何を食べたかで人生が変わる  

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お小遣いは定額!もっと欲しい時はお手伝いをして稼ぐ👛

★娘達は欲しいものと財布の中身とを天秤にかけお手伝いをする

我が家の娘達には毎月決まった額のお小遣いを渡している

以前は欲しいものを何でも買い与えていた

それが特別悪いと考えているわけではなく

単純に何に使うかをジャッジする親の思考が邪魔くさいと考え

お小遣い制にしている

 

欲しいものに対してジャッジされることは

本当に気分が悪い

それを私自身がよく分かっている

 

だから何も言わせないために

何も言わないために

お金の使い方に口出ししないとこに決めている

 

長女は中学生なので2000円

次女は小学生なので1000円

必要なものは変わらず買い与え

お小遣いは自分たちの自由に使っていいというルール

 

基本お小遣いの使い道は

自分の食べたいお菓子だったり

好きなもの、欲しいものを買う

そして最近はゲームの課金にも使うようになった

 

毎月渡すお小遣いでは足らないと感じる時は

家の手伝いをしてお金を稼いでいる

 

長女のお手伝いはお風呂掃除

そして家族の洗濯物を干すこと

 

お風呂はたまっているお湯を抜き

浴槽を洗い、お風呂にお湯をためる

これで一回50円

 

洗濯は洗濯機に洗濯物を入れスイッチを押し

洗濯物が洗い終わったら外へ干す

そして洗濯物が乾いたら取り込み片付ける

これで一回50円

 

一応洗濯の一通りの作業は出来るようになった

と言うことは私が倒れた時には長女が代わりに洗濯をすることが出来る

これは心強い😆

 

不思議と機械の扱いはすぐに覚えてくれる

いつもスマホipadを使いこなしているおかげで

機械音痴じゃないのがありがたい

 

長女は毎日お風呂掃除はしてくれるが

洗濯は自分の欲しいものと財布の中のお金と相談して

やるかやらないかを決めている

 

以前はこのやったりやらなかったりで困っていた

私が期待していてそれが外れると単純に仕事が増えるので

イラッとしたりして文句を言ってしまっていた

 

当てにして段取りを組んでいたりすると

がっかり感が半端ないので

長女がやりたいときにやるというスタンスということに決めて

当てにしないようにしている

 

手伝ってくれたときはラッキーと思うぐらいにした

または前日にやるかやらないかを決めてもらったり

やりたいときは前もって教えて欲しいと伝え

精神的にお互いに負担にならないようにしている

 

前回は漫画が欲しくて一生懸命洗濯のお手伝いを自分から

取りかかってくれていた

でも今全巻コンプリートしているため

お金を貯める、お金を得るための目標がない

だから今はなかなか手伝ってもらえない

 

正直私は楽できていたので残念

洗濯は難しい仕事じゃないけど手伝ってもらえると

時間的にも気持ち的にも余裕が生まれてとても助かる

 

また欲しいものが見つかった時

お金が欲しいなと言い出す時を密かに待っている

 

次女は洗い物を好んで手伝ってくれる

一回に洗える量が少ないので一回25円とちょっと低い

 

でもここを長女と同じ一回50円にするとなんだか不公平感が出るので

一回25円で一日に2回まではお手伝いをしてもいいとなっている

 

沢山の洗い物があるとげんなりして放棄したり

少なすぎるとちょっとお小遣いをあげるには妥当ではないような

なかなか調整がいまいち上手くいかず

気分屋の次女は本当にやったりやらなかったり

これもなかなか当てには出来ず

次女の場合もやりたいときはあらかじめ申し出てくださいと伝えている

 

二人とも自分で決めたときはほとんど実行してくれる

だからここでもやる気になるまでじっと待つしかない

 

しかし娘達のお小遣いの設定は本当難しい

次女は長女と同じ内容のお手伝いをやってはみたものの

楽しくない

つまんないという理由ですぐにやめてしまう

なかなか出来ることが見つからなかった

 

無理してやらせるんではなくて

自分からやりたいと思えるお手伝いを探すのに時間がかかった

だから次女はお手伝いでお金を稼ぐのはまだスタートしたばかり

 

それでもお手伝いカレンダー見て

今どれくらいお金が貯まっているか計算したり

あとどれくらいお金が必要だからと

自分で考えてお手伝いに取り組んでいる

 

長女のお風呂洗いはもうルーティンになっているので

時間が来たら作業に取りかかり

頭で考えることでもない

 

でもルーティンになるまでは

何度も何度もこちらから声をかけて

なかば下手に出ておだてながらお願いしながら取り組んでもらった

時もあった

 

時にはもういいです

自分でやった方が早いですと感じることも多々あった

 

でもいつも頭をよぎるのが

私が倒れても衣食住がなんとか回せるくらいの生活力

身につけておいて損はない

だから出来てくれるとうれしい

そんな思いがあった

 

まぁ今はピンピンしていて風邪すら引かなくなり

あんまりその必要性はなくなりつつあるが

いつかは自立して家を出て行ってもらいたいので

生活力だけは身につけさせたい

 

今は私の時間の為にもおのおの手伝えることは手伝って

私に自分時間をくださいとお願いしている

 

娘達に干渉しないためにも自分時間を持ち

自分の楽しみを持つことが必要

そのためには私が抱えている仕事を少しずつ振り分ける必要がある

それは私だけが楽をするわけではなく

みんなが心地よく暮らすための工夫だと説明した

 

娘達はお小遣い欲しさ

私は時間欲しさにお互いが協力している状態

 

それでも3人とも一番が自分

自分を一番大事にする

これだけは忘れないように心がけている

 

お金が欲しいだから手伝う

これはOK!

でも手伝わないとママが可愛そう

大変そうだから手伝う

これはNG!

 

自分のやりたいことを我慢してまで手伝わなくていい

家庭の中で自己犠牲ってなんだか大げさな気もする

でも私は子どもの頃から自己犠牲が当たり前の世界で育ってきた

 

子どもの頃の習慣は大人になったからと言って

簡単に変えられるものじゃない

いざ外の世界へ出たからと言って自己犠牲が当たり前の習慣では

外の世界でも自己犠牲がベースの上、生きてしまう

 

まずは小さな社会、家庭で自己犠牲にならない生き方

ありのままの自分=自己愛を身につけてもらいたい

 

お手伝いしたいときもあればしたくないときもある

出来るときもあれば出来ないときもある

どんな自分でも責められない

そんな時もありよねって

みんながおおらかに生きたい

 

この感覚を身につけるのは娘達だけじゃない

私も同じように自己犠牲にならないように気をつける

 

子は親を真似る

だから自己犠牲の子に育てないためにも

私が自己犠牲をしない生き方をしなくてはいけない

 

がんばりすぎていないか

無理していないか

怠けてる気がするときもあるけど

これでいいんだと半ば強制的に考えている

 

自己犠牲=わがままと思いがちだが

ありのままの自分、ちょっと適当な自分を受け入れると

娘達が何をしていても

それがわがままな行為だとしても

そんな時もあるよねって受け流せるようになる

 

だってもう自分ばっかりという考えがなくなってきたから

そんなもんかもしれない

 

自分がだらだらしていたら

だらだらしている娘達に対して文句は言えない

言う気にもならない

 

わがままな自分を受け入れると案外簡単に他者のわがままを

受け入れられる

というよりなんとも思わなくなる

 

これ不思議な感覚!面白い!