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長女が心に決めたこと ついに自分自身に宣言した🙋‍♀️

★長女は去年のクリスマスの時に宣言した

去年のクリスマス

長女は初めて友達の家でクリスマスを過ごした

久々の友達との集まりに最初は緊張していたようだが

すぐにいつもの関係になり

思う存分楽しんできたよう

 

ゲームをしたりおしゃべりをしたり

そしてクリスマスプレゼント交換をしたり

 

家族と過ごすクリスマスではなく

友達と過ごすクリスマス

中学生になった長女は少しずつ成長している

 

帰宅した長女に友達に学校のことを聞かれたかと

聞いてみた

私は長女の友達の心の方が気になる

 

女の子は群れが好きな生き物

群れてその中に所属していることで安心感を得る生き物

自分の幼少期の経験上

そう思い込んでいる

 

一瞬でも目を離すと寂しくてすぐどこかへ行ってしまう女の子

別の群れを探し仲間を見つけると

今までの群れでの関係はいっさいなかったものとされる

 

下手すれば抜けた群れに対して敵意を抱く

これが女の子の特性だと思っている

 

だからすぐに意地悪をされたり

ハブにされたり

昨日まで仲良く笑っていた子が

今日は敵になっていたり

 

私が小学生の時はそんなことが

自分も含め周りにも頻繁に起きていた

 

だから女の子はあまり好きじゃない

怖いとさえ思う

 

私は幼少期の時に感じた女の子の特性が苦手

いじめは簡単に起こり

いじめることが習慣になっている子もいる

それがイヤで中学には女の子と仲良くなることすら

やめてしまった

 

それから一匹オオカミみたいな感覚で生きてきた

男の子との関係の方が楽だとさえ感じていた

 

サバサバしていてその場が楽しければそれでイイ

そんな雰囲気が気楽で好きだった

 

幼少期の女の子に対する偏見から

長女を心なしか心配してしまう時がある

 

学校へ行っていない長女

それを知りつつ学校へ来ない長女と向き合ってくれる友達

 

この友達は長女のことをどう思っているんだろう

不思議でしょうがない・・・

 

でも友達に

”なんで学校へ来ないの?”

この言葉は一度もかけられたことはないらしい

 

そんな友達だからか長女はなんの罪悪感も感じず

友達と遊べる

 

不登校になり始めた時は

長女も自分がなんで不登校になっているのか

よく分からない状態だった

 

”なぜ今まで行けていた学校に行けないのか?”

 

”なぜがんばって行っていた学校に

こんなにも抵抗するようになったのか?”

 

”なぜ学校が嫌いになったのか?”

 

小学6年生から中学生になったばかりの長女には

まだ自分の現状を理解することは難しかった

 

だから友達に

”どうしたの?なんで学校へ来ないの?”

と聞かれることが一番困ることだった

 

なぜなら

説明できないから

ただそれだけ

 

自分の気持ちが分かり

自分の考えをしっかりもって生きていたら

説明できる

 

言葉は未熟で

しっかりとは説明できないかもしれないが

 

何がイヤで!

自分はこうしたい!など

 

学校へ行けない理由を

説明することはできると思う

 

だって学校へ行きたくないんだ

説明してすんなり行かなくて済むんだったら

それを盾に使うだろう

もちろん子どもなりの表現方法で ですが・・・

 

次女は結構バシバシ

あれこれ、こんな理由でイヤだとわめいていた

 

でも長女はもの静かにうずくまっている感じ

さほど何も言わなくて

何を考えているか分からなかった

 

いやそもそも考えていない

考えるという方法、行為を親の私が奪ってきたため

考えること自体ができなかった

 

だからあれこれ質問して

何がどんな状態なのかを

紐解く作業が長女には必要だった

 

この最初の紐解く作業が必要な理由は

年齢的な部分もあって必要なんだと思っていた

 

年齢的にまだ幼いので自分の気持ちを

説明できないとそう思っていた

でもそれは勘違いだった

 

なぜなら次女はバンバン不平不満を垂れ流す

次女の方が3つも年下

それでも自分の考えを幼少期からしっかりと持っていて

言葉足らずな状態でも伝えようとする

 

だから余計に不思議だった

なぜ長女は言わないのか

 

そうそれは言わないんじゃなくて

そもそも考えがない

いつでも思考がストップしている状態

 

ストレス回避のために思考を切り捨てきた

愛着障害を学ぶと長女が思考ストップさせている理由がよく分かる

親子そろって同じだから余計

腑に落ちる

 

長女も私と同じ”回避型の愛着障害”を持ち合わせている

そのため

自分の気持ち自分の考えがそもそも見えない

 

自分の気持ちや考えがないわけではないが

今まで生きるために封印してきたため

使い方を知らない

 

自分の気持ちや考えに向き合うことを実行できないということは

その行為がそもそも習慣になっていないということ

だからなかなかできなかった

 

今では私から長女にいつも伝えている

自分の考えや思いを発して良いんだよ と

 

でも幼少期にこれらの経験をしていないため

口では簡単に言えるが

それ自体をする習慣がないため

どう実行していいか分からない様子

 

自分の考えに気付かない術を身につけてしまっていたので

自分に問いかけることをしない

そして

自分の気持ちを考え出すという行為も習慣になっていないので

自分の口から説明することもできない

 

小学生だから中学生だからできないんじゃなくて

その方法を実践した試しがないから

経験してきていないから

できない

そう思うようになった

 

なかなか自分の気持ちを発しない長女に

イライラすることの多かった私

そんな私から見ると

長女の友達はまだ中学生なのに寛大だなと尊敬してしまう

 

長女の友達は長女が愛着障害を持っていることなんて知らない

ただあるがままの長女を好いてくれているから一緒に遊ぶ

だから久々に会っても余計な詮索はせず

遊びに集中し思う存分その時間を一緒に楽しんでくれる

 

そんな風にまるっと受け止めてくれる友達だから

長女は友達でいるんだろう

あるがままの自分をそのまま受け入れてくれる友達

そんな友達だから長女は彼女達が好きなんだろう

 

友達は友達で自分達の背負っている背景とは比較せず

自分達の生活を一生懸命生きている

とても純粋な子達

長女がそんな純粋な子達と友達になれたこと

本当に幸せだと思う

 

我が家にもよく遊びに来てくれて何度も顔を合わせている

長女の友達なのでさほど話したことはないが

安心できる友達

 

だから私は余計な心配はせずいつも笑顔で送り出せる

 

そしてこのクリスマスの時も

何も迷いもせず送り出した

 

そして好奇心から

『何か学校のこと聞かれた?』と聞いてみた

 

すると

『聞かれてないよ。でも言いたくなったから自分で言ったよ』

『何を言ったの?』

 

 

『もう2度と学校へは行かない』って

そう長女は友達に宣言したよう

 

ちょっとびっくりだった

聞かれてもいないのに自分から宣言した?

 

長女いわく

聞かれるとどう答えていいか分からないから

自分から先に言った とのこと

 

自分から自分の気持ち、考えを言えたんだ

親の私達にすらきっぱりとは宣言していないのに・・・

 

宣言した後も友達は変わらなかったようで

帰宅後もLINEでおしゃべりしていた

 

私は自分でももの事を決める練習をしている

なんでも自分で決めたことはとりあえず行動できることを

自分が体感してよく知っている

 

決めることはなにより大事

一番重要なことだとさえ感じるようになった

 

長女は”学校へは行かない”と決めた

友達に宣言できるほど意思は固まったようだ

 

行けなかった学校が正真正銘

行かない学校に変わった

 

それは親の私が決めたことではなく

長女が自分の気持ちと向き合い

自分で決めたこと

 

すっごくうれしくて

すっごく感動した

 

自分で考え自分で決める

長女も私と同じように

自分で自分の将来を考えるようになった

 

これはすごい進歩で

あ~少しはまともな子育てに近づいてきたのかなと感じた

 

私は長女のこの気持ちを発する行為がとてもうれしくて

この上ないクリスマスプレゼントをいただいたように感じた

 

さぁ次は何を決める?

学校へ行かないと決めたのなら

次に考えることは・・・

 

どうやって生きていくか!

 

これを長女が今の時点で分かるだけのことを考え

取り組んでいく必要がある

 

やることは至ってシンプル

自分のなりたい姿を考え目的を立てる

そしてその目的に向かうために目標を立てる

おっきな目標の下に小さな目標をちりばめ

あとはその小さな目標を少しずつこなしていくだけ

 

そのためには一日一日をがんばって生きるだけ

 

そこに無理も我慢も必要ない

それらのない形を模索し決めて行動していくだけ

 

今度は長女と一緒にバレットジャーナルをしようかな

 

本当なら新年にバレットジャーナルをやったほうが良いのかも知れない

でもなんせ自分に集中しすぎて

娘達はほったらかしだった

 

でもそれはそれで

私が気にするほど娘達は気にしていない

 

私と長女は親子というよりは

仲間という関係

生きていく上での同志

 

主人も次女も含め

どちらかと言うと親子というよりは”同志”でありたいな