何を食べたかで人生が変わる  

毎日こころ豊かに グルテン・カゼインフリー 米粉・大豆粉・オートミールに助けられて生きている

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専業主婦である私は自分を無価値だと思い込んでいる

★子どもの頃の私は今も心の中で生き続けている

子は親の姿を見て育つ

 

私は精神疾患の母親の姿を間近で見て育ってきた

料理も洗濯も掃除もろくにせず

あり合わせのその場しのぎの毎日を

なんとかつなぎ合わせるかのようにして生きている

 

そんな母が嫌い

 

父はそんな母とは真逆で

真面目に仕事をし

しっかりお金を稼いでくる

 

家では不平不満を垂れ流すDV夫

とても尊敬できる夫とは言えないが

外では仕事ができる人として評価されていた

 

母は精神疾患のためろくに家事に精を出さなかった

家族のために子どものためにと

頑張る姿はあまり記憶にない

 

いつも部屋でTVを見て現実逃避をし

時間だけが過ぎていく日々をダラダラ過ごしている

頭の中ではくだらないことを考え

自分の気が落ちることだけを考えて

それで一日が明ける

 

頭の中だけフル回転で何もしない何もできない

名前だけの専業主婦

ただのプー太郎

 

そんな姿を見ていたら

母のようにはなりたくないと思った

まぁ普通の流れかな・・・

 

それがいつの間にか”母のように”から”専業主婦”にはなりたくないに

切り替わっていた

 

なのに結局今 専業主婦です

分かっていたはずなのに

同じ道を辿っている

 

我が家では専業主婦は誰にも評価されない

何をやっても何をどれだけ頑張っても

それはできて当たり前の世界

女であり母である以上できて当たり前

 

当たり前のことを当たり前にやっているだけなので

褒められないし

感謝もろくにされない

だからいつまでも報われない

 

そしてどこまで行ってもゴールがないから

いい加減疲れ果ててしまう

 

その間にちょくちょくお褒めの言葉や感謝の言葉

労いの言葉をかけてくれればいいものを

そんな女心に気づきもしない男は

自分の評価ばかりを見てくれと甘えてくる

(あっ、これ私の父の話ですよ、他の男性がどうかは知りません💦)

 

家事はどこのお母さんも皆やっていること

特別難しくもなく大変でもない

そんな風に父は専業主婦を評価しており

労いの言葉をかけることはほとんどなかった

 

我が家では専業主婦は常に見下されていた

要するに父が母を見下していた

 

専業主婦=母=何もしな人人

ということで私も父と同じように専業主婦を見下すようになっていった

 

悲しいがこんな価値観が私の中にはある

親の背中を見てそう認識してしまっている

 

子は親を真似る

と言うことは父も自分の母親を見下していたのだろう

つまり私の祖母を見下していた

 

父もまた

自分の父親が母親を大切に扱わず

その姿を見て育ってきた子どもだ

 

いや?本当は大切に扱ってきた?

私が知らないだけ?

 

もし大切に扱われてきたのなら

私の母のことも大切に扱っているはず

 

自分の親がしていた愛情表現を

見て知っているなら

同じように母にもしているはず

 

それをしていないとなるとやっぱり父の親

祖父母も同じような関係だったんだろう

要するに雑に扱って来た

 

それを見て育ってきた父にとっては

それがスタンダードで当たり前

これが自然な流れ

 

親がやっていないことは子は分からない

だから父もパートナーである母を大切にはできないし

大切に扱う方法も知らない

 

パートナーというよりは

家政婦かお手伝いさんか何かと勘違いしている

 

自分のご機嫌を取り身の回りの世話をしてくれる人

そんな母親みたいな存在をパートナーに求めるから

おかしなことになる

 

自分の親がやってきた姿がロールモデル

残念ながらそこに気づき意識しなければ

親は超えられない

 

嫌だ嫌だと思っていても

結局は同じようになってしまう

 

父は母を大切にしてこなかった

結婚して妻になり私が生まれると専業主婦になった

そしてたちまち上下関係がうまれた

 

そしてその事実を理解していなかった私は

自分がそう扱われても

これが普通なんだ

 

親とはこういった関係性でみんなどこもそんなものだ

と思考を止めていた

 

本当は女でも妻でも専業主婦でもちゃんと見て

頑張ってるね、ありがとう と評価してほしい

これを望むことの方が正しいはずなのに

 

それ自体を望む自分が間違っていると思い

自分を否定していた

 

この流れに気付かなければ

この考えが本当なのかと考えなければ

永遠に繰り返す

 

そして永遠に代々

我が家では専業主婦は雑に使われる

 

外で働いてお金を稼いでくる人は偉い

でも家庭でその働き手の生活を支えている人は

感謝すらされない

そんなことが家庭の中で普通に起きている

 

昔はそんなもんだと言われるかも知れないが

どこは不当な扱いを受けている

こんなの嫌だ

 

この考えでは胸を張って私は専業主婦ですとは言いたくないし

言えない、自信がない

 

現に”ただの専業主婦です”って言ってしまう

この言葉自体

自分を低く見ていて否定している

 

父はよく母が自分の望むことをしてくれないと

ぼやいていた

 

母がやりたいことと

父がやって欲しいことが違ったようで

いつも空気が読めない

場を読め 察しろとよく言われていた

 

そんなことは日常茶飯事

空気が読めない=期待通りに動かない

 

この雰囲気が強いため

空気を読みすぎてしまう

 

そして結果・・・

間違っていたら怒られると思い何も言えなくなってしまう

 

何も言わないと

何も考えていない となり

何も考えない=何もできない子と言われる

 

そして何もできない子に育てた母がいつも悪者扱いされた

 

自分のせいで母が責められるのは嫌だった

しかし確かに何もできない子だった

 

精神疾患の母は私が大学3年生の時

精神疾患を理由に長期入院した

そしてその時まで私は家の中をほとんど触ってこなかった

家事らしいことは一切できなかった

 

その一番の原因は母の精神疾患

病気が原因で触らすことができなかった

 

洗濯の仕方も知らなければ

料理の仕方も知らない

そして掃除の仕方もほとんど知らなかった

 

だから入院をきっかけに

家事のほとんどをその時自分で手探りで学んだ

 

料理本を買い📚

家計を管理し

掃除に洗濯

せざるを得ない状態が生まれたので学んだ

 

この入院がなければ結婚するまでやらなかっただろう

私は大学3年生までほとんど何もできない子だった

 

よってできなかった理由は

母が私に何も教えなかった

 

そして精神的な恐怖心

父がいたから何もできなかった

 

これらが理由でできない私が育ち

私は自分にできないレッテルを貼ってしまった

 

よくよく考えればこれって私のせいじゃない

でも頭の中にはたった一言

”できない私”

これだけが刻まれる

 

よって私は何もできない自分に無価値というレッテルを貼り

何もできない何もしない専業主婦=母がダブルで重なり

自分に対して無価値という思い込みが激しくなり

劣等感を抱くようになった

 

ことの経緯は親にあった

 

本来なら他人と比較することでもないし

比較できる基準すら明確になっていないはずなのに

 

父が母を大切に扱わず専業主婦である母を対等に扱ってこなかった

それが子の私には父と母に上下関係があるように映り

いつも母が見下されているように思えてならなかった

 

そして心に刷り込んでしまったバカな価値観

この価値観で私は自分を無価値だと

思い込んでいる

 

子どもの思考は単純で直結だ

いくら空気を読めても

ことの認識が全て正しいとは限らない

 

確かに子どもの頃は何もできず価値がなかったかもしれない

でもそれが今もそうだとは限らない

ただの思い込みをずっと引きずっている

 

専業主婦が無価値なんじゃない

母が無価値なんじゃない

私が無価値なんじゃない

 

私の親が未熟すぎて

間違った価値観を植えつけたんだ

 

この間違った劣等感

悲しいが親が作り出している

そして一番信頼できるはずの親が

人ひとりの人生を邪魔をしている

 

これに気付いたら

だいぶ楽になれた

 

まぁ未熟な親だから仕方ないか

親だってまた未熟な親の育てられ苦しんできた

 

そして今も苦しんでいる

そう今も私の両親は大きな劣等感を抱き苦しんでる

 

私みたいに親を恨んだり嫌ったりし反抗期を迎えていれば

少しは楽になれるんだろうが・・・

 

反抗期はこの間違って植えつけられた劣等感に

気付く時期なのかもしれない

 

娘達は気付いてくれたかな

未熟な私が植えつけただろう劣等感に気付けたかな

 

できないことをできるようにさせたかった

でもそれが劣等感を生むだけだったとしたら

こんな愚かなことはない

 

そしてこの劣等感を生む行為は

結局親のストレスや不平不満のはけ口が弱者に向かうため生まれる

 

劣等感を心の奥底に抱えたまま成長した私

その私が誰かに褒めてもらいたくて

自分の価値を見いだすために一生懸命家事に取り組む

そうやってがんばれば頑張るほど

自分を否定しているようでしんどかった

 

頑張れるときはあまり気付かないが

頑張れない自分が顔を出すと

焦りとイライラ感が増す

 

そして自分ばかり頑張っていると思い込み

頑張っている自分の隣で

頑張っていない人を見ると腹を立てた

 

でも結局そんな風に思ってしまう自分が

心が小さくて情けなくて

いつしかイライラする自分が悪いように感じ

 

何をしてもうまくいかない時がある

どんな風に考えても堂々巡りの状態で

負の感情はなくならない

 

そうやってどんどん自分を無価値に追い込んでいった

 

でももうやめよう

劣等感がどんどん膨れ上がるだけ

初めは勘違いで生まれた劣等感

 

それがどんどん自分を追い詰めさらには娘達を追い詰めた

なんだかよくわからない

もうやめよう・・・

 

私の価値は私が決める

今から私が決めればいい