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主人に私の幼少期を知ってもらい 惨めな過去の自分を一緒に受け止める

★主人に見せていない自分の過去

主人と出会って約17年

振り返るとお互いの幼少期をあまり知らない

 

大まかな生きてきた道筋はうっすらと伝えてはいるが

心の奥にしまってある本当の気持ちは

結婚して一緒に生活していても

あまり明るみにはならなかった

 

きっと明るみになる時は

問題や喧嘩が起きたとき

また

自分と違う価値観に触れたとき 

 

そのとき初めて

相手はどんな生き方をしてきたんだろう?

どんな考え方を持っているんだろう?

どんな風に感じているんだろう?

と考える

 

でもたぶんほとんどの場合

喧嘩するときは

ただの憂さ晴らしで

その場の感情をぶちまけて終わる

 

本質を覗きに行く考えは

無意味に傷つけるだけ

 

だから喧嘩は嫌い

 

問題や喧嘩が起きない限り

考えるきっかけがない

 

相手の気持ち

自分の気持ちを考える

きっかけなどそうそうない

 

もしきっかけが生まれたとしても

自分だけの想像、解釈で終わり

フツフツしてる

 

直接気持ちに触れて理解できた時 とでは

出てくる答えや結果は違う

いつだって見えてくるものは違う

 

どうしてそう考えたのか

何を感じたのか

何を感じているのか

そして

いったいどうして欲しいのか

 

出てきた気持ちには

絶対的に過去の経験が背景にある

最近それを学び理解した

 

私達は

過去の経験により

感情と思考が作られる

だから過去に向き合うことは避けて通れない

 

どんな幼少期を送ってきたのか

どんな事を考えながら日々過ごしていたのか

どんな親子関係で

どんな愛情を受けて育ってきたのか

 

ここを知り理解すると

心は軽くなる

 

それを最近肌で感じるようになった

 

ただ

わざわざ自分の過去に向き合うことはしない

 

なぜなら

この向き合う作業は非常に面倒くさい

だから進んでやるわけがない

 

でも

誰もが順風満帆に生きてきているはずがない

大なり小なりそれなりに問題を抱えている

 

その過去の感情を放置していると

いつの間にか山積みになり

向き合うことが困難になる

 

 

というわけで

喧嘩自体をしない私達は

お互いの過去を知らず

向き合ってこなかった

 

まぁきっかけがないので仕方ないけど

 

今が良ければそれでいい

とりあえず今だけを追い求め

今、目の前にある日常を大切にしていた

 

多少の問題が起きても

過去の自分には蓋をして

目の前に起きた問題に取りかかる

 

”今だけ”楽になろうとして

深掘りはしない

 

対処療法で根本は見直さない

 

波が立ったら落ち着くまで待つ

そんな感じ

いつか終わるだろう

遅延型アレルギー症状と同じように

 

そう心も体と同じ

異物を取り除かないとずっと体に残ったまま

これがいつか"しこり”になる

 

そうだ!ほんと!しこりだ!

 

過去の経験

この積み重ねが今の思考を作っていると

気付いていないため

何度も同じような問題が舞い戻ってくる

 

ちなみに私の場合の問題は両親

これしかない・・・

 

それがそろそろ

解決できる頃に来たよって

お知らせが来た!

 

自分の過去と向き合う準備が整ったよって

お知らせが来たんだ

 

 

私は過去を振り返ることが苦手

とても人に笑って話せるような幼少期

青年期を送っていない

 

現在進行形の自分は見せれても

過去の自分は見せられなかった

そして見たくもなかった

 

なぜなら

自分の事を恥じていたから

これが大きな理由

 

恥ずかしくて惨めな子ども

”かわいそう”と言うよりは

”惨め”っていう言葉がちょうどいい

 

とてもじゃないが

愛情をいっぱい注がれて

育てられた子どもではない

 

私がそう感じているのだからそうなんだ

 

人に言えない

言いたくない

そんな子ども時代を過ごしてきた

 

今では笑っちゃうほど

勝手に自分で暴露しているけど😁

 

 

以前の私は自分に向き合わなかった

向き合うことが必要だとも考えていなかった

 

私は特別素行が悪かった子どもではない

だけど自分をダメな人間だと思ってる

 

それは私を育てる親を私自身が見下し恥ていた

その親に育てられた自分を見下していた

 

私の母親は精神疾患で普通じゃない

住んでいた家も暮らしぶりも普通じゃない

 

そんな親に育てられた私は

しっかりした”いい子”にならなきゃ と

親の分まで”いい子”でいようとした

”しっかりした子”でいようとした

 

恥じるような親に育てられているという考えが

自己否定に繋がり

そんな親に育てられている自分に

劣等感を感じるようになった

 

自分の事をちゃんと見てくれない

自分のことをちゃんと育ててくれない

まともな生活空間を与えてくれない両親に

育てられている私は

 

ダメな子で出来そこないな子

 

私がダメな子だから

母親も父親もダメなんだ

 

そんな風に親を通して

私は自分にダメ出しする

 

だからいつも

親から離れたら幸せになれるかも

親から逃げさえすれば幸せに生きられるかも

そう考えてた

 

だから幼い頃はよくひとりぼっちになる妄想をしていた

 

親が帰ってこなくなり一人になったらどうなる?

施設などに送られたらどんな生活になる?

 

住み込みのバイトであくせくしながら働くっていうのはどう?

大変かも知れないが一人になれる

その方がまだましになれるんじゃない?

 

どうやったら今の生活に終止符が打て

違う生活が送れるようになる?

こんな事ばかり考えてた😅

 

私はそういう子どもだった

 

父はいつも家族みんなで協力して生きてきたと思っている

幻想だ

そんな温かい家族じゃない

間違っても私は温かくない

 

単純に逃げたくてでも逃げる勇気がなくて

仕方なくあの場所にいた

 

もう一度戻りたいかと聞かれたら

絶対に”嫌だ!”

 

だから過去は振り返らない

 

過去にイイ記憶はないし

クソみたいな生活しかなかった

 

イイこともあったかも知れないが

きれいさっぱり忘れている

 

過去に蓋をした時

全ての記憶に蓋をした

それが回避型の特徴(愛着障害

 

ストレスになるものからは全てシャットダウンする

私の特技!

 

でもそれでよかった

わざわざ楽しくもない過去の記憶に

心を乱されるくらいなら

封印しておいた方がまし

 

なのに

主人が少しずつその蓋を開けてきた

 

主人にとっては私の過去は面白いらしい

人の憎しみが混じった過去の話を聞いて笑っている

不思議がっている

 

”人の不幸は蜜の味”

そんな感じなのかも知れない

 

私は自分の子どもの時に送っていた生活を

こと細かく主人に話した

 

そしていつも考えていたこと

親から脱却する妄想

 

腸が煮えくりかえること

悲しいこと

惨めな思いをしていたこと

 

過去の私を少しずつ吐き出させてもらい

受け止めてもらった

 

娘達から離れて主人と二人で出かける度に

私と両親の過去の話になる

なぜか引き出される

 

吐き出した方が楽になるから

吐き出しちゃえ!

みたいな感じ

 

最初は嫌だったが

話ていく度に自分では知らなかった感情にも出会った

 

あっあの時本当はこんな風に思っていたんだなと

こうして欲しかったんだな

これが嫌だったのかな

 

という具合に

大人になって今更気づくこともあった

 

当時は分からなかったモヤモヤも

今では理解できるようになっていた

 

なんとなく過去は過去として

切り離して考えられるようになり

向き合うことが辛くはなくなった

 

子どもの私にもあの時はこうして欲しかったのかな

こう言われてショックだったのかな

なんて主人に話して

子どもだった自分と会話できるようになった

 

主人はただ相づちを打ち聞いているだけ

でもこれがたぶん良かった

 

すんなりと隠していた過去の自分を

打ち明けられた

知ってもらえた

 

子どもの時の私はこんな考えを持っていたんだよって

聞いてもらえた

これで十分だった

 

なんの否定もされず受け止めてもらったことで

私自身も受け止めることができた

 

主人には

”私”ができあがった経緯を少しでも知ってもらえたこと

惨めだった子どもの私と今の私

両方を受け止めてもらえていることが

安心にも繋がりうれしかった

 

 

ゴールデンウィークから覚えた主人とのデートで

もうこれでもかって言うくらい

両親へのネガティブと言える感情をぶちまけた

 

今の両親というよりは過去の両親

きっと今がどうのこうのっていうよりは

今までの経緯の中で積み上げてきた不満が多すぎて

ずっとくすぶっていた

 

主人といつも車の中で話をする

 

ひたすら私の過去の話を聞いてもらい

私は過去と向き合い

同時に過去と和解する

 

ずっとため込んでいた感情を

主人が一緒に向き合ってくれた

子どもの頃の私の気持ちに寄り添ってくれた

 

これがとっても落ち着きに変わっていったのを感じた

 

今までの過去に溜まりに溜まった

ずっとブルブル震わせていた感情を

一緒になって落ち着かせてくれて

ゆっくり整えるいく手助けをしてくれた主人

 

夫婦ってただ生活を共にするだけの関係じゃないんだ

好きだの嫌いだの そういったことよりも

 

本当の自分に向き合うための手助けをしてくれる

大切で必要な存在なのかなって

感じるようになり

主人のことがもっともっと好きになった

 

主人は私の話を聞いて

私の性格、私の行動の意図を理解できたよう

 

私のこだわりや偏った考え方

それらが形成するのにはちゃんと理由があり

その道筋を知るとよく分かるらしい

 

自分の幼少期は

見せたくない部分でもあり

軽蔑されたらどうしようという不安もあった

 

その現実を隠しながら生きてるから

不平や不満として現実に現れていた

 

自分で体験すると腑に落ちるから

納得がしやすく

あっという間に楽になる

 

思い出している時は

泣きながら吐き出しているから辛いけど

吐き出してしまえばクリアになる

 

全てが解決しているわけではないけど

モヤモヤしているものはだいぶなくなったような

 

これで現実に楽しいことに取り組めば

楽しく生きていけるかもって希望がわく

 

楽しいことに目を向けるのはもちろんなんだけど

それと同時に過去の自分にも向き合わないと

本当の意味で楽しめないのかもしれない

 

私はこんな風に少しずつ軽くなってきた

そしてこの方法が今の私にできる最善の方法

 

一人ではできないから主人に手伝ってもらう

これでいいんだ

 

そして今はこれで軽くなれるって分かったから

不安がない😊

 

そばに許しきれていない両親がいるけど

もう屁でもないかも😏