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目指す方向が違う・・・スクールカウンセラーと合わなくなってきた

スクールカウンセラーと波長が合わない

1月にスクールカウンセラーとカウンセリングをして

違和感を感じた

もうこの時間は必要ない・・・

 

カウンセラーとの会話は主に私の両親とのこと

不登校児の娘達のことより

両親の話の方が多い

 

決まって

『おじいちゃん、おばあちゃんはどうですか?』

と聞かれる

 

不登校児の娘達の様子より

私の両親の様子?

 

要するに我が家の問題は娘達ではなく

私の両親

 

ここがずっと問題

だから正常に家族として機能していないため

娘達が不登校になった

 

娘達が学校に合わないのは

本人達の気質もあるが

根本的な原因は我が家が機能不全家族だからだ

 

強いて言えば我が家というより

私と私の両親

ここが機能不全を起こしている

そして共依存関係なため

なかなか根が深い

 

私が40代になっても精神的に親から独立できておらず

親の価値観の中で生きてきた

そして自分の価値観を持ち合わせず

生きていたため歪みが生まれ

そのしわ寄せが娘達にしっかりと現れた

 

聞けば私の両親も反抗期を迎えていない

その当時はみな親が一番正しくて親に従うのが当たり前

そんな親の都合のいい、いい子ちゃんで育ってきた両親

 

自分の価値観を持たずに成長し親になり

じいちゃん、ばあちゃんとなった

 

価値観のない大人は周りのちょっとした言葉にすぐに傷つき

あちらこちらの目を気にし他人の評価で生きる

そして自分は被害者だと言わんばかりの態度で

他人を批判し自己に甘える

 

単純に自分を信じない信じ切れないため

自分で自分を傷つけているだけ

 

可愛そうでも何でもなく

自分に甘く怠けているだけ

 

私は以前は精神疾患

なまけ、甘ったれだという声に否定的だった

でも今は真逆だ

 

母は単純に逃げて甘えているだけ

病気という盾に隠れ、攻撃してくる父に抵抗している

 

でも本当は違う

 

本当の敵は考えることから逃げた母自身

逃げ出すことも避けることもできたはずなのに

自分に厳しく自分で自分を傷つけるバカな母

 

目先の甘い蜜に惑わされ泥沼に足を突っ込んだ賢くない人

 

自分で自分を攻撃する人は人からの攻撃は大抵何でも耐えてしまう

常に自分が自分に攻撃しているため

慣れが生じ自分以外の攻撃には耐性ができる

 

次第に学習する

他者に傷つけられ被害者である自分を可愛そうだと思い込み

どんどん自分に甘くなる

 

甘くなる場所を間違えているとしか言いようがない

 

そうやって甘えているのを隠すように

可愛そうな被害者を演じ被害者意識に飲み込まれる

 

自分で自分の脳に支配され

精神疾患という怠け者に私の母は成り下がった

 

いつでも病気を理由に

あらゆることから逃げてきた

本当に逃げるべき場所からは逃げずに

ただ惰性で生きる生き方を選んだ

 

常に周りから同情心をもらい

それを糧に生きている

 

脳の仕組み、親子の愛着障害

潜在意識の存在

いろんなことを学び

いろんなことが絡み合っているのは分かっている

 

それでも現状を作り出しているのは

紛れもなく本人

 

本人が望んだことが現実に起きている

だからそれを可愛そうと同情すること自体

おかしい

 

だから総合的に判断して

私は両親に

母の脳にバカにされていたと感じた

 

そして可愛そうだと思うこと

手助けが必要だと感じること

全て無意味

 

全て母の課題を私は親切という

愛という親子という名目で

取り上げていたことに気付いた

 

その姿を娘達に指摘された

『ママ変だよ、おかしいよ』

『じいちゃんとばあちゃん変だよ』

 

娘達は私に親子の関係を問題視するよう

私が私として生きられるよう教えてくれた

それを教えるきっかけとして不登校児になった

 

これは必要なことで有意義なこと

 

 

去年の終わり頃からカウンセラーとの会話は

両親の悩み相談に変わっていた

 

問題は娘達ではなく私の両親

そして私の価値観が不登校を作り出している

 

親子でも家族でも他人を変えることはできない

そしてそれを私の両親はあまり理解していない

 

おかしいのは私でも娘達でもない

あなた達二人の関係性がおかしい

そう私は訴えてきた

 

そしてその関係性は娘の私にはどうすることもできないし

まして誰も手出しはできない

 

お互いが二人で解決していくしかない

長年連れ添ってきたから今更変えられないとも言うが

 

今までと変わらない現実を望むならそれでかまわない

でも我が家は以前のような生き方はまっぴら

 

そしたら進む方向が変わり

一緒には生きていけない

 

我が家はかなり方向転換している

それは新鮮でワクワクする道

 

本来の自分達の姿に帰る気分だから止められない

この我が家の変化に私の両親はついて行けず

戸惑っている

 

でも今まで変化を恐れ、ずるずる惰性で生きてきた

生きてくることでやっとだったという

 

それはそれでいい

それを望んでいるなら

そのまま変わることは必要ない

 

でも変わろうとしている人の足を引っ張ろうとするのは

親でも許せない

 

こんな私の考えをスクールカウンセラーと話あったところで

何も解決はしないことを

しみじみ感じるようになった

 

確かに自分の考えを聞いてもらって賛同してもらい

確信を得る

この行為は私の気持ちを強化させてはくれる

 

でも私の考えは私の考えで

スクールカウンセラーに賛同してもらわなくても

いい話なんだ

 

人の評価はいらない

必要なのは自分で考え行動すること

 

親との関係を修復しようとは思っていない

両親の問題は私の問題じゃない

今まで親子・家族という理由で引きずり込まれていただけ

 

カウンセラーも『あなたの家族に両親はもう含まれないよ』

そうやって言ってくれているのに

毎回両親の様子を伺い状況を確認する

 

でもそれをしたところで

私が話したところでなんの変化も起きないし

現実は変わらない

 

私は徹底して両親に無関心になるだけ

 

でもこの無関心な姿を人に見せていると

私はすごく冷たい人のようにも思えてくる

 

たぶんまだまだ今までの習慣が抜け切れていない

べき思考が強いんだろう

 

親の課題を可愛そうだとか

親子だからという理由で奪ってはいけない

 

この習慣が結局娘達にも同じように繰り返していた

 

娘達が迎える課題を不安や心配という気持ちから

奪ってはいけない

 

とことん本人達が向き合い課題にぶち当たればいいんだ

その課題にぶち当たる経験が自己を成長させる

 

私はなんでもかんでも奪い過ぎた

自分が奪われて心にぽっかり穴が空いているように

娘達の心にもぽっかり穴を空けてきてしまった

 

そして今それを忍耐という課題で課せられている最中

両親にも娘達にも忍耐という経験をさせてもらっている

 

こうやってもの事を捉えると

あんまり辛くない

もうなんでもまぁいっかでいい気がする

 

必要な学びの経験

何でも困りごとが可愛そうだと感じると

自分は不運だとか

自分は不幸だと決めつける

 

そうやって思うからなんとかしなきゃ

問題解決しなきゃと思ってしまう

 

反抗期が必要なように

物事には経験する理由がある

人は苦しんだ時初めてそこから学ぶ

 

そう思っていれば

学習時期を妨げることの方が可愛そうなことだと理解できる

その学びを奪うことの方が残酷なんだ

 

その学びを奪う度に

本人は学べず何度も同じことで苦しむ

何度も学ばさせられるために苦しみはやってくる

 

自分の両親が何も変わらない理由がこれで説明がつく

もうめっちゃ的確な模範がいるから

よく理解ができる🤣🤣🤣

 

両親を例に娘達に説明すると

私が関与しない理由も納得してくれる

ありがたいことに

愛情がないとは誤解されない

 

私の無視からみんなが自己と向き合い

学ぶ時期に入っている

 

私はそれを奪わないよう

自分に集中する

 

これをカウンセラーに話すと

『極端だね』って笑われる

 

極端でも何でもいいの

 

これが私だから