何を食べたかで人生が変わる  

毎日こころ豊かに グルテン・カゼインフリー 米粉・大豆粉・オートミールに助けられて生きている

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我が家は”明るい不登校”です

不登校』っていうだけでなんだか悪いことしてるみたい

もちろんそんなことはないって

頭では分かってるけど

 

世間や今までの常識のイメージが強すぎて

ネガティブな言葉に聞こえる

 

だから我が家では不登校は悪くない

そう意識したくて

”明るい不登校って名付けた

 

当時小学3年生の次女の担任の先生は

最初毎日電話をかけてきてくれた

 

次の日の持ち物と宿題を伝えるために

そして次女の様子を伺うために

 

毎日30分ぐらいは話してた

 

毎日電話をくれるんだけど

次女の様子はこれといって変わらず

『明日こそは行くぞ!』なんて気は起こらなかったから

『暖かくなるまでは学校へ行かない』と言っています

としか伝えようがなかった

 

初めは先生から電話が来るたびに

『今日の宿題は何?』ってそわそわしながら聞いてきて

宿題の範囲が分かると速攻で宿題に取り組んでた

 

学校へ行かないと宣言してるのに気になるらしく

宿題をやらないと落ち着かなかった

 

毎日の電話で状況確認されて

申し訳なさそうに先生が話すから

こちらもさすがに申し訳ない気持ちでいっぱいになった

 

先生は学校へ来てほしい

でも娘たちは行きたくない

そんなやり取りの中でだんだんとネガティブな方向に心が傾いていく

 

先生の気持ちを汲みたい

待ってくれる人がいるならそれに応えるべきでは・・・

なんだか気持ちが外に向いてる気がした

 

人の顔色 周りの目

みんながどう思っているのか・・・

どう思われているのか・・・

なんだか気になって

大事なことに霧がかかってきた

 

一番大事なのは

娘たちの気持ち

この気持ちと外への気持ちが交差して妙に疲れてた

 

外へ意識が向いてる

自分では気づかないうちに

いい顔をしようとしているような気がした

 

すると

先生と電話する度に迷いが出てくる

 

いつかは学校へ戻さなきゃいけない

どうしたら戻りたいって思うんだろう

 

先生と連絡を取るとなんだか義務感に苛まれる

 

私自身が落ちていくような気がして

娘たちに悪い影響を与える気がした

 

だんだんと自分が辛いと思うようになり

2週間目ぐらいには

電話を控えてもらうようお願いした

 

『学校へ行けそうなときが来たら通常の時間割に沿って持ち物を持たせます』

『忘れ物があっても叱らないでください』

とお願いをして電話連絡の頻度を減らしてもらった

 

朝の欠席連絡も今はない

 

最初は毎日連絡してた

でも電話の時間になると娘たちの気が重くなり

私もどんよりしてした

なので

教頭先生に電話連絡をやめたいとお願いしたが

1週間に1度は連絡が欲しいと言われ

毎週月曜日の朝電話してた

 

小学校の教頭先生は女性でとても明るく優しかった

最初に学校を休む時

体調不良ですって嘘をついて連絡したから

コロナ時期もあってかなり心配された

 

でも毎日続く電話連絡

早い段階で体の調子ではなく心の調子が悪いと告白した

 

教頭先生の明るい元気な声がとても嬉しかった

また時々私のことも労ってくれた

 

『お子さんも大変だけどお母さんの方がもっと大変だからね、無理しないでね。

学校で手伝えることがあれば声掛けてね』

『学校ではスクールカウンセリングもあるから一人で抱え込まないでね。利用したくなったら教えてね』

と言われ泣きながら

『ありがとうございます』と答えた

 

外の目やこの先どうなるのかを気にしていた時期でもあったから

あの時の優しさはとっても心に沁みた

 

それでも一週間に一度の電話連絡さえ

日が経つに連れて泣きべその電話連絡に変わっていき

かなりしんどかった

 

次女が4年生になって

始業式の日の夕方

新しい担任の先生から電話連絡が来た

教科書をもらいに学校へ出向き

先生と顔を合わせた

 

次女の今までの経緯

現在の状態

これからのことを話した

 

親としては無理やり学校へ行かせる気は全くない

本人が行くと言いだすまでは学校へ行かせるつもりはない

そう断言した

 

そして

学校への電話連絡はもうなしにして欲しいともう一度お願いした

 

相手が教頭先生ではなく担任の先生だったからなのか

すんなり受け入れてくれた

2月からずっと学校へ来ていないので

簡単には戻らないと考えてくれたのかな・・・

それとも諦めたか・・・

 

まぁどう思われてもかまわなかった

 

よって小学校への朝の電話連絡は4月の始業式以来なくなった

 

今は先生と私とで互いに連絡がある時に連絡を取り合うというルールに変わった

 

正直朝の電話連絡がないのはかなり楽

朝から罪悪感ありありの電話から一日がスタートするのはしんどい

 

 

長女は中学1年生

入学式は私たち親子一緒に出席ということもあって

なんとか頑張って学校へ行った

 

それでも入学式以外では3日しか登校できなかった

入学式の翌日、あとはいつだったかな・・・忘れた

 

提出しなきゃいけない書類があるから

健康診断があるから

などの理由でなんとか頑張らせた

 

2ヶ月間学校へ行っていなかったから

6限目まで学校にいることがとてもしんどかったよう

 

学校という場所・空気感が合わなくて

帰宅するとぐったりしてた

表情も暗い

 

小学校から中学校へ場所は変わっても

学校という空気感は変わらないためか耐えられなかった

 

進学して少しは環境が変われば学校へ行けるかなと

甘い期待をしてみたけど

長女にはしんどい場所に他ならなかった

もちろん長女自身もそれほど大きく変わったわけではないので

無理もない

 

それでも長女もまた自分自身に期待していた

入学式の前までは

『中学校って楽しそう』

『体育祭や文化祭があるんだって』

『中学校は行くよ、行けそうな気がする』

そう言っていた

 

でもたぶんそう思いこまなきゃやってられなかったのかも

無理しているような感じが強かった

 

リフレッシュ休暇のつもりが

いつの間にか出口の見えない迷路に迷い込んでた

 

日が経つにつれて心配度は大きくなっていく

 

でも悪い方へは考えたくない

実際自分達は悪いことをしてるわけじゃない

 

だから堂々としているためにも

 

我が家は”明るい不登校です

そう宣言した

 

先生たちもいろいろ気にしてくれる

でもあまり気にされたくないから

『”明るい不登校”だからね』

『気にしないでね』と先生にも私自身にも言い聞かせた

 

そうしないと気が重くなる

 

実際次女は本格的に休み始めてから一度も学校へは行っていない

3月の修了式・4月の始業式

進級してクラスも変わったけど一度も学校へは行っていない

 

まぁここまで来ると諦めというより

この方がいいのかもって思えてくる

 

娘たちはただ学校という場所に合わなかっただけ

そうそれだけ

 

まぁ実際はそれだけじゃなくていろんなことが絡み合っているんだけど

学校に合わないっていう考えは変わってない

 

別に娘たちが悪いんじゃない

正直に言えば悪いのは私だ

 

でも下を向いてても始まらない

娘たちが学校と言う場所に合わないなら

娘たちがのびのびと生きられる場所を探すしかない

娘たちに合った場所に出会えるまで待つしかない

 

だいたい幼稚園・小学校・中学校・高校と

先生に任せっきりにしていたのが間違ってた

 

私の役目は生んで終わりじゃない

 

自分の子は自分で育てる

そこへ戻ってきただけ

 

ただ自分が育ってきた世界と違うもんだから

正直どうする?ってなってる

 

人と違う生き方を選ぶってとても大変!

 

だってよくわからん

知らないもん

 

不安になったり心配になったり

でもこの気持ちを娘たちに垂れ流すのはよくない

 

娘たちが身動き取れなくなってしまう

親が不安になれば

子も不安になる

 

まぁ初めてのことだから仕方ないよね

手探りでいくしかないよね

 

そう思って開き直るしかない

 

もともと決められたレールに乗るのが嫌いな性格

だったらレールから外れた人生を楽しめばいい

堂々とレールから脱線できる

結構わくわく

 

食生活もそうだけど

みんなが3食食べるから私も3食食べる

みんながこれがおいしいから私もこれを食べる

 

これが私には合わず、むしろ体を壊していた

だから一日一食のグルテンカゼインフリーの食生活

 

そしたらベストコンディションになった

 

みんなの常識は私には当てはまらない

ということはみんなの子育て・教育方法も

私には当てはまらないのかも

 

みんなと違っていいかもしれない

 

娘たちには何度も

『世の中と違う生き方をするってことは大変だよ』

『簡単じゃないからね』

そう言ってきた

 

その時は本当に不登校になってこのまま学校へ行かなくてもいいの?

って思っている時期もありそう話していた

 

後から後悔されても仕方がないからね

 

でもこれって私にも言えること

世の中と違う生き方は大変・・・

でも世の中の常識が私たちを苦しめているなら

解放する方法を見つけるしかない

 

それが私の望んでいるものだとしたら

その道に進んだ方がいい

 

誰のせいにもしない

誰のせいにもできない

自分で選んだ子育て・教育

 

私は食生活を変えたように変えられる

 

そう考えた時

とても気持ちが楽になった

 

自分なりに学び知識を得てそれを実践していく

失敗したら修正しまた実践する

 

生きていくことはこの繰り返し

 

主人は娘たちに

『自分達が思っている常識を見直す機会を与えてくれたんだね』と

言っている

 

たぶんこの娘たちの不登校がなければ

何も考えずに娘たちを学校へ送りだしてた

 

学校へ行くのが当たり前でなぜ行くのかなんて考えてこなかった

みんなが進む道

ただそれだけの理由で学校への生活を強いてた

 

学校で娘たちが何を学び、何を感じ、何を得ているのかも知らずに

ただ常識という言葉に甘えて考えることをやめていた

 

これはただの怠慢だ

 

だから夫婦で娘たちを理解し

新しいライフスタイルに変えようと考えた

 

でもこうやって前向きに取り組もうと決意すると

大抵邪魔が入る

 

『子供に今の状態がちゃんと理解できてるのか?』

『学校へ行かないと将来がないぞ』

『子供に判断なんてできっこない』

『子供の意思を尊重しすぎだ』って

言う大人が出てくる

 

この大人が近所の人や他人ならまだしも

身内となるともうしんどい

 

不安になってる親や子供にグサグサと言葉の暴力をふるう

 

それ暴力ですけど

それいじめですけど

わかってますか?

って聞きたい

 

そうこれ 

これが一番厄介😢

 

この一番厄介な大人が正真正銘私の父と母です

本当悲しい・・・

 

次第にこの二人が私の天敵となっていき

私たちの”明るい不登校”を邪魔するのです