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学校行事に楽しく参加できない娘達を通して 過去の自分を否定していたことに気付く

★娘達を通して過去の自分を否定する

今年の父の日は昨日

”6月18日”

 

次女の通う小学校では

前日の17日の土曜日に

父親参観日が行われた

 

朝,主人がウォーキングに出かけると

小学校のグラウンドに

沢山の人がいた

 

土曜日なのに?

 

何の行事があるのか想像がつかなかったようで

『今日学校で何かなるの?

沢山 人がいたよ』

と聞かれた

 

時期的に考えると父親参観日だろう

 

今年は小学校とほとんど連絡を取っていないため

月の予定表も受け取っていない

 

学校へ行かないので予定表は全くもって不要

だから

私の手元には学校の予定表がない

年間を通しての予定表もない

 

よって学校の行事やイベントは

何も把握していない

 

ただ時期的なことを考えれば大体想像はつく

6月の親子の行事といえば”父の日”の絡み”父親参観日”

 

主人に

『きっと、明日が父の日だから

父親参観日じゃないかな』と伝えると

 

主人はさらりと

『もう二度と参加しない行事だね』

って笑って言った

 

まぁ確かに二度と参加しない

 

でも そんなこと言ったら

参加しないのは父親参観日だけじゃない

授業参観、運動会、学習発表

これら全て

 

全てもう体験することはない

参加することはない

 

実際去年はどれも不参加だ

私的にはそのほうが気が楽

参加しなくてもいいっていうことのほうが

うれしくらい

 

ただ主人はちょっと違ったよう

 

次女と一緒に父親参観日に参加したい

っていう話ではない

ただ

この先全く参加できないってなると

それはそれでなんだか少し寂しいよう

 

なんでも義務にされると辛くなるが

できなくなるってなると

途端に恋しくなる

 

どこかちょっと寂しげな感じ

 

娘達と私は至ってなんとも思っていない

どちらかと言えば

せいせいしているくらい

 

次女曰く

『学校の行事は学校側のパフォーマンスでしょ!』

『そんなことに付き合わされるこっちの身にもなってよ』

だそうです

 

クールだ

そしてかなり冷めてる

 

これっぽちも

名残惜しくない

 

そうなの

娘達は学校の行事が嫌い

 

学校も嫌いだけど

学校の行事も嫌い

 

よくよく思い返したら

娘達が学校の行事で楽しんでいる姿って

ほとんど見たことない

 

これが親としては また切ないんだ

あんな顔されるくらいなら

学校行事なんてなくていいのにって

私は思ってしまう

 

主人はどちらと言えば

素直にその場を楽しんじゃうタイプ

 

娘達が一緒なら

どこでもなんでも楽しめちゃうんだよね

うらやましい限り

 

私はどちらかと言えば

娘達の気持ちに目が向きやすく

感情を重ねやすいため

楽しんで欲しいと願ってしまい空回り

最悪なときはご機嫌を取ろうとする

 

だけどご機嫌の取り方が下手くそだから

最終的に目を背けてしまう始末

 

行事ごとになると娘達はだいたい不機嫌か

テンションが下がる

 

長女は心配事が増えモジモジになる

 

次女なんかはいつもふくれっ面

めっちゃご機嫌斜め

 

こいつ

可愛い顔だから超こわい😱

 

思わず周りの目を気にしてしまうほど

ご立腹な表情に

私がヤキモキさせられる

 

これは小学校だけでなく

幼稚園の時から

いつもそう

 

大人が参加する行事は特に嫌い

緊張とか不安ではなく

とりあえずイライラしてる

なんでそんなにご機嫌ななめなわけって聞きたくなる

 

次女曰く

『親がなぜ幼稚園や学校へ来るの?

自分の子どもにはいつも家で会ってるでしょ!』

という言い分で

いつも不満を漏らしていたっけ

 

次女にとっては

いつもと違う雰囲気

 

大人が居ることで

周りのお友達のテンションが落ち着かなくなることも

イライラするポイント

 

大声でわめいたり

ガヤガヤした音が耳障りだと

よく怒っていた

 

小さな体の子どもにはいつもと違う環境は

居心地が悪く

また大きな音は不快

 

だから

次女にとっては行事全般 受けつけなかった

 

そしてそんな不機嫌な姿を

私や主人に見られたくないという気持ちもあったようで

いつも行事の参加を嫌がった

 

そんな次女の気持ちが全く理解ができなかったわけじゃないので

可能な限り不参加を選んだ

 

次女が自分の意思を主張し

それが受け入れられることが分かると

長女も同じように自分の気持ちを言い始めた

 

長女も似た思いを持っていた

ただおとなしく優しい分

ずっと我慢してた

 

私に学校へ来ないでって言いたいけど

言ったらダメかな

言ったらイヤな顔するかな

がっかりするかな

 

いろんな気持ちが交差し

上手く伝えられないため

言わなかった

 

でも次女が先頭を切って自己主張してくれたおかげで

言いやすくなったんだろう

長女も同じことを言い始めるようになった

 

3人とも人の顔色をよく伺う

本当似た親子だな😌

 

 

私は周りに無難に合わせることを優先していた

どこかでみんなと同じように

普通の感覚で生きて欲しいと望んでいた

 

だからみんなが参加して

楽しんでいることには

娘達も参加して楽しんでもらいたいと

考えていた

 

とがった性格に

協調性のない私は

周りと合わせることが苦手

 

それでイヤな思いも寂しい思いも沢山してきた

だから余計に普通を望んでた

その方が楽に生きられると思っていたから

 

自分の性格は棚に上げて

娘達には

私のようにはなって欲しくないと考え過ぎていた

 

いくら願っても

結局親子だもんね

 

私と同じように

周りと合わせるのが好きじゃない性格に育っていても

不思議じゃない

 

親が親なら

子も子

だって私が育ててきたんだ・・・

 

でも今回娘達の事を思い出して

自分に置き換えて考えてみたら

気付いてしまった

 

私は娘達を通して過去の自分を否定し続けていた

常に自己否定していたんだ

 

本当なんでこんなに自己否定するのかな?

もう少し自分の事認めてあげてもいいのにね

 

まぁ仕方ないか

親から認められて育っていなければ

自分で自分のことを肯定するなんて

そうそうできっこない

 

みんなと同じように感じ楽しめない娘達を心配し

同じようにできないと後々辛い思いをするからと先回りし

娘達を思いやってきた

 

そんな風に自分を正当化して

正しいと思い込んでいた

でも本当は違ってた

 

自分が辛い思いをしてきて

そしてなおかつそんな自分が悪いんだと思い込んでる

 

協調性のない自分

周りとうまくやれない自分

そんな自分が悪い

 

そうやって娘達を通して

自分に制限をしていた

 

周りと上手くやらなきゃいけないんだよ

上手に立ち回らないと息苦しいだよ

しっかり周りに合わせるんだよ ってね

 

そうやって過去の自分を

ずっと否定しているんだ

 

そして同じようにならない為に

娘達にあれこれ指示をする

過干渉

 

娘達を見ているようで

自分の幼い頃をずっと見ていた

ずっと投影されていた

 

私が見ていたのは娘達じゃなくて

自分なんだ

 

そんなことにようやく気付いた

 

私はずっと娘達を通してダメな自分を見ていて

その自分を今の今まで否定し続けていた

そして

肝心の娘達を見ていなかったことに

気付いてしまった

 

なんだそうか

娘達を心配していたわけじゃなくて

自分が心配だったんだ

 

どこまでいっても自分が一番なんだね

心は正直です

 

そしてそこを認めるのが苦手だから

いっつも自分と娘達とをすり替えちゃう

 

やれやれ

 

でもこうやって

心の整理

思考の整理をすると

自然と落ちつく

 

自分の隠れた気持ち

考え方に触れると落ち着く

 

なんだそうな風に思ってたんだ

これだけのことなんだけど

分かってもらえた感が

心地いい

 

きっと自分の中の幼い私が

ずっと気付いてもらいたくてうずづずしていたんだろうな

 

私だって学校が嫌い

いろんな感情があって

理由は違うけど

娘達と同様 学校が嫌い

 

母親だからってその気持ちを誤魔化す必要はない

嫌いなものは嫌いなんだ

合わないものは合わないんだ

 

合わせられないからってダメじゃないんだ

強調性がない人がいたっていい

いろんな人がいたっていい

 

それなら私だっていいんだよね

 

きっと何度も娘達を通して

問題という形で現れていたんだと思う

でも自分と向き合う習慣がなかったため

ずっとスルーされてきた

 

でも今回主人の何気ない一言で

ここまで考えられた

またまた自分に気づけた

ラッキー★

 

何がどうサインとして転がっているかわからない

ちょっとした事が考えるきっかけになる

 

さてさてあの頃の自分になんて声をかける

どう慰める???

 

答えは簡単

 

あの時はあの時で精一杯だったんだ

合わせられないのはそれなりに理由がある

 

上手くやれなくても大丈夫

とがった私も強調性がない私も

別に悪くない

 

あの時の私がいるから

今こうやってみんなと違う生き方を選択した娘達を

不登校の娘達を面白がれて受け入れられている

 

かっこいい娘達だって胸張って言える

みんなと違っていいって言える

 

別に無理はしていない

 

過去の自分がどこかで活かされる

今がその時なんだ

 

あの時も今もこの先も

私のままでいい

 

自分だけはそう言って認めてあげなきゃね

自分だけはちゃんと肯定してあげなきゃね

 

今回それを学ぶ必要があったんだ

 

そして今度はこの肯定する姿を娘達に伝授できれば

私の過去はさらに活かされ

ラッキーになれる🎶

 

絶対に自分のことだけは否定しちゃだめだね

これさえできればなんとかなる!