何を食べたかで人生が変わる  

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外見に力を注ぐと自然と心は強気へ向かう 自分のコントロールの方法を再確認

★私は外見に力を注ぐと気持ちが変わる

メイクを若い頃のスタイルに戻すことによって

私らしさ自分らしさがなんなのか考えたこともなかったあの頃より

自分らしさが好きだということに気付いてきた

 

私は一重で腫れぼったい 

そしてのっぺりした自分の顔を

がっつりメイクをすることで

強気な心に変身させることが好き

 

顔にメイクという鎧をつけ

堂々と生きていけるよう武装するのが好き

 

そしてメイクしてきれいになることが楽しいというよりは

武装して強くなれることが面白くて楽しい🎶

 

私の行動力は心がどれだけ強いかが重要

そして楽しいこと面白いことをどれだけ見つけられるか

これに限る

 

私は強い心は持ち合わせていないが

強くすることはできると知っていた

それは外からアイテムをプラスすることで可能になる

 

中身がひ弱なら外見を強化すればいい

武装することで心を守り強化する

これが私に出来る方法

 

少なくともノーメイクの自分よりは強くなれると感じ

メイクで武装する楽しさを再確認

 

武装して心が強くなり大きくなるのを実感すると

その状態をさらにパワーアップさせたい

 

次はどんなアイテムをプラスしようかな・・・

 

まだまだ自分を磨くことを考える

子育てで忘れかけていたワクワク感を取り戻すかのように

 

そして強化する場所を見つけた

それは5年ほどほったらかしだったヘア

 

ここを強化することにした

 

結婚して働いているときはそれなりにケアもしていた

まだその時は女でいた気がする

 

でも長女をおなかに宿した時

いろんな情報で

髪の毛に与える影響がおなかの中で育っている赤ちゃんにも

影響することを知ると怖くて何も出来なくなった

 

無難に髪型を気にすることしか考えられなくなった

 

というのも

私は大学生の時ヘアーカラーにハマっていた

 

高校生までは親に校則だけは守るよう言われていた

その当時ビジュアル系バンドが好きだったため

メイクも服装も髪型も真似たかったが

大学への進学を考えていたのでおとなしくしているよう言われていた

 

親や学校に逆らえるほど強くなかったので

高校を卒業するまでは

大学に行くまではと我慢していた

 

高校を卒業する前に大学への進学が決まり

それまで親に止められていたアルバイトもOKになった

そこですぐにアルバイトを始めた

 

そして自分の外見を

自分でスタイリング出来るだけのお金を稼いで貯めると

すぐにアルバイトをやめ美容院へ向かっていた

 

最初に始めたアルバイトは2ヶ月ぐらいでやめた

 

アルバイトの目的はカラーリング代を稼ぐこと

そのお金を調達できればと考えてバイトを始めたので

とりあえずの目的を達成したら

即辞めていた

 

カラーリング代とその後バイト出来なくなることを考え

少しの間の蓄えを稼ぐと早々に辞める そんな子だ

 

正確な時期はもう覚えていないが

大学の入学式の時にはド派手な濃いがっつりメイクと

ボブの金髪の頭で出席した

 

ということはやっぱり短期間しか働いていない

 

カラーリングすればバイトは出来なくなる

それでもなりたい自分になるため

ある程度のお金を稼いだらすぐに自分の願望に従っていた

 

大学の入学式では金髪のスーツ姿

その当時はなかなか目立っていた

 

おかげですぐに友達は出来た

自分で声をかけなくても

声をかけてもらえる存在になった

 

目立つことはある意味すごい

それまでの私にとっては天と地が逆転したかのようだった

 

小学生の時のいじめから同世代の子が嫌いで

仲良くなることが出来なかった

というより仲良くしてこなかった

 

それが友達を作るのが嫌いな私が

自然と友達を作るようになった

 

カラーリングとメイクの力によって

内向的な性格が外向的へと変わった瞬間だった

 

自分でも分かってる

あの頃が人生の転換期

そして一番自分らしく楽しく輝いていた

 

学生に戻ってまた勉強をやり直すのはイヤだが

あの頃の自分はやっぱり一番強気で自信に満ちていた

 

私は大学生の時が一番強気で粋がっていた

何でも出来て私の味方だと思える友達もいた

心から信用した友達は少なかったが

それでもちゃんと存在はしていた

 

私の性格をある程度理解し

良くも悪くも全て受け入れてくれた友達

 

私はこの頃武装はしてはいたが

仮面はかぶってはいない

大学時代の友好関係が一番人間らしい気がした

 

お互いに合う合わないをちゃんと理解し

適切に距離を保てたのもこの時期

 

これより先の大人の世界は仮面だらけの世界

私は武装から仮面に切り替えていた

 

私は大学生デビューだ

友達がいて

交際相手がいて

一応も勉強して

 

いっぱいいろんな事体験して遊びまくっていた

高校生までは親の監視があったので

あまり身動きが取れなかったし

取る手段も持ち合わせていなかった

 

でも大学生にもなると

友達もお金も時間も自由

そして わけのわからない自信にも満ちていたため

何でもなんとかなると思い込んでた

 

わけのわからない自信ってやっぱり最強かも

根拠のある自信はその根拠がなくなれば崩れ落ちる

だからわけのわからない自信が必要なんだ

 

私はずっと

若いから自信に満ちているんだと思っていた

でも思い出した

 

私が一番自信に満ちていた時は

自分の好きな装いをして武装している時だ

 

結局私の中身が強いんじゃなくて

外からあれこれ手を加え

強くなるアイテムを身につけている時

私は自信に満ちていたんだ

 

それらが私を守ってくれていたんだ

 

私を強くするアイテム

それはヘアーカラー

 

カラーリングしていた頃はすごく楽しかった

 

でも長くは続かなかった

というより続けられなかった

 

大学の1年の時はカラーリングしてメイクバッチリだったのに

カラーリングしている状態ではアルバイト出来るところが少なく

収入源がない

 

もちろん実家暮らしだったので生きていく上では困らないが

遊んだり楽しむための自由なお金がないのはちょっと問題

だからアルバイトするしかなかった

 

唯一 カラーリングがOKだった飲食店も

ショッキングピンクに染めたい衝動に駆られた時があり

ピンクに染める時辞めた

 

そこの店長は短髪のブルーだった(確か・・・)

だから金髪ぐらいならOKだと思い面接

予定通り問題なく採用されアルバイトさせてもらった

 

働いている最中も金髪、オレンジとカラーリングして楽しんでいたが

ピンクに染めたいと相談したら

”それは無理!”と言われ、染めたい気持ちを諦めきれず

即辞めた

 

そう一番派手だったのがショッキングピンク時代

可愛かった!!!

そしてめっちゃチヤホヤされた

良くも悪くもうれしかった

 

その当時は人に相手にされないほど寂しいものはない

そう思っていたから

チヤホヤされることは本当にうれしかった

 

知らないおばちゃんにもよく声をかけられた

”きれいな髪ね”って声をかけてもらったのを今でも覚えている

そんなことでも私にはうれしかった

 

大学ではどこに居ても目立っていたので

一緒にいる友達が嫉妬してた

 

自分より目立っているって

 

まぁその友達もかなりイケメンで金髪

十分目立っていたんだけど

さすがにピンクの私の方が目立っていた

 

よく二人で張り合っていた

懐かしい思い出・・・

 

大学でよく友達に写真を撮られた

今でも友達の実家には私のピンク姿の写真がある

でもなぜか自分の手元にはピンクの頃の写真が一枚もない

 

その時は容姿へのコンプレックスが強かったので

写真はほとんど撮らなかった

だから私の手元には大学時代の写真が一枚もない

 

まぁ過去にしがみつく気はないので気にはしていないが

娘達に見せてあげたかったなって

今は思う🤩

 

あの頃が一番派手だった

すごいでしょ!って笑わせたかった

 

髪を黒くしたのはお金がつきた時

バイトはできる限りしていたが

さすがにピンクでは働けるところはなく

蓄えが底をつきそうな手前で

髪を元に戻した

 

私は就職活動を考えていなかったので

アルバイトばかりしていた

 

それでもカラーリングを楽しんでいた時期は

約一年くらい

沢山カラーリングしたような記憶になっているが

期間的には短い

 

2年の時には黒に戻していた

そして髪を黒くすると性格は落ち着いていった

 

それでもメイクは健在だったので

まだなんとか強気だった

 

カラーリングが出来て

がっつりメイクが出来る

これは私にとってかなり重要なことなんだ

 

成長したから落ち着いたわけじゃなく

私は落ち着いてしまう容姿に自分を変えていただけ

 

年齢で制限を与えていると思っていたが本当は違っていた

自分の好きな容姿でいないことにより自信を失い

行動、思考に制限が加わった

 

 

というわけでがっつりメイクに戻した次はカラーリング🌈

さすがにピンクの髪の毛は今は興味がなかったので

パープルにしてみた

 

何年もほったらかしの髪の毛

2回ブリーチしても地の色が抜けきらず

パープルを入れてもぱっと見分からない

一応 パープルにカラーリングしました(2月に)

明るい場所や太陽の光を浴びると結構きれいに光り

パープルだって分かる

でも室内だとちょっと黒い?って感じ

それは残念・・・

 

それでも美容院自体に5年ぶりに行き

髪の毛を整えてもらう行為はとってもうれしかった🤗

 

誰かに大切にしてもらっている感覚

誰かが私の希望を叶えてくれる瞬間

とっても幸せな感じ

 

自分にお金を使うことに抵抗があり

なかなか美容院にも行かなかった

 

でも毎日がんばってる

毎日主婦して家事と娘達の世話をしてる

私は私なりに精一杯がんばってる

 

私がなりたい自分になれるよう

自分にお金をかけることは悪くないって

だんだん思えるようになってきた

これは正当な行為で

間違ったお金の使い方じゃない

 

カラーリングして自分の好きな容姿の私がいる

ニコニコして元気に家事が出来る

これで十分!

カラーリングする正当な理由を私なりに見つけた

 

そして私にとって容姿をメンテナンスすることは

心をメンテナンスすることと同じこと

とっても大切なことなんだ

子どもへの気遣いが苦しかった 親子間の気遣いはもうこりごり😱

★娘達への気遣いから解放された瞬間

親になった途端

夫婦の関係は男と女というよりは

子どもを守る為の同志=兵士みたいなものに変わっていった

 

主人はどうか分からないが

私はそんな風に考えている

そしてそんなもんだと思っていた

 

母親になったら

父親になったら

求められるのはいつだって子どもの身の安全

 

それがいつのまにか身の安全だけでは足りず

将来の安全まで考えるようになっていってしまった

そのため不安がいつもつきまとい

苦しくなっていた

 

常に頭の中には娘達がいる

 

神様に託された大事な子

それを守り安全に育てるのが母親の役目

 

でも私自身も大事な存在なはずなのに

いつのまにか私自身はないがしろになっていた

 

そして目の前にいる娘達だけが大切な存在として守られ

常に優先されるのは娘達

 

よくよく考えれば

主人や自分より一番気を遣うのは娘達かも

それが当たり前で当然だった

 

でも本当はそんな気遣いは必要ない

そして娘達も望んでいない・・・

 

娘が生まれて親になった瞬間

夫婦のデートの時間はなくなった

 

主人と二人で出かける時は

生活に必要な物を調達するときぐらい

食料や日用品 生活用品の買い出しがメイン

 

ネットで買えるものはほとんどネットで購入

娘達が一緒だとウインドショッピングもなかなかさせてもらえない

よって

外での買い物は必要最小限

 

現物を手に取って見るという時間も与えられないため

久しくウインドショッピングから遠ざかっていた

 

ただなんとなくぶらぶらとウインドショッピングがしたい

それが必要かどうかは関係ない

ただぶらぶらしながら

おしゃべりしながら

ウインドショッピングを楽しみたい

 

物を見て触れて刺激を得たい

たったこれだけの事なのに

こんなことすら出来ない

 

娘達が許さなかった

いや そうじゃない

 

私が勝手に思い込んでた

あなたにそんな時間はない と

 

私にボーっと考えたりショッピングを楽しむ時間はない

まぁ母親とはそんなものだろうと

思い込んでいた

 

でも本当にそれでいいのか?

それで楽しいのか?

 

って最近は思うようになり

イヤだって思っていることを受け入れるようにした

 

自分の正直な気持ちをそのまま受け入れていい

って事に気がついた

 

誰も私のことなんかジャッジしない

私をジャッジするのは私の親と私自身だ

 

そんなの放っておけばいい😏

放っておくと決めた

 

 

娘達は買い物が嫌い

一緒に歩いて見て回る事は苦痛らしく

すぐに駄々をこねられる

 

そしてそれをなだめることの方が大変だと分かっているため

自然と自分の欲求を押さえ込み

娘達に合わせていた

 

幼い頃はまだ幼いから仕方ない

そう思ってきた

小さな子が大人のテンポに合わせられないのは致し方ない

 

だから合わせられる大人が子どもに会わせるんだ

でもこの合わせるという考えは

大きくなってもさほど変わらなかった

 

娘達のテンポに合わせる=娘達のご機嫌を取る

同異義語になっている

そして

これを私は心のどこかでイヤだと感じていた

 

自分は幼い時そんなご機嫌取りをされて育っていない

何故私は子どものご機嫌取りをしなければいけないんだろう

どこかで矛盾を感じ苛立ちを感じていた

 

それでも母親だからと

私の方が大人だからと抑圧

 

そんなことの積み重ねで

自然と娘達が嫌がる行動は取らないが

私の欲求はどこへやら・・・

 

 

最近は娘達で留守番も出来るようになった

4、5時間ぐらいなら平気で家を空けても問題ない

 

娘達は二人で協力して簡単な食事も作れる

そこまで気を遣うこともなくなり

心配もなくなった

 

冷蔵庫に食材さえ用意しておけば

なんとかなることを

私は学んだ

 

だからちょっと主人と買い物へと

少しずつウインドショッピングを楽しめるようにもなってきた

 

娘達からすれば

親にくっ付いて歩き回るくらいなら

家にいて好きなYou Tubeを見たり

ゲームしている方が楽しい

 

付いてきて不機嫌になれば私が機嫌を悪くするのも感じ取れる

無理に一緒に行動するメリットがなさ過ぎる

付いてこない理由はただそれだけ

 

私は自分の幼少期

親にあちこち連れ回されていた子ども

それに対してイヤだと言えた身分ではなかった

 

だから自然と親子が一緒に買い物をしたり

出かけたりすることは当たり前のことだと思い込んでいた

そして

家で留守番させられることはあまりなかったので

娘達の今の状態は良くも悪くも例外に近かった

 

また買い物をしている最中につまらなくなり

駄々をこねる娘達の姿も自分には理解出来ず

なだめたりあやすことが苦手

 

要するに私は幼い時

親に無理矢理同行させられていた

そして

駄々をこねてなだめてもらった経験がないため

駄々をこねること自体に理解が出来ない

 

そんなことがあっていいものか・・・

そんなことが許されるのか・・・

 

親に主導権があり

子どもはそれに従うのが当たり前

日常の全てがそんな感じで

子どもに決定権は与えられていなかった

 

それが我が子は違う

イヤなものはイヤで自己主張も激しい

それを主人が上手くあやしなだめていた

 

主人は幼い頃

床に寝っ転がって駄々をこねる子どもだったよう

駄々をこねる子の気持ちには寄り添えるようで

いつも私より上手くあやしていた

 

どこまで行っても自分が満たされていないと

他人は満たせないよう

娘達の幼い頃を思い出すと申し訳ない気持ちでいっぱいになる

 

私が未経験なばかりに理解できなくて”ごめん”

 

とは言え

過去には戻れない

また

今更よしよしあやして欲しい年頃でもない

 

思春期という年齢と不登校ということもあり

娘達の意思を全面的に尊重するようになってからは

親子間にわだかまりはあまりない

 

今あるのは

お互いを認め合い尊重すること

 

そして娘だろうが親であろうが

個人の意思を尊重すること

 

これが我が家に出来たルール

 

そして私は私自身を大切にするために

母親だからという固定観念を捨て

私自身もやりたくないことや体力的にしんどいときは

パスすることを覚えた

 

そして

今までのように娘達に対してあれこれ世話を焼かなくても

事が進んでいくことがわかってきた

 

もう何でも出来る年齢になってきた

多少難しいこともあるかも知れないが

長女と次女 二人一緒ならなんとかなる

出来ないことはやらなければいい

 

それなら何にも問題は起きないって

私自身が理解出来るようになってきた

 

そして娘達も自分達でなんとかできそうだと思い込んでいる

それも自信満々に

 

というわけで

先日 主人と二人でデートに行ってきた🤩

 

朝9時から家を出て

2、3時間離れた大型のショッピングモールへ向かった

 

目的地までの道のりで気になるところは片っ端から

立ち寄った

 

娘達が一緒では到底出来ない行動

ちょっと気になれば寄り道をする

やりたいことはやる

時間に縛りはない

 

帰宅時間は未定だと言って出てきたので

時間に縛りはなかった

 

毎日一緒にいる娘達から心からも体からも解放され時間

2人の時間を楽しんだ

 

気を遣う相手が減るとなんて身軽なんだろう

この時主人と二人で気付いてしまった

 

私達二人ともかなり娘達に気を遣っていた

言葉に出して自覚したことがなかったが

嫌いだから気を遣うんではなくて

大切過ぎて気を遣う

 

ただ自分達の欲求を抑えすぎているため

その反発で親の考えを理解させようと

コントロールしようとしていたのかもしれない

 

でもコントロール自体はやってはいけない

子どもであろうが別の意思を持った人間

踏み込んではいけない境界線

 

というわけで

私達夫婦は自分達の欲求を娘達に合わせて抑え込むんじゃなくて

これからは堂々とやりたいこと

行きたいところへ行こうと決めた

 

娘達が行きたくないならそれで構わない

今回のように気楽にのんびりと二人で出かけよう🚗

 

もう長女は中学生

次女は小学生だが二人目の子はしっかりしている

長女と一緒だから放っておいても問題ない

 

気にせずこれから二人だけで出かけよう!

ショッピングをしよう!

旅行へ行こう!と盛り上がった

 

娘達と出かける時は

娘達から自発的に申し出があった時だけ

どこどこへ行きたい、連れて行って

と催促された時だけ家族揃って一緒に出かけよう!

 

本当は娘達も一緒がいいに決まっている

でも人数が多くなるとなかなかまとまらないし

誰かが犠牲になることが多い

 

それなら無理に家族だからと合わせなければいい

そしたら誰も抑えられない

 

家族だから

親子だから

もうそんなのどうだってイイ

 

それは我が家の中では窮屈で

みんなを押さえつけていた

 

それをイヤだって言えた今

みんな自由なんだ

 

今まで家族で出かけると

決まって疲れきって帰宅するパターンが多かった

 

それは遊び疲れたからではない

気疲れしてぐったりしていたんだ

 

主人とのデートでお互いにまた一つ本当の欲求に気付いてしまった

 

私達夫婦はまだまだいろんな所へ行きいろんな体験をし

刺激を受けたい、楽しみたい

 

親になっても自分は自分

親であっても一番大事なのは自分なんだ

 

もう何もできない赤ん坊じゃない

いつまでも子ども優先でいる必要はない

 

そして娘達も自己犠牲の上の愛情なんてまっぴらだと思う

 

娘達を自由にしたんだから

今度は親である私達も自由になる

 

結婚し妻になったから

子どもを産んで親になったから

そんな事で自分に見切りをつける必要はどこにもないんだ

 

結局このデートは夜の9時前に帰宅することとなった

主人と私は遊びまくって体力的には疲れていたが

心は満たされていたのでご機嫌だった

 

娘達は昼食・夜食を自分達で作り食べていた

そして

お風呂を洗って先に入浴も済ませていてくれた

 

なんだ私が居なくてもやっていけるじゃん!

これでいいんだ 

朝のメイクを時短にする方法 それは要らないものを明確にしただけ

★メイクが簡単にできるようになった理由

メイクは筋トレと同じ

毎朝のルーティンにしてしまえば

メイクをするのが当たり前で歯磨きするのと同じ感覚になる

 

とは言え

毎朝30分もメイクに時間をかけるほど

時間にゆとりもなければ

メイクすること自体がそんなに好きではない

 

でもきれいになりたい

若い頃みたいに自信に満ちた自分に戻りたい

可愛いって思える自分にもう一度会いたくて

怠けることが大得意な脳を叩き起こそうと試行錯誤した

 

そもそも

私が何故メイクに時間がかかるかというと

ファンデーションの扱いが下手くそ

これが大きな原因

 

またこれを攻略しようと努力する気にもなれないため

一向に上達しない

 

若い頃は肌荒れもあり

それを隠すのに誤魔化すのに一生懸命だったため

ノーファンではありえなかった

 

だけど40代になり食生活の改善で肌は落ち着き

隠さなきゃ外を歩けないほどでもなくなった

 

そしてそこまで気にしていられないほど

自分に無頓着になっていた

 

そんな中メイクに時間を割くのは

心理的負担が大きかった

 

その時間がもったいない

在宅ワークの仕事に早く取りかかりたいなど

焦る気持ちの方が大きくなるため

メイクの時間は最小限にとどめたかった

 

その結果思いついたのが

ファンデーションを塗るという行為自体をやめることにした

 

そう 私のメイクへの心理的負担を軽くした方法は

当たり前だと思っていた工程を捨てただけ

たったこれだけ

 

メイクで一番時間がかかるのが

顔全体に塗るファンデーションの存在

こいつがいるから時間がかかる

 

そしてこいつは時間が経つと怠けだし暴れ出す

暴れ出したこいつをなだめ治めることも実は苦手

 

自分の皮脂や付着した外部のゴミなどによって

ファンデがよれて崩れたものをきれいに直すことが出来ない

単にメイク直しが下手なんです🤣

 

だいたいどうやって崩れたファンデをきれいに戻せるの?

あんなのプロの技でしょ!

そう思っていた

 

残念だけど私には出来ない・・・

 

そして

誰からもメイクの仕方や直し方を教わったことがない

出来なくて当たり前かもと 開き直ることにして

諦めた

 

私はファンデを塗ることが下手なんだと認識にし

出来ないことはやらないことにした

 

自分の肌の状態からみてあまりメイクに強い肌質でもない

きれいで可愛くなりたいとは言え

毎日メイクをして肌に負担をかけるということも

好ましくない

 

ファンデを塗った肌もあまり好きじゃないことから

自分が不得意な部分はさっさと諦めやらないことにした

 

また残念なことに40代にもなると

最初にファンデを塗りだした時点で

上手く肌に乗らない

 

何故かよくわからないが肌質が変わったのか

私の技術が低いせいなのか

きれいに塗れない

 

よれたり厚く塗りすぎたりと

こいつのコントロールにいつも苦戦していた

 

そこへたまにしかメイクしないという現実があるため

技術は一向に向上しない

というより若い頃より

格段に下手くそになっていた

 

そう思うとメイクも筋肉と同じで

やらなくなると退化していく

 

何をどう扱えばいいのか

どう手直しすればいいのか

時間のない日々の中でのメイクは苦にしか感じられず

それを苦にしていた張本人がファンデだった

 

だからこいつには退場してもらった

 

食生活を整えたら若い頃に抱えていた肌荒れは

いとも簡単に治った

だから今はうれしいことにツルツル

 

それならそこまで肌に気を遣わなくてもいい

 

ということでノーファンでのがっつりアイメイクで

私のメイクは完成された

 

 

アイメイクは若い頃と同じスタイルを貫いた

今時ではない時代遅れと言われそうなメイク😅

 

それでも自分の顔と自分の好みは

一番自分がよく分かってる

 

自分の好きなメイクをしている時が一番楽しくて

一番自信が溢れてくる

 

それは今のこの年でも同じ

自分の好きなスタイルはそうそう変わらないらしい

 

また年齢相応のメイクに興味がないため

スタイルを変える気にはなれない

 

 

私は子どもの時から少々腫れぼったい一重まぶた

父に女は二重まぶたがいい

二重まぶたが美人の証だ

 

みたいな事を言われ

私は物心ついた頃から不細工だと言われて育った

そのため

目にコンプレックスがある

 

その一重まぶたを自分の好きな目に変えられるのは

やっぱりメイクの力

そしてその力によって内面も変わることを

私はメイクを始めた時から知っている

 

自分の持っている物で最大限に活用しアレンジを加えることで

私は自分の事が好きになれるし自信が持てる

 

それが出来ることをすっかり忘れていた

 

そう

若い頃 メイクに目覚めたときから

この考えは変わらない

 

人の顔なんか努力である程度磨かれる

確かに元々の素質も関係するから

上を見たら切りがないが

 

顔には内面の状態がよく映し出される

自信を持って堂々としている人には勝てない

そんな気がする

 

私のメイクのお手本はビジュアル系バンドの

お化粧をがっつりする男性達のメイク

 

中性的でダークな感じのちょっと怖い感じ

もうビジュアル系バンドって言うだけで時代遅れ

でもあの頃は中性的な男性が化粧している姿

これが大好きで

私のメイクのお手本だった

 

不思議と女性らしいメイクには惹かれない

だから真似しようとも思ったことがない

 

ってなわけで私のメイクはダーク系のタヌキメイクって言えば

想像つくかしら😏

 

がっつりアイラインを太く引き

アイホールにがっつりブラウン系やブルー系のアイシャドウを

グラデーションでがっつり乗せる

 

若い頃のメイクをそのまま変わらず再現している

でもこれ私の中ではありなんです!

 

↓いつもしている私のメイク!

一重を隠すようにぶっとくアイラインを引き

アイシャドウを濃くがっつり入れることで

肌のくすみなんかがぼやけて目立たなくなる

 

そして自分の好きな顔に変身出来るから

自然と口角は上がり笑みが生まれる

 

ノーファンでのがっつりアイメイクが

何も問題ない!

ってことに気付いた

 

メイクにも時代背景があり

今時じゃないとか時代遅れとか言われるけど

あれテレビや雑誌だけの世界

 

人はそんなに他人に興味ないし

人のメイクをわざわざジャッジしない

 

私は今時のメイクが好きじゃないし

いくらがっつりメイクが時代遅れで

ナチュラルメイクがきれいなんだと言われても

好きじゃないし私の顔には合わない

 

だから私は私の好きなメイクをして

自分の気持ちを上げていればいい

 

私のスマホカメラ 超優秀

勝手に美白効果を付けて撮影してくれる

 

自撮りすれば表情も確認でき

その上 光をいっぱい当てシミやしわなどを飛ばし

きれいに撮影してくれる

 

私のスマホ

最近とっても頼もしい味方

 

簡単に可愛くしてくれて私を上機嫌にしてくれる

これがまた楽しくて一人でパシャパシャ📸撮る

 

その姿を家族は笑って見てる

また一人で撮ってる~って笑ってる

 

でもこれでご機嫌で気分がよく

みんなに優しくなれるなら

とってもいいアイテム・手段じゃないのかな

 

いささか詐欺に近い事をしている気もするけど

何のために写真を撮るのかって考えたら

別に問題ない

 

人を騙すわけでもない

自分のご機嫌を取るために美肌効果を使って

きれいに撮って一人でニヤニヤ眺めるだけ

 

それの何がいけないの?

問題ないよね😁

 

ちなみに顔のパーツは変わらないよ

肌が美白になるだけ

 

でも肌がきれいになるだけで本当印象が変わる

これもある意味すごいなって思った

 

ちなみにコンプレックスの一重まぶたを

二重まぶたにする整形も何度も考えたことがある

手軽にできるアイプチも何度も試したことがある

 

でもその度に自己否定が始まってしまう

そしてアイプチして作り物の二重まぶたにしても

見慣れていないためか自分の顔に違和感が生まれ

好きになれない

 

一重だから不細工なんだと思っていたが

本当は違う

自分の自信のなさが顔に滲み出て

そんな自信のない顔が嫌い

 

一重は一重の輝き方がある

それを私はアイメイクの力を使って表現する

自分の好きな顔を作り出す

 

幼い時から父に

一重だから不細工なんだと言われ

コンプレックスに感じていた

 

でも本当は自信のなさが

顔や表情、態度に表れていて

私は不細工だったんだ

 

メイクを本格的に始めた20代の頃は

メイクが濃くなるにつれ

派手になるにつれ

性格も大胆になり自分にどんどん自信がついていった

そしてかなりとんがっていた

 

自信があるのとないのとでは本当に姿、形が違って見える

そして自信に満ちていると取る行動も違ってくる

 

私は自分の自信の源をいろんな理由を見つけて勝手に手放していた

私の潜在意識が母親になった途端

いろんなものを手放した

 

でも今それは間違っていたと気付いた

だからこれから一つずつ回収しようと思っている

 

ちなみに私が使っているアイメイクは石けんオフのアイシャドウ

お肌にも優しく発色もきれい

 

アイペンシルは別のブランド

こちらも石けんオフでお肌に優しい

 

アイブロウはアイペンシルと同じブランド

見た目グレーに見えるんだけど発色はブラウン

どれもかなり時間をかけて探した

他にも石けんオフのメイクは沢山ある

質のいいものは探せばちゃんとある

 

自分の事を大切にするためにも

自分にあったメイクをし続けたい

メイク効果抜群 内面よりまずは外見!人は見た目でしょ!

★内面より外見!外見を磨くと内面にも作用する

毎朝のルーティンに追加されたメイク

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

 

自分のご機嫌を取るため

家の中を明るく照らすために

実際にメイクをやり始めたのが2月頃

 

あれから3ヶ月が経過

あれほど面倒くさかったメイクが

いとも簡単にできるようになった

 

メイクも筋トレと同じ

毎日やり続ける事で簡単にできるようになる

取り組むための心理的ハードルはなくなった

 

メイクがルーティン化されるまでは

娘達の学校の行事やイベントなど

誰かに会うときに仕方なくメイクする程度

自分がしたいからするという動機ではなかった

 

すっぴんで会うのは相手に失礼だと思い

心持ち仕方なくメイクしていた

この時点で他人のためにメイクしていたことに気付く

 

家族はすっぴんの姿に慣れすぎてしまい

すっぴんでいることに違和感がない

 

たまにメイクすると

次女は特に嫌がった

 

『なんかイヤ、怖い』

いつものママじゃない

と言ってそっぽを向く

 

そう言われると

だんだんと自信がなくなり

わざわざ面倒くさいメイクをしようとは思わなくなる

 

年齢が年齢だけに

自分に合ったメイクも分からないため

メイクをしないと言うよりは

出来なくなっていったという方が正しい

 

ゆっくりメイクする時間もなければ

メイクしていく機会もない

 

私は私だし

きれいに着飾ったところで何も変わらない

いつしか自然に流れるように諦めていった

そしていろんないいわけを並べ

自分を納得させていた

 

メイク道具は高いし自分にお金をかけるのは勿体ない

メイク代も節約出来るしことだし家計は助かる

 

この思考がどんどん自分を怠けさせ

どんどん制限をかけていった

それが自分の機嫌を悪くしているとも気付かずに

 

そう メイクして気がついた

 

私は私だけど

心が豊かでない私がいる

自信のない私がいる

 

きれいに着飾っている女性を見れば

妬みはしないがうらやんでいる

 

そしてどこか気後れしている自分がいた

 

確かにみんな

”人は中身が重要で 見た目は二の次”って言うけど

あれは嘘だ

 

中身なんか重要だといっても

どんなにがんばっても人の中身なんて分かりっこない

そしたら判断するのは外見だ

 

一番最初に目に入る見た目が判断基準になってくる

 

メイクしてきれいに着飾っていなくても

凜とした姿で堂々としていれば

どんな姿であろうと輝いている

 

だけど私はすっぴんでそれほど容姿に自信がある女ではない

着飾らなくて堂々としていられるほど強くもない

 

それなら若い頃のようにがっつりメイクをして

虚勢を張っていなければいけない

そう気付いた

 

虚勢を張ってでも堂々としていれば

いつしか外見が内面に作用する

 

心を強くするよりも

外から手を加えて強化していく方が簡単で楽しい

 

なんせきれいに着飾るんだ

本気でやれば楽しいに決まっている!

 

内面を磨くより最初に外見を磨く方が近道だ

 

私は小汚い人は嫌いで

下ばかり見ているオドオドした人は好きじゃない

 

いつも自信がなく周りの目ばかり気にして

自分がない人

そんな人をステキだとは思わない

 

そう私は私が嫌いだったんだ

 

堂々としていない

弱気な自分が嫌いなんだ

 

堂々としていて

”私は私だ”って輝いている人が好きなんだ

 

私は知っていた

見た目、外見をきれいに着飾っていないと

自分に自信がなくて堂々としていられないことを

 

すっぴんでいることは丸裸でいるようなもの

丸裸の自分を平気で見せられるほど強くないから

心の中でシールドをむやみやたらに張ってしまう

 

それがこわばりや緊張になり

心の奥底を見られないように体全体で自分を包み込み

周りと境界線を引き現実から遠ざかっていく

 

メイク代を出せないほどお金がないわけじゃない

なのに勿体ないっていう考えで

自分にはメイクする価値がないと

自分で無意識に無価値を刷り込んでいた

 

安物買いをする時もこれと同じ

安い物は簡単に買えるのに

高価な物は自分にはふさわしくないと思い買えない

自分を過小評価して

欲しいと思う欲求にすら蓋をしてしまう

 

この思考が自分をダメにしてる

 

知らず知らず自分で無価値を刷り込んでいる

親に劣等感を植えつけられ

それをベースに今度は自分で自分を無価値に追い込んでいる

 

無意識ってアホだな・・・

私ってアホだな・・・

 

それでもこのことに気づけた私ってすごい!

がんばったじゃん!

 

でも行動をしないことにはいつまでも変われない

いつまでも面倒くさいを優先すると脳は怠けたまま

 

何をどうメイクしたらいいか分からず

考えることが面倒くさいから

考えること自体をやめてしまう

 

私は怠けものの脳に支配させると何もかもが

後回しになると感じ

何が何でもメイクする気になった

 

たかがメイクするだけなのにこんなに考えている

生きていく上で考えることは山ほどあるのに

メイクするだけのことなのに

こんなにも考えた 私ってまじすごい!

 

ある意味ヤバいかも・・・

 

 

さて太陽のように元気で明るい私になるとは言ったものの

実際行動に移すには億劫になる理由がいくつかあった

それは・・・

 

1.自分に合ったメイクが分からない

2.たまにしかメイクしないため上手く仕上げられない

3.メイク直しが面倒くさい、そして上手く直せない

4.メイク道具が古すぎてあまり使い物にならない

5.新しいメイク道具を購入したいがどれが良いのか分からない

などなど

 

細かく言い出したらもっと出てくる

 

ヤバいでしょ!

たかがメイクするだけなのに

こんなに億劫なことがいっぱいある

みんなどうしてるんだろう?

素朴な疑問が浮かぶ・・・

 

毎日きれいにメイクする女性は本当ステキ✨

きれいでいることを惜しまない女性は本当にすごい🤩

 

怠けていたら遠ざかってしまうのも無理はなかった

 

私の場合 メイク道具からの購入

 

マジ しんどかった

自分がどんなメイクがしたいのか

どんなメイク道具を使うのがいいのか

どこでメイク道具を購入すればいいのか

ここからのスタート

 

学生時代みたいに

気軽に相談出来る友人がいない

これもなんだか寂しい現実・・・

 

とりあえずは本とネットで調べて

今後娘達にも安心して使えるもの

進められるメイク道具を探しまくり

なんとか購入した

 

悩みに悩みまくったが

今の私に一番合うコスメを見つけた

 

これが超うれしい

相変わらず宝探しで宝を探し当てたような気分🎶

 

これだけ色々考えて行動に移したメイク

自分のテンションをご機嫌を取るために始めたメイクは

結果としては大成功だった😊

 

まぁいつでもご機嫌かと言われれば

何かと家の中にやっかい事が存在するため

現実問題 常にご機嫌ではいられない

 

それでも鏡を見て

自分の顔を見れば感情を切り替えることは

簡単にできるようになった

それに引きずられないことも分かってきた

 

朝ちゃちゃっとメイクして今日一日をがんばって過ごすぞ!って

気合いを入れる

不思議とメイクをすると気合いが入る

 

メイクすると単純に顔のパーツがはっきりするから

靄が晴れる

シャキッとする

 

それが心にも伝わり

いろんなことに迷わなくなった

 

頑丈な鎧はやっぱり私を守ってくれる

そして強くしてくれる

 

鏡を見る度に目を大きく開けて、口角を上げて

ニコって笑う🙂

 

一人でやってるとマジ変💦💦

でもやってるとおかしくて笑えてくる

 

自分で自分を楽しませる事が出来る

私にはすごい効果だ

 

偽っているような気もするが

自分の気持ちを外から上げ

それにつられて自然と内側も上がっていく

 

それがメイクの力で出来ていることでも

利用すればいい

ご機嫌な状態を作れる手段ならやればいいんだ

 

メイクしてきれいにして

ニコって笑う自分が可愛くて仕方ない🧡

 

私は今自分の事が大好き

母親としては少々難有りかも知れないが

もうそんなことお構いなし

 

私が私を好きで満たしてあげれば

誰かに満たしてもらおうなんていう欲求もなくなる

それに自分の欲求は自分がよく分かってる

 

40代だからっておばさんになるのはやめた

 

きれいな人を見て

”いいな~”って羨ましがっているくらいなら

努力しろ!

 

私だってそれなりにがんばればきれいになれる(たぶん😆)

怠けているのは自分のせい

お金がないわけでもない

潜在意識のせいでもない

いつまでも何かのせいにして逃げるのはやめよう

 

主人はメイク道具もなんでも好きなように買っていいという

きれいになりたいならなったらいいじゃん

好きなようにやんなって笑ってくれる

 

その言葉どおり

きれいになるよ

どんどん自分を大切にし磨くことを楽しむよ★

 

昨日より今日

今日より明日

少しずつ少しずつきれいになってみせる

 

自分で自分を認めることが

こんなにうれしいなんて!

 

今では毎朝メイクして陽気な私が主人に話かける

 

『どう?私 可愛いでしょ!』って

40の女が言う言葉ではないかも知れない

ちょっとイタいかもしれないが

言うと分かる

 

恥ずかしさで笑ってしまう

それがまた楽しい🤗

 

朝から笑顔で主人を送り出せる

私が笑えば自然と主人も笑う

そんな日常が当たり前にある

 

さて次は何かな~

 

実はもう行動済

また何したか報告したい!

 

新しいことするのって楽しい!

メイクすることで学生時代に戻った気分🎶

 

制限のない自分に返ってきた

 

私はやっぱり女できれいになりたい✨

これは恥ずかしい事じゃない🤗

笑われてもいい

アホ扱いされてもいい

 

これが私なんだから 仕方ないね🤗

メイクして楽しくなる生き方を体験したいんだ

出来ない事は出来る人がやってくれる 自分の過去の体験談で納得する

★過去の自分への自問自答が不安を解消してくれた

幼い頃何もさせてもらえなかったため

何も出来ないんだと思い込んで育ってきた

 

大して好きでもないことが案外良く出来たときは

それを強みにしようとレベルの高いことを教え込もうとする父

 

幼い子が楽しんで遊ぶことにさえ

先を見据えてわけの分からないレベルを要求する

 

今できること できたことには目もくれず

多くを期待し要求され

期待に応えられないと

”出来ない子”と言われる

 

だからいつまで経っても褒めてもらえず

褒めてもらえた記憶があまりない

 

今なら言える

 

あなたはそんなに何でも完璧に出来たのか・・・

満遍なくあれもこれもと出来たのか・・・

 

残念ながら

幼い頃の私はそんな反発した考え方にもならず

全てを受け取り押しつぶされていった

 

私は親に”出来ない子”というレッテルを貼られ

そのレッテルを信じ自信をなくし

出来ないことがどんどん増えていった

 

自信がないから何をやっても上手くいかない

”出来ない”が前提にあるからがんばる気にもなれない

 

そして好きでもないことも出来るようにとさせられることは

苦痛だった

私は子どもの時から勉強は嫌いだ

何かを上達させることも好きじゃない

 

いつだって 

”どうせ” ”でも~” ”だって~”

そんな否定的な感情が心に存在した

 

思い返せば・・・

不登校になる前の娘達によく似ている

いつも不安で自信のない姿

 

自分の過去と重ね

不安を抱える娘達を慰めるように

根拠のない”大丈夫”という声がけをする

 

でもそれがかえって娘達を傷つける

私もその言葉に根拠がないことを知っているため

”大丈夫”と声をかければかけるほど不安になっていく

 

だって

”何がどう大丈夫なんだろう?”

心の中ではそう感じている為

娘達に伝わっていたんだろう

 

娘達が抱えている不安、心配を

言葉一つで片付けようとしていることが伝わる

 

自分達の事を理解していない

理解しようとしていない

そう感じる

 

そして

存在しない不安に押しつぶされ

自分がどうして出来ないのか

何が出来ないのかもよく分からなくなり

とりあえず”出来ない”という壁を

大きく自分の前に建設する

 

そして何もやらないという選択をして

与えられたものの中で妥協しながら生きる

 

幼少期の私も不登校になる前の娘達も似ている

やっぱり親子なんだ

 

考え方、物の捉え方は受け継がれる

自信のない親に育てられた子どもは

自信のない子に育つ

 

私の母親と私と娘達は

みんなそろいもそろって自信がない

 

過去の私もついこないだまでの私も

現実に対して自分が妥協してということにさえ気付いていない

 

ただ 出来ない自分が悪い

これで全て思考はストップ

 

夢を見ることも

欲を持つことも

実は子どもの頃から学んでいない

 

両親が自分達の経験を元に

夢を見ることも

欲を持つことも

私には良くないと教えてきた

 

それは

がっかりさせないため

辛い経験をさせないため

絶望感を味あわせたくないため

 

辛いことや悲しいことから守っているかのように見えるが

私にとってはそうじゃない

 

親の価値観に守られ育った私は

単に自分で決めて経験するという体験を奪われたに過ぎない

 

私にあるのは指定された中での選択

そして親が安心できる範囲内の体験だけ

 

結局両親が自分達が経験して体験したことの

否定的な部分にフォーカスしすぎて

良い経験も悪い経験も私からごっそり奪っていった

 

だから余計に娘達には 

私が出来なかった分を体験させたい

 

何でも出来る時期 

何でもやりたい時期

いろんな行動を起こして体験できる時期に

親からの一方的な価値観で体験に制限することは間違っている

 

そう思い逆にいろんな事をさせよう、させたいと思い

できる限り惜しみなく与えた

 

でも結局反面教師は裏目に出た

自分が出来なかった分やらせたい

でも娘達はそれを必要と感じていない

望んでいない

 

両親が私に次から次へと高望みして期待してたことと

同じことをしている

 

私の場合は

あれがいい、これがいいと

外からの情報を娘達に本当に合っているかどうかもよく考えず

何でもかんでも取り込み詰め込んでいた

 

自分が体験して来れなかったことを悔やみ

その体験を取り戻そうとするかのように

娘達を使って自分を慰めようとしていた

 

自分がイヤなことはさせない

自分が良いと思うことはさせよう

あの時こんな思いをしたから娘達もきっと同じだろう

いつも私の過去が基準になりジャッジが入る

 

でもそもそも体験する人が違うのだから

良いも悪いもない

 

それを分かっていないから

実際に判断を下すのは娘達ではなく

私になる

 

娘達のやりたい体験の時間を奪い

過去の自分が出来なかったこと

やりたかった体験を今娘達にさせようとしているのは

何故なんだろう?

 

それは出来なかったという過去への執着

出来なかったことが悪いと思っているから

矛盾が起きている

 

だから本当に出来なかったことが悪い結果を生んだのか

考えてみた😏

 

 

私は配膳の動作が嫌い

食事をする際の料理を取り分けるといった動作

この動作を人に見られるのが嫌いで

大勢で食事をすることは特に苦手

 

女なのにお皿を配らない

料理を取り分けない

いつジャッジされるか不安で

そういった場面をできる限り避けていた

 

もちろんそういった場面から逃げられない時もある

その時は黙って何もしない

役に立たない人になる

 

その当時は自分には変なプライドがある

そうやって考えていた

 

でもプライドじゃなかった

 

どうやって人の目に映るのか

どうジャッジされるのか

怖くて動けなくてるのを知っていたため

その恐怖から自分を守っていた

 

でも特別気にしないときもある

それは何だろう?

 

思い出した!

大学の時に仲良かった友人とのやりとり

 

”配膳や取り分けが苦手ならやらなくていいよ”

”私は出来るから私がやるよ”

そうやって出来ない私を笑うこともなく

助けてくれた

 

”出来ないことは出来る人がやればいいんだよ”と

友人は教えてくれた

 

それからその友人とは何でも話せる関係になった

 

私はそれを期に

ある程度自分の出来ないことを伝えられるようになった

 

笑いながら悲観的にはならず

どちらかと言えば開き直って

 

自分のマイナスな面を

包み隠さず話せる友人が大学の時には数人いた

 

その友人達は私の全てをそのまま受け入れてくれた

良いところ悪いところ

全てにジャッジはせず

受け入れてくれた

 

この子はこんなタイプの子ね

それで事は治まった

 

私は自分と波長が合う居心地のいい友人とだけ関係を築いていた

大人になるとそれが可能になる

だから私は大学生から結婚するまでの間は

人間関係にさほど苦労した記憶がない

 

イヤなときはすぐに逃げ出す性格なため

我慢はしなかったから

 

そうか思い出した

大学に入った頃はもうだいぶ親の手を離れ自由に行動していた

 

いろんな人と関わりいろんな経験もしてきた

自分一人では出来ないから友人達と一緒に経験させてもらった

 

私は自分に合った友人達に育ててもらったんだ

今こうやってブログを書きながら気付いた

 

私にとって大学の時の友人は今でも友人だ

滅多に連絡は取らないが友人のままだ

 

人に対して怖いという印象を持っていなかったのも

この時期だ

 

私は自分を守ってくれる友人を

自分で周りに集めていた

 

私の人生 楽しかった時もちゃんとあった

あの頃 楽しんでた

 

たぶん両親の元へ同居するために帰ってこなければ

案外問題もなく幸せだったんだ

 

ただ 今友人の存在に感謝しているので

この時期にならないと私は感謝しなかったのかも知れない

 

過去を振り返ることが極端に嫌いで負のイメージしかない

なぜだか分からないが嫌いだ

 

だけど今回友人達に守られていたっていうことに気づけた

これはとってもHAPPY😊

 

過去に戻って記憶を見ることもそんなに悪くないかも

きっと今だから分かるんだ

 

捉え方、考え方一つで物事はいろんな結果を連れてくる

自分の考え方一つで現実は変わる

 

私の出来ないことはいつも誰かが代わりにやってくれていた

だから私は今生きている

 

そして私は友人が私にしてくれたように

私の出来ることで誰かを手助け出来れば

それでいいんだ

 

あの時なんでも完璧に出来ていたら

友人は私の友人ではなかったかも知れない

 

そしてら出来ない事が人との”縁”を連れてくるのかもしれない

 

そう考えたら

娘達の”今できないこと”は

いつか誰かとの縁に変わるアイテムなのかもしれない

 

そしたらそれを無理に出来るように努力する必要はないって

理解できるようになってきた

 

いくら本で

”出来なくてもいい””大丈夫”

と書いてあるものを見つけ安心を得ようとしても

どこか納得いかない部分が正直あった

 

でもこうやって本当はどうなんだろうって考える習慣が

少しづつ不安を消していく

そして気付かなかった感謝の気持ちにも出会えた

 

自分で体験し自分の頭で考え答えを見つける

この作業の繰り返しでどんどん解放されていく感覚

私はこの感覚を今学んで体感している

 

これがとっても楽しくて心地いい

そして負の感情が少しずつ幸せの感情に

塗り替えられていく

自分で塗り替えられることを知った

 

私は以前より断然自分の機嫌を取れるようになってきた

これこそ継続は力なり

 

幸せを感じたければ

幸せになりたければ

過去の自分と今の自分

全ての自分と対話すればいいんだ

 

なんか危ない奴になってきたかも🤭

 

でもこれが今の私なんだ 

そしてなりたい自分に近づいている

 

人生は既に決められていて

起こる出来事をどう捉えるかで幸せか不幸せかになるだけ

 

幸せになりたいなら

幸せに物事を捉える訓練をすればいい

 

この訓練の姿を娘達に見せていこう

そしたら私はこれからもっとHAPPYになり

そのHAPPYな姿を、背中を娘達に見せてあげられる

 

この方法なら私にも出来るかも・・・

反面教師は自己否定の現れ 自分の幼少期と娘達を重ねてはダメ

★出来なかった幼少期の自分を反面教師にし子育てをしていた

私は両親を超えたかった

両親よりいい親になりたかった

子ども思いの優しい親になりたかった

 

そして立派に子どもを育てられる

できる親になりたかった

 

でも現実は毒親になる一歩手前😱

いや・・・毒親だった

 

毒親の子は毒親に違いない

 

私は娘達に一通りの家事ができる女の子

生活力がある子になってほしいと

願っていた

 

これは生きていくために必要な力

専業主婦だけに必要な力ではない

誰もがみんな必要

 

将来自活して一人で生きていく上ではとても大切

働いてお金を稼げれば要らないという能力でもない

 

高給取りでも生活力、自己管理能力がなければ

お金は入ってくるが出て行くのも早い

なのでバランスをとるためにも大切

 

ただ生活力と言っても

求められる程度には振り幅がある

 

本人の事が足りるだけの力でいい気がする

そんなに多くを望まなくても

生きていける

だから極めるほどの力は必要ない

 

家事が好きなら極めればいいが

そうでないなら最低限の生活力があればいい

それで十分生きていける

 

とりあえず

学力より生活力

 

娘達には将来困らないように

生活力だけは身につけさせたかった

 

でも最近気付いた

体調不良の時色々考えさせられた

 

長女を役に立つ、立たないと道具扱いしている

そんな自分がいることを自覚

 

そこから

生活する力が本当に必要なのか考えた

 

私はどのくらいの生活力を望んでいるのか

どのくらいの生活力があれば

娘達は役に立つ、生活力がある子と言えるのか

そんなことを考えた

 

そしたら気付いた・・・

 

私は本当は娘達の将来のためを考えて

生活力を身につけさせたいと考えていたわけではない

 

私に植えつけられた劣等感を

娘達で晴らそうとしている

ただそれだけだった

 

一番根っこの本当の気持ちを隠して生きている

このことに気づいた

 

幼少期の自分を反面教師として使い

娘達を立派に育てようとしていた

これは表向きの顔

 

”出来ない子”というレッテルを貼られない子に育てること

 ”出来ない”ことで傷つけられない強い子に育てること

その言葉で自信を失わせない強い心を持った子に育てること

 

自分のイヤな経験から

こんな願望が生まれていた

 

そして一番の根っこにある本当の気持ちは

幼少期の”出来ない子”という私を

今でも否定し続けていること

 

これが根っこにある”核”だと気づいた

 

 

私は幼少期に何も出来ない子として育てられた

そして

”出来ない子”というレッテルを実の父親に貼られ

いつも父の顔色を伺いながら生きてきた

 

それがだんだんと自己否定に繋がり

引っ込み思案な性格になっていった

 

いつも自信がなく下を向いていた

そんなオドオドした子どもだった

 

父に貼られたレッテルを真実だと思い込み

自分で自信のない自分を作っていった

それがとても辛かった

 

今思えばそんな自分だったから

いじめられ

人から傷つけられることが

普通に起きていたんだと思う

 

そんな自分の幼少期の頃を娘達に重ね

同じ思いはして欲しくないと願い

”出来ない子”というレッテルを貼られないように

育てることに躍起になっていた

 

そして自分の幼少期を反面教師とし

何でも満遍なく出来るように育てようとした

 

何かにつけてジャッジする大人に負けないよう

バカにされないよう

自分のことを自分で管理し

自分を守れるようになって欲しかった

 

父親に出来ない子というレッテルを貼られ

自信をなくし萎縮して育った幼少期が根底にあるため

そんなフィルター越しに娘達を見ていた

 

そして先回りし幼いうちから

いろんな事を次から次へと出来るようにさせようとした

 

でもこれは単に父親を見返したいだけ

 

私は出来なかったが私の娘達は出来る

そんな風に言ってやりたかった

 

そして

両親がやってきた子育てでは”出来ない子”が育ったが

私の子育てでは自分のことは自分で出来る

ちゃんとした子、出来る子が育った

 

そんな風に見返したかった

 

そんな気持ちが根底にあると気付いた

そしてこんな気持ちがあること自体が恥ずかしいと思った

みっともないと感じた

 

私は反面教師を上手く使いこなせないだけではなく

そこに執着していた

 

私は娘達を父への見返しの為に使っていた

真っ向から子育てをするスタンスが間違っている

私はやっぱり間違えた子育てをしている

 

 

私が出来ない子と言われた経緯・・・

 

私は幼い頃精神疾患の母のおかげで

家の手伝いをまったくさせてもらえず

出来ない子として成長した

 

お皿の配膳

食器洗い

洗濯物をたたむといった

子どもが一般的にお手伝いと称して行う行為を

ほとんど未経験の状態で成長した

 

精神疾患の母は潔癖症強迫神経症

 

その影響で家の中で私が触れることが出来たのは

自分の所有物だけ

それも学用品や趣味のもの

その程度

 

なので他の子が普通にやっていたこと

お手伝いと称してする活動はほとんど出来なかった

 

そしてやり方を知らないため

体験していないため

高校生ぐらいまでは自ら考えて行動する

ということは出来なかった

 

思春期にさしかかる年頃には

親戚のお姉さん達と比較され

何にも出来ない子と言われるようになった

 

女の子なのに

長女なのに

皿の一つも配膳できない

周りを見て気配りも出来ない

 

お姉さん達は進んで動いて手伝いをしているのに

”何故お前は何も出来ないんだ”

”役に立たないな” とよく父親に言われていた

 

そしてさらに出来ない私を育てた母に対して

”お前が何もやらせていないからだ”

”お前の教育が悪い”

などと言われ怒鳴られていたのをよく目の当たりにしていた

 

ここでいつも頭に浮かびあがることが

”自分は出来ないんだ”

”自分が出来ないから母が怒られるんだ”

この思考パターン

 

でもよくよく考えると

出来ない事はそもそも私が悪いんじゃない

 

皿の配膳、気配り

やらせてもいなければ

その姿の背中すら見せてはいない

 

そして母が精神疾患でやらせられない事を

グチグチ文句を言う割には

父親だって何もしない

 

母がその姿を教えられないなら父が教えれば良いものを

父も教えてはこなかった

配膳する姿、家事をする姿は見せてこなかった

 

今考えれば精神疾患の母の影響で

私が家の中の物を触れないのと同じように

父も触らせてもらえなかったんだろう

仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない

 

配膳する姿を見せたくても出来なかった

そう言うかも知れない

 

でも文句言いながらも、その環境をしぶしぶ受け入れ

子どもにそんな普通とは違う環境を与えていた

私の身をそこに置かせていたんだ

 

私からすればそんなこといいわけにしか感じない

 

だから私が何も出来なかったのは

母親だけの責任ではない

父親にだって責任があったんだ

 

またちょっと出来なければ”下手くそ”や”バカ”呼ばわりしていた父

そんな言われ方をして

物事を出来るようになりたいなどと思うわけがない

がんばって出来るように努力しようなんて考えるわけがない

 

今考えれば出来ない私を作りあげたのは未熟すぎる両親

 

なんだ私は悪くないじゃん

親が未熟すぎてクソ親だったんだ

とまぁ~ 開き直ってしまった😂 

 

ただ残念なことは・・・

気付い時が遅かった

もっと早くに気付きたかった

 

そしたらもう少し楽に生きられて

楽に子育てが出来ていたのかもしれない

 

私は何もさせてもらえず

勝手に”出来ない子”と呼ばれ

”出来ない子”だと信じて育ってきた

 

それが嫌で娘達はそうならないようにと考えた

同じように父に役に立たない子と言われないように

 

でも結局私は先回りをし急ぎすぎ

娘達を出来ない子に育ててしまった

 

娘達のそれぞれの育ちのペースがあることも知らず

私は娘達に何でもやらせようと

何でも出来るようにと

 

周りを見て気配り出来る子に育って欲しいと

自分の過去を消し去る為に育てようとしていた

 

そしてあれこれ指示してやらせ

娘達に過干渉になっていた

 

残念ながら結果的には

私は精神疾患の母とは違う形で

娘達の体験の機会を奪い育てた

 

育ちのスピード、ペースを知らず

いつか出来たであろう事も

私の望む時期に出来ていないため

”出来ない子”というレッテルを貼っている

 

結局私は父親と同じことをしていた

 

なんだかもうわけが分からない

何が子どもに必要で

何が子育てなのか

 

分からなくなってきた

なんだかぐるぐるしてる😵

 

ただ分かってきたのが

”出来ない”が悪いと考えているからそこに執着する

 

出来ないから出来るようにさせようと力を注ごうとするから

辛くなる

 

そこにあるのは今”出来ない”という現状が存在するだけで

これから一生出来ないかどうかはわからない

 

ただそれだけだった

 

今は出来ない事には目を向けなくてもいいと考えている

でも本当はそうじゃない

出来ない事を投げだす感じではなく

 

”出来ない事”は”出来ない事”で分かるということ

 

それがわかるだけでいいんだ

それが悪い良いの話じゃないんだ

 

だから私は幼少期の出来なかった自分に

”それはそれでいいんだよ”って言うことにした

”そんな時もあったね” でいいんだ

 

”あの時の自分は出来そこないで私が悪いんだ”

この考えが間違っていたんだ

 

あの時は出来なかったね~

でも今は食生活を整え自分の健康を管理出来るぐらい

がんばって家族の生活を支えている

私がんばってる

 

あの時は何も出来なかったけど

今はちゃんと考えて行動出来るようになった

これでいいんだ😊

 

そしてあの時の私と娘達は別の世界で生きている

重ねる必要は全くないんだ

 

娘達は娘達で今できなくても

これから出来なくても

何も困らないんだ

 

ちなみにあの時出来なかった事を

親以外にとやかく言われたことはない

 

いつだって否定するのは親だ

 

そして自分の中にいる

親の価値観で固められたもう一人の私が

自分を否定するんだ

イライラ・モヤモヤするとき なりたい自分の姿がそこにある

★体調不良することで自分の醜い本心に気付く

長女は母親の私がダウンしても

いつもと変わらない日常を送ろうとしていた

 

何も心配しない

いつもと変わらない一日を送りたがっていた

 

そんな長女の姿を見て

私は少しモヤモヤした

 

なんだろう

なぜモヤモヤする?

 

答えは簡単に出てきた

 

私は長女へ期待している

どこかで長女が私の代わりを担ってくれると

 

私はこんな風に考えてた・・・

 

母親の私が体調不良を起こした

そこへ

”ここは私が!”と

長女が母の代わりに家事をこなし

一日を無事に過ごせるよう

小さなママになってくれる

そんな姿を期待した

 

でも現実は

クッションにもたれかかりダラダラしている

そして

買い出しの付き合いの誘いを

『え~』の一言で

面倒くさそうにあしらう

 

”ママが何?”

”体調不良・・・だから なんなの?”

と言わんばかりの態度

 

グチグチと文句は言わなかったが

やる気のなさそうな態度が目に飛び込んできた

それが長女の本心だった

 

一方で

あの優しかった長女

素直で愛想のよかった長女はもういない

過去の遺産になっていた

そう感じずにはいられなかった

 

まぁ思春期の女の子、子どもはこういった反応をする

そういう時期だろう

 

そんな風に割り切った

 

ただ私があまり経験していないから

全てを受け入れるには時間がかかった

 

長女は最終的には次女の説得で

半ばしぶしぶ気持ちを切り替え

主人と次女と3人で買い出しに行った

 

けれどもこの日の長女は

自分から何かを手伝う

役に立てることはないかと考え行動する

といったことはあまりしなかった

 

いつにも増してダラダラしているように感じた

 

いや~ちょっと待てよ・・・

そもそもこの考えが間違ってないかい?

 

そう この物の言い方から

私は長女を”役に立つ娘”

すなわち 道具扱いをしていることに気付いた

 

『役に立たない』

『私の代わりに動いてくれない』

『使えない』

そんな風に私は長女に対してジャッジしていた

 

普段は私に対して何かをして欲しいと思っているわけではない

自分の好きなようにやっていいと声がけはしている

 

なのに自分が動けなくなると

私の代わりを長女に押しつけようとしていた

 

そんな自分がいる

 

私は自分が親にされて嫌なことを

同じように長女にしている

 

言い方は乱暴だが

私は自分を助ける道具として長女を育てていた

 

自分の将来の為に産んだのか?

そんなはずはない・・・

 

長女が一人の人間として生を受け生まれてきた

いろんな経験をするためにこの世に誕生したはず

 

私は長女がいろんな事を体験し

幸せを感じる経験をするためのサポート役として

母になったはず

 

生まれてきたとき

五体満足で生まれてきて

それだけで十分で

喜んでいたはずなのに

 

それだけで十分だったのにはずなのに・・・

 

いつの間にか

あれが出来てこれも出来て

 

これが出来ないと将来困るからと

いろんなことを学ばせようとした

いろんな事を要求しようとしていた

 

学校の勉強だけじゃなく

生活の中でも私はいろんな事を出来るようにさせようと

苦労しないようにと教え込もうとしていた

 

それは長女の為でもあるが

本当は将来の自分の為かもしれない

 

将来私を助ける為にいろんな事が出来て欲しいと

心のどこかにそんな考えが存在していることに気付いた

 

 

生まれた時は

健やかに元気に育って欲しいと願っていたはずなのに・・・

そんなに多くを望んではいなかったはずなのに・・・

 

いつの間にか

私を生かすための都合の良い子に育てようとしていたなんて

私を助ける為に存在しているんだと勘違いしていたなんて

 

口ではきれい事を並べて

頭では長女の為にと思って考えて行動してきたつもりだが

現実は醜かった

 

恥ずかしすぎる😱

 

そして期待したことが出来ないと

やってくれないと

 

私が勝手に決めつけた出来ないという劣等感を

またもや植えつけようとしていた

 

 

劣等感を植えつけられて育った子どもは

常に自分に”出来ない”という壁を作る

 

だから何をやっても出来ないと考え

絶望を味わいたくなくて

怖くて何も行動しようとしない

 

そしていつか

出来ないことを他人のせいにして

いつでもイライラしている

 

そして自分に劣等感を与えてくる人を助けようなんて

これっぽっちも思わない

 

そんなこと当たり前

 

いくらそれが親でも

親に育ててもらったからと言っても

劣等感を与えてくる親なんて

心の底から助けたいとは思えない

 

だけどそれを拒否できるだけの強い意志

意思表示・行動が出来ないため

結局しぶしぶ助ける行為にいたる

 

そしてさらに自分の心に反した行動をとるため

次第に我慢が憎しみや恨みに変わる

 

結局私は自分が反抗期を迎え

両親に対して恨みや憎しみがある感情を抱いていることを

表に出して受け入れるまで

この負の連鎖を理解できなかった

 

今まで長女が優しくて良い子だったのは

単純に長女を抑圧していただけ

無理矢理 私の意思に従わせていただけ

 

そして幼い子どもだったため

何でも素直に言うことを聞いてくれていたため

気付かなかった

 

”優しい子で良い子”

でもただイヤと言えなかっただけ

 

小さくても頭では分かる

親から離れて生きることが不可能なため従うしかない

生きるために長女は自分の心に嘘をついて行動していた

 

今長女の中には

いろんな感情が恨みとなって存在している

大なり小なりあるはずだ

 

そんな気がしてならない

 

私がダウンしたら

理想では主人と次女と協力して自分達の事をして欲しかった

進んで取り組んでくれる姿を望んでいた

 

きっと長女もそんなことは頭では分かっている

でもその行動が出来ないくらい

周りに対しては無気力なんだ

 

また私が先回りして

自分の役割を頼もうとしたことがいけなかった

 

動き出さないかも知れないが

長女が自分で考えて行動するまで

じっと待たなくてはいけなかった

 

自分のことは自分でやる

長女が自分で決めること

 

そこへ私が先回りしてこうしてくれたらいいな

これやってくれたら家族が助かるのになぁ

といった感情を持ってしまい期待してしまったから

いけなかった

 

私も劣等感を長女に植えつけて育ててきた

もちろんそんなつもりで育ててはいないが

知らなかった、分からなかったでは済ませられない

 

そんな事子ども側からしたら知ったことではない

これが本当の気持ち

 

そんな風に思うのもよく分かる

なんせ私も親に同じことをされていたから

 

今までの我慢の結果

長女はふてぶてしい態度に出た

 

結局いくらそれが間違った行動に見えても

本当はそれが正しい、当然の姿

あれが本心なんだ

 

親子の間にも我慢は禁物

我慢の先には恨みしか生まない

 

いくら親だからと言って

今まで一生懸命育ててきたからと言って

間違っていたことを棚に上げてはいけない

 

体調不良を起こしたからと言って

軽々しく助けを求めてはいけない

 

もし私だったらと考えたら

答えは同じ

私も長女と同じ行動をとる

 

 

そして気付いた

 

長女の姿は

私が望んでいた姿

自分がやりたかった姿

 

イヤなものはイヤ

自分の意思表示ができる長女がうらやましかったんだ

 

今までの私なら長女の姿にイラついていた

でも今回はさほどイライラしなかった

 

これは自分の本当の願望を認め受け入れているため

イライラが生まれなかったのかも知れない

 

単純に自分も本当はそうしたかったんだ

 

親に頼まれてもイヤなものはイヤと言える

拒否できる私になりたかった

 

そして今そんな自分になりつつあるため

イラつかなかったんだ

 

まぁイラつきはしなくても

”役に立たない”と思った時点で

まだまだ人としてアウトだけど

 

要するに

人の行動・姿を見てイライラする時は

自分も同じ事がしたいんだ

 

ずっと我慢して他者の言いなりになって

他者の要求に応えてきたため不満が蓄積してる

 

そして

同じような状況にいる人が

自分とは違う反応をして同じようにやらないとイライラする

 

自由に行動している人にイラつく時は

自分が我慢してきたせいなんだ

 

相手が悪いわけでもなんでもないんだ

 

結局

どうしてあなたと私は同じ立場にいるのに

あなたは自分の意思に忠実なの?

なぜ自分を優先できるの?

 

私は我慢してやってきたのに

なぜあなたは我慢してやらないの?

 

これが心の中に生まれモヤモヤを作りだす

 

そして人に対して自分がしてきた事と

同じ事を強制したがる

 

たぶん自分を正当化するためだろう

 

どこまでいっても

やられたらやりかえす世界

これは親子関係からスタートするんだろう

 

この負の感情は間違っている

 

長女の身になって

『分かるよ~イヤだよね~』

だって私も同じこと経験してきた

知っている、分かっている、私も嫌だった 

 

これでここで終わらなきゃダメなんだ

 

長女を通して過去の自分と今の自分をなんとか受け止めた時

私はイライラ・モヤモヤから解放された

 

ヤバいなこの体調不良

すごい収穫だ

 

これぞ問題が起きた時が学びの時!

 

しかし

子どもを道具扱いしているのは

やっぱりけしからん😤😤😤

気持ちを改めなきゃいけない

 

まだまだ未熟な親だ

未熟な人間だ