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反面教師は自己否定の現れ 自分の幼少期と娘達を重ねてはダメ

★出来なかった幼少期の自分を反面教師にし子育てをしていた

私は両親を超えたかった

両親よりいい親になりたかった

子ども思いの優しい親になりたかった

 

そして立派に子どもを育てられる

できる親になりたかった

 

でも現実は毒親になる一歩手前😱

いや・・・毒親だった

 

毒親の子は毒親に違いない

 

私は娘達に一通りの家事ができる女の子

生活力がある子になってほしいと

願っていた

 

これは生きていくために必要な力

専業主婦だけに必要な力ではない

誰もがみんな必要

 

将来自活して一人で生きていく上ではとても大切

働いてお金を稼げれば要らないという能力でもない

 

高給取りでも生活力、自己管理能力がなければ

お金は入ってくるが出て行くのも早い

なのでバランスをとるためにも大切

 

ただ生活力と言っても

求められる程度には振り幅がある

 

本人の事が足りるだけの力でいい気がする

そんなに多くを望まなくても

生きていける

だから極めるほどの力は必要ない

 

家事が好きなら極めればいいが

そうでないなら最低限の生活力があればいい

それで十分生きていける

 

とりあえず

学力より生活力

 

娘達には将来困らないように

生活力だけは身につけさせたかった

 

でも最近気付いた

体調不良の時色々考えさせられた

 

長女を役に立つ、立たないと道具扱いしている

そんな自分がいることを自覚

 

そこから

生活する力が本当に必要なのか考えた

 

私はどのくらいの生活力を望んでいるのか

どのくらいの生活力があれば

娘達は役に立つ、生活力がある子と言えるのか

そんなことを考えた

 

そしたら気付いた・・・

 

私は本当は娘達の将来のためを考えて

生活力を身につけさせたいと考えていたわけではない

 

私に植えつけられた劣等感を

娘達で晴らそうとしている

ただそれだけだった

 

一番根っこの本当の気持ちを隠して生きている

このことに気づいた

 

幼少期の自分を反面教師として使い

娘達を立派に育てようとしていた

これは表向きの顔

 

”出来ない子”というレッテルを貼られない子に育てること

 ”出来ない”ことで傷つけられない強い子に育てること

その言葉で自信を失わせない強い心を持った子に育てること

 

自分のイヤな経験から

こんな願望が生まれていた

 

そして一番の根っこにある本当の気持ちは

幼少期の”出来ない子”という私を

今でも否定し続けていること

 

これが根っこにある”核”だと気づいた

 

 

私は幼少期に何も出来ない子として育てられた

そして

”出来ない子”というレッテルを実の父親に貼られ

いつも父の顔色を伺いながら生きてきた

 

それがだんだんと自己否定に繋がり

引っ込み思案な性格になっていった

 

いつも自信がなく下を向いていた

そんなオドオドした子どもだった

 

父に貼られたレッテルを真実だと思い込み

自分で自信のない自分を作っていった

それがとても辛かった

 

今思えばそんな自分だったから

いじめられ

人から傷つけられることが

普通に起きていたんだと思う

 

そんな自分の幼少期の頃を娘達に重ね

同じ思いはして欲しくないと願い

”出来ない子”というレッテルを貼られないように

育てることに躍起になっていた

 

そして自分の幼少期を反面教師とし

何でも満遍なく出来るように育てようとした

 

何かにつけてジャッジする大人に負けないよう

バカにされないよう

自分のことを自分で管理し

自分を守れるようになって欲しかった

 

父親に出来ない子というレッテルを貼られ

自信をなくし萎縮して育った幼少期が根底にあるため

そんなフィルター越しに娘達を見ていた

 

そして先回りし幼いうちから

いろんな事を次から次へと出来るようにさせようとした

 

でもこれは単に父親を見返したいだけ

 

私は出来なかったが私の娘達は出来る

そんな風に言ってやりたかった

 

そして

両親がやってきた子育てでは”出来ない子”が育ったが

私の子育てでは自分のことは自分で出来る

ちゃんとした子、出来る子が育った

 

そんな風に見返したかった

 

そんな気持ちが根底にあると気付いた

そしてこんな気持ちがあること自体が恥ずかしいと思った

みっともないと感じた

 

私は反面教師を上手く使いこなせないだけではなく

そこに執着していた

 

私は娘達を父への見返しの為に使っていた

真っ向から子育てをするスタンスが間違っている

私はやっぱり間違えた子育てをしている

 

 

私が出来ない子と言われた経緯・・・

 

私は幼い頃精神疾患の母のおかげで

家の手伝いをまったくさせてもらえず

出来ない子として成長した

 

お皿の配膳

食器洗い

洗濯物をたたむといった

子どもが一般的にお手伝いと称して行う行為を

ほとんど未経験の状態で成長した

 

精神疾患の母は潔癖症強迫神経症

 

その影響で家の中で私が触れることが出来たのは

自分の所有物だけ

それも学用品や趣味のもの

その程度

 

なので他の子が普通にやっていたこと

お手伝いと称してする活動はほとんど出来なかった

 

そしてやり方を知らないため

体験していないため

高校生ぐらいまでは自ら考えて行動する

ということは出来なかった

 

思春期にさしかかる年頃には

親戚のお姉さん達と比較され

何にも出来ない子と言われるようになった

 

女の子なのに

長女なのに

皿の一つも配膳できない

周りを見て気配りも出来ない

 

お姉さん達は進んで動いて手伝いをしているのに

”何故お前は何も出来ないんだ”

”役に立たないな” とよく父親に言われていた

 

そしてさらに出来ない私を育てた母に対して

”お前が何もやらせていないからだ”

”お前の教育が悪い”

などと言われ怒鳴られていたのをよく目の当たりにしていた

 

ここでいつも頭に浮かびあがることが

”自分は出来ないんだ”

”自分が出来ないから母が怒られるんだ”

この思考パターン

 

でもよくよく考えると

出来ない事はそもそも私が悪いんじゃない

 

皿の配膳、気配り

やらせてもいなければ

その姿の背中すら見せてはいない

 

そして母が精神疾患でやらせられない事を

グチグチ文句を言う割には

父親だって何もしない

 

母がその姿を教えられないなら父が教えれば良いものを

父も教えてはこなかった

配膳する姿、家事をする姿は見せてこなかった

 

今考えれば精神疾患の母の影響で

私が家の中の物を触れないのと同じように

父も触らせてもらえなかったんだろう

仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない

 

配膳する姿を見せたくても出来なかった

そう言うかも知れない

 

でも文句言いながらも、その環境をしぶしぶ受け入れ

子どもにそんな普通とは違う環境を与えていた

私の身をそこに置かせていたんだ

 

私からすればそんなこといいわけにしか感じない

 

だから私が何も出来なかったのは

母親だけの責任ではない

父親にだって責任があったんだ

 

またちょっと出来なければ”下手くそ”や”バカ”呼ばわりしていた父

そんな言われ方をして

物事を出来るようになりたいなどと思うわけがない

がんばって出来るように努力しようなんて考えるわけがない

 

今考えれば出来ない私を作りあげたのは未熟すぎる両親

 

なんだ私は悪くないじゃん

親が未熟すぎてクソ親だったんだ

とまぁ~ 開き直ってしまった😂 

 

ただ残念なことは・・・

気付い時が遅かった

もっと早くに気付きたかった

 

そしたらもう少し楽に生きられて

楽に子育てが出来ていたのかもしれない

 

私は何もさせてもらえず

勝手に”出来ない子”と呼ばれ

”出来ない子”だと信じて育ってきた

 

それが嫌で娘達はそうならないようにと考えた

同じように父に役に立たない子と言われないように

 

でも結局私は先回りをし急ぎすぎ

娘達を出来ない子に育ててしまった

 

娘達のそれぞれの育ちのペースがあることも知らず

私は娘達に何でもやらせようと

何でも出来るようにと

 

周りを見て気配り出来る子に育って欲しいと

自分の過去を消し去る為に育てようとしていた

 

そしてあれこれ指示してやらせ

娘達に過干渉になっていた

 

残念ながら結果的には

私は精神疾患の母とは違う形で

娘達の体験の機会を奪い育てた

 

育ちのスピード、ペースを知らず

いつか出来たであろう事も

私の望む時期に出来ていないため

”出来ない子”というレッテルを貼っている

 

結局私は父親と同じことをしていた

 

なんだかもうわけが分からない

何が子どもに必要で

何が子育てなのか

 

分からなくなってきた

なんだかぐるぐるしてる😵

 

ただ分かってきたのが

”出来ない”が悪いと考えているからそこに執着する

 

出来ないから出来るようにさせようと力を注ごうとするから

辛くなる

 

そこにあるのは今”出来ない”という現状が存在するだけで

これから一生出来ないかどうかはわからない

 

ただそれだけだった

 

今は出来ない事には目を向けなくてもいいと考えている

でも本当はそうじゃない

出来ない事を投げだす感じではなく

 

”出来ない事”は”出来ない事”で分かるということ

 

それがわかるだけでいいんだ

それが悪い良いの話じゃないんだ

 

だから私は幼少期の出来なかった自分に

”それはそれでいいんだよ”って言うことにした

”そんな時もあったね” でいいんだ

 

”あの時の自分は出来そこないで私が悪いんだ”

この考えが間違っていたんだ

 

あの時は出来なかったね~

でも今は食生活を整え自分の健康を管理出来るぐらい

がんばって家族の生活を支えている

私がんばってる

 

あの時は何も出来なかったけど

今はちゃんと考えて行動出来るようになった

これでいいんだ😊

 

そしてあの時の私と娘達は別の世界で生きている

重ねる必要は全くないんだ

 

娘達は娘達で今できなくても

これから出来なくても

何も困らないんだ

 

ちなみにあの時出来なかった事を

親以外にとやかく言われたことはない

 

いつだって否定するのは親だ

 

そして自分の中にいる

親の価値観で固められたもう一人の私が

自分を否定するんだ