何を食べたかで人生が変わる  

毎日こころ豊かに グルテン・カゼインフリー 米粉・大豆粉・オートミールに助けられて生きている

★当ブログはアフィリエイト広告を利用しています

我慢強い子は他人に我慢を強要する子に育つかも・・・私がそうでした😔

★我慢は必要?家族みんなで『我慢』から卒業です!

学校へ行きたくない

勉強したくない

何もやりたくない

 

子どもがそう言い出すとなぜか不安になる

”・・・したくない”=我慢が出来ない子と思ってしまう

そしてこの先の将来

苦悩の連続で我慢しなければいけないことばかり

それに耐えられるだろうかと心配になり

どんなことにも負けないめげない強い子

そんなたくましい子に育って欲しいと

どこかで望んでいたのかもしれない

 

だから我慢という現実から逃げる娘達を目の前にすると

なんだか不安になる

 

どうやら私自身がずっと子どもの時から我慢を強いられた

育て方をされていたようで

もう何が我慢なのかもいまいち分からないくらい

我慢のオンパレード

 

自分の意見が言えない

自分の考えを自分で受け止めない

我慢しっぱないで感覚が麻痺していた

 

そんな私の元で育てられた娘達は

知らず知らずのうちに

普通に我慢をする子に育った

 

こんなの当たり前だよね

自分の育ったように育ててしまうのが親

 

我慢を出来ない子,しない子の受け入れは

正直戸惑った

そして少なからず不登校になった当初は

親の私を不安がらせる声が多々あり

迷ってしまった

 

ネットの口コミで不登校をOKとするコメントもあれば

NGとするコメントもある

義務教育ぐらいの最低限の学力を身につけなくてどうする

将来困ってしまうのに親が甘く考えて放置しているだけ

ネグレクトだとも言う

 

そういった厳しいコメントを見ると少々めげてしまう

 

私の育て方で我慢に耐えきれず爆発した娘達

自分達と私に価値観の違いがあり

自己主張し始めた

 

まぁこれが第二の反抗期なのかな

次女は少々早い気もするが・・・

 

それを素直に受け止めていいものか

親の威厳を使って無理にでも親の価値観に合わせ

学校へ行かせるべきか

親の私だって迷う

 

だって私自身が我慢のない生活を生きたことがない

 

要するにここなんだと思う

私が我慢した生活を生き方をしてきたから

一番そばにいる娘達にも我慢の生活を普通にさせようとしていた

 

自分がイヤなことは人にはしない

でも『我慢』を我慢してると自覚してないため

我慢することがイヤなことなのかも分からない

 

本当自分のことが分からないって

困った話だな・・・

 

ただ義務教育に関しては

大学までは出たが最低限の学力が身につけられているのかと聞かれれば

?????完璧ですとは言えない

 

大学を卒業すればあの長い時間は何だったんだろうと思ってしまう

私は短期集中型で短期記憶には強い

あっという間に記憶出来る

でも長期記憶の練習は積んでないため

学んだことは試験が終わればきれいさっぱり忘れる

 

そんな勉強の仕方で試験は成績よくて

簡単に志望校の大学にも進学した

でも学んだことは試験を突破するための方法であって

生きていく術は学んでない

だから学校へ行っても役に立っていない

 

今でこそ本をたくさん読むが

学生の時は恋愛小説すらまともに一冊読めなかった

興味が無かったのか読む楽しさを知らなかったのか分からないが

今では考えられないくらい本が読めなかった

 

漢字も本を読めばいっぱい目にする

でも漢字はなかなか読めない

高卒の主人の方が漢字は得意

よく主人にこれなんて読むの?って聞いてしまう

すると『大卒の割には漢字読めないんだね』って笑われる

 

 

学校へ行くこと

勉強すること

何かを継続すること

 

それがそんなに必要なのかは分からない

多分自分で考えて進んできた道じゃないから

どうやっても役に立たない

強いて言えば役立たせる方法を知らないというべきかな

だから自分で決定することはとても重要になる

 

今はなんでもかんでも親の指示どおりに

子どもは導かれる

その指示に背くと我慢できない子=わがままな子

となっていく

 

少なくとも我が家ではそんな雰囲気があった

そう私が自分の親の目を気にして娘達に要らぬ

我慢を強要していた

 

娘達が不登校になるまでは

それは母親の役目で当然だとも思っていた

 

いまでこそ娘達の好きなようにやらせているが

好きだと言ってやり始めたことでも続かなかったり

ちょっと出来ないことがあり投げ出す姿を見て

 

『我慢のない子だね』っと言われるのを恐れ

無理をさせていたのかもしれない

 

自分がけなされるより娘がけなされる方が

心が痛む

娘は同性だから余計に自分の分身っていう感覚になるのかもしれない

 

心では好きなことすればいい

そう思っていても

日本人特有の建前

この建前が邪魔をして娘達に我慢をさせる

 

毎日学校へ行くこと

毎日宿題をやること

何かを始めたら最後までやり通すこと

 

でもそもそもこれって誰が決めたこと?

誰が学校へ行きたいって行ったの?

誰が勉強したいって言ったの?

 

これを言われると

そういえばそうだね

って感じてしまう・・・

 

そして『何もやらない』ということを認めると

本当に何もやらないということが起きる

 

これを見て不安に思い

また元に戻ってしまう

よってまた同じことの繰り返し

我慢させて無理を押しつける

 

まぁ今はこのパターンはもう通用しない

以前のようなおとなしい娘達ではない

イヤなものはイヤ

やりたくないものはやらない

はっきりと意思表示をするので

ある意味楽・・・

 

私がイヤな生き方に戻ろうとしても

娘達が許してくれない

 

だって私の心の中を知っている

もう分かってる

矛盾した生き方は苦しいだけだって

私に教えてくれる

 

我が家では娘達をはじめ

私も主人もみんな我慢をやめた

 

母親はこうあるべき

父親はこうあるべき

子どもはこうあるべき

こういった考えはだいぶ無くなってきた

 

そう家族みんなが我慢をやめなければいけない

娘達だけではなく

私も主人もみんな一緒に『我慢』を捨てた

 

誰かだけが我慢を強いられた状態になると

また我慢の連鎖が始まる

 

自分は我慢してるんだから

みんなも同じように我慢をするべきだ

こういったことが普通に起きる

 

私はこんなに頑張った

だからあなたも私と同じくらい頑張りなさい

いろんなことを強要する癖がついていた

 

それは社会人として働いているときもそうだった

みんなが出来ることを私もなにがなんでも出来なくては

そう自分にプレッシャーをかける

 

逆に私が出来ることを他の人が出来ないと

『えっ、なんで出来ないの?』って思ってしまう

 

社会人だから声に出しては言わないが

どうしても心の中で思ってしまい

自分より下に見てしまう自分もいた

くそイヤな奴だ

 

私は家でも外でも結局知らず知らずのうちに人に強要している

他人と自分は違うのに何でも同じと考えてしまう

そして出来ない自分がいたとき

もっと頑張らなきゃ

もっと我慢しなきゃという思考になる

 

そう考えると

頑張りも我慢もほとんど同じだ

 

頑張るとは困難にめげずに我慢してやり抜くこと

くだらない考えだ

 

相手を励ます言葉だと思っていたのになんか違う

そもそも困難にめげずに我慢してやり抜かなきゃいけない

そんなことが日常茶飯事に起きるなんて辛くないかい?

 

頑張るって言葉も我慢って言葉も封印しよう

もっとHAPPYになる言葉に変換したい

 

そもそも嫌いなことイヤなこと

不得意なことを無理にやろうとするから

頑張らなくちゃいけなくて

我慢しなきゃいけなくなる

 

それならそんな生き方やめてしまえばいい

少しずつやめて本当に自分にとって悪影響があるか検証しよう

 

生きていく上では

いろんな価値観を持った人達と共存していかなければいけない

そんなことは分かっている

思い通りにならないことなんて腐るほどある

いやそもそも思い通りにしたいと思っているのかな

 

だって自分のやりたいことをやっているだけで

他人にどうこうして欲しいとはあまり思わない

 

少なくとも好きなように生活している娘達を見ていると

私と主人以外には何も要求しない

 

だからそういった理不尽さの乗り越え方や

その理不尽さを乗り越えたという成功体験

これが必要なんだと今までは考えていたけど

大して必要ない

 

そう

我慢をいっぱいしてきた人が

我慢強くなるわけではない

 

大きな心の支え『心の安全基地』という土台を使って

我慢が必要なときに人は我慢をすることができる

 

要するに

心の安全基地の中でいっぱい甘えさせられいっぱい満たされた時

『よし、やってみようかな』って思えるわけだ

 

今まで我慢が必要なときに我慢ができるようにと

我慢の練習をさせられてきた私は

幾度となく他人にも娘達にも我慢を強要してきた

 

私が幼少期に我慢をさせられ続けた結果

このありさまだ

 

結論:いっぱい甘えさせいっぱい安心させること満たしてあげることが

娘達が強く生き抜く方法を身につけるための最強の手段だと知った