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不登校=フリースクール? 我が家がフリースクールを利用しないワケ

★なぜ不登校ならフリースクールへ となるのか?

 

子どもが不登校になると

大体選択肢の1つとして浮かび上がってくるのが

フリースクール

 

フリースクール 簡単に言えば

不登校の子どもたちを受け入れる教育機関

めっちゃざっくりとした言葉

 

目的も規模も費用もさまざま

出席認定は在籍校の校長先生の判断に委ねられ

フリースクールに通うことを在籍校の出席とみなすかは

校長先生のさじ加減らしい

たぶん概ね出席とみなされるようだけど

 

ただこの出席日数って何に必要かって話だよね

中学生なら高校受験

高校生なら大学受験

そのくらいにしか私は思っていない

 

我が家の娘達は高校への進学は

まったく頭の中にはない

だから自然と出席日数に目が向かないし

関心がない

 

となると出席日数をなんとか確保するために

フリースクールへ通わなければ 

という発想も生まれてこない

 

出席日数を気にしないなら、必要ないなら

フリースクールへ行く必要はないじゃん

ってなる

 

だけど大人はそれだけじゃない

 

いろんな経験をさせたい

いろんなものに触れさせたい

何がどう転ぶか分からないから

とりあえず学校へ行って欲しい・・・

そんな風に心の中でほざいている

 

そうだぶん私はそうほざいていた

そして学校へ行かない娘達が家にいるのが面倒で

手放したかった

 

正直手放したい、自分が自由になりたい

親の責任と思い込んでいることを

さっさと手放したかっただけ

 

なんとも無責任な親

でも仕方ない

これが私で

これが正直な気持ち

 

 

フリースクール』はほぼほぼ自由なイメージ

特別決められたものはない

だからそんなフリースクールくらい通えるでしょって

親は安易に思ってしまう

 

普通の学校へは行けなくても

自由で勉強もない学校なら行けるでしょって

安易に考えてしまう

 

当初の私がそうでした・・・

それで娘達にとってフリースクールが必要かどうかを

考えてみた

 

とりあえずは一般的な『フリースクール』へ通う

メリットを探してみた

 

フリースクール』のメリット

フリースクールの出席が在籍校の出席と同等の扱いとなるため

進学したい子どもにとっては大切な出席日数を確保出来る場所となる

・社会からの孤立を避けられる

・子どもの身の安全を確保してもらえる

・好きな事をやらせてもらえる

・苦手なことは無理にはやらされない

・人との繋がり関わりで心の成長ができる

そして何より一番は子どもの居場所の確保

 

ネットやYoutubeで調べた時はこのくらいの感触で

この程度の認識

それは今もあまり変わってはいない

だから我が家にとってはあまり興味が向かなかった

 

実際『フリースクール』への見学は行ってはいない

我が家から自転車で通える距離に

フリースクールはあるらしい

 

そのフリースクールは小さな学校のような建物

どこかのビルの一角、アパートの一角

古民家のような作りのフリースクールではない

 

ちょっと規模を縮小した感じの小学校のよう

家庭科室、実験室、小さな校庭がある

こぢんまりとした空間

 

生徒は大体20名ほど

小学生から中学生までを受け入れていると

カウンセラーから聞いていた

 

それは娘達にも伝えているが

全く興味は示さなかった

 

どこのフリースクールも大体授業はない

勉強したければ自分で自由に取り組み

分からなければ誰かに教えてもらう

友達だったり先生にだったり

 

特別カリキュラムはないようで

何もしなくてもOKな場所

 

漫画、ゲーム、スマホで遊んでいてもOK

危険物さえ持ち込まなければ

何でもOKなような印象

 

スリースクールに通うと決めたからといって

毎日出席しなくちゃいけないわけでもない

 

本当に自由で何の縛りはない

そんな場所が『フリースクール

 

にもかかわらず

そんな自由と言われる場所なのに

娘達から見ると

自由で楽な学校と言うよりは

子ども用の精神疾患者のリハビリ施設

 

そんなイメージがあるようで

興味など1ミリもわかないらしい

 

この言葉 面白いほど納得した

 

だから未だにフリースクールを訪ねたことはない

行きたいと熱望してからでも遅くはない

よって私の中ではフリースクールへの興味はない

 

とは言え

幾度となく私の父はフリースクールを押してくる

 

自転車で登校するのが嫌なら

車で自分(私の父)が送迎してあげる

 

天気が悪くて行きたくないときは休めばいい

嫌になったらすぐ帰ってこればいい

いつでも迎えに行く

 

勉強なんてしなくていいから

好きな事やっていればいいから

好きな事で何かしら出会いがあるかもしれないから

もしかしたら友達が出来るかもしれないから

楽しくなるかもしれないから

行ってみてはどうだ

 

人と繋がりを持つために

何か刺激を受けるかもしれないから

とりあえず行動してみてはどうだ

 

フリースクールでも保健室登校でも

別室登校でもなんでもいいから

とりあえず今の状況を変えよう

 

そんな風にTVでフリースクールの話題に触れる度

幾度となく進められてきた

 

何か見つかるかもしれない

何かきっかけがあるかもしれない

 

そんな曖昧な大人の勝手な期待を膨らませて

私の父は娘達に直接話せないため

親の私にガンガン押してくる

 

でもそれって学校へ行っていない今がダメだ

と言われているようなもの

 

今の現状がダメだと否定されているように感じる

 

フリースクールへ通えば何かが変わり自体は好転する

と勝手に期待してる

 

でもそれはどれも不確かな現実

娘達は学校へ行かないことを後悔はしていない

行かないことに罪悪感も感じていない

学校へ行くことが必要だとも感じていない

 

きっかけ、出会い、繋がり

それらは自分で望んで動き出さなきゃ手に入れられない

 

大人の私達はそんなこと知っているはずなのに

子どもならそれらが自然と簡単に手に入ると思い込んでる

 

出会いの場、学びの場、きっかけを生み出してくる場

大人がこの環境をいくら整えて用意したところで

本人がそれを欲しいと望み手を伸ばさなきゃ

何も手に入らない

 

父が勝手に必要だと思い込んでいること

娘達が子どもだから何も知らないと

何も分からないと決めつけ

自分の経験というものさしだけで

必要なものを選択し、与えようとしていること

押しつけようとしていること

 

私も娘達も もう知っている

それらはエゴだって知っている

分かっている

だから余計反発したくなる

 

娘達は社会との繋がり、人との繋がり

きっかけが欲しいんじゃない

自分の居場所が欲しいんだ

 

私はいつも思う

子どもたちの居場所って

そもそも学校である必要があるんだろうか?

 

そして自分の居場所くらい

自分で決めたいとは

思わないんだろうか・・・

 

本当なら家が子どもの安全地帯になり居場所になる

それがちゃんと機能していないため

他者に依存し、他の場所に依存し

自分の居場所を無理矢理作りだそうとし探す

 

親は知らず知らず

勝手に子どもの居場所を他に用意し

ここを居場所にしなさいって指示しているみたい

 

フリースクールへ』っていう言葉は

”家にも学校にもあなたの居場所はないよ”

”ここにはあなたの居場所はないよ”って

宣告されているようなもの

 

そして

フリースクールになら居場所があるんじゃないかって

打診されているようなもの

 

少なくとも娘達は『フリースクールはどうだ?』

と言われる度に

『自分達の居場所にはここにはない』

って言われているような気分になるらしい

 

よかれと思っての提案が

変に子どもを追い詰めている

そんな時もあった

 

そうと分かっていても

知っていても

言葉にしてしまう時がある

 

現に

フリースクールにでもなんでもいいから行ってくれ』

と言いそうになる時が何度かあった

 

まぁ親としては

家にばかり引きこもっているよりは

小さな社会という集団の中で

なんとか上手くやってくれることを

願ってしまう

 

口に出さなくても心の中ではこの言葉であふれかえっている

そんな時期もあったさ

 

でもこれって単純に私が面倒なだけで

誰かに娘達の面倒を引きけてくれって

責任を押しつけようとしているようなものだって

分かったら、それに気付いたら

 

やっぱりなんだか違う

それはおかしいって気付いた

 

子どもが自ら望んで自分の現状を変えたくて

自分の意志でフリースクールを選んだのなら問題はない

素晴らしい選択だねって心から応援する

 

この状態ならフリースクールへ行くことはとても有意義で

メリットにしかならない

 

自ら望んだ場所であれば

自分で自分の居場所も必ず見つけてくる

心配する必要もない

 

でもそれ以外の形で、決めたのなら

フリースクールに通うことにメリットは感じられない

 

なぜなら今までの学校となんら変わらないから

受け身で生きる方法をやめなければ

何も変わらないし、何も手にしない

 

単に場所が変わっただけで

意思や思考が変わっていないのなら

残念ながらまた同じことを繰り返す

 

子ども自身が自分の分かる範囲内で

精一杯考え、今の自分に従えばものごとは好転する

私はそう考えている

 

それが今の正しい選択

その結果思わぬ結果が舞い込んで来ても

自分の選択の結果

自分の責任だって理解出来る

そしたらそこから学びに変わる

 

我が家の娘達の場合は・・・

現在、自分達の居場所を家の中に見つけてしまった

 

まだ家に居て私の隣にいたいらしい

家に居て自分の出来る事で生活し

ゆっくりと成長したいらしい

 

今まで慌ただしく無理矢理走らされ背中を押されきた

この感覚が嫌いなようで

自分のペースで自分に合ったやり方で生きたいと望んでいる

 

その代償が数年後目の前に大きな壁として現れることは

十分承知している

 

まぁ本当に大きな壁として出現するかは定かではないが・・・

それを想定し理解した上で今を過ごしている

 

娘達の方が随分肝っ玉が据わっている

私も負けていられない

 

だからもし大きな壁が出てきたら

一生懸命考えてその都度少しずつ壊していくしかない

出来る事で乗り越えるしかない

 

みんなと違う生き方をし

自分の意思に従った生き方をするということは

常に自分で責任を持つということ

 

自由と隣り合わせな世界で生きることは

良いことも悪いことも両方ある

 

それでも自分の決めたことなら

自分で責任は持てるはず

というより持つしかない

 

出来ないものにこだわらず

出来るものを突き詰め

それを使って未来を切り開く

その方法でコツコツ生きていくしかない

 

娘達の居場所は自宅にあり私の隣にある

娘達がここを自分の居場所だと決めているのだから

親でも大人でも口を挟むことは出来ない

 

まぁそんな考えでいるため

我が家には今のところ

フリースクールを利用する理由が見つからない

 

親の私が腹をくくれば

娘達が決めた居場所なんてどこだっていいんだ