何を食べたかで人生が変わる  

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子供のやる気を奪う母親 そしてその母親のやる気を奪うのもまた母だった

子供のやる気は親が知らず知らずに奪っていた

次女は綺麗な物・可愛い物・光物が大好き

虫も好きで芝生では裸足で走り回る

とても元気な女の子

 

そんなちょっと男の子っぽい次女が成長するにつれ

おとなしくなってきた

 

なんだか大人びてきたのかなと思いきや

いやそうじゃない

生きることにつまらなくなってきたんだ

 

何をやっても楽しくない

何をやっても面白くない

何もする気が起きない

 

いわゆる無気力状態

子供のやる気ってどこから生まれるんだろう

 

問題は産まれた時から始まっていた

私の母は買い物依存

宝石、陶芸、ガラス細工など

私からすると不必要なものが所狭しに並んでいる

 

子供が触れては困るものが至る所に飾ってあり

リビングにもガラスの扉の食器棚などが普通に置いてある

 

次女が生まれた時にはすでに両親と同居していたので

次女は生まれた時からそれらに囲まれて育った

だから

私はいつもけがをしないかヒヤヒヤしながら

子育てをしていたのを覚えている

 

ガラスの扉をパタパタと開け閉めするしぐさ

子供ならこの動きはよく見る場面

大人が注意しても知らん顔で続ける

 

そして注意してもやめないから

大きな声を出されたり、その場から退出ってことになる

 

でもこれって本当に正しい対処法なの?

私は危ないものは子供のいる場所に置かないということを知識として持っていた

でもその家具が母のものである以上どうすることも出来なかった

 

ただ母のものを壊してはいけない

そんな思いだった

 

そんな環境の中での子育てだったので

必然と

『あれは触っちゃダメ、これは危ないからダメ』

『触って壊したら怒られる、こっちで遊ぼうね』

常にダメのオンパレード

こんな風に次女の行動に制限をかけてしまっていた

 

外で土遊びをしようものなら

いろんな考えが浮かび

すぐには動けなかった

 

自分の中での家事の進み具合

時間の有無などと相談してからしか動けなかった

 

汚れるといったこと自体にはさほど抵抗はない

汚れたものはすべて丸洗いすればいい

そこは簡単なこと

でもそこまでの段取りと自分の抱えている家事の量を考えると

なかなか自由に遊ばせてあげることは出来なかった

 

単純に自分の仕事が増えることによって

家事にかける時間が減る

 

時間が減ると妙な焦りが出てきてイライラする

それは私的にはすごくストレスだった

 

だから好きなように動き回らせること

遊ばせることをやめてしまった

そして次女の好奇心の芽を摘み取っていた

 

我が家は次女が私のお腹の中にいる時に

両親の家へ増築するという形で同居を始めた

 

もちろん両親の家は幼い子を育てるための

家作りにはなっていない

 

買い物依存の母は既存のインテリアや家具など

何度も子供向けに家具などを変えたいと提案しても

60代の家にそんな安い家具は似合わないなどの理由で

赤ちゃんのために家具を買い替えるなんてありえないとの理由で却下

 

また家と言うものは

後から入ってきた子供が大人に合わせるのが普通だ

と言われ娘たちのために模様替えすることはほとんど出来なかった

 

きっと昔、母がお嫁入りした時からそうやって言われ続けてきたんだろう

家と言うものは後から入ってきたのもが

その家に慣れればいい

『郷に入っては郷に従え』

そんなものだという考えだ

 

その言葉に疑問を抱かず

考えを止めてしまった私がいけなかった

 

同居する時にじっくり話あうべきだったんだ

お互いの望むスタイルを両方が妥協せずに寄り添える形を

時間がかかっても見つけ出すべきだった

 

たぶんそんなやりとりをしていたら

今頃同居はしていない

 

なんか中途半端に気持ちは伝え

その先の解決策を見つけないままでいるから

モヤモヤする

 

私は父と母の娘ではあるが

もうすでに成人した大人で2児の母親だ

そうもう娘である前に母親なんだから

父と母の顔色を伺う必要はない

 

私が出した提案を受け入れてもらえない現実

これを我慢と言う形で放置するからいけなかった

 

親子でも言いたいことは言い、お互いに理解はする必要がある

対等な関係でいられないなら

一緒に住むというスタイルを取るべきではなかった

 

本当にその環境が娘たちの育ちに適しているのか

よく考えるべきだった

妥協してはいけない部分だった

 

そんな親の目を気にしながら

私は娘たちを育ててきてしまった

 

私も娘たちと同様に

親の顔色を伺っている

 

そう私自身が親の顔色を気にしているんだ

私は私で自由にやっているつもりではいたが

根底にあるのは親の評価なんだ

 

親の価値観が根強くある

 

親に褒められる子育てを

親に認めてももらえる孫たちに育てなければ

そう心のどこかで思ってた

 

だから娘たちにいろんなことをさせ

自立してなんとか普通の大人になってもらいたいと思っていた

 

しまった

私が無言の圧力、プレッシャーを受けていたのか・・・

この時ようやく気づいた

 

子供のやる気、好奇心を奪っていたのは私で

その私のやる気すらも奪われていた

 

うんざりするほどの世代の連鎖

 

私は娘たちが生まれた時からの

育ち直しをしなくてはいけないことに気づいた

 

そこで出会ったのがこの本

 

この2さつは私の子育ての教科書になった

子供の行動に全て意味があり

子供が何をしているのか

どうしてそういった行動を起こすのか

明確に教えてくれる

 

そして大人はその子供の行動にどう寄り添うのか

どう声掛けをしたり

サポートすればいいかをわかりやすく

解説してくれている

 

とっても勉強になる

読んでるだけでワクワクする

 

必要なのは子供の見方を変えるだけ

これだけで心がすっと楽になる

 

これまで意地悪な行動だと思っていたこと

訳のわからない癇癪行動も

問題だと言われてきた行動でさえ

子供にはちゃんと理由があり

それを伝えるメッセージだった

 

それを非言語で伝えようとしてくるから

大人は理解出来ず悩んでた

 

でも理由が分かれば大人も理解できる

するとイライラすることも減り

悩むこともなくなる

 

私は得体のしれない生き物を育てていたんだ

でも観察するということをきちんとして

その子その子が望んでいる要求にちゃんと耳を傾け答えてあげれば

それほど悩む問題もないということを教わった

 

これは今の娘たちでも基本ベースは同じなので

この見かた考え方を学んでからは

私と娘たちは比較的穏やかに生活している

 

そして我が家のように子供に合っていない環境での

生活が大変なのは当たり前

できる範囲で子供ベースの環境を用意すると

無駄に大人が疲れず

ゆったりとした子育てに取り組める

 

それはずっと一緒に居る母親にとってはこの上なくありがたい

 

大人が大人心で赤ちゃんを迎え入れるのが筋だった

大人は危ないものをなくし

赤ちゃんや子供が自由に動き回れる環境を提供する

用意してあげることが必要だった

 

赤ちゃんや子供に言って聞かせるのではなく

私の場合、母に言って聞かせなくてはいけなかった

 

そもそも精神疾患である母と一緒に暮らすこと自体

子供にはよくない

そして簡単なことではないと気付くべきだった

 

家族だから助け合わなければと考えすぎてた

私が勝ってに背負い込んでいた

これでは共倒れだ

 

実際娘たちはもう成長して家の中で走り回ることは少ない

だから環境を変えると言うよりは

やる気をださせることにフォーカスしなければいけない

 

『やる気スイッチ』

こんなスイッチ誰も持っていない

 

ちょっと行動した先に

なんだかわくわくするものがあって

そこからどんどん世界が広がっていく

 

そのためにはちょっとだけ動いてみよう

 

もう絶対むやみに反対したり否定したりしない

常に否定せずに

いろんなことにチャレンジできるよう努めるよ

少しでもやりたいこと

やってみたいと思ったことには触れてみることにしよう

 

なんでもすぐに結果につながるわけじゃない

焦らず気長に待つよ

 

今までダメの一言でさせてあげられなかったいろんなこと

否定され続けたらやる気がなくなるのは当たり前だよね

ダメと言われ続けたら自由に行動できなくなるのは自然なことだよね

 

自分もそんな風に育ってきたみたいだから分からなかった

何も知らなかったせいで

大切な幼児期を無駄にしてしまった

 

だから

私は0~6歳の子育て本を何冊か購入した

一から子供とはどんな生き物なのか知りたかった

そして私の過ちを繰り返さない為にも

娘たちがいつか母親になる時まで

これらの本は大切にしたい

 

娘たちにもその時期が来たら絶対読んでほしい