★不登校児の娘達には教科書は必要ない
4月に一度だけ娘達の担任の先生と会った
それは教科書を受け取るため
娘達の担任は
学校へ行かない意思を持っていることを
前任の先生から聞いて知っている
どれくらい話が伝わっているかは分からないが
学校へ行けない不登校児ではなく
自分の意思で学校へ行かないことを選択している不登校児
であることは認識されていた
そして今年度から学年費の支払いを拒否させていただいたので
学校から受け取る物は何もないと思っていた
でもどうやら教科書は学年費からの購入ではなく
教育委員会からの無償配布ということで
受け取って欲しいと言われ
わざわざ自宅まで届けに来てくれた
その時私は娘達の担任の先生と初めて顔を合わせた
娘達は学校に未練はない
そしてどちらかと言えば関わりたくない気持ちが強かったので
一切顔は出さなかった
担任の先生がどんな人なのか興味もないし
まして教科書なんて欲しくない
だから先生が来たよと伝えると
子ども部屋へいそいそと隠れてしまった
私はそれに対して何も思わなかったので
私一人で先生を出迎え
使うことのない教科書をしぶしぶ受け取った
最初は必要ないから紛失した子のために
学校で使ってほしいなと提案したが
みんなに一律に配布している
教育委員会からの無償配布なので
気にせず受け取って欲しいと言われ
頑なに拒否をしても仕方のないことなので
とりあえず受け取った
正直無償と言われても
それが何か?と聞きたくなる
欲しくない物を家に持ち込まれる感覚は
正直気分が悪い
とりあえず受け取るだけ受け取って
その後は娘達と考えよう
私的には見るとなんとなく罪悪感が生まれ
本当は勉強した方がいいんじゃないって
思ってしまう
新品のきれいな教科書
使ってもらえないのはなんだか可愛そう・・・
勿体ない
そんなケチくさい考えが浮かんでこないわけでもない
とは言え 去年みたいに
私が娘達の代わりに勉強するのはもう時間的に無理がある
在宅ワークに毎日追われている私には
今はそんな暇な時間はない
だから罪悪感を生まないよう
娘達の目の届かない場所へ隠すことにした
それでもなんだかモヤモヤする
紙の物は邪気を吸うと言われ
私はいつも要らない紙のものはすぐに処分する
だからもう捨ててしまおうかと考えた
念のため娘達に相談
学校へ行かない娘達にとって使わない教科書を
”いつか”のために保管しておくべきか?
もしかして学校へ行くかも知れないから
万が一に備えて一年間保管しておくべきか?
私的には気が重くなる内容だった
でも娘達はあっけらかんと
『要らないから捨てていいよ』と言う
私は
『でももし万が一 気が変わって学校へ行きたくなったら?
その時 教科書がなかったら困らない?』
って聞いてみた
そしたら
『学校へ行ったとしても教科書はつまらないから必要ないよ
別の方法でその時は勉強するから要らない』
って笑って言うんだよね
そっか 教科書はつまらなくて必要ないんだ
確かにそうだ
当然のように
学校へ行って 机に向かって
教科書を開いてノートを使って勉強する
なぜかこれしか方法がないと思い込んでる
正直この勉強の方法が一番無駄なんだよね
教科書読んで問題を解いて○を付ける
この方法をあたかも”これが勉強”なんだと
思い込んでいるからいけない
私も長女の中学一年生の問題を教科書とドリルを使って
勉強した時があった
正直問題が解ける楽しさはあるが
知識が増えて理解度が増し興味が増したかと言えば
そんなことはない
あくまで問題をこなすことが目的で
何のためにやっているのかは意味不明だった
だから正直飽きる
そんな勉強より
自分の興味のあること
面白いと思うことを学んだ方がイヤでも頭に残り定着する
そして自分の経験として学んだことは財産になる
世の中には面白い学びはいっぱいある
学び方もいろいろある
いくら大切だと言われる学びでもつまらない教科書では
何にも頭に残らない
そしてそんなこと十分に分かっているし知っている
だけど学校へ行けばみんなと同じように学んでおいで
それしか言いようがない
私は本で学ぶこともあれば
ネットの記事やYou Tubeの動画で学ぶこともある
実体験で学ぶことだってある
体験し体感しこれが一番理解が早い学び方
働くことも働き方を本で学ぶよりも
体を使って体験して感じながら考えて学ぶ事の方が
覚えは早いし仕事は出来るようになる
間違えたり失敗したりすれば
それこそ学びの宝庫
そんなこと分かっているのに
義務教育という固定概念が邪魔する
私は娘達に合った学びかたで学べればなんでもいい
この考えを覆してはいけない
周りに流されてはいけない
娘達は教科書で学ぶことは合っていない
つまらないと感じ学ぶ気が失せるらしい
これはわがままでも何でもない
ただ合わないだけ
だから娘達に合う方法で学べることを探す
今は教科書でしか学べない事なんて
きっとこの世の中には何一つない
いろんな方法があり
私が知らない方法もたくさんある
そして一番重要なのが
娘達が学びたいって思ったことを
その時に学ぶ
これが一番大切で忘れてはいけないこと
周りがこれが必要
あれが必要 などと押しつけるから
上手くいかなくなる
時期が来るまで待てばいい
私は子どものころ勉強の仕方が分からなく
父親にバカ扱いされ
劣等感を植えつけられまくっていた
だから高校生まではほとんど勉強できなかった
それが高校生になると比較的自分に合ったレベルに進学するため
なんとかがんばれば勉強についていけることがわかった
それからだんだんと精神年齢が成長したことにより
勉強のやり方も自分で気づけるようになり
コツをつかんだ
勉強のやり方
試験での点の取り方
一つ分かると芋づる式に分かっていった
勉強のやり方を知った時には
こんな簡単な事なんだ
私でも出来るんだと気づいてうれしかった
だから私は高校生の時が一番勉強した
それも苦労して というよりは楽しんでやっていたので
勉強なんて簡単だと思い込んでる
そして勉強出来たことにより
勉強ができないというコンプレックスを
自分で解放した
でもこれも私事でとどめておけば良かったものの
自分の経験から
私は勉強のやり方、試験での点数の取り方を
長女に早い段階で教え込もうとしていた
今思えば
私は親につけられた劣等感の恨みを
長女で晴らそうとしていた
私は勉強のやり方が分からずバカ扱いされ
でもやり方さえ知っていればバカ扱いは受けない
それを証明しようとしていた
小学4年生頃からだんだんと学校の勉強が難しくなり
それまで簡単に点数が取れていたものも
そうはいかなくなる
私はこの時期から本格的に長女にテストの点の取り方
勉強のやり方を頼まれてもいないのに教えていた
これがまた余計な事だった
長女が望んでいないのに余計なことをした
ここでもまた反面教師が裏目に出た
長女が勉強したくて点数を取りたくて
望んだことなら
私のやったことは正当化できる
でも長女は勉強が出来ようが
点数が悪かろうが一切気にしなかった
だから実際には半ば無理矢理
勉強が出来るのがいい
試験で高得点を取るのがいい
勉強出来ればバカにはされない
そうやって私が思い込み
勉強ができる子に育てようとしていた
私の父親に娘をバカにされないよう
見返すための道具に使っていたのかもしれない
もちろんその当時はそんな風に考えている自覚はない
ただそれに付き合わされている長女は
嫌気が差していただろう
まぁそんなこともあり
私はもう娘達の意思を尊重せざる終えない
正直私の過去がみんな娘達に降りかかっている
そう感じずにはいられなかった
だから次女が教科書は要らないと言った時
その言葉をそのまま受け入れ
処分することを実行するまでだと思った
万が一を考え
次女の意思に反し取っておくということは
私のするべき事ではない
処分したことで問題が起きた時は
それはそこで娘達が何かを学ぶ時
だから要らない物は我が家に置いておくべきじゃないと判断し
古紙回収で処分することにした
この際
学校の教科書以外にも
まだ数冊市販のドリルや問題集がある
いつかやるかもしれないからと
勿体なくて捨てられなかった
でも使わないものは
目に入るだけで気が下がる
紙類はそこに存在しているだけで邪気を溜める
さっさときれいさっぱり片付ける
自分の気持ちに方を付けるべきなんだ
娘達はちゃんと片を付けている
私も見習って片をつけ処分をしよう
なんだか私の存在も要らない気がしてきた
いっそのこと娘達に片をつけられ
きれいさっぱりしたい
親子の関係もなんだか煩わしい・・・
とりあえずは
簡単に処分できる教科書から
きれいさっぱりとね😊
きっと捨てたところで困りはしない
物がイヤでも増えていく現代
要らないと思うものは
意識的に持たないようにしよう
心も脳も軽くしよう
要らない物に囲まれて
大事なものを見失わないように