何を食べたかで人生が変わる  

毎日こころ豊かに グルテン・カゼインフリー 米粉・大豆粉・オートミールに助けられて生きている

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もう親の食事なんて作りたくない やらなきゃいけない理由なんてない!

★今までの親子関係がついに爆発した

両親の世話を手放す=食事の用意をやめること

私にとってこれが一番大きな問題

 

もう作らなきゃいけないという現実に違和感しかない

自分の気持ちが分かるようになり

自分の気持ちを認めたら

怒りの感情が溢れてきて止まらなかった

 

なんで私がやらなくちゃいけないんだ

その思いしかなかった

 

母が精神疾患だから食事の用意ができない

そこへ娘がいて娘は食事が作れる

だから食事は娘の私が作る

 

同居した当初はお互い助け合いのはずだった

でもいつの間にか精神疾患という名の盾を使い

イヤなことを全て押しつけて逃げた母

 

産後で体も精神も疲れているとき

子どもが小さくて手がかかるとき

体調不良で家事をするのも大変だったとき

少しだけでも助けて欲しかった

 

そう思っても自分の病気に逃げこむ母

頼んでもやれないと分かれば頼むことすらできなくなる

 

そう私が周りに助けを求められないのは

助けを求めても助けてくれなかった父と母の姿

こればかり見てきたせい

だからいつも自分では持ちきれない荷物を

持たなければと考えてしまう

 

まぁ両親的にはそんなつもりはないかもしれないが

私はそう思うようになっていった

 

病気を理由に私に押しつけていた

そしてその姿を父は傍観するだけ

私に頑張っているなと声はかけても

助けてはくれなかった

 

母のうつ病を理由に家事をすべて私に押しつけ

病気を盾に現実逃避していた両親の為に

なぜ私が自分の時間を割いてまで

やりたくもない両親の食事の用意をしなければならない

いつまでも甘えているんじゃない

そんな怒りしかなかった

 

今まで自分たちが私にしてきた事を棚に上げ

今まで散々自分たちは甘えてきて

それが老いと共に不安になったからと言って

何だって言うんだ

 

自分たちの責任は自分たちで持ったらいい

それの何が冷たいんだ

何が薄情なんだ

子は親の奴隷ではない

自分たちがそう感じていなくても

私はそう感じているんだ

 

そう思わずにはいられなかった

 

自分たちが今の私と同じ頃

すでに母は精神疾患でそして子どもの私を抱えていた

その生活大変だったでしょ

そのとき自分たちは自分たちの生活に追われていて

自分たちの事で精一杯だったでしょ

そして自分たちの両親の面倒なんて見てこなかったよね

 

だから私には両親の面倒見ることはスタンダードではない

そもそも当たり前ではない

 

因果応報とは言ったもので

自分が蒔いた種は自分で刈り取るしかない

母がしてきたことは同じように母に帰るんだ

間違っても自分の都合の良いようには人は動かない

娘の私でも同じこと

今までそれに気付かなかっただけのこと

もう気付いた

私は私だ

 

 

私は料理は嫌いじゃない

でもグルテンカゼインフリー生活

そしてファスティング生活というのもあって

食事はかなり普通ではない

 

私も主人も娘達もある程度の時間は決まってはいるが

おのおの自分たちのおなかの空き具合で食事がスタートする

もう無理に誰かに合わせることはしない

 

食べる内容も少しずつ違うので

作る品数自体はちょっと多いが

パターン化してしまっているので

そんなに難しくはない

 

一日で食べる量も回数も少ないことから

作る量自体は3食よりはだいぶ減った

 

娘達とは少し摂取する栄養素が異なるため

用意する品数は多いが成長期の娘達のため

これは私の役目なので不満でも何でもない

 

ただそこへ両親の食事を用意することは

負担でしかなくストレスでしかなかった

たぶん心の苛立ち、ストレスの方が半端ないから

もうどうしようもない・・・

 

最初私達と同じ内容の食事でいいと言うが

そういう訳にもいかない

なんとなくいろいろ考えてしまう

 

それは母がいつも父に食事のダメ出しをされているのを

見たり聞いたりしていたせいだろう

作る料理にジャッジが入るため神経を使う

それが極端に両親の顔色を気にしてしまう理由

 

どれだけ品数が多くても

美味しいと言われなければ一品にカウントされない

そんな恐怖感のなか今まで用意していた

 

我が家は固定されたレパートリーの中から献立を考える

娘達は好きな物は何度でも食べられるが

慣れ親しんでいない料理

味に記憶がないものはなかなか受け入れない

 

これは子どもに多いパターンで

どんな美味しい料理よりも

慣れ親しんだ母の味が一番いい

美味しいというより安心が勝つということ

 

だから同じメニューが一週間に2回出されても問題ない

連日でなければOK

そんなハードルが低いのに対して両親への食事は真逆だった

 

よく分からない高いハードル

食事にうるさい人への料理は恐怖しかなかった

だからこの恐怖感からの解放は本当にうれしかった

 

娘達や主人が何も文句言わないわけではないが

そんなに口やかましくもない

味をミスった時には『ごめんね~』っと一言

またはたとえ口に合わなかったとしても

そんな時もあるよね~ぐらいの感覚

大して気にならなくなりイライラしなくなった

 

気になるのは親の顔色で家族の顔色じゃない

次ミスしないように気をつければいい

というより娘達に味を決めてもらえばいいと切り替えた

そしてあまり気にしないようしている

 

我が家は誰も怒らないし誰も責め立てない

自分の見てきた景色と比較すると本当に穏やかな家族だ

 

次女はたとえミスをしても『ドンマイ』って言ってくれる

これがどんなに安心なことか

いつもはできるんだけどたまにミスしたり

あれなんでミスった?っていう時は誰だってある

そんな時は次女に見習って『ドンマイ』って言うことにした

 

そしたら自分責めが減り

娘達へのイライラも減った

 

私が自分責めをするたびに

私は娘達を責めていたのかもしれない

 

子は親の鏡だ

娘達の状態が私の状態

私が自分を大切に思わなければ

私は娘達を大切には思えないと言うこと

 

とりあえず両親達の食事は全面的には放棄はしていないが

メインとなる料理の用意は放棄させてもらった

 

 

そこで母が退院してから一週間ほどは父が二人分の食事の用意をした

心を入れ替えたのか3食母の食事を用意した

 

朝は6時に起床し卵とウインナーそしてサラダ

白いご飯に前日のお味噌汁

簡単だけど父なりにできる限りの朝ご飯を用意する

 

昼は前日に助六やお惣菜を買って冷蔵庫にストック

それを好きなように母が食べる

 

夜は二人分を用意 お肉の野菜炒めやお惣菜

魚などを焼いたりといろいろトライしていた

 

母は最初父の作る料理を食べられなかった

でもそんなこと言ってられない

私がシカと状態のため致し方なく父のご飯を食べていた

 

調理している様子を見なければ

なんとか食べられると自覚したようで

最初はなんやかんや事が運んでいた

 

でも一週間もすると父はその生活に疲労を感じたんだろう

慣れない家事に買い物、毎食の献立

料理をするだけでも結構頭を使う

慣れない人にとってはかなり負担が大きい

 

本来自分のやることではない

母がやるべき事を一心に背負ってしまった

そこで出てきたのが不満

 

なぜ自分だけがこんなに我慢しながら

頑張っているんだろう

なぜ自分は外へ働きに行きながらも食事の用意をしているんだろう

なぜこの年になってこんなに大変な事をしているんだ

そんな思いがふつふつ沸いてきて

ブツブツ文句を言う日が増えていった

 

思わず私と主人は笑ってしまった

たった一週間で音を上げる

あれだけ家族家族と言いながら

母が退院してきたら自分が主夫になると

張り切っていたのに・・・

自分のパートナーの世話すらできない

 

仕事しかしてきてない人はこういう時本当困る

いくつになっても何にもできないなんて・・・

 

今からでもいい家事を学んでくれ

今は100年時代

まだまだ長生きしたいんであれば自活しろ

自分と母の身の回りの世話くらい自分たちでやれ

生きていたいなら自分達の力で生活しろ

必要なのはお金じゃない

生活力だ

 

残念ながら今の私はお金をあげると言われても

親の面倒を見ることはイヤだった

それくらいの嫌悪感がずっと残っている

まだ薄れてはいかない・・・

 

だからもう父にも母にも逃げ場はなかった

今まで散々支配してきた為

今自分達にその仕返しが帰ってきている

しかと受け止めてくれ

 

私はただただ冷たい顔をしてスルーするのみ

愚痴を言おうが何をしようがかまわない

もう怖くない

私は親の面倒を見るために同居しているわけじゃない

私は親の世話をするために生まれてきたわけじゃない

 

私が親に縛られていてはいずれ娘達をも私は縛り付けてしまう

だから私は親に縛られるわけにはいかない

 

そして娘達にも縛られないよう

娘達とも適切に距離を置くことを心がけている

 

親が与える影響

良いことを与えられれば問題ないんだけど

これだけ悪い環境が目の前にありすぎると

とりあえず何も影響を与えませんようにって願ってしまう