何を食べたかで人生が変わる  

毎日こころ豊かに グルテン・カゼインフリー 米粉・大豆粉・オートミールに助けられて生きている

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イベントには義務感しか感じられない 何も”ない”を学ぶ

★何もない日々を体験し”無”になっていく

先週学校が終業式を迎えた

一般的には子ども達は冬休みに突入

 

この”冬休み”という言葉も

娘達の担任の先生の電話連絡が来るまで

すっかり忘れていた

 

本当に久しぶりの電話

日常的に電話に出ない私が

珍しく受話器を取ると

担任の先生だった

 

次女の先生は小学生ということもあって

毎回様子を伺う程度

 

長女のことも一応知っているため

二人の状況確認をされる

 

特に変わりないと伝えると

それで会話は終了

 

そう別に変わりはない

学校に対しての心の変化はまったくない

 

というより

既に自分達が不登校児だということを

忘れている

 

学校へ行かない罪悪感もない

 

私達に見せていないだけかもしれないが

どう見ても罪悪感を抱えているようには見えない😅

 

娘達は毎日なんの変哲もない生活を送っている

本人達がそれを望んでいるのだから

それでいい

 

そして何も変わらない毎日を送っているため 

これといって先生に話せることがない

 

去年は次女の担任の先生も

ちょくちょく電話連絡をくれたり

家庭訪問に来てくれたりしていた

 

それなりに私と先生との間にも関係があり

その関係を私自身が楽しんでいた

 

可愛い若い先生でお友達感覚でいろいろ話していた

単純に楽しかった

 

専業主婦で日頃誰かとおしゃべりすることの少ない私にとって

先生との時間は貴重だった

 

でも今年からは違う

 

学校には単に所属しているだけなので

先生との関係はかなり希薄

 

所属しているだけの身で

先生達の大切な時間を奪うことには

気が引けた

 

それに先生達は親の私と会話がしたいわけではない

仕事として子どもの様子を伺いたいだけ

 

そんな風に考えたら

先生達と楽しく会話している場合ではない

 

学校へ行きたくても行けない子どもではない娘達

その娘達と親に先生の大切な時間を割くよりは

先生を必要としている子ども達に時間を割く方が有意義だ

 

そして私の時間も大切な時間

自分のために使いたい

 

先生との関係にこの先得られるものがないと感じたら

その時間を割く理由がわからなかった

 

メリット、デメリットというと大げさだが

1年間娘達の担任の先生方と連絡をこまめにとり

まぁまぁ良好な関係を築いてきたつもりだったが

学年が変わり担当が外れると学校の先生との関係は

”無”になる

 

それなりに楽しい時間を過ごしてきたが

きれいさっぱりなくなる

 

残ったのはちょっとした思い出

それも娘達の思い出と言うよりは

私の思い出・・・

 

もうこの時間はいらないかな

 

だから今年は学校とは縁をこちらから切っている状態なので

担任の先生との関係も必要以上に持たないと決めた

 

すると当然のように

所属しているだけの身なので

必要なことがほとんどない

連絡事項もほとんどない

 

まぁそんな感じなので

先生との関係は希薄

先生の顔も思い出せない

 

関係が増せば気遣いも増える

わざわざ自分で増やすことはない

これぐらいがちょうどいい

 

 

外の気温の下がり具合で冬が来たことは気付いていたが

学校という環境がないと

冬休み、クリスマス、年末年始

といった行事ごとは

頭の中からすっぽり抜け落ちてしまう

 

そして今年はすっかり抜け落ちてしまい

普通にクリスマスをすっぽかした

 

娘達はクリスマスだからと予定を立てるわけでもなく

クリスマスプレゼントの要求もしてこなかった

 

部屋にすらクリスマスのオーナメントを飾ることもなく

年に1回のお披露目を楽しみにしているオーナメント達は

誰の目にも触れず

クローゼットに眠ったまま

 

そして何も飾られない

普通の日としてクリスマスを過ごした

ただの普通の日として

 

娘達は何も気にせず普通に

『あっ今日、クリスマスなんだね』

って言うだけだった

 

ただ一番びっくりなのが

そのことに対して私が罪悪感を感じなかったこと

これが一番大きな発見だった

 

今までなら

家族の為に

娘達の為に

良い母親でいる為に

クリスマスを楽しく過ごさせなければ 

 

と どこか義務感と使命感みたいなものがあり

自分だけがんばってる

自分さえがんばればという思考でぐるぐるだった

 

応えてあげたいのに応えきれないもどかしさも多く

イライラに変わり自己否定が進む

 

この気持ちの解消方法を知らないために

自分で自分を追い詰めるから

イベント事はほとんど苦痛

 

いつもイヤイヤ取り組み

無理矢理楽しもうと努めていた

 

そんな感情を外に吐き出せない

言葉に出来ないのも苦しかった

 

面倒くさい

やりたくない

などといったことは言ってはいけない

親の私が口にしてはいけない

 

口に出したら娘達が悲しむというよりは

両親に怒られるといった感情の方が大きかった

 

どこまで行っても

いくつになっても両親

この存在が重荷だ

 

本人達がのしかかってくるというよりは

私の中で勝手に築いた固定観念がのしかかってくる

 

 

誰かと一緒にイベントをするのは楽しいが

家族の中で一緒に計画し

一緒に行動してくれる人はいなかったため

家族のイベント事は好きじゃない

 

一人で全てを計画し仕切るのなんて楽しいわけがない

でもそんなこと今まで言えなかった

主人に対してすら言えなかったんだ

 

主人はイベントに参加するのは比較的好きな方だが

自分が仕切る側に回るのは好きじゃない

 

主人の周りにはいつもなんやかんや世話を焼いてくれる人がいる

友達でも仕事仲間でも

 

だから自然とイベントを仕切る側には回らないため

やり方が分からないらしい

そのためそれを理由に家族のイベントはほぼ私に任せっきり

 

だから家族でも夫婦でも

行動を起すのは決まって私の役目

 

いつも出来る者がやればいい

その考えで生きてきた

 

そして家の中での出来る者と言えば

私しかいない

だから当然のように私が一人で動く

 

でもそれが納得いかなくて嫌だったんだ

これが正直な気持ちなんだ

 

私だって日々の生活で疲れはたまる

ゆっくりと休める日なんてそうそうない

 

精神的にも肉体的にも

そんなに余裕はない

 

だいたい

なんでこうも毎月のようにイベント事があるの?

 

正直 絶対必要なイベントって何?って疑いたくなる

 

そんなのないって分かっているのに・・・

やらないといけない気がする

このわけのわからない義務感が嫌いだ

 

だからこの義務感から逃げることにした

もう逃げていいんだってわかった

 

今では主人に胸の内を話せるようになった

というより

自分が勝手に自分の気持ちに蓋をしていただけで

主人が受け止めてくれないわけじゃなかった

吐き出してはいけないと自分で思い込んでいただけ

 

自分から動き出したくなるもの以外は

手を出さないと決めた

そう白状した

 

娘達と同様に気持ちを打ち明けると

『それでいいじゃん!』と言われた

 

なんだこんなものか

たいしたことないじゃん

これが答えだった

 

だから今年はクリスマスはやらなかった

お祝いしなかった

気にもしなかった

 

私の方から先回りして

あれこれ考えることは一切しなかった

もうその必要はなかった

 

そして親子の関係も何も変わらなかった

これでいいんだ

 

今までは強制されていたからやっていただけ

それが分かった

 

今年のクリスマスはなかったけど来年は分からない

もちろん全てのイベント事をなしにするわけじゃない

 

やりたいと思った時にはやる

やらなきゃという考えを手放しただけ

 

クリスマスは本当に楽しめる

楽しみたいって思える時まで

そっとしまっておくことにした

 

家族のイベント事がなくなっていくことは

なんだか寂しい気もするが

惰性で進める感情はストレスにしかならない

 

今は”無”になることが必要なんだと捉え

今は何もしないことを学んでいる!

 

何もしないとどうなるかを学ぶ

それが良いか悪いかではなく

どうなるかを体験する

 

立ち止まることが苦手な私には

やっぱり立ち止まって考える時間が必要

 

立ち止まると置いてかれると感じ不安になる

でも周りに流されて生きてても不安は感じる

 

なんだ

どちらでも不安は発生する

見えないものだから不安になる

 

だったら自分で選んだ方法で

不安と向き合いたい

 

何かしなければって思って義務感で生きるくらいなら

何もいらない

 

きっと本当に何もなくなり”無”になったとき

ようやく動き出せる気がする

 

というか動くんだよ

だって暇だもん

つまらんもん

 

だからその時までほったらかしにしておく

自分からやりたくなるまで

動きたくなるまで

 

なんだか娘達がこれといって行動を起さない気持ちが

分かってきたかも

 

私が今この気持ちを体験しているのは

娘達の状態を理解するためかもしれない

 

今まで娘達もいろんな義務感の中で生きてきた

それを今一つずつ手放し”無”になろうとしている

 

そして”無”になった時

ようやく自分の色を付けるために動き出すんだ

 

失うものもあるけど

失わなきゃ分からない事もある

 

その経験が必要だから体験させられている

必要なことなんだ

それなら体験して学ぶしかない

 

 

とりあえず年始の挨拶に

主人の実家に帰省するのを断った

 

毎年主人の実家に家族で帰省していたが

今度の年始は主人だけ帰省することになった

 

この提案も案外すんなり受け入れてもらえた

 

娘達も思春期で祖母の家に帰省しても大して楽しくない

という理由で行かないと言い出した

 

私も今はあまり仲良くないため

嫌いなわけではないが

行っても楽しめないと感じるため

私も行かないなと伝えると

”自分だけ帰るよ”って言ってくれた

 

その話をしても夫婦の空気感が悪くなることもなく

すんなり話はついた

 

私は今回の年末年始は心置きなくゆっくりする

日頃できないゲームに明け暮れるつもり😁

 

何もないことを怖がって

何かしなきゃって思い込んでたから

この思い込みを手放す

 

そして

何もない日々を大切に過ごそう

 

来年はもっともっといろんな事を手放し身軽になる

何もないことは怖いことじゃないって

体験したい

 

一度まっさらに真っ白にクリアにしたい

そして一から私なりの色をのせていき

私を作りあげたい

 

今更だが娘達と同じように自分を作りたい

 

来年はどんな一年にしようかな

あとちょっとで新しい年が来る

どんな風に毎日を送るか決めていかなきゃね!