何を食べたかで人生が変わる  

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心の安全基地に過指示・過干渉・過保護はいらない

2022年2月から娘たちが不登校となり

いろんなことに向き合う時期が訪れた

 

不登校問題で一番の原因は心のエネルギー不足

 

ではなぜ心のエネルギー不足が起きているのか考えてみた

そこで出てきたのが

『心の安全基地』

 

『心の安全基地』がきちんと出来ていないがために

エネルギー不足を引き起こす

 

『心の安全基地』とは

精神的に安定し、保護される守ってもらえるという保証がある環境のこと

これは子供も大人も同じ

 

子供は養育者などの信頼を寄せる人がいることで

自分から周囲の環境に関わっていき、自発的・自主的な人間に成長する

そして

安心して帰れる場所がある

困った時には必ず助けてくれる大人がいる

この安全基地があることで子供は主体性に育っていく

 

この主体性は現代の社会で求められている力

 

自分で考え、判断し決断する

そして責任をもって行動する

 

今はITの活躍でいろんなことが最適化され

人が身を削って働かなくてもよくなりつつある

そこでこれからの人に求められてることは

ITをうまく使いこなす考える力

それが出来なければ社会に通用しない

 

少なからず私が学生だった頃は

知識の詰め込み、暗記で学業・学歴は

なんとかなった

でもこの先の将来はそうはいかない

 

知識はネットでググれば簡単に見つかる

ということは

その知識・情報をどう使いこなすかが重要

 

娘たちが社会に出るころには

決められたことを決められたとおりにこなす人なんて

もうたいして必要のない時代になってる

 

なのに私ときたら

心配する気持ちが先回りして

娘たちのためにとあれもこれも手を出してきた

要するに

過指示・過干渉・過保護

 

こんなこと親なら当たり前で

多少のことは仕方ないのかなって思わなくもない

 

でも過指示・過干渉・過保護のせいで

言われたとおりのことしかできない

言われたとおりのことしかしない

指示待ちちゃんに育ってしまったら

 

『自立』どころじゃない

将来何もできなくなってしまう

 

何が大変って

娘たちが

一人で何もできない

一人で何も決められない

一人で何も責任が取れない

 

そんな風になったらいけないと思い

いろんなことを先回りして教えてきたつもりが

ただのおせっかいだった

不必要な指示ばかりだったということ

 

大人になって苦労しないためといろいろやってきたつもり

でもそれはただの親の自己満だった

 

過指示・過干渉・過保護の3つが揃うと

・子供に主体性が育たない

・自分で考える力が育たない

・親や人の顔色を伺う

そんな子に育ってしまうようだ

 

というか私がそんな子供だったような・・・

 

自分と同じようにはなって欲しくないという思いが

そこへフォーカスしすぎて

同じことの繰り返しをしてしまっていた

 

そうもうすでに娘たちは

これらの傾向が出てる

 

例えば

何も決まっていない状態で「今何をするべきか?」

ということを考えることは苦手

 

その時に本当にしなくてはいけないことがあったとしても

何をすればいいかなどと自分で考えることはあまりしない

指示をされるまで動けない

または動かない

 

幼い頃から幼稚園や学校へ行く時に

全て準備を手伝い次から次へとやるべき行動の指示を出してきた

「○○持った?○○の用意は出来てる?」

 

学校から帰宅すれば

「手を洗った?うがいした?宿題はあるの?」など

一つ一つの行動の前に確認の意味も含め声掛けしていた

 

その積み重ねが娘たちを一人では何もできない子

にしてしまった

 

私が頑張れば頑張るほど

手をかければ手をかけるほど

娘たちは私に言われてからしか動けない子

として育ってしまった

 

幼い子が費やす時間を私が理解できずまたは待てず

大人の時間と同じ感覚で考え、幼い我が子の時間を待てなかった

待ってあげるということを怠った

 

それが娘たちの考える時間

考える必要性を私がこの手で

奪っていったんだ

 

だから私が居ないと

この年齢ならできるであろう行動も

私が手伝ってきた故に

出来るはずなのに出来ないという問題を作ってしまった

 

私が自分の『母親という価値を生み出すために』

一人では何もできない子

私が手助けしなければ何もできない子

そんな娘たちを育て上げてしまった

 

すると周りは出来るのに自分はできないという場面に遭遇し

長女は『みんなは出来るのに自分は出来ない』と

自分を追い込んでいってしまったのかもしれない

 

心配する気持ち、良かれと思ってついつい細かく声掛け

そして自分の存在価値を確立させるために

私はいろんな先回りをしていた

 

いやそもそも良かれと思ってやっていたことなのか

それすら分からない

 

娘たちの行動の責任が親に帰ってくる気がして

親の私が娘たちを通して評価されるじゃないかと思って

びくびくしてた

 

そして自分がやってしまうことの方が

私は楽だったんだ

 

自分が先に立って先導していくことで

自分の気持ちが楽になることを知っていた

 

自分の気持ちを優先させた結果がこれだ

 

娘たちは次第に自分で物事を考えたり

判断したりすることをやめてしまった

 

常に

「言われたらやろう」

「言われたものを用意しよう」

という受け身の思考を育ててしまった

 

だから私はいつまで経っても

一人で出来るだろうことも

一人で考えられるであろうことも

一緒に取り組まなくてはいけない

 

なんで自分一人で出来ないの?

なんで自分一人で考えようとしないの?

なんで全てママに聞くの?

どうしてそんなことまで確認するの?

 

でもようやく分かった

 

私が娘たちを

私がいなければ何もできない子に育ててしまったんだ

私が娘たちの主体性を阻害していたんだ

 

この現実を受け止めることは結構きつい・・・

でも受け止めなければ先には進めないので

受け入れます

 

 

私はなんのために娘たちを産んだんだろう

主人と自分の子に会いたかったから

ただそれだけなのに

 

いつのまにか何か変わってしまったのかな?

もうそれすら分からなくなってしまった

 

そう言えば次女が小学校1年生の時

すでにこんなことを言っていた

 

『どうして私を産んだの?』

『どうして私は産まれたの?』

なかなか返答に困る質問だった

 

それと同時にどうしてそんなことを思うのかな

と疑問だった

 

でもきっとこの時から

自分で何も決められないという人生に嫌気がさしていたのかも

生きていてもつまらないと薄々感じていたのかもしれない・・・

 

そう言えば私も

子供の頃にそんな事を思ってた

 

両親には言えなかったが

『なんで産まれてきたんだろう?』

『なんで私を産んだんだ・・・』と

 

産んでくれてありがとうなんて思ったことないかも

親子なのかな~

せつないな・・・