何を食べたかで人生が変わる  

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我慢強い子は他人に我慢を強要する子に育つかも・・・私がそうでした😔

★我慢は必要?家族みんなで『我慢』から卒業です!

学校へ行きたくない

勉強したくない

何もやりたくない

 

子どもがそう言い出すとなぜか不安になる

”・・・したくない”=我慢が出来ない子と思ってしまう

そしてこの先の将来

苦悩の連続で我慢しなければいけないことばかり

それに耐えられるだろうかと心配になり

どんなことにも負けないめげない強い子

そんなたくましい子に育って欲しいと

どこかで望んでいたのかもしれない

 

だから我慢という現実から逃げる娘達を目の前にすると

なんだか不安になる

 

どうやら私自身がずっと子どもの時から我慢を強いられた

育て方をされていたようで

もう何が我慢なのかもいまいち分からないくらい

我慢のオンパレード

 

自分の意見が言えない

自分の考えを自分で受け止めない

我慢しっぱないで感覚が麻痺していた

 

そんな私の元で育てられた娘達は

知らず知らずのうちに

普通に我慢をする子に育った

 

こんなの当たり前だよね

自分の育ったように育ててしまうのが親

 

我慢を出来ない子,しない子の受け入れは

正直戸惑った

そして少なからず不登校になった当初は

親の私を不安がらせる声が多々あり

迷ってしまった

 

ネットの口コミで不登校をOKとするコメントもあれば

NGとするコメントもある

義務教育ぐらいの最低限の学力を身につけなくてどうする

将来困ってしまうのに親が甘く考えて放置しているだけ

ネグレクトだとも言う

 

そういった厳しいコメントを見ると少々めげてしまう

 

私の育て方で我慢に耐えきれず爆発した娘達

自分達と私に価値観の違いがあり

自己主張し始めた

 

まぁこれが第二の反抗期なのかな

次女は少々早い気もするが・・・

 

それを素直に受け止めていいものか

親の威厳を使って無理にでも親の価値観に合わせ

学校へ行かせるべきか

親の私だって迷う

 

だって私自身が我慢のない生活を生きたことがない

 

要するにここなんだと思う

私が我慢した生活を生き方をしてきたから

一番そばにいる娘達にも我慢の生活を普通にさせようとしていた

 

自分がイヤなことは人にはしない

でも『我慢』を我慢してると自覚してないため

我慢することがイヤなことなのかも分からない

 

本当自分のことが分からないって

困った話だな・・・

 

ただ義務教育に関しては

大学までは出たが最低限の学力が身につけられているのかと聞かれれば

?????完璧ですとは言えない

 

大学を卒業すればあの長い時間は何だったんだろうと思ってしまう

私は短期集中型で短期記憶には強い

あっという間に記憶出来る

でも長期記憶の練習は積んでないため

学んだことは試験が終わればきれいさっぱり忘れる

 

そんな勉強の仕方で試験は成績よくて

簡単に志望校の大学にも進学した

でも学んだことは試験を突破するための方法であって

生きていく術は学んでない

だから学校へ行っても役に立っていない

 

今でこそ本をたくさん読むが

学生の時は恋愛小説すらまともに一冊読めなかった

興味が無かったのか読む楽しさを知らなかったのか分からないが

今では考えられないくらい本が読めなかった

 

漢字も本を読めばいっぱい目にする

でも漢字はなかなか読めない

高卒の主人の方が漢字は得意

よく主人にこれなんて読むの?って聞いてしまう

すると『大卒の割には漢字読めないんだね』って笑われる

 

 

学校へ行くこと

勉強すること

何かを継続すること

 

それがそんなに必要なのかは分からない

多分自分で考えて進んできた道じゃないから

どうやっても役に立たない

強いて言えば役立たせる方法を知らないというべきかな

だから自分で決定することはとても重要になる

 

今はなんでもかんでも親の指示どおりに

子どもは導かれる

その指示に背くと我慢できない子=わがままな子

となっていく

 

少なくとも我が家ではそんな雰囲気があった

そう私が自分の親の目を気にして娘達に要らぬ

我慢を強要していた

 

娘達が不登校になるまでは

それは母親の役目で当然だとも思っていた

 

いまでこそ娘達の好きなようにやらせているが

好きだと言ってやり始めたことでも続かなかったり

ちょっと出来ないことがあり投げ出す姿を見て

 

『我慢のない子だね』っと言われるのを恐れ

無理をさせていたのかもしれない

 

自分がけなされるより娘がけなされる方が

心が痛む

娘は同性だから余計に自分の分身っていう感覚になるのかもしれない

 

心では好きなことすればいい

そう思っていても

日本人特有の建前

この建前が邪魔をして娘達に我慢をさせる

 

毎日学校へ行くこと

毎日宿題をやること

何かを始めたら最後までやり通すこと

 

でもそもそもこれって誰が決めたこと?

誰が学校へ行きたいって行ったの?

誰が勉強したいって言ったの?

 

これを言われると

そういえばそうだね

って感じてしまう・・・

 

そして『何もやらない』ということを認めると

本当に何もやらないということが起きる

 

これを見て不安に思い

また元に戻ってしまう

よってまた同じことの繰り返し

我慢させて無理を押しつける

 

まぁ今はこのパターンはもう通用しない

以前のようなおとなしい娘達ではない

イヤなものはイヤ

やりたくないものはやらない

はっきりと意思表示をするので

ある意味楽・・・

 

私がイヤな生き方に戻ろうとしても

娘達が許してくれない

 

だって私の心の中を知っている

もう分かってる

矛盾した生き方は苦しいだけだって

私に教えてくれる

 

我が家では娘達をはじめ

私も主人もみんな我慢をやめた

 

母親はこうあるべき

父親はこうあるべき

子どもはこうあるべき

こういった考えはだいぶ無くなってきた

 

そう家族みんなが我慢をやめなければいけない

娘達だけではなく

私も主人もみんな一緒に『我慢』を捨てた

 

誰かだけが我慢を強いられた状態になると

また我慢の連鎖が始まる

 

自分は我慢してるんだから

みんなも同じように我慢をするべきだ

こういったことが普通に起きる

 

私はこんなに頑張った

だからあなたも私と同じくらい頑張りなさい

いろんなことを強要する癖がついていた

 

それは社会人として働いているときもそうだった

みんなが出来ることを私もなにがなんでも出来なくては

そう自分にプレッシャーをかける

 

逆に私が出来ることを他の人が出来ないと

『えっ、なんで出来ないの?』って思ってしまう

 

社会人だから声に出しては言わないが

どうしても心の中で思ってしまい

自分より下に見てしまう自分もいた

くそイヤな奴だ

 

私は家でも外でも結局知らず知らずのうちに人に強要している

他人と自分は違うのに何でも同じと考えてしまう

そして出来ない自分がいたとき

もっと頑張らなきゃ

もっと我慢しなきゃという思考になる

 

そう考えると

頑張りも我慢もほとんど同じだ

 

頑張るとは困難にめげずに我慢してやり抜くこと

くだらない考えだ

 

相手を励ます言葉だと思っていたのになんか違う

そもそも困難にめげずに我慢してやり抜かなきゃいけない

そんなことが日常茶飯事に起きるなんて辛くないかい?

 

頑張るって言葉も我慢って言葉も封印しよう

もっとHAPPYになる言葉に変換したい

 

そもそも嫌いなことイヤなこと

不得意なことを無理にやろうとするから

頑張らなくちゃいけなくて

我慢しなきゃいけなくなる

 

それならそんな生き方やめてしまえばいい

少しずつやめて本当に自分にとって悪影響があるか検証しよう

 

生きていく上では

いろんな価値観を持った人達と共存していかなければいけない

そんなことは分かっている

思い通りにならないことなんて腐るほどある

いやそもそも思い通りにしたいと思っているのかな

 

だって自分のやりたいことをやっているだけで

他人にどうこうして欲しいとはあまり思わない

 

少なくとも好きなように生活している娘達を見ていると

私と主人以外には何も要求しない

 

だからそういった理不尽さの乗り越え方や

その理不尽さを乗り越えたという成功体験

これが必要なんだと今までは考えていたけど

大して必要ない

 

そう

我慢をいっぱいしてきた人が

我慢強くなるわけではない

 

大きな心の支え『心の安全基地』という土台を使って

我慢が必要なときに人は我慢をすることができる

 

要するに

心の安全基地の中でいっぱい甘えさせられいっぱい満たされた時

『よし、やってみようかな』って思えるわけだ

 

今まで我慢が必要なときに我慢ができるようにと

我慢の練習をさせられてきた私は

幾度となく他人にも娘達にも我慢を強要してきた

 

私が幼少期に我慢をさせられ続けた結果

このありさまだ

 

結論:いっぱい甘えさせいっぱい安心させること満たしてあげることが

娘達が強く生き抜く方法を身につけるための最強の手段だと知った

親の一貫性のなさを私が親から受け継いだ結果 一貫性のない状態に違和感が持てない

★子どもの不安定は親が作り出している

私の父は機嫌のいいときと悪いときの差が激しい

それは私だけが感じていることではなかった

でもそれは長年ずっと変わらないこと

だから人の機嫌というものが

どういったことを引き起こすのかも

考えたことはなかった

 

我が家ではいつも娘達がリビングのTVを占領している

機嫌がいいときはその光景に何も言わない父

でもそこへ母と喧嘩した時など機嫌がグンと悪くなると

だいたい決まって言う言葉がある

 

それは

『いつまでゲームしてる?』

『またゲームばっかりして、他にすることないの?』

とお決まりのフレーズが飛び出す

 

これを言われると一気にテンションが下がる

娘達からすると

どうしていつもはそんなこと言わないのに

機嫌が悪くなると文句ばかり言うの?

 

いつもは娘達に甘い顔をして

『一緒にテレビ見るか?ゲームするか?』と

すり寄ってくるくせに

機嫌が悪くなると一気に爆弾を落とし始める

 

そう人はいつもご機嫌ではいられない

だから機嫌がいいときもあれば悪いときもあるのが普通

ここまでは問題ない

 

ただ父の場合は爆弾をいろんな所にまき散らす

そうなるともう学習してしまう

顔と感情を読みにいってしまう

 

常に大人の顔色を伺う癖は

こういったことの繰り返しで身につけてしまうと理解した

 

ゲームばかりしているから怒るならいつも怒ればいい

だけど父の機嫌の状態で怒り始めるからやっかい

 

もちろん母親である私も自分の機嫌で

娘達に八つ当たりすることもある

それは決まって時間に縛られている時

時間の焦りを感じるとき

必ずその矛先が娘達に向かっていると

今では自覚している

 

子育ての中で『一貫性』という言葉をよく聞く

初めこの一貫性の意味が分からなかった

なぜなら私の親にこの一貫性が見られなかったから

一貫性を自覚したことがない

 

要するに一貫性のある親の姿を知らないため

私自身も一貫性がない

そしてそれが悪いことに普通になっていた

 

一貫性のない親の姿とは

私の中では父親の機嫌が悪いときの姿

その姿とは父親の感情によって何でも物事がひっくり返るということ

 

いいも悪いも父親の感情一つで

ころころ変わってしまうということ

 

今日はにこにこでOKということが

私が何か間違ったことや気に障ることをした時には

途端にNGになる

父の機嫌を損ねるからもうどうしようもない

 

だから機嫌が悪くなるのは私のせいだと学習する

このことから私は幼少期から

親の顔色を伺い感情を読み取ってしまう癖がある

 

一つ失敗すれば過去の失敗もすべて芋ずる式に引っ張り出され

くどくどと愚痴を言われる

または説教される

我が家ではこんなことはよくある話で普通だった

 

でもこういったことは子どもの成長には悪影響でしかない

今の失敗で叱られるならまだしもそれ以外のことを持ち出して

上乗せして説教される

 

意味がわからないし、反省しようがない

でもこういったことが日常茶飯事だったため

疑問を感じることもなかった

親とはこういったもので大人とはこうゆうもんだ

そう認識してしまった

 

習慣とは怖い 慣れとは怖い

変だとも疑わなかった

疑っても仕方ない

だって変えられないから

そして回避癖もあるため

そこをいちいち問題視しなかった

考えてこなかった

 

子どもは常に自分が悪いんだと受け止めてしまう

どこまで行っても子どもは被害者で

親が加害者だと思った

 

 

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

 

愛着障害で私の父の葛藤型・とらわれ型愛着を学び

この引き金の要因が親の一貫性のなさだと知った

父は一貫性のない親に育てられたため

親や世界を信用できず

挙げ句の果てに自分さえ信用できない状態

 

気持ちや考え方が不安定で

すぐに周りに流される

そして人の顔色を気にするあまり

あっちでいい顔こっちでいい顔

八方美人なところが多い

 

自分の気持ちがブレブレで軸が常に他人にあるため

いつも周りに振り回されている

 

そんな世界に生きているから未来が不安でしょうがない

未来なんて誰にも分からない

なのにまだ見えない未来を想像して不安な未来にとらわれ

常に最悪なことを想定して行動し周りを巻き込みたがる

そして道ずれにしようともがき苦しんでる

 

未来を予測して備えることは必要かもしれない

それは危機管理能力が高いと言えば聞こえはいいが

これが周りを自分を苦しめているとなれば

話は別

 

父と母はもう70歳手前

この年代の人は戦後を生き抜いてきた親に育てられた世代

常に最悪を想定して行動して生きてきた

 

そんな親に育てられた父と母は

いつも最悪を想定しそれに備えて

慎重に慎重に失敗が命取りにならないようにと考えながら生きてきたよう

父は今も先の未来を想像して

何かと不安を感じ

怒りや恨みネガティブな感情を抱えている

そして一人では抱えきれず

家族にその不安を一緒に背負ってくれと言う

 

母は未来を想像し不安しか想像できないから

精神疾患になっている

 

もうみんないろんな時代背景で生きてきた

それは分かるが

その時の時代の思考をいつまでも引きずっていては

一緒には生きていけない

この父と母の世代と娘達の世代が上手く共存出来るわけがない

私達親でさえ娘達の今の時代になかなかついて行けないのに・・・

 

考え方を柔軟にしなければ娘達が死んでしまう

そう私は理解した

 

スクールカウンセラー

父の常に最悪を想定する行動は無視していいと私に言う

 

父の不安や責任は父で負うべきであり

家族で責任を負うことではない

ましてや父と私はもう家族ではない親族だ

責任を負う義務もないし共倒れする必要も無いとアドバイスする

 

私にはこの考えは頼もしい考えで心の支えになっている

やっぱりどこか娘である以上親を助けたいと思う気持ちがあるのは自然だ

でもこれまでの親子関係が素直にそう思わせてくれない以上

私は心から両親を助けたいとは思えない

もういいかげん勝手にやってくれ

 

今更娘にすがるな

老いに負け不安をまき散らすな

この感情がある以上私は自分の意思に反して無理する必要はない

そう自分に言い聞かせている

 

私の物事の思考の回避癖も重なり

いつも子育てに違和感があってもそれをスルーしてきた

 

でもこれをきっかけに我が家の子育てに関する一貫性を考えてみた

私が親の一貫性のない状態で育ってきて

私も一貫性のない態度を取ってきている

そして娘達はそれに疑問を感じていた

 

今まで常に娘達に寄り添うという一貫性はない

その必要性を理解していなかったので当然だ

 

でもそれで娘達はいろんなことに不安になったり混乱したりしている

なら私は考えなきゃいけない

 

一貫性のない対応は

心の調整を難しくする

安心できる場所がないと言うことはとても不安定だ

 

その形のない見えない不安といつまでも戦わなきゃいけないのは

回避させてあげたい

 

子どものうちに私達親が一貫した対応をしてあげれば

娘達は人間関係や感情に執着することもなくなる

 

『人の顔色を気にする子』

軽く受け止めていたが成長するとそれは大きな生きづらさに変わる

『自分の意見を持たず周りに気を遣う子』

それは気が利くと言われるかもしれないが

自分軸がないとも言える

 

子どもを育てる中で夫婦の中での共通の目的や意識

どういう風に育てるかと言ったルールみたいなもの

これが夫婦間でしっかり決められていないと

一貫性は保てないとも感じた

 

パパがこう言った

ママがこう言った

では娘達は困ってしまう

 

夫婦間の子育ての意識がずれずれだと

子どもを混乱させ不安にさせるだけ

 

これらの一貫性は言い方は違えど

いろんな本📖で学んだ

ようやく私も自分とリンクして理解出来た

 

親の一貫性のなさが

人間関係や感情に過度に執着させてしまう

 

逆に親が一貫した行動をとっていれば

「信頼できる人たちに囲まれている」という確信を持ち

その感覚を持続した経験が厳しい社会を生き抜く、たくましさを作る

そう学んだ

 

一貫性の対応を心がけるためには

大人が状況や機嫌や時間に左右されないこと

だいたい邪魔する原因はこの辺だ

 

だからそれだけゆとりをもった生活をし

どれだけ感情をコントロール出来るかがカギになってくる

 

そうじゃないといくら娘達に

『あなた達のことが大好き』

『あなた達のことをとっても大切に思っている』

と伝えても残念ながら伝わらない

 

思いは言葉だけでは伝わらない

常に親の態度、親の対応を娘達は見ている

 

たまにキッチンで作業していると

じーっと視線を感じる

次女がじーっと見ている

なんか監視されているようで怖い😱

 

一貫性のある対応  頑張ります(^_^)ゞ

読まない本が捨てられない理由 娘達の気持ちより自分の母の気持ちを優先していたから

★親の価値観が生きづらさを生む

本っていつの間にか増えていく

今自分が夢中になっている本

読み終わったけどまた読み返す本

大好きな本

自分の気を高めてくれる本が本棚にあると

単純に幸せ 

 

私はこれだけの本を読んできた

これだけの本が読めたんだ

そう思えることがうれしい

 

逆にそこに嫌いな本があると

めっちゃ許せない

もう自分の趣味ではない

お気に入りではない

そう言った物が目に付くのは

かなりストレスを感じると分かるようになった

 

だから定期的に今の空間が自分の好きな場所かを考える

そして不要だと感じる本は気にせず処分する

 

だけどどうしてもなかなか整理が出来ない

処分したくても処分しづらい

気が進まない本がある

それが娘達の本

それも私の母が娘達に少しずつプレゼントしてきた本

 

入学祝い・夏休み・クリスマス・お正月・誕生日

いろんなイベントにかこつけてプレゼントする

 

でも残念ながら娘達はさほど喜ばない

次女は露骨に『またか~』って思うらしく

イヤイヤありがとうを言わされている

そして私もイヤイヤありがとうっと言っていた

 

娘達が好きそうな本をプレゼントしてくれるなら

娘達も喜ぶし、母親の私だってうれしい

でもいつも決まって母が読んで欲しいと思う本

絵本でも児童書でも母が読んだ方がいい

世の中を知っておいた方がいい

そんな母の主観でセレクトされた本をプレゼントされる

 

生きていくために我慢は必要で

今の生活は当たり前ではなくて幸せなことなんだと

言わんばかりの内容の本ばかりセレクトする

確かに名作かもしれないけど

現実は違いすぎる

 



今はマッチ売りの少女みたいな子はいない

フランダースの犬に登場するあんなかわいそう子もいない

まだ実際にはいるかもしれないが

我が家はそこまで貧困ではない

 

そこへ昔の貧しさや大変さをアピールされても

正直娘達は困ってしまう

 

私自身これらのかわいそうな子の物語は

読み聞かせの本としては適していないと思う

だって生きることがとてつもなく大変で

怖いとしか考えられない

親の私でさへ自分の子がこんな境遇だったらと

考えるだけで怖くなる

 

私はよくプレゼントされた本を寝る前に読み聞かせしていた

でも読みながら主人公達を娘達と重ねとてもじゃないが

まともに読めなかった

マッチ売りの少女とフランダースの犬は泣きじゃくってしまい

2,3回読んで封印した

 

もう娘達がよく笑っていた

私がヒクヒクしながら泣いて読めないから

びっくりして笑っていた

 

それからもう本をプレゼントするのは

やめて欲しいと母に伝えた

絵本も児童書ももう十分だ

それにもっと面白くてワクワクする内容がいい

 

そして娘達には娘達の趣向がある

娘達が読みたい本をプレゼントしてくれるなら

喜んで受け取る

そう伝えたが私の考えはスルーされた

 

母はやめなかった

母は自分が好きでやっていることだから気にしないで

本はいっぱいあった方がいい

身近にあれば自然と自分で手に取り読み始める

 

そして母から言わせれば

私が子どもの頃家庭はそんなに裕福ではなく

食べていくのに必死だった

そんな生活の中で満足に子どもの私に本を買い与えてあげることが出来なかった

それが今自分で本を選び孫へ本をプレゼント出来ることが楽しい

 

だから好きにさせてと言う

母は自分の意思を曲げなかった

 

言ってもダメならと我慢し

娘達には母の気持ちを伝え

黙って受け取って欲しいと伝えた

 

そして好きなようにさせていたが

娘達にプレゼントされる

求められていない本の山がどんどん場所を占領していく

そんな光景を見るたびにイライラが止まらなくなった

 

そしてそれを解消させるために

娘達に読んで欲しい

一度だけでも読んで欲しい

そう思うようになっていった

 

でもそれは私の勝手な気持ち

母の気持ちを満足させてあげたいという

私の勝手な気持ち以外何もなかった

 

それでもいつかは娘達が読まない興味を示さない姿を見れば

母も諦めるかとも思ったがなかなかそうはならず

ずっと続いていた

 

たくさんの手つかずの本を前に本にも申し訳ない気持ちが芽生え

私が少しずつ読んで娘達に読んだよ~って報告していたが

何も影響は与えられなかった

 

娘達は本を読まないんじゃない

小さい頃から絵本も本はたくさん読む

図書館に行けば40冊ぐらいの本を毎回借りて

暇さえあれば読んでいた

 

明るいワクワクするような本

面白い内容の本

お化けや怖い本

科学の実験ものも大好き

 

とてもじゃないが母が好む本とはだいぶ違っていた

だからこれらの本がどんどん増えていくたびに

私は母と娘達の板挟みにいるような感覚になった

 

でも私が優先的に寄り添う相手は娘

だから娘達の気持ちを尊重した

好きじゃない本は娘達にとっても要らない本

自分たちの部屋の本棚にあるからといって

娘達が管理することは出来なかった

 

娘達に自分の興味のないものまで管理する能力はまだない

私も自分の所有物の管理が苦手なので

・要らないもの

・使っていないもの

・使わないだろうというもの

すべて処分するようにしている

 

ミニマリストにはなれないが

目指したいと思っている

でも私の本ではない以上処分するには

娘達の同意が必要で

何度も娘達に確認した

 

もう2,3年前から本棚から衣装ケースへ移動させ

無くてもいいかを確認

でもどこかでばあちゃんからもらった本だから

捨てないでと言われるのを期待していたが

そんな言葉はなかった

 

もらった本の中にも数冊気にっている本はあるようで

それ以外はすべて処分していいとのこと

 

ようやく母の思いという呪縛から解放される

そしてついに娘達にプレゼントしてくれた絵本・児童書を

処分することが出来た

 

母からもらった本を処分すると言うことは

母の思いも手放すと言うこと

親の思いって結構しつこい

 

気をつけないと

親だから仕方ない

親だからどうしようもないといって

自分の気持ちを押し殺してしまう

 

そしてそんな私の姿を見て育った娘は

いつしか私に気持ちを押し殺されてしまうのかと思うと

怖かった

 

大げさかもしれないが大げさではないと

最近分かってきた

親が知らず知らずのうちに植えつけてしまっている親の価値観

この価値観によって我が子は生きづらくなっている

 

そして私が生きづらいと感じてることは

母親と父親が私に植えつけた親の価値観

これによって

私は生きづらくなっていたんだと知った

 

世間が生きづらいんじゃない

社会が世の中が生きづらいんじゃない

 

本当の生きづらさとは

親の価値観を勝手に背負わされていること

それも自分も親もそれに気付いていない

それが困った問題なんだ

 

さて

最近の私の本の処分の仕方は古本の買取業者への依頼が恒例

買い取ってもらえなくてもリサイクル紙として処分してもらえる

売ってお金にしたいという気はあまりない

ただ手放したいだけ

 

それを手伝ってくれるのが古本の買取業者

 

依頼をかければ

必要な段ボールにガムテープを無料で自宅へ送ってくれる

後はその段ボールに詰めて集荷依頼をかければ

重たい本を家から一歩も出ずに着払いで送り

あとはおまかせ

 

値がつけばお金が振り込まれる

値がつかなければリサイクル紙として処分してくれる

 

捨てる行為って簡単そうでめんどくさい

家が片付いてスペースが空いてスッキリするから

やるべきなんだけど

結構二の足を踏んでしまう

 

でも古本買取業者のシステムを利用すれば

結構難なく処分が出来る

だから私にとってこの買取業者のシステムはとってもありがたい

 

処分するハードルがかなり下がるため

もう3度ほどお世話になっている

私が好んで利用しているのはここ↓

www.mottainaihonpo.com

 

ちなみに本以外にもDVD・CD・ゲームソフトも買い取ってくれる

買取金額は全く気にしていないので

高く買い取れるかはわからない

 

私的には値がつかなくものでも無料で引き取ってくれる

これが一番魅力的

 

というわけで今回もお世話になりました

本には何の罪もない

本を読むことはとても有意義なこと

生活を人生を豊かにしてくれる

また知識や知恵を授けてくれる

 

だけど読みたいと知りたいという心がなければ

本は読めない

 

母よ 娘達に本を与えるより

自分の心に本という知識を与え

自分自身と他人の心を学んで欲しい

過干渉でネガティブ思考の父はどんな愛着スタイルなのか?

★親が二人いれば愛着スタイルも二通りある

今家庭内が分離している

2つの家族が一つの家に一緒に住んでいるんだから

2通りの家族のライフスタイルがあっていいはず

別々のスタイルが存在していても不思議ではない

 

なのになぜか一緒に暮らすと

1本化するのが当たり前なような雰囲気が漂う

そしてそれが当たり前なような感覚が根っこにある

そこには年功序列みたいな雰囲気があり

上の世代に合わせるのが道理みたいな価値観が存在していた

それが今娘達の不登校を機に亀裂を帯びてきた

 

◆◆◆もくじ◆◆◆

最近の私と両親

最近私と両親の関係がすこぶる悪い

一緒に生活しているのが本当に苦痛だ😔

ではなぜそんなに苦痛を感じるようになったのか

 

それは愛着障害を学び

自分がどうやって育ってきたのかを知り

自分の性格考え方が親によって

いろんなメンタルブロックを作り上げられていることを知った

 

単純に親のせいにしている・・・

 

今までいろんなことに苦手意識を持ち

頑張ることをしてこなかった

そして何かと言い訳を見つけて逃げてきた

要するに挑戦してこなかったわけだ

 

でもそれが自分の幼少期に

適切に親が自分に向き合ってくれていれば

私は世界を安心した場所と認識し

自分を信用し信じ安全な土台をベースに

多くのことに挑戦し

そして失望を乗り越えながらも

人生を楽しめる大人に育っていたのかもしれない

そう考えると

 

コノヤロ~としか言い様がない

 

よくもそんなぞんざいな扱いをしてきたな

ふざけた育て方をしてきたな😡

 

いろんなことを妥協し出来ない自分を責めてきた

悪いのは私ではない

腐った親が作り出したマインドが私の挑戦を奪っていたんだ

私の未来を奪っていたんだと分かった時

とてつもない怒りしか残っていなかった

 

とてもじゃないが

今まで育ててきてくれて”ありがとう”

なんて言葉は絶対言いたくない

 

どちらかと言えば

こんな親の元でよく頑張って私は生きてきたねって

えらかったなって褒めてあげたい

 

今そんな気持ちでいっぱいで

親の顔を見るのも声を聞くのもイヤだ

イヤイヤが止まらずほぼ無視

 

とろあえず全て親のせいにして過去のことは過去として

捉えるしか今の私が平常心で居られる方法はない

 

そして今からは自分ですべてを背負い

生き直すことを決めた

 

といってもそんな大げさなことではなく

普通に生きられる

よくよく考えたら親なんて居なくても

自分たちで生活は出来ているし

困ることなんて何一つない

 

なんなら困ることよりも

勝手に植え付けられた親の価値観

これをを背負わされていることの方が

数倍も問題だ

 

だから過去は過去で捨ててしまい

これからを考えたい

 

今まで無意識の中に根付かせていた壁

言わばメンタルブロック

 

親が私に植え付けた親の価値観

当たり前・常識だという感覚は

もういらない

時代遅れだ

 

だから私は自分の中でイヤだなと思う感覚

抵抗感が生まれる感覚

ざわざわする感覚

それらを全て自分の頭で一度考え直すようにし

自分の価値観で判断する癖を身につけたい

 

そんな私は今

生き直し、やり直しをしている

その私の周りでそれを邪魔するかのように

ネガティブなオーラを放つ父

 

馬鹿みたいにため息ばかり

自分は不幸だ、自分は運が悪い

自分の悪いところは探さずひたすら周りに原因探しをする父

 

変化の苦手な父はずっとひとりぼっちで

ずっと同じ暗いさみしい部屋の中にいる

いつまでも闇の中から抜け出せない

 

父の愛着スタイルを理解する

愛着スタイルには4つのタイプがある

健全な愛着スタイルは『安定型・自由形愛着』

この愛着スタイルで育ってきた人は人生が豊かだ

 

私は母に似ていて

回避型・拒絶型愛着のスタイルを持ち合わせている

 

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

 

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

 

いろんなことを回避する癖があり、痛みを避けるため無関心になる

とは言え完全なる無関心とまではいかない

過干渉な時も度々ある

 

愛着とは特定の親との間で形成する

ということは

親が二人いればもう一つ愛着スタイルも形成しているはず

 

大部分は母の『回避型・拒絶型愛着』を受け継ぎ

残りは少ないかもしれないが

父の愛着スタイルも受け継いでいる

 

では父はどんな愛着スタイルの人間か

自分の性格・行動パターンを重ねれば

自ずと父の愛着スタイルも見えてくる

 

私の父の愛着スタイル

このストレンジ・シチュエーション法

赤ちゃんが母親と引き離され一人きりで慣れない部屋に残されたとき

何が起こるかに注目した実験

部屋を出て行く母親を目にするストレスに子どもはどう対処するか

母親が戻ってきたときにどう反応するかの実験

これに当てはめるのは

さすがに無理があった

 

父に自分の幼少期を思い出して想像してみてもらっても良かったんだが

今は仲が良くないのでこの方法で父の愛着スタイルを判断することはしなかった

 

それよりも大人になったときの愛着スタイルから

どの愛着スタイルが父らしいか考えてみた

私の結果は

『葛藤型・とらわれ型愛着』この愛着スタイルだ

葛藤型・とらわれ型愛着
葛藤型愛着の子どもの心

葛藤型の子どもの親は

細やかで敏感な反応をするときもあれば

しないこともある

 

要するに子どもの要求にすぐに応えてくれる時もあれば

親自身のストレスや感情に左右され

要求に応えないときもある

これがいわゆる一貫性のなさ

 

この一貫性のなさが

親を信頼できるかという大きな不安と葛藤を引き起こす

よって常に緊張状態で気を緩めることが出来ない状態にあり

それがいつしか

『自分には一貫してそばにいてくれる人はいない』

と思うようになる

 

親の一貫性のない対応で子どもの内面は混乱する

母親と身体的に触れあっていても安心感を抱けない

ということが起こってしまう

 

自分が目を離すと母親がいなくなってしまうかもしれない

という思いから、注意をそらすことを怖がってしまう

そして親への繋がりを欲した愛着行動が肥大化される

 

回避型は親を無視するという愛着行動なのに対して

葛藤型はその逆で泣いたり叫んだりして注意を引く感じだ

 

葛藤型の子どもがとらわれ型の大人へ

葛藤型の子どもは

気まぐれな親に寄り添われたり

寄り添われなかったりしたせいで

波風の絶えない生き方になる

 

そして子どもは細やかな対応やつながり

心の調整などについて親を頼れないことを学んでしまう

 

親の一貫性のなさが

親だけではなく世界との関係にも大きな不安を抱え込む

そして親密な関係に安心感を抱けず大人になる

 

葛藤型愛着の子が成長すると

『とらわれ型愛着』へパワーアップする

 

とらわれ型愛着の人の特徴

この人達は大人になっても過去に悩まされたり

とらわれたりして、人間関係や感情に過度に執着する

だから人間関係が激しい情緒不安定と大きな不安に満ちている

 

この不安から顔と感情に注意が奪われすぎため

人目を気にしすぎる

ただこの行動は他人から見ると

愛情に飢えているかのようにも見えるらしい

 

そして

・大切な人に対する態度が上手くコントロールできない

・日常的に怒りや憎しみ、ネガティブな感情に身をゆだねている

・感情の爆発を恥じて自己が混乱しまわりの世界に対して極端に消極的になる

 

もうすさまじい不安の渦に飲み込まれている印象

この不安を回避するために過干渉になってしまう

 

小さい臆病な子犬がキャンキャン鳴いて

不安を追い払うかのよう

 

私の父は何事にも不安で

一時も悩むことをやめない

問題がなくても次から次へと引き寄せてくる

そして常に自分が中心でいたく大事にされていた気持ちが強い

 

たぶん幼少期に体の弱かった母親に

父が求める愛情は与えてもらえなかったんだろう

だからいくら大事にされているときがあったとしても

その求める母親が目の前からいなくなると

不安でいっぱいになる

常に隣にいないと不安定

 

それが今でも続いている状態

私はそういった常に追いかけ回すタイプではないので

ちょっとこの不安はよく分からないが

 

父と母の関係を見ていると

回避型・拒絶型の母と葛藤型・とれわれ型の父では

上手くいかないのがよく分かる

 

私の課題は自分のことだけ

他人は変わらないし変えられない

 

愛着障害が原因で

母の精神疾患も母と父の関係の悪さも

全ての根源は愛着障害からきていると説明しても

理解しようとしない

 

両親にとって自分が変わるという概念はない

常に誰かがなんとかしてくれる

自分を理解して分かってくれる

寄り添ってくれる

そう人事ているかのように

現実を受け入れない

 

親であろうと子であろうと

私の問題ではない

私が出来ることは自分の価値観を

これから少しずつ『私らしく』育てること

中学一年生の娘 基礎学習より大切な学びを先生と交換日記を通じて学ぶ

★学校へ行かない娘と担任の先生との関係

◆◆◆もくじ◆◆◆

中学校の担任の先生と長女

長女の担任の先生は

4月からずっと2週間に一度欠かさず

長女の顔を見に来てくれる

要するに家庭訪問です

 

今まで家庭訪問と言えば

玄関先で数分話す程度

小学生のときからずっとコロナに関係なくこのやり方

先生は家の中にまでは入ってこない

 

でも不登校児はちょっと違うのか?

大量の配布物を抱えて毎回来るので

いつも家の中で配布物を広げながらお話する

それも大体1時間ぐらい

 

家庭訪問のない週は電話で長女の様子を確認

この習慣が4月からずっと続いている

 

長女は入学式を含め4日しか中学校へは登校していない

担任の先生と会話したのも多分ほんの数回程度

学校での印象などほとんどないに等しい

 

そんな長女に対して何かと心配し今も変わらず

2週間に一度会いに来てくれる

 

先生が家庭訪問する理由

最初は違和感しかなかった

ほとんど面識のない子にどうして

2週間に一度も会いに来られるんだろう

 

先生は部活の顧問もしていて

何かと忙しい身

正直迷惑でしかないだろうと思い心配になったくらい

 

最初は毎週家庭訪問したいと言われた

でも私がスクールカウンセリングを2週間に一度受けているのもあり

さすがにテンパってしまうと考え

2週間に一度にしてくださいとお願いしたくらい

とても元気で明るい活発な先生

 

先生はいつ長女が学校に来ても問題ないように

自分が架け橋になっておいた方がいいと考えてくれている

 

もし長女が学校に行きたいなと思ったとき

教室にはほとんど知らない子ばかりでは

行きたくなっても

そこが不安になり別の理由で行けなくなってしまう

 

そうならないために

それを避けるために

少しでも繋がっていた方がいい

いつか学校に来られるときのためにとの考え

 

そして先生自体が長女に会いたいんだと強く希望され

自分がしたくてやっていることだから

気にしないでとも言われた

 

まぁ迷惑でないなら甘えておこう

長女にも外の繋がりが少しでもあるほうがいい

というわけで家庭訪問をお願いしている

 

家庭訪問時の長女

最初の家庭訪問の頃

長女はかなりそわそわしていた

先生自体にイヤな印象は持っていなかったため

家庭訪問されることには抵抗はなかった

 

長女は人見知りというよりは

何をどう話して良いのか分からない子

話を聞くことはできるが

自分の気持ちは言えない

 

だから質問されることに相づちをする

これぐらいしかできない

 

当然先生との会話はほとんど母の私がする

それでも常に長女を同席させ

相づちでもいいので会話に参加させている

 

先生はいつも長女の様子を心配し気にかけてくれる

『今週はどうだった?』

『何かあった?』と聞いてくれる

 

ほとんど特別何もないので

大体いつも先生が学校の様子やイベントなどを

話してくれる

 

でも長女は学校の様子はあまり気にならないよう

もしくは興味がないよう

だからただ先生が一方的に説明するのみ

 

先生は毎回学校で配布する各教科のプリントや

お知らせの配布物をたくさん抱えて来る

それらのプリントをファイリングするように

何種類かのファイルも用意してくれた

 

でも毎回手つかずでそのままドサッと机の上に積み上げられる

いい加減やめませんかと言いたくなる量の紙

長女もそのプリントをどうすればいいのか分からず

手つかずのまま

さすがに私もどうずればいいのか分からない

 

今度お知らせのプリントだけでいいよと

提案でもしてみようかな・・・

 

先生はやっぱり勉強がお好き?

最初は先生は少しでもいいので

がんばって自分のペースで勉強して欲しいと話していた

先生だから当たり前だよね

子どもに勉強を教えるのが仕事だもんね

勉強をプッシュする理由はわかる

 

将来のために学力は必要

自分の好きな教科だけでもいいから

自分のペースで進めようと言ってくれた

 

そしていつか乗り越えなきゃいけない壁にぶち当たった時

頑張ってきた経験が自分を支えてくれるからと

熱弁された

 

先生という立場で

勉強ばかりしていた先生からみたらごもっともな考えだ

それ自体は間違っていないと思う

でも違うんだよな

 

勉強だけでは問題は解決しない

正直長女の不登校の理由は家庭環境にある

勉強ができるできないではない

私の育て方に問題があり

勉強以前にやるべきことをさせてこなかった

そのため学校へ行けない

 

それは自分の考えを持つこと

そして自分の考えを表に出していいという安心感を身につけること

これが出来ていない

 

自分の感情を理解しづらい

自分の心の声を表現しづらい

そして自分で考え決断するということが出来ない

 

これらの習慣が身についていない長女にとって

今学ぶべきことは

基礎学力の習得ではない

 

本来ならもっと前に身につけておくべき学習

正しい愛着行動を身につけていれば

身につけさせていればこんな状態にはならなかった

そして今幼少期に獲得するはずだったものを

今学習しようとしている最中

だから待って欲しいと伝えた

 

担任の先生に家庭内のことを話してもいいのか不安だった

スクールカウンセラーは傾聴の技術があり

私が何を言ってもどんなネガティブな発言をしても

受け止めてくれる

それは仕事でもありそのスキルを持っているからこそ

私も気にせずすべてを話せる

 

だけど担任の先生はカウンセリングの内容は一切知らされず

我が家の根本的な問題は知らない

長女の表面的な問題しか知らない

 

それは隠していたわけでもない

見栄でも何でもない

ただ先生に重苦しい空気を感じさせることが

重荷にならないかが不安だった

 

でも問題自体の土俵が違うのに

いくら基礎学習のことを言われてもらちがあかない

 

だからあまり深刻にならない程度に

家庭内のことを説明した

私と両親の関係

そして私の間違っていた子育て

私達が抱えている問題、課題について

 

先生が長女のために・・・

間違った子育てで培った思考の回避癖

親の間違った子どもへの関わり方でそうなってしまったと

説明したら理解してもらえた

(ちょっとはびっくりしていたかな・・・)

 

先生いわく

長女と同じように自分の考えで行動したり

自分の考えを発言出来ない子というのは

クラスの子ども達の中にもちらほらいるよう

 

そして先生自体もついつい心配するあまり

過干渉にあれこれ指示してしまうときがあると話していた

自分で考えない子というのは理解しやすかったようだ

 

自分の考えがない

自分の気持ちが言えないのは

長女だけではない

だからといってみんながみんな不登校になるわけでもない

 

我が家は私と主人が娘達の気持ちを優先しているから

不登校なだけ・・・

 

その考えも先生には正直に話し

無理矢理学校へ行かせる気は一切ないと説明

その上で先生は長女に提案をくれた

 

少しでも自分の考えを発信する機会を得られるようにとの考えで

長女に提案をしてくれた

 

それは交換日記📖

 

先生と長女の交換日記

先生は長女の気持ちを発信する練習にと交換日記をやろうと

長女に声をかけてくれた

 

長女は自分自身で日記をつけたことがない

似たような物で

小学生の時毎週金曜日に宿題として出されていた

作文ぐらいしか書く機会はなかった

 

だから先生の提案にどうするかなと思ったが

あまり抵抗は感じなかったようで

『いいよ』の一言だった

 

2週間に一度しか合わないため

お互いにノートを一冊用意し

毎日ちょっとした出来事・感想を書きためる

そして家庭訪問の時にノートを交換し

次は受け取ったノートに日記を書き足していくというやり方

 

意外にも長女は毎日少しずつ日記を書いていた

夜寝る前に一人でこっそりと

もちろん私はノートの中身は見ない

本当に先生と長女だけの交換日記だ

 

交換日記に書く内容は何でもいい

たくさん書かなくてもいいし

書かない日があってもいい

 

ゲームのことYou Tubeのこと

本当に何でもいい

書くハードルが低いため無理なく取り組めるよう

 

先生も長女のことを考えて

たくさんは書かないようにしているらしい

先生が初めからたくさん書くとプレッシャーになりかねない

 

先生は先生でいろいろ考えて長女に接してくれている

学校へは行けないが

まさかこんな形で先生と繋がれるとは思ってもいなかった

 

ある意味とっても贅沢な授業だ

担任の先生に個別で見てもらえる

親としてはとてもありがたい

先生のご厚意がとてもうれしかった

 

この交換日記で少しでも

自分の気持ちを表現する楽しみを覚え

先生に何か伝えたいとワクワク感を感じられれば

上出来だ

これほど有意義なことはない

 

今の長女に必要な授業を先生は時間を割いて付き合ってくれる

先生が長女にとって少しでも居心地がいい存在になってくれれば

それでもう十分だ

 

学校へ行けなくてもいい

十分有意義な授業は受けさせてもらっている

そう感じずにはいられなかった

 

私も交換日記したいな😊

不登校児の朝散歩 散歩の後にはゆらゆらハンモックで一休み😴

★散歩の時間が家族会議時間になる

◆◆◆もくじ◆◆◆

毎朝のルーティンに朝散歩🚶

最近朝と夕方が過ごしやすい気温になってきた

私は毎朝6時頃に約10分の朝散歩を習慣にしている

 

もうこれだけ頭の中がぐちゃぐちゃだと

気が滅入る

さすがに病むのもイヤなので

意識して朝日を浴び

セロトニンを活性化させるために

朝散歩を楽しんでる

 

今の時期は本当気持ちが良い😊

誰もいない道を歩く 

この時間が好き

 

休日には主人と二人で朝散歩をする

主人は20分ぐらい歩きたい人なので

朝からちょっと疲れてしまう

 

でも平日はなかなかおしゃべりしている時間がないので

この時間は娘達のことお互いのことをいっぱい話す

意外に大切な時間となってる

 

夕方は夕方で食後の血糖値を気にしてまた散歩する

夕方には娘達も加わり

家族4人でわいわいおしゃべりしながら散歩をする

家の中に居るとどうしてもゲームやYou Tubeに注意が向きやすく

家族4人でまともに話ができない

 

また両親も居るので何かと気を遣い

本音トークができない

その点散歩している間は

4人だけの時間

周りを気にせず話せる

 

外での家族会議時間

外は開放的

歩きながら話しているおかげか

愚痴も笑って話せるし深刻にならない

解放過ぎて娘達のじいちゃんに対する愚痴が半端ない

 

とりあえず

我が家にとって外での家族会議は意外に良い

歩ける時期は時間を作って家族4人で散歩したい

 

チック症の長女にはセロトニンの活性を促すためにも

本当は朝散歩をしてもらいたい

でもさすがに朝6時はまだ夢の中

7時ぐらいになるとちょっと汗ばむ気温になり嫌がってしまう

 

だから今は無理意地はしない程度に

休日の夕方に軽いリフレッシュの散歩をする

ちょっとした習慣になっている

 

”おんぶ”がまだ楽しい年頃

昨日も夕方に家族4人で散歩した

でも娘達は甘えているのか

本当に足が疲れているのか分からないが

二人とも『おんぶして~』とせがんでくる

 

長女は中学生でもう大きい

さすがに私は背負えない

だから主人に任せて

私は次女を・・・

 

それでも少しの距離しか背負えなかった

あっという間に大きくなってしまった

重いよ・・・

 

少しの距離しか”おんぶ”できなかったけど

なんだか楽しかった

おんぶは少々きつかったけど

おんぶできるのもあと少しだろうと思うと

がんばらなきゃなって思った

 

ちょっとのおんぶでへたばっていたら

次女に『筋トレしなさい』って指摘されてしまった

『おんぶするために筋トレするんかいっ』

てみんなで笑ってた

 

親子の時間はこれぐらいでちょうど良いのかも

あんまり一緒に居るといろいろ口出してしまう

もう自分で考えられる年齢で

最近は少しずつ自分たちで考えるようになってきた

付かず離れずの関係がちょうど良いのかも

 

散歩の後には

次女が明日の朝起きれたら

散歩したいと言い出した

 

今度はキックボードに乗って散歩したいと言う

なんだかご機嫌だ

 

キックボードで朝散歩

そして今朝5時45分に

『散歩に行きますが、行きますか?』

と寝ている次女に声をかけたら

むくっと目覚めた

 

自分で決めたときはちゃんと起きてくれる

親が頑張って起こさなくても自然と起きる

自分で決めたことにはちゃんと行動する

 

そして久しぶりに次女と二人で朝散歩を楽しんだ

次女は空が好きなので

雲を眺めて写真を撮ったり

立ち止まって雲を観察したりして

キックボードでスーイスーイと

 


朝日なのか夕日なのか

昨日の夕方もこんな感じだった

とってもひんやりしていて気持ちがよかった

 

今日は一日調子が良さそう!!!

朝散歩はいつも10分足らずで終わるけど

今朝は次女のゆっくりペースで

のんびりと朝散歩を楽しんだ

 

今日は朝からちょっといろいろ話してくれた

まだまだ次女の心の中にはモヤモヤがあるよう

 

学校のことそして

じいちゃんとばあちゃんのこと

 

いろんな感情を上手く受け流せないようで

いろいろキャッチしてしまうよう

 

自分に関係ないことはスルーしていい

じいちゃんとばあちゃんは一緒に居るが

家族ではないし

気にしなくていい

 

だから言うことも聞かなくていいし

気も遣わなくいい

 

と言ったところで

小学4年生の子どもにそんなことを言っても

上手く立ち回れないし

上手く心の中で消化しきれない

 

だからたまにはこうやって2人で朝散歩して

気持ちの良い空気をいっぱい取り込んで

リフレッシュしようね

朝散歩の後また眠りの世界へ

朝の6時に散歩したからその後もう一度夢の中へ

いわゆる二度寝

次女の大好きなハンモックに揺られて・・・

こういうちょっとした休憩時には大活躍

明日も朝散歩するって聞いたら

『明日はしない』って

 

また朝散歩したくなったら声かけてね

とだけ伝えた

 

朝散歩の習慣は必要だが

大切なのは本人の意思

自分の意思で決めたことはある程度のことはできる

 

できないときは本人に意思がない時

そしてまだ本人にとっては必要ではない場合が多い

 

大人の私の習慣と子どもの習慣を一緒に考えてはいけない

子どもの頃私だってできないことでいっぱいだった

 

でも必要だと感じて少しずつできるようになった

みんな少しずつ成長してる

焦らず今を楽しもうね🎶

『勉強が面白くなる瞬間』を読んだ不登校児が勉強に向き合い始めた 勉強の意味を知ることが必要だった

★『勉強』の意味を伝えたいので本に委託しました

◆◆◆もくじ◆◆◆

学ぶ楽しさを知ると教えたくなる

たまたま暇つぶしで立ち寄った本屋さん

最近勉強にハマり毎日があっという間に過ぎる

でも正直私が勉強していて意味あるんだろうかと

やっぱり疑問に思う

 

なんせ目的もなく勉強している

ただ問題が解けるのが楽しくて勉強している

ほぼ脳トレの域

 

一番いいのは娘達が勉強に取り組んでくれること

と言っても

学校の勉強じゃなくていい

分からないしつまらない

そんな興味の沸かないことに時間を費やすことはない

 

だから何でもいい 本当なんでもいい

何かを学び 学ぶ課程を楽しんで欲しい

 

将来のためにとか

仕事するために学ぶんではなくて

単純に未知の世界へ踏み込み

知らないことを知ることを楽しんで欲しい

 

この楽しさを少しでも感じられると

毎日がちょっとは楽しくなるんじゃないかな

ただそれを伝えたくても

なかなかうまく伝えられない

 

すでに子育てに失敗してきた母としては

なにぶんうまく話せない

すべてが押しつけになり

提案になり指示にならないかが心配で

伝えられない

 

言いたくても言えないこのもどかしさ

はぁ~言葉以外の方法で伝えたい・・・

 

私の学びはいつも本

私は今まで自己啓発アドラー心理学

モンテッソーリ教育愛着障害

食生活ではグルテンカゼインフリーなど

自分が興味を持つことについては

いつもアンテナを張って情報を探しに行っていた

 

インドア派なのでセミナーなどへは参加したことはなく

人にも相談はしないので

頼りになるところは本ぐらい

 

もちろんネット情報も参考にはなるが

断片的にしか学べないので効率は悪い

でもきっかけや刺激にはなる

 

だけどしっかりと学びたいときは

いつも本にたよることが多い

気になることがあると度々本屋へ行く

 

と言うわけで私がしているこの勉強に意味を見つけたくて

理由を見つけたくて本屋さんに答えがないか探しに行った

 

見つけたかもしれない

『勉強が面白くなる瞬間/読んだらすぐ勉強したくなる究極の勉強法』

なんかワクワクするタイトル

タイトルだけでここに答えがあるかも

見つかるかもしれないと感じ

即買い

 

ちょうど探してるようなものがあった

・勉強は「頭」でするものではなく「心」でするもの

・勉強にはしっかりした「心の姿勢」が必要

・「なぜ」勉強するのかさえわかっていれば、「どうやって」勉強するのか

 の答えは自然に見つかる

・勉強の本質は「競争」ではなく「成長」にある

引用『『勉強が面白くなる瞬間』 パク・ソンヒョク

 

もうこれだけで私の答えは見つかったようなもの

私は回避型・拒絶型愛着のため

自分の考えを持つこと

自分の頭で考えること

自分の心と向き合うこと

これらの習慣がない

 

与えられたこと

言われたことはできる

 

でも自分のやりたいこと

自分の気持ちを理解することは苦手

 

その私がなぜ勉強するのか

それは

『心を取り戻すため』

自分の心を見つけるために勉強する

 

理由はこれで十分なのかもしれない

少しずつの積み重ねが心を育てていく

 

著者は

勉強は輝かしい人生を作ってくれる『すばらしい探検』

でもその人生をすばらしいものにできるかどうかは

自分がどう勉強するかによって決まる

 

勉強するうちにだんだんと心が強くなり

自分の心をコントロールできるようになる

それが自分を立て直す方法を身につけるということ

だと言う

 

なんだかもう最初のところを読んだだけで

ワクワクしてきた

 

長女の代わりにやり始めたルーティンが

もうすでに私を成長させていた

 

学校の勉強をしようが何を勉強しようが関係ない

『勉強』をすることで私は未熟な『自分の心』

これをコツコツと育てていくんだ

勉強の目的とは

長女の担任の先生はよく

『勉強』が自己を成長させるためには大切だから

少しでもいいから

自分のペースで勉強に取り組んで欲しいと言う

 

でも以前の私は娘達が不登校なのは私の子育てが原因

家庭環境が原因で今はそれどころではない

正直学校の勉強どころではない状態

 

自分の気持ちも分からず

何をしたいかも分からない

将来にすら希望を持てない子に勉強なんて

だから私は無理にはやらせない考えだと話してきた

 

でも先生は頑張ること、やり抜くこと

これから先何か問題が起きたとき逃げ出さないように

努力することを勉強から学んで欲しいとよく熱弁されていた

 

正直この時はやっぱり先生だから勉強が好きなんだな

そんなイメージだった

でももしかしたら先生が勉強で得られると信じていることは

この本が伝えようとしていることと同じだったかもしれない

 

どうしても学校教育で育ってきた私は勉強の目的が

いい点数を取っていい学校へ入る

いい大学へ行きいい会社に就職する

いい会社に就職してお金をたくさん稼ぐ

これが勉強の目的だと思っていた

思い込んでいた

 

そしてこの目的がないのなら学校の勉強は必要ない

そう考えていた

でも違っていたのかもしれない

 

勉強の本当の目的はそんなことじゃない

勉強の目的は『心の力』を育てること

これが目的なんだとこの時初めて知った

 

幼稚園に入ったら次に小学校

小学校の次は中学校そして高校に大学

 

勉強する目的があるなんてこと一度も考えたことない

みんなが行くから行く

親が行くもんだと言うから行く

行くのが当たり前でそれが常識

 

常識って本当怖い言葉

この一言で思考がストップする

 

勉強の必要性を本から学んだ長女

勉強の楽しさはたぶん親からは伝わらない

何か裏があると感じ素直に聞き入れられない

中学生の娘は思春期もあって

いろいろな壁が生まれる頃

だから私はこの本に伝えてもらおうとした

 

長女は本をよく読む

まだちょっと私の話にも耳を傾けてくれるので

面白い本を見つけたよっと

そっとアピールだけして本棚の一番手前に

この本を飾った

 

すると計画通り長女は読んでくれた

そしてまたもや数学のドリルに取り組んだ

 

長女の感想は・・・

『こてっこての精神論だね』

笑ってそう言った

 

長女の心の中にある不安

これが言語化されてはっきりとしたらしい

 

長女が感じている焦りや不安

それが学校へ行っている人にも同じように不安がある

学校へ行く行かないは関係ない

みんな漠然とした不安があるんだ

自分だけじゃないんだ

 

それを知ることができたことがプラスに働いた

そして何事も自分で決意することが必要なんだと

知ったよう

 

ドリルを少し取り組んでチックが治まった

今の状況を放置しておいても問題は解決しない

だから今少しでもできることをやってみよう

そう長女は考えたようで

この本を読んでから毎日少しだけ数学のドリルに

取り組んでいる

 

長女は

『なんかよくわからないけど

やらないとな、やりたいな』

と言い出した

 

親や身近にいる大人から言われる言葉には

良い悪い関係なしに反抗したくなるのがこの年頃

 

だけど合ったこともない見たこともない人が

自分と同じような思いを抱いていたことに共感を覚えたんだろう

 

私でさへ学生時代の自分をリンクさせて読んでいた

そんな時もあったなって感じで

あの時の焦りや不安を具現化してもらえていたら

気持ちはもっと楽だったのかな

そんなことを考えながら読んでいた

 

そしてあの時ちゃんと自分と向き合ってこなかったから

今向き合うときなんだと私は思った

 

うまくいくかなんてどうでもいい

やりたいからやる

学びたいから学ぶ

もうそれだけでいいと思った

 

長女はとりあえずここ2週間ほどドリルへの取り組みを

続けている

1ページできるときもあれば

2,3問解いて終わりの時もある

 

やりたくない時気が乗らないときは1問だけ解く

そしたらとりあえずはできなかったという日は作らなくてすむ

調子が良いときも調子が悪いときもある

それでもちょっとやったらそれでOK

 

自分に○がつけられるなら

そうしたらいい

そして次の日また取り組めばいい

 

それが続けるコツ

続けて習慣にしてしまえば簡単

 

最初だけ努力が知恵が必要なだけで

身につけたら自然と数学はできるようになる

そしたら楽しくなる

 

この本が娘にアドバイスをくれた

そして私にもアドバイスをくれた

 

勉強は心を育てる

これを知ったらやらないわけにはいかない

勉強する意味がないなんてもう思わない

 

勉強の意味をしっかり知らなかった

考えなかった私が悪かった

ごめんなさい

 

これからもっといろんなことを知りたい

40代だがまだ40代だ

勉強して無意味なんてことはないんだ