何を食べたかで人生が変わる  

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夏休み明けの不登校 不安に感じたら自分の頭でよく考えて!

久しぶりのブログ

 

最近モヤモヤする

頭の中で何かぐちゃぐちゃしてる

適度に吐き出さないと・・・

自分のことが分からなくなる

 

というわけで吐き出します!

 

前回のブログ記事から一月が経った

記事を更新していないにもかかわらず

記事を読んでくれる人がいる

 

不思議だ!?

そして同時に

とってもうれしくて 感動もの😭

 

毎日アクセス解析を覗いては

”見てくれてありがとう!”とつぶやく

 

毎日誰かと繋がっているような気がして

温かい気分になる

 

勝手な思い込みだが

私にとっては都合のいい思い込み

これで十分幸せを感じる

 

それでもちょっと欲が出て

少しは誰かの役に立てているのかなと

うぬぼれてもいる自分もいる😏

 

正直 ただただうれしい現実がそこにある🧡

 

 

アクセス傾向の情報からすると

不登校の原因”に関する記事にアクセスがある

 

”夏休み明けの不登校

たぶんこれに関連して

私の不登校に関する記事が閲覧されていると推測

 

やっぱり不登校か・・・

 

自分で不登校記事を書いておきながら言うことではないんだが

不登校って最初の小さな入り口に過ぎなくて

不登校自体は別に大した問題じゃないんだよね

 

問題なのはその奥そこにある

子どもを取り巻く環境

 

そこを見直さないと変えていかないと

子ども達は救えない

 

どうにもこうにも変わらない

いくらカウンセリングして話を聞いても

何も変わらない

 

そしてそれを変えられるのは子どもではなく

唯一 親なんだ

子どもを育てる 

子どもの一番近くにいる親・大人なんだよね

 

だけど 

その大人達が自分に原因があるって気付かないから

認めないからタチが悪い・・・

 

そして変わるのは親

だけど

子どもへの接し方とか見方とか

そんな生ぬるいことでは変わらない

 

根本を変えないと

すぐに元に戻ってしまう

 

つまり 親の潜在意識

ここを見直さないと

上手くいかない

 

親の潜在意識を正しく整えてあげることが大事

ここが整っていないから

親も子も 苦しくなる

そして自体は悪化するか何も変わらないか

 

私は不登校問題について

こんな風に考えている

 

正しいとか間違っているとか

そんなことどうでもいい

私は潜在意識がすべてだと知っている

 

だから新聞やネットの記事で不登校情報を目にすると

そんなアプローチでは

何も変わらない

 

と少々残念な気持ちになる

 

9月から新学期

不登校問題が一番スポットライトを浴びる時期

 

世の中には

もしかして我が子が・・・なんて考えて

心配する親御さんが沢山いる

 

今現在不登校の子もいれば

不登校になりかけている子もいる

 

子どもの数だけ不安があり

常に不安と隣り合わせで親は生きている

以前の私はそうだった

でも今は全く真逆の考え

 

 

私は不登校児の娘達を不憫には思っていない

どちらかと言えば

不登校児になれたことをすごいとさえ思い

尊敬している

 

確かに最初は学校へ行けないくらいエネルギーを奪ってしまっていたこと

母親としての私の言動や接し方

よかれと思ってとっていた行動が間違っていたことで

罪悪感は感じていた

 

そして

エネルギーバンパイアという言葉がぴったりな私の両親の元で

娘達を育てしてしまったことにも罪悪感を感じずには

いられなかった

 

ただ学校自体に行けないということに対しては

さほど罪悪感は生まれなかった

 

それは心底 私自身が学校が嫌いだからだろう

 

比較、競争、いじめ、劣等感

信頼できるはずの大人が意図も簡単に裏切ってくる場所

そして未熟な子どもの集まりで互いに傷つけ合ってしまう場所

 

要らぬ不安をガンガン押しつけ

要らぬインプットばかりを強要する場所

 

アウトプットの仕方を知らない大人の集団

それが学校で

その中で一体何が学べるのか

考えもしずに送り出していた

自分に後悔する

 

まぁそんな考えだから

学校なんて行かなくていいし

行く必要はない

 

これを堂々と娘達に伝えられることは

私にとってはありがたいこと

 

なぜなら 娘達に嘘をつかなくていい

 

学校が良い場所ではない

害を与える場所だと知り感じながらも

娘達に嘘をついて学校へ送り出すことの方が辛い

 

かなり行きすぎた考えだが

きっと私の内側に学校への反発心があるため

そのような現実が目の前に現れる

 

ただ娘達からこぼれる学校のイメージも

私とそう変わらない

 

親子だから似ているのか

時が経っても学校自体がアップグレードしていないのか

そのどちらか・・・

 

ただ不登校になって分かったことで

悔やまれることは

 

娘達の育て方が悪かったこと

そして間違っていたこと

これだけだ

 

私は知らず知らずのうちに娘達の心を

いとも簡単に傷つけていた

この事実を受け止めることが辛かった

でも現実 そうなんだから仕方ない

深く反省しております💦

 

それには

私は私なりの理由があり脳の仕業

この脳の仕組みを認識していなかったことが原因

 

とまぁ~脳のせいにして過去のことと割り切っている

そして間違いが分かればあとは軌道修正するのみ

ただそれだけ

これが分かればなんてことはない

 

というわけで

過去のことは

ちゃんと娘達に謝りました

 

これからはお互いに親と子というよりは

望む現実に向かって一緒に歩める同士として

生きていこうと話し合った

 

大人だから子どもだから

親だから子だから

といった枠は必要ない

 

個人をちゃんと認め尊重できる生き方をして行こう

となった

 

今までそれができていなく

それが必要なことだとも知らなかった

 

そんな尊重という言葉が親子のなかに存在しなかったため

いろんな不具合が出ていた

 

家族であっても親子であっても

境界線を引くことはとても大切

 

私は

中学生と小学生の娘達にいつも自分の考えを共有している

そして娘達の考えも共有させてもらっている

 

互いに価値観を共有することは

個々を認めるために大切

現在地を把握するためにも役立つ

 

よって今は以前にも増して

娘達が不登校であることに

ケロッとしている

 

何か問題でも?

そんな感じ

 

っていうかあまり不登校でとやかく言われることはない

言ってくる人は決まって身内だ

 

本当の赤の他人は『へぇ~そうなんだ』で終わる

多少興味は持つかも知れないが

それは一時的

 

人は自分が一番だから他人なんてどうでもいい

 

 

現実不登校の原因が私の育て方の間違い

ただ そこを咎めても仕方ないので

間違っていたものは改善するしかない

それだけのこと

 

過去をむやみに正当化しても意味がない

仕方ないの言葉で片付けて

そのままでも意味がない

 

やるべきことは

間違いを認め改善し

次どうするかを考える

これだけのこと

 

そして

行動しないことには現実は変わらない

 

変えたくないのであれば現状維持でいい

ただ現状維持はその場所にとどまっているように見えるが

実際は衰退していくのみ

これは変えられない

 

なら進むしかない!

 

 

不登校になるまで自分自身の育ちが悪かったなんてことも

知らなかった

というより考えなかった

 

自分が悪いと思い込んでいた

でも本当は

私が悪いんじゃなくて

私を育てた環境が悪い

 

私を育てた親が未熟すぎて

私の育て方を間違えた未熟な親が悪い

 

そんな風に考えたこともなかった

 

子どもは純粋で無垢だ

だから余計に気をつけなければいけない

 

簡単に子どもの心をズタズタと切り裂いてしまう

そしてその切り裂かれた心をずっと抱えて成長していく

 

また我が家が機能不全家族だったなんてことも気付かなかった

どこにでも居る普通の家族だと思っていた

 

みんなおんなじって言葉で

現実を直視していなかった結果が最悪な家族を作り出していた

 

すべて身の回りに起こることは偶然ではなく必然

ちゃんと理由があって起きている

 

私は娘達を通して多くを学んだ

ようやく学べた

強いて言うなら学べる時期に達した

 

不登校は学びのきっかけに過ぎなくて

でもそこから得られたものは計り知れない

 

物事の捉え方、見方で目の前に起こる現実は変わる

この捉え方、見方は潜在意識によって変わる

潜在意識がどんな過去と情報で埋め尽くされているかによって

目の前の現実が変わり

自分に引き寄せる現実も変わる

 

この潜在意識について深掘りすると

マジで面白い

 

脳には牽引の法則がある

 

自分の口から発する言葉を自分の耳で聞いて脳がそれを聞く

すると脳はこの人間はその言葉の現実が欲しいんだと認識

そしてその認識された現実を脳が引っ張ってくる

 

いわゆる引き寄せの法則

 

子どもを不安な目で見て

不安、不安と口にしていれば

必然と不安な現実が引き寄せられる

 

実際に不安を感じる時は

現実には起きていない

ありもしない出来事をあれやこれやと想像して

一人で不安になっていることが多い

 

自分でメンタルを下げ

些細な出来事が大きく膨れ上がり

恐怖で押し潰される

 

現実には形として成していないものなのに

自分の頭で想像し、口に出して発するから

目の前に嫌な出来事がわんさか溢れ

身動きが取れなくなり悪い事ばかりが起きていると捉える

 

自分で不安の種をまき散らし

不安な現実を回収しているだけ

不思議な光景

 

こういった脳の仕組みを学校が教えてくれれば

行く価値はあるし

生きる上で楽になる考え方だから

学んでおいでって

喜んで背中を押してあげられる

 

だけど

実際はそんなこと頼んでも教えてもらえないし

こんなこと学校の先生達は知らない

 

娘達の学校は管理教育の学校なので

まぁなにから何まで不要

 

余計なこと学ばなくてイイ

わざわざ足かせになることを刷り込ませる必要はない

 

学校なんて行かなくて問題ない

困らない

 

困った時に初めて学びの必要性を理解する

何が本当に困っていて

何が必要なのか

 

その時になって考えればいい

 

この考える癖を身につけ

自分なりの考えを吐き出す

 

正しい答えじゃなく

本当の自分の気持ち、考えを吐き出す作業

これができればいつだって生きていける

でもこれが難しいんだ

 

そしてその吐き出した考えから自分の目的を見つけ

それに見合った行動を起す

 

この繰り返しで娘達は成長する

私はこれでいいと思っている

というより

これが全ての核心

 

だから学校へ行ってあれこれインプット(学習)させられるよりも

まずはアウトプット(行動)して

それに必要なことをインプットするればいい

 

あぁ~やっぱり学校のシステムとは真逆の発想だ

アウトプットが先でインプットは後

 

これが娘達にとっても納得のいく現実で

私達が求めた答え

 

だから

不登校になる

不登校になりそうだと不安に感じていると

不安な現実がどっと押し寄せるよ

 

それよりどんな学びが得られるかなって

ワクワクしながら子ども達を見てあげて

 

そしたら本当に学校へ行きたい子どもなら

親のワクワクした表情に引き寄せられ

嫌なことはどっかに行ってしまうから

 

または親のワクワクに引き寄せられ

子ども自身も自分のワクワクを求めて

違う場所を求め探しに行くかも知れない

 

不登校=危険ではない

新たな発見

課題の見つけるチャンス

 

この課題を見つけることを面倒だとか

考えることが辛いと感じる時は

今までに自分がそれらをやった経験がないということ

 

不安に感じる時は

物事を自分の頭で考えていないということ

 

周りに決断を委ね

答えを求めて生きてきているということ

 

これがどういうことかは

自分で考えて決断し行動すると

体感し府に落とすことができるので必然的に理解できる

 

だからそれを学ぶために

何度でも自分で考えないと前に進めない現象が現実が

何度も目の前にやってくる

 

でも大丈夫!

一度経験すると分かるから後は楽ちん

体験して自分のものにすれば

自分の力になりその経験が使えるものになる

 

あっ怖くない

大丈夫だってね

 

不登校になりそうなときは

よ~く考えてみて

 

何が大切で何が望みなのか

それは子どものためなのか

親自身のためなのか

 

自分の頭でちゃんと考えて答えを導き出せば

どんなことにもブレずに生きていける

 

それは自分軸ができることにも繋がる

そしたらどんどん生きることが楽しくなる

 

はぁ~相変わらず

私は今が楽しい🎶

 

ようやくモヤモヤしていた感情が吐き出せた

あれこれ考えるんだけど吐き出さないから

分からなくなる 見失うんだよね

 

これでスッキリ!

 

また吐き出します!