何を食べたかで人生が変わる  

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親の一貫性のなさを私が親から受け継いだ結果 一貫性のない状態に違和感が持てない

★子どもの不安定は親が作り出している

私の父は機嫌のいいときと悪いときの差が激しい

それは私だけが感じていることではなかった

でもそれは長年ずっと変わらないこと

だから人の機嫌というものが

どういったことを引き起こすのかも

考えたことはなかった

 

我が家ではいつも娘達がリビングのTVを占領している

機嫌がいいときはその光景に何も言わない父

でもそこへ母と喧嘩した時など機嫌がグンと悪くなると

だいたい決まって言う言葉がある

 

それは

『いつまでゲームしてる?』

『またゲームばっかりして、他にすることないの?』

とお決まりのフレーズが飛び出す

 

これを言われると一気にテンションが下がる

娘達からすると

どうしていつもはそんなこと言わないのに

機嫌が悪くなると文句ばかり言うの?

 

いつもは娘達に甘い顔をして

『一緒にテレビ見るか?ゲームするか?』と

すり寄ってくるくせに

機嫌が悪くなると一気に爆弾を落とし始める

 

そう人はいつもご機嫌ではいられない

だから機嫌がいいときもあれば悪いときもあるのが普通

ここまでは問題ない

 

ただ父の場合は爆弾をいろんな所にまき散らす

そうなるともう学習してしまう

顔と感情を読みにいってしまう

 

常に大人の顔色を伺う癖は

こういったことの繰り返しで身につけてしまうと理解した

 

ゲームばかりしているから怒るならいつも怒ればいい

だけど父の機嫌の状態で怒り始めるからやっかい

 

もちろん母親である私も自分の機嫌で

娘達に八つ当たりすることもある

それは決まって時間に縛られている時

時間の焦りを感じるとき

必ずその矛先が娘達に向かっていると

今では自覚している

 

子育ての中で『一貫性』という言葉をよく聞く

初めこの一貫性の意味が分からなかった

なぜなら私の親にこの一貫性が見られなかったから

一貫性を自覚したことがない

 

要するに一貫性のある親の姿を知らないため

私自身も一貫性がない

そしてそれが悪いことに普通になっていた

 

一貫性のない親の姿とは

私の中では父親の機嫌が悪いときの姿

その姿とは父親の感情によって何でも物事がひっくり返るということ

 

いいも悪いも父親の感情一つで

ころころ変わってしまうということ

 

今日はにこにこでOKということが

私が何か間違ったことや気に障ることをした時には

途端にNGになる

父の機嫌を損ねるからもうどうしようもない

 

だから機嫌が悪くなるのは私のせいだと学習する

このことから私は幼少期から

親の顔色を伺い感情を読み取ってしまう癖がある

 

一つ失敗すれば過去の失敗もすべて芋ずる式に引っ張り出され

くどくどと愚痴を言われる

または説教される

我が家ではこんなことはよくある話で普通だった

 

でもこういったことは子どもの成長には悪影響でしかない

今の失敗で叱られるならまだしもそれ以外のことを持ち出して

上乗せして説教される

 

意味がわからないし、反省しようがない

でもこういったことが日常茶飯事だったため

疑問を感じることもなかった

親とはこういったもので大人とはこうゆうもんだ

そう認識してしまった

 

習慣とは怖い 慣れとは怖い

変だとも疑わなかった

疑っても仕方ない

だって変えられないから

そして回避癖もあるため

そこをいちいち問題視しなかった

考えてこなかった

 

子どもは常に自分が悪いんだと受け止めてしまう

どこまで行っても子どもは被害者で

親が加害者だと思った

 

 

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

 

愛着障害で私の父の葛藤型・とらわれ型愛着を学び

この引き金の要因が親の一貫性のなさだと知った

父は一貫性のない親に育てられたため

親や世界を信用できず

挙げ句の果てに自分さえ信用できない状態

 

気持ちや考え方が不安定で

すぐに周りに流される

そして人の顔色を気にするあまり

あっちでいい顔こっちでいい顔

八方美人なところが多い

 

自分の気持ちがブレブレで軸が常に他人にあるため

いつも周りに振り回されている

 

そんな世界に生きているから未来が不安でしょうがない

未来なんて誰にも分からない

なのにまだ見えない未来を想像して不安な未来にとらわれ

常に最悪なことを想定して行動し周りを巻き込みたがる

そして道ずれにしようともがき苦しんでる

 

未来を予測して備えることは必要かもしれない

それは危機管理能力が高いと言えば聞こえはいいが

これが周りを自分を苦しめているとなれば

話は別

 

父と母はもう70歳手前

この年代の人は戦後を生き抜いてきた親に育てられた世代

常に最悪を想定して行動して生きてきた

 

そんな親に育てられた父と母は

いつも最悪を想定しそれに備えて

慎重に慎重に失敗が命取りにならないようにと考えながら生きてきたよう

父は今も先の未来を想像して

何かと不安を感じ

怒りや恨みネガティブな感情を抱えている

そして一人では抱えきれず

家族にその不安を一緒に背負ってくれと言う

 

母は未来を想像し不安しか想像できないから

精神疾患になっている

 

もうみんないろんな時代背景で生きてきた

それは分かるが

その時の時代の思考をいつまでも引きずっていては

一緒には生きていけない

この父と母の世代と娘達の世代が上手く共存出来るわけがない

私達親でさえ娘達の今の時代になかなかついて行けないのに・・・

 

考え方を柔軟にしなければ娘達が死んでしまう

そう私は理解した

 

スクールカウンセラー

父の常に最悪を想定する行動は無視していいと私に言う

 

父の不安や責任は父で負うべきであり

家族で責任を負うことではない

ましてや父と私はもう家族ではない親族だ

責任を負う義務もないし共倒れする必要も無いとアドバイスする

 

私にはこの考えは頼もしい考えで心の支えになっている

やっぱりどこか娘である以上親を助けたいと思う気持ちがあるのは自然だ

でもこれまでの親子関係が素直にそう思わせてくれない以上

私は心から両親を助けたいとは思えない

もういいかげん勝手にやってくれ

 

今更娘にすがるな

老いに負け不安をまき散らすな

この感情がある以上私は自分の意思に反して無理する必要はない

そう自分に言い聞かせている

 

私の物事の思考の回避癖も重なり

いつも子育てに違和感があってもそれをスルーしてきた

 

でもこれをきっかけに我が家の子育てに関する一貫性を考えてみた

私が親の一貫性のない状態で育ってきて

私も一貫性のない態度を取ってきている

そして娘達はそれに疑問を感じていた

 

今まで常に娘達に寄り添うという一貫性はない

その必要性を理解していなかったので当然だ

 

でもそれで娘達はいろんなことに不安になったり混乱したりしている

なら私は考えなきゃいけない

 

一貫性のない対応は

心の調整を難しくする

安心できる場所がないと言うことはとても不安定だ

 

その形のない見えない不安といつまでも戦わなきゃいけないのは

回避させてあげたい

 

子どものうちに私達親が一貫した対応をしてあげれば

娘達は人間関係や感情に執着することもなくなる

 

『人の顔色を気にする子』

軽く受け止めていたが成長するとそれは大きな生きづらさに変わる

『自分の意見を持たず周りに気を遣う子』

それは気が利くと言われるかもしれないが

自分軸がないとも言える

 

子どもを育てる中で夫婦の中での共通の目的や意識

どういう風に育てるかと言ったルールみたいなもの

これが夫婦間でしっかり決められていないと

一貫性は保てないとも感じた

 

パパがこう言った

ママがこう言った

では娘達は困ってしまう

 

夫婦間の子育ての意識がずれずれだと

子どもを混乱させ不安にさせるだけ

 

これらの一貫性は言い方は違えど

いろんな本📖で学んだ

ようやく私も自分とリンクして理解出来た

 

親の一貫性のなさが

人間関係や感情に過度に執着させてしまう

 

逆に親が一貫した行動をとっていれば

「信頼できる人たちに囲まれている」という確信を持ち

その感覚を持続した経験が厳しい社会を生き抜く、たくましさを作る

そう学んだ

 

一貫性の対応を心がけるためには

大人が状況や機嫌や時間に左右されないこと

だいたい邪魔する原因はこの辺だ

 

だからそれだけゆとりをもった生活をし

どれだけ感情をコントロール出来るかがカギになってくる

 

そうじゃないといくら娘達に

『あなた達のことが大好き』

『あなた達のことをとっても大切に思っている』

と伝えても残念ながら伝わらない

 

思いは言葉だけでは伝わらない

常に親の態度、親の対応を娘達は見ている

 

たまにキッチンで作業していると

じーっと視線を感じる

次女がじーっと見ている

なんか監視されているようで怖い😱

 

一貫性のある対応  頑張ります(^_^)ゞ