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長女がプレゼントを買うために久しぶりに外出🚪 外出するにも目的が必要だった

今年のクリスマス🎄は週末

いつもなら家族でささやかなお祝い🎉

でも今年はいつもの日常と変わらない日になりそう

ただ長女だけはクリスマスの予定が入った

 

先週ようやく長女が久しぶりに外出をした

約二月ぶりかな?

目的はクリスマスプレゼント

長女は目的を達成するために外出した

 

24日の土曜日に仲の良い友達と遊ぶ約束をした

クリスマスだから遊ぼうと誘われ

プレゼント交換をしようと提案され喜んでいた

 

みんなでプレゼントの金額を設定し交換することになったが

人にプレゼントを贈ったことがない長女は少し戸惑っていた

 

長女は生まれて初めて友達とクリスマスを過ごす

クリスマスのプレゼント交換も初めてで

友達にプレゼントを贈ることも初めて

最初何をプレゼントしたらいいか分からないと言って困っていた

 

以前なら私があれこれ提案していたが

もうそれはしないと決めたので

長女には時間はあるのでゆっくり考えてみてと伝えた

 

長女は友達の雰囲気、性格、好きなものを思いだし

すぐに目星をつけた

案外そんなに悩まずすぐに決めることができた

 

なんだ、そうかやっぱり自分で考えることできるんだ

私が勝手に分からないだろう

出来ないだろうと決めつけ

要らぬお節介をしていたことがよく分かった

 

娘達への先回り、お節介は

本当にささいなことから始まっていた

なんでも私が決めてしまう

口を出してしまう習慣

 

今は徹底して封印し、全て本人達に考えさせるようにしている

小さなことから自分の頭で考え

決断していかないと

当たり前だが大きな問題が出てきたとき

自分で決断することができない

 

これは単純に慣れだ

考えて決断する習慣があれば

いつでもまずは自分で考える

 

言われてみれば普通のことなんだけど

意外に気にしていないと

私が何でも決めて物事を進めてしまう

そんな娘達の成長を妨げてしまう習慣はもう要らない

 

このクリスマスプレゼントは私にはちょうどよかった

なんせ二月も外出していない長女

 

買い物に出かけようと言っても

欲しい物ないし

買い物に行く理由もない

親の買い物は連れ回され、疲れるからイヤだと言う

それなら家で漫画やゲームをしていた方が楽しい

 

まぁそうだろうね

ごもっともな理由です

 

だから最近まで買い物に行く目的がなかったため

ほとんど外出した記憶がない

傍から見れば完全”引きこもり”状態

でも本人は引きこもっている意識はない

 

外へ出た方がいい

家の中にずっといては良くない

そう思っているのは親だけで長女はそこまで気にしていない

 

本人がその状態がイイと言うならその状態がベストなんだろう

長女のためと思って言うアドバイスはすべてお節介だ

 

体のことを思って

心のことを思って

長女のことを思って言ったとしても

長女の心がそれを求めていなければ

その思いは必要ない

そしてどうすることもできない

 

もうこの考えの時点で長女をコントロールしようとしている

それに気付くことができた

ラッキーだ!

 

だから今は運動不足で不健康になったり

外の空気を取り入れず心が病んできたとしても

その問題に対してどう行動するかは私の問題ではなく長女の問題

長女がどこまでの状態を望んでいるかにもよるが

私が考えることでも悩むことでもない

 

結局今の状態は長女が望んでいる現実

長女が今の現実に不満を感じ

不憫に感じない限り現実は変わらない

 

私は親であるだけで長女ではない

親であっても何もすることはできないし

何もしてあげられないんだとよく分かった

 

そして求めている現実も個々で違うことがよく分かってきた

全て同じだと考えるから苦しくなるんだ

 

私だったらこうするのに

私だったらこう思うのに

この考え自体が間違っている

 

この考えが存在している以上

自分も他人も幸せにはなれない

全てコントロールしようと考えていると理解した方がいい

 

外出することが本当に必要かどうかも定かではない

家が好きな子にとっては外はストレスの世界

イヤな場所に出向かなければいけない状態の方が

心にも体にも良くない

それなら無理矢理家から出るという行為は

長女にとってはストレスかも知れない

 

もし私が長女と外出したいのなら

長女のために”健康のために外出した方がいい”と言って誘うより

単純に”一緒にお出かけしたいな”

”ショッピングしたいよ”と言って

誘う方がいいんだと感じた

 

何かしなければいけないから行動する

というよりは

何かをしたいから行動する

 

この気持ちになれるよう

思考の癖をシフトしたい

 

本当私は娘達と自分を混同しやすい

たぶん同性ということもあってそうなりやすい

こういった錯覚はよくあることで普通だと思うが

普通という言葉で片付けてしまうと

また繰り返すので

ちゃんと私と娘達は別と認識するようにしている

 

今一つ一つ思考の癖を変えている

思考の癖って気付かないと普通にスルーしがち

まずは気付くだけでOK

次に自分はどうしたいかを考える

 

それが今までの思考と違うならちょっと意識して変えてみる

まぁ変えると言うよりは気分転換にやってみて

自分に合うなと思ったら新しい思考にシフトする

 

なんか違うなしんどいなと思えば無理をしているかもしれないので

また別の方法を考える

 

こう思おうといつまでも考える作業は終わらない

40年生きてきた私が今これだけいっぱい考えて

いろいろ考え方をシフトしている

 

本当なら10代から20代のうちにこの思考の見直しをすればよかった

そしたら自分の考えのもと

誰に責任転嫁することなく自分の足で歩めたんだろう

 

10代から20代のうちなら失敗して転んでも

何度でも立ち上がれる

 

その年代なら普通なら親がいて

最低限の生活はだいたい保障されている

 

親という安全基地がある状態

帰る場所

休憩する場所

保障されている場所

 

何度でもやり直せる状態のうちに

いっぱい考えいっぱい行動しいっぱい経験する

これが必要

 

私達親は将来の不安で

子どもをがんじがらめに

かくまうんじゃなくて

コントロールするんじゃなくて

 

いくらでも考え行動し失敗した我が子が帰ってこられる場所

安全基地を用意してあげられればいいんじゃないのかな

本当に大切で必要なことは

たったこれだけなんだ

 

みんなと同じことをすることが当たり前と思って生きてきたから

親はこうあるべき

子はこうあるべき

母は父はこうあるべき

女は男はこうあるべき

 

それが窮屈で私は少しずつはみ出していった

でもそんな自分が本当はダメなんじゃないかと思うときもあり

せめて我が子には普通にみんなと同じようにと求めていたのかもしれない

 

みんなと同じように考えられなくて

みんなと同じように振る舞えなくて

変な子、異常な子とよく言われていた

 

それをはねのけて生きてきた気がしていたが

心のどこかで傷ついていたんだ

知らないうちに傷を負っていたんだ

 

みんなと同じからはみ出すことが好きな私

そう思っていたがやっぱり周りの評価をどこかで気にしていた

 

その思いがたぶん娘達に反応した

娘達はそんな思いをして欲しくない

そんな思いをさせたくないと

いろんなことから守ろうとしてしまった

 

自分は何を言われてもどうけなされてもかまわない

でも大事な娘達だけはそうはなって欲しくない

私が感じていたように傷ついて欲しくない

たぶんそう思っていたんだろう

 

でも実際はどんなことに娘達が傷つくのかも

どんなことで不快になるのかも

娘達ではないので分からない

 

娘達がイヤだなと感じる問題と

私のイヤだなと感じる問題も違う

混同しないようにし

私には絶対分からないことだと考え諦める事にした

 

だって私は娘達ではないから『知らない、分からない』

これでいいんだ

これを頭をひねってあれこれ考えるよりも

そこに問題があるなら

その問題の持ち主が解決すればいい

 

何事も踏み込まない

踏み込ませない

親子でもお互いの境界線はしっかり引く

これが健全な親子だと分かってきた

 

今回気付いたのは

長女にとって外出することは

健康を維持するためのものではない

 

長女が外へ向かう目的があれば家の外へ出る

ただそれだけだった

 

外出しないのは

外が嫌いなわけでもない

外が怖いからでもない

人に会いたくないからでもない

単純に外出する目的がないから

 

やっぱり長女は心を病んだ引きこもりでも不登校でもない

自分で今の生活を選んだ

自分のことを自分で決めた

しっかりとした13歳の女の子なんだ

 

みんなと違うからって不安になることなんて

一つもないんだ