢だけして不満だけ生み出しただけだと思う

 

だから私の答えは

『無理させずにできること

やりたいことだけをやらせることはダメじゃない』だった

 

たかが自転車に乗って漫画を買いに行くことでも

長女にとっては決断が必要

漫画を手に入れるためには

お金をどう工面するか

どうやって書店まで行くか

一人では出かけられないから

どう親に説明しついてきてもらうかを考えなくてはいけなかった

 

立派な交渉術だ

以前は私があれこれ先回りしていくつかパターンを提示し

選択させていた

でもこれは決められたパターンの中から選び取るだけで

本当の意味の選択ではない

AパターンBパターンCパターンと用意しそこから選ぶことは

これに決めるという意味で指定していただけ

 

本当に必要なのは選択

選択とは多くのものの中から

目的にかなうものを選ぶと言うこと

この違いはかなり大きいが

境界がいまいち分かっていなかった

 

今回長女は自分で一から漫画を買うにはどうすればいいかを

自分一人で考えた

そしてその方法を自分で選んで選択してきた

とりあえず相談もされていなかった

急にぱっと思い立ったかのように伝えられた

 

でもこれで分かった

あっやっぱりできるんだな

他人から見れば些細なことでも

私から見れば成長している姿にしか見えなかった

 

集団生活にもまれていつも他者と一緒に居ると

どうしても他者と比較してしまい

長女自身を見ることができなかった

 

できない事ばかりに注目してできないことを

なんとかできるように頑張らせて無理をさせていた

できないこと、やりたくないことを無理やらせることは

虐待となんら変わらない

 

集団から離れて長女だけ見ていると

比較するのは昨日の長女

過去の長女

この物差しは親の私にとってはとても気が楽だった

比較する材料をなくしてしまう方が簡単

 

とにかく

素直に交渉できて良かったね

自分で漫画を手に入れるための計画を考えて

その計画を私に説明できた

 

この経験が大切でいつか実を結ぶ

今までは欲しいと言うだけでその先は考えない

欲しいものを手にするためには

そこからはどこのお店でどういった手段でなど

価格の比較も全て親が考えていた

でももうそんなことは必要ない

 

幼くて何もできないんだとばかり思っていたけど

本当はできるのに信じていなくて

考える時間を待ってあげられなかっただけ

そして先回りして提示して

成長する学ぶ機会を奪っていただけ

 

ちゃんと自分で考えて行動できる

そして自分で考えて決めたことは実行できる

決めれば動けると本人にも分かってる

 

この一連の流れが達成感となり

幸福感へと変わっていく

 

どうしてこれからは100年時代だと言われているのに

子どものうちからいろんな事をやらせようと

やれるようにならなきゃいけないと思ってしまうんだろう

 

もっとのんびりと成長していけばいいのに

楽しいことを見つけて精一杯楽しんだらいい

その延長線上に生きていくための術をプラスすればいい

 

心ではそう思っているのに

私自身がそうやって生きてきていないから

その生き方がなかなか受け入れられなかった

だからどこか不安が拭いきれなくて大丈夫だと言い切れない

 

大丈夫だと言いたいのに何かに焦っている

知らない世界は誰もが不安で恐怖だ

でもそれは動物的な本能

その不安にどっぷりハマっていては

楽しめるものワクワクするもの逃げてしまう

 

だから大丈夫!

私も娘達もこれからも大丈夫!

頑張らない!努力とは無縁の生活をしていこう😊

その為にはまず私がワクワクした生活を送ろう🎶

大人の反抗期 理由が分かれば楽しめる!親からの脱出は必要不可欠です👍

★反抗期 どう捉えるかは自分次第

思春期の反抗期

親子の戦い

荒れ果てて非行に走らないか心配で

友達から悪い影響を受けないか不安

そんな周りの影響に引っ張られないように

親が正す

 

そしてその結果親子の関係がもつれていく

そんなイメージがあった

そして反抗期はめんどうなもの

大変な時期と思い込んでいた

でも実際は違う

 

自分と親とを違うと認識し本当の自分を見つける作業

本当の自分を探す為に親から自立する大切な時期

 

遅くなったがようやく反抗期を迎える準備が整って

今その時期を迎えていてる

 

これから自分を見つけるワクワクする時期

反抗期は私にとって苦しくはなく楽しい時期に入ったと言える

すくなくともそう捉えたい

 

 

あの時に言えなかった気持ちを今吐き出してる

これでもかって言うくらいぶつけている

 

両親達は娘達の不登校が原因で家の中がごたついていると

責任転嫁しているが

私の思春期の時

私のことをちゃんと見て反抗させてくれていれば

こんなにも問題は大きくはならなかったかもしれない

 

と言っても

私が反抗期を迎えたところで問題になってくるのは両親だけ

私の家族は別に困ってはいない

どちらかと言えば私が抱えるストレス

親の顔色を伺っての行動や言動が少なくなってきた分

娘達は家の中で過ごしやすく、生きやすくなっている

 

結局私の二の舞が娘達なんだ

娘達が自分の気持ちを発せられないのは

少なくとも私と両親の問題が背景にある

 

私が何を言っても無駄で

私が何を言ったところで聞いてもらえない

私が何を言ったところで反対意見を探して言い返してくる

高圧的な態度で私は押さえつけられていた

 

でもそれと同じように

父が私にしていたように

私も娘達に高圧的な態度をとっていた

 

親子だね~

イヤなとことばかり受け継いでしまう

 

イヤだと思えば思うほど

その高圧的な態度が潜在意識に刻まれ

無意識に私も同じような行動を取ってしまう

この連鎖どうしようもない

本当ムカつくくらいめんどくさい

 

脳は馬鹿だから善悪の区別がつかないよう

悪いと思っていてもそれを繰り返し見たり感じたりしていると

脳に刻みこまれ同じ行動を取る

 

だから負のオーラ 

自分にとってイヤな雰囲気を放っている人の側には

近づかない方がいい

脳が勘違いして自分の脳に負のオーラを刻み込んでしまうから

 

私は娘達と同じように内に逃げている部分もあれば

両親と同じように娘達に支配的な態度を取ることもある

やられてイヤなことだとわかりながらも

それを止められずに同じ事を繰り返している

分かっていても頭で理解していても

行動が伴わない

感情が追いつかない

 

でも気付いたからには変わりたい

変われないと思うことの方が苦しい

 

そう思うとちゃんと反抗しきらなければいけないことを痛感する

学校がどうとか世間がどうとか

娘達の将来がとかもう問題じゃない

私が反抗期を迎え自立しなければ

物事は前には進まない

 

それに自立すれば生きやすくなることが目に見えている

変化は大好きで得意なはず

今までできなかったのは両親の価値観という

潜在意識の存在を甘く見ていたから

 

娘達の不登校というサインで私は反抗するきっかけをもらった

私が反抗期を終えていないと

娘達も反抗期をちゃんと迎えられない

そして自立できないということも分かった

 

なぜなら自分が反抗して自立していなければ

私は父みたいに圧をかけて娘達を従わせる

自分が体験して理解していなければ

未経験のことは受け入れることは難しいから

 

それに間違えば娘達は祖父母からも圧を受けてしまう

父が私に圧をかけ誘導していたように

娘達にも同じように圧をかけて誘導しかねない

そのためにも私が壁をぶち破り

手本を作ることの方が娘達をどうにかするより簡単

 

そしてなにより自分が楽になれる

自分を取り戻す感覚が気持ちがいい

 

娘達は自分たちの身を持って

私が自分の生き方をしていないことを教えてくれた

娘達から見ればずっと疑問だったんだろう

『ママやってることと言ってることが違うよ』

『どうしてうそついてるの?』

 

娘達が学校へ行けないことは人との関わりが形成できないことにもなるが

そもそも自分を押し殺して周りに合わせて

死んだ魚のような目になりながら生活する学校が

本当に必要かどうかは言わなくても分かる

 

いらないに決まっている

勉強だってやりたいこと興味があることは

誰かが教えなくても自分で見つけてくる

勉強なんて教えてもらわなくても学べる

 

ついつい子どもだから教えなければ何も分からない

子どもだから誘導してあげなければ道を間違えてしまう

そう思い込んでいた

そして私は自分の親にそう思わされていた

それを無意識のうちにやってしまっていた

 

今までの私の中にある価値観では

学校ぐらいは行かないと

そして私も必要ではない感じながら

みんなと同じではないと不安になってしまうから

仕方なく行っていた

だから娘達にも我慢してでも行くしかないんだ

そう無理矢理押し出していた

 

頭では学校の勉強は必要なくて

人間関係は自分の合う人達と関係を持てればいい

そう口では言っているのに

取っていた行動は親からの価値観で成り立っている潜在意識の行動

だから思っていることとやっていることが違うよと

娘達に指摘されてたんだ

 

娘達の方が断然上で賢い

 

この不登校をきっかけに私は自分の生き方

自分自身を見直し自分を知るきっかけを与えてもらった

本当の意味で私を生かしてくれるのは娘達かもしれない

 

娘達が不登校になり

不登校になったことは大したことではなく

娘達の自主性を私と両親の価値観のせいで

潰しながら育ててきたことに罪悪感を感じた

 

私の子どもでなかったらもっとのびのびと育ったかも

もっと自由に生きられたかも

 

子どもを産んで育てることなど私には荷が重かったのかな

子を授かったこと産んだことがそもそも間違いだった

結婚したことが間違いだった

一人で生きていくべきだったのかもしれないと考える時もある

 

でも結婚をしていなければ主人は居なくて

私の心の安全基地はない

子を授かっていなければ

この未完了な反抗期に出会う機会にも巡り会えなかった

 

そう考えたらこれは私のために与えられたチャンス

主人と娘達がいなければ私はいつまで経っても親の支配下に心を縛られていた

 

不登校も反抗期も全て自分のために起きている現象

これに逃げればずっと生きづらさを抱え

何が原因かも

何が生きずらさを生んでいるのかも分からない状態

ただただわけも分からず重たい荷物を背負ったまま生きていた

 

となれば娘達の学校生活を代償にしてまで私は生かされた

そう考えたら投げ出してはいけないんだな

 

投げ出すのは親への依存だ

これを捨てるのが一番だ

 

そもそも必要のないもので

手放したくて仕方ないんだ

 

そうやって一つずつ絡まっていたものをほどいていくように

心の奥底を堀起こし少しづつ解放させていくと

心が軽くなるのがよく分かる

 

するとだんだんと反抗している自分を楽しんでいることに

気付いた

 

なんせ言いたい放題で

両親が傷つこうが困ろうがお構いなし

今まで私が受けてきた抑圧に比べたら別にどってことない

 

精神疾患の母をいたわる言葉も

弱ってきている父に対しても冷たい態度をとってもかまわない

愛想なんか振りまいていられない

振りまきたくもない

 

反抗期は親が自分と子は違う人格

自分の所有物ではないと認める時期でもある

だから受け入れてもらわなければいけない

年老いた二人がどんな状態であろうと

今まで先延ばしにしていたのは両親

私がその犠牲にはなってはいけない

 

自分たちの体力がある時に反抗期を迎えさせておけば良かったものの

自分たちの事ばかりに意識が集中して子がおざなりだったから

こんな年老いた今ダメージを受けている

ざまあみろみたいな感じで私は心の中で笑ってる

 

ここで私が申し訳なさを感じては反抗しきれない

これはこれで必要なこと

両親にとっては大変な事かもしれないが

そんなこと私が気にしても仕方ない

それに元々問題ではない

 

もうこれでいいんだと自分を受け入れることに徹底した

 

私はやっと解放されるんだ

逃げ出しちゃえ!みたいな軽いノリ

反抗期は大切なことだから

ちゃんと反抗しようねと

自分自身に言い聞かせている

 

初めはちょっとつらさというか苛立ち憎しみが強くて

疲れてしまっっていたが

今はこの状態を楽しめるようになった

そして他人軸よりだった生活が自分軸に戻り始めている

 

親を他人とはあまり思わなかったから

この他人軸という言葉がちょっとしっくりこなかった

 

私の中での他人とはやっぱり家族以外の他者

親が他人になるとは思わなかったので

自分は他人軸ではないと思っていた

 

でも実際は他人軸をはるかに超えた親軸

他人軸の最強の親軸で生きてきたから

親の支配下から抜け出せなかった

 

私の中に一切親は介入させてはいけない

これは娘達にも言えることで

私は一切娘達の境界に介入しないようにしなければいけない

 

それがお互いに気持ちのいい生き方を歩むと言うこと

それを寂しいとか冷たいと感じているようなら

問題は別のところにあると考えた方がいい

 

反抗期は私にとって本当の自分に戻るチャンス

どんなことでも捉え方一つで進んでいく方向は変わる

 

『思考が現実化する』とはよくいったもので

本当だなと思った

 

考えることから遠のいていた私にとっては

この考える作業が新鮮で楽しい😊

大人の反抗期 思春期の私はなぜ反抗期を迎えられなかったのか・・・

★反抗期は安全基地があることが絶対条件

一般的に反抗期とは・・・

「子どもが人の意見や指示に反抗することが増える時期」

これは何も親だけではない

子どもを取り巻く全ての人に対して関係すること

 

ただどうしても親との時間が長いため

反抗期は子と親との関係だと考えがち

 

幼少期の反抗期「第一反抗期」

いわゆる2歳のイヤイヤ期=モンテッソーリで言う敏感期

そして

思春期の反抗期「第二反抗期」

 

自分の両親を見ている限り

2歳のイヤイヤ期の必要性は理解していない

それは娘達の接し方で分かる

 

幼い娘達への対応が全て先回りで過干渉であるため

当時2歳の私にも同じ事をしていたはず

 

10歳~18歳ごろに迎える思春期の反抗期

同級生の友達が反抗期を迎えていた頃

私の家庭はぐちゃぐちゃだった

 

家は掃除もほとんどされず

お風呂もトイレも汚い状態が日常的

潔癖症の母は汚い物はなかなか触れないので

汚くなったら最後

ずっとそのままの状態

 

その状態に父は目を伏せるだけで何も言えない

そして何も手出しできず放置されることが普通だった

 

潔癖症の母は自分が掃除して綺麗にしなければ

気が済まない性格というより納得しない

家族が掃除することは頑なに拒否し

受け入れられなかった

もうこの感覚が病的だった

 

誰かが掃除すれば綺麗になるものの

自分が掃除しないと綺麗になったとは思えないため

潔癖症が邪魔をする

そして他人の手は借りることができない

かといってその状態が不衛生でも家族に悪いからと

重い腰を上げるわけでもない

 

自分でできないことはできない

それなら父に委ねてくれればいいものの

それもできないため

不衛生な生活の状態を家族にまで押しつけるあり様

 

食事は毎日スーパーの半額シールの張られたお惣菜と

レトルト食品が当たり前

母の手料理はほとんど記憶にない

母の手料理で大好きな料理はと考えても浮かばない

 

私が好きな食べ物を私が食べたいとリクエストして

作ってもらった記憶がない

母は父の為には作るが子どもの私のためにとは作らなかった

そもそも手料理を知らないので言わなかったのかもしれないが

 

そんな育ちでとてもじゃないが愛されて育ってきたとは思えない

そして言えない

 

子どもの頃は特別母や父が嫌いだったかというと

なんやかんや日常は過ぎていってそんなこと考えてもいなかった

だから嫌いかと聞かれたらそうでもない気がすると言うだろう

 

でも今は死ぬほど嫌いだ

母は特に疫病神だ

居なくていいし、会えなくていい

親なんてそんな程度の存在だ

 

父は過干渉なので私の友達付き合いにもよく口を出していた

たぶん自分でいろんな事を察知し考える年頃には

だんだんと何も言わなくなっていった

 

でもどこかでそんな親に刃向かう自分がダメで

親が心配になるような友達と仲良くしてる私が悪いんだと考える時もあった

 

自分が仲良くしている友達が否定されることで

父は私を否定しているんだと思うようになった

要するに友達を通して私は否定されているんだ

自分の親に否定されているんだと感じていた

 

たとえ親の判断が正しかったとしても

子どもは心を閉ざす

そうそのときも何か言われるくらいなら

友達なんて要らない

めんどくさいと感じていた

 

そしてみんなが友達に依存する年代

私は一人で過ごすことを好むようになっていった

そう私は一人が好きで一人でも平気

 

今思い返せば本当に親の顔色ばかり気にして

親の顔色を読み取って言葉を発し行動ていたんだなとよく分かる

 

そういった経緯を思い出すと娘達が自分の気持ちを話せなくなる

発しなくなるにも必ずきっかけ

理由があるんだとわかる

 

でも今はその理由を探しても仕方ない

もう過ぎてしまったこと

そんな風に感じてしまう事を私達親や大人がしてきてしまったんだ

だから話せない話さないんだとただ現実を受け止める

 

これだけ私をロールモデルに娘達が育ってしまうと

娘達をどうこうする前に

私自身が自分をどうこうした方がいいんじゃないかなと思ってしまう

 

過去は過去でもうどうにもならない

あの時は私も子どもで一人ではどうすることもできなかった

 

でも今は違う

私には自分の家族が居て

私を大切に思ってくれる寄り添ってくれる主人がいる

そしてスクールカウンセラーという味方もいる

 

そんな味方がいる今こそ

心置きなく自分の気持ちに正直になり

自分と両親とは違う

私は私

価値観を無理に共有することはない

親の考えとは違っていいんだ

これを自覚する必要があった

 

もちろん私が親と違うということは

親に私の考えを伝えても伝わらないし、理解もされないということを

私自身も受け入れなければいけない

 

そしてそれが今の私の課題

両親に言葉でいくら説明しても

いくら正しいことを伝えたとしても

すぐに病気だから家族だからと流されてしまってきた

 

でももうそんな関係はうんざりで

そんな親子関係はいらない

可愛そうだという言葉で縛らないで欲しい

私の望む穏やかなゆったりとした生活を奪わないで欲しい

 

この気持ちを見失わないためにも

私は自分の意思をしっかり持つ必要がある

 

もうこの時点で私は両親とは考え方が違う

親子や家族というフィールドよりも

個人を尊重して生きていきたい

その気持ちが強かった

 

誰かに依存しながしか生きていけない生き方は

幸せではないと理解した

そしてその関係を脱するにはそれなりのエネルギーが必要

 

たぶんこのエネルギーの消耗を避けてきたがため

私は本来反抗期を迎える時に反抗しなかった

若いエネルギッシュな時に戦っておくべきだった

反抗期にちゃんと母と父と喧嘩しておくべきだった

でも精神疾患の母と過干渉の高圧的な父親に

結局は刃向かえず反抗できなかった

 

最近知ったのが反抗するにも安全基地があることが条件だそう

要するに安全基地がない状態

安全が確保されていない状態では

生き抜くことが最優先で反抗している場合じゃない

というわけ

 

だから当時の私が反抗できなかったのは

当然で私が悪いんじゃない

私が情けなかったんじゃない

 

反抗させてあげる安心さを

私の両親が提供できなかっただけ

悪いのは両親なんだ

両親が最悪なんだ

 

反抗期にはちゃんと意味があり

必要だから起こること

それは精神的に大人になるためのプロセス

 

このプロセス・反抗期を経験していないと言うことは

言い換えれば自立していないと言うこと

 

見た目は大人でも精神的には大人になりきれていなかった

社会に出て働き、結婚をして子どもを産んで育てる

一連の流れを経てきているのだから大人になっていると思っていた

完全ではなくとも少しは大人に近づいていると思っていた

 

でもどうやら違っていた

私は親から自立しないことには大人にはなれない

親から自立しないことには娘達の母親にはなれないんだと考えた

 

それに気がついた今

反抗期状態に入ってる

今自分なりに過去の自分と

過去の親と現在の親と両方に向き合い

“心の中の15歳”を解放している最中

 

そして自分自身を癒やしている最中です

誕生日にプレゼントした漫画『魔入りました!入間くん』に家族みんなが夢中📖

★家族みんなで漫画に夢中📖

中学生の誕生日プレゼントの相場ってどれくらい?

比べたらキリがないかな・・・

 

娘達は小さい頃からYou Tubeを一日一回は見る

そのたびに

『これ欲しい!』

『あれ欲しい!』なんていつも何かしら欲しがっていた

 

でも実際に手にして遊んでみると

遊び方をYou Tubeで見て知っているせいか

感動は薄くすぐに飽きてしまう

 

まぁ子どもだからそんなものかな・・・

それにしても子どものおもちゃって

どれも高くないかい!!!

 

誕生日は年に一回だけど

それ以外でもプレゼントはもらえる

 

クリスマスにお正月・こどもの日などなど

お祝いのイベントがあればその都度

何かしらプレゼントをもらう

というよりあげなくてはと思ってしまう

 

要するに

大人があげたくてしかたない

お菓子を買ってあげるような感覚でちょいちょいあげていた

でもちょっともらいすぎな気もする

 

物心ついておねだりするようになってから

だいたい5000円ぐらいのものを普通にねだられる

子どもに値段なんて大して意味はない

それが欲しいから欲しいんだ

 

だけどなんか成長にするにつれて

プレゼント代が高くなりどこまで行くんですかと

言いたくなる

 

先月長女の誕生日があり

恐る恐る長女がプレゼントのおねだりをしてきた

 

それは漫画だった

漫画なんて安いんじゃないの

いいんじゃないって思ったけど

その先があった

 

長女は全巻欲しいと言う

全巻とは・・・

とりあえず29巻まで発行されている

長女はネットで調べて金額を確認し

恐る恐る相談してきた

 

余裕で万超え

さすがに中学生の誕生日プレゼントに万超えはしんどいぞ

 

私達の前にすでにじいちゃんにもおねだりをして別の物を

プレゼントとしてもらっていた

それも万超え・・・

 

なんか感覚が変だ

子どものプレゼントにしては高過ぎやしないかい?

それともみんなそんなもんなのかな・・・

 

ゲームでもおもちゃでも普通にいい値段がついている

プレゼントに万超えは今や普通なのか?

 

とりあえず我が家ではさすがに漫画全29巻のフルセットは無理

正直難しいですと長女に説明しお断りさせてもらった

なんせすぐにクリスマスの時期がくる

そこでもまたプレゼントが発生する

 

というわけで

分割にねだってくださいと提案し

10巻までをプレゼントさせてもらうことにした

 

つい最近本を整理し処分したばかりなのに

また本が増えるのはなんだか切なかった

片づいたばかりなのに・・・

 

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

でも今回は長女が欲しい本

ミニマムな生活が理想だが

長女のものは長女のもの

私は関与しないマイルール

 

それに本は知識と経験を与えてくれる

それが漫画であっても得られる

沢山読んで楽しんでもらえればそれでOK

主人と話し合った結果

10巻までをプレゼントした

 

でもやっぱり10巻まででは足らなかった

1日で10冊を3回も繰り返し読んでしまい

続きが気になって仕方なく

すぐに自分の小遣いで6冊を購入

 

それでもまだ続きが気になり我慢ができず

さらに小遣いを使って6冊を購入

 

それでもまだまだ待ちきれず

残りの小遣いを全て使って3冊購入

合計25巻を手に入れた

 

もうすでに11月分のお小遣いを前借りしての購入だったので

12月にならないとお金は入ってこない

 

そこまでして買いたいほど夢中になる漫画って

一体そんな漫画?

長女も次女も好きな漫画は何回でも読む

私のお気に入りの漫画も

自分で買った漫画もこれでもかって言うくらい

読む倒す

 

そんな漫画に出会えたことはラッキーだった

本当不思議なくらい一日中読んでる

それも同じ本を

さすがに飽きるだろう・・・

いや・・・飽きないらしい・・・

 

最初漫画なんてレンタルの時代だよ

電子でも漫画が読めるんだよ

そんな時代なのに

本当に買うの?なんて言われていた

 

でも買って正解だった

プレゼントして正解だった

これだけ読み込んでくれたら

もう何も言うことない

変な話元は取った

 

そして家族4人みんなが

長女の漫画を楽しく読ませてもらっている

 

最初私と主人は読むつもりはなかった

でも長女と次女に面白いから読んでと言われ

つつかれた

 

正直あまり興味がなかったんだけど

娘達の”好き”を共有する為にも

漫画を読むくらいなら私でもできる

娘達と漫画についておしゃべりするのも楽しいと思い

読んでみることにした

 

最近の漫画って奥が深い

アニメ化もされていて人気があるのは分かっていた

でもなんとなく自分が読む本ではないと

思っていた

 

でも今の自分たちにリンクする内容だった

というより私がついつい我が家の問題と重ねて読んでしまう

自分や娘達にリンクさせて読んでしまう

 

でもリンクできることから

どんどんハマっていった

 

そうその漫画は

『魔入りました!入間くん』

TVアニメで何度か見たことはあったけど

内容までは理解していない

今回漫画を通して面白さだったり

人との繋がりの魅力

友達の良さを漫画から教わった

 

主人公の男の子、鈴木入間くんはひどいお人好し

頼み事も、頼まれないことも、理不尽なことも

なんでも受け入れて断れない性格

やばいくらいのお人好し

 

そんな入間くんの両親はお金欲しさに息子を悪魔に売り

その悪魔は悪魔学校の理事長で彼の孫となり

悪魔学校に入学して学校生活を送る

 

これだけで普通じゃない話

 

でもこの入間くん人間の世界にいるときよりも

悪魔の世界で生活している時の方が

彼の持ち味が生かされている気がした

 

というより環境が変わって自分の良さが開花できる場所があると

人はどんな人にもなれるんだと思った

 

彼はいろんな体験で今まで自分の中に眠っていた感覚

自分の気づかなかった感情に出会えていろんな自分に出会っていく

それが面白い

 

そしてそれが今の私の感覚によく似ていて共感してしまった

自分の本当の気持ち

これを知るとき私はワクワクする

 

あっこれが好きなんだ

こうゆうのは嫌いじゃないかも

またこれがイライラする原因だったんだと

分かるのが今は面白い

 

愛着障害の回避型は自分の感情に鈍い

そして葛藤型は人の顔色を気にする

だから常に他人軸で自分に軸がない

その分何をしていてもやりきれなくて

頑張ってもなかなか気持ちが満たされない

 

自分の感情や感覚に目覚める彼を見て

あっ彼も回避型かな?

なんて思ったり

悪魔の世界が舞台で非現実的なんだけど

結構人間の世界にも同じことあるって感じてしまい

ハマっていった

 

私はこの漫画で

自分にあった環境に身を置けば自分らしく生きられる

自分の凸凹したところをダメだと否定し補おうと努力しなくても

自分の良さだけで生きていける場所がどこかにはあるんだなって思った

きっとそのままで生きられる場所がある

 

まぁそれが悪魔の世界ではちょっと現実的には考えちゃうけど🤣

 

娘達はたぶん単純にドタバタの内容にハマったんだろう

でもちょいちょい心に刺さる台詞が出てくる

漫画でもぐっとくる台詞がある

娘達に刺さってくれるとうれしいな

何か得てくれるとうれしい

 

私には勉強になる

普段自己啓発の本ばかり読んでいて

生きていく上で大切なこと

娘達に伝えたいこと

いろいろあるけど

親が伝えるとあまりうまく伝わらない

 

そういう時に他者の力を借りたい

漫画の力を借りて伝えたい

 

この入間くんのようにいろんな体験で自分の可能性に気づき

自分の感情に向き合い成長していく

 

自分で自分の成長が分かることが一番健全

私達親にわからなくてもいい

自分で自分を認め成長している過程を感じられると

もっともっと成長したいって思える

 

とりあえず今私が成長している段階で

変わって来ている

自分で自分のことを理解できるのが面白い

 

というわけで家族がそれぞれみんな『魔入りました!入間くん』に夢中

 

今寝る前のルーティンがみんなで読書です😊

怖い夢を見なければいいけど・・・

 

入間くんから何かを感じ取ってくれるといいな~

ひそかな期待🤩

ゲームで居場所を見つける!これも立派なご縁です!社会です!

★ゲームでも出会いは出会い!友達は友達!

最近次女がつまらないとふてくされている

つまらないなら外に出かけては

友達と遊んだら

学校へ行けば

と言いたくなるところ

ぐっとこら受け流すことしかできない

 

共感能力の低い私はすぐに解決策を考えてしまう

問題があるとすぐに答えを探してしまう

 

答えを探すのが好きな私は

次女の気持ちに寄り添うことは

とても苦手😔

 

私の答えはだいたい決まっている

それは次女にとっては現実的じゃない

そして

簡単には実行できない

 

次女は友達が欲しいんだ

友達とおしゃべりして遊びたいんだ

 

でもそれは簡単じゃない

友達と遊ぶことすら簡単には実行できない

 

今は一人では遊びに行けない

親同士が連絡をとって

許可を得なければ遊びに行けない

子ども同士で連絡を取ることはあまりない

 

私が子どもの頃は一人で友達の家に行き『遊ぼ~』って

そうやって自分一人で友達に会いに行き誘ったが

今はそんなことはしない

遊びたくても一人では会いに行くこともできない

よく分からないが

そういったことをみんなしない

 

そうなると

遊ぶことをためらってしまう

なかなかハードルが高い

 

 

学校は学校でもう今さら行けないと言う

今学校へ行けば質問攻め

それに回答するのはめんどくさいと言う

 

『なんで学校へ来ない?』

『何してたの?』

そんなことを聞かれるかと思うとめんどくさい

困ってしまう

 

だって答えようがない

ただそれだけ

 

それに干渉されたくない気持ちが強く

いろんな事を想定して

やっぱり学校は行きたくないって考えてしまう

 

一人は楽で快適なんだけど

やっぱりどこか寂しい

そして今の生活もだんだん慣れてきて

つまらなくなってきてなんだか苛立ってる

 

まぁストレスからは解放されて自由と言えば自由なんだけど

刺激がないのも退屈

 

自由とは制限のある世界で輝くもの

いつも自由では自由でも何でもない

そんな生活に少し飽きてきたよう

 

長女はたまに友達を呼んでわいわいおしゃべりしながら

ゲームをやっている

 

次女の機嫌が良ければそこに次女も参加するけど

気持ちのペースが整わないと参加しない

 

隣で長女が楽しくワイワイおしゃべりしている姿を見れば

自分の置かれている姿に寂しさを感じる

 

人は繋がっていたい生き物

どこかで繋がっていると

安心して楽しいなって感じる

 

次女だって普通の子どもだ

友達と楽しい時間を共有したい

口にはあまり出さないが友達は欲しいんだろう

 

沢山の繋がりは必要ない

維持するのも難しい

でも一人二人くらいは繋がっていたい

そんな感情があるのも普通

そんな事から

ゲーム内でのチャットが増えていった

 

以前からハマっているゲームアプリ”Sky"

このゲームではエモート・エモといって感情表現を現す動きがある

その動きがとても可愛くて娘達はこのエモートだけでも楽しめる

 

それ以外にもエモートでフレンドとコミュニケーションを取る遊びがある

これもあいさつを交わす感じで楽しんでる

 

でも次第にエモートだけでは終わらずチャットを始めるように

ゲーム内では外国の人も多いようで

よくインド人の人とフレンドになったよって

喜んでいた

 

ゲーム内でフレンドになるとチャットができるんだが

相手が英語を使って会話してくるから

次女はよく

『ママ英語わかんない』

『なんて聞いてるの?』

『英語打てないよ~』ってわちゃわちゃ騒いでいた

 

外国のフレンドの言葉を私が簡単に訳し次女に伝える

そして次女の言葉を私が英語でタイピングする

こんなやりとりが少し続いた

 

これで英語に興味を持ってくれたらうれしいんだがと

期待したがそうはいかなかった

 

次第に外国のフレンドからチャットに翻訳機能があることを教えてもらい

それを使って会話をするようになり

英語は不要となった

 

次第に次女は最初に自分が英語が話せないことを相手に伝え

それからフレンドになるようになった

次女にとって言葉はツール・道具でしかない

”Sky”の中では相手とコミュニケーションを取る方法はエモートでもいい

体の動きだけでも十分楽しめる

 

会話できなくても言いたいこと伝えたいことをどんな方法でもいいから

伝えられればOKらしい

だからエモートでいろんな体の動きを使ってフレンドと会話してる

ゲーム画面見てると本当面白い

 

お互いに頭をペコペコ下げて

大げさに身振り手振りで表現している

今のゲームってすごいなって感じた

 

でもやっぱり外国人のフレンドではちょっと違う様子

あんまり長続きしなかった

話も盛り上がらない

あいさつ程度の会話で先がないよう

あまりのめり込まなかった

 

それが最近お気に入りのフレンドができた様子

それはとっても次女にとっては身近な存在で

現実のお友達であるかのようだった

 

その子は次女より年上

たぶん次女の話からすると高校生かな?

 

その子は女の子で名前も教えてくれた

彼女も次女と同じ不登校

そしてうつ病らしい

おまけに学校をやめようか迷っていると次女に話しているよう

 

思わず自分の年齢公表した?って確認した

相手は次女が小学生だということ

そして名前も教えていた

 

もちろんフルネームではない

あまり何も言ってはいないがその辺は理解しているよう

相手の子は次女が小学生だと分かって

自分のことを話してくれたよう

 

次女にはそれが新鮮でうれしかったみたい

会話のテンポも速く

さすが高校生という感じのアップテンポの会話

そしてノリツッコミのある話し方が次女にはヒットした

 

その子とフレンドになってから

ゲームする~というよりは遊んでくる~といった雰囲気

とっても😊にこにこの次女

あ~こういう関係が欲しかったんだ

こうやって友達とおしゃべりしたかったんだねと

感じた

 

長くて実のある会話じゃなくて

短い短文で会話のキャッチボールがしたかったんだ

 

それを考えたら次女にとって同級生の子たちの会話は

もの足りないかも

 

次女は二番目の子

生まれたときから祖父母が側にいて

大人の会話が飛び交っている中で育ってきた

 

長女は最初私と主人と二人で育ててきて

優しいおっとりとした感じ

口数もそんなに多くはない

 

側に居る母親の私があまり口数が多い方ではないので

長女も口数が少ないのかなと感じてはいた

 

次女は長女とは反対でいっぱいしゃべる

次から次へと話し出すと止まらない

家ではおしゃべりするのに学校では物静か

 

それは単に自分と波長の合う友達が居なかったからかもしれない

いっぱいおしゃばりしたいのに

同じようなテンポでおしゃべりができる子がいなかったから

楽しくなかったのかな

 

でも今はこの高校生のフレンドと軽やかに会話のキャッチボールが楽しんでる

チャットっていうと私は少々抵抗がある

それはわからない

知らないというだけで怖いと思い込んでしまう

 

でも次女には抵抗がない

知識がないからといえばそうかもしれないが

わからないからと言って

怖そうだからと言って

なんでも避けてしまうのはもったいないのかもしれない

 

何事もやってみればいい

利用してイヤじゃないならどんどん活用したらいい

そうやって新しい世界へ踏み込んでいったら

どうやらフレンドからフレンドを紹介してもらったらしい

 

次に仲良くなったのがおじさんだった

おじさん、平日の昼間に何しているんだろう・・・

仕事はお休みなのかな?

 

次女からはまだおじさんフレンドの情報は届いていない

とりあえずとても優しいとだけ知っている

 

高校生とおじさん

次女にはあまり縁のない年代

相手が小学生でも会話して

チャットが弾んでいるなんて不思議だ

 

ある意味次女が小学生らしくないのかもしれない

まぁなんにせよ

このお二方のおかげで次女はチャットの時間を

笑い声を上げながら楽しんでいる

 

私としてはうれしい限り

まだ次女の方からいろいろ話してくれるから

おとなしく聞き役に回ろう

 

今はゲーム中で友達ができる時代

生身の人間ではないかもしれないが

次女が楽しいひとときを過ごせて

笑顔で居られるなら

ゲームの世界の居場所でもいいような気がした

ゲーム内でフレンドと遊んでいる様子

今のこの時間がこれからもずっと続くわけでもない

続いたとしても本人がそれを望んでいるなら

別にいいような気がした

 

どうしても今までの価値観だと

学校での友達でないと友達じゃない

会って面と向かって話せていないと会話ではない

なんていう思い込みがあったのかも

でもそれはもう要らない

 

次女がその空間でその世界の中で楽しんでいるなら

それでいい!

 

私もゲームでチャットしてフレンド作って

おしゃべりに華を咲かせようかな

 

素の自分で向き合える時間は誰にでも必要

ある意味あるがままの自分で居やすい場所なのかもしれない

 

今のゲームっていろんな側面を持っていて

すごいな😊