★自分の世話を自分でする それが生きるということ
両親の洗濯という家事を手放し
半ば強制 突っぱねて数月
父は週に2、3回
夜に洗濯機を回している
母から細かくチェックや指導が入り
それに対して文句を言いながらも
なんとか生活の一部の活動として
洗濯に取り組んでいる
昼間は仕事して夜は家事をする
70歳手前の父にはなかなか楽な作業ではない
正直可愛そうな姿として映ることもあるが
家事を全面的に放棄している母に連れ添っている父の
これは言わば責任
長年連れ添っている母が精神疾患で
家事すらまともに出来ない状態を父は受け入れている
それなら最後まで自分達の生活をも丸ごと
受け入れる必要があった
精神疾患でも連れ添うと決めているなら
側にいるのが正しいと思っているなら
父が責任を持つべきなんだ
それを”家族”という言葉で
なんでもかんでもくくり
若くて動けるからといって下の世代に
上の世代の面倒を見ることが当たり前かのように
自分達の生活の世話を押しつけられるのは
もう耐えられなかった
面倒を見ることによって
本来学ばなきゃいけないこと
もっと大切な事へ向き合わなきゃいけない時間が奪われる
そう考え
親の面倒を見ている場合ではなかった
子が親の面倒を見る
この固定観念は昔はまかり通っていたかも知れないが
今の我が家ではもう通用しなかった
ただそれだけだった
最近私はいろんなものを手放し見捨てた
なんだか荒っぽい気もするが
これくらいのことをしないと
自分と親との間に境界線を引けないと気付いた
なんせ今まで気付かなかったわけで生きづらくもあった
でも少しずついろんなことをほぐすように
行動すると いとも簡単に楽になれた
私の悩み、問題の種はいつも両親
両親はいつも対処療法
お互いに根本に向き合わないため
私はそれを仕方のないものだと
半ば諦めていた
そう本当はこれでよかった
諦めてればよかった
これを自分事と捉えなければ問題にならなかった
そうやって割り切り
問題を私の中へ持ち込まれなければよかったのに
ついつい親のことに首を突っ込んでいた
今やっている考えること
これを思春期の時にしてこなかったため
ずるずる年月だけが過ぎて今
考える事余儀なくやらされている
きっと生きているうちに
学ばなきゃいけないことはちゃんと用意されていて
それをいつの段階で学ぶかの問題なんだろう
多くは思春期の時期に自分と親を分け
自分を確立していくんだろうが
私はそれをさせてもらえる環境になかった
今ようやく娘達と主人のサポートにより
そこへなおかつ
両親が年老いて弱って体勢が逆転したことがチャンスとなり
”今ここだ!”っと言わんばかりに
娘達に背中を押され
長年目を背けていたことのを
今いろんな形で学んでいる状態
まぁそんな感じ
私が何もかも投げ出し
我が家と両親との間に露骨に境界線を引き始めたから
かなり困惑しご立腹な父
70歳手前で孫は不当校児となり
実の娘は反抗期に入り
長年連れ添っている伴侶は
現実の変化に適応出来ず
精神疾患の症状が悪化
自分達が甘えすぎていたことに
無理矢理気付かされ
見放される孤独感を
ヒシヒシと感じながら見えない不安に追い込まれていた
でもこれは分けて考えるしかない
それこそ仕方ないこと
我が家では両親の夫婦関係を解消すればいいのでは
という答えしか最善策が思いつかない
母の精神疾患の症状が悪化する時は
決まって父が関係する
要するに未だに父にちゃんと自分の気持ちを打ち明けられない
母の考えを何一つ否定せずに聞いてくれる父ではない
ということを知っているので
本音を隠してしまう
そして母もいつの間にか自分の本音が分からなくなり
周りの顔色ばかり気にして自分の気持ちと向き合わない
私もそうだったのでよく分かる
でもそれでは前に進めない
絶対に現実は良くはならない
もう我が家は大人も子どもも
結局周りのご機嫌取りばかりして
自分をないがしろにしてきたため疲弊していた
そしてそれは絶対に幸せへとは繋がらない
この学びが一番の収穫だ
父は自分がいなければ母は生きていけないと
そう思い込んでいる
でも実際は父がいなくても生きていける
お金と世話をしてくれる人がいれば生きていけるんだ
残念だが父である必要はない
人なんてそんなものだ
だから母もそんなもんだ
だから我が家ではそんな両親を見て
一緒にいて苦しい相手となぜ一緒にいるの
どうして自分を押し殺してまで我慢し
一緒にいなればいけないの?
本当に生活出来ないの?
本当に生きていけないの?
究極生きていけないと思い込んでいるから
二人は離れられないし
離れようとしない
それはそれで一つの夫婦の形で別に問題はない
ただそう思うなら
なぜ仲良く夫婦関係を築こうと努力しない
互いに互いを受け止め
折り合いをつけて生きていこうとしない
小中学生の娘達にすらもうこれぐらいのこと理解出来る
そして理解してしまった上に
そのしわ寄せを受けていると分かったら
黙ってはいられない
結局両親は自分の理想や願望が全て正しいと思い込み
変わるのは相手だと思っている
そして相手が変わってくれるのを待っている
でももう分かってしまった
絶対に相手は変わらない
私が生まれて40年
変わった試しがない
これが答えだ
相手なんか気にせず
自分が変われば物事は簡単に動き出す
私は自分で体験済なので
このことがよく分かる
行動して変わり出すと
物事は少しずつ速度を増していき
そこへ時間も味方に付いく
行動した方が物事は解決する
少なくとも絡み合った関係は少しずつほぐれていく
現実父は洗ってもらえない洗濯物が溜まり
下着が底をついた頃
しぶしぶ洗濯機の使い方を尋ねてきた
やり方を覚えるために設定方法をスマホに撮り
記録する
出来ない事なんてない
やろうとしないだけ
やってみたら簡単
これが行動することによって体感した
そして行動するにつれ
できないという不安な気持ちは少しずつなくなり
自分でもできるという達成感に変わっていき
多少の疲労感はあるものの出来ないという不安は少し消えたよう
回数をこなすうちに見えない不安は少し解消され
私に頼らなくてもまだ自分達のことは自分達でやれるかもと
考えるようになった
不安を感じたら行動する
なんでもいいから体を少し動かす
そのちょっとした押し出しの気持ちさへ踏ん張れば
なんとかなる
たった数回の洗濯で
父は6人分の洗濯をしていた当時の私を労う言葉が出てきた
きっと知らなかったんだろう
どんな気持ちで家事をやっていたのか
だから今私の気持ちを学ぶ為に
洗濯という家事に取り組んでいるんだろう
年寄りだからといって
”可愛そう”という言葉で学ぶ機会を奪ってはいけない
娘達にしても両親にしても
生きると言うことは
自分のことを自分で守れるようになること
勉強なんかより自分を守る事を学んで欲しい
出来る者が何から何まで手助けして
学ぶ機会を取り上げてはいけない
そんな風に解釈するようになってから
問題は全て学びだと捉えられるようになり
心が軽くなった
罪悪感もなくなった
私は自分の持ちすぎた家事を一つずつ手放し
もとある場所に返している
ただそれだけのこと
というわけで両親に洗濯という家事を返したら
次は娘達にも洗濯という家事を返すことになった
娘達はたまに洗濯物をたたむ作業を手伝ってと頼むと
渋々だけど手伝ってはくれていた
でもその時から気になっていたよう
なぜ祖父母の分までやらなくちゃいけないんだろう
なぜ自分達が祖父母の分までという
違和感が強かったようで
我慢して仕方なく取り組んでいたとのこと
イヤイヤ取り組むから無駄に時間がかかったり
露骨に嫌な態度をとる
でも両親の洗濯物は両親に返したので
今度は誰の為でもない
自分の洗濯物を自分でやるということになった
これはこれで納得らしい
なぜなら自分の洗濯物だから
どんな干し方でも
どんなたたみ方でも
私は何も言わない
好きなようにやればいいという提案で
娘達の洗濯物は洗濯機に入れて回し干したたむという
一通りの作業を全て任せた
そしたら二人でなんだか楽しそうにやっている
二人分なので量も少ないし
季節的にそんなにかさばる服もないので
短時間で終わる
以前は6人分となれば一日に2,3回は洗濯機を回していた
たたむ作業だって結構時間もかかる
それが今では一日1回
なんと楽なこと😊
この方法 もっと早くから実行していれば良かった
家族みんなで家事に取り組めば
一つ一つの作業は簡単になり短時間で済む
効率は悪いかも知れないが
一人一人のストレスは減る
娘達は私を親の呪縛から解放させるために
生まれてきたのかしら?
ってそんなわけないか
でもとりあえず
抱えている荷物を少しずつ手放していく
この感覚はすごい!またもや娘達に感謝!