何を食べたかで人生が変わる  

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特別何もしない年末年始を迎えた 宣言したらなんでもできるじゃん!!!

★思考と行動を変えるだけでストレスフリー

こんなストレスのない年末年始は初めて

いろんな価値観と思い込みが自分を苦しめていたんだと

つくづく感じた

 

年末年始 大掃除におせちの準備

どれも手放し

自分のやりたいことだけをしていた

 

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

 

案外別にどってことないじゃん

今までなんで無理してがんばっていたんだろう

 

あんなに”大掃除しなきゃ”とか

”お料理を沢山作っていろいろ用意しなきゃ”とか

いつもやることがいっぱいでてんやわんやしていた

 

そして指示しないと動いてくれない子どもや男性陣に

イライラしながらやらなきゃいけないことを

コツコツこなす女達

 

あぁ~このストレスがない

これがどんなに幸せか・・・

 

主人も娘達もストレスフリーだった

私からの小言が何よりもストレスだろう

その小言がないんだから

快適そのものだ!

 

家庭での母親の存在はかなりデカい

母は温かくて優しくて太陽のような存在

 

でも現実はギラギラしていて暑苦しくてトゲトゲしている

以前はそんなような母親だった

 

母親はこうあるべき

妻はこうあるべき

そんな固定観念に飲み込まれて

それが辛くて家族みんなに吐き出していた

 

今はもうそんな固定観念は無意味で害でしかないと考えるようになり

悪い習慣とまではいかないかも知れないが

私には必要ない

そんなものはいらない

 

結局年末年始

特別ダラダラ過ごしていたわけじゃない

自分のやりたいことをせっせと取り組んでいた

だからとても充実した年末年始になった

 

こんな過ごしかたもいいんじゃない

そんな感じだった

 

きっとまだまだ今年もいろんな価値観に気付き

自分に問う作業をして解放していく必要がある

 

40年間も溜まり溜まった価値観は

たった数月では解放されない

 

少しずつ絡まった紐を解いていくように

ほろほろほどいていこう

 

今年もそうやって自分自身を解放し

娘達も解放する一年として過ごす

 

そして解放された先に

本当の自分の気持ち

何がしたくて何が心地良いのか

もっと自分のことを知ろう

 

今までの自分がクサッた親の不安から作られた価値観で

がんじがらめだった

だからといってそれを親の責任だと嘆いたとて

何も変わらない

 

娘達はまだ成人していない以上親の管理下で生きるしかないので

親の私達の責任は背負わなければならない

 

とは言えこれもまた背負い過ぎると

過干渉になりかねないのでバランスが問題になってくる

 

私は娘達に今の私の現状

心の中の正直な思いを包み隠さず伝えている

 

子どもだからと言ってタブーはない

言葉を簡単にかみ砕けばなんだって理解できる

 

それでも本当に理解できないときは

まだそのレベルに達していないということ

そう思うことにし、今は保留ということにしている

 

でも実際10歳をこえればある程度は理解できる

娘達の中にもしっかりとした意思はある

 

だからお互い伝え合いすりあわせること

お互いを知ることが親子でも大切

去年はこれに気付かされた年だった

 

 

さてさて我が家は毎年年始めには私の兄弟が帰省する

いつも大体大賑わい

娘達は子ども同士で遊び

男は食事とお酒をたしなみ

そして女はテーブルが寂しくならないように

手持ち無沙汰にならないように料理をせっせと用意する

 

男は椅子から一歩も動かない

女はキッチンから一歩も動かない

この光景が不公平極まりなくて大っ嫌い

 

なぜそんなおもてなしをするんだ

元は一緒に暮らしていた兄弟、家族だろ

なぜ私は兄弟のためにせっせと自分の身を削って

おもてなしをしなきゃいけないんだ・・・

 

疑問でしかなかった

 

そしてそれに文句を言えば

本家とはそういうもので

お正月とはそういうものだ

 

何の疑う余地も与えられず

毎年そんな新年に付き合わされてきた

 

でも今回は違う

おせち料理もおもてなし料理も

家族にさえお正月らしいものを特別には振る舞わなかった

 

主人にも娘達にもちゃんと説明し了承を得たので

心大きなく自分に専念した

 

というよりそもそもイヤイヤやられても迷惑な話で

無理してやっている以上

おもてなしでも何でもなかった

 

私がお正月のおせちなどを作らないと宣言すると

母は途端にやる気をなくした

 

そしてしまいに

体調が悪くなるかも知れないから

帰省するのを見合わせてもらいたいと言い出した

 

結局私の母もやらなければという思いが強いんだろう

自分ひとりではやりたくない

でも娘の私がいればやれる

 

そう・・・あれこれ指示してこき使えば

なんとかお正月を乗り切れると思っていたんだろう

毎年そうやって乗り切ってきた

 

でももうこき使える娘の私が

早々にリタイヤしたものだから

自分一人では乗り越えられないと思い

案の定逃げてしまった

 

でも私からしてみればそれでいいと思った

逃げれば良い

お正月なんて毎年やってくる

調子の良いときもあれば悪いときもある

無理する必要なんてどこにもない

 

お正月をみんなで盛大にお祝いして迎えたい

そう思うのは悪くないしかまわない

 

でもそれだけのことをするには自分の体力が限界で

人の助けを得なければ叶わない状態でいるなら

本当に盛大にやることが必要なのか考えるべきだ

 

そして人の助けが必要で助けてもらいたいなら

日頃から周りに対して自分のできる範囲のことで

人に尽くしてこなくちゃ

 

お正月だから新年だからと

そんな理由で人は助けてはくれないし動いてはくれない

(まぁ私は動いていたけど思考停止状態で)

 

お正月だから新年だからといって

日頃引きこもっている人がのうのうと

おせちにありつけること自体間違っていないかい?

そんな風にさえ思えてならなかった

 

常に自分のできることを周りに与え続けていれば

自ずと感謝され助けて欲しい時に誰かしらは助けてくれる

 

それすらもしないで

頭でっかちで見栄ばかり張る母に

付き合いきれない

 

そしてそれに付き合う必要がないと分かると

もう無理だった

私は何もしない

 

現状に不平不満を抱いて自分の状態を顧みず

精神疾患という盾を突き出して何もかも投げ出してきた母を

今更助けてあげたいなんてこれっぽちも思わない

 

自分の欲と理想ばかりを掲げてこき使ってきた

こき使われてきた私

 

現実母がそんな風には思っていなかったとしても

私がそう思う以上

これが現実なんだ

だからもうどうすることもできなかった

 

私は何もしたくなくて

何もできない

 

お正月なんてみんなが集まってお茶するくらいでいいだろう

それくらいなら大して負担にもならない

長い時間滞在するから体も気も疲れてしまう

 

自分の子どもや孫達に会えれば

どんな形でもいいんじゃないか

どうして見栄を張るんだろう

 

いやたぶんただの習慣だ

お正月とはこうやって過ごすもの

こうやって家族があつまり集うもの

そう思い込んでいる

 

それが今の生活スタイルに合わなくなってきているのに

修正しようとも改善しようともしない

 

そんなんだから限界を迎え爆発してしまう

 

そして母が自分の本当の気持ちを父に打ち明ければ

ことはスムーズに運ぶのにな・・・

そう思ってしまう

 

私みたいにやりたくない

それには理由があり

なんでやりたくないという気持ちがあるのか

細かく伝えれば誤解も生まれないだろう

 

何はできて何ができないのか

何がイヤでどこまでならOKなのかがわかると

対策だって考えられる

 

そしてそのことに対してそんなに不快にもならない

そうゆう理由ならできる範囲のことをしようとなるだろう

 

でもきっとこう言ったら文句言われる

そうやって想像してしまい言い出せない

父と母の関係を見る限る

大体想像はつく

 

でも自分の口で自分で言わなきゃダメなんだ

他人が手を貸して代弁しても

母のなかで

『でも本当はやらないとダメだよね・・・』

こんな気持ちがのこっていると

現実は回避できても

自分の現状は回避できないことになる

 

今まで引きこもって周りが手を差し伸べてくれるのを待っていた

自分では言えないから周りがなんとかしてくれるのをずっと待っていた

 

それでは何も変わらないんだ

自分で自分に片を付けて行動をしないと

いつまでたっても現実は変わらない

 

だから私は自分でやりませんと宣言した

その一言がとっても重要で大事な一歩だから

 

母の気持ちを伝えて父が受け止めてくれないようなら

父に問題がある

父に凝り固まった価値観があり

その価値観で母が苦しんでいる

それをお互いが理解する必要がある

 

でもだいぶ父自体も寛容になってきた

孫達の不登校に娘の私の反抗期

父自体も受け入れなければやっていけない状態になっている

 

なんせ孤独が苦手な人だから

ほっとかれるのが一番辛い

 

だから一生懸命父は父なりに娘達に歩みよるようになった

娘の私はなかなか手強くて歩みよりたくても近寄れない状態だが

 

まぁそんなわけで

新しい年が始まり

私は私なりのスタートを切った

 

うさぎ年は飛躍の年

いっぱい飛び回って成長するぞー!!!

 

娘達にぴょんぴょん跳び回って楽しんでいる姿を見せつけよう

いつか娘達も面白そうってひょっこり飛び出してくるかも知れない

 

そうなったらしめたもんだ🤭

 

今年もこんな感じで私と娘達の日常を綴っていきます

不登校の娘を抱える母ですが結構この状態を楽しんでいます

 

不登校は悪いことではなく母親の人生の見直しのチャンスだと

捉えています

なので今では娘達を通し母親である私の成長記録のようなものです

 

このブログを通じていろんな方に出会えることがとても楽しいです🎶

どんな形であれ人と関われることはとても幸せなことです🧡

 

私のブログに立ち寄ってくれるみなさん

本当にありがとうございます!

今年もどうぞよろしくお願いします😊