★反抗期は安全基地があることが絶対条件
一般的に反抗期とは・・・
「子どもが人の意見や指示に反抗することが増える時期」
これは何も親だけではない
子どもを取り巻く全ての人に対して関係すること
ただどうしても親との時間が長いため
反抗期は子と親との関係だと考えがち
幼少期の反抗期「第一反抗期」
いわゆる2歳のイヤイヤ期=モンテッソーリで言う敏感期
そして
思春期の反抗期「第二反抗期」
自分の両親を見ている限り
2歳のイヤイヤ期の必要性は理解していない
それは娘達の接し方で分かる
幼い娘達への対応が全て先回りで過干渉であるため
当時2歳の私にも同じ事をしていたはず
10歳~18歳ごろに迎える思春期の反抗期
同級生の友達が反抗期を迎えていた頃
私の家庭はぐちゃぐちゃだった
家は掃除もほとんどされず
お風呂もトイレも汚い状態が日常的
潔癖症の母は汚い物はなかなか触れないので
汚くなったら最後
ずっとそのままの状態
その状態に父は目を伏せるだけで何も言えない
そして何も手出しできず放置されることが普通だった
潔癖症の母は自分が掃除して綺麗にしなければ
気が済まない性格というより納得しない
家族が掃除することは頑なに拒否し
受け入れられなかった
もうこの感覚が病的だった
誰かが掃除すれば綺麗になるものの
自分が掃除しないと綺麗になったとは思えないため
潔癖症が邪魔をする
そして他人の手は借りることができない
かといってその状態が不衛生でも家族に悪いからと
重い腰を上げるわけでもない
自分でできないことはできない
それなら父に委ねてくれればいいものの
それもできないため
不衛生な生活の状態を家族にまで押しつけるあり様
食事は毎日スーパーの半額シールの張られたお惣菜と
レトルト食品が当たり前
母の手料理はほとんど記憶にない
母の手料理で大好きな料理はと考えても浮かばない
私が好きな食べ物を私が食べたいとリクエストして
作ってもらった記憶がない
母は父の為には作るが子どもの私のためにとは作らなかった
そもそも手料理を知らないので言わなかったのかもしれないが
そんな育ちでとてもじゃないが愛されて育ってきたとは思えない
そして言えない
子どもの頃は特別母や父が嫌いだったかというと
なんやかんや日常は過ぎていってそんなこと考えてもいなかった
だから嫌いかと聞かれたらそうでもない気がすると言うだろう
でも今は死ぬほど嫌いだ
母は特に疫病神だ
居なくていいし、会えなくていい
親なんてそんな程度の存在だ
父は過干渉なので私の友達付き合いにもよく口を出していた
たぶん自分でいろんな事を察知し考える年頃には
だんだんと何も言わなくなっていった
でもどこかでそんな親に刃向かう自分がダメで
親が心配になるような友達と仲良くしてる私が悪いんだと考える時もあった
自分が仲良くしている友達が否定されることで
父は私を否定しているんだと思うようになった
要するに友達を通して私は否定されているんだ
自分の親に否定されているんだと感じていた
たとえ親の判断が正しかったとしても
子どもは心を閉ざす
そうそのときも何か言われるくらいなら
友達なんて要らない
めんどくさいと感じていた
そしてみんなが友達に依存する年代
私は一人で過ごすことを好むようになっていった
そう私は一人が好きで一人でも平気
今思い返せば本当に親の顔色ばかり気にして
親の顔色を読み取って言葉を発し行動ていたんだなとよく分かる
そういった経緯を思い出すと娘達が自分の気持ちを話せなくなる
発しなくなるにも必ずきっかけ
理由があるんだとわかる
でも今はその理由を探しても仕方ない
もう過ぎてしまったこと
そんな風に感じてしまう事を私達親や大人がしてきてしまったんだ
だから話せない話さないんだとただ現実を受け止める
これだけ私をロールモデルに娘達が育ってしまうと
娘達をどうこうする前に
私自身が自分をどうこうした方がいいんじゃないかなと思ってしまう
過去は過去でもうどうにもならない
あの時は私も子どもで一人ではどうすることもできなかった
でも今は違う
私には自分の家族が居て
私を大切に思ってくれる寄り添ってくれる主人がいる
そしてスクールカウンセラーという味方もいる
そんな味方がいる今こそ
心置きなく自分の気持ちに正直になり
自分と両親とは違う
私は私
価値観を無理に共有することはない
親の考えとは違っていいんだ
これを自覚する必要があった
もちろん私が親と違うということは
親に私の考えを伝えても伝わらないし、理解もされないということを
私自身も受け入れなければいけない
そしてそれが今の私の課題
両親に言葉でいくら説明しても
いくら正しいことを伝えたとしても
すぐに病気だから家族だからと流されてしまってきた
でももうそんな関係はうんざりで
そんな親子関係はいらない
可愛そうだという言葉で縛らないで欲しい
私の望む穏やかなゆったりとした生活を奪わないで欲しい
この気持ちを見失わないためにも
私は自分の意思をしっかり持つ必要がある
もうこの時点で私は両親とは考え方が違う
親子や家族というフィールドよりも
個人を尊重して生きていきたい
その気持ちが強かった
誰かに依存しながしか生きていけない生き方は
幸せではないと理解した
そしてその関係を脱するにはそれなりのエネルギーが必要
たぶんこのエネルギーの消耗を避けてきたがため
私は本来反抗期を迎える時に反抗しなかった
若いエネルギッシュな時に戦っておくべきだった
反抗期にちゃんと母と父と喧嘩しておくべきだった
でも精神疾患の母と過干渉の高圧的な父親に
結局は刃向かえず反抗できなかった
最近知ったのが反抗するにも安全基地があることが条件だそう
要するに安全基地がない状態
安全が確保されていない状態では
生き抜くことが最優先で反抗している場合じゃない
というわけ
だから当時の私が反抗できなかったのは
当然で私が悪いんじゃない
私が情けなかったんじゃない
反抗させてあげる安心さを
私の両親が提供できなかっただけ
悪いのは両親なんだ
両親が最悪なんだ
反抗期にはちゃんと意味があり
必要だから起こること
それは精神的に大人になるためのプロセス
このプロセス・反抗期を経験していないと言うことは
言い換えれば自立していないと言うこと
見た目は大人でも精神的には大人になりきれていなかった
社会に出て働き、結婚をして子どもを産んで育てる
一連の流れを経てきているのだから大人になっていると思っていた
完全ではなくとも少しは大人に近づいていると思っていた
でもどうやら違っていた
私は親から自立しないことには大人にはなれない
親から自立しないことには娘達の母親にはなれないんだと考えた
それに気がついた今
反抗期状態に入ってる
今自分なりに過去の自分と
過去の親と現在の親と両方に向き合い
“心の中の15歳”を解放している最中
そして自分自身を癒やしている最中です