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学校へ行くための目的・目標がないから学校へは行かない

★学校へ行く目的・目標がないから行かない

先月通知表を理由に次女の担任の先生が訪ねてきた

先生に会うのはこれで最後

これで5年生が終わった

 

いつもは電話連絡

会うのは一年ぶり

 

電話連絡の時もそうだが

大抵

『元気にしてますか?お変わりありませんか?』

と次女の状況確認からスタートする

 

今回はこれにプラスし、最後ということもあって

『そろそろ学校へ行く気になりませんかねぇ?』

と尋ねられた

 

??? あれ?

 

”行く気になりませんかねぇ~”って

本気で聞いてる?

 

普通に過ごしていたら

”行く気になんてならないでしょ!”

と言いそうになった

 

娘達は学校へ行けないタイプの子ではない

自分たちの意思で学校へは行かないと決めた子

 

何をどうしたら学校へ行くと考えが変わるんだろう?

と 疑問しか浮かばなかった

 

学校自体は不登校になった時からなんら変わっていない

 

先生がいて同級生がいて

みんなと同じ時間に同じことを習う

同じを強要される場所

同じじゃないとダメな場所

 

そして同じことが出来ないと

否定される場所

 

そこへ何をどうしたら

登校しようなんていう考えに至るんだろう?

 

それに

2年間もずっと不登校なんだよ

休み出してから一度も登校していないんだよ

今更何も無かったかのように

登校出来るほど

さすがにそこまで神経図太くないよ

 

 

我が家では学校へ戻るときは

しっかりとした”行く目的”を見つけてからと

決めている

 

将来なんだか不安だから

やっぱりみんなが行っているから

なんとなく行かないといけない気がするから

 

これらの理由で学校へ復帰しようと考えるなら

そんなことはしなくていいと伝えている

 

自分の頭でしっかりと考え

目的を持ち目標を持って学校へ行く

そして自分の行動に自分で責任を取る

 

そこまでの目的がなければ

安易に学校へ戻ったところで

またすぐに引き返すだけ

 

引き返してくるだけなら大して問題にはならないが

劣等感を植え付けて引き返してくるぐらいなら

行かない方がまし

 

学校へ行く行かないはどっちでもいい

問題はそこじゃない

 

出来ないことで否定され

自信を失い

なおかつ自己否定を覚えてしまうことが

問題なんだ

 

学校へ行けなかった

学校へ行けない自分はダメなんだ

みんなは普通に出来るのに

自分だけが出来ない

出来ない自分はダメなんだ

 

このスパイラルで自己否定の感情を育ててしまうくらいなら

行くべきじゃない

 

自己否定の感情が生まれる時は

大抵自分の意思に反することをしている時

させられている時

 

本当は行きたくないけど

行かなきゃダメだろう

 

行かないと怒られる

周りに見放される

などの不安や恐怖からとった行動は

自分の意思に反した行動

だいだい失敗する

だいたい上手くいかない

 

失敗してもそこからどうするか考えられれば問題ないが

自己否定がスタートしていると

考えるどころではなくなる

 

生きる気力を失い、うずくまり動けなくなる

 

そんなことなら

自分の意思に忠実に生きればいい

自分の意思に逆らうべきじゃない

 

2年間の間にいろんな出来事があり

何度も考えてきた

 

その結果

我が家では

安易に学校へは戻らせない

と決めた

 

それ相応の覚悟と理由が必要で

しっかりと説明出来なければ学校は行かせないと

話している

 

残念ながら私もそれなりに覚悟してるからね

ここまでくると普通と同じになんて

今更戻らないよ😁

 

とは言え

どんな目的であれ

次女が考えて出した答えであれば

全て受け入れる

 

もちろん長女に対しても同じこと

 

勉強したいから

将来のために学びたいから

友達が欲しいから

一人は淋しいから

どんな理由でもかまわない

 

次女が自分で考え決めた目的のために

目標を決めて学校へ行くと言うなら

その時には”行ってらっしゃい”と見送るよ

 

 

目的も目標も何もない状態で

ただ闇雲に学校へ戻ることだけを目標にすると

何かある度に

逃げ道、いいわけを見つけ

元の状態に戻ろうとする

 

元の状態=不登校

これなら問題ないが

ここに自己否定がプラスされ

自分を追い詰め出すと危険しかない

それだけはさせない

 

不登校児が頑張って無理をして

場所や環境を変えて学校へ再登校を試みるも

登校できなかったという話をよく聞く

 

かわいそうだなって思いながらも

本人の意思はどうなの?って

問いたくなる

 

本当に学校へ行きたいの?

学校へ行って何がしたいの?って

聞きたい

 

そもそも目的も目標もないのに

学校へ行かなきゃいけないのが

おかしなシステムなのかもしれない

 

学びたくなったら

行きたくなったら行く

それじゃダメなの?・・・

 

不登校であることの現状から逃げるために

周りから焦らされ致し方なく登校する

が 結果耐えきれなくて出戻る

 

長女が中学に進学した時がそうだった

 

環境が変われば

大きなきっかけがあれば変われるだろう

 

そんな風に本人も周りも期待するけど

不登校児の潜在意識を根本から変えない限り

環境を変えたってすぐに元に戻る

 

私は不登校児の親も潜在意識を変えない限り

物事はいい方向には進まないと考える

 

ものの見方を変えなければ

環境を変えても何も変わらない

変わるわけがない

 

事態はどんどん悪化する

執着が強化されるだけ

 

長女のものの見方は数月では変わらず

中学校は小学校の延長線上にあると

認識した

 

だから頑張って3日登校したけど

変わらなかった

 

幸い長女はその状態から自分を追い詰めはしなかった

学校へ行けない自分がダメだとは考えず

やっぱり中学校は小学校と変わらない

そう確信しただけだった

 

長女は自分の頭で考えて小学校=中学校と考え

答えを出した

 

中学校もなんら変わらない

無駄なことをさせる面白くない場所

自分には不要な場所

 

たった3日しか登校していないけど

この3日でそう判断した

 

次女は無駄が大っ嫌いだから

長女みたいな頑張りはしない

 

だけどちゃんと考えてる

小さいながらも今分かる範囲内で考えて

学校は不要だと判断した

 

私は

子供だからまだよく分かっていない

先の見通しもできないから

大人の親の言うことに従っておけばいいと

思い込んでいた

 

でも大人の私ですら

先のことなんて分からないし

考えたら不安しか出てこない

 

将来絶対にこうなるなんていう保証なんてゼロ

 

自分の将来ですら確信が持てない

それなのに

どうして子供の将来を想像できる?

 

私には娘達の将来を用意することも作ることも出来ない

娘達が自分たちで作り上げるしかない

 

結局何をどうしたって

本人しか現実は作れないし

本人しか未来は作れない

 

親ですら子供の幸せの責任なんて何一つ取れやしない

それなら最初から関わるべきじゃない

手を出すべきじゃない

 

口を出すこと

手を出すことは

全て無責任な行為

 

だから将来を心配して

あれこれ指示を出すのはやめた

先回りはもうやめた

 

かなりの極論だが

これでいい

娘達にはこれがちょうどいい

 

今までの自分が見たら

”げっ”って言いたくなるような

冷たい親

 

でも子供を自立させるためには

これでいいんだと決めた

 

今のところ

この考え方でいいと本気で思っている

 

 

小さな娘達のためにといろんな事を先回りし

用意周到して導いてきたが

それは単なる

考える経験を奪ってきただけ

 

私の小さな指示がいつのまにか大きな指示へと変わり

それに伴って

娘達は自分の意思が分からなくなり

小さな決断もしなくなっていた

出来なくなっていた

 

小さな決断が出来ないということは

大きな決断はもちろんのこと

 

知らず知らずのうちに

他人の顔色を伺いながら生きる

他人軸の人生に導いていた

 

それはそれで楽ではあるが

いつまでも自分の人生を生きていないということになるため

どこまで行っても虚しさだけがつきまとい

充実しない

 

そんな生き方をさせたかったわけじゃない

そんなことを望んで育てていたわけじゃない

 

普通に学校へ行き不登校にならなければ

こんな考えにはならなかった

 

学校へ行くのに目的が必要だってことに

気づきもしなかった

 

でも気づいた

知ってしまった

 

目的なく学校へ行くことが

当たり前になっていることが不自然なんだ

 

学校へ行くには目的・目標が必要

この2つがないから

自分の立ち位置に迷いが出る

 

今の次女にはまだ目的も目標もない

だから学校へは行かない

 

たとえ学校が嫌いな場所でも

そこへ行く目的を明確に見いだしていれば

そこがどんな場所でも

覚悟を決めて行くよ

 

私はそう信じる

 

でも今はまだその段階まで達していない

目的も目標もそれらを手に入れる覚悟もない

 

そんな状態の次女が行動を起こすわけがない

 

今の娘達にとって目的のない行動はもう取らない

そして

親の私たちも無理矢理行動を取らせることはしない

強要する力はもうない

 

そもそも間違いだったから

絶対に強要はしない

 

だから待たないで

学校へ来たらなんて仮定しないで

 

今は学校へ行く目的がない

少なくとも

今の学校には行く目的がない

 

 

次女が知る限る

目的とは関係なく学校へ行きたくなるような

魅力的な要素も学校にはない

 

次女が勝手に魅力がないと思い込み

一人でシャットダウンしていると言えばそうかもしれないが

私が知る限りでも

今の学校に魅力的要素は微塵も感じない

 

学校は我慢、忍耐、努力を美徳とする場所

会社という組織に従順に従い

管理された場所で能力を発揮する人が学ぶ場所

会社にとって必要な

生産的な人材を育成する場所

 

これはこれで社会にとってとても大切なこと

 

会社という組織がなければ

社会は成り立たないからね

必要なんだよ

 

だからみんなに必要ではない場所

だとは思ってはいない

 

会社という組織の下で働きたい人にとっては

学校は絶好の学びの場

会社に入り仕事をしていくための練習の場

多くの人によっては必要な場所

 

私は管理教育の中でもろに育ってきた人間

だから自由に自分で考えて決めることの方が正直苦手

誰かの考えに賛同し行動することの方が合っている

大して責任もないし気楽なわけだ

 

そういうタイプには会社は適してる

 

まぁ会社で働けるよう従順に従う教育を受けてきたから

当たり前なんだけど

 

でもその一方でそういった環境を好まない人もいる

 

我慢、忍耐、努力が苦手な娘達にとっては

管理された空間は苦痛でしかない

これも事実

 

もうこんなの向き不向きの問題

もしくは時期的にまだ早かった

子供のうちから管理する必要はなかった

ただそれだけ

 

とまぁ単純に私の娘達には

私が育ってきた管理教育の場は向いていなかった

こんだけの話なんだよ

 

時代の流れだね

もう管理される時代は終わったんだよ

みんな自由なんだ

 

だけど管理されて育ってきた私みたいなのが親になると

自分が育ってきた子供時代をベースに考えるから

世の中が自由になっても

管理される時代に逆戻りしてしまう

 

それしか知らないからね

それはそれでしかたないような気もする

 

でもそれでは子供達は苦しいんだよ

娘達は苦しかったんだよ

 

 

もちろん全てが管理教育ではない

 

オルタナティブスクールのような

子供の主体性を重視する学校

少しずつ増えてきている

 

独自の魅力満載の学校

私が通いたいくらいの自由でワクワクする学校

 

そんな学校があることは知っているが

残念ながら我が家から通える場所に

そういったオルタナティブな学校はない

 

とりあえず

何度も繰り返してしまうが

次女の場合は

学校の中身というより

 

学校へ行って自分が何を学びたいか

学校へ行って自分は何がしたいのか

という目的がないことが

そもそもの問題

 

この目的がない以上

”学校へ”なんていう話にはならない

”学校へ行く”という考えは絶対に生まれてこない

 

この”学校へ行く目的”がない子が

自分たちには合わない場所と判断している親子が

どう頑張っても

学校へ行くという思考にはならない

 

先生はそんなこと十分承知の上だと思っていた

伝わっていると思っていた

理解してくれていると思っていた

 

でも違った・・・

 

おそらく理解できないよね きっと・・・

 

正直こんなこと議論することではない

 

毎年毎年担任が代わる度に

家庭内の話

我が家の独自の考えを説明するのもどうかと思う

先生にとっても面倒な話だと思う

 

だから正直分かってくれなくていい

なんとかしようなんて思わなくていい

 

 

学校へ行かなくて後々困るのは次女

苦労したり後悔するのは次女

そんなこと百も承知

 

それでも

自分の思うままに生きたいと彼女は望んだ

 

それに学校へ行かないことが後悔になるかは

次女自身の見方、捉え方の問題

 

実学校へ行かなかったという事実があるだけで

それが後悔になるか正しい選択になるかは

次女が決めること

 

後悔なんてものは

見方捉え方でいくらでも変わる

 

何に関しても良い方向へ解釈してしまえば

全て良い結果に変わる

 

だから私的には

次女の選択は問題ないと

ベストだと考えている

 

この先の未来も

過去の解釈の仕方で全て決まる

 

過去なんていくらでも変えられるんだよ

それが分かったら素直に自分の心に従え!

これが一番!

 

生きる目的・目標を見つけられている子は

きっと強くたくましい生きる

 

まだ見つけられていなければ

自分の人生を生きるためにしっかり考えよう

それが今やるべきことで、できること

 

そのためには焦らずじっくりと考えることが一番の近道

 

焦らなくていい

いくらでも時間はある

いつからでもスタート出来る

 

大人は子供を焦らせずじっと見守ること

これが大人に出来る唯一の手助け