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精神疾患の母を心配する娘という立場を卒業したい 

精神疾患の母からの解放が自分の生きる道

7月の上旬

母の体に不具合が生じた

 

母は生まれたときから股関節が悪かった

45の時人工股関節を装着

あれから20年以上が経ち

金具が劣化してきたのだろう

夜中に人工股関節が外れてしまい

元に戻らなくなった

 

潔癖症の母は父に触れることが出来ず

トイレの中で身動きが取れ無い状態

家族ではどうすることも出来ず救急車を手配

 

4時間後にようやくトイレから出られ

救急車で病院へ搬送

母の人工股関節は簡単には元に戻せないとのことで

手術となり入院

 

夜中に事が起きたため誰にも気付かれず

3時間以上放置

その間にいろんな恐怖に襲われ

フラッシュバックが起きたよう

 

股関節よりも精神の方がパニックになってしまい

数日の入院が股関節のリハビリと精神も含め

一ヶ月ほど医療機関にお世話になった

 

私は母から離れられたので

入院自体はありがたいことだった

家に居ても引きこもっているだけで

精神の状態もよくはならない

 

スクールカウンセラーにも

私と両親は精神的にも物理的にも離れた方がいい

そう言われていたので

入院はいい機会だった

 

でも父は違った

どんどん不安に飲み込まれていった

これからどう生きていけばいい

どう生活していけばいい

と大げさに騒ぎ立て嘆いていた

 

父は昔っからおおげさ

風邪を引いたくらいで死ぬ死ぬと大騒ぎする

大騒ぎして心配されないと薄情だとわめく

そんな小さい男

 

でもこれには理由があることが分かった

つまり幼少期に泣いてわめいた時だけ

母親にかまってもらえたんだろう

母親が優しかったんだろう

だから自分の感情を大げさにぶつける

これが父の身につけた愛着行動

 

私と父の間には温度差があった

 

母が入院して毎日母と顔を合わせなくてもいい

これだけでかなり気持ちが楽で穏やかだった

そして娘達ものびのびしていた

 

母が引きこもっている間に父は

『ばあちゃんに優しくしてくれ』

『ばあちゃんに挨拶をしてくれ』

『ばあちゃんに話かけてやってくれ』

と娘達に声をかけていた

 

でもこれって違和感しかなかった

まだ子どもである娘達に

こんなことをお願いしてどうするんだろう

そして母はそれを望んでいるのだろうか・・・

 

父はいつも人の気持ちを先読みして行動する

でもそれを実際に母が望んでいなければ

ただの押しつけで迷惑な話

 

そして正直娘達は困っていた

なぜなら心の調子がよくない人に

何を話したらいい?

どう優しく声をかければいい?

 

精神疾患の母の心のケアを孫に求めるなんておかしい

そして自分が優しく母に接する事が出来ないからと言って

その変わりを孫にさせるなんてありえない

 

そんな状態だったので

娘達も母が入院してほっとしていた

 

『愛着の子育て』

これをきっかっけに精神疾患の母に何を言っても

何をしても無意味だと知った

そもそもやり方が違っていたんだと分かった

 

現に今まで何をしても何をやっても母は変わらなかった

躁鬱病潔癖症強迫神経症

年々悪化している

 

ここ数年は食生活の変化で落ち着いていたが

問題が起きたときにはそれだけではカバーしきれなかった

 

グルテンカゼインより強敵なのはストレス

このストレスによって精神疾患の症状は浮き沈みする

母のストレスの元が

パートナーである父である以上

もうどうにもならない

 

今まで症状の出方に波があり

その波をなんとか沈める

避けることしかしてこなかった

 

どうして波が起こるのか

どうして波が荒波になるのか

その波がどこから来てるのか

考えても来なかった

 

いや分かってはいたが

二人共がそこから目を背けていた

 

根本的にやり方を間違えていた

そう今まで母に対して

母の精神疾患という病気に対して

私達家族は対処療法しかしてこなかった

 

根本治療をとは考えてこなかった

体の病気も心の病気も

病院へ行けばいつも対処療法で薬が処方される

そして症状を和らげ落ち着かせるため

治ったかのように錯覚する

 

だけど根っこは変わっていない

根っこにアプローチをかけていないから当たり前

 

精神疾患は病気ではない

思考の癖

この癖を自覚し認めることが

本人も周りも解放されると分かった

 

父と母そして私は元々のやり方を間違えていた

母の精神疾患を病気と捉えいつか治るはず

そして治らないことにイライラし

同じ事を何度も繰り返してきた

ずっとあるはずのない答えを探していた感じ

 

母が入院している間に”愛着障害”を学だ私は

なぜ母が精神疾患

なぜ父と母が上手く夫婦関係を築けないのかを理解した

 

だからもう同じ事の繰り返しはやめよう

そう決意した

上っ面のその場しのぎの生活、生き方はやめる

 

少なくとも私はもう両親から手を引くことが一番だと理解した

それが娘達にも良いと信じた

 

父からすると私はどんどん母に冷たくなり

母が孤立していくように感じられたよう

入院している母を心配したり

かわいそうなどという感情は一切口にしなかった

そして病院にも一度も顔を出さなかった

 

コロナの影響もあってお見舞いは病院側が拒否

これが幸い私の助けとなった

 

いつもなら家族なら病院に顔を出してくれ

娘なんだから母に会いに行ってくれ

そう言われてもおかしくはない

 

でも会いたいとも思わないし

めんどくさい

したくないことはやらない

 

どちらかと言えばもう帰ってこないで欲しい

そう願っている私だ

そんな娘が会いに行くわけがない

 

以前はこんな風に考える自分が悪いような気もしていた

母に対して大切に思えない感情が湧き上がったときは

いつも心にしまっていた

 

でも今はそんな風に思う自分を責めなくなった

ただ今はそんな風に私は思っているんだな

そう思うようにし、悪いとは感じない

 

だって仕方ない

そんな風に感じさせているのは母で

私が抱いている感情は別に悪くない

もう無理に母を心配する必要はない

 

私は自分の気持ちをそのまま受け止めることにした

端からみれば冷めてるように感じるかもしれない

でも実際冷めていると感じるのは父だけだった

 

家族にもスクールカウンセラーにも叔母にも兄弟にも

私は気持ちを伝えた

でも誰もジャッジしなかった

そのまま受け止めてくれた

 

なんだ自分が思っているより私って別に悪くない

やっぱり私が気にしているのは

人の目ではなく親の目だと確信した

 

自分の気持ちに向き合うようになり

どんなことでも受け入れるようにしたら

すごく楽になった

 

私が何を思っても

誰も怒りはしない

私が自分の気持ちを認めて受け止めるだけで

心はこんなにも軽くなるんだと肌で感じた

 

娘だからって親を擁護しなきゃいけないわけじゃない

こう考えられるようになり

義務ではないことも自覚し始めた

 

ただ父だけは私のこの気持ちを不安がった

自分たちの将来を助けてくれる娘がもういない

この先どうすればいいんだろうと

お先真っ暗な状態を想像している

 

それでも私はもう自分の気持ちは無視しないと決め

父の不安はスルーした

 

母は入院中よく看護婦さんに泣き言を言っていた

『娘と前のように話したい』

『娘と普通におしゃべりがしたい』

 

でも私の中には

母と仲良くやっていきたいという気持ちはない

『一緒に暮らしては居るが生活は別々』

干渉したくないしされたくもない

自分の愛着障害の問題を理解したら

もう親とは関わりたくない

今はこの気持ちでいっぱいだ

 

母は人工股関節の手術と再発防止の為のリハビリで

約一ヶ月ほど医療機関にお世話になった

 

母の退院が近づくにつれ私はモヤモヤしていった

また家事をやらされる

両親の食事を作らなくてはいけなくなるんじゃないかと

不安だった

 

手術してリハビリを受けて退院したからといって

元の生活に戻れるとは思えなかった

だからといって私は面倒を見るつもりも世話をするつもりもない

父には自分たちのことは自分たちでやって欲しいと伝えた

 

でもそれはなかなか気持ち的に難しく

何度か父とは衝突を繰り返した

 

いつものお決まりパターン

『家族なんだから助けてくれ』

『俺だけでは無理だ、助けてくれ』

そう言って無駄に罪悪感だけを押しつけてきた

 

でももう前のようには戻りたくない

ようやく自分の気持ちが分かるようになり

自分らしく生きようとしている

邪魔しないでいただきたい

 

だからもう卒業させてくれ

老いたからと言って

老いを理由に弱音を吐かないでくれ

 

自分たちの責任を娘に押しつけないでくれ

私は自分の為、娘達と主人の為にも親から卒業するんだ

そう決めたんだ