何を食べたかで人生が変わる  

毎日こころ豊かに グルテン・カゼインフリー 米粉・大豆粉・オートミールに助けられて生きている

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家族の負担を減らすため外に助けを求めたっていいじゃん

★家族のことをすべて家族で面倒見るなんて・・・

食事って本当にめんどくさい

献立を考えて材料を調達して

下準備して作る

そして後片付け・・・

家族の為とは言え

終わりのない作業

 

自分でやると決めればそんなに苦じゃない

でも自分の意思と反してやらされていると感じたら

もう苦痛でしかなかった

 

できるできないの問題じゃない

やりたくないんだ

 

 

今までほとんどキッチンに立ったことのない父にとって

毎日の食事の用意はかなりの負担だった

見ていてかわいそうな気もする

本当に心の底から母の為に

料理をしたいと思っていれば問題ない

でも実際は違う

 

母が入院している間に

母の為にもこれからの生活のためにも

自分が主夫をやると言い

家事をするんだと決意した父

 

でもどこかで自分の気持ちをねじ曲げ

無理をしていたためすぐに音を上げてしまった

 

母が退院をして母の食事を毎日用意しているうちに

日に日に疲労が蓄積し

自分の気持ちをだましながら生きているせいか

イライラが募っていった

 

そして今までと同様

退院してまださほど回復していない母に

自分がこれだけ頑張っているのに

気持ちが通じていない

なぜ良くならないんだ

 

母との生活に不安が募り

心が回復しない母にまた八つ当たりをしている

そしてそのとばっちりが娘達にも・・・

本当どうしようもない・・・

 

それでも私はシカとするしかない

手を出せばまた知らず知らずのうちに

引きずり込まれる

自分の首を絞めかねない

関わらないことが一番だった

 

とは言え娘達に被害が及ぶのは黙っていられない

主人と相談しどうしたら父の負担が減らせるか考えた

 

確かに仕事をしている父にとって

毎日の食事の買い出しと調理は負担が大きすぎる気はした

でも私から言わせれば病気に逃げてきた報いだとしか言いようがない

正直ざまぁみろと言いたいところだった

 

でも一応そばにいるので

なるべく双方が平穏に生活できるスタイルを探す必要があった

 

私に負担がこない方法

これをベースに考えた

 

考えた結果

外部に委託するのが一番だと考えた

 

母的にも家事の中で一番苦手な食事の支度

これをやらなくても生活が成り立つ

この仕組みを用意してあげることが

元の生活に戻るきっかっけになる気がした

自室に引きこもらなくてもいいようになる気がした

 

食事を作りたくないから引きこもっているなら

食事を作らなくてもいい環境を提供すればいい

そう考えた

 

父にとっても毎日買い出しに行く必要もなくなる

あれこれ考える必要もない

足らない分だけを補う程度に料理をすればいい

 

お金ならある

外部に委託できないほど貧乏でもない

それにスーパーのお惣菜を買ってるぐらいなら大して変わらない

時間と労力を考えればお金で解決できる事は

お金で解決させた方が簡単

 

自分達の生活を楽に快適に送れるようにするためなら

そのお金の使い方は有意義だと思った

 

今まではなんでも家族の中で助け合う

それが理想でそうするべきだと教育されてきた

家庭の事は家庭の中で解決すべき

外へは持ち出さない

そんな暗黙のルールが我が家にはあり

みんながそれぞれ黙って耐えていた

 

でももうその必要はない

自分でできないことはできる人の力を借りよう

全てを家族でやらなきゃいけない理由はない

 

普通にみんなできないことは外に助けを求めている

私達だって助けを求めたらいいんだ

それはみっともないことでも

かっこ悪いことでもない

 

それが分かるようになった

 

今まで不得意なことできないこと

やりたくないことがあっても

できないと将来困る

やれないなんておかしいと言われ

すべて自分でやらなければと考えていた

それがとても苦しかった

 

外はみんな敵だらけで

自分の事は自分でなんとかしなければいけない

誰も私なんか助けてくれない

そう思って生きてきた

 

でも現実は違った

ただ自分が助けを求めなかっただけ

一匹オオカミになってただけ

 

家族のためにと無理矢理やらされ

だけど病気を盾にいろんな事を放棄してきた母

その母と私の立場の違いを私は不公平としか受け取れなかった

私は自己犠牲が当たり前の家庭で育ってきた

その違和感に気付きながらも逃げ出せず

ずっと我慢してきた

 

もう周りからどう思われてもいい

年老いてきて助けを必要としている両親をシカとするなんて

って思われるかもしれないが

他人はたいして私達の事なんて気にしない

気にするのは親だけだ

ほかっておけばいい

 

お金はあるけど

自分たちでは身の回りのことができない

それなら外に助けを求めたら良い

今はいろんな事が仕事として成り立って

みんながそれぞれの力を出し合って助け合っている

 

単純に助けてもらえば良い

家族で全てやらなきゃいけないなんてもう時代遅れだ

私がイヤだと言っているんだ

娘を助けると思って外部に助けを求めてくれ

 

それを得意とする人達は自分たちのできることで

お金をもらいたいんだ

みんなで助け合ったらいいじゃん

 

というわけで

父の理想の家族とはほど遠い家庭になってきたが

母も外部の力を借りる提案は了承してくれたので

食事は外部にお願いすることにした

 

父と母は完全なグルテンカゼインフリー生活ではない

だから普通に外の食事が食べられる

いつも利用している生協に

夕食宅配というシステムがあることを知ったので

そこへお願いすることにした

 

《コープの夕食宅配》

コープ・生協のお弁当・夕食宅配とは | コープ・生協のお弁当宅配

生協組合員であればすぐに利用登録の手続きが受けられる

組合員でなければまずは出資金1,000円を預け組合員になってからし

利用登録ができないのでまずは組合員になること

そしたら利用可能になり利用登録ができる

 

実際に利用開始するには2週間ほどタイムラグがあった

連絡して利用登録してもすぐには届けてもらえないので

始めるなら早めに連絡したほうがいいなと思った

 

我が家は踏み切るまでに時間がかかり

実際に開始するまでに結構時間がかかってしまった

内容の問題というよりは家族間の問題で

利用手続きが進められなかった

 

夕食宅配にはお弁当コースとおかずコースの2種類がある

お弁当コースは1食税込み572円 5日分で税込み2,860円

おかずコースは1食税込み626円 5日分で税込み3,130円

 

どちらも配送料込み

毎日日替わりで正午から午後6までの間に届けてくれる

我が家は大体14時に届く

発泡スチロールの箱にお弁当と保冷剤が入った状態で

届けられる

届けられる発泡スチロールの箱

これを玄関先で受け取りお弁当を冷蔵庫に保管し

夕食時にレンジで温めて頂く

 

内容はこんな感じ

夕食宅配 おかずコース


栄養士さんが地産地消を心がけて献立を作っているようで

毎回可愛らしい内容になっている

結構野菜中心

 

母はこのお弁当と白米とお味噌汁で十分

父にとってはちょっと物足りないらしい

このお弁当に私が作り置きしているサラダをプラスする

そしてお弁当のタンパク質が少ないと言い

惣菜を足したりお肉を買ってきてソテーしたりと

さらにプラスする

 

でも結局プラスするのもだんだんと面倒になり

最終的には私のサラダとお弁当

そして白米にお味噌汁で頂いている

 

お弁当箱は中のトレイを処分するだけ

洗う必要はなく

発泡スチロールの箱にそのまま入れて翌日に返却

新しいお弁当を受け取るときに交換する形で返却する

 

父は最初このお弁当の内容で626円は高いと言った

正直この言葉にはムカついた

 

栄養士によって考えられたお弁当

毎日手作りで作ってもらえて

玄関先まで届けてもらう

お弁当の箱も用意されお弁当箱も洗わず返却

 

いろんな人達が関わって作られているお弁当

この価格で食事を提供してもらえるのは

本当にありがたいことなのに

なんてこと言うんだ

 

私が食事を作ればかかるのは食費、材料費だけ

その方が安いと思ったんだろう

なんだかムカっとしてしまった

 

人をなめていると感じた

主婦をなめてると感じた

家事をすること食事をすることは当たり前で

家族がすればタダだなのに

そんなものにお金を払うのかとでも言いたげだった

いやそう聞こえた

 

だから絶対に『高いね』とは言わなかった

高いねなんて言ったら

私にまた役が回ってくる

完全なるシカとで対応した

 

私を無価値な存在に育て上げるのは父だ

やるのが当たり前で価値を見いだされずに育ってきたため

私がやることに大して価値はつかない

そう思い込んでいた

思ってしまうんだと感じた

 

家事をやらない人にとっては

家事労働がどれぐらいの対価なのか

どれくらい大変なのかなんて

きっと分からない

 

こんなことはどの場面においても同じ

 

そう思ったら自分の価値は自分で決めるのが一番

誰かに決められるんではなくて自分が自分に価値をつければいい

 

まずは小さな事から

今日はいろんな場所を掃除できたね

今日は手際よく料理ができたね

今日は元気なかったけどなんとか一日過ごせたね

 

そうやって自分で自分にOKサインをだそう

どんな自分でもOKって

 

そして手放せるものはどんどん手放そう

手放して身軽になったら

自分のやりたいことをやる

もう親の食事なんて作りたくない やらなきゃいけない理由なんてない!

★今までの親子関係がついに爆発した

両親の世話を手放す=食事の用意をやめること

私にとってこれが一番大きな問題

 

もう作らなきゃいけないという現実に違和感しかない

自分の気持ちが分かるようになり

自分の気持ちを認めたら

怒りの感情が溢れてきて止まらなかった

 

なんで私がやらなくちゃいけないんだ

その思いしかなかった

 

母が精神疾患だから食事の用意ができない

そこへ娘がいて娘は食事が作れる

だから食事は娘の私が作る

 

同居した当初はお互い助け合いのはずだった

でもいつの間にか精神疾患という名の盾を使い

イヤなことを全て押しつけて逃げた母

 

産後で体も精神も疲れているとき

子どもが小さくて手がかかるとき

体調不良で家事をするのも大変だったとき

少しだけでも助けて欲しかった

 

そう思っても自分の病気に逃げこむ母

頼んでもやれないと分かれば頼むことすらできなくなる

 

そう私が周りに助けを求められないのは

助けを求めても助けてくれなかった父と母の姿

こればかり見てきたせい

だからいつも自分では持ちきれない荷物を

持たなければと考えてしまう

 

まぁ両親的にはそんなつもりはないかもしれないが

私はそう思うようになっていった

 

病気を理由に私に押しつけていた

そしてその姿を父は傍観するだけ

私に頑張っているなと声はかけても

助けてはくれなかった

 

母のうつ病を理由に家事をすべて私に押しつけ

病気を盾に現実逃避していた両親の為に

なぜ私が自分の時間を割いてまで

やりたくもない両親の食事の用意をしなければならない

いつまでも甘えているんじゃない

そんな怒りしかなかった

 

今まで自分たちが私にしてきた事を棚に上げ

今まで散々自分たちは甘えてきて

それが老いと共に不安になったからと言って

何だって言うんだ

 

自分たちの責任は自分たちで持ったらいい

それの何が冷たいんだ

何が薄情なんだ

子は親の奴隷ではない

自分たちがそう感じていなくても

私はそう感じているんだ

 

そう思わずにはいられなかった

 

自分たちが今の私と同じ頃

すでに母は精神疾患でそして子どもの私を抱えていた

その生活大変だったでしょ

そのとき自分たちは自分たちの生活に追われていて

自分たちの事で精一杯だったでしょ

そして自分たちの両親の面倒なんて見てこなかったよね

 

だから私には両親の面倒見ることはスタンダードではない

そもそも当たり前ではない

 

因果応報とは言ったもので

自分が蒔いた種は自分で刈り取るしかない

母がしてきたことは同じように母に帰るんだ

間違っても自分の都合の良いようには人は動かない

娘の私でも同じこと

今までそれに気付かなかっただけのこと

もう気付いた

私は私だ

 

 

私は料理は嫌いじゃない

でもグルテンカゼインフリー生活

そしてファスティング生活というのもあって

食事はかなり普通ではない

 

私も主人も娘達もある程度の時間は決まってはいるが

おのおの自分たちのおなかの空き具合で食事がスタートする

もう無理に誰かに合わせることはしない

 

食べる内容も少しずつ違うので

作る品数自体はちょっと多いが

パターン化してしまっているので

そんなに難しくはない

 

一日で食べる量も回数も少ないことから

作る量自体は3食よりはだいぶ減った

 

娘達とは少し摂取する栄養素が異なるため

用意する品数は多いが成長期の娘達のため

これは私の役目なので不満でも何でもない

 

ただそこへ両親の食事を用意することは

負担でしかなくストレスでしかなかった

たぶん心の苛立ち、ストレスの方が半端ないから

もうどうしようもない・・・

 

最初私達と同じ内容の食事でいいと言うが

そういう訳にもいかない

なんとなくいろいろ考えてしまう

 

それは母がいつも父に食事のダメ出しをされているのを

見たり聞いたりしていたせいだろう

作る料理にジャッジが入るため神経を使う

それが極端に両親の顔色を気にしてしまう理由

 

どれだけ品数が多くても

美味しいと言われなければ一品にカウントされない

そんな恐怖感のなか今まで用意していた

 

我が家は固定されたレパートリーの中から献立を考える

娘達は好きな物は何度でも食べられるが

慣れ親しんでいない料理

味に記憶がないものはなかなか受け入れない

 

これは子どもに多いパターンで

どんな美味しい料理よりも

慣れ親しんだ母の味が一番いい

美味しいというより安心が勝つということ

 

だから同じメニューが一週間に2回出されても問題ない

連日でなければOK

そんなハードルが低いのに対して両親への食事は真逆だった

 

よく分からない高いハードル

食事にうるさい人への料理は恐怖しかなかった

だからこの恐怖感からの解放は本当にうれしかった

 

娘達や主人が何も文句言わないわけではないが

そんなに口やかましくもない

味をミスった時には『ごめんね~』っと一言

またはたとえ口に合わなかったとしても

そんな時もあるよね~ぐらいの感覚

大して気にならなくなりイライラしなくなった

 

気になるのは親の顔色で家族の顔色じゃない

次ミスしないように気をつければいい

というより娘達に味を決めてもらえばいいと切り替えた

そしてあまり気にしないようしている

 

我が家は誰も怒らないし誰も責め立てない

自分の見てきた景色と比較すると本当に穏やかな家族だ

 

次女はたとえミスをしても『ドンマイ』って言ってくれる

これがどんなに安心なことか

いつもはできるんだけどたまにミスしたり

あれなんでミスった?っていう時は誰だってある

そんな時は次女に見習って『ドンマイ』って言うことにした

 

そしたら自分責めが減り

娘達へのイライラも減った

 

私が自分責めをするたびに

私は娘達を責めていたのかもしれない

 

子は親の鏡だ

娘達の状態が私の状態

私が自分を大切に思わなければ

私は娘達を大切には思えないと言うこと

 

とりあえず両親達の食事は全面的には放棄はしていないが

メインとなる料理の用意は放棄させてもらった

 

 

そこで母が退院してから一週間ほどは父が二人分の食事の用意をした

心を入れ替えたのか3食母の食事を用意した

 

朝は6時に起床し卵とウインナーそしてサラダ

白いご飯に前日のお味噌汁

簡単だけど父なりにできる限りの朝ご飯を用意する

 

昼は前日に助六やお惣菜を買って冷蔵庫にストック

それを好きなように母が食べる

 

夜は二人分を用意 お肉の野菜炒めやお惣菜

魚などを焼いたりといろいろトライしていた

 

母は最初父の作る料理を食べられなかった

でもそんなこと言ってられない

私がシカと状態のため致し方なく父のご飯を食べていた

 

調理している様子を見なければ

なんとか食べられると自覚したようで

最初はなんやかんや事が運んでいた

 

でも一週間もすると父はその生活に疲労を感じたんだろう

慣れない家事に買い物、毎食の献立

料理をするだけでも結構頭を使う

慣れない人にとってはかなり負担が大きい

 

本来自分のやることではない

母がやるべき事を一心に背負ってしまった

そこで出てきたのが不満

 

なぜ自分だけがこんなに我慢しながら

頑張っているんだろう

なぜ自分は外へ働きに行きながらも食事の用意をしているんだろう

なぜこの年になってこんなに大変な事をしているんだ

そんな思いがふつふつ沸いてきて

ブツブツ文句を言う日が増えていった

 

思わず私と主人は笑ってしまった

たった一週間で音を上げる

あれだけ家族家族と言いながら

母が退院してきたら自分が主夫になると

張り切っていたのに・・・

自分のパートナーの世話すらできない

 

仕事しかしてきてない人はこういう時本当困る

いくつになっても何にもできないなんて・・・

 

今からでもいい家事を学んでくれ

今は100年時代

まだまだ長生きしたいんであれば自活しろ

自分と母の身の回りの世話くらい自分たちでやれ

生きていたいなら自分達の力で生活しろ

必要なのはお金じゃない

生活力だ

 

残念ながら今の私はお金をあげると言われても

親の面倒を見ることはイヤだった

それくらいの嫌悪感がずっと残っている

まだ薄れてはいかない・・・

 

だからもう父にも母にも逃げ場はなかった

今まで散々支配してきた為

今自分達にその仕返しが帰ってきている

しかと受け止めてくれ

 

私はただただ冷たい顔をしてスルーするのみ

愚痴を言おうが何をしようがかまわない

もう怖くない

私は親の面倒を見るために同居しているわけじゃない

私は親の世話をするために生まれてきたわけじゃない

 

私が親に縛られていてはいずれ娘達をも私は縛り付けてしまう

だから私は親に縛られるわけにはいかない

 

そして娘達にも縛られないよう

娘達とも適切に距離を置くことを心がけている

 

親が与える影響

良いことを与えられれば問題ないんだけど

これだけ悪い環境が目の前にありすぎると

とりあえず何も影響を与えませんようにって願ってしまう

子どものために反抗期を迎える 親が未経験のものは理解しにくい

★自分と両親そして娘のために40代での自立と反抗

40歳を過ぎてようやく反抗期を迎えた

ちょっと意味不明・・・

 

実は私は親から自立もできていなければ

反抗期という経験もしていない

 

母が精神疾患

父は過干渉で子どもの頃はとても怖い存在

支配的というべきなのかな

そんな親のもとで育ってきたので

自分の意思など持たずに成長してきた私は

思春期に本来みんなが経験するような反抗期を迎えていなかった

 

私自身親に多少の抵抗はしたことはあったが

すぐに父に言いくるめられ

言い返すこともできず

自分の意思と行動を実行することはなかった

 

それが今思えば食生活から自立が始まった

そして娘達の不登校により家庭環境の問題

愛着障害を学び母と父と自分の愛着問題を理解し

今変わろうとしている

 

母の精神疾患の原因は母自身が選んでいること

そう理解すると今までのようにはいかなくなった

今までのような親に従順な娘ではいられなくなった

 

そして従順な娘ではなくなったことが両親的には

かなりの打撃となった

 

大人の反抗期は子どもの反抗期の3倍

スクールカウンセラーはそう教えてくれた

だから両親にとっては今がかなり辛い時期なんだとか・・・

 

母にとっては今まで娘は自分の分身のようなもの

自分の手足となって動いていたもの

それが自分の意思では動かせなくなった

自分の手足を引きちぎられるような

切り落とされるような感覚

激痛を伴っている状態

 

母自身が今まで私をコントロール

私を自分の身代わりにしていた

それができなくなり身動きが取れなくなり

生活すらままならない

 

だからといって私がそれを可愛そうだとか感じる必要はなく

本来思春期の時に受け入れるはずだった反抗期

父の権力と母の精神疾患が理由で

安心して反抗期を迎えさせてもらえなかった

 

それは私の責任ではない

仕方ないことと割り切れば良い

そして今からでも

私は自分の反抗期を必要な経験だと受け止めている

 

スクールカウンセラーは笑って

『ちゃんと反抗しなさい』と言う

いくらでもぶつかり合えば良いんだよ

衝突してちゃんと反抗しなきゃだめ!

そうやって傷つかないかぎり親は子を自分とは違うんだ

子は別人格なんだと認識できないもの

 

辛いかもしれないが

親は子を簡単には自分とは違うとは理解できないもの

だから頑張って反抗しなさいと言う

 

スクールカウンセラーはいつも私の背中を押してくれる

 

私には主人と娘達とそしてスクールカウンセラーという安全基地がある

だからどんな結果になろうともちゃんと反抗しきろうと決めた

 

というわけで今私は大人の反抗期を迎えている

もう親の言いなりにはならない

親の面倒はみないし世話もしない

親の世話自体もスクールカウンセラーは放棄していいよ

と言ってくれる

 

今はいろんな外部の力がある

それらを利用すれば良い

親子だからって子が全て背負う必要はない

無理すれば共倒れになるだけ

 

まして私には娘達がいる

私の世話を助けを必要としているのは娘達

ここを最優先するべきだとアドバイスしてくれた

 

私には家族があり主人も娘達もいる

なのに潜在意識の中に一番優先するべき相手が

無意識の中で両親になっていた

 

だからこれでもかって言うくらい意識して

両親の存在を手放さなければ流されてしまう

 

スクールカウンセラーとのやりとりで

私の中に芽生えた決心

私は私の考えで生きていく

これを父に宣言した

 

そしてこれからは自分たち夫婦で協力して生きる方法を

探してください

一つ屋根の下で生活しているが

別の家族だと思って生きてくださいと説明するしかなかった

 

でもやっぱりそばに居ると

なかなか気持ちが安定しない

かなり弱気になっている両親のそばにいるのは

しんどい

自分の気持ちが流されそうになる

 

さすがにいろんな事が立て続けに明らかになり

変化について行けてない父と母

今までのようにな支配的な姿はあまり見られなくなった

 

私に愚痴や不満がこぼせなくなると

娘達にこぼすようになり

娘達も距離を置くようになった

 

ネガティブなオーラバンバンの人の側には

誰も寄りつかない

家族でもそれは同じ事

 

こっちまでネガティブになってしまう

だから全面的に距離を置きたい・・・

これが私の真の気持ちだった

 

何度も家を出ようと娘達に相談するが

現実的にはそう簡単ではなかった

 

三女(猫)もいるのでどう生活の場所を変えたら良いのかも分からない

私は家を出たい気持ちが強かったが

主人と娘達はそこまでは考えていなかったため

実行はされなかった

 

結局家庭内分裂ぐらいが関の山

私は徹底的に両親をシカとした

 

それは親に流されないための抵抗だった

どこかで情けが出てくる

少しなら手伝っても良いかなって気も起きてくる

でも一度手伝えばまた振り出しに戻ってしまう

 

私が本当に前の関係に戻りたいなら問題ないが

一時的な感情 

同情で手を出すのは自分の首を苦しめるだけだと思い

ひたすら目を伏せた

視界に入れないように努力した

 

そして手伝えば両親も現実からまた逃げてしまう

両親自体の自立の機会も奪ってしまうことにもなるため

 

二人が二人で家事をやらざる終えない状況

二人が二人の事を考えなければいけない状況を作り出す必要があった

 

誰でも自立しようとする時はそれなりに大変

不安に負けそうになり踏みとどまってしまうのも

無理はない

でも踏みとどまっていては何も変わらないし変われない

 

その状態を望んでいるならそのままでいればいい

私はそんな様子を黙って見守るしかない

そこに不安や心配を想像するとどうしても

要らぬ世話を焼いてしまう

 

でもそれは自立の邪魔でしかない

それは親であれ子であれ同じだ

ぐっと見守るしかない

 

そう私達親子は互いに自立していないダメダメ親子

その影響で娘達にもしわ寄せがきた以上黙ってはいられない

両親には何が何でも自立してもらわなければいけない

 

そのためにも私はちゃんと反抗期を終えなければいけない

反抗しきって私自身も親から自立しなければいけない

 

自分が今感じている憎悪感

それは長年の感情の爆発でかなり重たい

これを私自身がしっかりと受け止めないと

今後娘達の成長に関わると思った

 

要するに

私が反抗期を経験してないと娘達の反抗期が分からない

理解してあげられない

 

実は私が反抗期を迎えてないのは

私の両親が互いに反抗期を迎えていなかったからだ

 

私がスクールカウンセラーからのアドバイスを父に話すと

父は反抗期自体を理解できなかった

自分たちの時代にはみんなそんな反抗期なんてなかった

親の言われたとおりに生きてきて

親に刃向かうなんてことはなかった

それが普通だったと言う

 

正直父の年代の人達が皆反抗期を経験してないのかどうかまでは分からないが

父は自分はそういった経験はなく

それが当たり前、普通だと思っていたよう

 

そういつだって親のレールを走ってきた

親に認めてもらうために生きてきた人だ

親に暴言を吐いたり自分の考えを押し通したり

文句を言って反抗したりなどはしてこなかった

でもそれだといつまでも親の中で生きていることになる

 

私の今までの反抗期のイメージは

暴言を吐いたり親の言うことを聞かなかったり

目上の人の意見に反発したりすること

私の時代だと不良やヤンキーみたいな感じ

でも素行や身なりだけでは無意味

 

今の私の反抗期の定義は

自分と親とは違う人間で

別人格だと認めること

そして

自分の力で生きていることを体験し実感すること

これが最終目的なように感じた

いわゆるそれが自立なのかな

 

親に依存しなくても

誰に依存しなくても

自分の力で生きていける

これを実感できることが必要

言い換えれば

これを体験していないと自分を信じられない

自分を肯定できないんだ

 

結果親が反抗期を迎えきちんと反抗を終えて

親と子は別人格だと認め自分自身を理解し自分を受け入れないことには

反抗期を終えたことにはならない

そうなると自分の子の反抗期を受け入れることも理解することも難しい

 

どこまで行っても親は子を自分の所有物と勘違いする

そしてコントロールしようとしてしまう

それは意識的ではなく無意識のうちにそうなってしまう

 

そのことを知った私は反抗期を適当に流してしまっては

先に進めない

娘達が自立したいときに適切に自立をサポートしてあげられない

なんなら阻害してしまう恐れがあると想像できる

 

よって私は自分の為にも両親の為にも

そしてこれから反抗期を迎える娘達の為にも

反抗しきらなければならない

 

表向きは両親を傷つける形になるかもしれないが

きっとみんなが自分らしく自分の人生を生きていけると

信じてる

精神疾患の母は自分の目的の為に精神を患っている

★家事をやりたくないから母はうつ病という生き方を選択している

母は入院するときも退院するときも突然

そして入院してから約一月後

突然主治医から『明日退院します』と告げられた

 

私はその知らせを聞いた時何も言えなかった

電話越しに父に伝えられ

『よろしく頼むな』と言われた

 

頼むって何を?

だから私は何もしないって言ったよね

助けないし手伝わない、そう言ったよね

 

一体何を頼むんだ

一体私に何を押しつけようとしているんだ

 

相変わらず父は自分では抱えきれない不安を

押しつけようとする

どこまで情けないんだ

 

でもそこは頑なに拒否した

私は何もしない

自分たちで自分たちの出来る範囲の生活を

これからしていったらいい

 

理想や希望の生活ではなく

父と母が二人で助け合って生きていく

そういう生活を想像して考えて欲しい

 

でも正直これが難しい

二人で生きていきたくないと考えている母

そして二人で仲良く生きていきたいが

それを拒まれ続ける父

その板挟みになっている我が家

 

父と母の二人の問題が解決しないと両家が仲良く

普通に暮らしていくのは無理だと感じた

 

二人の関係が悪いため

どちらかが我が家に逃げ込んでくる

いつも我が家が逃げ場所になり

二人は自分たちの向き合うべき問題を先延ばしにしている

 

二人の関係をいつもごまかし続け

はっきりさせないためずるずる年月だけが過ぎてきた

だからいつまで経っても関係は変わらない

お互いに互いのことを理解しようともしない

受け入れようともしない

 

その関係に我が家が振り回されるのは違う気がした

だから我が家が巻き込まれないためにも

私は一方的に境界線を引いた

 

とりあえず一番境界線があいまいな家事から線を引くことにした

それは私が一番やりたくない家事

これを二人に返した

 

まずは一番負担の大きい食事という家事から

私は手放し本来父と母が自分たちがすることなので

自分たちで用意してもらうことにした

 

今まで全て私が用意していた

娘達が不登校になり食事の用意が大変なので

母に自分たちの分をお願いしたら引きこもり

結局私は父の分の食事をイヤイヤ用意していた

 

母が退院してもすぐには元のようには動けない

体も心も難しい状態

でもいつもそれを理由に私に家事を押しつけてきた

 

そしてその負担を少しでも減らしたく

娘達にお手伝いと称して助けてもらっていた

でも本来両親の家事仕事だ

私や娘達がやることではない

 

時間的、物理的に余裕があったとしても

二人の家事を手助けすることは二人を甘やかすだけだった

 

私達が家事をしている間

二人は何をしている?

何もしない

ゴロゴロテレビを見たり

テレビに文句を言ったり

 

母はすることがないためどんどん自室に引きこもり

くだらないことばかりを考え

うつ病を悪化させる

 

手伝えば手伝っただけ私達は無駄に疲労とストレスを抱える

そして父と母は時間が無駄にあるため

互いに干渉しあったり

私達に干渉する

 

精神疾患という病名をつけられると人は堕落する

母を見ていてそう思う

確かに辛い体験をしてきたかもしれない

でも私からみれば精神疾患という病名を使って現実逃避しているだけ

少なくとも私の母はそうだ

 

アドラー心理学の目的論を学べば分かる

この目的論が母の行動の意味を教えてくれる

 

母の行動の目的は

家事をやりたくない

ただそれだけ

だからやらなくてもいい理由を見つけて家事から逃げている

 

母の場合は精神疾患になる目的がある

だから本人は望んで精神疾患になっている

 

えっ?て話だよね~

自分で望んで、選択して精神疾患になってるってどういうこと?

これを本人に説明すると怒るんだけど

人は無意識にそう行動してる

 

アドラー心理学目的論とは

人の行動は過去の原因によって決められるわけではない

未来の目的によって決められるとされている

 

子どもの頃母はよく父に罵倒されよく怒られていた

そして母の考えは常に否定され

父の考えがすべて正しいとされていた

 

いろんなことがチリツモで過去の出来事によるトラウマと

父との不仲が原因で精神を患い

うつ病になったと考えていた

 

だからかわいそうな母とひどい父

そんなイメージが強かった

 

そう今までは過去に原因がありそれを理由に

母の精神疾患を受け入れ

家族はそれに納得してうつ病の母を受け入れてきた

 

でもこの考えだと何も変わらないんだ

うつ病は絶対に治らない

 

目的論の考えから言えば

イヤなことから逃げるためという目的を達成するために
精神疾患になるという行動を自らが選択している

ということになる

 

精神疾患の状態は辛いかもしれないが

母にとっては好都合なんだ

 

家族の注目を集めたり

心配されることを望んでいる母

自分を大事にして欲しい欲求が強い

そして家族は母にどんどん支配されていく

 

精神疾患の状態が良いわけではないが

その状態の自分でいる方が楽で絶対権力を持っていたため

現状維持が目的となってしまっていた

 

自分のやれないこと

やりたくないことをやらされる現実から逃げるために

病気になるということは好都合なんだ

 

残念ながらこの説明に納得してしまい

私のやってきたことが自分にとっても母にとってもよくないと分かった

そして考え方ががらりと変わった

 

母を精神疾患にしているのは母だけではない

私や父の関わり方が母を助長させていた

それでもやっぱり根本は母が選んでいる

 

私だってそれなりに辛い経験はなくもなかった

なんせ母親が精神疾患で子どもの頃はなにかと大変だった

子どもである私が中心ではなく

精神疾患の母が中心の生活だ

とりあえず普通じゃない

 

潔癖症強迫神経症の母

全て汚いものには確認作業がつき

気持ちを納得させるためにいろんな事を確認させられていた

 

それが母の為だと思っていたが

その確認行為は症状を悪化、強化させるだけだった

 

それでも子どもの私にその現実から逃げることも出来ないし

順応していくしかない

だんだんと感覚が麻痺していった

 

私も現実逃避したかったがそんな暇がなかった

精神疾患の母が居る中で

自分も精神を患うことなどできなかった

だから私は病んではいない

 

守ってくれる相手が居ればうつ病にでもなっていたかもしれないが

単純にそんなことをしている余裕などなかった

 

成人して自分で稼げるようになっても

この状況は変わらず私も別の意味で

現実逃避をしていたんだろう

 

親の元から逃げ出さなかった

それは経済的に不安だったそして親のそばに居る方が楽だった

単なる甘えだ

 

成人して結婚するまでの間に

何度か独立をしようとも考えたが

いつも父に反対され家から出してもらえなかった

強行突破しようものなら出来たかもしれないが

家に居た方が貯金はできるし

やっぱり別の目的が優先された

 

結局その現状維持の方がましだという目的で

独立しなかった

その状態から抜け出す方が面倒で独立する勇気もなかった

だから踏み切らなかった

 

たぶんこのような打算はここ数年まであった

あまり自覚していないだけで

 

ただ食生活をきっかけに私は親から自立しようとしていた

これも自分が自立しているという感覚は無く

スクールカウンセラーに指摘されるまで気付かなかった

 

そうなんです

今私親から自立しようとしているんです

というより自立していなかったよう

それすら自覚していなかった

 

食生活だけではなくいろんな価値観の違いを感じるようになり

私には私の考えがあると自覚するようになった

 

親が正しいと思っていた常識を私が受け入れられなくなった

それも両親にとっては受け入れがたい状態らしい

そしてそれを止めようとしてくる両親に対して

私は抵抗している

精神疾患の母を心配する娘という立場を卒業したい 

精神疾患の母からの解放が自分の生きる道

7月の上旬

母の体に不具合が生じた

 

母は生まれたときから股関節が悪かった

45の時人工股関節を装着

あれから20年以上が経ち

金具が劣化してきたのだろう

夜中に人工股関節が外れてしまい

元に戻らなくなった

 

潔癖症の母は父に触れることが出来ず

トイレの中で身動きが取れ無い状態

家族ではどうすることも出来ず救急車を手配

 

4時間後にようやくトイレから出られ

救急車で病院へ搬送

母の人工股関節は簡単には元に戻せないとのことで

手術となり入院

 

夜中に事が起きたため誰にも気付かれず

3時間以上放置

その間にいろんな恐怖に襲われ

フラッシュバックが起きたよう

 

股関節よりも精神の方がパニックになってしまい

数日の入院が股関節のリハビリと精神も含め

一ヶ月ほど医療機関にお世話になった

 

私は母から離れられたので

入院自体はありがたいことだった

家に居ても引きこもっているだけで

精神の状態もよくはならない

 

スクールカウンセラーにも

私と両親は精神的にも物理的にも離れた方がいい

そう言われていたので

入院はいい機会だった

 

でも父は違った

どんどん不安に飲み込まれていった

これからどう生きていけばいい

どう生活していけばいい

と大げさに騒ぎ立て嘆いていた

 

父は昔っからおおげさ

風邪を引いたくらいで死ぬ死ぬと大騒ぎする

大騒ぎして心配されないと薄情だとわめく

そんな小さい男

 

でもこれには理由があることが分かった

つまり幼少期に泣いてわめいた時だけ

母親にかまってもらえたんだろう

母親が優しかったんだろう

だから自分の感情を大げさにぶつける

これが父の身につけた愛着行動

 

私と父の間には温度差があった

 

母が入院して毎日母と顔を合わせなくてもいい

これだけでかなり気持ちが楽で穏やかだった

そして娘達ものびのびしていた

 

母が引きこもっている間に父は

『ばあちゃんに優しくしてくれ』

『ばあちゃんに挨拶をしてくれ』

『ばあちゃんに話かけてやってくれ』

と娘達に声をかけていた

 

でもこれって違和感しかなかった

まだ子どもである娘達に

こんなことをお願いしてどうするんだろう

そして母はそれを望んでいるのだろうか・・・

 

父はいつも人の気持ちを先読みして行動する

でもそれを実際に母が望んでいなければ

ただの押しつけで迷惑な話

 

そして正直娘達は困っていた

なぜなら心の調子がよくない人に

何を話したらいい?

どう優しく声をかければいい?

 

精神疾患の母の心のケアを孫に求めるなんておかしい

そして自分が優しく母に接する事が出来ないからと言って

その変わりを孫にさせるなんてありえない

 

そんな状態だったので

娘達も母が入院してほっとしていた

 

『愛着の子育て』

これをきっかっけに精神疾患の母に何を言っても

何をしても無意味だと知った

そもそもやり方が違っていたんだと分かった

 

現に今まで何をしても何をやっても母は変わらなかった

躁鬱病潔癖症強迫神経症

年々悪化している

 

ここ数年は食生活の変化で落ち着いていたが

問題が起きたときにはそれだけではカバーしきれなかった

 

グルテンカゼインより強敵なのはストレス

このストレスによって精神疾患の症状は浮き沈みする

母のストレスの元が

パートナーである父である以上

もうどうにもならない

 

今まで症状の出方に波があり

その波をなんとか沈める

避けることしかしてこなかった

 

どうして波が起こるのか

どうして波が荒波になるのか

その波がどこから来てるのか

考えても来なかった

 

いや分かってはいたが

二人共がそこから目を背けていた

 

根本的にやり方を間違えていた

そう今まで母に対して

母の精神疾患という病気に対して

私達家族は対処療法しかしてこなかった

 

根本治療をとは考えてこなかった

体の病気も心の病気も

病院へ行けばいつも対処療法で薬が処方される

そして症状を和らげ落ち着かせるため

治ったかのように錯覚する

 

だけど根っこは変わっていない

根っこにアプローチをかけていないから当たり前

 

精神疾患は病気ではない

思考の癖

この癖を自覚し認めることが

本人も周りも解放されると分かった

 

父と母そして私は元々のやり方を間違えていた

母の精神疾患を病気と捉えいつか治るはず

そして治らないことにイライラし

同じ事を何度も繰り返してきた

ずっとあるはずのない答えを探していた感じ

 

母が入院している間に”愛着障害”を学だ私は

なぜ母が精神疾患

なぜ父と母が上手く夫婦関係を築けないのかを理解した

 

だからもう同じ事の繰り返しはやめよう

そう決意した

上っ面のその場しのぎの生活、生き方はやめる

 

少なくとも私はもう両親から手を引くことが一番だと理解した

それが娘達にも良いと信じた

 

父からすると私はどんどん母に冷たくなり

母が孤立していくように感じられたよう

入院している母を心配したり

かわいそうなどという感情は一切口にしなかった

そして病院にも一度も顔を出さなかった

 

コロナの影響もあってお見舞いは病院側が拒否

これが幸い私の助けとなった

 

いつもなら家族なら病院に顔を出してくれ

娘なんだから母に会いに行ってくれ

そう言われてもおかしくはない

 

でも会いたいとも思わないし

めんどくさい

したくないことはやらない

 

どちらかと言えばもう帰ってこないで欲しい

そう願っている私だ

そんな娘が会いに行くわけがない

 

以前はこんな風に考える自分が悪いような気もしていた

母に対して大切に思えない感情が湧き上がったときは

いつも心にしまっていた

 

でも今はそんな風に思う自分を責めなくなった

ただ今はそんな風に私は思っているんだな

そう思うようにし、悪いとは感じない

 

だって仕方ない

そんな風に感じさせているのは母で

私が抱いている感情は別に悪くない

もう無理に母を心配する必要はない

 

私は自分の気持ちをそのまま受け止めることにした

端からみれば冷めてるように感じるかもしれない

でも実際冷めていると感じるのは父だけだった

 

家族にもスクールカウンセラーにも叔母にも兄弟にも

私は気持ちを伝えた

でも誰もジャッジしなかった

そのまま受け止めてくれた

 

なんだ自分が思っているより私って別に悪くない

やっぱり私が気にしているのは

人の目ではなく親の目だと確信した

 

自分の気持ちに向き合うようになり

どんなことでも受け入れるようにしたら

すごく楽になった

 

私が何を思っても

誰も怒りはしない

私が自分の気持ちを認めて受け止めるだけで

心はこんなにも軽くなるんだと肌で感じた

 

娘だからって親を擁護しなきゃいけないわけじゃない

こう考えられるようになり

義務ではないことも自覚し始めた

 

ただ父だけは私のこの気持ちを不安がった

自分たちの将来を助けてくれる娘がもういない

この先どうすればいいんだろうと

お先真っ暗な状態を想像している

 

それでも私はもう自分の気持ちは無視しないと決め

父の不安はスルーした

 

母は入院中よく看護婦さんに泣き言を言っていた

『娘と前のように話したい』

『娘と普通におしゃべりがしたい』

 

でも私の中には

母と仲良くやっていきたいという気持ちはない

『一緒に暮らしては居るが生活は別々』

干渉したくないしされたくもない

自分の愛着障害の問題を理解したら

もう親とは関わりたくない

今はこの気持ちでいっぱいだ

 

母は人工股関節の手術と再発防止の為のリハビリで

約一ヶ月ほど医療機関にお世話になった

 

母の退院が近づくにつれ私はモヤモヤしていった

また家事をやらされる

両親の食事を作らなくてはいけなくなるんじゃないかと

不安だった

 

手術してリハビリを受けて退院したからといって

元の生活に戻れるとは思えなかった

だからといって私は面倒を見るつもりも世話をするつもりもない

父には自分たちのことは自分たちでやって欲しいと伝えた

 

でもそれはなかなか気持ち的に難しく

何度か父とは衝突を繰り返した

 

いつものお決まりパターン

『家族なんだから助けてくれ』

『俺だけでは無理だ、助けてくれ』

そう言って無駄に罪悪感だけを押しつけてきた

 

でももう前のようには戻りたくない

ようやく自分の気持ちが分かるようになり

自分らしく生きようとしている

邪魔しないでいただきたい

 

だからもう卒業させてくれ

老いたからと言って

老いを理由に弱音を吐かないでくれ

 

自分たちの責任を娘に押しつけないでくれ

私は自分の為、娘達と主人の為にも親から卒業するんだ

そう決めたんだ

グルテン・カゼインフリーの我が家の外食 マイ醤油があればなんとかなる😁

★我が家の外食の必須アイテム

我が家はほとんど外食はしない

なぜなら

グルテンカゼインフリー生活だから

単純に理由はこれだけ

 

この二つがないお店を探すのは本当に無理(´д`)

だけどたまには外食したい

たまには家事を休みたい

たまには旅行したい

という理由で

我が家でも年に数回外食します

 

そしてその時にお世話になるのが決まってここ

🍣回転寿司🍣

なんとか家族4人がみんなそろって食べられる場所がここぐらい

 

私と長女はかなり食べ物に敏感で

グルテンカゼイン、乳製品は何が何でも避けたい

そんな中であまり気にせず食事が出来る場所が回転寿司

 

我が家の近所にはアレルゲン表示をしてくれる”はま寿司”

ここが一番利用しやすいため

よくお世話になっている

 

ただ持参しなければいけない物がある

それが国産醤油

 

前回の旅行の時もたくさん持参した

とりあえず醤油があればあとは回転寿司を探すだけ

そしたらなんとか食事にはありつけるだろうみたいな感覚

 

マイ醤油を持参する理由は

単純にお店に用意されている醤油が私には合わない

お店の醤油でお寿司をいただくと

頭痛が起きる

これがイヤなので持参する

 

いつも調味料ケースに家で使っている国産醤油を詰め替え

カバンに忍ばせていく

我が家の必須アイテム

はま寿司には何種類かの醤油が用意されている

昔は利用していたが

今はどれも中身が合わず使えない

とりあえずマイ醤油さえ持って行けばある程度のものは頂けるのでOK!

 

そしてサイドメニューなどの誘惑に負けなければ

アレルギー反応は起こさない

 

グルテンカゼインフリー生活を始めた頃は

今まで普通に食べていたものが食べられなくなったので

娘達にとってはちょっと大変

 

ポテト食べていい?

ケーキ食べていい?

アイス食べていい?

 

正直ちょっとかわいそうだった

でも現実問題食べると何かしらの不調が出る

その状態と健康な体とを天秤にかけるしかなかった

 

自分たちの体の反応は自分たちがよく分かっている

『今日だけは解禁~!』としていいものかどうかは

娘達の判断に任せている

 

私はあくまで知識を提供するのみ

家で食べるものは私がOKとするものみ

そこは頑なに譲れない

 

食生活も習慣

子どもの頃から習慣となっていれば

大人になった時困らない

 

私の手元から巣立ち

自分で生きていくときには

自分で選択して食事をしなければいけない

その時までには

徹底して食の習慣を身につけてもらいたい

 

子どもの頃に体に優しくない食べ物に囲まれた食生活をしていれば

いずれ体に変化が現れる

そしてそこから食生活という習慣を修正することの方が難しい

 

体に取り込んだものはずっと蓄積される

子どもの頃には気づかないから意識することは難しい

そして食生活は子どもではコントロール出来ない

 

食事を用意する親の手によって

その子どもの体は作られる

と私は考えている

 

 

私は子どもの頃

母が精神疾患でまともに食事を作ってもらえなかった

おなかが空いていようがお構いなしにほっとかれていた

 

母は料理は好きだが家事は嫌い、そして苦手

育ち盛りの時期にほとんど

スーパーの半額シールが貼られたお惣菜ご飯だった

またはレンチンでできあがるものだった

 

夕方になると家族でスーパーへ行き

夕飯を調達する

そんな食生活が何年も続いていた

 

手作りのお菓子などほとんど食べたことがない

おやつと言えばスナック菓子

大袋の安いもの

 

頭がよくなるようにとDHAのサプリは飲まされていたが

基本の食事が雑なものだから

ただのお金の無駄遣い

 

サプリなんかに頼らず

ちゃんとしたものを作ってもらいたかった

 

手の込んだ豪華な夕飯じゃなく

普通に炊飯器でお米を炊いて

普通のお味噌汁があって

普通の食生活で育ちたかった

 

そんな雑な食生活のせいか

年頃にはニキビや肌荒れがひどく

10代からずっと肌荒れには悩まされた

 

長女を妊娠してつわりで食事が取れなくなった途端

きれいな肌に生まれ変わった

 

この時に気付けばよかった

つわりがきっかけで肌がよくなったんじゃない

今まで体に悪い物ばかり食べさせられていたから

私の肌はひどかったんだと

 

実際肌荒れの原因を知ったのは

グルテンカゼインフリー生活になってから

これらが全ての原因だったと知ったときは

ショックだった

 

私の肌は結構ひどかった

自分の肌が醜くて嫌いで

人に会いたくない時期もあった

化粧でなんとかカバーしていたが最悪だった

 

その原因が食生活で

自分の母親によって作り出されていたんだと思うと

悔しくてたまらなかった

 

なんか私ってかわいそうな生い立ちなんだな

愛情はかけてもらえていない

食べ物も満足に与えてもらえていない

 

でもその当時そんな自分の状況を変えることは出来なかった

よく分からないけど

そんなもんなんだろうって諦めてた

 

でも今は違う

私が自分で学んだ食の知識で

自分のために家族のために食事を用意して

みんなの体を守ってる

 

私は守られては来なかったが

私はできる限りのことで家族を守ってる

 

でも私の知識と行動は家族に共有することは出来るが

強制はできない

だから一線は越えないように気をつけている

 

外食や自分のお小遣いで買う食べ物までは

干渉しない

口を出さないようにしている

もうその先はあくまで自己責任

 

これ食べていいかな?って聞かれても

原材料の欄を見るよう促し

分からない食材はググる

その都度私が答えていると

私が居ないとこの食生活を維持出来なくなってしまう

それでは無意味だと思った

 

だから常に自分で考えようねと伝えている

まぁちょっと食べたぐらいでは死にはしない

鼻水がだらだらで

皮膚や目がかゆくなり

くしゃみが出始めるだけ

私みたいに頭痛が起きて嘔吐するまではいかない

 

よって自分の今後の予定と

食べることによってもたらされる不利益とを

天秤にかけて娘達は判断する

 

すると不思議とそんなに悩まなくても

体調が悪くなる=ゲームが出来なくなる

それが娘達にとっては不利益になるので

そんなに制限をかけなくても自分達で回避する

 

たまに誤って食べてしまうという時もあるが

それはそれで自分の不調を自覚するきっかけにもなる

そして自分が選択した結果なので文句を言いようがない

 

まぁとりあえず外食するときにマイ調味料があると何かと助かる

我が家は娘達の希望もあって

外食=回転寿司だけど

焼き肉屋とかでも問題ない

 

ただ私自身が鶏・豚・牛のお肉は頂かないようにしているため

焼き肉屋へも行いかないが・・・

 

となるとやっぱり食事は我が家が一番!

我が家なら果物も野菜もたくさん常備してある

 

もうこれさえあればOK!私的には😊

さすがに娘達は野菜だけではダメ

ほぼ肉食🍖なので

 

毎日の食事って一から作ると確かに大変

でも工夫次第でどうとでもなる

 

ここで手を抜いてやるべきことから逃げてきた私の母は

心も体もズタボロ

自業自得

 

まぁ仕方ない

自分でまいた種だ

自分で摘み取るしかない

または親に摘み取ってもらってください

 

食べ物を味方に出来るかどうかは

自分次第

工夫するかしないかで生活は変わる

恐竜博物館でアレルゲンフリーのお菓子を見つけた😊

★旅先での楽しみはアレルゲンフリー食品探し

先週の金曜日久しぶりの家族旅行

長女の卒業旅行以来だから半年ぶりかな

残念ながら三女(猫)はお留守番

 

2週間前、突然主人が有休を取った

主人の会社は上司が有休を快く使わせてくれる

もちろん上司自体も有休を普通に取る人

自分の仕事の加減と自分の都合で

みんなが普通に有休を取れる

ありがたい会社

 

今回も突然有休取った~とニコニコ顔😊で帰宅

金曜日が休みになると3連休になるじゃん

ということで急に

家族旅行へと発展した

 

今回はずっと前から行ってみたかった福井の恐竜博物館

それがどうやら12月5日から夏のリニューアルオープンに向けて

臨時休館になるとのこと

『これは今しかない』と長女に背中を押され行くことに

 

博物館に入館するためには事前に予約が必要とのこと

素泊まり出来る場所を確保してから入館の予約を取った

www.dinosaur.pref.fukui.jp

 

幸い近くに素泊まり出来る宿もあり助かった

今回お世話になったのがここ↓

mizubasyo.jp

ここは温泉の宿泊施設

外観は少し古いが中はとっても綺麗

2年前に市の施設を改装して作られているようで

温泉も宿泊部屋もとっても綺麗で快適だった

 

来年夏博物館がリニューアルオープンしたら

もう一度この施設を利用する予定

 

ではでは恐竜博物館へ

ここだけハロウィン仕様 可愛い🦖

ハロウィン風

 

福井県立恐竜博物館

館内はもうナイトミュージアム 素敵✨

恐竜っていうよりデカい骨だね

恐竜意外にもその時代に生きていた動物の模型が

たくさん展示してあった

 

キラキラが大好きな次女がワクワクする展示物

宝石の原石や鉱石などもあったが

なぜか展示物にほこりがかぶっていて

幻滅していた😂

 

見学したのが金曜日

そして予約していたためスムーズに入館

人の少ない平日の旅行は”楽”

 

次女は音に敏感

特に子どもの高い声は大っ嫌い

本人もまだ子どもなんだけど黄色い「キーキー」声は

耳を塞ぎたくなるほど苦痛らしい

平日の館内は静かで黄色い声は飛び交っていなかった

よかったの一言

 

子どもの泣いている声を聞くと本当不機嫌になる

赤ちゃんが泣いていると

『どうして泣いてるのにあやさないの』

『この場所に居たくないんじゃない、連れてこなければいいのに』

って怪訝な顔をする

 

これくらいはまだ許せるらしい範囲

走り回ったり騒ぐ子どもの声や音は耐えられないことが多く

我慢できないときはすぐに帰りたいと言い出す

 

今はできるだけその気持ちをそのまま受け止めるようにしている

そしてできる限り次女の気持ちに合わせて行動する

その場所を移動することで次女が落ち着くなら移動するし

帰りたい思いが強くなれば早々に切り上げて帰る

 

以前はせっかく出かけたんだからとか

せっかく遠くまで来たんだから

とことん満喫しなきゃ

とまで思っていたけど

 

実際娘達が『もう帰る』って言い出した時に帰る方が

案外疲れすぎず気持ちにゆとりが出来ると知った

 

今はお出かけや旅行は家族4人だけで行くようにしていて

常に娘達中心で行動してる

 

できるだけ平日の混んでいない時間・場所を選び

騒がしくない空間に身を置く

 

今回の恐竜博物館は滞在時間は1時間半くらい

それくらいがちょうどいい

私も若いときとは違って日常と違う空間は疲れる

娘達に合わせてる方が楽だと気付いた

 

自分のペースだと館内を隅々まで見て堪能しなければ

変に元を取らなければなんて考えが生まれる・・・

 

見たり無ければまた次回にすればいい

そう次回へのお楽しみに取っておこうと

次女を通じて学びました(^_^;)

 

さて最後はやっぱりお土産やさん

旅行先での楽しみといえばお土産

そこで私が宝探しと称して楽しんでいるのが・・・

 

グルテンカゼインフリー・人工甘味料の入っていない

体に優しいお菓子・食べ物を見つけること

 

旅先のお土産屋さんって日持ちする物は添加物が入っているから

もう論外なんだけど

すぐ食べてしまうものなら意外に中身はきれい

それも和菓子系が多く売られているから

意外に食べられるものがあったりする

 

旅行では私にも食べられる食べ物を見つけるのが楽しい!!!

恐竜博物館の”DINO STORE”には

原材料がきれいな羽二重餅があった

『DINO STORE』で見つけた 羽二重餅

 

原材料がきれい

ここまでの道のりのサービスエリアでいくつも羽二重餅は見つけた

でも残念ながら乳製品が使われていてNG

 

だけどここの羽二重餅は入っていない

もううれしすぎ😃

お土産用と我が家用と2つ購入

 

あともう一つ感動的な宝が・・・

恐竜博物館の駐車場の前にレインボー無料休憩所がある

ここにまさかのアレルゲンフリーのアイスを発見

 

レインボー無料休憩所に『みんなのアイス』

原材料に里芋って書いてある

ちょっとびっくりしたけど

ぜんぜん里芋感はない

 

マンゴーは冷凍マンゴーみたいに甘酸っぱい

甘々のマンゴーが好きな人にはちょっと違うかもしれないが

娘達は甘酸っぱいのが好きなのでとっても喜んでた

 

私は宇治金時

抹茶味のアイスはほぼ乳製品が使われていてずっと食べてなかった

抹茶が大好きだから本当うれしい

価格は税込み320円

普段は食べないけど旅行時は特別

 

あまりにもうれしすぎてネット検索

minna-no-ice.jp

これは可愛いサイト

生産者さんの気持ちが本当伝わって感動的

みんなに食べてもらいたいアイス 同感です!

 

 アマゾンや楽天は結構割高

さすがにちょっと買わないかも

この無料休憩所で恐竜博物館を楽しんだ後食べた方がいい

 

もしくは私ならここで購入する↓

www.ja-town.com

ここなら無料休憩所で買ったときの価格とそんなに大差ない

 

あともう一つ

福井県を応援する意味でふるさと納税でも購入出来る

item.rakuten.co.jp

 

私はこのアイスかなり気に入ったのでふるさと納税で購入する予定

今回はマンゴーと宇治金時しか食べてない

他にもブルーベリー・いちご・福井梅・ゆずがある

全部食べてみたい🥄

 

今年のふるさと納税はこれで決まり

今回の旅行では恐竜よりもこの『みんなのアイス』との出会いが

私は一番うれしかった(^_^)v

 

今はいろんなものが安く手に入る

でもそれらが安い分どこかに負担がかかってる

 

それは私達が一番大切にしなければいけない体

一番いたわってあげないといけない体

 

心と同じように体も大切にしたい

自分の口から取り込んだものが自分の体を作ってる

 

本当のおいしさを知りたかったら

やっぱり原材料がきれいなものを食べるのが一番!

 

ただ添加物まみれの食品を常時食べていると

このおいしさは分からないかもしれない