何を食べたかで人生が変わる  

毎日こころ豊かに グルテン・カゼインフリー 米粉・大豆粉・オートミールに助けられて生きている

★当ブログはアフィリエイト広告を利用しています

子どもへの気遣いが苦しかった 親子間の気遣いはもうこりごり😱

★娘達への気遣いから解放された瞬間

親になった途端

夫婦の関係は男と女というよりは

子どもを守る為の同志=兵士みたいなものに変わっていった

 

主人はどうか分からないが

私はそんな風に考えている

そしてそんなもんだと思っていた

 

母親になったら

父親になったら

求められるのはいつだって子どもの身の安全

 

それがいつのまにか身の安全だけでは足りず

将来の安全まで考えるようになっていってしまった

そのため不安がいつもつきまとい

苦しくなっていた

 

常に頭の中には娘達がいる

 

神様に託された大事な子

それを守り安全に育てるのが母親の役目

 

でも私自身も大事な存在なはずなのに

いつのまにか私自身はないがしろになっていた

 

そして目の前にいる娘達だけが大切な存在として守られ

常に優先されるのは娘達

 

よくよく考えれば

主人や自分より一番気を遣うのは娘達かも

それが当たり前で当然だった

 

でも本当はそんな気遣いは必要ない

そして娘達も望んでいない・・・

 

娘が生まれて親になった瞬間

夫婦のデートの時間はなくなった

 

主人と二人で出かける時は

生活に必要な物を調達するときぐらい

食料や日用品 生活用品の買い出しがメイン

 

ネットで買えるものはほとんどネットで購入

娘達が一緒だとウインドショッピングもなかなかさせてもらえない

よって

外での買い物は必要最小限

 

現物を手に取って見るという時間も与えられないため

久しくウインドショッピングから遠ざかっていた

 

ただなんとなくぶらぶらとウインドショッピングがしたい

それが必要かどうかは関係ない

ただぶらぶらしながら

おしゃべりしながら

ウインドショッピングを楽しみたい

 

物を見て触れて刺激を得たい

たったこれだけの事なのに

こんなことすら出来ない

 

娘達が許さなかった

いや そうじゃない

 

私が勝手に思い込んでた

あなたにそんな時間はない と

 

私にボーっと考えたりショッピングを楽しむ時間はない

まぁ母親とはそんなものだろうと

思い込んでいた

 

でも本当にそれでいいのか?

それで楽しいのか?

 

って最近は思うようになり

イヤだって思っていることを受け入れるようにした

 

自分の正直な気持ちをそのまま受け入れていい

って事に気がついた

 

誰も私のことなんかジャッジしない

私をジャッジするのは私の親と私自身だ

 

そんなの放っておけばいい😏

放っておくと決めた

 

 

娘達は買い物が嫌い

一緒に歩いて見て回る事は苦痛らしく

すぐに駄々をこねられる

 

そしてそれをなだめることの方が大変だと分かっているため

自然と自分の欲求を押さえ込み

娘達に合わせていた

 

幼い頃はまだ幼いから仕方ない

そう思ってきた

小さな子が大人のテンポに合わせられないのは致し方ない

 

だから合わせられる大人が子どもに会わせるんだ

でもこの合わせるという考えは

大きくなってもさほど変わらなかった

 

娘達のテンポに合わせる=娘達のご機嫌を取る

同異義語になっている

そして

これを私は心のどこかでイヤだと感じていた

 

自分は幼い時そんなご機嫌取りをされて育っていない

何故私は子どものご機嫌取りをしなければいけないんだろう

どこかで矛盾を感じ苛立ちを感じていた

 

それでも母親だからと

私の方が大人だからと抑圧

 

そんなことの積み重ねで

自然と娘達が嫌がる行動は取らないが

私の欲求はどこへやら・・・

 

 

最近は娘達で留守番も出来るようになった

4、5時間ぐらいなら平気で家を空けても問題ない

 

娘達は二人で協力して簡単な食事も作れる

そこまで気を遣うこともなくなり

心配もなくなった

 

冷蔵庫に食材さえ用意しておけば

なんとかなることを

私は学んだ

 

だからちょっと主人と買い物へと

少しずつウインドショッピングを楽しめるようにもなってきた

 

娘達からすれば

親にくっ付いて歩き回るくらいなら

家にいて好きなYou Tubeを見たり

ゲームしている方が楽しい

 

付いてきて不機嫌になれば私が機嫌を悪くするのも感じ取れる

無理に一緒に行動するメリットがなさ過ぎる

付いてこない理由はただそれだけ

 

私は自分の幼少期

親にあちこち連れ回されていた子ども

それに対してイヤだと言えた身分ではなかった

 

だから自然と親子が一緒に買い物をしたり

出かけたりすることは当たり前のことだと思い込んでいた

そして

家で留守番させられることはあまりなかったので

娘達の今の状態は良くも悪くも例外に近かった

 

また買い物をしている最中につまらなくなり

駄々をこねる娘達の姿も自分には理解出来ず

なだめたりあやすことが苦手

 

要するに私は幼い時

親に無理矢理同行させられていた

そして

駄々をこねてなだめてもらった経験がないため

駄々をこねること自体に理解が出来ない

 

そんなことがあっていいものか・・・

そんなことが許されるのか・・・

 

親に主導権があり

子どもはそれに従うのが当たり前

日常の全てがそんな感じで

子どもに決定権は与えられていなかった

 

それが我が子は違う

イヤなものはイヤで自己主張も激しい

それを主人が上手くあやしなだめていた

 

主人は幼い頃

床に寝っ転がって駄々をこねる子どもだったよう

駄々をこねる子の気持ちには寄り添えるようで

いつも私より上手くあやしていた

 

どこまで行っても自分が満たされていないと

他人は満たせないよう

娘達の幼い頃を思い出すと申し訳ない気持ちでいっぱいになる

 

私が未経験なばかりに理解できなくて”ごめん”

 

とは言え

過去には戻れない

また

今更よしよしあやして欲しい年頃でもない

 

思春期という年齢と不登校ということもあり

娘達の意思を全面的に尊重するようになってからは

親子間にわだかまりはあまりない

 

今あるのは

お互いを認め合い尊重すること

 

そして娘だろうが親であろうが

個人の意思を尊重すること

 

これが我が家に出来たルール

 

そして私は私自身を大切にするために

母親だからという固定観念を捨て

私自身もやりたくないことや体力的にしんどいときは

パスすることを覚えた

 

そして

今までのように娘達に対してあれこれ世話を焼かなくても

事が進んでいくことがわかってきた

 

もう何でも出来る年齢になってきた

多少難しいこともあるかも知れないが

長女と次女 二人一緒ならなんとかなる

出来ないことはやらなければいい

 

それなら何にも問題は起きないって

私自身が理解出来るようになってきた

 

そして娘達も自分達でなんとかできそうだと思い込んでいる

それも自信満々に

 

というわけで

先日 主人と二人でデートに行ってきた🤩

 

朝9時から家を出て

2、3時間離れた大型のショッピングモールへ向かった

 

目的地までの道のりで気になるところは片っ端から

立ち寄った

 

娘達が一緒では到底出来ない行動

ちょっと気になれば寄り道をする

やりたいことはやる

時間に縛りはない

 

帰宅時間は未定だと言って出てきたので

時間に縛りはなかった

 

毎日一緒にいる娘達から心からも体からも解放され時間

2人の時間を楽しんだ

 

気を遣う相手が減るとなんて身軽なんだろう

この時主人と二人で気付いてしまった

 

私達二人ともかなり娘達に気を遣っていた

言葉に出して自覚したことがなかったが

嫌いだから気を遣うんではなくて

大切過ぎて気を遣う

 

ただ自分達の欲求を抑えすぎているため

その反発で親の考えを理解させようと

コントロールしようとしていたのかもしれない

 

でもコントロール自体はやってはいけない

子どもであろうが別の意思を持った人間

踏み込んではいけない境界線

 

というわけで

私達夫婦は自分達の欲求を娘達に合わせて抑え込むんじゃなくて

これからは堂々とやりたいこと

行きたいところへ行こうと決めた

 

娘達が行きたくないならそれで構わない

今回のように気楽にのんびりと二人で出かけよう🚗

 

もう長女は中学生

次女は小学生だが二人目の子はしっかりしている

長女と一緒だから放っておいても問題ない

 

気にせずこれから二人だけで出かけよう!

ショッピングをしよう!

旅行へ行こう!と盛り上がった

 

娘達と出かける時は

娘達から自発的に申し出があった時だけ

どこどこへ行きたい、連れて行って

と催促された時だけ家族揃って一緒に出かけよう!

 

本当は娘達も一緒がいいに決まっている

でも人数が多くなるとなかなかまとまらないし

誰かが犠牲になることが多い

 

それなら無理に家族だからと合わせなければいい

そしたら誰も抑えられない

 

家族だから

親子だから

もうそんなのどうだってイイ

 

それは我が家の中では窮屈で

みんなを押さえつけていた

 

それをイヤだって言えた今

みんな自由なんだ

 

今まで家族で出かけると

決まって疲れきって帰宅するパターンが多かった

 

それは遊び疲れたからではない

気疲れしてぐったりしていたんだ

 

主人とのデートでお互いにまた一つ本当の欲求に気付いてしまった

 

私達夫婦はまだまだいろんな所へ行きいろんな体験をし

刺激を受けたい、楽しみたい

 

親になっても自分は自分

親であっても一番大事なのは自分なんだ

 

もう何もできない赤ん坊じゃない

いつまでも子ども優先でいる必要はない

 

そして娘達も自己犠牲の上の愛情なんてまっぴらだと思う

 

娘達を自由にしたんだから

今度は親である私達も自由になる

 

結婚し妻になったから

子どもを産んで親になったから

そんな事で自分に見切りをつける必要はどこにもないんだ

 

結局このデートは夜の9時前に帰宅することとなった

主人と私は遊びまくって体力的には疲れていたが

心は満たされていたのでご機嫌だった

 

娘達は昼食・夜食を自分達で作り食べていた

そして

お風呂を洗って先に入浴も済ませていてくれた

 

なんだ私が居なくてもやっていけるじゃん!

これでいいんだ