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嫌いな言葉『生きてるだけで丸儲け』 人生を妥協するために使わないで欲しい

★私の嫌いな言葉『生きてるだけで丸儲け』

父はよく母のことを受け入れるためにこの言葉を唱える

半ば無理矢理自分に言い聞かせている

そして精神疾患の母を受け入れさせるため

家族にもそう言い聞かせていた

 

私はこの言葉が大っ嫌い

 

母には何を言っても無理

病気だから

精神疾患だから

可愛そうな人なんだ

 

いつもここで思考はストップされ

生きているだけで十分なんだからと

頭の中で折り合いをつける父

 

そうやって病気を盾にし

母に対して何も出来ないと諦めモードで生きている父

そんな父自身を無理矢理肯定するかのように

無理矢理受け入れているかのように発するこの言葉が嫌い

 

『生きているだけで丸儲け』

使い方が違うような気がしてならない

 

母には諦めモードなのに

娘である私には違う

『生きているだけで丸儲け』とは言わない

なぜ?

なぜ母に対しては言うのに

母以外の人に対しては言わないんだ

 

私には

出来ることは出来て当たり前

人様が普通に出来ていることは私も出来て当たり前

そして

次から次へと出来ない母の代わりを補填させるように

母の代わりを押しつける

 

もちろん子どもの頃は何も出来ないので

母の代わりを押しつけることはなかった

だから家の中は荒れ放題で汚かったし

普通の家庭環境ではなかった

 

それが今は私も母親となり家事全般をなんとかこなすようになった

すると母という役割を母の分まで求めらるようになっていった

 

父は仕事でも出来ない人には仕事を振らない

出来るか出来ないかの不安を背負うことが出来ず

自分で全てやってしまう

 

周りからすれば何でもやってくれる父は

楽で頼りになる存在かもしれない

でもたぶん周りの人は成長できない

 

挑戦する機会を与えられず

いつまで経っても成長できないため

いつまでも無能扱いされる

 

この考えは家庭の中にも存在する

出来る人が出来ることをする

家の中では常に私と父で物事が決まっていき回っていく

そしていつも

出来る人が出来ない人の分まで働き

私と父が疲弊していた

それが当たり前

 

出来ない人に優しくサポートし

出来るように誘導することもない

できないならやらなくていい

出来る奴やれる奴が全てやる

外でも家でも基本そんな感じ

 

家庭の中ぐらい出来ないこと自体を手放せば良い

そんな大事になることもない

だけどいつだって私はやれる子

だからやれる私がやれない母の倍以上の仕事をする

その考えが普通に染みつき苦しかった

 

いつも私ばっかり

なんで私ばっかり

ずるい・・・

 

母は寝てばかりで大して動きもしない

動いたかと思えばストレス発散の買い物

欲しい物を欲しいだけ注文し取り寄せる

以前は買い物症候群だったので

躁状態の時は購買意欲がすさまじい

 

必要のないものまで必要になる理由を並べて

買ってしまう

そんな勝手な生き方

自己中な生き方で生活していて

鬱状態に入れ替わると

『生きているだけで丸儲け』と擁護される

 

なんとも馬鹿げてる

そんな親が自分の親かと思うと腹立たしい

 

この状態で共依存の関係にいる両親は

どうあがいても抜け出せない

 

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

 

この両親の元で私はいつのまにか

やれることをやらないと

がんばれることを普通にがんばらないと

存在価値がないかのように感じるようになり

いつもがんばっていることが当たり前

普通だった

 

母のように出来ない人というレッテルを貼られると

不安の塊になり何もやらせてもらえない

するとがんばらなくても良い状態に堕落する

 

それがいいとは思わないが

母はなんやかんや擁護されるのに

娘の私は擁護されない

できなければ怒られるだけ

 

がんばらないこと

努力しないこと

それらは普通にあってはならない

 

幼少期からの親の対応で

私は常にがんばることが当たり前で

がんばらないと罪悪感がうまれる

 

これはとっても疲れる生き方で

常に走り続けなければいけない

でも実際は何度も止まったりして休憩していた

 

よくよく考えれば立ち止まったり

休憩していた頃は

大学生から結婚するまでの間

その間が一番自分らしく自由だった

 

結婚して家を出たのに

なんでか同居する流れで戻ってきてしまい

また親の支配下に自分から潜り込んでしまった

当時は自分が両親との間に愛着障害共依存関係があり

根っこでそのことが自分を苦しめていたとは思いもしなかった

仕方ないと言えば仕方ない

 

そして私が戻ると

父が母に要求していたことが

だんだんと私に要求するようになり

次第に私が母の居場所を奪っていった

 

そして母の代わりをこなす度に

私は自分の価値が上がっていくことを知った

 

要するに共依存の関係が強化されていった

母の代わりを担い、面倒をみることによって

両親に必要とされる親思いの自分を評価し

これに浸ってしまうわけだ

 

父に『おまえのおかげで家が綺麗だ』

『毎日あたたかいご飯が食べられている』

『おまえがいるからこの家は安心だ』

そう言われるたびに

私ってがんばってる、えらいでしょ

っていう感情もあれば

素直に喜べず、イラつく感情も出てくる

 

本当にそう思ってる?

本当に感謝してる?

おだててるだけ?

持ち上げて母の代わりをさせようとしているだけ?

そんな風にひねくれ捉えることも多かった

 

父に感謝の言葉をかけられる度に

主人に素直に喜べない気持ち

なんだかイライラする気持ちを

吐き出していた

 

主人曰く

心の底から感謝しているようには見えないから

素直に受け取れないんじゃないかな

きっと目に見えない感情が伝わってきちゃうんだね

 

きっとそうなんだ

どこか裏があり

見返りを求められている気がして

もっともっと要求される気がしてならない

だからイラついてざわざわしてしまう

 

そしてもっとがんばらなければいけないと駆り立てられ

単純にしんどくなる

 

長年一緒にいて洗脳されてきた

いつも見えない言葉を受け取っていた

 

でもこれが父だけではなく

次第に母からの感謝も受け止められなくなっていった

 

自分達が見捨てられるのが不安で

媚びを売っているように見えて仕方ない

両親からの言葉は何を言われても

耳を塞ぎたくなってしまう

だから聞こえないふりをする

 

残念だが今は現在と過去が入り乱れた状態で

私の中に両親が二人ずつ存在している

 

本人達は今現在は何もしていないと思うかも知れないが

過去にいろんな出来事がありいろんな影響を受けてきた

その感情が今フラッシュバックしている私には

今だけを見ることができない

 

『生きているだけで丸儲け』

この言葉は自分で自分に発する言葉

もしくは我が子に発する言葉

 

生きているだけで素晴らしい

生きているだけで価値がある

どんなことが起きても

きっと生きてさえいればなんとかなるよね

そんな風に前向きに現実に向き合うための言葉だと思う

そしてそうあって欲しい

 

生きていること以外はおまけなんだ

生きているだけですごいことなんだと感じたいのは

自分と我が子だけで十分だ

 

私は自分の両親にこの言葉は発したくない

なぜなら両親が生きていることに私は責任は負えない

そして負いたくない

 

自分の命は自分で背負う

誰かが背負ってくれるものでもない

我が子の命さへ親は完全には背負えきれない

だから娘達にも

自分を一番に

自分を一番に愛していいんだ

大切にするんだと伝えたい

 

残念だがこの意識がこの決意が両親には欠けている

そう感じずにはいられない

 

価値観の違う他者とは一緒にはいたくない

価値観は常に変化し変わって良い

 

合わないなら合う人を探そう

親子でも価値観が違って当たり前

親子だからといって一緒にいなきゃいけない理由もない

 

がんばることに支配されていた私は

娘達にもがんばることを強要していた

 

だから今は私はがんばることをやめた

娘達にもがんばることをやめさせた

『今までごめんね、何も自分の心で考えずに生きてきてごめんね』

『これからは共にお互いの心で考えて生きていこうね』

それだけは強く言いたかった

 

きっかけがないと人は現在地を見返さない

価値観のズレが心地よくないなら

見つめ直すチャンスなんだ

 

だから私は父がよく口にする

『生きてるだけで丸儲け』という言葉

この言葉は受け入れられない

 

人生を妥協するすための言葉としては使わないで欲しい

そしてその言葉の意図を私に強要しないでいただきたい

なぜなら私は『そうは思わない』から

 

『生きているだけで丸儲け』

きっと笑顔で笑って言う使い方が一番しっくりくる

私もいつか笑ってガハハって大きな口を開けて

笑いながら言いたい🤣