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娘の不登校から自分の幼少期を振り返る 目を背けていた過去を受けとめる作業

★親の愛情が子そして孫にまで伝染する

◆◆◆もくじ◆◆◆

私の愛着障害

愛着障害を私と娘たちとの間に起こしていることを

知ると同時に

私と私の母との間にも愛着障害を起こしていることが分かった

 

要するに愛情のかけ方、愛し方は代々受け継がれていくこと

それは基本母親から受けた愛情がベースにあるため

その愛情のかけ方、与え方しか知らないということ

 

では私はどんな幼少期を送ってきたのか

どんな愛情を受けてきたのか

考える必要があった

 

過去を振り返ってもどうにもできないのは

分かっている

でもなぜ自分が素直に娘たちを愛していると言えないのか

愛していると自信を持てないのか知りたかった

 

そこを理解しないことには

問題を修正することは難しいと感じた

 

私にも心の安全基地と呼べる場所はなかった

私の母は私が小学4年生の時には

もうすでに精神疾患を患っていた

そして母は自分の事でいっぱいいっぱいで

子どもに目を向ける余裕などなかった

 

だから私は母との思い出らしきものがない

母がどうやって私を育ててきたのかも

私は母からどうやって育てられたのかさえも記憶がない

 

幼少期のことだから覚えていないのかとも思ったが

そうでもない

場面場面での絵としての記憶は持っている

 

でもその絵にこれといった感情がついてこない

母とのやりとりの記憶がない

たぶんやりとり自体をしてきていない

 

愛着とは

赤ちゃんが泣いたり、笑ったり、見つめたりする働きや行動に対して

母親(養育者)が受け止めることで形成されていくよう

 

子どもは常に自分を守ってくれる人の存在を感じていたい

『抱っこしてほしい』

『かまって欲しい』といった欲求

 

この自分の欲求が受けとめられ満たされると

安心感を抱く

この愛着形成によって母子の信頼関係が出来上がることが重要

 

さすがに赤ちゃんの時の記憶などあるわけがない

でも子どもの時の記憶ぐらいあってもよさそうだ

でもやっぱり思いだせない

 

幼い私が母に『ねぇ~ねぇ~聞いて』

などと話を聞いてもらっている場面などなかった

そしてこれっぽっちも想像がつかない

 

当たり前だ

実際にそういったやり取りはなかったんだから

 

父に確認したら母はいつも家事に追われていたと言う

やらなくてもいい家事までやり

一人でヘトヘトになっていた

 

誰も求めていないことまで完璧にやろうとして

家族が求めていることは二の次だったと言う

 

母の中での母・嫁としての理想はたぶん・・・・

・家の中は母が仕切るもの

・子育ては母親がするもの

・旦那の世話は嫁がみるもの

・旦那の親の面倒は嫁がみるもの

まぁ大雑把にこんなとこかな

 

だから忙しくていっぱいいっぱいで

文句の言わない子どもが後回しになる

 

そして母が相手をしてくれない分

いつも遊んでくれたのは父だった

 

母を一人家に残し父と遊ぶことが多かった

そしてそれが私の育った家族のスタイル

スタンダードな考え方だった

 

だから私も家事を優先して

娘たちの遊び相手は主人に任せることが多かった

そしてそこに疑問を抱かなかった

 

私自身幼少期にほとんど母に遊んでもらっていないせいで

私も娘たちと遊んであげることは少なかった

身の回りの世話をすることは出来ても

遊んであげることは不得意だった

 

だから子どもが苦手なんだとわかった

母に遊んでもらったことが少ないので

どう相手をしてあげればいいのかわからない

 

そして子どもが何を欲求しているのかも分からないため

困ってしまう

経験していないということは何かと問題だ

 

幼い時の私は母にどう接してほしかったのだろう

普通に笑って笑いかけて抱きしめてもらいたかったのかな

 

私の中にある昔の記憶

私が父に勉強で叱られているとき

隣でシラッと洗濯カゴを抱かえて素通りしていく母の姿

 

怖い父から怒鳴られている私を無視して家事をする母

助けてもらいたかった

仲裁に入ってもらいたかった

庇ってもらいたかった

でも何の一言もなかった

 

母自体も父には何も言えない立場

そんな夫婦間で上下関係が普通に成立していた

 

何故かそんな場面をよく覚えている

泣いても叫んでもきっと何も言ってくれない

たぶん子どもながらにそこで諦めたんだろう

 

何を求めても何を言っても聞いてくれない

何を感じているのかも察してはくれない

親は何もしてくれない

そんな自分の事を自分でもどうすることもできないって

諦めた

 

だから

私には母という安心できる場所は存在していなかった

もちろん父も私にとっては安心できる場所ではなかった

 

私の母はこんな人

母は都会から一人で田舎の父の実家に嫁いできた

結婚してすぐに父と祖父、祖母そして父の弟の5人での生活が始まった

 

祖母は穏やかな人で母とも気が合い仲も悪くはなかった

でも病弱だった祖母は私が産まれるとすぐに他界してしまった

 

祖父は頑固で厳しい人

母は祖父とはなかなかそりが合わず

言いたいことも言わせてもらえずストレスを抱えていた

 

パートナーであり一番の味方であるべき父は

自分の父親に何も言えない立場

祖父と意見の合わない母を擁護することもなく

『郷に入っては郷に従え』の精神を

父は母に押し付けていた

 

そして母は祖母が他界した後

一人嫁いだ家で孤立していった

 

母は常に

子どものことより家のこと

子どものことより食事の支度

子どものことより祖父と父の世話だった

 

睡眠もままならず家事をしていたようで

母はあっという間に心と体がボロボロになり

あっという間に精神を病んでいった

そして全てが狂っていった

 

家のこと父のこと祖父のことで

子どもに応えている暇なんてない生活を送っていた

 

よく台所で寝落ちしていたと聞いていた

父は家事は一切しない

男は外で働くのが仕事

女は家の中で働くのが仕事

そんな考えでお互い生きてきたようで

父が母を助けることはなかった

そして母も助けは求めなかったよう

 

母は家事と育児と自分の精神とのバランスが取れず苦しんだ

そしてその原因は父と祖父にあるといつも愚痴っていた

父からは母業が上手くできない母の愚痴を聞かされていた

 

私はただ育てられた、そして育ってきた

だから私も娘たちに対して

ただ育ててるだけなのかもしれない

 

たまに思う

ちゃんと笑ってる、笑えてる?

娘たちの笑顔に応えてあげられているんだろうか・・・

娘たちが欲求してくるものを満たせてあげられているだろうか

そう思うと苦しくてしかたない

 

心から笑う、愛情を持って笑いかけるということを知らない

あまりされた記憶がないため、上手く笑えない

 

そしてそんな自分にももう慣れてしまっている

今更ベタベタするのもキャラじゃない

なんとなく自分じゃない

 

素直になれないんじゃなくて

素直になるやり方を知らない

でも理由の所在地が分かると案外楽になれた

 

自分の過去を振り返る作業が苦しい

不登校で娘たちの生い立ちを遡りいろいろ考えるうちに

自分の幼少期を振り返ることとなった

 

わざわざ好き好んで過去には戻らない

良い記憶などあまりないのがスタンダードな考え

だから娘たちのことがなければ

触れることはなかった

 

自分と親との関係

これまでの自分の生き方

どれを振り返っても戻りたくない過去

 

私自身機能不全家族出身で

心の安全基地が構築されていない状態で育ってきた

だから常に不安で、どちらかと言えばその不安から

逃げるように生きてきた

 

幼少期の愛情不足や親の価値観にさらされ続けた結果

認知の歪み

生きづらさを感じているのは間違いない

ただ専業主婦になり社会から離れて生活していると

そんなに価値観の違いに悩まされることはなくなるので

若い時ほど生きづらさは感じてはいない

 

私自身親からの条件付きの愛情で育ってきたのは分かる

ただ過ぎてきてしまったのでわざわざ掘り返さなかった

 

でもどこか常に問題にはならない大きさの

モヤモヤはあった

親と同居している以上まぁそれなりに価値観の違いでストレスもあった

でも家族だからしかたないと自然と諦めていた

 

ずっと逃げていた現実・過去を

娘たちのおかげで嫌でも受け止めさせられている

この作業は結構苦しかった

 

そりゃそうだろう

『お前は親から愛されてはいなかった』

『お前が欲しかった、望んでいた愛情はなかった』

そう言われているような気がして辛かった

 

そんな親に嫌でも従うしかない子ども時代

自分の身を守るためには

自分の心を封印するしかなかった

そうやって子どもは自分の身を守るらしい

 

それが生き延びるための戦略なんだと

カウンセラーに教えてもらうまでは

正直かなりしんどかった

 

常に愛されないのは自分のせい

自分が何か悪いことをしたから

そんな思考の癖がいつもどこかにあり悩ませる

 

カウンセラーは私にアドバイスをくれた

過去に親がどんな大変な場面がありどんな事情があったとしても

子どもを雑に扱っていい理由にはならない

 

それは仕方のないことなんだと諦める必要はないと言う

だから自分の気持ちを抑える必要はないだよと

私に教えてくれた

 

親には親の事情がある

だけど私には私の心があり私の欲求がある

そこに蓋をしてはいけない

 

幼い時にはどうすることも出来なかった

どうすればいいかもわからなかった

 

でも今は自分の気持ちに正直になれる

なっていいんだよ

自分のやりたいようにやっていいんだよと

カウンセラーは私の背中を押してくれた

 

すでに私は食にこだわりを持っていて

親とは違う価値観の中で生きようとしている

それがもはや自立だと言う

 

私は今までなんやかんや親の支配下にいて

自立していなかったようだ

 

それが食のこだわりをきっかけに

親から自立している最中なんだと知らされた

 

今私は娘たちの力を借りてようやく

親から自立しようとしている

40歳を過ぎてようやく・・・