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約一年間続いた家庭訪問 娘を心配するより信じてください!

★誰よりも我が家のことを知っている先生

先週ついに長女の家庭訪問が終わってしまった

約一年 あっという間

だけど長かった・・・

 

2週間に一度の家庭訪問

休むことなく先生は長女に会いに来てくれた

 

長女は最初先生とはあまり話せず

私と先生の会話を聞いているだけ

 

それが去年の終わり頃から

だんだんと先生と短い会話だが

出来るようになり

少しずつ”慣れ”が生まれてきた

 

そして年末には先生との時間に限りがあることに気づき

寂しく感じ始めていた

 

会話が出来るようになり

打ち解けるころ

終わりが訪れる・・・

 

 

家庭訪問の当初は

学校・クラスの様子、学習などの話が中心

長女にはまったく興味のない内容

ほとんどスルー状態

 

勉強熱心な先生 

勉強したい子にはうってつけの先生

 

先生は子どものことをよく考え心配する

勉強に関しては熱心だが

子どもの将来に関しては不安の姿勢が強い

 

以前にも不登校の生徒を抱えていたよう

最終的には

その子も学校へは戻らなかった

 

一年がんばって様子を見ていたようだが

何も変えられなかったようで悔やんでいた

そして残念がっていた

 

だから余計に不登校児の長女は心配らしい

 

長女に対しても

学校へ来ないということで受けるデメリットを心配し

いつもどこか不安がっていた

 

学校でしか得られない友達とのコミュニケーション能力

この経験をしないで成長するということが

とてつもなく大きな損出になるんじゃないかと考え

なんとか学校へ来れるようにと

長女と学校の架け橋になろうとしてくれていた

 

もう笑ってしまうくらい先生は長女のことを心配する

そして不安がっていた

 

でも私から言わせれば

コミュニケーション能力は学校以外でも学べる

 

今では学校でしか身につけられないことは何一つない

学校でしか学べないなんて考えているのは先生だけ

 

必要なことは必要になったその時学べばいい

それからでも遅くはない

 

本人が必要じゃないと思っているものを

必要だからと無理矢理学ばせる

すると

出来ないという現実が生まれる

 

それが劣等感を植えつけることになる

少なくとも私はそう考えている

 

先生は学校へ来ないとコミュニケーション能力が養えない

イコール

学校へ行かない長女はコミュニケーション能力が欠けていると

思い込んでいる

 

そうやって間違った解釈の目で子どもを見るから

間違った劣等感を植えつける

 

そしてその間違った劣等感を子どもは信じて

自分の心を自分で傷つけていく

 

だから長女には学校は不要なんだ

 

先生には何度も説明してきた

 

機能不全家族””愛着障害””共依存

”反抗期””劣等感”

我が家の全て・・・

 

娘達が不登校になったのは

ざっくり言えば

私に反抗期を迎えさせるため

 

この一言で片付く

 

母親の私に自分という軸を持たせるため

自分で自分を生きなさいと伝える機会を与えるため

不登校になった

 

そして私を通して私の両親にも教えてくれた

 

誰に依存することなく

自分で生きることを

その必要性を

自分達の身を持って教えてくれた

 

だから我が家はみんな個々で自立するために

今 生きることを学んでいる

 

そしてそのトップバッターが母親の私

 

親が自分をしっかり生きていないのに

自分を指し置いて子どもにしっかり生きなさいと言うのは

矛盾している

 

そしてあたかも愛があるかのように

 

『あなたのことを思って・・・』

この言葉で全て丸めようとする

 

全くもってあなたのことなんて思っていない

あなたを通して全て自分のことを考えていた

 

この言葉は最悪だ

 

娘達はこの言葉の真意を知っていた

娘達の方がはるかに崇高で次元が高い

 

親である私、大人であるはずの私と両親は

単純に頭を使っていない

脳を活用していない

ただそれだけ

 

その証拠をバカさ加減をあらわにされただけ

 

酷い言い方だが

この低レベルの言葉を発していた自分が恥ずかしい

 

私も両親も矛盾だらけの生き方をしていた

自分に忠実じゃない生き方をしてきた

 

そうやって生きるしか方法がなかったのかも知れない

でも今はもうそんな生き方をしなくていい

自由に生きて良い

 

もう自分の気持ちを隠して生きなくて良い

そう娘達に教わった

 

そして我が家の中で起きていることを

先生に包み隠さず話している

 

先生は自分の生い立ちと照らし合わせながら

一生懸命理解しようとしてくれた

 

次第に先生も少しずつ

自分の家族の話

育ってきた環境を話してくれるようになった

 

長女にとってこの体験はとても貴重だった

 

先生を通して

いろんな人がいて、いろんな体験があることを知る

 

大人の体験話は貴重だ

いろんな家庭があり

いろんな考え方、見方があることを知れるだけで

とても有意義な経験だと私は思ってる

 

学校へ行って普通に先生と生徒の関係では

到底得られなかった経験を長女はしている

 

先生というより一人の女性の生き方を教えてもらう経験は

学校で学ぶ勉強よりもはるかに貴重だ

そして有意義だ

 

先生の家族の話を聞いていると

どこもいろいろあり大なり小なりいざこざがあることが分かる

 

自分達だけ見てると自分達だけが大変な状況なんだと感じるが

周りを見渡すとそうでもないことが分かる

 

いろんな人がいていろんな家庭があり

いろんな生き方があってどれも正しい

 

子どもにはそれを知る機会が少ないため

絶対的に自分だけが っと落ち込む

 

それが長女の場合は不登校という形で解消された

 

大変だと思っていたことがそうでもないんだと知れるだけで

心は軽くなれる

 

娘達は不登校ではあるが悲観的な雰囲気は一切ない

我が家はちょっとみんなと違う

不登校を楽しんでる

 

もちろん私と両親の間にはバチバチなバトルは続いているが

それは大切な段階

言わばデトックスの副反応みたいなもの

 

きれいな空気を取り込んだら

今までよどんでいた汚い空気がどっとあふれだしただけ

 

そんな感じの状態なので

出し切ってしまえばOK

 

今はこの副反応と新しい風が出入りしている状態

少々しんどい時もあるが(それは私だけ)

基本心地いい状態

 

先生はここまで家庭内を知り尽くしているため

もう学校へおいでとは言わない

架け橋になろうとはしていない

 

単純に純粋に長女とおしゃべりする感覚で

我が家に来てくれる

 

そうそういつもそこに三女も同席するので

ちょっとした息抜きになっているらしい

 

そんな楽しい時間もありながら

真剣に長女の将来を考える時もある

 

特に長女の将来への不安はなかなか解消されなかった

一番理解に苦しんでいたかもしれない

これだけはすんなりと受け入れてもらえなかった

 

なぜなら先生自体がかなりの不安症で心配症

それは先生も自覚していた

 

中学を不登校で卒業したら

将来がなくなる

大切な時期に何も学ばず何も出来ない状態で

どうやってこの先

生きていくんだろうと心配になるらしい

 

でも正直その心配が子どもの可能性を潰しているんだよと

言わざる終えなかった

 

心配=信じていない

このレンズ越しでみる景色は

全て不安一色の淀んだ暗い景色

 

そこに虹色の明るい景色は存在しない

 

だからそのレンズで長女を見るくらいなら

目の前にいる

学校へ来ている子ども達

勉強したいとがんばっている子達に力を注いで欲しい

 

不安のレンズで長女を見て欲しくない

長女のことは親の私達に任せて欲しいと伝えた

 

現実問題 先生には何も出来ない

 

長女の将来を心配して手を貸したいと本当に考えるなら

長女のやりたいことの模範者として背中を見せて

 

それが出来ないなら

余計な心配は迷惑なんだ

 

先生にとっては少々きつい言葉かもしれない

でも心配からは何も生まれない

 

そして心配が人をダメにしていく

それを知っている私には不安、心配

この言葉を口にして欲しくなかった

 

残念だが先生の関わりで一人の人間を変えることは出来ない

 

親子でも他人は変えられない

いくら長女を心配してアドバイスしたところで

何もできない

長女の生き方を変えることは出来ない

 

長女は先生が好き

だからといって

学校へ行くわけでもない

 

学校でしか会えないとなれば

縁が切れていくだけ

 

最初は寂しいかも知れないがもとの生活に戻るだけ

それだけのこと

 

心配するより

どんな将来になるかワクワクして待っていて

 

心配しなくてもなんとかなるから

信じて待っていれば必ず動き出すから

 

それには楽しくなること

ワクワクすることをまき散らして

幸せで楽しい世界を大人が見せるしかない

 

楽しむ方法を背中で見せるしかない

 

天照大神が賑やかな祭りに誘われて岩戸から出てきたように

生きること学ぶこと働くことの楽しさを

大人が見せつけるしかない

 

大人が楽しんでいれば子どもも楽しさが理解出来る

私はそれが一番の方法だと思ってる

 

だから私が一番に楽しむんだ🎶

 

先生も楽しんで!

楽しんで子ども達に勉強を教えてあげて!

子ども達を信じてあげて!

『人間は9タイプ』を活用して娘を攻略する 母の特性をフル活用!

★母の特性を活かして我が子を攻略する

私一人のことなら構わないが

娘達のこととなると

周りに合わせてしまう

 

私はみんなと逆を行きたがるタイプ

普通が嫌い

というより普通でいることが辛いと知っている

 

学生の頃

目立つことをすると

『出る杭は打たれる』

そうやって父に戒めのように言われていた

 

目立つ行為をして

それが原因でイヤな思いをすると

目立ったことをしたお前が悪いと言われ

『自分でやったことだから仕方ない』と言われる

 

人の注目を浴びたくて目立っているわけではない

人と同じことが好きじゃないから違うことをするだけ

それがたまに悪く目立ってしまう

 

そしてそれによって傷ついた時

親は慰めるというよりは

”ざまぁみろ 言わんこっちゃない”

そんな態度でバカにされる

 

残念ながら慰めてもらったという記憶はない

 

目立つ行為といっても

人に迷惑をかける行為じゃない

 

化粧が濃かったり

カラーリングが奇抜だったり

服装がみんなとちょっと違って浮いていたり

そんな程度

 

見た目が目立っていただけ

単純に個性的なだけ

 

それでも『出る杭は打たれる』

それも自分の親に言われる

 

どんな理由であろうと

目立つ私が悪いらしい

 

その当時は私のそんな容姿を好きだ言う人もいたし

かっこいいと褒めてくれる友達もいた

数少ない友達がいつも慰めてくれていた

 

心に残るエピソードは親より

友達がくれる

 

いつも不思議だった

別に人に対して悪いことをしているわけじゃないのに

私が楽しんでいるだけなのに

なぜ目立つだけで

いろいろ言われイヤな思いをしなくちゃいけないんだろう

 

そして親ですらそんな私を

目立つ行為をしているお前に責任があると言い

守ってくれないんだろう

 

常に無難に生きるのが一番

”波風は立てるな”

みたいな雰囲気が強かった

 

私から言わせれば

いつも波を立てるのは親のあんた達だけど🤣

 

『出る杭は打たれる』

この言葉だけが脳裏に焼き付いて

知らず知らずに娘達を普通にしようとしていた

無難に育てようとしていた

 

でも無難って何?

普通って何?

 

これだけいろんなものが進化して

いろんなことが出来る時代になっているのに

 

親が知っている何十年も前の普通、無難な生活に

一体何の魅力があるんだろう

 

楽しめるもの

面白いことがあるのに

 

あれもこれもやってはダメ

普通がいい

普通にみんなと同じように勉強して

普通に生活する

 

何も面白くない

 

安心・安全ばかりを追い求めて

つまらない日常になっていた

 

人は経験して学ぶ生き物

子どもは自分の体を使って

いろんなことを経験して学びたい生き物

 

親である私は自分の親の目を気にして

普通に気を取られていた

 

親である以上

安心・安全を提供しみんなと同じように生活させることが

当たり前だと思い込んでた

 

でも私がやっていたこと

安心・安全といいながら

将来へのワクワクを奪っていた

 

娘達が経験したいことは

安心・安全のその先の経験

 

元々普通が嫌いな私は

やっぱりどこかで人と違うことをしたがる

 

というより普通ってことは周りに大勢がいること

するとそこには比較が生まれる

この比較が大嫌いなんだ

 

比較されるのが怖くてそこから逃れるために

良くも悪くも突き出たい

 

比較されないように最初から同じ土俵に立たないよう逃げる

 

”逃げてる”って表現するとネガティブなイメージだけど

私の中では”防衛” ”技”なんだからポジティブなイメージ

 

みんなと同じになるとイヤでもどんぐりの背比べがスタートする

だからそこから抜け出すんだ

 

そんな傾向が元々ある私は

みんなと同じようには子育てはできない

最初から無理があった

 

そして私は両親と同じ環境で暮らしていても

考え方感じ方が違う

 

親子でも個々が存在する

 

その個々には個々なりの考え方があり

我が子でも親と子は違う

それを理解しないと

 

ズタズタに傷つける

 

私は私を理解していない両親に傷つけられてきた

 

大人のちょっとした行動、言動が

子どもの心に左右する

 

そしてそれを大人である私達は

もっと大人心で学ぶ必要がある

理解する必要がある

 

子育てを通して自分を育てる

これらの本を読んでその意味がよく理解出来た

 

親の私がもっと娘達より上を行き

自分自身を理解し

自分も娘達にもストレスがかからないよう

自分をコントロールする方法を身につける

 

そのためには自分と子を知らなくてはいけない

 

私は2冊の本で両方とも研究者タイプ

 

研究者タイプは好奇心旺盛

気に入ったことをどこまでも探求する

そして「一人」がお好き

理論性、理解力、分析力がハイレベルなのに

得た知識・情報を人と共有することには興味なし

 

あ~これ分かる

 

無理に人に理解してもらいたいとは思わない

分からないならそれでいいや

自分一人で新たな発見をして

知識を得て喜んでるタイプ

 

でも本当は理解してもらいたい

だけどそれを求めると苦しくなるから

最初から求めないし期待もしない

 

私はこれは愛着障害の特徴だと思ってる

回避型の受け入れてもらえないストレスからの回避反応

 

だから逆に理解してくれる人

共感してくれる人に出会うと

めっちゃテンシャンがあがる🎶

 

そしてめっちゃその人が好きになる

 

かなり両極端です 私は・・・

 

そしてここから私は決めた!

 

これは思う存分自分のタイプを活かし

娘達を徹底的に理解し攻略すべきだと解釈した

 

研究者の得意分野は勉強

とりあえず学ぶことがお好き

 

ただ学ぶ行為、勉強していること自体が楽しくて

手段ではなく目的になりやすいので注意が必要

 

娘達を攻略するつもりが全てのタイプを網羅したくなる

興味を示すとオタクレベルまで情報収集したくなるため

今は我が子を攻略することに集中する!

 

行き過ぎに注意

脱線しないようにしなくては・・・

 

要するに得た知識情報を使って

どうやって娘達と付き合い

結果が出るかを実験する

 

知識と情報のインプットで満足しないように

実験すると決める

 

私にとってこれはゲームだ

娘達を攻略し自分時間の確保と良好な関係を築く

 

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

 

自分の時間を確保するために

娘達を攻略し自分のミッションを遂行する

 

勉強もゲームとして捉える傾向にある私にとって

これは簡単なこと

 

長女は堅実家タイプ

タブーなのは『一人』と『不安』

これを感じさせないように生活させることが

私に課せられたミッション

 

さっ出てきました第一ステージ

『お一人』が好きな私には少々難しいミッション

 

堅実家タイプは

穏やかで思いやりがあり協調性もある

責任感は強く決められたことをコツコツ出来るタイプ

 

でも優柔不断で予測不可能なことは苦手

協調性があるせいか一人でもの事に取り組むことは不安が増殖

 

責任感は強いが不安に弱いためチャレンジ精神は少ない

 

そう堅実家の長女の一番の弱点は”不安”

 

変化や新しいことは全て予測出来ないため

不安に変わる

 

分からないことは一番の恐怖なため

失敗を怖がりすぎて身動きがとれない

 

この堅実家の長女の一番のタブーな言葉が

『がんばりなさい』と『なんとかなるよ』だ

 

これは見えない不安をクリアにしていない状態で

余計に曖昧になり不安がさらに増殖する

 

協調性が得意なタイプは逆に言えば一人が苦手

一人だと途端に出来ることも出来なくなる

 

そこには出来ないことがあるんじゃなくて

予測不能な不安が心に靄をかける

 

そして心理的に動けなくなり出来なくなってしまう

それは怠けてるわけでもない

単純に怖い この感情が強くなる

 

長女にとっての不安は”一人”が一番強化される

思い当たる節がいっぱいで面白すぎる

 

人の行動って案外単純

愛着障害の流れからみると全て防衛反応

 

私が蒔いた種を今

コツコツと刈り取らせていただく時期

 

これは私にちょうどいい学び

娘を理解することで自分を理解し

そして両親も理解出来る

 

世の中ちょうどいい関係で出来ているのかもしれない

 

長女のタブーが分かると

戦略は簡単だ

 

タブーをひたすら避けるだけ

 

長女の好きなは私の苦手

私はお一人が好き

一緒に何かをすることは面倒で無駄だと感じる

 

だけどこれを学ぶ必要がある

そして今がその時

 

とりあえずお昼ご飯を作る時は長女に

『声をかけてね』

『一緒に作ろうね』と伝えた

 

そして時間はかかるが

何が食べたいか?

何を作るか?

を一緒に考える作業に付き合う

 

最初は長女が一人で考え

行き詰まったら

クイズ形式でヒントを与える

 

料理は

タンパク質 × 食べられる野菜 × 調味料

この3つのアイテムを当てはめれば

何かはできあがる

 

大体

豚肉or鶏肉 × キャベ+キノコ+にんじん × ケチャップorオリジナルソース

こんな具合で3つの大まかなアイテムを想像すれば

長女でも簡単に作れるようになる

 

あとは回数をこなし

好きな味付けをたくさん見つければ

レパートリーが増える

 

長女はトマト味が好きなので

調味料はほとんどケチャップ味

 

新しいものを作らせるよりは

好きなものを何度も作り

一人でも作れるようなるまで付き合う

 

それがいつか自信につながり

一人で作れるようになる

 

この繰り返しを少しずつ焦らずやる

 

そして長女が『もういいよ、一人で出来るよ!』

と離れていくまでは付き合うと決めた

 

間違っても私が勝手に

『もう一人で出来るよね』と言ってはいけない

 

これを言うと突き放されたと感じてしまい

不安が増殖する

 

見放される感覚が強くて一番嫌いなんだ

 

たぶん愛着障害で身につけた感覚なんだろう

私もよく分かる

 

お一人様が好きな私にとって『一緒に』というこの過程は

結構しんどい・・・が

 

自己成長も出来るし長女も成長できる

一石二鳥と考え

これは意地でもやるしかない

ということにした😂

自分が産んで育てたのに自分の子どもを理解していない 私と違うタイプの娘達

★私の娘だけど私と同じタイプの人間ではない

思い出した

そういえば長女は堅実家だ

この本は長女が小学4年生の時に出会った

この時は勉強について興味津々で

どうやって娘達に勉強させようか常に考えていた

 

そして私自身どうやったら賢くなれるのか

どうやったら頭が良くなれるのかを知りたくて

手にした本

 

勉強する意味

勉強する必要性

 

生きていくために何を勉強すればいいのか

どうやれば勉強を継続させられるのか

どうすれば学んだことを生きることに活かせられるのか

 

そんなことばかり考えてた

(私って勉強熱心だな・・・)

 

そして分かってきたのが

”あれ?なんか違う・・・”

 

今まで経験してきた学びの方法と

現実に必要だと言われる学びの方法が違った

 

自分がこれまで学んできた方法が正しい

とは限らないということを知った

 

要するに人それぞれ得意・不得意があり

個々で違うのが当たり前なのに対して

みんな同じ方法で学ぶ、教わること自体

もう無理がある

 

現実に従来の方法、やり方で上手くいく子もいれば

そうじゃない子もいる

これが普通、当たり前にみんな違う

 

必要な学びも個々で違うのに

なんだがいろんな誤解が生じている

 

今まで学んできたこと

学校で教わってきたこと

 

学校の勉強が出来ることが偉い、賢い

知識を覚えること

いろんなことを知っていることが”○”

そんな価値観

 

でもそれが違うよって

 

賢い大人達はみんな知っている

成功している人達はみんな知ってる

 

学び方も考え方も感じ方もいろいろ

 

今必要なのは知識じゃなくて

あるものを使ってどう目の前の問題を解決するか

それができる力が必要

 

私が学んできたことはもうネットの世界にある

いやいや

学んできたこと以上のことがある

 

覚えることばかりをしていた私の学生時代

今ではもう次元が違う

 

何でも知っているようで何にも知らなかった

ただの頭でっかち

 

受験するのが当たり前

高校、大学へ進むのが当たり前

そして有無を言わずに会社に勤めることが当たり前

 

生きることとはそういうこと

そうやって思い込んでいた

 

その思い込みに

この頃から目の前の現実がおかしいと感じ始めた

 

だけどみんながあっちへ進むから

我が家もあっちへ行くよ

 

本当はなんか違うって気付いたのに

自分だけじゃなく

家族を道連れに普通とは違う道へ歩ませることは不安だった

 

責任を負える自信がなかった

 

間違っていたらどうする

やっぱりみんなと同じ道を進んで行けばよかった

そう言われたらどうする

 

そんな不安から自分の気持ちに

正直にはなれなかった

 

でも娘達は気付いていた

 

親の私が自分を騙しながら生きていたら

娘達に正直に生きなさい

 

言ってることとやってるとが違うって指摘され

方向転換させられた

 

ついつい安定を求めて

安全を求めて

ブレーキをかけていた

 

そしてそれはわずかに心残りを作るため

”私は出来なかったけどあなた達ならできるよ”

って娘達に期待していたんだろう

 

そしてそれが娘達の足かせになっていた

 

自分が出来なかったことを

自分の娘達に期待して私を喜ばせてもらおう

安心させてもらおうと

心のどこかに甘い希望を忍ばせていた

 

たぶん娘達を産んだ時点で私は自分を放棄した

もう自分の幸せ 欲望というものは捨ててしまったんだろう

 

だけどそれが捨てきれず

娘達に私を超えて幸せになって欲しい

 

それが親で普通だと思っていたが

ただのわがままだった

 

幼い時からあれもこれも出来なきゃだめで

将来のためにと

見えない将来に不安を抱かせるようなイメージだけを

植えつけてしまった

 

将来が不安だから今から防衛するために

あれもこれも学ぶんだよと

余計なことをしてきてしまった

 

 

最初に読んだ時は勉強についてを学んでいた

この本で一番面白いのが9タイプの診断

 

最初はこの肝心な9タイプの診断は放置されていた

興味すら示さなかった

単にめんどくさかった

 

それが娘達が不登校になったときに

娘達のことを知りたくて診断に取り組んだ

 

その当時は

娘達二人とも調停者タイプだった

それから我が家の中で娘達への理解度が進んだ

 

調停者タイプの内容を娘達に確認すると

自分達では伝えられない気持ちを代弁してくれたかのように

『そうそう、そういう時よくあった』

『よくそんな風に思ってたよ』

と頷くことが多く

『当たってる~』って笑ってた

 

この診断はかなり有効だった

娘達のことをよく知れたきっかけになった

 

そして同時に全然理解していなかったことに気付いた時でもあった

 

半年ぐらい経ち不登校生活にも慣れ落ち着いた頃

もう一度診断に取り組んだ

 

この時もっと詳しく知りたかったので

前回よりも質問が多い

もっと深掘りした内容の本を手にした

そのとき長女は

調停者から堅実家タイプに移行していた

 

本以外にも診断はサイトでも出来る!

こっちの方が簡単かも

 

でも細かい内容の説明だったり解説は

やっぱり本で読んだ方がいい

promo.kadokawa.co.jp

 

我が家は診断はサイトでやり

取説、解説は本

 

本にはタイプ別に事細かく解説がある

実体験のエピソードもあり

とりあえず分かりやすい言葉でイメージしやすかった

 

我が家はみんなドンピシャ

みんなでそうそうって言いながら笑ってしまった

 

2回目の診断で長女は前回と変わっていた

あれ?

 

実は診断の回答からこのタイプの傾向が強いというだけで

誰もがいくつかのタイプを兼ね備えている

2、3面性を持っているのが普通

 

それも最初は簡易版の9問の質問で

精度を上げると90の質問に増える

 

単純に細かくないより精度も上がるため変わっても不思議じゃない

それに

長女は調停者の側面もあれば堅実家の側面もある

このタイプの思考パターンが多いというだけのこと

 

自分の子なのに理解できていない

まぁ自分のことも大して理解できていないから不思議でもない

 

というよりそもそも理解しようとしていなかっただけ

 

よしとする理想

自分と重ねて無理矢理子どもを

自分の知っている枠に押し込めようとしていたことを

痛感した

 

それによって賢くない私は

娘達を傷つけてきた

 

個々を理解することはとっても難しい

なんせ大きく分けて9パターンもあり

そのなかでもいろんなパターンが混在している

 

すると最低9パターンの攻略法は身につけないと

到底娘達には勝てないわけだ

 

まぁそもそも勝つ必要もないけど

理解出来るだけで扱いやすくはなる

 

このタイプはこれはタブー

それさえ覚えておくだけで娘達の扱いが楽になる

なんとなく上手く付き合えるようになる

 

取説は便利だ

コントロールする気はさらさらないが

知っているのと知らないのとでは雲泥の差だった

 

取説によると

堅実家の特徴は

穏やかでコツコツタイプ

そして安定型の慎重派

愛情深くしっかり者で家族とも友人とも良好関係が築きやすい

 

簡単に要約しここまでがメリット

次がデメリットの部分

 

イレギュラーな出来事には不安を感じ

一人きりというシチュエーションには不安がつきまとう

この不安が表れると何も行動が取れなくなる

 

自分で責任を負うことは苦手で

常に誰かを当てにする

長女はかなりの指示待ちタイプ

 

単純に指示待ちタイプで何も出来ない子と

レッテルを貼ってしまっていた

 

でもそれが

次第に”自分はできない”という劣等感を自分の中に植えつけることとなる

もうこれが一番最悪

 

私は過指示・過干渉をしてきた挙げ句

長女の中に劣等感を植えつけていた

 

そしていつのまにか私が植えつけた劣等感を見習って

長女が自分で自分に劣等感を植えつけるようになる

 

こんなサイクルを私が生産しているなんて

なんと悲しい現実

あ~こわこわ🥶

 

もう事細かく分析されていて

『お~これ長女だ』って言ってしまった

どれもが当てはまる

イヤだなと思う所も突如に現れている

 

それを著者の坪田先生が理解されているのが

本当にびっくり

 

うちの娘に会ったことあるの?

って聞きたいぐらい

よく当たっている

 

長女にとっての最大の敵は”不安”

これを大人が簡単にあしらってしまうから

どんどん不安は増殖する

 

長女は私が育ててきた

私の中にある良い側面と悪い側面の両方を受け継いでいる

大体子どもは親の悪い側面を受け継ぐって言う

 

きっと私が”不安”に弱いからその不安を一心に受け継いでしまった

ということは長女をフォローすることは私自身もフォローするということ

 

自分事だと考えて理解し

自分と長女を攻略しよう

 

これは勉強だけに限ったことじゃない

生きて行く上での取説でもある

 

自分を知るため

大切な人を知るために

自分と大切な人を守るためにこの診断と取説は活用できる

そう思った

 

そしてただいま活用中😊

 

興味のある方

楽しみたい方

自分を理解したい方

 

どうぞ!!!

おためしあれ!

promo.kadokawa.co.jp

 

 

お昼ご飯を考える これ自体が娘には大変な作業😵

★何を食べる?これ自体が考える作業

お昼ご飯を作ることを手放す

娘達に自活してもらうために少し大きな課題を用意した

 

それは”自分の食べるお昼ご飯を自分で作る”

 

正直これは私のストレス回避のため

 

私だって自分の好きなことしたい

だけど家事に追われそれどころじゃない

両親の食事を手放してもまだなお時間に追われている

 

でも本当は違う

時間に追われているんじゃない

ストレスに駆り立てられ

焦りが出てて

スムーズにことが進まない

 

ストレスが私の時間を奪っている

 

好きなことだけをしている娘達が目につく

やっぱり私ばっかりと愚痴りたくなる

 

娘達の姿を見ないように努めても

結局 娘達のご飯を用意するイヤな活動が

イライラを連れてくる

 

ストレスを上手くコントロールできない

 

子どもだからしかたない

母親だからご飯を作ることが当たり前

 

そんな固定観念に縛られ

プチストレスの中にいる

 

でも当たり前って何?

何かおかしくない?

 

”お昼ご飯を作らなきゃいけない”という考え自体 思い込み

 

精神的に固定観念を崩し始めた私に

当たり前はもう通用しない

 

私もやりたくないことはやらない

そう決めた

 

 

一日のたった一食を作ることでも娘達にとっては

そんなに簡単なことじゃない

 

最初はフライパンで焼けるものを焼いた

卵にウインナー、キャベツ

あとは白米と常備菜のサラダを盛り付ける

 

娘達の食事としてはこれで十分

一度に食べられ量も少ないため

私がいつも用意する量の3分の2くらいで足りるらしい

 

数日はフライパンで焼ける卵と野菜が続いた

それでもたったこれだけ作業が億劫になるらしい

 

次第に白米の卵かけご飯とサラダで済ます

 

するとさすがに夕飯時までもたないらしく

途中で『おなかが空いた』と冷蔵庫を物色する

 

冷蔵庫を漁り始めるこの動作に私はイラつく

 

自活するんだよね

だったら

自分達で作って食べてもらいたい

 

包丁、まな板、フライパン

とりあえず何か作る

料理をして欲しい

 

そうしないと私の常備菜をつくる時間が増えるだけ

あまり意味がない

 

さて料理がおざなり

手抜きになる理由はなんだろう

答えは一つ・・・

 

考える力がない

やっぱりここが問題になってくる🤣

 

特別食にこだわりがあるわけじゃない

沢山食べたいわけでもない

 

だけどおなかは空くから食べるといった具合

 

だから余計にがんばって頭を使って

”何を作ろうかな?何が食べたいかな?”

とは考えられない

 

苦手な考える作業で行き詰まってる

 

今までの習慣もあり

そもそも最初から考えようとしない

 

元々過干渉で育てられた娘達は

いろんな場面で考える機会を失ってきた

 

いつも私が2、3品の中から選ばせるという

指定された中での選択

 

それはおやつを食べる時も同じ

 

だから選ぶ行為はできるが

その前の段階の

ゼロから考えを生みだす力は弱い

 

”食べたいものを作る”

この言葉 これ自体は簡単に聞こえるが

食べたいものを想像して工程を予測して作る

この考える作業は練習が必要

 

一体私は何をしてきたんだろう

こんなことも考えられないような子に

何も気付かず育ててしまった

 

後悔しても始まらないので

常に『自分で考えて決める』

『これは練習だよ』と言い聞かせ取り組ませた

 

娘達に必要なのは将来のための勉強ではなく

今できることを

今の自分の頭で考え

自分で決めて行動すること

 

もうこれしかない

 

だから焦らず取り組ませるしかなかった

 

私がすることは耐えること

 

そしてこれがもっとも足らないこと

 

とりあえず

お昼ご飯が手抜きにならないように

包丁、まな板、フライパンの3つのアイテムのどれかを使い

何でもいいから1品は必ず作ることを提案

 

常備菜は1品まで

食べ過ぎれば

考える機会を失い、なおかつ私が困る

 

おなかが空いたら自分の頭を使って考えて

それが面倒ならおなかを空かせて夕飯まで耐えなさい

 

そして『私は手出ししません』と宣言

 

ちょっと可愛そうな気もするが

下手に先回りすると学ぶ機会

考える機会を奪ってしまうと考え無視している

 

そうなんです!

娘達の成長するきっかけを

可愛そうで取り上げてはいけないのです

 

娘達の頭をフル回転させる機会を奪ってはいけないのです

とあたかも正しいかのように

私は自分に言い聞かせている

 

本当はただやりたくないだけ😏

 

面倒なように思うが

常に自分の頭で考える

これを習慣にする方がのちのち楽

 

考える作業は絶対奪わないように心がけている

 

なんでもコツコツやればそのうち体が覚える

そしたら料理を考えることも

作ることも自然に楽にできるようになる

 

なんでも練習が必要

大変だと感じるのは最初だけ

 

これは自分のため

勉強とは違って自分達の体を守るために

自分達の体を大切にするためにやること

 

誰のためでもない

自分のためだよ

 

難しいことはやらなくていい

簡単に作れるものを考えよう

 

そうやってアドバイスするしかなかった

手出ししないようにヒントを与えて

考える練習をさせるしかなかった

 

私は”待つ”ことが苦手

いつも時間を気にして口と手が先に出てしまう

 

自分でやった方が簡単

時間もかからず早くできる

 

でもこの料理の時間は娘達の考える時間

そして

私は待つこと学ぶ時間

 

いつも急かされて生きてきた

時間に遅れることも

誰かを待たせることも苦手

 

それはいつも時間に間に合わない母がいて

その母にいつも愚痴を言っている

怒っている父の姿があった

 

手伝うわけでもなく文句ばかり言っている

口から出てくるのは汚い言葉ばかり

 

そうかこれが原因なんだ

 

私が怒られていたわけじゃないのに

隣で見ていたから

私が怒られている記憶にすり替わっている

 

いつも待たされている

怒ってる父の姿が怖くて

私は時間に敏感なんだ

萎縮してたんだ

 

そんな萎縮してた自分をすっかり忘れ

自分がされてイヤだったことを

別の形で憂さ晴らししている

 

時間に対してシビアな私はこのストレスを心の奥底に忍ばせ

私は父と同じように

時間というキーワードを使って

娘達に圧をかけ萎縮させてしまっている

 

私は娘達を通して時間に隠された記憶を塗り替える

いい機会なのかもしれない

 

 

娘達にとって必要なのは早く料理を作ることじゃない

安心した心の中で物事に取り組めることを

学ぶ機会なんだ

 

必要なのは娘達を手伝うことじゃない

私はちゃんとそばに居て

何が起きても大丈夫だよって安心感を与えること

 

私があげられていないのはこの安心感

自分の奥底にあるストレスで

安心感を提供できていない

 

娘達に安心感を分かるように伝えなきゃいけない

 

思春期に入りあまり関わらない方がお互いのため

だけど根底にはがっつりと安心感という

目に見えないガードを張り巡らせなければいけない

 

それが娘達を信じることに繋がる

 

難しいけどやるしかない

毎日の生活の中で少しでも私にできることをやっていこう

 

見守ること

せっかちな私には本当に難しい・・・

 

私は大人で娘達は子ども

大人の私が大人心で迎える

 

とりあえず長女が毎日楽にご飯を作れるようにするには

ある程度考える作業を簡単にすること

 

あれもしなくちゃ

これもしなっくちゃと考えるから

動けなくなる

 

とりあえず今できる料理を少しレベルアップさせ

ちょっと手を加え”できた”を体感してもらおう

 

複雑に考えなくていい

自分が食べるご飯だもの

多少まずくても大したことない

そんなの笑話にせればいい

 

というわけで今できる料理に

少し手を加えて

 

長女の得意料理のケチャップライスに

卵をプラスしてワンランクアップさせた

 

それが包まないオムライス!

長女はケチャップライスが大好きだから

それに卵を加えただけ

これでも

あっ出来た!出来るんだ が体験できた

 

そもそもケチャップライスだけは一人で作れる

だから次はそこへ卵をのせるだけだった

 

お店のようなきれいなオムライスにしようと思うと

それなりの技が必要になるけど

 

家庭で自分が食べるオムライスならそこまで完璧じゃなくていい

私だって上手く包めない

 

『ママだって出来ないよ~』なんて笑いながら

まずは私が作ってみせた

 

次は長女の番

焼く工程まではいけたけど

フライパンからケチャップライスの上に乗せることが難しかった

 

それはフライパンがまだ重いから

だからそこはサポート

 

長女は長女の出来るところまでを

出来ないところは私がお手伝い

 

それでもこれは長女が作ったオムライス!

次女の分まで作ってもらい私は大助かり!

長女はレパートリーが増えたと喜んでた

 

そうか

料理でもちょっとしたことが不安になるんだ

フライパンから取り出す作業

長女にとってはドキドキなんだ

 

私はいつもやっているから

できるのが当たり前

適当にできるのも

いつも適当にやっているから

適当という経験を積んでいるからできる

 

長女はほとんど未経験

だからどんなことにも不安がついて回る

 

このちょっとした不安を解消出来るような声がけが必要なんだ

”大丈夫だよ”の言葉だけでは解消されない

 

まずは私がお手本を見せて適当さを見て覚える

感じてもらうのが一番

 

あっ 本当だ!が感じられれば安心でき

じゃ~”私もっ”てなるのかな・・・

 

毎日少しずつ一緒にやっていこう😊

とりあえずは側について一緒にやるのが近道なんだ

母のストレスはお昼ご飯🍙娘達よ!自分のためにお昼ご飯を作って🍴

★自分のストレスを緩和するために自活を利用する

娘達の不登校で一番辛いこと・・・

それは食事の準備

お昼ご飯を用意することが一番のストレス

 

学校へ行けば給食がある

我が家はグルテンカゼインフリー生活だから

学校給食では満足におなかいっぱいに食べることはできない

 

それでも全くないよりはありがたい

一応用意して提供してもらえることは

本当にありがたいこと

 

去年の2月からずっと夏休み状態

毎日の食事は正直しんどい

 

それでも自分のせいで不登校にさせてしまい

生きるエネルギーを奪ってしまった

そして知らず知らずのうちに

できないことを無理にやらせようと

がんばらせようとして

劣等感を与え植えつけ追い込んでいた

 

いろんなことに反省の意味も込めて

がんばって長い長い夏休みを受け入れてきた

 

でも不登校生活にも慣れ

これからもこの状態で生活していく

自分で生きる道を決めていくと決めた以上

 

レベルアップする必要があった

 

それが

今できることは

 

自分で自分の生活を整えること

生きていくための生活力を身につけること

 

これが自活・自己管理することに繋がった

 

自分を律し、管理し、コントロールできる力を身につける

これはどこまでいっても個人の問題

どんなときでも自分が一番の味方で自分が一番の良き理解者

いろんな意味で自己管理能力を身につけることは必要

 

人にコントロールされるのがイヤで

おかしいと考えている娘達

それなら自分で自分をコントロールしてくれ

 

もう私はコントロールしない

だから

自分のことは自分で責任を背負うんだよ

 

それを自分達が望んだ

自由に自分のことに専念してくれ

 

そしてここから

自己管理をするということが目標になった

 

ではさっそくお願いしよう

自分達のお昼ご飯は自分達で作ってね🍴

 

だって自分達が食べるご飯だもん

自分のためだよね

 

さっ がんばってくれ!とエールを送った

 

私はこのお昼ご飯にかなりストレスを感じていた

ストレスの原因を取り除かないことには

娘達へのとばっちりは防げないし

私の機嫌もよくならない

 

どうしてもグルテンカゼインフリー生活だと

いろんなものを手作りする必要がある

 

加工食品、ドレッシング、調味料など

料理をする上で味方になるはずのアイテムが

我が家では敵となる

 

それでもどんなにしんどくても

ここには頼りたくなかった

 

でもだんだんと長時間の料理はしんどくなってきた

キッチンに立つことがイヤになってきた

 

なぜなら心が疲れててきた

拒否をし始めてきた

私だってイヤなことをやらされていたら

そこには我慢しか存在しない

 

娘達のあるがままを受け入れる

それを理解したら”私も”ってなってきた

 

私だってあるががままの心を

受け入れたい

 

そうと思うようになり同時に

おかしいと思うようになってしまった

 

心が疲れてしまうと体は重くなる

心が拒否をし始めると好きなことでも

取り組めなくなる

”正しい”ことだけでは続かないんだ

 

母親だから家族のご飯を用意するのが当たり前

でも働いているお母さんはどこまで取り組んでる

 

全て背負っているのかな?

そんな疑問も出てきた

 

みんなやれる範囲内で家事をしている

少しくらいバランスが悪い食事でも

少しくらい品数が少なくても

みんなが穏やかにご飯を食べられるなら

なんでもいい気がした

 

勝手に品数、質、量を気にしすぎて

完璧を追い求め過ぎて

私は勝手に疲れていた

 

これが積み重なり上手くコントロールできないと

うつ状態に足を踏み入れる

 

自分で自分を許せなくなり

他人に許してもらうために

鬱状態に突入する

 

要するに自分で完璧を求めすぎ

自分で自分ができないことを

上手く受け入れられないために

 

他者に ”もういいんだよ”って

”できなくてもいいんだよ”って

慰めてもらいたいから

 

鬱状態に自分をもって行く

自分から鬱になっていく

 

そして

可愛そうな人を演じ浸っていく

勝手に被害者になっていく

 

そこには決まって

自分で自分を受け入れない

自分で自分のことを許せないから

他者に許してもらうための

行動が起きる

 

自分の母を見ているとよく分かる

でもそんな演技は馬鹿らしい

 

私自身も鬱状態になりそうなことは何度もある

そうそう強くない

 

だから鬱状態にならないために

常にイヤなことからは逃げてきた

 

正しいことを優先し

他人の機嫌ばかりを取っていると

母のようになる

 

母が精神疾患になる理由も分かるし

その状態に追い込まれた背景も理解できる

 

でもそこで自分を間違った方向に甘やかした結果

全て病気のせいにして

”病気だから仕方ない” で終わってしまう

 

そうなれば

人は楽な方に流れる

簡単に

精神疾患まっしぐらだ

 

自分を認め受け入れてしまえば

病気という

見えない存在に食い潰されることはない

 

私は子どもの頃からそれを知っている

逃げればいい

とんずらすればいい

 

ずっとそう思ってきた

 

正面から衝突するから

受け止めようとするから

大けがし、吹っ飛ばされる

動けなくなる

 

そして案外その状態も悪くないと思い

これでもいっかと甘えてしまい

さらに動かなくなる

 

これは脳が怠けた証拠

脳は沢山の情報を処理し毎日沢山活動する

その活動量を減らしたいために

すぐに楽なことを見つけて怠けようとする

 

脳は変化が嫌いでがんばることが嫌い

このすぐに楽をしたがる脳をうまくコントロールしないと

たちまち何もできなくなる

 

それがどんなに間違ったことをしていても

どんなに悪いことだと分かっていても

どんなに家族に迷惑をかけていても

 

脳に支配されたら終わりだ

残念だが

正しさでは脳には勝てない

 

脳が怠けだしたら

その状態から抜け出すのにはすごい努力が必要

そして一人ではなかなか難しい

 

怠けた分のしっぺ返しは思ったよりデカい

 

とまぁ私の中の脳の存在はこんなもの

 

脳に支配されたら終わりだから支配されないよう

自分で脳をコントロールしなきゃだめ

賢く生きなきゃ脳に殺される

 

脳はストレスを感じると痛みを出す

 

心が疲れてきたら脳にストレスを知らせ

痛みを放出さ体を硬直させ動けないようにする

そして体を休憩モードにさせる

 

休憩というと聞こえはいいが

単にサボらせている

 

動きたくないな

やりたくないなと感じたら

脳がサボろうとしている証拠

断固として阻止するべし😤

 

私の場合

グルテンカゼインフリーの料理をすることよりも

働きたい気持ちが上回った

 

自分の心に従って働くことを経験していないため

やりたくて仕方なかった

 

楽しいことで仕事をする

これを経験したい

 

だけど現実は家事・掃除・洗濯

専業主婦である以上それらを手放すことは難しく

時間を作り出すことが簡単じゃない

 

正しいこと

やらなきゃいけないことを優先すると

我慢が生まれる

 

親が子のために食事を用意する

これは当たり前だけど・・・

 

それって子どもが自分で作れないことが前提

自分で作れれば問題にはならない

 

というわけで作れるようになればいい

 

自分が生きるために

自分がおなかが空いたから食べる

 

自分が食べる食事ぐらいなら

自分で作ってもいいんじゃないのかな・・・

 

そう思ってしまった

 

以前は朝ご飯的なメニューは作れるように教えていた

グルテンカゼインフリー生活になる前は

私は出産後のホルモンバランスの乱れから

酷いときで一月の半分は頭痛と嘔吐を繰り返し寝込んでいた

 

その時に長女に

朝ご飯の目玉焼きにウインナー 簡単な野菜炒め

本当に簡単に作れるご飯を教えていた

 

だからコンロは使えるし包丁も扱える

できないはずはない

ただ

めんどくさがってやらないだけ

やる気がないだけ

 

ここで脳の仕組みを長女に説明

 

怠けると脳がドンドンつけあがるよ

次第にやりたいこともできなくなるほど

怠ける体になり

それをコントロールするにはもっとがんばらないといけなくなるよ

 

ちょっと脅した🤭

 

少しずつ自分をコントロールしよう

舵を自分に戻そう

 

大好きなゲームを咎められずやりたいなら

ママのストレスを解放するのを少し手伝って

 

私のストレスの原因はお昼ご飯を作ること

 

理由は一つ

私がやりたいことをやれない

時間が奪われる感覚にストレスを感じる

 

私にも好きなことをやらせて!

あなた達は自分達の好きなことに時間を使っている

私も自分のために時間を使いたい

 

自分の好きなことに時間を使うことはおかしいの?

どう思う?

おかしいなら、ここがおかしいよって教えて 

と投げかけた

 

次女は即答で

自分のやりたいようにやればいい

でも自分はご飯は作れない

 

確かに次女は体格的にもまだ小柄

我が家のキッチンには身長が足らないため

料理をするには不向き

 

そしてそんなに料理も教えていない

そういった理由で料理はしたくないと言う

 

長女は今の自分の状況を考えすぐに

『自分でやるよ』と言ってくれた

 

『ママがやりたいことをやれないのはおかしいね』

と理解してくれた

 

クリスマスに自分で学校へ行かないと決めてから

ちょっと変わった

 

なんでもやれる気でいる

自分で自分のことを大丈夫と思えると

案外なんでもやってみようと思うらしい

 

そして自分のお昼ご飯を作る生活が1月からスタートした

ただ最初はなかなか思うようにはいかなかった

 

すぐにゲームに夢中になり

お昼ご飯を簡単に済ませたり

作り置きしてあるものを食べるだけだったり

 

結局口だけで終わってしまった

これは作っているとは言えない

 

考えねば・・・

どうすれば作ろうかなと動き出せるのか

義務感を押しつけてはダメだ

 

考えなきゃ!工夫が必要だ・・・

学校へ行かないなら生活力を身につけよう!

★生活力・自己管理能力を身につける!

去年のクリスマスに長女が宣言した

『もう二度と学校へは行かない』

 

あれから家族の中では完全に方向転換

 

学校へ行かない生き方で生きていく

これを真剣に考えた

 

とは言えすぐに社会に出て働ける年齢でもないし

特別人より優れている能力があるわけでもない

 

娘達はとっても可愛いくて

とっても平凡で普通の女の子

 

そして私は反抗期真っ最中の出来そこないの母親

それでも今より昨日より幾分ましに成れるよう

一生懸命生きている

 

今はいろんなことが経験で全てが学び

経験して学ばないことが不幸なんだと気付いた

 

娘達も私と同じようにこれからいろんなことを

学ぶために経験する

 

学校で教えられる学びは

本人達には不要なよう

本人達が要らないと判断した

 

それなら娘達が欲する学びを体験し学ぶ

 

でもその学びの前に

まずは生きていかなきゃいけない

生活していかなきゃいけない

 

学校の学びが不要と考えるなら

それはそれでいい

 

ではこれから何を学ぶ?

 

 

そこで生活するための知恵を学ぶ

自分達が生きていくために

自分達のことを自分達でできるようにする

 

これを学んではどうかと話し合った

 

親の私達がいなくてもなんとか

生活できる力

これはこの先絶対に必要

 

生活力さえ身につければもうなんとでもなる

一番の基盤

これだけは学ぼうと提案

 

そこで出てきたワード”自己管理能力”

一般的に「自分を律し、管理し、コントロールするという能力」

 

娘達の場合では・・・

朝起きる

ご飯食べる

お風呂入る

よく寝る

 

これは普通にできる

 

でもここからさらに

家族として生活していくために

家族というチームの一員となって家を切り盛りする中で

生きることを生活することを学んで欲しい

 

勉強をしない分時間はたっぷりある

生活力を養う絶好のチャンス

 

学校へ行かないことを負い目に思うより

学校へ行かない分

生活力を身につけ

みんなより早く一人立ちできる

 

そんな風に前向きに考えればいい

そうすれば自然と前向きに取り組める

 

そこで自分達のやるべきことを

自分達でやる

取り組むことを課題にした

 

そもそも親が全てやっている時点で

子の課題を取り上げていること

だからそれを元の場所に返すだけの話

 

学校に行かない

勉強しない

ゲームだけしている生活は

いつまでも続けられない

 

親の私が世話を焼いて

何もできない子にしてしまう

それは勿体ないので

少し追い詰めようと主人と話し合った

 

世の中楽しいことばかりではない

生きていくためには避けられないこともある

 

それを不安の中でやらせるよりも

安心できる場所で練習させる

 

生活する力を学ぶ中でも何か身につけられるはず

考え方、見方、楽しく感じられる工夫をする力

これだって生きていく上で必要

知恵を絞り自己をコントロールする

 

今の娘達にちょうどいい課題

 

家の中なら我が家のルールを作ればいい

作ったルールが難しそうなら変えればいい

 

誰のためでもない

自分のためにやること

 

自分を大切にするために

自分で自分を管理するんだよと説明

 

勉強とゲームぐらいしかしてこなかった娘達

 

料理、掃除、洗濯

アルバイトとしてお金が発生しない限り

取り組まない

 

自分のために自分の生活を整えること

これさえできれば後はそんなに難しくない

だけどこれを学んでいない

教えていない

 

学校へ行っている間は

子どもは勉強して遊んで生活するものだと

思っていた

 

だから身の回りの世話は全て親の私の仕事

 

おかげで部屋の掃除もしないし

料理も少しはできるはずなのにやらない

身なりもあまり気にしないから

いつもパジャマ姿

 

とりあえず

これは考えてしまう

 

学校へ行かない生活を続け

私が変わらず身の回りの世話をしていたら

娘達は本当に何もできない子になってしまう

 

単純に私が困る・・・

将来ずっと世話を焼くのはイヤだ

 

義務教育での学びは必要なくても

生きていく上での生活力は必要でしょ!

 

娘達が成長すれば私は年を老いていく

これは避けて通れない

 

娘達に養ってもらう気は全くない

そして

大きな娘達の面倒をみて生きていくことも考えてはいない

 

そのためにも娘達には独立してもらいたい

独立させたい

 

間違っても共依存関係の親子にはなりたくない

そのためには自分は自分

娘達は娘達と考える

 

元々私と主人の二人で暮らしていくと決めていたのに

親の価値観に流され

知らず知らず、子が親の面倒をみていた

 

私がイヤイヤ親の面倒を見ていると

娘達も自ずとそれがスタンダードになってしまう

 

危うく間違いを犯すところだった

 

私は成長の過程で本来学ぶであろうことを

全て奪ってきた

 

過指示・過干渉の代償は大きい

 

娘達が今何もやらない、できない

この現実を作り出したのは

紛れもない私だ

 

単純に私の手の出しすぎ

仕方のない結果・・・

 

でもこれは理解した

次にやることはただ一つ

 

娘達のことは娘達に返し

娘達の意思に任せ行動してもらう

 

任せると大概放置されるか投げ出すかで

見てる方はそわそわする

 

そしてそれはそれで心配になってしまうが

これはものの捉え方を利用して

なんでも別角度から見る私の練習

私の課題なんだ

 

例えば

服を着替えない=だらしない

と捉えるんじゃなくて

別に着替えなきゃいけない理由

困る理由がないから着替えない

 

着替えたくなる理由が見つかれば着替える

だから

放っておく

べつに問題ない

 

現に自分達の欲しいものがあり、買い物に行くときは

ちゃんと服に着替える

ある程度の身なりは整える

 

極端な話

娘達が気にしていない以上

何を言っても口やかましいお節介になる

 

無駄な労力だ

平穏な関係がこじれるだけなので放っておけばいい

 

ダサい子汚い子と見られるのは娘達で

私ではない

自分の体裁を整えるために娘達を整えることは違う

 

放っておくと言うと乱暴に聞こえるが

本来あるべき場所に返すだけ

 

そして必要に応じて

求められた必要な分だけを提供する

 

各自が自分のために学び

自分のために成長する

 

そのために私ができることは

手放すこと

 

娘達に

誰かのための行動はしなくていい

大事な自分のためだけに行動してくれ!

と伝えている

 

私はこれを自分にも言い聞かせる

 

私も自分のために行動する

自分を整え自分を受け入れる

 

これだけでいい!

それだけでいい!

 

自分のことは自分でやる

自分でやれる!

 

それでもたまに矛盾した行動を取ったときは

指摘するよう伝えている

 

私は完璧じゃない

間違うときもある

 

その時は

”言ってることとやってることがおかしいよ”

そう言えよ と伝えている

 

案外簡単だ

必要なことは自分を大切にすること

そうすれば自然と自己管理できるようになる

 

自分を大切にさせる前に

周りを大切にするよう求められてきた

 

すぐに周りはどう思うの?

周りを見て行動しなさい

代々この考えだった

 

小さな頃から

周りを考えるよう伝えてきてしまった

そんなこと言われてもできるわけがない

 

一番最初の自分を大切にすることを学んでいないのに

周りを大切にするなんてことできっこない

 

まず最優先することは 自分自身だ

大人の私ですらできていないこと

娘達ができていなくて当たり前

 

自分自身をおざなりにして周りのことばかり考えさせられる

すると無理矢理やらされた挙げ句

 

結果

 

何か些細なトゲがチクりと刺す度に

我慢ばかりさせられていたその不満が

これでもかって言うほど垂れ流される

 

いつものお決まりのパターン

そしてストレスのはけ口に弱い娘達がターゲットになる

 

もうこのスパイラルは阻止したかった

原因も理由も全て分かっているのに

止められないなんておかしい

 

行動が伴っていない証拠

変えなきゃいけないことがある

 

私も仕事をしたいと言っている以上

今までのようにフルで家事をすることは無理

そしてそれはストレスになる

 

仕事をしたいのに

家事で仕事ができないとなれば

自己犠牲が始まり

結局ストレスしか生み出さない

 

自分のご機嫌を取るために

心を落ち着かせるためには

みんなが各自自分のことを自分で世話することが

求められてきた

 

私は自分に専念したかった

 

そうしないとまた自分ばかり我慢してしまい

その感情が増すとまた弱い者へ攻撃してしまう

 

負のループは自己犠牲の中に生まれる

 

自己犠牲せずに自分で自分の機嫌をとり

自分で自分のことをする

 

これが我が家の目標

娘達の目標になった

 

みんなで補いながら

ある程度まぁいっかで妥協しながら

生活していこうと話し合った

 

できることに一生懸命取り組めばいい

できないことやらなくていい

 

今までやってきたことでも

やらなくても困らないことは

手放す

その方が身軽で動きやすい

 

そんな風に臨機応変に生活しようと決めたら

気持ちが楽になった

 

自活するための自己管理能力

 

ゲームばかりして

ご飯を食べなかったり

お風呂に入らなかったり

自己管理ができないならできる場所へ行き

他者の力を借りて管理してもらう

 

自分でやるか他者の力を借りるか

あれもこれもイヤはもう通用しない

 

まぁ要するに

学校へ行かないと決めたのなら

最低限ちゃんと自己管理して自活できるよう生活を整えてください

と言うこと

 

それができないようなら

イヤでも学校という管理された場所へ出向き

他者に管理してもらい生活を送る

 

決めるのは親ではなく

娘達

どちらを選んでもかまわないが

どちらもそんなに楽じゃない

 

それでも誰かに管理されるよりは

自分で管理する方がいい!

目指す方向が違う・・・スクールカウンセラーと合わなくなってきた

スクールカウンセラーと波長が合わない

1月にスクールカウンセラーとカウンセリングをして

違和感を感じた

もうこの時間は必要ない・・・

 

カウンセラーとの会話は主に私の両親とのこと

不登校児の娘達のことより

両親の話の方が多い

 

決まって

『おじいちゃん、おばあちゃんはどうですか?』

と聞かれる

 

不登校児の娘達の様子より

私の両親の様子?

 

要するに我が家の問題は娘達ではなく

私の両親

 

ここがずっと問題

だから正常に家族として機能していないため

娘達が不登校になった

 

娘達が学校に合わないのは

本人達の気質もあるが

根本的な原因は我が家が機能不全家族だからだ

 

強いて言えば我が家というより

私と私の両親

ここが機能不全を起こしている

そして共依存関係なため

なかなか根が深い

 

私が40代になっても精神的に親から独立できておらず

親の価値観の中で生きてきた

そして自分の価値観を持ち合わせず

生きていたため歪みが生まれ

そのしわ寄せが娘達にしっかりと現れた

 

聞けば私の両親も反抗期を迎えていない

その当時はみな親が一番正しくて親に従うのが当たり前

そんな親の都合のいい、いい子ちゃんで育ってきた両親

 

自分の価値観を持たずに成長し親になり

じいちゃん、ばあちゃんとなった

 

価値観のない大人は周りのちょっとした言葉にすぐに傷つき

あちらこちらの目を気にし他人の評価で生きる

そして自分は被害者だと言わんばかりの態度で

他人を批判し自己に甘える

 

単純に自分を信じない信じ切れないため

自分で自分を傷つけているだけ

 

可愛そうでも何でもなく

自分に甘く怠けているだけ

 

私は以前は精神疾患

なまけ、甘ったれだという声に否定的だった

でも今は真逆だ

 

母は単純に逃げて甘えているだけ

病気という盾に隠れ、攻撃してくる父に抵抗している

 

でも本当は違う

 

本当の敵は考えることから逃げた母自身

逃げ出すことも避けることもできたはずなのに

自分に厳しく自分で自分を傷つけるバカな母

 

目先の甘い蜜に惑わされ泥沼に足を突っ込んだ賢くない人

 

自分で自分を攻撃する人は人からの攻撃は大抵何でも耐えてしまう

常に自分が自分に攻撃しているため

慣れが生じ自分以外の攻撃には耐性ができる

 

次第に学習する

他者に傷つけられ被害者である自分を可愛そうだと思い込み

どんどん自分に甘くなる

 

甘くなる場所を間違えているとしか言いようがない

 

そうやって甘えているのを隠すように

可愛そうな被害者を演じ被害者意識に飲み込まれる

 

自分で自分の脳に支配され

精神疾患という怠け者に私の母は成り下がった

 

いつでも病気を理由に

あらゆることから逃げてきた

本当に逃げるべき場所からは逃げずに

ただ惰性で生きる生き方を選んだ

 

常に周りから同情心をもらい

それを糧に生きている

 

脳の仕組み、親子の愛着障害

潜在意識の存在

いろんなことを学び

いろんなことが絡み合っているのは分かっている

 

それでも現状を作り出しているのは

紛れもなく本人

 

本人が望んだことが現実に起きている

だからそれを可愛そうと同情すること自体

おかしい

 

だから総合的に判断して

私は両親に

母の脳にバカにされていたと感じた

 

そして可愛そうだと思うこと

手助けが必要だと感じること

全て無意味

 

全て母の課題を私は親切という

愛という親子という名目で

取り上げていたことに気付いた

 

その姿を娘達に指摘された

『ママ変だよ、おかしいよ』

『じいちゃんとばあちゃん変だよ』

 

娘達は私に親子の関係を問題視するよう

私が私として生きられるよう教えてくれた

それを教えるきっかけとして不登校児になった

 

これは必要なことで有意義なこと

 

 

去年の終わり頃からカウンセラーとの会話は

両親の悩み相談に変わっていた

 

問題は娘達ではなく私の両親

そして私の価値観が不登校を作り出している

 

親子でも家族でも他人を変えることはできない

そしてそれを私の両親はあまり理解していない

 

おかしいのは私でも娘達でもない

あなた達二人の関係性がおかしい

そう私は訴えてきた

 

そしてその関係性は娘の私にはどうすることもできないし

まして誰も手出しはできない

 

お互いが二人で解決していくしかない

長年連れ添ってきたから今更変えられないとも言うが

 

今までと変わらない現実を望むならそれでかまわない

でも我が家は以前のような生き方はまっぴら

 

そしたら進む方向が変わり

一緒には生きていけない

 

我が家はかなり方向転換している

それは新鮮でワクワクする道

 

本来の自分達の姿に帰る気分だから止められない

この我が家の変化に私の両親はついて行けず

戸惑っている

 

でも今まで変化を恐れ、ずるずる惰性で生きてきた

生きてくることでやっとだったという

 

それはそれでいい

それを望んでいるなら

そのまま変わることは必要ない

 

でも変わろうとしている人の足を引っ張ろうとするのは

親でも許せない

 

こんな私の考えをスクールカウンセラーと話あったところで

何も解決はしないことを

しみじみ感じるようになった

 

確かに自分の考えを聞いてもらって賛同してもらい

確信を得る

この行為は私の気持ちを強化させてはくれる

 

でも私の考えは私の考えで

スクールカウンセラーに賛同してもらわなくても

いい話なんだ

 

人の評価はいらない

必要なのは自分で考え行動すること

 

親との関係を修復しようとは思っていない

両親の問題は私の問題じゃない

今まで親子・家族という理由で引きずり込まれていただけ

 

カウンセラーも『あなたの家族に両親はもう含まれないよ』

そうやって言ってくれているのに

毎回両親の様子を伺い状況を確認する

 

でもそれをしたところで

私が話したところでなんの変化も起きないし

現実は変わらない

 

私は徹底して両親に無関心になるだけ

 

でもこの無関心な姿を人に見せていると

私はすごく冷たい人のようにも思えてくる

 

たぶんまだまだ今までの習慣が抜け切れていない

べき思考が強いんだろう

 

親の課題を可愛そうだとか

親子だからという理由で奪ってはいけない

 

この習慣が結局娘達にも同じように繰り返していた

 

娘達が迎える課題を不安や心配という気持ちから

奪ってはいけない

 

とことん本人達が向き合い課題にぶち当たればいいんだ

その課題にぶち当たる経験が自己を成長させる

 

私はなんでもかんでも奪い過ぎた

自分が奪われて心にぽっかり穴が空いているように

娘達の心にもぽっかり穴を空けてきてしまった

 

そして今それを忍耐という課題で課せられている最中

両親にも娘達にも忍耐という経験をさせてもらっている

 

こうやってもの事を捉えると

あんまり辛くない

もうなんでもまぁいっかでいい気がする

 

必要な学びの経験

何でも困りごとが可愛そうだと感じると

自分は不運だとか

自分は不幸だと決めつける

 

そうやって思うからなんとかしなきゃ

問題解決しなきゃと思ってしまう

 

反抗期が必要なように

物事には経験する理由がある

人は苦しんだ時初めてそこから学ぶ

 

そう思っていれば

学習時期を妨げることの方が可愛そうなことだと理解できる

その学びを奪うことの方が残酷なんだ

 

その学びを奪う度に

本人は学べず何度も同じことで苦しむ

何度も学ばさせられるために苦しみはやってくる

 

自分の両親が何も変わらない理由がこれで説明がつく

もうめっちゃ的確な模範がいるから

よく理解ができる🤣🤣🤣

 

両親を例に娘達に説明すると

私が関与しない理由も納得してくれる

ありがたいことに

愛情がないとは誤解されない

 

私の無視からみんなが自己と向き合い

学ぶ時期に入っている

 

私はそれを奪わないよう

自分に集中する

 

これをカウンセラーに話すと

『極端だね』って笑われる

 

極端でも何でもいいの

 

これが私だから