何を食べたかで人生が変わる  

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愛着障害の私 母も私も娘たちも回避型愛着かも

★私は不安定型の回避型愛着

私が赤ちゃんの頃の話

私はよくおっぱいをいっぱい飲む子だった

そして

その度に噴水のように吐き出していたと言う

 

これが母と父の中では食欲旺盛

おっぱいをよく飲む元気な子と勘違いされていた

 

私も長女を産んですぐの時はよくおっぱいを吐かれていた

泣くたらおむつを替えて

おっぱいをあげる

授乳が終わってもまだ泣く

だからまたおっぱいかなと思い

また授乳させる

 

赤ちゃんって不思議で

お腹いっぱいでもおっぱいをくわえると

またちゅぱちゅぱする

 

だからまだ欲しいんだ

足りなかったんだと思い勘違いし

結果、たくさん飲ませてしまう

 

すると今度はたくさん飲みすぎた為吐き出す

噴水のように吐き出すから

私も長女も服はぐちゃっぐちゃ

一日に何度も洗濯をしていた

 

その時あ~同じだと思った

私が赤ちゃんの頃と同じ

 

私は母と同じことをしている

泣く=おなかが空いた

この認識が間違いだった

 

要するに吐き出す理由の捉え方が違っていた

 

おっぱいを吐き戻す理由は

ただの飲みすぎ

これだと赤ちゃん側に問題があるように感じる

実際私も母もいっぱい飲む赤ちゃんが悪いと思っていた

赤ちゃんがおっぱいを欲張って飲みすぎてしまい

吐き出していると思っていた

 

でもたぶん違った

食欲旺盛で飲みすぎるのではない

ただ単に赤ちゃんの泣く行為を

お腹が空いたと勘違いして

母親が無理矢理飲ませるから

赤ちゃんは苦しいって吐き出すんだ

 

そしてそれが不快だから泣き続けるんだ

泣く=おっぱい、おむつ替え

と理解していると赤ちゃんの欲求は満たせない

 

伝えたいことが違う

これを理解するのに私は自分の親ではなく

叔母からの助言で理解した

 

最初の頃頻繁に噴水が続いて

てんてこまいだった

父は吐き出す長女をみて不安になり

病気じゃないかとオロオロしだし

すぐに病院へと言いだす

 

そこで私は叔母に相談した

 

叔母は笑って教えてくれた

『授乳は時間通りでいいの、それ以外に泣くときは

抱っこしてあげなさい』

『泣く=おっぱいじゃないわよ』

そう教えてもらい抱っこしてあやすことにした

 

そして早い段階でこの授乳の噴水は終了した

次女の授乳時は噴水されたことはなかった

二人目は学習したことが活かされていて

無理矢理飲ますことにはならなかった

 

だから親の勘違いだった

もうこの時点で赤ちゃんに寄り添えていなかったんだ

 

私の母は長女が噴水する姿を見て

あぁ~自分の時と同じだわって

思い出に浸っていたのを覚えている

 

要するに自分の時も同じだったから

たいがい赤ちゃんはみんなそんなもんよ

と言いたいわけだ

経験者はみんなそうやって自分の体験と交差させ

物事を判断する

 

それはいい時もあれば悪い時もある

こう言われた時は本当にそう?

って疑問を持つ癖をつけないといけない

常に責任は自分に帰ってくる

 

まぁこの時点で母は赤ちゃんである当時の私の気持ちなど

理解出来ていなかったということになる

 

よく父は赤ちゃんは泣くのが仕事だ

だから『ほかっておけ』そう言っていた

たぶん私はそうやって

ほかっておかれた赤ちゃんだったんだろう

 

家の中に居てベットに寝かされ

そばには居るけど親は相手にしてくれない

抱っこもしてくれない

 

その当時は抱っこをすることもあまりよいとは言わなかった

抱き癖がつくから抱っこはしない』

そんな考えの中で育てられたので

抱っこもあまりされなかったんだろう

なんだか想像するだけでムカムカしてくる

 

私はバカな親の元で娘たちを育ててしまった

主人と二人で大切に育てるべきだった

後悔しかない

 

赤ちゃんが泣く=仕事ではない

これだけは絶対に違う

 

泣く=今不快だよ、なんとかして~

眠たいのに寝れないよ~

お腹空いたよ~

抱っこしてよ~

 

きっといろんな意味が込められてる

答えは一つじゃない

 

もっと敏感に感じなくちゃいけなかった

でもこの親が取るべき寄り添いについて

教えてくれる人はいなかった

 

赤ちゃんを出産した産婦人科

赤ちゃんのお世話の仕方を教えてくれる

体の健康を診てくれる病院は体の機能部分を診てくれる

では心は?

 

体と同じくらい心も大切なのに

その大切な心の育て方、成長の仕方はどうして

誰も教えてくれないんだろう?

 

愛着を知っているようで知らない

愛着とは赤ちゃんが泣いて、笑って

親に自分の感情を受けとめてもらおうとアプローチする行為

これをしっかり親が観察して何を欲しているのか

何を望んでいるのか考え受け止めてあげることが大切

 

もうすでにこの時点で愛着の形成準備は出来ている

この泣くと言う赤ちゃんのメッセージを

親がどう受けとめ応えるかによって

愛着パターンが形成される

 

赤ちゃんが1歳になる頃には

愛着スタイルを構築しその愛着を土台に

赤ちゃん、子どもは成長していく

 

泣いておっぱいを飲んで寝ている間に

とっても大切な愛着という土台を育んでいる

 

赤ちゃんは一生懸命母親に合図を送った

それを泣くという行動で母親に伝えている

言葉が話せないからその時にできることで表現しているのに

私たち大人は泣くのが仕事だ

ってそれ以上を想像してこなかった

 

長女の時に気づいたのに考えなかった

もっとよく考えるべきだった

親の育児法など当てにはならない

学んではいけない

 

必要なのは誰でもない

我が子だ

我が子をじっくり観察すること

我が子に合った育児をすること

ただそれだけだ

 

私が回避型愛着だと思う理由

自分の今までの人間関係を見れば

すぐにわかる

子どもの時に身に着けた愛着の土台はそうそう変わらない

回避型・拒絶型愛着
回避型の子どもはこうやって心を育てる

赤ちゃん側

・愛着行動を起こす→親は無関心又は気づいてくれない

 →抱きしめてもらえないストレス→愛着行動自体をやめる

 

母親や大人側

泣く=仕事→ほったらかし→泣き止んだ→静かになった

→落ち着いたんだ、やれやれ

そして忙しい母親にとって好都合な状態が生まれ

これでいいんだと勘違いする

 

苦痛の合図さえ親に無視されるため

自分の苦しみには関心を向けてもらえないと考え

騒いで不満を表さない方が良いと考えるようになる

 

”行動回避”によって親との関係にうまく合うように

行動の仕方を変える

内面で苦痛を感じていても

外面に表すべき愛着の要求は最小限にする

 

要するに

赤ちゃんの時におもいっきり泣いてわめいて

母親におむつやお腹空いた

眠たいなどを訴えたにもかかわらず

母親は自分の所には来てくれない

抱きしめてくれない

 

こういったことが続くと

呼んでも来てくれないという

”がっかり感”を味わいたくない

このストレスを感じたくない

 

このストレス・不快感を避けるために

もう泣くのをやめようと決意してしまう

 

自分が要求しても見向きもしてもらえない

理解してもらえない

感じ取ろうとも汲み取ろうともしてもらえない

それなら自分の要求すらなかったことにする

こんなことが

小さな赤ちゃんの心の中で育っていく

 

赤ちゃんの心は荒んでいく

そして回避型で育った子は大人になって

自分が親になった時同じように赤ちゃんを扱う

 

なぜなら赤ちゃんの頃の本当の感情を知らない

そのため赤ちゃん側に立って気持ちを共有することは難しい

 

残念ながら自分の本心さえ分からないのに

我が子だからといって分かるわけがない

 

と これは私の子育ての経験談です

私は娘たちの本当の気持ちは今だによくわからない

 

子のストレスは母親

回避型の赤ちゃんがとる行動の気持ちめっちゃよくわかる

痛いほど胸に刺さる

大人の今でも基本考え方は変わらない

いろんなものの感情から回避する癖がある

 

子どもの頃を思い出すと涙が出てくる

その行動を取る理由が痛いほどよく分かる

 

私の両親は周りの情報

昔ながらの育児のままで

私を育ててきた

 

そして

それが合っているのかも合っていないのかも

考えなかった

もしくは考える余裕さえない生活だった

 

ただ赤ちゃんの世話をするだけ

おむつを取り替えて授乳して

泣いていても赤ちゃんは泣くもの

そのまま放置

 

はぁ~なんてかわいそうなんだ

そんな言葉も話せない時からそんな扱いで

成長して言葉を話す様になったら

扱いが丁寧になる?

寄り添ってくれる?

そんなわけはない

 

言葉を話し、気持ちを言おうものなら

『子どもはだまってなさい』

 

もう何も言えない

言っても仕方ない

そう思ってしまうのが普通

 

こんな扱いでは

自分の気持ちに蓋をするスキルを身に着けなければ

苦しくて悲しくて生きていけない

 

子どもにとってのストレスは親だ

 

私も娘たちにとってはストレスなんでは?

回避型の私に育てられた娘たちはおそらく

回避型愛着の傾向にある