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親が我慢すると子供も同じように我慢してしまう


家庭内暴力機能不全家族

子供自体が暴力を受けていなくても

目の前で家族が暴力・暴言を受けていれば

子供の脳には自分が受けていることと同じように刻まれる

 

 

理想的な『家族団らん』

家族で集まって仲良く笑ったり楽しい時間を過ごす

 

我が家4人だと比較的娘たちも自分の気持ちを

ある程度口に出して言える関係

 

でも祖父母が一緒だとなかなか言えない

 

祖父に対しては娘たちも

とりとめもないたわいもない話なら話せるが

自分の思いや意見を口にするということはあまりしない

 

ネガティブなことを言えば

『そんなこと言うもんじゃない』

『そんな風に考えるのは良くない』

などと言われ

いちいち訂正される

 

そして

常に自分の考えを押し付け話してくる

 

特別聞きたいわけではない

娘たちは愚痴りたいだけ

なのにちょっと言葉を発すると

いろいろ返ってくる

めんどくさい

 

私でさえ子供の時に

素直に自分の気持ちを表現したり、伝えたことはほとんどない

覚えていないだけ?

違う・・・自分の意見が言える家庭ではなかった

 

極端に言えば

『子供は黙って大人の言うことを聞いておけばいい』

そんなことが当たり前とされる家族だった

 

父は怖い存在で

母は父に今で言うDVみたいなものを受けていた

 

子供の頃

父が母に手を挙げたことが一度あり

それは仕方のないことだと思っていた

なぜなら父が母を悪く言ってたから

母が悪いことをした、だから殴られるんだ

仕方のないことなんだ

親にそう言われればそう思ってしまうのが子供だ

 

父の意志にそぐわないことをしたり言ったりすれば

真っ向から否定される

そんな母の姿をずっと見てきた

罵倒される母をよく見ていた

 

そしてそれに耐える母の姿もずっと見てきた

 

正直愛情にあふれた家庭とはいえない

だから

子供の頃の楽しい思い出・・・ない

父はどこどこへ行って楽しかったなどと話すが

そういった記憶は綺麗さっぱり消えている

 

私はこれっぽちも思いだせない

まじで記憶にない


だから過去の話を楽しそうに話されると、途端にシラケる

 

幼少期の記憶

母が怒鳴られ、叩かれ

それを庇っている私の姿

それがずっと記憶にある

 

これがフラッシュバックするので

何度も何度も母が叩かれている記憶に

作り変えられている

 

だから私も父に反抗すれば叩かれると

どこかで怯えていた時期もあった

 

まぁ今は主人がいるのでそんなことにはならない

そして

父も年をとり性格もある程度穏やかにはなったが

自分の意志にそぐわない出来事が起きた時は

やっぱり真っ向から否定する

 

それは変わっていない

 

こんな幼少期を送ってきたせいか

私は母が受けていた痛みを自分が同じように受けていると錯覚し

そのDVに我慢し耐えている母の姿を見てきた私は

同じように黙って我慢するということを無意識に覚えてしまった

 

だから自分が何か感じて何か思って何か発言しても

いつも父に言いくるめられ反対され

理解しようとしてもらえたという記憶がない

 

その当時は自分が幼く無知な存在で世間を知らないから

だから自分は間違っていて

父が正しいんだとばかり思ってた

 

でもどうやら違った

 

私が幼少期に両親のケンカを見て感じたことは脳の仕組みで

ミラーニューロン”が働いている状態

ミラーが「鏡」ニューロンが「神経細胞

 

これは相手の行動やそれに伴う感情を読み取り

「鏡」に映したように自分の脳が、相手と同じ動きをすること

 

母が怒鳴られ、殴られている姿を私が見る

すると私も同じように父に怒鳴られ、殴られている感覚になる

要するに共感してしまうということ

 

両親のケンカを見せられるたびに私も怒鳴られ殴られていたんだ

だから父のことが怖かった

 

そしてその行為に対して

我慢して耐えることがスタンダードだと考え

そうするもんなんだと思い込んでいた

 

よく子供の前で夫婦喧嘩はよくないと言う

ミラーニューロンの働きで夫婦のケンカで発する言葉が子供を傷つけている

ということになるからだ

 

我が家では私たち夫婦はほとんどケンカはしない

基本的に主人が穏やかで私を丸ごと受けとめてくれる人なので

言い争いになることもない

 

なのに同居している私の両親は

今でも意見が違うと父は頭ごなしに否定する

 

私もいい年なのでちゃんと意見を言えるようにはなったが

基本素直に話を受け入れてもらえることはない

 

そして父と母のケンカでは

今だに大きな声で怒鳴り合ってる


昔に比べれば頻度は少なくなったがゼロではない

そしてケンカを娘たちがいる前でも平気で始めてしまう

 

何度か

『子供たちの前では大きな声を上げて言い争いをするのはやめて』

とお願いしたが、頭が固く古いせいか

『家族とは言いたいことを言うもんだ、ケンカして何が悪い。ここは俺の家だ』

っと言われてしまった

 

情けなかった

自分の親の器が小さすぎて恥ずかしかった

 

家族って何だろう?家族だからなんでも許される?

家族だから言いたいこと言って傷つけてもいい?

 

そんなわけない(ノД`)・゜・。


両親のケンカが始まるとすぐに娘たちを別室へ行くよう促すが

やっぱりケンカの後は空気が悪く居心地が悪い

 

そしてすぐに仲直りをするということもしない

これは私が子供の頃から変わっていない

ずっとマウントの取り合い、タチが悪い

 

ただ時間が過ぎてなんとなくうやむやになるのを待つ

 

娘たちはそんな家族の中で暮らしている

だから学校で疲れて帰ってきても

家の中が安心できる場所じゃないから

心のエネルギーが枯渇してしまうんだ

 


残念ながら我が家は雨風がしのげる家はあるけど

心のエネルギーを回復させてあげられる場所は提供できていなかった

 

結局私が幼少期に体験してきたミラーニューロンのおかげで

何もかも自分さえ我慢すればなんとか治まる

自分さえ我慢すれば・・・という姿勢が

娘たちに伝染していたのかもしれない

 

こんな家族の中では自分の考えや思いを

素直に発することは難しい

 

娘たちは娘たちと思っていたが

そう簡単には切り離せない


私でさえ言えなかったのだから

娘たちだって同じだ

 

私の母もずっと否定され続けてきたので

自分の意思を伝えたところで受け入れてもらえないのは

分かってる

 

こんなことの繰り返し

すると何も言わなくなる 言えなくなる

我が家の女は代々そんな風に生きてきてしまった

 

こうなると些細なことでも

話す機会、自分の気持ちを表現する機会が乏しいので

自分の気持ちを話せなくなる

 

それが娘たちの不登校という形で

目の当たりにすることとなった

 

娘たちがいろんなことにやる気をなくし

無気力になった理由は

 

常に自分の気持ちを発信できない環境にいるから

そして家族の中でさえも

自分の気持ちをさられけだしていないから

自分の気持ちも分からなくなってしまった

 

今まで私や母が父に対して

いろんなことを我慢し目を背けてきたせいで

 

娘たちの心の声が聞けなくなってしまった

そう思うと

幼い時の自分の不甲斐なさが蘇る

 

でも娘たちは私とは違う

 

形はどうであれ言葉で表現できなくても

不登校という形で表現してくれた

 

そして私はそれに気づいたんだ

少しづつ正しい形に直して行こう

少しづつ進もう

 

まずは自分の気持ちを少しづつ言える環境を作ろう

小さなことから自分で選んで決めて

自分の言葉で伝える

 

それを親子で取り組もう

 

まずは今日のおやつは何にする

これとこれどっちにする?

この簡単な選択の積み重ねが少しづつ

娘たちの自信となるように・・・