もう3月も半ば 卒業シーズン
ちょうど2年前
長女はこの時期いろんな感情に揉まれ
毎日心がざわざわしていた
そして 私もざわついていた
不登校になりかけて間もない頃だった
卒業式の練習がスタートしたため
私は担任の先生と長女の間で軽く板挟み
人様に迷惑をかけないように
なんていう考えでいっぱいだったため
本音と建前を右往左往していた
何が正解で何が不正解なのか
正直分からなかった
時が経ち
その時を思い出した時の立ち位置で
過去は肯定にも否定にも形を変える
だから今どんな選択をしたって
振り返った時の感情で見方は変わるものだから
どんな選択をしても
出した答えがすべて正解になる
とは言え、それを頭で理解していても
子供を第一優先にと言いながらも
心の奥底では自分の体裁を第一に考えていた
おそらくそんな母親だった
それでもなんとか最終的には
長女の意思を尊重させた
卒業式の主役は長女
長女本人が納得していればどんな形であれ
すべてそれが正解となる
そう信じるしかなかった
だから私は間違っていない
長女の気持ちを一番に優先したのだから
あれでよかったんだ
protect-rich-mind-body.hatenablog.com
2年前長女は卒業式を欠席
私も長女も欠席したこと自体を
今も悔いてはいない
そして現在不登校児であることに対しても
悔いてはいない
ただ正直に言えば
悔いてはいないが得体の知れない不安がある
これだけだ
おそらく不登校になった当初
小学校の卒業式を欠席した時
中学校の入学式を迎えた時
そして現在
いつだって見えない不安が心の奥底に
ずっと滞留してる
卒業式を迎えるこの時期
毎日後ろめたさ、やもやも感や不安感
いろんな感情でいっぱいだった
それは親も子も一緒
おそらく他の不登校児もみんな不安を抱えている
学校に行く子供たちさえも
どこかしら不安は抱えている
不安を感じない人はいない
人間の生存本能の機能で備わっている能力
だから決してなくなることはない
2年前の私と長女は
お互いにずっと不安だった
口に出し自分の耳で聞くと
さらに不安感が増加する
だから口にはしなかったが
心の奥では不安の感情でいっぱいだった
溢れないようにせき止めることで精一杯
小学校に欠席と意思表示をし
その後の事務手続きなども調整済み
事が丸く収まることが決まっているにもかかわらず
ようやく小学校から解放されるということが
確定されているにもかかわらず
依然 心には霧がかかったまま
一段落する予定なのに
きれいさっぱりと晴れる気がしない
このきれいさっぱりとしない感覚は
卒業式が過ぎ去ってもずっと続く
卒業式が過ぎ去り
中学校の入学式に出席できれば
また元の生活に戻れる
そうすればこの不安もきっと
なかったことになる
消えるだろう
そんな風に安易に考え
深くは追求してこなかった
でも最近なんとなく分かってきた
きれいさっぱりと晴れなかったのは
卒業式に参加しなかったことじゃない
みんなと同じことができなかったことじゃない
自分たちの将来がどこに進んで行くのか
行き先がわからなくなったから
きれいさっぱりと晴れていかない
自分たちのこの先のイメージが湧かない
自分たちが楽しく生活している姿が想像できない
ここに不安が滞留している
どんな風に生活し
どんな毎日を送り
どんな人と関わって
どんな風に学校生活を送っているのか
この想像ができない
少し先の自分たちの姿すら想像することが
私たち親子には難しかった
今しか見えていなかった
今の足下しか見えていなかった
見渡せる広がった景色があるのかないのかも分からない
霧でモヤがかかって怖くて進めない
だから進むことも戻ることもできなくて
現状がずっとそこにある
このままの状態しか存在しないような
感覚になり不安だけが増す
ちょっと先の明日よりさらに先の未来なんて
到底想像できなかった
というより
それが必要だって知らない
要するに決められたレールを歩いてきたから
それが居心地悪いと気づいて離脱したけど
その先の道をどう自分で開拓していくのか分からない
その方法を知らない
自分で進む道を決めたことがない
どこへ向かいたいかということも
自分自身に聞いたことがない
行き先がないということは
とても不安定な状態なんだ
どうやら私たちは
自分の進みたい道
将来というものを深く考えたことがない
将来というと少し緊張するが
どんな風に生きたいか
どんな風に生活していきたいかということすら
言語化できない状態でいることに気づいた
要するにざっくり言えば
”生きる目的”を考えたことがない
ということにようやく最近気づいた・・・
おそらく私たちは
”生きる目的”を考えた事がないため
目の前に起きる些細な出来事に
振り回される
自分軸を主体にと考えて進んできたが
その軸の根っこを固め
自分の生きていく目的が決められていないから
いろんなものに左右され
ブレブレになる
そして揺らされる度に不安を感じ
大丈夫かな、これでいいのかなって
迷うんだ
いやいや~
相変わらず気づくのに時間がかかったな
長女の卒業式から2年
その間にもいろいろあったけど
生きていくのに”生きる目的”が必要だとは
知らなかった
なんとなく生まれたから生きるしかない
みたいに考えて生きてきた
小学生の頃から
30歳には自害しようなんて考えて生きてきた人間
あの頃も自分の未来が想像できなくて
想像するのが怖くて逃げていた
それがなぜか主人と出会い結婚し
パートナーができたら簡単には自害できなくなった
そして
長女を授かったら
次は責任で生かされるようになり
さらに現実から逃げられなくなった
娘たちに対しても
なんとなく産んでしまったから
最後まで面倒を見なくては
なんて気持ちで育てているところがなきにしもあらず
言葉は冷たいがおそらく
心の奥底ではそんな風に思っている
責任ばかり
見えない将来が自分の分だけでなく
娘たちの分まで積み上がっていく
明るい不登校をモットーに生活してきた
学校へ行かないこと
学歴を持たない生き方を選び
それに向かって進んで行くと覚悟は決めてはいるものの
生きる目的が設定できていないので
どうやって未来に向かって進めばいいのか
どこへ向かえばいいのか正直分かっていない
おそらく闇雲に突き進もうと進めているから
どこか不安なんだ
いつもいつも目の前に出される課題をこなすことで
いっぱいだった
自分の人生に目的地を設定し
それに向かって問題を乗り越えていくなんてこと
今までにやってきたことがない
目の前にある娘たちの卒業式・入学式
これらをどう無事に乗り越えられるか
ここだけを見ていて
ここだけの問題を解決しようとしていた
でも本当の問題はここじゃない
問題は娘たちではなく親の私の将来
私は自分の将来に不安がっているんだ
みんなと違う生き方を選んだ
娘たちの不明確な将来に不安を感じていると思いきや
本当は自分の将来の想像ができないため
不安を感じている
どうりで目の前に迫り来る出来事を片っ端からやっつけても
不安がなくならないし終わらないわけだ
相変わらず
自分のことは見えてこないし分からない
おそらくすぐにすり変えてしまう
今までの経験上
いつもそう
娘たちに起きている問題は私への課題
娘たちを使って提示されている
自分の問題は自分が解決するしかない
でも娘たちの問題であれば娘たちに問題解決させればいい
私は自分の問題をあたかも娘たちの問題だと思い込み
私の将来を娘たちに解決させようとしていたことになる
自分の生きる目的が明確でないために
幾度となく足下がぐらつき
その度に周りを使って足下を固めようとしていた
他人に機嫌を取らせる行為がこれなんだ
はぁまたまたなんと恥ずかしことをしていたんだ
すごく大げさな大きなテーマに感じる
気恥ずかしい”生きる目的”
でも振り返れば真剣に考えたことない
反抗期や就職活動で自分と向き合う時間を作ってこなかった
これが大きな代償なわけだ
そして今これに向き合えと言われている
うん?誰に?
幼い頃の自分に・・・
普通の家庭に生まれ普通に育ってきたと
思い込んでた
普通が嫌で普通から逃げるように生きてきたつもりだけど
ただ逃げるだけでどうなりたいかはよく分からない
表現できない
自分がどういった生き方をしたいかなんて
考えてきたことがなかった
とりあえず大きくなって大人になって働く
いつも働く目的はお金
生きるためにはお金が必要で
そのために働いてきた
そしてとりあえず遊んできた
自分でお金を稼ぎ
自分に自由にお金を使う
自由を手にして自由に振る舞ってきた気でいたが
満たされてはいなかった
それがようやく理解できた
自分の目的地を設定していないから
そこへ向かう努力もしないし
何かを達成して得る感覚がないため
生きる喜びも少ない
目的地がないため目標のない毎日を
ただなんとなく過ごして
ただなんとなく生きてきたから
うまくいかなくなったら簡単にリセットして
終了してやり直そうとする
でもいくらリセットしてやり直しても
根本は変わらないから
どこまで行ってもつまらない
つまらない生き方になるのは目的がないから
これだけだ
少し考えてみた
こんな暮らしがしたい
こんな部屋に住みたい
こんなことをやってみたい
こんなことを経験したい
この想像すら私にはちょっと大変だった
答えが出てこなくてすぐにま~いっかって投げた
おおっこれっていささか重傷ではないかい?
どんな部屋にしたいかさえ想像できないって
どうなの?
ゼロから想像するって結構大変なんだ
この目的の話を主人にすると
みんなそんなもんでしょ!って言われる
いやいや
それでいいんかい?!
ここで安堵していては
私の将来は
今の状態は変わらない
両親がこんな状態では
娘たちに何を伝えても説得力に欠ける
将来を考えたことのない親に
”将来を考えて”なんて言われても
ピンとこないから
娘たちだって考えられるわけがない
過干渉の親に育てられ
指定された中の選択で進んできた人生
自分の好きも
自分が楽しいって感じることも
うわべ上では分かっているつもりでいた
でも心の奥底で感じる感情や気持ちは
おそらく分かっていない
考える習慣を持たないということは
生きる気がないということと同じ
私は過干渉で娘たちを育ててきた
考える機会を奪い
考えさせて来なかった
だから指示待ちタイプで安易に答えを求める
自分に期待はせず
人に期待する
すべて周りが指示してくれて
その指示に従えば楽だと学習してしまった
でもこの先を考えると
私の二の舞になるのは確定だ
自分で自分の生きる目的を考える
これを繰り返し練習させることが必要
とはいえ
教えるのは違うので
私が実践するしかない
私が自分の”生きる目的”を考え見つけ
不安がそれに打ち勝つことを証明するしかない
その過程を娘たちに見せることでしか
伝えられない
娘たちの将来が不安なんて心配して
右往左往している親の姿より
自分の目的地を設定してそこへ向かって
毎日を一生懸命送る姿の方が健全だ
自分のためにもこの方法が楽
どこへ向かって行けばいいか分からなく
闇雲に真っ暗な道を歩くのは怖いに決まっている
見えない不安を作り出し
どんどん増殖させる原因が自分だったら
やることは簡単
目的地を設定してしまえばいい
そしてスモールステップでこなせる目標を
細かく作りそれを実行していくだけ
間違っても自分の不安を娘たちと
すり替えてはいけない
学校を卒業しても
何も変わらないよ
環境を変えても
心をリセットしても
何も変わらないよ
必要なのは”目的”
自分の”生きる目的”を設定すれば
そこへ向かうための選択をしていくだけ
そこへ向かうための努力をしていくだけ
私は娘たちの将来の不安を潰す行動よりも
自分自身の目的地を設定することが
この先の人生に必要だと理解した
そうそうまだ残り半分もあるよ
闇雲に進むよりは目的地があった方が
迷わなくていいよね
道しるべって重要なんだ
そんなわけで
これから急いで目的地を考えなければ・・・
もうこんなことなら
義務教育で英語や数学の勉強なんて教える前に
生きる目的地の見つけ方を教えてくれた方が
よっぽど将来役に立つと思うんだけどな
娘たちには未経験の私では教えることは何もないけど
一緒に考える時間を共有することはできるかもしれない
そのためにも一歩先へ
私が進む
正直娘たちのことなんてどうでもいい
彼女たちは彼女たちでやっていくしかない
それに彼女たちにしかできないこと
それがいつになるかは彼女たち次第
これが分かっただけでもう十分だ
できることはいつだって
自分を変えることだけ
自分を幸せにできるのいつだって自分だけ
まずは私の行き先だ