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不登校は親の責任 そんなことどうでもいい で、次どうする?が重要!

★『不登校は大半は親の責任』この言葉嫌いじゃない

私はTVは見ない

この言葉はネットの記事で拝見した

 

その言葉に対して

私は何のためらいもなく

『うん、その通り!』

って心底共感した

 

私達親子の中ではこの言葉は

”正しい”と認識している

 

まぁ実際私のような母親はゴロゴロいるだろう

同じように過指示・過干渉・過保護で子どもを育て

人からがんばっていると

認められたく無意識に母親をやっている親が

ゴロゴロいる

 

断定はできないが

あくまで推測・・・

 

ただ本人にとってこれは潜在意識レベルの無意識

 

だから

自分がそんなことを考えているとも

求めているとも分からない

そして

気付いていない

 

たとえ 気付いていたとしても

素直にそれは受け入れない

 

なぜなら

なんとなく格好悪い

そしてみっともない

 

そんな風に感じる

肝っ玉の小さい母親であった私

 

そんな私のような母親が多い

気がする

 

私は同じ不登校児を抱える親と会ったことはない

ネットの記事や情報に触れるたびに

自分と似ているケースの親子が多く

自分と同じような子どもへの感情や対応をしている

親の姿に触れると

みんなどこも同じだなって感じる

 

ただ

どんな環境でどんな親子関係で繋がっているのか

本当のところは分からない

 

私が知り得る情報はたった一つのピースに過ぎず

全て同じと言う言葉でくくるのは

他の不登校児の親子に失礼だ

 

だからみんなが同じだとは思っていない

私もみんなと同じではない

似ているな 程度

 

その上であくまで

我が家に関して言えば

私に関して言えばの話

 

 

娘達が不登校になったのは

親の潜在意識の問題で

娘達に責任など一切ない

 

学校側にだって一切責任なんてない

まぁ本当のところ

親の私にも主人にも責任なんてない

 

じゃ~どこに責任があるのかと言えば

世の中の常識

これ一択

 

なぜなら

無意識に学校へは行くもんだと思い込まされている

学校へ行って良い大学へ行って良い会社に就職すれば幸せになると

思い込まされている

 

私より上の世代 さらにその上の世代は

その道のりしか知らない

 

その道のりを歩めなかったから

大変、苦労、幸せじゃなかった

と思い込んでる

 

だから学校へ行かなければ

その道のりすら見つけられない

 

そして大変、苦労、幸せじゃない 

未来が待ってるって勘違いし

後世に幻想であるその道を進める

 

そうこれは私の両親

私の両親はそんな思い込みが強かった

 

でもね

私気付いちゃったんだよね

 

それがタダの思い込みで

クソみたいなくだらない思い込みで

そのクソみたいな思い込みのせいで

自分の頭を使わなくなっているということに

 

 

幸せになれない本当の理由は

自分の頭を使わないこと

これが幸せになれない本当の理由

 

学校へ行こうが行こまいが

幸せには直結しない

関係ない

 

考えることはとても疲れる

エネルギーを消耗する

大変な作業

 

そんなエネルギーをごっそり持っていかれる

”考えること”は脳にとっては邪魔な存在

 

だからみんなと一緒がいい

楽な方へと楽な方へと

脳は私を誘導する

 

もとい、誘導していた

 

みんなと一緒の方がなんだか安心できて

正しい生き方がそこにあるって思い込んでる

 

そして一緒じゃないと

”不安”という見えないものを発動させる

 

これが脳の自己防衛機能

これが発動するとこの機能の存在を知らなければ

あらがえない

 

そうやって脳がエネルギーを消耗させないように

”不安”を発動させ

思考することをストップさせる

 

脳にとって好都合だが

私にとっては不都合な現実

 

今はこの脳の仕組みを知っている人は大勢いる

向上心、知的好奇心に溢れている人達は

だいたい知っている

 

賢い人達があらゆる方法で教えてくれている

これを教授しないなんて勿体ない

 

脳科学という学問があり脳の仕組みは解明され証明され

今では子どもにでも分かるように説明されている

 

ただ情報はあるのに受け取らない人がいる

その答えは簡単

 

自分の頭で考えることを今までにしてきていない

 

だからこの作業が面倒に感じ

脳がこの情報を受けとらない

 

今まで自分の頭で考える作業をしてきていない人にとっては

とても難しい作業だと感じる

思い込まされている

 

だからいろんないいわけを持ち出し

考えない理由を考え、楽な方を選ぶ

そして

今までと変わらない生き方を選択する

 

まぁこれも自分で考えて出した答えなら正しい選択

その先を全て自分で背負っていけば

なんら問題ない

 

他人に責任をなすりつけなければ

自分で出した答えは全て正しい選択になる

 

親の意思に

周りの意思に

ありふれた常識に従う方が楽だから

と 自分の頭をフル稼働しないのは間違ってる

 

まぁそういう人は相変わらずの人生を歩めばいい

それがその人の選んだ道なんだから

それが正しい道

 

向かう先、目的地はみんな違う

同じにはならない

 

みんなどこへ向かってもいい

どんなスピードで進んでもかまわない

 

親子だから

家族だから

夫婦だから

という理由で同じ目的地

同じ速度を設定する必要はない

 

もうそんな同じを強要しなくても

自由に生きていける時代になったんだ

 

少なくとも

我が家には”同じ”は存在しない

そして存在させたくない

 

みんな自由でいい

 

その代わり

自由を手にした代わりに責任は全て自分で取る

これさえ肝に銘じれば

なんてことはない

 

責任って言おうと

凄く重くて辛くて苦しい

怖いもののように感じるけど

それは違う

 

責任とは”考えること”

 

何か問題が起きればその都度その都度

考えればいいだけのこと

難しいことじゃない

 

問題を解決しているうちに

だんだんパワーも付いてくる

成長する

 

だから子どもには小さな頃から

小さな責任を少しずつ背負わせる

これで少しずつ耐性がつき成長する

 

脳の仕組みを受け入れるだけで

思い込み、勘違いに気づける

簡単なこと

 

自分の頭で考えないから

これが脳の罠だって理解出来ない

 

まぁそんなもんだ

大したことじゃない

 

そんな私の頭で考えた

不登校の本当の原因は”脳”

 

原因は脳にあるが責任は脳にはない

というか脳に責任を取らせるなんて無理だよね

 

う゛~なんかよく分からなくなってきた

 

要するに

原因は”脳”にあるんだけど

脳は責任なんて取れなくて

そんな責任を押しつけても無意味な話

 

というより責任なんてどうでもよくない?

 

娘達が不登校になった原因は

間違いなく親の私にある

 

違う・・・親の私の”脳”にある

責任は私の脳にある

 

ただ原因が私の脳にあるからと言っても

どう責任をとるのかって話

 

今 出来る事は

原因は私にあるって分かっているんだから

同じ間違いをしなきゃいいわけで

今まで頭をフル稼働してこなかったのだから

これからどうするかをフル稼働させて考えればいいだけのこと

 

これをいつまでも他人に責任転嫁してると

物事は何も変わらなくて現状は悪化するだけ

 

自分の脳の過ちを認め

受け止めるだけで物事は好転する

そして今好転している最中!

 

結構簡単なこと

 

複雑に考えて思考がストップする時は

問題を把握出来ていないとき

そんな時は細分化

(これ方法、仕事の時によく使うよね)

 

不登校の大半は親の責任』って言葉にイラっとしたら

単純に図星(*゚Д゚)

 

でも私はこの言葉にイラつかない

責任が自分にあるって認めていなければ

この言葉に怒り奮闘していた

(きっとね)

 

でも実際は共感の気持ちの方が大きい

 

ということは

ちゃんと自分の頭で考え

自分自身を受け止めることが出来ている

 

誰も当事者の気持ちなんて分からない

子どもの気持ちも

親の気持ちも

みんな他人の気持ちなんて分からない

 

誰かがよしよしと慰めてくれて

不安な気持ちに寄り添ってくれても

本当の問題は解決しない

 

原因を知ることは必要だけど

責任の所在地を知ること

見つけることは

探し出すことは

大して重要じゃない

 

誰に責任があっても

誰かが責任を負ってくれたとしても

本当の問題は解決しない

 

必要なのは現状を受け止め 次どうするかを

自分の頭をフル稼働させて考えること

これだけ

 

これで考えて出した答えを

出来る事からコツコツと取り組む

 

この作業に向き合わなきゃ何も変わらない

 

出来ないことはやらない

今の自分に出来ることをコツコツと取り組む

それがいつか自分の自信になり自分の強みになる

 

周りはその姿を優しく見守ってあげればいい

 

急かさず 優しく見守ることが

私に出来る唯一の親としての役割

 

そう思って

のんびりな娘達を見守っている

 

ただ元々過干渉だった私には

この見守ることが

すっごく難しい

 

簡単なようで簡単じゃない

でもやらないわけにはいかないんだ・・・

 

私が出来る事は

娘達の将来の責任を負うことではない

娘達を信じて見守ること

 

それが私が親になった理由なんだ

親になったからこそ学べることなんだ

 

と 自分に言い聞かせる毎日を送っております<(_ _)>