★好きなことだけに目を向ける これが一番!
学校という小さな社会が嫌い
勉強ができるただの年を取った大人が
いつも偉そうに勉強を教えたがっている
いつでも自分が一番賢くて
いつでも自分が一番正しい
田舎のガキ大将みたいに
大きな声を上げて自分の権力で子ども達を従える
娘達から聞く先生のイメージは
こんな感じ
とても尊敬できる先生はいないよう
そんな尊敬に値しない大人に
あれこれ指示され指導される
これが大っ嫌い
ちょっと人より時間がかかる動作は
できないというレッテルを貼られ
あっという間に”できない子”にさせられる
好きで簡単にできることだってあるのに
それは学校では必要ないため
認めてもらえない
勉強ができる大人達に
間違った劣等感を植えつけられ育ってきた娘達は
当たり前のように生きづらさとともに成長していた
私も今までの経験上
学校の大人達と同じように娘達を扱って来た
学校に入学した以上
学校のルールに従う
学校の大人達に従うのが当たり前
でも学校の大人達が全て正しいわけではない
私が信じるべきことは
学校の大人達ではなく
娘達だ
そこを間違えていた
私の周りでは
忍耐と頑張ることが一番で
これを身につけることが大切だと教えられてきた
簡単にできて努力を伴わない活動は
頑張っていると認められず雑に扱われる
そして学校が求めることに努めない子は
できない子扱い
娘達はやりたくもないことを無駄にやらされ
無駄に時間と活力を奪われていった
娘達は体育と図工、書写の授業がすごく嫌いだった
私のイメージではそれらは遊びみたいな授業で楽しい時間
教科書とノートが必要な普通の授業より
マシな気がした
でも娘達から言わせると
・楽しくも面白くもない無意味に走らされる体育
・興味のないものを無理矢理作らされ
理解のない先生にけなされる図工
・今はデジタル社会、それなのに準備がめんどくさい習字
筆を使って字を書く、いつ役に立つのか?と言いたげな書写
やる目的もやる意味も分からない状態で
ただただ与えられる教養
これにうんざりし
今では学校の話になると毒舌状態になる
いっぱい鬱憤が溜まっていたようで
毎日少しずつ吐き出してる
娘達は学校が与える学びに興味がわかない
楽しい工夫もさほどされず
勉強ができる大人達が自分達の知識を自慢しているだけ
そんな風に感じる学校の授業
得られるものは何もない
そのうえ
劣等感だけ植えつけてくる
残念だが欲していない学びはただの苦行
すべてが苦行だと感じている以上
どう娘達の心の持ちようを変えてあげれば良いんだろう
自分事に置き換えて考えてみると・・・
私なら無理だ
無駄なことに時間を使うほど暇じゃない
合わないと思っている以上
合わないと感じている以上
どんなに素晴らしい学びも
学びではない
そもそも学校で教えている学びって社会に出て必要?
みんなが同じように同じことができないといけないことって
本当にあるの?
ないんじゃない?
みんな違っていいなら
同じことをできるようにさせる必要はないんじゃない
できないことはできる人に頼んでやってもらえば良い
得意な人が得意なことを簡単にやってしまえばいい
それをずるいとか
怠けてるとか考える人は
たぶん今までに無理矢理イヤなことを我慢してやらされてきた人
自分が我慢して努力して人に認められるような生き方をしてきた人は
努力なしで楽して生きていこうとする人を妬む
自分達の努力頑張りが無意味だったんだって感じたくないから
その現実を認めたくないから妬んだり足を引っ張ったりする
そんな風に感じるようになった
自分にできることで人の助けになることを
考えたら良い
みんなが簡単に人の役に立てて楽に楽しく幸せになる
この方法があるならそうしたらいい
いつまでも足の引っ張り合いをする生き方は
みっともなくてどんなにがんばって正当化しても
不幸せにしか見えない
だから興味のない
面白くもない学びを学ぶ学校という場所はもう要らない
学校という場所が本当に必要なら
子ども達が行きたくなるような場所に作り変えなきゃ!
学びたくなるようことを大人達が考えて子ども達に
提供しなきゃ!
その努力をしないでただ学校へ行って学べっていうのは
大人の怠慢、親の怠慢なんだ
そんな風にも考えるようになった
だから
娘達の頭の中に面白くもない学びを詰め込むことが悪にしか
感じられず
娘達が悪いわけでも
娘達が劣っているわけでもない
娘達が学びたい場所じゃないから仕方ないんだ
なんでも同じだが
イヤイヤやらされることは
負の力しか大きくならない
そして楽しいことも楽しめなくなり
できるものもできなくなる
気持ちが乗らないだけで
表情は暗くなり
何をしても全てがマイナスに向かっていく
生きていること自体がイヤになっていく
それも分かる気がした
負のスパイラルにハマると自分の意思ではなかなか抜け出せない
頭で理解しても心が受け付けない
心が拒否しているときは
何をやっても無駄
だから
心が拒否しない環境
心が拒否しない雰囲気
これらはとっても重要
というよりこれが全てだ
頭でいくらあれが正しいこれが正しいと
理解していても
自分の心に嘘をついていると
脳にストレスがかかり
体に痛みが走る
次女が不登校になる前
よく腹痛を起こしていた
腹痛は本当に起こり痛みは起きる
次女は嘘つきじゃない
ただこれだという原因が存在しないため
初めはなかなか信じられなかった
でも単純にストレスになるものを排除すると簡単に治る
だから仮病かもと勘違いしやすいが
これは大事なシグナル
お知らせだ
そもそもこのシグナルを
無視することの方が間違っている
最近分かってきた
心にストレスがかかると脳に指令が行き
体に痛みとしてお知らせが起きる
おかげで今は誰も体に痛みは起きていない
好きなこと
自分のやりたいこと
自分の決めたことをやって生きている
我が家はみな元気そのもの
ただ私の両親はまだまだ痛みの渦の中
毎日ため息と痛みに耐えている
娘達と
『考え方が賢くないね~
頭が固いね~』
と言いながら
負のオーラに負けないよう
私達は好きなことをして
😊ニコニコして生活している
原因のない痛みがあるときは
疑ったらいい
何かやりたくないことをやらされていないか
何が自分の心にモヤをかけているのか
いい機会だ
考えるチャンスなんだ!
やりたくないことはやらなくていい
やりたいことだけでやって生きていけばいい
好きなことだけをして生きていけばいい
果たしてそれでいいのか
本当にそんな風に生きていって良いのか・・・
と私はそう思っていた
3年ぐらい前に読んだ本
まじで当時は半信半疑だった
がんばらなくてイイと言われても
がんばることばかりを求められ怠けることをダメと教え込まれて
育った私にはなかなか受け入れがたい内容だった
今まで当たり前に求められてきたことを
全て捨て
自分に正直になることがすべて上手くいく
そんな風に言われても
周りにそんな風に生きて成功してきた人を知らないため
理解できなかった
でもこの意味はこうも取れる
みんながんばって努力してきたが
みんな成功していない
がんばって自分に嘘をついて周りに合わせて生きてきた人達
この人達が幸せじゃなく妬み辛みの塊だとしたら
成功者じゃない
これが事実だ
ならその反対にこの本の言うことを信じれば
がんばらずに成功できる現実がやってくるということ
これは面白い😃
単純に試してみたい🎶
努力しなくて好きなことだけしていて生きていけるのか?
これをそのまま真に受けて生きてみたらどんな結果になるのか?
そんな好きなことだけで本当に上手く回っていくのか?
3年前は全く今とは逆で
成功しているあなただからそんなこと言えるんだよね
かなり否定的な捉え方だった
でも今では自分の思考の脳の仕組みを理解し
自分の今までの経験上を振り返ると分かる
思考が現実化するんだから
イヤイヤで物事に対応すればイヤイヤな現実がやってくる
ワクワクしながら物事に対応すればワクワクの現実がやってくる
常識なんてみんな嘘で妬みの塊だ
この本の中のメッセージを
素直に受け入れることが正解で
なおかつ大人になってからこの考え方を理解し試みるより
子どもの時からこの考え方にシフトチェンジする方が
楽に自分らしく成長できる
もうそう思ったら疑わなかった
好きなことだけして生きる
サボっているように見られるかもしれないが
イイ波動の中で生活ができることは
これ以上ない幸せ
イヤなことをやらされ
ネガティブな波動を背負って生きることは
ネガティブな感情をまき散らしていること
周りも迷惑
私は実験したくてたまらなかった
がんばらないことが可能なのかどうかを探るため
去年の10月
クラウドワークスに登録した
自分のできること
好きなことで生きていくために
自分はどんな風に人の役に立てるのか
どんな風に自分の好きを仕事に結びつけられるのか
会社という組織ではなく
フリーランスというワークスタイルでどう生きていくのか
どう生きていけるのか
そもそもフリーランスがどんなものなのかもまだよく分かっていない
いろいろ学びたくて仕方なかった
とりあえずはフリーランスを目指し
今の自分にできることをコツコツやってみよう
その中で自分に何ができて何なら続けられるのか
どんな生活がしたくて
何をしていたら楽しいと思えるのか
いくつになっても学びたいと思ったことを
学びに行く瞬間はワクワクで楽しい
この連続で生きていけば良いんだ
常に学び続ければワクワクで楽しい毎日を生きられる
案外簡単なことなんだ