何を食べたかで人生が変わる  

毎日こころ豊かに グルテン・カゼインフリー 米粉・大豆粉・オートミールに助けられて生きている

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マネーブロックもマインドブロックも結局は未熟な親が作り出してる

★マネーブロックとマインドブロックの原因は同じ?!

自分で稼いだお金は自分のお金

だから普通に使える

だけど

人からもらうお金は私のお金とは思えない

そして素直に受け取れなくて使えない

 

何故か抵抗がある

 

素直に喜んで”ありがとう”を言う

ただそれだけのことがなかなかできない・・・

 

いつの間にか見栄や変な意地、虚勢を張り

”私はお金は欲しくない””別にお金に困ってない”と言い

平然と拒否する

 

それは幼少期の体験から自分の中にできてしまった

お金への価値観

 

両親の影響がバリバリ出ている

いつでもお金=親といった状態が現れ

お金が背負っている背景を気にしてしまい

素直に受け取れない

 

そのお金はどうやって生まれたのか

誰がどんなことをして得てきたお金なのか

 

いつの間にか

お金が歩いてきた道をいつも見るようになり

私は自分の歩いてきた道のりと比較する

 

そのうち頑張ったらお金がもらえて

苦労したらお金をもらっていい資格が得られる

そんな感覚を持ち始めた

 

そして分かったのが

お金を素直に受け入れられないんじゃない

私が素直に受け入れられないのは・・・親

 

自分の親が持っているお金に対する価値観

これが受け入れられない

 

親が一生懸命働いて得たお金

それも一生懸命楽しく自分から望んで努めて得たお金ではなく

嫌々やって得てきたお金

 

不平不満をぶちまけながら嫌々稼いできたお金

父が我慢して大変な思いをして稼いできたお金

少なくとも子どもの私にはそうやって見えていた

 

その苦労と嫌々を背負ったお金を

私はお金をもらうだけではなく

その背負った背景までもらってしまいそうで

嫌だった

 

子どもの私が背負うには重すぎる

そうやってお金を通してお金が歩んできた道を

考えることが癖になった

 

幼い頃よく言われた言葉

『誰のお金で飯が食えていると思っている』

『誰に養ってもらっていると思っている』

『稼いでない奴がえらそうなことを言うな』

みたいな

 

事あるごとに言われてきたこの言葉

私の母も父と揉める度にこの言葉を浴びせられ

その姿を見て育ってきた私

 

父は嫌々家族の為に仕事をしてお金を得ていた

不平不満と引き換えに得たお金

そしてそのお金を家族のために使う

 

だけど喜んで使っている様子は受け取れない

 

するとお金を得ること=嫌なこと

つらくて楽しくないこと

そんな風にお金の価値を作りあげ

そう思い込んで成長してしまった

 

だから私は喜んで受け取れない

 

仕事とは何だろう

働くとは何だろう

何のために働いているんだろう

 

行き着くところは

お金へのネガティブな発想

 

そしてなぜ家族を養っているんだろう

嫌なら投げ出せばいいのに

なぜ投げ出さないんだろう・・・

 

父にとって家族さえも我慢の対象なのか

子どもの私も我慢の対象なのか

そんな私に何の価値があるんだろうか

 

きっといろんなことが絡み合い

いつの間にか

父もお金も嫌な存在になっていた

 

父が発する言葉が原因で

お金に対して要らぬ価値観を持ち

稼げない、何にも役に立てない子どもは

”お金をもらう価値のない人間”=”私”が生まれ

自分の中にくだらない価値観を育て上げてしまった

 

親のイライラの憂さ晴らしで

吐き出された言葉によって

私は自分のことを”価値のない人間”だと思い込む

 

そんな私の所に臨時的にお金が舞い込んでくると

お金の背景を気にせずにはいられず

あれこれ考え否定的に物事を考える

そして人からお金をもらうことに罪悪感を抱くようになる

 

そのお金をもらうだけの対価を私は支払っているのか

それともそのお金より大きな見返りを求められているんじゃないか

私にそれだけのことが返せるのか

 

いやぁ・・・たぶんそんなに価値はないだろう

この考えが自分を無価値に追い込んでいる

 

現実には何もない

何も裏はない

それを頭で理解しようとしても

心が素直になれず苦しかった

 

私の主人はおねだり上手

主人は自分の母や祖母にも平気で軽く

”お金ちょうだい”

”お小遣いちょうだい”

などと言えてしまう

 

そして

娘達の分も”お小遣いちょうだい”って軽く笑って言う

素直に甘える

 

そんな風に言える間柄を不思議に感じつつも

うらやましく思った

 

もちろんおねだりをしてもらえる時もあればもらえない時もある

いつでももらえるわけでもない

でもどんな状態では主人はそのままの現状を受け入れている

 

私は親におねだりをした記憶がない

忘れているだけかな?

いやたぶんこの私の性格だと

怖くておねだりできない

からしない

 

高校3年生の時からアルバイトをスタートし

あれから自分に必要なものは自分の稼いだお金ですべてまかなってきた

 

車の免許を取るための教習所もアルバイト代で支払った

私の友達はだいたい親が支払っていたが

自分で貯めたお金で払えなくはなかったので

なるべく世話にはなりたくないという思いから

できる限り自分で払ってきた

 

もうその頃から自分のことは自分でやってきた

自分で自分のことができる

これが単純にうれしかった

 

きっと親の支配下にいるのが分かっていたんだろう

だからそこから逃げ出したくて一生懸命だった

 

なのに結婚して子を授かり

主人と私と長女の3人で生活している時はまだ良かったが

次女を授かったと同時に現在の私の実家に帰って来てしまった

 

自分にいろんなしがらみがあって

それらの原因が親にあると自覚していないものだから

何も考えずに流れるように同居という生活をスタートしてしまった

 

そして今ようやく

自分のマインドブロックとマネーブロックが

親の価値観の刷り込みによって

自分を苦しめていたと気付いた

 

今思えば次女を授かった時あのまま同居せずに

私達家族だけで暮らしていたら平和だったかも知れない

 

でもそれだと

私は自分の反抗期を迎えていないことにも気付かず

得体の知れない生きづらさをずっと抱えたまま生活していた

 

自分の心の奥底に眠っている

親への不平不満

これらを吐き出す機会もなく

ぶちまけることなく

何が不平不満かも分からずただ悶々としていた

 

そこへ娘達の些細な行動がプチっと私の心を刺せば

私はたちまち父と同じように

あたかも娘達へのしつけという名で

憂さ晴らしをしていただろう

 

実際にそんな時もあった

ただただ感情的になり当たり散らすときもあった

産後の疲労とか

子育ての疲労とか

そんなことを理由に掲げて

自分の本当の不平不満を垂れ流していた

 

ごめんなさい

としか言えない

そして気付いたからにはもう二度としない

そう誓うしかなかった

 

結局自分がされて嫌だったことを

自分の気付かないところで

繰り返し娘達にしている

そして傷つけてきた

 

それに気付いたんだからやめよう

ただそれだけだった

 

今マインドブロックもマネーブロックも

少しずつ壊している

 

大げさかも知れないが

ここでも私が自分のことを肯定し

自分自身を受け入れる必要がある

 

娘達もまた私の姿を見て育つため

同じ苦しみを与えないためにも

私は自分を認めないといけない

 

私は私で価値があり

その価値は誰かが評価するものじゃない

私が私を評価すればいいだけのこと

 

結局親がやっていることを子は真似をする

私も親を見て真似

自分を無価値に追い込んだ

 

親の私が自分を無価値に思っていると

娘達もそれを真似て無価値になっていく

この連鎖はこわい🥶

 

自分より上に行って欲しいと思っているが

所詮私が私なので高望みするのは間違ってる

 

そんなこと期待されても子どもに取っては荷が重いだけ

子どもに価値を望むより

やるべきことは自分の価値に気付くこと

 

どこまでいってもやれること、変えられることは

自分自身だけ

まずはここができていないことには

家族にも他人にも望んじゃいけない

 

じゃ~実際にどうするか?

ここが問題・・・

 

まぁとりあえず一生懸命毎日生きていればそれでOK!

自分で自分に○が付けられるくらい好きなことやれればいい

 

娘達に自信持って言えるくらいのことをやってれば

いいんじゃない

 

ちなみに怠けているようなら

もうちょっとがんばろうかと自分に声をかける

そして否定はせず

なぜ一生懸命になれないのかを考える

 

たぶん嫌なことやっているんだろう

だからその嫌のことを減らし

好きなことを増やす努力は必要になってくる

 

親が頑張ってる姿を見せ続ければ

子もいつか考えるだろう

考えるタイミングが来る時まで待つしかない

 

でもその長い忍耐の時間を

子どものためにと思って頑張っていると

すぐに挫折する

見返りを求める形になり

過指示・過干渉になってしまう

 

そうならないためにも

私はどこまでいっても

自分の為に取り組まなきゃいけない

 

自分で自分を認めてあげることが

一番簡単で無理がない

 

今までそれをしてこなかった

40年生きてきて

自分で自分のことを受け入れてこなかった

 

今からでも遅くない

遅いことなんて何一つない

まだまだやれる

これからだ😊

 

自分を変えるというよりは本来の自分に返る

この意味の方がぴったり

 

最近つくづく思う

本当の自分の気持ちに気付くこと

本当の自分の気持ちに従うこと

こんなに快適なことはない

 

だから娘達にも知って欲しい

この気持ちよさを・・・