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元不登校児 2年目のサポート校 自己観察を怠らない!

★サポート校2年目も変わらず無理はさせない!

元不登校児の長女

4月から通信制高校のサポート校の2年生

 

久しぶりに学生生活が戻ってきた

と言っても相変わらず

週に1,2回のペース

 

もう少し顔を出してもらいたいというのが

親としての正直な気持ち

 

なんせ学費がバカ高い

 

いいんですよ

普通とは違う道を選んだのだから

手厚いサポートを受けられるのだから

長女にとって居心地の良い環境なのだから

 

それなりに必要経費というものがかかることは

十分承知しております

 

需要と供給のバランス

当たり前のこと

 

ただね~

いくら長女にあった環境とは言え

本人がフル活用してくれないことには

宝の持ち腐れなんだよね

なんだかもったいない気が拭えない

 

せっかく入学したのだから

自分の今の状況、環境を存分に味わい

ここでしかできない

さまざまな体験、経験をして欲しい

 

そう やっぱりどこかで考えてしまう

 

”これでもかって言うくらい

この恵まれた環境をフル活用してよ”

 

本当 不登校にならなきゃ

こんな長女に合った場所

素敵な場所には

出会えなかったんだよ

 

このサポート校に通えることは

とってもありがたいことなんだよ~

って声を大にして言いたい

 

これが本音になってしまう

 

長女に合う環境にようやく出会え

ありのままの自分を受け入れてくれる人達

そんな場所に巡り会えた奇跡

 

そんな恵まれた場所にも

どうやっても3年間しかいられない

残りたくても残れない期限付き

 

だからこの貴重な時間を

 

存分に堪能して!

味わい尽くして!

自分のものにして!

 

なんでもいいから

どんなことでもかまわないから

自分の糧にして!財産にして!

 

でもこんなのやっぱり親のエゴ

 

私が何を考えても仕方ないこと

それもとても理解している

 

もちろん長女は

私の気持ち=親のエゴ

自分の置かれている状況も

全て理解はしている

 

それでも長女にとって

ゆずれないものがある

妥協してはいけないことがある

 

それは

必要性を感じない行動

自分のキャパを超える行動

自分の感情や感覚を無視する行動 

 

これらは簡単にストレスに変化する

うやむやにすると後々面倒になる

 

そのため親の私のエゴなんかで

長女のポリシーに反することを

させることはできない

 

過保護というよりは

長女の元々持ち合わせている気質と体のリズム

体力・気力のキャパ

これらを考慮してのこと

 

長女の気質を理解すると同時に

体のリズムも自然と分かってきた

 

長女の心と体に負荷をかけることは

強化することには繋がらない

壊すことだと認識している

 

だから無理をさせることは

なんの得にもならないため

絶対的にNGとしている

 

サポート校1年目の生活で学んだこと

去年数回体調を崩した

その度に味覚障害も起こした

 

無理をして頑張ると

ストレスが味覚を奪う

そんなサイクルに気づいた

 

どうやら週4日登校すると

長女のエネルギータンクは枯渇するらしく

バッテリー切れを起こす

 

たかだか週に4日だが

長女にとってはかなりエネルギーを要する

 

サポート校が問題というよりは

外の刺激に触れることが問題なようで

あっという間にエネルギーが消耗される

 

エネルギーチャージするには

自分の好きなことに没頭すること

リラックスする時間を作ること

そして

良質な睡眠と食事が回復へ繋がる

 

自分で自分を刺激から守りつつ

自分の内側の欲を満たす

 

そしてたっぷりの休息と

何もしない時間が長女を回復させる

 

適度な刺激が必要なことは分かってはいる

 

ただ私達が考えているよりずっと多くの刺激が

外の世界では飛び交っている

 

無意識に生活していると

あっという間に刺激を受け

バランスを崩す

 

サポート校への登校はどうしたって外出にあたる

 

サポート校自体は居心地のいい場所ではあるが

そこにも多くの刺激は存在する

刺激が無いわけではない

 

またそこまでの道のりにも

当たり前だが多くの刺激が飛び交っている

 

外の世界に触れる時間が多くなれば

それだけ刺激に触れる時間も多くなる

 

これらの刺激が

心も体も疲労させエネルギーを奪っていく

 

本人の気づかないところで無意識に

外の刺激に反応し

体力も気力も奪われていた

 

外の世界は長女にとって刺激過多な世界

 

おそらく許容範囲がまだ小さいんだろう

それが良い悪いではなく

これが長女である

 

多くの刺激にエネルギーが消費され

知らず知らずのうちに体調を崩していく

それにともないストレスで味覚がなくなる

 

しっかり休めば若いのですぐに体力は回復するが

味覚は違った

 

味覚の回復には2週間ほど時間がかかった

それ以上かかったときもある

 

その間 食欲はガクンと低下する

そのためエネルギー補充が難しくなる

一気に食が進まない

 

体力的にはケロッとしているが

心はどこか落ち着かない

 

原因を探したり

味覚を取り戻すために

できることを試す

 

味覚を取り戻すためには

休息とリラックスが必要だが

この休息とリラックスが長女には難しい

 

長女は何もしない時間との付き合い方が苦手

 

何もしない時間というのは

自分にはなにもない

価値がないと言われているようで

落ち着かないらしい

(これ 親の私にも身に覚えのある感覚)

 

だからいつも何かに没頭している

 

ipadでイラストを描いたり

大好きな漫画を読んだり

you tubeやゲームにのめり込んだりと

 

没頭している時間はフロー状態

満足感は得られるものの

これは休息ではない

 

気持ちの良い刺激を受け続けている状態なため

脳は反応し続けている

 

よってリラックスはしておらず

休息もできていない

 

だから意識してボーっとする時間を作らせた

何もやらない時間の必要性を説明し

何もしない時間を意図的に作らせた

 

何もしない時間は決して無駄な時間ではない

自分の体と心のメンテナンスに必要な時間

とても大切な時間なんだ

 

気兼ねなくぼーっとすれば良い

 

”体と心はこの時間が必要なんだよ”って

教えてくれているんだと

長女に伝えた

 

そして長女は三女の愛猫と

よく窓側でひなたぼっこをした

 

このひなたぼっこをする時間が

長女にはとても大切だった

 

長女の回復には概ね一人時間が必要

そして

刺激から適度に遠ざけることも必要

 

ゆっくり休息し

自分の好きなことに没入し

ただぼーっとする時間を確保する

そして

外の刺激ある世界から離れる

 

これらで少しずつ回復した

 

そんな長女の心と体のリズムを理解すると

安易に無理をさせてはいけないと分かる

 

長女自身も自分の感覚に敏感になり

すぐに体の違和感に気づけるようにもなった

 

自分の体の状態とを考慮し

サポート校への登校を

長女なりに調整している

 

下手に無理し

欲張って無駄に頑張ってしまうと

結果的に体調を崩し外出すらできなくなる

 

また本当に必要な登校日に登校できなくなる

 

そんなことが続けば

サポート校自体を嫌いになりかねない

 

そうならないためにも

自分の行動に責任を持つ

 

自分の感情

自分の感覚に嘘はつかないと

長女は決めている

 

長女にとって

行く意味のない登校

行く意味を見いだせない登校は

体調を崩しストレスを生む

 

1年を通して長女は自分の体の感覚から

自分の体のペース、スタイルを学んだ

 

そんなわけで

親の損得勘定は子の成長を妨げるだけ

そっとしまい込むのがベスト

 

週に1,2回の登校でも何も問題はない

ましてや

長女はサポート校との関わりで

自分の体の仕組みを学んだ

 

これはこれで収穫

 

これもりっぱな経験

 

ちゃんと得るものはあり

ちゃんそこに学びはあった

 

ここ一年でグンっと長女の言語化が進み

何を感じ

何をどう理解したのか

率直に話をしてくれるため

長女を理解しやすくなった

 

しっかり自分の体と向き合い

心と感情を大切にしている長女を

私は誇りに思う

 

親としては学生生活という経験を

中学の3年間できなかった分

取り戻す意味でも

沢山いろんな経験を欲しいと

勝手に望んでしまっていたが

 

長女は長女なりにサポート校へ行かない日でも

ちゃんと自分とサポート校のことを考えている

 

サポート校へ楽しんで行けるよう

日々自分の体と向き合っている

 

体は家にあるが

心はしっかりサポート校の生徒

 

これで充分なんだ

 

長女は2年生になった今もなお

自己観察を続け

自分とサポート校の距離を

適切に保っている

 

全てが経験

その経験で何を学ぶかは本人次第!

 

信じて見守るしかない

というよりこれしかない

 

2年目のサポート校で

長女はどんな経験をし

そこから何を学ぶんだろう? 

 

本当 自由に好きにさせるのが一番

子供なりのどんな答えも今では楽しめちゃう!

 

そんな自分が一番面白い🤩

学校=知識の習得 この思い込みが消えた瞬間心が軽くなった


★1年を通してサポート校で学んだこと

元不登校児の長女

2月の上旬に2回目の認定試験を受け

たった数日間の暗記で

サポート校の在籍と

2年生への進級の切符を手に入れた

 

中学の3年間

ほぼ完全なる不登校児だった長女

ほとんど勉強することなく過ごしてきた

そのため学力は小学生でストップ

 

そんな長女が3年ぶりに

授業や試験 もろもろに取り組んだ

 

やりたくないことはやらない

これを貫いてきた長女

 

そんな長女でも最低限のことには取り組んだ

 

サポート校の先生にやらされているのではなく

自分の意思で必要だと理解しているから取り組める

 

サポート校に在籍するための単位取得

レポートにスクーリング、課外授業に認定試験

いろんなことが初体験だった

 

環境の変化に敏感な長女にとって

心理的負荷は大きかったものの

土台(長女の心)が安定していたためか

軽やかに進んで行った

 

今振り返っても特別困ったことは起こらなかった

 

サポート校でのこの一年間

大して摩擦もなく長女は自分のペースを確認しながら

上手いこと学生生活を送ってきた

 

勉強なんて出来なくても

やらなくても

本当 困らなかった

これが一番の発見だった

 

学校=勉強ではないということを

長女を通じて理解してしまった

 

私はサポート校に入学する前に

何度か先生達に確認した

というより念押しをした

 

子がやりたくないことを

無理矢理やらせることはできない

 

子のためにと言って

あれこれしなさいと指示することはしない

 

コントロールは絶対にしない

 

行きたければ行く

行きたくなければ行かない

この全てを受け入れる

 

中学の時と変わらないスタンスを貫く

と 先生達に親の私の意思は伝えた

 

だから正直学生生活が続くかは分からなかった

そして続かなければやめればいい

それくらい軽い気持ちで入学させた

 

なんせ 勉強嫌いの子が

勉強する意思のない子が

学力が小学校で止まっている子が

 

いくらゲームのサポート校とは言え

やって行けるんだろうか?

学生生活を楽しめるんだろうか?

 

高校生の学習にどう向き合うのか

先生達はどんな風に学習を指導するのか

もうね 想像がつかなかったよ

疑問だらけだった

 

疑問だらけで分からないことだらけで

それでも体験したいんだから

体験させてあげればいいんだと考えた

それでいいと思った

 

勉強をしない長女がどんな風に学生生活を送るのか?

どんな風に楽しさに出会っていくのか?

どうやって人間関係を構築していくのか?

見物だった

 

単純に好奇心が勝った

知りたかっただけ

 

やりたくないことに

興味のない勉強に向き合うことなく

3年間続けていけるんだろうか?

 

勉強ができない状態で

居心地は悪くならないんだろうか?

 

この勉強に対する価値観は

長女にはなかった

 

勉強出来なくて嫌な思いをする とか

勉強できるようにならなければ

っていう価値観は親の私にあるだけだった

 

長女にとってはこういった価値観はどうやらないようで

勉強が出来る出来ないはどうでもいいことだった

 

そんなこともこの一年でよく分かってきた

 

学校は勉強だけじゃない

人間関係の構築

コミュニケーションの実践の場

 

勉強より大切なことは沢山あるとは言え

どうしたって勉強が大半を占める

それが普通だと感じていた

 

私が知っている学生生活では

勉強が出来ないということは

かなり辛い立場に追いやられる感覚があり

実際学力の有無で差を感じていた

 

まぁどこまでいっても

これは私の過去データ=クソみたいな価値観

 

私が勉強出来なかったことで自己を下げ

勉強ができるようになったことで

自己評価が上がったと勘違いしていたに過ぎない

 

私の親はあるがままを受け入れる親ではなかったため

常に成果物が必要で

それを提示しない限り

存在を受け入れてもらえなかった

 

この感覚が子供の私に

両親から与えられたものだった

 

だがこれは

あくまで私の中の価値観

 

長女の勉強に対する価値観とは

まったく違うものだった

 

長女は勉強よりも楽しいこと

大切なことが何なのかを知っている

 

だから自分は勉強は出来ても出来なくても

どちらでもいい

そう考えている

 

実際 興味のあることについては

即戦して自分で取りに行き

自分のペースで学んでいく

 

そこにあるのはただの好奇心だけ

努力は何一つしていない

 

言い換えれば

この好奇心のアンテナが発動しない限り

長女は学ばない

 

それに 

サポート校では勉強出来なくても

先生も周りの誰も一切気にしない

 

サポート校は他者と比較させる場所ではない

周りがどうとか

自分がどうとか

そういった考える時間がそもそもない

 

順位を競うことってゲームの競技以外では

ないんじゃないのかな

 

このおかげでまったく気にならない

これがまた良かった要因

 

周りに流されることなく

いつだって自分のペースを保てる

自分の意思を貫ける環境がある

これが長女にはちょうどよかった

 

 

ちなみに入学前

勉強できない勉強しない長女に先生達は

『大丈夫!大丈夫ですよ!』

『99%卒業できるから心配ありませんよ』

って笑って言ってた

 

この時は正直半信半疑

それが1年を通してこの言葉の意味を理解した

 

サポート校のベースにある通信制高校の求める学力と

私の想像する高校生の学力との間に

大きな差があった

 

今は沢山の知識を得ること

正しい答えを導くこと

ここに重点は置かれていない

 

少なくとも長女が通うゲームのサポート校では

それらの学力は求められていない

 

今の社会が求められているものは

正しい答えを導く能力より

いろんな視点から問題を作り出し解決する能力

 

柔軟な視点や柔軟な発想

豊かな感覚の使い方が求められている

 

私の知っている知識や常識は

もう時代遅れで足かせにしかならない

不要なものだと知った

 

サポート校で取り組む試験も

ただのゲームの通過点にすぎない

 

暗記して問題に挑み

ステージをクリアする

 

クリアしてしまえば

また次のエリアのステージに行き

新たなステージを体験する

いつだってゲーム感覚

 

この軽い感覚で長女は

これからもサポート校へ通う

 

全ては体験 楽しむしかない

私が最初に感じた面白そうという感覚と

長女の好きを共有できる人に出会えそうという感覚

 

この軽やかな感覚を大切にするためには

私の古い価値観は不要になった

 

長女の前向きな心持ちを大切にし

全ては体験だと捉えようと親子で意識する

 

例え間違った選択であったとしても

体験して感じ

それから自分達の答えを作り出せばいい

 

それからでも遅くはない

そう言い聞かせ進んで来た

 

ぶっちゃけゲームのサポート校の入学なんて

面白半分でしょ!

冒険心しかない!

 

ほぼほぼゲーマーの男の子しかいない

見るからにオタク気質満載の空間

 

これがまたよかった

面白かった🤭

 

まぁなんでも一点集中型の方が

濃厚で味がある

 

個性的な集団だからこそ

異物が異物感を感じさせない

 

普通で言えば不登校児なんて異物だろうが

みんながみんな元不登校児だったら

そこに違和感はあまり感じない

 

そう実は7割ぐらいは元不登校児らしい

似たもの同士!仲間よ!

 

みんなというカテゴライズが

あまり成立しないため

長女の行動もさほど目立たない

 

というかサポート校では

いたって普通

もうどんな子でもOK

 

っていうくらい大らかで包容力のある先生に

いつも助けられてる

 

とりあえず

学校=知識の習得の場という概念は

今では全くない

 

学校=知識の習得=成果物の取得

この思い込みがなくなったことが

私にとっては大きな体験

心の中が軽くなった瞬間でもあった

 

長女は知識の習得ではなく

人間関係の構築とコミュニケーションを学びに行っている

 

ただそれは必ずしも

長女の望むものが手に入るとは限らない

 

正直長女がどこまでの人間関係を望んでいるのかも

私にはわからない

 

サポート校はただの通過点になるのかもしれない

何も得られず終わるのかもしれない

 

もしくは何か大きな産物を手に入れるのかもしれない

 

まぁなんでもやってみないとわからないし

何も得られなくても別にどうってことない

 

体験できることは

とりあえずやってみないと

家でおとなしく良い子で待っていたって

なんの感覚も得られやしない

 

会社でも学校も入ってみないと分からない

その環境に身を置いてみないと

自分がどう感じるのか

自分に合っているのか

知りようもない

 

想像で終わるよりまずは体験

この感覚を軽やかにどんどん回し続けたい

 

軽い感覚で学びたいことを学び

やりたいことをやる

 

遅いことなんて何もないんだから

いつからだって挑戦すればいい

 

みんな出来る人はそうやって言うよ

真似すればいいじゃん

 

あの時やっておけばよかったなんてものも

ただのいいわけ

やりたくなったら即やる

 

いつからでもやり直しはできる

スタートしちゃえば良い

簡単だと思い込んじゃえば良い

 

実際長女の場合

興味を持ったことには苦無く取り組める

吸収力はハンパない

 

ただこの力がいつどこで発動するかは

私には分からない

だから諦めた

 

長女の吸収力を知っているんだから

邪魔しないことが私にできること

 

まぁね

それがたまたま学校で教える学習ではなかった

これだけのことなんだよね

悩んでもしかたない

 

長女を見る限り

彼女は結構知識豊富

自分で学んだことはスラスラ説明もできる

 

こうなるとね

学校の学習なんて

やらなくても問題ないってことが

簡単に証明されちゃう(我が家では)

 

こんな楽観的でいいのかと疑いたくもなるが

今までの経験上

今までとは違う選択をしてきたから

今の現実がある

 

そう考えると

今までと違う見方や選択をする方が

私達にとってはベストな現実を連れてくると解釈できる

 

変な話

今までの潜在意識、価値観で

今までと同じような選択を繰り返してると

今までと変わらない現実が目の前に現れるんだよ

 

だから選択するときは

あえていつもとは違う方を選ぶことにしている

 

いつもならこっちを選ぶけど

それだと面白くないから別を選択しよう

 

すると当たり前だけど

今までとは違う現実になるんだよね

今までとは違う景色が見えてくるんだよね

 

これ案外楽しい!

面白いから逆!逆!って進んで行く

 

長女にも選択に迷ったときは

いつもとは違う行動を取るように意識させてる

 

これは本人も体感済みでゲーム感覚で面白がってる

 

なんでも楽しめるよう

変換する癖は持っておくと便利だよ

 

さぁ もう少ししたら

長女の2年生の生活がスタートする

 

どんな1年生が入学してきて

どんなことを意識して生活していくかな

 

私はどんな姿をこれから見させてもらえるんだろう

長女の姿を通して何を学ばせてもらえるんだろう

常に学ぶ人の目線で明日を見ていきたい

 

これからもどんどん観察していこう🫡

 

一般的には学校と言えば勉強になるかも知れない

 

それでも我が家では

長女にとっては○○である と

長女が自由に決めて良いことにした

 

そう思えたことがとても心地よかった

元不登校児の長女 今を守るために試験を受ける

★今の生活を続けるために認定試験を受ける長女

不登校児の長女

サポート校での生活に慣れた頃

2度目の試験を向かえた

 

先週一年生2回目の認定試験が行われた

ちなみにこれが最後の試験

 

長女が通うサポート校では

試験は年に2回しか行われない

 

日々の学習理解度を確認するための

簡易的なテスト

小テストみたいなものもない

 

そのため

自然と学習面での頑張り時は

この2回の認定試験時のみ

 

唯一長女が一生懸命学習に取り組む

珍しい時期である

 

この時ばかりは

自ら進んで学習に向かって行く

 

私は進捗状況を

軽く教えてもらうのみ

 

基本学校で教える面白みのない学習

これにはどうしたって興味が湧かない

 

興味がないこと

意味を成さないものへの取り組みは

長女には出来ない

そして

私もやらせないと決めている

 

長女には行動することに意味が必要

長女にとっての意味が無ければ

どうにもこうにも動かないし動けない

これが痛いほどよく分かる

 

実はこれ 私も同じ

 

意味のないものへの行動ほど

ストレスを生むものはない

 

今まで気にもとめていなかったが

自分以外の意思決定により

動かされることには

少なからずストレスが付いて回る

 

これを知ってしまうと

長女に意思決定をさせない

理由が見つからない

 

長女の意思を無視すれば

長女は自己を保てなくなる

そう私は理解している

 

試験を受ける

試験を受けない

 

不登校の時から今も変わらず

長女は全てを自分で選択し決めている

 

そして私達親は長女の選択を

今も変わらず受け入れている

 

小さな頃からの選択と決定が自分を育てる

大して責任の重さが重要視されない子供の頃から

少しずつ選択し決定する行為を繰り返す

 

そうすれば

いつか訪れる大きな選択さえも

自分で少しずつゆっくりと決定し

行動するようになる

 

これから向かえる責任ある選択と決定

 

親や他者が手出ししなくても

自ずと自ら向き合えるようになる

取り組むようになる

 

他責思考ではなく自責思考の世界線

生きて行かせる

そう決めている

 

また 大人の決定やアドバイス

一歩間違えば 

コントロールに変わる

 

そのため

極力親の私達は口出ししない

(もちろん生死に関わることは別の話)

 

まぁもうすでにあまり相談はされない

ある程度のことを自分で決めている

最後に報告を受けるくらい

 

決めかねているときは

上手く言語化出来ていない時

 

そんな時は言語化を手伝うくらい

言わば引き出し役

 

概ね長女本人が自分で考え

答えを出すことが

当たり前になってきた

 

今回は試験を受けるか受けないかの選択

ただこれだけのこと

 

試験を受けようが拒否しようが

別にどちらでもかまわない

 

親にとっては学費の支払いがなくなる

これしか頭に浮かばない🤣

 

だから行きたくなさそうな素振りを見せると

主人が『やめてもいいんだよ』って

チャチャを入れる

 

元々学歴に執着がないため

中退しようがどうってことはない

 

主人が仕事する目的の中から

長女の学費の割合が減るだけ

そんなかる~くしか考えていない

 

子供の責任は子供の責任

親の責任ではない

 

どうやっても

代わりに背負うことなんてできない

というか背負って欲しいって

そもそも望まれてもいない

 

どうしてそんな当たり前の事

気づかなかったんだろう

 

長女は自分で選択し

決められる充実感を手にすると同時に

自分の責任を自分で背負う

 

親に責任転換できない状態を

長女自身が自分で選んだ

 

自分に選択肢があり

決定権がある今

全て自分で責任を負うというプレッシャーは

おそらく多少なりとも感じてはいるだろう

 

それでも責任も何も無い

虚無感と共に生きるくらいなら

責任を自分で背負った方が楽しい

これが分かるようになったと言う

 

もちろん失敗や間違いもする

それでも充実感、達成感、幸福感も感じられる

さまざまな体験が出来るようになったから

今が楽しいと伝えてくれる

 

自分で選択し行動する

どんな些細なことでも

全て自己成長に繋がる

 

長女を見ていると

それがありありとよく分かる

 

周りが試験を受けるから受けるわけじゃない

試験を受ける理由が長女にはあるから

試験を受けるだけ

 

誰にやらされるわけでもなく

自ら取り組む行動は

いつだってプラスにしか動かない

 

親の私から何も声がけしなくても

自ら取り組んでくれる姿勢は本当に楽

そして

見ていて安心する

 

まぁ認定試験を通過しないと

サポート校に在籍することができない

やらないわけにはいかないんだよね🤭

 

そう これだけ 

長女が試験を受ける理由はたった一つ

サポート校に通いたい

これだけなんだ

 

サポート校に在籍するために

今の生活を続けるために認定試験を受ける

 

この理由があるだけで

長女は苦手なこと

嫌いなこと

普段ならやらないことも

取り組むことができる

 

子供にとっても

やる意味・理由・目的

これらは大きな力を持つ

 

そこへ自分の自由意志がプラスされれば

なおさら強い

 

面白いよね!

子供の自由な考えや自由な姿を見てたら

こっちまでなんでも出来るような気がしてきちゃう

 

きっと

教えてくれてるんだろうね😯

 

自分で決めて行動していいんだよって

 

誰かのために

何かのために

自分のエネルギーを使わなくてもいい

 

自分のために頭使って

自分のために時間を使っていい

 

長女は自分のことを自分で決める代わりに

ママも自分のこと自分で決めていい

自分のやりたいようにしていいんだよって

 

それができるんだよって

教えてくれている気がする

 

長女にとってサポート校が

”とても大好き”な場所でよかった

 

ここが嫌いな場所

つまらない場所

行きたくない場所であれば

試験は受けないし

進級しようとも考えない

 

あと数月で長女は2年生になる

 

2年生になると大学進学のための

授業がスタートする

 

長女は大学へ進学はしない

となるとサポート校への行く目的が

ちょっと不明確になってくる

 

今よりさらに登校日数は減ると見込まれる・・・

 

それなら何故サポート校に通いたいのかって話になる

これはまた後日・・・

 

ちなみに今回の認定試験も赤点はなかった

よって進級確定🎉

 

まぁ普通の高校生が受ける試験とは

格段にハードルが低い

 

勉強嫌いや勉強出来ない子でも入学できる場所だからね

当たり前と言えば当たり前

試験が難しくて赤点ばかりでは困っちゃうからね

 

とりあえずそんなわけで

長女は自分で今の環境を守るために

いつもはやらない学習に取り組んだ

 

でもね~

つくづく感じる

 

我が子

別に頭が悪いわけではないんだよね

別に勉強が出来ないわけでもないんだよね

 

ただ教えられることが嫌いなんだよね

興味のないことに

自分の時間を使うことが出来ないんだよね

 

学校で勉強を教えないってことは

出来ないのかな?

 

子供が気になること

知りたいこと

これだけにフォーカスして

学べるようにサポートするっていうのは

無理なのかな?

 

まぁこれが”あり”なのが

サポート校なんだけどね

 

サポート校でも

長女は自分が知りたいことしかやらない

知りたいことしか聞かない

 

それで問題なく済んでいるんだよね

困ってないんだよね

まぁ~不思議だ

 

大人があれこれ考え過ぎなのかな

それとも私があれこれ考え過ぎなのかな・・・

 

もっと柔軟でふにゃふにゃの頭でもいい気がする

肩の力抜いて脱力して

物事を見てちょうどいいのかもしれない

”共感”と”共有”で子どもに寄り添うことで私は”私(自分)”を育てる

★2025年一年を通して親の私が学んできたこと

あっという間に一年が過ぎ

新たな年がスタートした

そして はやくも

もうひと月が経とうとしている

 

本当早いよね~

そんなに急かさないでよ…

 

私はもう少し

ゆっくりとのんびりと

”今”を楽しみたい

”今”を感じたい

 

自分の時間を味わいながら

家族との時間を共有しながら

周りの景色をゆっくりと眺めていたい

 

ゆっくりとゆるやかに

大らかな気持ちでのんびりと

 

どこまでも穏やかに

広い海の水面が静かにたゆたうように

 

ゆるやかな時間に身をあずけ

ぷかぷかと浮かぶかのように

だけれども少しずつ前進する

 

 

そんな夢想の世界に身を委ねながらも

気づけば あれよあれよと

一日が過ぎ 一年が過ぎる

 

それでもね

なんやかんや言いながらも

夢想しながらも進んで来た

 

自分達のリズムを知り

自分達なりのリズムを作ってきた

 

どうにかこうにかリズムを

崩すことなく乗りこなし

私達らしい習慣を育んできた

 

少しずつではあるが

私達なりのリズムのある暮らしが

整い始めてきている

 

それと同時に

娘達の心も

私の心も

概ね安定してきている

 

この安定がどれだけの安心をもたらすかは

言うまでもない

 

目には見えないけど

確かに”ここ”にある

そんな安心感が

私を”ぐっ”と落ち着かせる

 

私にとって”安心”という言葉は

とてつもないパワーを持つ

 

逆に”安心”に揺さぶりをかける

”不安”と”心配”には警戒心が強くなる

 

不安も心配もちょっとしたきっかけで生まれ

あっという間に空気感染する

ウィルスのような存在

 

だからできるだけ小さな状態で

放置せず拡大させないよう消す

 

そのため常に心がけていることは

”のんびりとゆるやかに焦らずに”

 

心の余白が一番のお守りになる

 

慌ただしさと忙しさで目の前のタスクに追われる日々

そんな日々では状況把握さえままならない

 

ゆとりがないだけで精神は無駄にすり減り

焦りが増すことで苛立ちが一層際立つ

 

この無駄な循環を作らないよう

せめて家族の中心である私だけでも

ゆとりある大らかな生活を心がける

 

 

最低限やらなきゃいけないこと と

自分のやりたいこと

 

優先順位はまだ上手くつけられないが

 

互いに焦らず急かさず

一歩下がって俯瞰する

このスタイルを守りたい

 

他者との境界線が曖昧な私は

家族と自分を守るために

余白をしっかり作ることが必須だと学んだ

 

余白を作ることで

家族と自分の”今”を楽しむ

 

過ぎてきた過去でもなく

これから訪れる未来にでもなく

”今”に注力を注ぐ

 

世の中のリズムには乗らず

娘達の中に流れるリズムに集中

その上で

私の中に流れるリズムをも大切に守る

 

意識的に行動し続けないと

簡単に流されそうになるから

注意が必要

 

それでも

自分達のリズムを大切にしてきたおかげで

未だかつて無いくらい

娘達と私の”今”を体感している

 

親だからと言う配慮は手放し

自分の感情をぐっと押さえ込みそうになる時は

サッと引き上げ解放する

 

親だから

大人だから

このストッパーは極力外す

 

心が感じること

心から望むこと

 

ありのままの自分を

娘達を受け止めるのと同じように

丸っと受け止める

 

自分で自分を受け止める

わがままでもなんでもない

他者に依存しない一番楽な方法

 

この私の姿を

娘達も主人も拒みはしなかった

 

何一つ衝突は起きず

何一つ困ったことは起きていない

 

ありのまま、素の自分

簡素でわかりやすいく

思いのほか扱いやすい

 

ただそれだけのことだった

 

互いに受け止めることは

難しいことじゃないと知った

 

元々私と娘達は

互いに似たような気質を持ち合わせている

 

そのためか

共感しやすく共有しやすい

 

共感”と”共有

 

たったこれだけのことだが

この二つがとてつもない安心感を生む

 

他者の感情には敏感なくせに

自分の感情には鈍感

 

見て見ぬふりをするのが得意な私だったが

少しずつ自分を受け止めることで

無自覚だった感情を自覚できるようになった

 

というか

自覚してもいいんだと分かることで

自覚することに抵抗がなくなった

どんな自分に対面しても

怖さを感じなくなった

 

どんな自分も愛おしいと感じる

愛おしさの感覚が少しずつ芽生えてきた

 

このことで気がついた

 

私は娘達に寄り添い

娘達を育て見守ると同時に

自分の心の中の”私”をも育てている

 

自分の両親に”私”を育ててもらえなかった分

今自分で自分をゆっくりと育てている

 

そしていつからでも

自分を育てることは出来るんだと知る

 

過ぎゆく日々を振り返ることが苦手な私だが

自分の些細な成長を実感し

楽しめることを覚えた

 

振り返りの重要性を認識することで

振り返ることに抵抗がなくなり

楽しめるようにもなった

 

それが功を奏したのか

今では過ぎた日々に愛おしさを覚えている

 

娘達と私のなんてことはない日常と

ゆっくりではあるが確かに成長する互いの姿が

私の心の養分となり糧となる

 

自分が歩いてきた道のりを

振りかえり受け止める

 

この作業が自分の成長を

一番実感しやすく悦を感じる

そして自分への自信にも繋がる

 

”今”を大切に”今”に集中

些細な感情をも大切にし受け止める

 

自分に出来れば娘達へも主人へも

容易だと気づいた

 

何もないと思っていたことが

全てただの思い込み

 

見方が悪かった

ピックアップの仕方が悪かった

 

視点を変えれば

いろんな娘達の姿に出会え

さまざまな私の感情にも出会えた

そんなことが苦なく出来るようになった

 

こんな自分を誰が褒めてくれるだろう

正直馬鹿馬鹿しい話

 

だから自分で自分を褒める

それで十分じゃないかな

 

とてもくすっぐったく

はにかむ感覚が慣れないが

私にとってはとても満ち足りた

実りの多い年だった

 

2025年

私は”共感”と”共有”で娘達に寄り添い

私は”私(自分)”を育ててきた

 

2026年も引き続き

”共感”と”共有”をベースに

ゆっくりとのんびりと我が家を育てていく

 

回避型の愛着障害で育ったスキルも

なんてことはない過去の産物になる

そう信じる

 

私も娘達に負けないくらい

まだまだ成長する

 

誰かに認めてもらえなくても

自分さえちゃんと自分の成長を肌で感じ

自分で自分に寄り添い

認めて受け止めてあげれば

それで十分

 

 

そうは言っても

確かにそれで十分ではあるが

 

それでも

それでも出来ることなら

 

子供だけは

母親が受け止めるべきだ

 

誰でもいいわけじゃない

母親の代わりはない

 

どこまで行っても母親の穴は

誰にも埋められない

 

どうしたってみんな

母親が一番なんだ

別格なんだ

 

唯一無二の存在

 

だから私は

自分も大切だけど

自分と同じくらい

娘達に寄り添う

 

”共感”と”共有”

お安いご用だぜ!🫡

 

私達親子は似たような気質を持っている

それでも全く違う感覚を表す時だってある

 

それでも

私だけは

私だけでも

娘達の良き理解者でありたい

 

全て受け入れる必要はない

 

自分を変えなきゃいけない

苦しさが生まれるなら

受け入れなくていい

受け止めるだけでいい

 

自分とは違う個として

受け止めればいい

 

それはそんなに難しくない

 

話をしっかりと聞き

理解してあげるだけで事は足りる

 

答えを求める必要もないし

決断もしなくていい

 

理解しようとする姿

自分に向き合おうとする母親の姿だけで

子供には安心が生まれる

 

この安心を育めたことで

去年の娘達は大きく成長した

 

去年学んだことをベースに

ゆるやかにゆっくりと

焦らず急がず自分達のペースで

これからも少しずつ成長しよう🚶

娘達の気持ちを受け止める度に親の私の価値観は変わっていく

★娘達から新たな世界を体験させてもらう

主人も私も若い頃から音楽が好き

とは言え

オーケストラに縁はない

 

またオーケストラを観覧するような

上品なタイプでもない

 

主人は野外フェスやライブハウス

ロックやパンキッシュなものに惹かれる

 

飛んだりはねたり

もみくちゃになりながら

音や振動、人の熱を体に取り込み

全身で音を楽しむ

 

かたや私は

ロックやダンスミュージック

きれいで華やかで

気分を高揚させる音を好んだ

 

そしてブラウン管を通して

高品質な音と高画質な映像

音楽を美として楽しむ

 

一人でニヤニヤしながら

音と映像を愛でているこの時間は

誰とも共有しない

 

主人と好きな音は似ていたが

音の楽しみ方は異なった

 

そんな二人の音楽の世界に

コンサートホールのオーケストラ

新しい音の楽しみ方が参入した

 

どこか敷居の高い

上品で優雅で私達とは縁遠い空間

40年以上生きてきて

一度も体験したことのない空間

 

自分達の感覚ではおそらく選ばない

選択肢にすら上がってこない場所

 

次女の”行きたい”という声

次女の喜ぶ顔がみたいという親心

これらがなければ足を運ぶことはなかった

 

次女の”楽しみたい”

”体験したい”という感覚が

私達を新しい世界へと連れて行った

 

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

 

ゲームはただの暇つぶしでも娯楽でもない

私達家族4人は次女を筆頭に

ゲームのサウンドトラック

プロのオーケストラが演奏する

とても豪華で優雅な時間を過ごした

 

UNDERTALEというゲーム本来の持つ優しい空気感が

凜とした空間に穏やかで柔らかい音を生み出す

 

観客は子供というよりかは

普通の大人達で溢れていた

私達のような家族連ればかり

という感じはしなかった

 

私達の隣には

とてもオシャレな若い女性が

2人座っていた

 

彼女達も娘達と同じゲームを楽しんでいる

そして楽しむためにここに来ている

 

年齢的にも容姿的にもかなりかけ離れていたが

娘達はUNDERTALEというゲームで

彼女達と繋がっている

 

この感覚がとても私を温かくした

そして安心感を与えた

 

コンサートに訪れたことで

我が家にとって

ゲームがただのゲームでは終わらないことに気づいた

 

ゲームは娘達の生きる原動力で大切なコア(核)

そして

人と繋がるための貴重なツール

 

世の中には”ゲーム依存”なんて言葉があるくらい

ゲーム自体にあまりいいイメージは持たれていない

 

それでも娘達にとっては

無くてはならないアイテム

 

私から見ればゲームだろうがなんだろうが

夢中になれるもの楽しめるものに出会えたことが

なにより幸運でラッキーなことだ

 

子供も自分で自分の現実を変えられる

次女は日常的に家の中だけで生きている

ほとんど外へは出ない

 

そのためどうしたって

次女の世界には私達しかいない

 

他者と繋がる機会もなければ

他者と繋がることも望んでいないため

現時点では家族以外の繋がりは

次女自身がシャットアウトしている

 

そのため自然と杞憂してしまう

 

いつか孤独を感じ

さみしさを募らせるんじゃないか

自分の選んできた道を後悔しないか

 

そんな未確定の未来を想像しては

気を揉む

 

でもコンサートへ行き

行動したことで気がついた

分かってしまった

 

ちょっと外へ出れば

ちょっと勇気をだして動いてみれば

いつだっていつからだって

人と繋がれる

 

一歩外へ出ればそこにはいろんな人が居て

いろんな世界が広がっている

 

望みさえすれば

見ることも

知ることも

体験することもできる

 

次女が心から望みさえすれば

いつだっていろんな世界に出会える

 

自分の価値を低く見積もり

”ダメな自分”で心をいっぱいにしなければ

自分を見失わなければ

いつからだって目の前の現実は

変わっていくし変えられる

 

まだまだ子供で

本人の力だけではできることは限られている

 

だけど今回のように

私達親に望みをしっかり伝えれば

叶えられることが分かった

 

実際数年家から出なかった次女が

自分の好きを追って大阪まで行き

初めて訪れた場所で心を満たした

 

頑なに外に出ようとしなかった次女が

ほんの少しの勇気と行動で

今までの現実を変えた

親の私達が変えたわけじゃない

次女本人が変えた

 

いつもとはちょっと違う選択で

いつもとはちょっと違う行動で

今までとは違う現実を手に入れた

 

これで自分の得たい体験ができる

自分も望めばちゃんと行動できる

と 次女自身が自覚した

 

これは次女にとっても私にとっても

大きな収穫となった

 

停滞期はずっとは続かなかった

次女の中にどんよりと停滞していた時間は約3年 

おそらく長かったような気もするが

少しの晴れ間が

これまでの停滞期間をすっと忘れさせた

 

私にはこの晴れ間が見えたことで十分だった

 

どんよりしたり晴れたり

日々お天気が少しずつ変化するように

私も次女も誰しもがみな

少しずつ成長し少しずつ変化していく

 

毎日毎日表情を変え

感情を変え

気分を変える

 

常に晴れている状態をどこかで望んでいた

それが正しい在り方だと思い込んでいた

 

だからこそ晴れていない状態を異様に怖がったり

否定したりしようとする

 

でも本来いろんな感情、思考が湧き上がり

浮き沈みすることが当たり前で

ずっと変わらない一定のものなんてどこにもない

 

曇ったり晴れたりジメジメしたり

いろんな状態の中を行ったり来たりする

 

そこに良いも悪いもなく

敏感に反応すること自体”ナンセンス”

 

どちらにせよ

どんな状態もずっとは続かない

ただそれだけのことで

たいしたことはなかった

 

これを機に次女に対する将来への不安は

確実に減少した

 

ゼロとまではいかないが

”いつものことね、気のせいかも”

と 軽く受け流せるようには成長した

 

たとえ強く不安を感じたとしても

元々私に持ち合わせている先廻りの癖、気質だ

 

この気質のせいでいろいろ考えてしまうだけ

次女の将来、現実とは違う

そう捉えるようになった

 

そういつものこと

ただの”気のせい”

この言葉が丁度いい!

 

親の私ができることは

次女が選んできた道を絶対に否定しない

そして次女自身に否定させないこと

 

次女が自分自身を否定することのないよう

見守りフォローすることが

私の役目

 

いつもと違う選択

いつもと違う行動

それらが私に与えるものは大きかった

 

娘達の気持ちを聞く度

理解する度

いつもと違う選択が生まれる

 

いつもと違う選択

これを選び取る度に

私の価値観の枠は少しずつ広がっていく

いや、変わっていくという方が正しい

 

もしかすると

子供を育てることは

自分のメンタルブロックを外すことに繋がる

 

親のメンタルブロックを外すために

娘達は私を母親に選んで産まれてきた

とても大切な存在で

私が私らしくを取り戻すのに必要な存在

 

このことを心から感じるようになり

やっと何の抵抗もなく

『生まれてきてくれて ありがとう』

と 口にすることができた

 

でもね

子供は親のために生きなくていいんだよ

いつだって

好きなように

自分らしく生きていいんだ

 

娘達に伝えるように

私は自分自身にも伝える

自分に言い聞かせる

 

娘達を知る度に

娘達の気持ちを受け止める度に

私の価値観はどんどん変わっていく

 

そんな変わっていく自分の心を知れることが

相変わらず楽しい🎶やみつきだ

引きこもりの次女が行くと決めた場所はコンサート会場

YouTubeとゲームに救われた次女

ここ数年ずっと無気力状態だった次女

なんとかできる活動と言えば

YouTubeとゲームぐらい

 

食事をすることよりも

お風呂に入ることよりも

寝ることよりも大切

 

これらの時間を削ることも

削られることもひどく嫌った

 

昼夜逆転とまではいかなかったが

まぁまぁ普通の子供の生活とは言えない

生活を送っていた

 

学校へ行かないと決めたものの

学校へ行かない生き方を受け入れられたものの

家族の中で”学校へ行かない”を選んだ人はいない

身近にロールモデルがない

 

誰も知らない道を

この先一人で進んで行いかなくちゃいけない

 

それを面白がって楽しめるほど

心が強いわけではなかった

そして楽観的にもなれなかった

 

単純に”もう先がない” ”詰んだ”

そう思い込んだ

そして現実を見るのを怖がった

 

経験値の少ない幼い子にとって

学校へ行かないということは

不快の状態からの脱出にはなるが

不安しか残らなかった

 

それなら学校へ行き

皆と同じ生き方をすればいい

そう言ってしまうのは簡単だけど

 

プチッと切れた糸が

簡単には元には戻らないように

次女の心も

簡単には戻れなかった

 

皆と同じようにできない

そして

皆と同じようになりたいわけでもない

 

自分の気持ちを

見て見ぬふりができなくなり

自分を知れば知るほど

苦しくなっていった

 

小さな体で一人で何もかもを

背負い込もうとしていた

 

上手く自分の気持ちを整理し

言語化するのも難しい年齢

 

現状の気持ちを言葉として

吐き出すことができず

のみ込まざる終えなかった

 

そんな自分を

どうにかなだめようと

落ち着かせようと必死

 

グルグル思考からどうにか逃げるために

投げやりになる気持ちを

どうにか落ち着かせるために

現実から引き離してくれたのが

YouTubeとゲーム

 

次女にとっては

この時間が必要だった

次女を守ったのは絶対的に

YouTubeとゲームだ

 

これらがドーパミン中毒、依存

脳に良くないことは重々承知している

 

それでも私達では

次女の気を紛らわせる事も

落ち着かせることも難しかった

だから頼っていた

 

寄り添いたい気持ちはある

だけど側にいれば側にいるほど

追い詰め焦らせるだけ

 

次女は長女とは違い

家族との距離をとりたがった

一人の時間を欲しがった

 

一人になり目の前の映像に溶け込むことで

頭の中を停止させた

 

生活は確かに乱れたが

頭の中の雑音はどこかに追いやられ

できた余白に上書きするかのように

適度な刺激が快として記憶されていった

 

そして

刺激の中の1つが巡り巡り

次女を外へと連れ出した

 

★ゲームが次女を外へと連れ出した

娘達はYouTubeでもっぱらゲーム実況を楽しんでいる

 

人のプレイを観て何がそんなに楽しいのか?

自分でやりたい~ってウズウズしないのか?

 

RPGゲームぐらいしかできない私は

娘達がどんな視点でゲーム実況を楽しんでいるのか

知りたかった

 

娘達は自分がプレイするしないに関係なく

面白そうなものを手当たり次第観る

 

プレイ自体を疑似体験したり

攻略方法を学んだり

キャラの濃い配信者のおしゃべりを楽しんだり

楽しみ方はいろいろ

 

実況動画を観て自分にできるかを判断

ソフトを購入し自分でプレイするまでに考察する

 

そのため自分のプレイに踏み切るのに

1年以上かかるものもある

 

内容は把握済み

ネタバレもいいところ

それでも自分でプレイしてみたいと

感じるんだろう

 

得ている情報の確認体験も

これまた面白いらしい

 

ゲームとはいえ

次女は次女なりの視点で物事を見ている

そして

親の私が感じない視点を山ほど持っていた

 

超絶お気に入りのゲームとなると

ゲーム内の音楽にものめり込んだ

 

そう これが今回

次女を外へ連れ出す動機へと繋がった

 

ゲームのサウンドトラック

オーケストラのコンサート

次女の原動力になったなんともありがたい話

 

今はゲームのサンドトラックを

オーケストラで演奏するコンサートがある

とても豪華で贅沢な時間

 

YouTubeで大好きなゲームのサントラを

何度も聴き入っていた次女

 

大好きすぎて、素敵すぎて感動ものだからと

私にもよく見せてくれた

というより

よく聴かされた

 

それが『UNDERTALE 生誕5周年コンサート』

3時間もあるオーケストラの演奏動画


www.youtube.com

 

次女はこの『UNDERTALE』というゲームが大好き

 

トビー・フォックス(Toby Fox)さんという方が製作した

どこか懐かしいレトロな空気感に

可愛いドットイラストが特徴のインディーRPGゲーム

 

「誰も死ななくていいやさしいRPG」がキャッチコピーの

独特な世界観と個性的なキャラクターが満載の作品

 

次女はこのトビー・フォックスさん自体も好いている

 

ゲームとゲーム内の音楽をほぼ全て一人で製作している

心優しいクリエーターをリスペクトしている

 

次女のUNDERTALEの知識は

『UNDERTALEメールマガジン』から得ている

『UNDERTALE』『DELTARUNE』メールマガジン - Toby Fox

 

公式グッズやイベント情報もここから

 

物欲が少ない次女だが

UNDERTALEのグッズだけは例外

素直におねだりをしてくれる

 

約一年前にUNDERTALEと出会い

あっという間に虜になった

 

ゲームのストーリー、音楽、キャラクター、製作者

いろんな角度からUNDERTALEを堪能

 

YouTubeで見つけた動画から世界が広がった

内にこもりがちだった次女が

少しずつ陽気な空気をまとうようになった

 

そして『自分も行きたい』

『オーケストラのコンサートに行きたい』

素直に気持ちを伝えてくれた

 

もちろん動画は過去のもの

行きたいという気持ちが芽生えた時には

すでにコンサートは終わっていた

 

それでも

次女の動き出した気持ちを消さないよう約束した

 

『次のコンサート情報が入ったら真っ先に教えて!』

『家族みんなで遊びに行こうね!』と

 

引きこもりの不登校児の次女は

UNDERTALEの力によって

少しずつ外へ出かけるようになった

 

★9月14日 大阪のオリックス劇場

不登校になって3年

YouTubeとゲーム三昧の日々も

さすがに飽きてきた頃

 

待ちに待ったコンサート情報が飛び込んできた

 

UNDERTALEの10周年記念コンサート

【公式】UNDERTALE 10th Anniversary Concert | UNDERTALE10周年コンサート

 

いくつかある公演の中で

我が家が車🚗で行けそうな場所

それが大阪のオリックス劇場

 

大阪の公演は9月の3連休だった

 

日帰りで出かけられて

なおかつ

翌日ゆっくり休めるよう

家族みんなに負担にならないよう

14日(日)の13時の公演に決めた

 

このコンサートはとても人気なため

チケットは抽選とのこと

 

外れることもあるがその先の予備は考えなかった

不思議とこの日に行くと決めていた

 

手帳に”コンサートへ行く”とだけ記し

主人にチケットの申し込みをお願いした

 

そこから我が家では

9月にコンサートへ行くという予定がスタートした

 

実際には

6月20日に4人分のチケットを申し込み

7月11日に当選メールが届いた

ここで正式に9月14日に大阪へ行くことが決定した

 

あの引きこもりの次女が車に乗って

2時間半かけて他県まで移動する

 

こんな日が来るなんて・・・

 

少々おおげさではあるが

それくらい我が家では

インパクトのあるイベントだった

 

でもここでも証明された

 

次女は外に出られる

今までは外に出る理由も目的もなかっただけ

 

心から行きたいという気持ちが溢れれば

出かけられる子なんだ

引きこもりでもなんでもないじゃん

 

昔の私からみれば

学校は行かないけどゲームのコンサートへは行く

”はぁ?”って呆れただろう

 

”なんてわがままなで自分勝手なんだ”

”怠けてるだけじゃないの” って怒ったんじゃないかな

 

でも今は

 

わがままに生きられてるって事は

ちゃんと自分に選択肢が与えられて

尊重されているということ

私はちゃんと娘達を尊重できている

 

自分で選択できる世界に作り変え

自分で選んだ結果を体験出来るようになったということ

 

娘達には自分で自分の人生を

クリエイトするんだと自覚してもらいたい

 

そのためには小さなこと

どんな些細な事でも選択させたい

もちろんいずれは大きな事も

 

それが例え親から見たら間違った選択だったとしても

本人が決めた事であれば正しい選択

この体験がしたかったんだね と

今は受け止められる

 

次女の姿を見て生き方を見て

私ももっとありのままに

生きてもいいんだって教わる

 

自分で選択して決めることってすごく楽しい

その反面

人に選択権を取られて勝手に決められることって

すごく不快

 

これって小さな子供もみんな一緒なんじゃないかな

 

よかれと思って決められたことでも

自分の選択を奪われたら

自分は蔑ろにされたと受け取ってしまう

 

今まではそんなことの繰り返しだった

 

私は娘達をずっと蔑ろに扱ってきたんだ

何も決められない

何も分からない

そう思い込んで

 

このことも踏まえて

選択する行為は全てあるべき場所に返す

 

次女は最初は選択権の放棄をしていた

考えたくない、責任を背負いたくない

そんな感じだった

 

でも少しずつ自分で選択する機会が増えると

自分で選択してもいいんだ

できる、大丈夫なんだってことが

経験として積み上がり

選択することに抵抗がなくなってきた

 

不登校を選んだことは不快から逃げるための選択

 

でも今は自分を大切にするために

日々を楽しくするために小さな選択を

積み重ねている

 

選択を他者に任せて

楽しませてくれるのを他者に求めている限り

本当の楽しさって分からない

そう改めて気づいた

 

だから今回のコンサート

普通に私もめっちゃ楽しんだ

 

次女が言い出しっぺで行くことになったけど

自分でもびっくりするくらい楽しめた

 

やっぱり子供ファーストで生活してくると

自分の感情は二の次になる

 

次第に分からなくなるというか感じなくなる

そして私も無表情、無感情に近かった

 

コンサート会場に連れていくことが目的じゃなくて

次女を喜ばせることが目的ではなくて

自分自身がコンサートを楽しんだ

 

誰かのご機嫌取りではなく

純粋にコンサートを家族で楽しめたことが嬉しかった

 

子供の喜ぶ顔が見たい

それが楽しみだってどこかで思い込んでて

楽しんでもらえなかったらどうしようって不安になって

不機嫌な顔をされるとがっかりする

 

でもこの姿

子供から見ると怖いんだよね・・・

責任重大なんだよ

 

楽しさの責任を子供に他者に求めちゃダメなんだ

萎縮させるだけだもん

 

まずは親が楽しまなくちゃ!

子供よりもまずは自分が楽しまなくちゃ!

 

親がクソ楽しんでたら自然と子供に伝染する

子供の気持ちなんて後からついてくる

 

まずは自分がMAXで楽しめる方法を考えないとね

 

そうしないと

子供は自由を感じられない

子供は自由ではいられない

引きこもりの不登校児 自分の感覚を大切にした結果 今がある

★引きこもりの次女 自分の選んだ選択で今がある

今年中学1年生になった次女

ここ数年ずっと家に引きこもっている

 

玄関の扉の向こう、その先

青い空の下に立っている次女の姿を

ずいぶんと見ていない

 

そんな日常が

当たり前のように続いている

 

親の私から見れば少し不自然な日常ではあるが

それはあくまで私の感覚

 

次女にとっては

この上なく穏やかで優しい一日が

淡々と続いている

 

外へ出ると気分が悪くなる

外へ出るのが怖い などのような

不安や恐怖を感じる節があるようなら

別の角度から向き合う必要がある

 

幸い次女はそういった感覚を

感じているわけではない

 

自分が穏やかで平和に過ごせる生活を望んできただけ

そのための環境を自分の行動で築いてきた

 

次女は自分でこの日常を選んでいる

自分の意思で今の状態を選び

自分で環境を整えている

 

すべて次女が望んだこと

 

この穏やかな日常は次女にとってはとてもベストな姿

何も問題はないんだと思うようになってきた

 

というより

こうやって生きるために

私と主人を選び

二人の子供の次女として生まれてきた

 

生まれる前から

自分の人生のシナリオを

彼女が自分で決めてきた

 

ホロスコープや西洋占星術を学んで

この考え方に行き着き信じている

 

そしてこの考え方を採用すると

とても楽だと分かった

 

だって私には1ミリも責任はない

 

親なんだからというプレッシャーを

感じる必要性はどこにもない

 

次女の邪魔さえしなければ

勝手に次女が自分の人生を進めていく

 

今までは

親が子供を導かなければ

親が子供にあらゆる事を教えなければ

親が子供を幸せにしなければ

 

こんな間違った考えを

当たり前だと思い込んでいた

 

でもこのどれもが不要な考えだと分かれば

私がすることは至ってシンプル

 

次女の生き方を邪魔しないこと

好きなだけ自由にさせればいい

これだけだと解釈している

 

★次女は本当に外出ができない引きこもりなのか?

”引きこもり”って簡単に言葉にしてしまうが

その言葉の音は

とても暗くてネガティブなイメージが強い

 

でも次女の”引きこもり”は

私の感覚ではちょっと違う

 

クマが冬に穴蔵でぬくぬく丸くなって

自分の体温で自分を温めているイメージ

とても柔らかくとても優しい空気が流れてる

 

今の次女は

そんなクマの冬眠のようなイメージ

 

自分を大切に

自分を自分で守っている

それが結果的に家の中で引きこもる形

 

引きこもり=自分を大切に温めている

そうダイレクトに想像できるとようになると

心はどんどん柔らかく温かい気持ちになれるのかも・・・

 

 

ところで不登校になりたての頃は

そこまで丸く丸まってはいなかった😏

 

普通に自宅の庭や周辺ぐらいには

なんの抵抗もなく出ていた

 

外は好きな方だったので

庭に出て遊んだりもした

花の水やりもよくやっていた

 

自分の食べたいお菓子を買うために

買い物に同行することも普通にしていた

 

ショッピングモールなどでの買い物は

親の私達に連れ回されるため疲れてしまう

それでも渋々ではあるが同行していた

 

水族館や科学館、美術館に博物館

家族旅行などにも一緒に参加していた

 

それがだんだんといろんな外出を

断るようになっていった

 

不登校児で生きていくことを受け入れ

全面的に娘達の意思を尊重

まるっと受け入れる体制を続けていたら

 

いつの間にか

次女は外へ出かけることが

ほぼほぼゼロ状態

 

庭に出て日光浴でもしよう

ちょっとお買い物にでも行こう

どこか遊びに行こう

 

以前は楽しめていたと思っていたことが

どれも退屈に感じ

家の中でできるゲームの時間が

削られるのが嫌だと言いだし

『行かない』

の一言が返って来るようになった

 

どんな誘いも提案も拒否

外出の話になると途端に億劫になり始める次女

不機嫌になる姿を隠すことはなくなった

 

自分に正直に自分の感覚を優先した結果

家族との時間よりも自分の”快”の時間を大切にした

 

それが結果的に”外出しない”ということに繋がった

 

それでも

外へ出るための確かな理由・目的があるときだけは

外出することができる

 

だから全てにおいて外出できないんじゃなくて

外出する理由・目的がないから

外出しないだけなんだと理解した

 

★外出する確かな理由と目的

絶対的にやらなきゃいけないことって意外と少ない

結構何でもスルーできちゃう

 

それでも

本人がいないと話にならない

親でも代行ができないもの のみ

次女には腹をくくってもらい

外出することに協力してもらう

 

と言っても実際には

そんな大変なことではない

 

とは言え 我が家にとっては

次女が家の外に出ることは

一大イベントになる

 

ここ数年での一大イベントは

予防接種とマイナンバーカードの更新手続き

これくらい

 

一年に1度くらいは

避けられないことが舞い込んでくる

 

スルーできなくもないが

ここはなんとか取り組んでもらいたいがため

必要最低限やらなきゃいけないこととして

しっかりと必要性を説明し理解してもらう

 

こういった類いの外出は

やらなきゃいけない理由が明確

そして本人にとって大切なことであるため

あまり反論してくることはない

 

そりゃ~一発目の言葉は

『え~😒』のふてくされ顔

 

それでも

日頃無理矢理 連れ出されるということがないためか

”しかたないこと” ”やらなきゃいけないこと”

と割り切ってくれる

 

ダルそうな姿で取り組むものの

必死になって連れて行かないと外出できない

という自体にはならないため

思いのほかスムーズに事が運ぶ

 

この体験で次女はあくまでも

外出できない引きこもりではないと分かる

 

明確な理由・必要性がある外出時には

ちゃんと外に出られるという事が判明

 

要するに

100%外出ができない子ではない ということ

それが証明できただけ十分

 

そんなわけで

外出するにも次女にとって納得のいく理由が必要

動機がないことには動けない

 

ということは目的や動機それさえあれば

外出できるというわけである

 

親の私達は当たり前のように

外に出ているけれども

 

外に出たい必要があるから

外に出ているだけで

外に出たくないときは

出ないを選択している

 

おそらく無意識にこの選択をしている

 

これに変わって

次女は家の中が好きで居心地がよく

家の中でゲームをしていることが

楽しいと感じている

そのため家の中に居続けてしまう

 

外に出る必要性もなければ

快適な家の中から出る必要性もない

 

意識が外へ向かはないのは自然なこと

 

だって身近な場所が快の空間なんだから

そりゃ~仕方ないよね

 

それを外出ができないとダメ

家の中に引きこもってばかりではダメ

 

次女の姿を親の価値観の中で

勝手に不自然だと決めつけ

ダメと否定するのが間違っていた

 

自分達の感覚が全て正しいと

思い込んでいる私達がおかしいんだ

 

そう考えるようになった

 

次女は自分の感覚を正直に感じ表現しているだけ

そして自分を大切にしているだけ

これに間違いはない

 

目的さえ見つかれば

今とは少し違った日常に出会える 

きっと

 

これだけのことなんだ

 

★自分に正直な次女でも迷う時もある

それでもここまで外出が少なくなると

本人が疑心暗鬼になりかける

 

度々ポロッと次女の口からこぼれる

 

『外へ出る気に全くなれない』

『外へ出たくない』

『どうして外に出たい気持ちにならないんだろう』

 

私から言わせれば

外に出て行動していることが良いことだと

思い込んでいるから

こういった思考が生まれる

 

だから別にいいんだよ

家の中で楽しめていられるなら

それでいいんだよと伝える

 

それでも次女がこの言葉を口にすると

『じゃ~今すぐ外へ行こう』

『ほら、コンビニでも行こう』って

軽いノリで主人が背中を押し始める

 

次女がポロリとこぼした言葉は

願望ではない

 

おそらくべき思考でポロリとこぼしてしまった

 

だから簡単には次女は動かない

 

そこから”行く?行かない?” の

二人の駆け引きが始まる

 

主人はすぐに

『新しいゲームでも買いに行く?』

『美味しいお菓子でも買いに行く?』と

何かを買ってあげる=エサで釣る行為をする

 

主人側からすれば

可愛い娘には何でも買ってあげたい

喜んでもらいたい

気持ち的にはよく分かる

 

だけどこの方法で次女が動いた試しはない

 

だってゲームなら簡単にネットで買える

今は店頭に在庫がないことなんてザラにある

 

お店に出向いて探し回るのは時間の無駄

そう考える

 

食べたいお菓子は

ママに頼めば買ってきてもらえる

それを分かっているため

自分が外出する必要性は

ほぼほぼない

 

一番簡単に喜んでもらえる

物を買い与える行為は今ではそんなに希少価値はない

 

次女にとっては楽しい時間を削られる方が苦痛

その時間と引き換えにするほどのメリットはない

 

だからいつも主人と話しをさせると

軽いノリで軽い会話で終わってしまい

最終的に

『やっぱり行かない』と言われ行動に移らない

 

そしてその結果

やっぱり外に出たくない

出れないという結果だけが残ってしまう

 

このやりとりで

次女は”やっぱり引きこもりで外に出られない子”

という事実だけを残してしまい

無駄にレッテルだけを貼ってしまう

 

もうこのやりとりね

正直無駄なんだよ

 

だから何かで釣るような誘い方は

逆効果だからやらないでとお願いした

 

そうすると

『いつまで経っても

外出しない子のままじゃない?』って

心配するんだけど

 

私的には”いつまでも”はないと思ってる

だから『観察しよう、大丈夫だから』

っと伝えるしかないなかった

というより言い聞かせるしかなかった

 

不安は不安を呼び寄せる

だから親の私達が不安というフィルターを通して

次女を見ることは決してするべきことじゃない

 

本人が自分の意思で行きたいところを見つけ

出かけるんだと決めない限り

何も変わらない

 

そしてそう思えることが”今”はないだけ

そう 今はないだけで

この先もずっとないわけではない

 

次女にもこれをずっと伝えてきている

 

外出できない子じゃない

現に必要最低限の外出はできている

 

今はまだ外出したい心からの欲求

これが見つからないだけ

 

『なんでもいいよ

やってみたいな!

ここへ行ってみたいな!

そんな場所を見つけたら、教えてね!

いつでも大歓迎するから』

 

そう伝えるしかなかった

そして待つしかなかった

焦らせずその時が来るのを楽しみに待つ

 

これでいいと思っている

 

そして今年の9月

次女の行きたい場所がついに見つかり

家族4人で大阪まで遊びに行った

 

ほらね

外に出られた

 

自分の感覚を大切に

自分の快を優先し続けたら

ちゃんと見つけられたね

 

久しぶりの大阪への日帰り旅行

かなりドキドキしたけど楽しかった

 

家族4人一緒だと

全て楽しい記憶だね🎶