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学校の勉強は不要と判断、教科書一式すべて封印した📚



★学校の勉強は受験勉強、受験しない娘達には不要

私は普通の専業主婦

元いた家族にはいろいろ振り回され

幸せとは言い切れない生き方だったよう

 

でも主人と出会って結婚し

娘を2人授かりなんとかそれなりに生きてきた

 

まぁ普通かなくらいだ

それが娘達の不登校によって

いろんなものが芋づる式に引っ張り出され

私の心の奥底にしまってあった

本当の自分が引っ張り出された

 

それによりいろんなことが変化し

今この上なく

清々しい気持ちで生きている

 

常に誰かに比較されているようで

誰かに笑われているようで

心のどこかでずっと不安を抱えていた

 

実際は不安を抱えているということさえ

気付いていなかった

それが娘達によって

私の行動がすべて不安の塊だと教えられた

 

それは自分の両親から受けた愛着行動によって

身につけた思考パターン

その思考パターンが不安を作り出していた

 

それがいつの日か思考の癖

潜在意識となり無意識の領域で

私の中で立ち振る舞っていた

 

自分の思考の癖=潜在意識=親の価値観

これらが私の価値観ではないと分かるのに

時間はかからなかった

 

不登校機能不全家族、子どもの敏感期、愛着障害共依存、潜在意識

少しずつ物事の本質にたどり着いていった

そして分かったのが

今までの私は本当の私ではない

 

そしてこれから自由に

本当の自分になっていいことが分かると

いろんなことが違って見えてきた

 

なぜ?どうして?

本当にそう?

 

常に疑問視するという思考に変わった

それと同時に

だんだんと自分の考えが分かるようになってきた

 

今までの私の価値観は

親の刷り込みで出来てしまったもの

そう思うことで気が楽になれた

 

本当の自分じゃないんだから

気にすることない

私の意思がそうしたんじゃない

親の行動、影響で

私の脳がその思考の癖を身につけただけ

 

だいたい価値観は親が決めるものではない

自分の価値観は自分が決めればイイ

そして自分で自分にOKを出せばイイ!

 

それまで無難に学校で知識を学んできた

それと同時に周りとの競争心も

否応がなしに身につけてきた

 

ここでも要らない価値観が刷り込まれていた

学校という先生という大人の価値観

 

競争心・・・

自己肯定感が高い人はこの競争心が

自分のやる気へのプッシュ材料になるかもしれない

でも

自己肯定感がさほど高くない人または低い人にとっては

競争せざるを得ない環境はつらい環境としかいいようがない

 

私は勉強して知識を身につけると同時に

自分を否定することも学び身につけていた

 

何かが特別出来るわけでもなく

目立って褒められることもない

すると出来ないことが誇張され

そこに意識が集中するからどんどん出来ないことが目立っていく

 

逆に人より楽に出来ることがあっても

それはそれでその状態を維持しなければという

プレッシャーが生まれる

どんな状態であろうと

いつも居心地が悪く苦しい状態は続く

 

でも現実はいつもそんなもので

仕方なのないことだと諦めていた

そしてそこで思考はストップされる

 

なんのために学校へ行き学ぶのか

知識を学びに行っているのに

自分の劣っていることを思い知らされる

強調され帰ってくる

学生時代に楽しかった記憶なんてない

 

それでも将来就きたい職業を選択できる幅を広げるために

学校へ行きある程度の学歴や基板は作るものだと思っていた

 

だから娘達には

学校の勉強・授業みんなが普通に取り組んでいることを

ある程度普通に出来ればいいと伝えていた

 

娘達には幼いことから

とりあえず高校までは行き

自分の好きなことを追求したければ

その先に進学すればいいとよく話していた

 

でも現実は中学校にも小学校にも行かない

不登校になりたての頃は単なるエネルギー不足

これが原因で不登校になったと思っていた

 

学校でも家庭でも心が安まらない

いつでもどこでも競争させられ

周りが出来ることは娘達も出来て当たり前

自分らしくのんびり生きることは許されなかった

 

そんな環境が悪かったんだと

学校とは距離を置き

家庭環境は見直し

子どもの成長の仕方を学んだ

 

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

 

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

 

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

 

そして自分の育ってきた道を見直し

娘達の育ってきた道を振り返り

育て方が間違っていたと気付く

そして自分の育ちにも問題があったことを知る

 

精神疾患の親に共依存の親子関係

まぁこの時点で普通じゃない

そしてそれはそれで仕方ないと考えていた

 

でもそれが娘達に影響を与えているとは

思いもよらなかった

 

でもこれをきっかけに

私もやり直しが出来た

 

不登校の一番の原因は私

親の私の生き方が単純に悪く

悪影響を与えていた

 

ではそこは見直し

とりあえず問題は完璧には解決していないけど

家の中は娘達は過ごしやすくなった

 

娘達自身が尊重され

家の中の悪い雰囲気もだいぶなくなった

 

でも

学校へは生きたがらないよね

なぜ行かないのか?

 

それは単純に楽しくない

そして学校自体の小さな集団、社会が

娘達にとって心の弊害にしかならない

そう判断した

 

出来ないことを出来るようにし

みんなと同じことを同じように出来るよう求められる学校

 

でも今はそんなもの必要ない

大人の世界ではそれが知れ渡り

分かってきているはずなのに

子どもには自分達と同じことを

繰り返しやらせている

 

子どもからしたら矛盾の世界だ

 

学校での勉強は受験勉強

受験をしない娘達にとって学校の勉強は必要ない

カウンセラーもそう言っている

 

とは言え計算ぐらいは

多少の算数ぐらいは出来ないと生活していけないんじゃないの

そう思ってしまった

 

でも生きていくのに必要な算数って何?

中学1年生の数学を長女の代わりに

夏休みから5ヶ月間毎日取り組んだ

 

毎朝コツコツと教科書、ドリル、テスト問題

なんのメリットもないことは分かっているけど

解き続けた

 

そこで気付いた

こんな難しい問題まで勉強してどう実生活に役に立つんだろう

そう思う問題はいくつもあった

試験では必要ないけど

受験レベルになるとさすがに難し問題が多い

 

確かに中学校1年生で学ぶ文字式や方程式は

物事を簡単にわかりやすく答えを導き出すためには

知っていると便利

使いようによって有利だとは思った

 

でもこれがみんなに必要かはまた別問題

受験しないならそんなに勉強しなくいてもいい気がした

 

その勉強しない時間をもっと他に使った方がいい

自分のやりたいこと

興味がわくこと

単純に楽し時間をもっと過ごして欲しいと思った

 

勉強が全てじゃない

学びがすべてじゃない

出来ないことを無理して出来るようになることなんてない

そもそも必要ない

 

だけど人より出来ないと不安で

その不安を穴埋めさせるために

勉強させてきた

 

だからもう辞めた

日常生活で学校で学ぶ数学は要らない

受験用の難しい勉強は受験したい子だけがやればいい

 

娘達はみんなとは違う道を歩むんだから

出来ないもの、やりたくないものにこだわる必要はない

やってみてよく分かった

 

やっている最中は楽しい

問題解ける面白さ

分からない問題は長女の担任が家庭訪問したときに

教えてもらう

 

マンツーマンの勉強

これはこれで楽しかった

でも楽しんでるのは私だけ

娘達は全く興味は示さない(笑)

 

というわけで私も他にやりたいことが増えてきたから

優先順位をつけて数学の勉強を11月で辞めた

 

学校の勉強は受験をするなら必要

あくまで受験用だ

受験していい高校に進学していい大学に進学する

そして

会社員として企業に勤めるなら

受験が必要で勉強は必要

 

でも学校という集団が嫌いな娘達

自分の意思が強い子には企業という社会は合わないだろう

そもそも娘達が企業に属したいなら話は別だが

そうでないなら

 

勝手な安全ルートと思い込んだ道に進ませるために

出来もしない、苦痛でしかないことを

無理矢理やらせることは違うとわかった

 

将来のために不安を解消するために

勉強することない

大体みんなたぶん出来ない

学生を卒業すれば学んだことなんて忘れてしまう

 

知識なんて使ってなんぼ

使わないものは忘れていく

だから

無理して我慢して

今を殺して勉強をする必要はない

 

必要な学びは必要になったときに学べばいい

その必要性が生まれるまで待つ

 

私は大人でいろんな経験を娘達より多くしている

だから先回りしてあれもこれも必要

知っておいて損はないよ

知っておいた方が有利だよ

いずれ必要になるからという

大人の価値観を押しつけていた

 

物事を学ぶには人それぞれタイミングがあり

必要になる段階も違う

なのにあれもこれもと教えたがり詰め込ませていた

 

もう反省しかない

 

というわけで娘達の前から

全ての学びを排除することにした

娘達が必要とするもの以外は

今は必要ない

 

だから教科書一式すべて封印することにした

迷わないためにも

そのほうがいい

”いつかのために”はもう必要ない