何を食べたかで人生が変わる  

毎日こころ豊かに グルテン・カゼインフリー 米粉・大豆粉・オートミールに助けられて生きている

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見えない将来は不安だらけ、だからこそ今を一生懸命生きる

★自由がもたらす不安に押しつぶされないように

長女は比較的おとなしくて温和な子

特別目立った行動をする子でもなく

どちらかと言えば地味な子

 

普通の家庭に生まれ

普通に育ち

普通の人生を歩む

 

そうやって親の私が勝手に決めていた

 

まぁ親の私自身が普通に無難な生き方をしてきたんだから

それ以上の事は想像がつかない

 

想像出来ないから現実に起こりようがない

そう思い込んでいた

 

だから私と同じように

義務教育が終わっても学生生活は続き

中学を卒業したら高校

高校を卒業したら大学

大学を卒業したら社会人

 

そうやって少しずつ大人の仲間入りをしていく

そんな風にぼんやりと将来を見ていた

 

至って普通の子

普通に生きて行く

 

つい数年前までは私の嫌いな”普通”が目標だった

 

みんなと同じように長い学生生活を送り

学生生活を送る娘を母親の私がサポートする

 

文句言いながら

手を焼きながら

心配しながら

母親というものを嫌々やっていく

 

そんな生活にうんざりしながら

しぶしぶ毎日を惰性で生きていく

その予定だった

 

でも現実は違った(笑)

予想を遙かに超えた

 

あれ?

どうやら普通ではなくなった

 

普通の学生にはならなかった

そして

なったのは不登校児だった

 

それも

普通の不登校児ではない

明るい不登校児だ

 

私の中での不登校児の定義は

心を病み

生きる気力を失い

将来をただただ不安に感じ

自分ではどうすることも出来なくて

自分の殻に閉じこもり

部屋に閉じこもる

 

親や周りに責任転嫁し

ただ甘えている

そんな姿が不登校児とイコールしていた

若干 精神疾患者と同じ匂いがする

 

最初は娘達も親や学校からの期待で疲れ果て

とりあえず体力、気力を回復させることが必要

だから休養が優先された

 

そして少しずつ回復されれば

元の生活に戻ると思っていた

 

だけど不登校をきっかけに

学校、子供の育ち、親である私の育ち、潜在意識

いろんなことが複合的に絡み合い

親子共々、両親全てが絡んだ問題だと気づかされ

不登校の問題は娘達で解決できることではないと理解した

 

休養させている間に

いろんな方面の考え方の見直しがスタート

そして

学校自体を娘達が不要と判断したため

今に至る

 

学校は出来ないことを無理矢理出来るようにさせる場

他者と比較させ

むやみやたらに劣等感を植え付ける大人の集まり

 

他者との差を埋めるために努力を強いる環境を

娘達は望んでいないと理解し

学校へ行かないことを承諾

 

将来のために

ぼんやりとした安定を得るために

今を犠牲にして生きることは

”違う”と判断

 

これが正しい判断かどうかは

数年後の娘達が自分達で決めること

 

まぁどう考えても普通ではない

 

普通の親なら学校へ戻すことを一番に考え

それが最善だと信じる

 

だけどどうしても学校へ戻すことが一番だとは

考えられなかった

 

というより

疑問点しか浮かんでこなかった

そして娘達だけの道があってもいい気がした

 

みんなと同じではない

娘達だけの未来を見てみたくなった

 

私には出来なかったけど

娘達なら自分の心に従った生き方が出来る

自分で未来を決められる

 

というより

決めて欲しかった

 

おそらく

これが私の本音

 

いつだって”自分”を持って生きて欲しい

いつだって”自分”を生きて欲しい

 

成人してから”自分”を生きるんじゃなく

生まれた瞬間から”自分”を生きて欲しい

 

これは私が望んでいた生き方

 

普通の考えができなくて

いつも自分の考えが色濃く出ていた

 

それを頭ごなしに怒られる時もあったし

夢物語だと馬鹿にされたり

理解されない事などザラだ

 

他者と違うことで

裏目に出ることなんてよくある話

それで嫌な思いもしてきた

 

それらの経験でいつの間にか

守りに入っていた

間違えてきた

 

それが自分をごまかしてきたこと

自分にうそをついてきたこと

自分の本音に気づかないふりをしてきたこと

 

結局普通が嫌いなのに

普通を好む他者達の目を気にして

ご機嫌取りをしていた

 

普通になれない自分をどこかで否定しながら

自分で自分を殺していた

ほぼ無自覚に

 

それがいつかしか自己肯定感の低い母親に切り替わり

”普通”という概念にとらわれ

自分と同じ思いをさせないよう

娘達に”普通”を強要した

 

気づかぬうちに・・・

”普通”になれば

普通に幸せになれると思い込んでいた

 

 

そして自分の自己肯定感を上げるためにも

娘達を利用した

 

娘達を”普通”に育てれば

人として親として私の価値は上がると

勘違いしていた

 

”普通”の子供

”普通”の人に育てれば

傷つかないと勘違いしていた

間違えていた

 

でもね 大丈夫・・・

 

私より後に生まれてきた娘達の方が

幾分か上手だったのよ

娘達の方がスペックが高いのよ

 

最初から”普通”なんて存在しないし

”普通”が正しいわけでもない

 

”普通”が幸せなことでもなければ

”普通”に生きることが

大切なわけでもない

 

そんな当たり前のことを娘達は知っていた

 

他者と違うことに負い目を感じるなんて馬鹿な考えは

一切持ち合わせていなかった

 

あるのは”私は私”

これだけ

 

”みんな同じじゃない”

その現実を一番よく理解しているのは子供

 

それを間違った方向へ導くのが大人達

なんとも馬鹿馬鹿しいサイクル

 

このサイクルにストップをかけてきたのが娘達

いつも大切なことを教えてくれる

 

みんなそれぞれ個性があり

その個性に優劣はない

 

”普通”なんてものは存在しないのに

なぜか”普通”を求め

”普通”が頭の中を支配する

 

ただこれを理解はしているが

実際の”普通”とは違う現実は

未経験のため戸惑いしかない

 

 

娘達は娘達

みんなとは違う生き方

娘達が選んだ生き方

 

ただ どう進む?

実際問題 

来年の春にはどうなってる?

 

もちろん我が家では中学を卒業した後

学生でない生き方を選んだ者はいない

誰も経験していない

 

どんな風に生きていけるのか

どんな風に進学しないことが障害になってくるのか

実際体験してないからわからない

想像だけ膨らむだけであまりリアルじゃない

 

知らないってそんな程度のこと

 

これからどんな風に将来へ向かって行くのか

どこを目標に日々を過ごすのかわからない

ただそれだけのことなんだけど

 

当の本人は

”自由”という名の不安に少々戸惑っていた

 

 

長女は4月から中学3年生になり

このまま不登校児のまま学生を終える

 

長女は自分の子供でいられる時間が

残りわずかだと自覚し始め

それと同時に正体不明の不安を発生させた

 

中学3年生になった当初

不安を抱える長女の姿がちらほら出現

 

あと一年で解放されるよ

自由になれるよって話した矢先

見えない不安にどっと押しつぶされていた

 

長女の意思とは反して

急に涙が溢れる

 

本人も自分の状態がよく分からず

泣きながら

『何で泣いてるのか、何で怖くなるのかわからない』

といった具合で号泣していた

 

思わず

思春期特有の情緒不安期に突入ですか!?

 

まぁそれも原因の一つだろう

 

4月を迎え 中学3年生になった途端に

押し寄せてきた不安

 

4月になってから数回声を上げて泣いていた

 

不安だよね

そうだよね

普通ならまだまだ学生として生きて

中学3年なら初めての高校受験に向かって勉強中

 

嫌々ながらもみんなと同じように流れて進学を目指し

親に甘えながら手を引かれながら生きていくはずだった

 

でも長女は学生を自らの意思で辞めた

 

そのせいでどこにも属さないため

本当の意味での宙ぶらりん状態が待っている

 

自分の居場所を自分で見つけなきゃいけない

他の子達よりだいぶ早く自立しなきゃいけない

そんな状態に追い込まれる

 

もちろんそれは自分で決めた事

長女もそれは十分承知の上

自覚している

だから弱音も吐かない

 

弱音を吐かない分

不安という感情が涙として外に溢れた

 

でも私は中途半端にその泣いている状態に対して

”大丈夫だよ”とは言わない

言えない

 

そんな言葉

気休めにもならないからね

 

手伝えることは

考える時間を確保してあげること

待つこと

 

焦らなくてもいい

ゆっくり考えればいい

 

不安の正体がなんなのか考える

それに対して今

自分に何ができるのか考える

 

自分で考えて行動して

一つ一つあぶり出し

解決していくしかない

 

何度も何度も上手くいくように改良するしかない

 

この繰り返しで

”不安”と向き合うしかない

 

長女の不安の正体は将来だ

それはわかっている

 

将来を明確にすれば

そこを目標に生きいるだけ

 

でもまだその将来を明確に決められない

まだ決められないんだから仕方ない

 

だから長女は今目の前にある生活を

一生懸命送ると決めた

 

目標とする将来がないため

将来に向かってあてもなく日々を過ごすことは

無駄に不安を増殖させるだけ

 

こればかりは今の長女ではどうすることもできない

本人が一番よくわかってる

 

だから将来へ向かって日々を過ごすのではなく

今をしっかりと生き

今を将来へつなげると決めた

 

視点を未来じゃなく今に向ける

そう気持ちを仕切り直した

 

今を楽しめばそれが楽しい未来へと続く

まだわからない未来を不安に思い

今を泣いて過ごすよりは

今を一生懸命生き楽しむことを考えた方が

健全だと理解した

 

自分のことは出来る限り自分でやる

自分の世話を自分で出来ることが自信になる

 

その自信が自分を強くする

 

自分でしっかりと生きていけるように

生活力を身につけることをさらにがんばると決めた

 

今いる場所で今自分にできることを

当たり前にできるようにする

 

至って普通に生活できるようになることが

今の長女の目標になった

 

長女はきっとなんでも自分で経験したいんだ

 

そんな風に自分のできることを増やして

自分の人生を生きるって決めて生まれてきた

 

普通とはちょっと違う

自分らしい生き方をしたいって決めて

私と主人の下に生まれてきた

 

そう考えたら

なんだかそんな生き方も良いじゃんって

思える

 

というか

まぁいっか ってなる

 

なんだか重く難しく考えすぎていたのかもしれない

いつだって先へ先へと

未来ばかり見て、今を忘れてる

 

楽しい毎日の積み重ねでも良い気がしてきた

 

娘達の人生は私の人生ではない

最初から最後まで娘達の人生

 

どう捉えるかは娘達次第なわけだから

娘達がこれがいいと決めれば

これでいいんだ

 

娘達は楽しむために生まれてきた

辛いことを苦しいことを頑張って乗り越えるために

生まれてきたわけじゃない

 

そう考えたら、私にできることは

”好きにやんな~、なんとかなるよ”

”大丈夫!”と笑ってあげること

 

正直どんな将来でもいい

本人が納得していればそれでいい

 

自分で決めたことなら

全て納得するしかない

自分で受け止めるしかない

 

これこそ

自分で決めたことにしか出来ないこと

 

 

生きている中で目的・目標がない時は

いつになく不安が押し寄せる

その不安から目をそらし

みんなと同じ目的・目標を設定して

仮スタートさせると

いつの間にか自分を見失う

 

焦らず不安と向き合う

 

考えて考えて行動する

 

それでやってみて

自分ではどうすることも出来ない問題だってわかると

諦めがつく

 

その諦めに到達しなければ

考えて行動しての繰り返しをただ続けるだけ

 

あ~そうか

一番怖いのは”不安”ではなくて

考えないことなんだ

 

考えないから”不安”の正体が見えなくて

動けなくなる

 

とりあえず考えて即行動すれば

次どうするかがわかってくる

 

要するに

見えない将来を想像して”不安”を膨らませるくらいなら

今現実にある”今”をしっかりと見つめて

目の前の現実を一つ一つ手に入れていく

 

そしたら自分の中が

”今”でいっぱいになり”不安”は消えていく

 

と長女はいろんな本と出会い

その答えを見つけた

 

そして”今”に集中し落ち着いて毎日を送っている

ここ数月は毎日家事に勤しんでいる

 

おかげで私の家事労働は半減

でもどうやら私の主婦の立場が危ういような・・・