何を食べたかで人生が変わる  

毎日こころ豊かに グルテン・カゼインフリー 米粉・大豆粉・オートミールに助けられて生きている

★当ブログはアフィリエイト広告を利用しています

約一年間続いた家庭訪問 娘を心配するより信じてください!

★誰よりも我が家のことを知っている先生

先週ついに長女の家庭訪問が終わってしまった

約一年 あっという間

だけど長かった・・・

 

2週間に一度の家庭訪問

休むことなく先生は長女に会いに来てくれた

 

長女は最初先生とはあまり話せず

私と先生の会話を聞いているだけ

 

それが去年の終わり頃から

だんだんと先生と短い会話だが

出来るようになり

少しずつ”慣れ”が生まれてきた

 

そして年末には先生との時間に限りがあることに気づき

寂しく感じ始めていた

 

会話が出来るようになり

打ち解けるころ

終わりが訪れる・・・

 

 

家庭訪問の当初は

学校・クラスの様子、学習などの話が中心

長女にはまったく興味のない内容

ほとんどスルー状態

 

勉強熱心な先生 

勉強したい子にはうってつけの先生

 

先生は子どものことをよく考え心配する

勉強に関しては熱心だが

子どもの将来に関しては不安の姿勢が強い

 

以前にも不登校の生徒を抱えていたよう

最終的には

その子も学校へは戻らなかった

 

一年がんばって様子を見ていたようだが

何も変えられなかったようで悔やんでいた

そして残念がっていた

 

だから余計に不登校児の長女は心配らしい

 

長女に対しても

学校へ来ないということで受けるデメリットを心配し

いつもどこか不安がっていた

 

学校でしか得られない友達とのコミュニケーション能力

この経験をしないで成長するということが

とてつもなく大きな損出になるんじゃないかと考え

なんとか学校へ来れるようにと

長女と学校の架け橋になろうとしてくれていた

 

もう笑ってしまうくらい先生は長女のことを心配する

そして不安がっていた

 

でも私から言わせれば

コミュニケーション能力は学校以外でも学べる

 

今では学校でしか身につけられないことは何一つない

学校でしか学べないなんて考えているのは先生だけ

 

必要なことは必要になったその時学べばいい

それからでも遅くはない

 

本人が必要じゃないと思っているものを

必要だからと無理矢理学ばせる

すると

出来ないという現実が生まれる

 

それが劣等感を植えつけることになる

少なくとも私はそう考えている

 

先生は学校へ来ないとコミュニケーション能力が養えない

イコール

学校へ行かない長女はコミュニケーション能力が欠けていると

思い込んでいる

 

そうやって間違った解釈の目で子どもを見るから

間違った劣等感を植えつける

 

そしてその間違った劣等感を子どもは信じて

自分の心を自分で傷つけていく

 

だから長女には学校は不要なんだ

 

先生には何度も説明してきた

 

機能不全家族””愛着障害””共依存

”反抗期””劣等感”

我が家の全て・・・

 

娘達が不登校になったのは

ざっくり言えば

私に反抗期を迎えさせるため

 

この一言で片付く

 

母親の私に自分という軸を持たせるため

自分で自分を生きなさいと伝える機会を与えるため

不登校になった

 

そして私を通して私の両親にも教えてくれた

 

誰に依存することなく

自分で生きることを

その必要性を

自分達の身を持って教えてくれた

 

だから我が家はみんな個々で自立するために

今 生きることを学んでいる

 

そしてそのトップバッターが母親の私

 

親が自分をしっかり生きていないのに

自分を指し置いて子どもにしっかり生きなさいと言うのは

矛盾している

 

そしてあたかも愛があるかのように

 

『あなたのことを思って・・・』

この言葉で全て丸めようとする

 

全くもってあなたのことなんて思っていない

あなたを通して全て自分のことを考えていた

 

この言葉は最悪だ

 

娘達はこの言葉の真意を知っていた

娘達の方がはるかに崇高で次元が高い

 

親である私、大人であるはずの私と両親は

単純に頭を使っていない

脳を活用していない

ただそれだけ

 

その証拠をバカさ加減をあらわにされただけ

 

酷い言い方だが

この低レベルの言葉を発していた自分が恥ずかしい

 

私も両親も矛盾だらけの生き方をしていた

自分に忠実じゃない生き方をしてきた

 

そうやって生きるしか方法がなかったのかも知れない

でも今はもうそんな生き方をしなくていい

自由に生きて良い

 

もう自分の気持ちを隠して生きなくて良い

そう娘達に教わった

 

そして我が家の中で起きていることを

先生に包み隠さず話している

 

先生は自分の生い立ちと照らし合わせながら

一生懸命理解しようとしてくれた

 

次第に先生も少しずつ

自分の家族の話

育ってきた環境を話してくれるようになった

 

長女にとってこの体験はとても貴重だった

 

先生を通して

いろんな人がいて、いろんな体験があることを知る

 

大人の体験話は貴重だ

いろんな家庭があり

いろんな考え方、見方があることを知れるだけで

とても有意義な経験だと私は思ってる

 

学校へ行って普通に先生と生徒の関係では

到底得られなかった経験を長女はしている

 

先生というより一人の女性の生き方を教えてもらう経験は

学校で学ぶ勉強よりもはるかに貴重だ

そして有意義だ

 

先生の家族の話を聞いていると

どこもいろいろあり大なり小なりいざこざがあることが分かる

 

自分達だけ見てると自分達だけが大変な状況なんだと感じるが

周りを見渡すとそうでもないことが分かる

 

いろんな人がいていろんな家庭があり

いろんな生き方があってどれも正しい

 

子どもにはそれを知る機会が少ないため

絶対的に自分だけが っと落ち込む

 

それが長女の場合は不登校という形で解消された

 

大変だと思っていたことがそうでもないんだと知れるだけで

心は軽くなれる

 

娘達は不登校ではあるが悲観的な雰囲気は一切ない

我が家はちょっとみんなと違う

不登校を楽しんでる

 

もちろん私と両親の間にはバチバチなバトルは続いているが

それは大切な段階

言わばデトックスの副反応みたいなもの

 

きれいな空気を取り込んだら

今までよどんでいた汚い空気がどっとあふれだしただけ

 

そんな感じの状態なので

出し切ってしまえばOK

 

今はこの副反応と新しい風が出入りしている状態

少々しんどい時もあるが(それは私だけ)

基本心地いい状態

 

先生はここまで家庭内を知り尽くしているため

もう学校へおいでとは言わない

架け橋になろうとはしていない

 

単純に純粋に長女とおしゃべりする感覚で

我が家に来てくれる

 

そうそういつもそこに三女も同席するので

ちょっとした息抜きになっているらしい

 

そんな楽しい時間もありながら

真剣に長女の将来を考える時もある

 

特に長女の将来への不安はなかなか解消されなかった

一番理解に苦しんでいたかもしれない

これだけはすんなりと受け入れてもらえなかった

 

なぜなら先生自体がかなりの不安症で心配症

それは先生も自覚していた

 

中学を不登校で卒業したら

将来がなくなる

大切な時期に何も学ばず何も出来ない状態で

どうやってこの先

生きていくんだろうと心配になるらしい

 

でも正直その心配が子どもの可能性を潰しているんだよと

言わざる終えなかった

 

心配=信じていない

このレンズ越しでみる景色は

全て不安一色の淀んだ暗い景色

 

そこに虹色の明るい景色は存在しない

 

だからそのレンズで長女を見るくらいなら

目の前にいる

学校へ来ている子ども達

勉強したいとがんばっている子達に力を注いで欲しい

 

不安のレンズで長女を見て欲しくない

長女のことは親の私達に任せて欲しいと伝えた

 

現実問題 先生には何も出来ない

 

長女の将来を心配して手を貸したいと本当に考えるなら

長女のやりたいことの模範者として背中を見せて

 

それが出来ないなら

余計な心配は迷惑なんだ

 

先生にとっては少々きつい言葉かもしれない

でも心配からは何も生まれない

 

そして心配が人をダメにしていく

それを知っている私には不安、心配

この言葉を口にして欲しくなかった

 

残念だが先生の関わりで一人の人間を変えることは出来ない

 

親子でも他人は変えられない

いくら長女を心配してアドバイスしたところで

何もできない

長女の生き方を変えることは出来ない

 

長女は先生が好き

だからといって

学校へ行くわけでもない

 

学校でしか会えないとなれば

縁が切れていくだけ

 

最初は寂しいかも知れないがもとの生活に戻るだけ

それだけのこと

 

心配するより

どんな将来になるかワクワクして待っていて

 

心配しなくてもなんとかなるから

信じて待っていれば必ず動き出すから

 

それには楽しくなること

ワクワクすることをまき散らして

幸せで楽しい世界を大人が見せるしかない

 

楽しむ方法を背中で見せるしかない

 

天照大神が賑やかな祭りに誘われて岩戸から出てきたように

生きること学ぶこと働くことの楽しさを

大人が見せつけるしかない

 

大人が楽しんでいれば子どもも楽しさが理解出来る

私はそれが一番の方法だと思ってる

 

だから私が一番に楽しむんだ🎶

 

先生も楽しんで!

楽しんで子ども達に勉強を教えてあげて!

子ども達を信じてあげて!