何を食べたかで人生が変わる  

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不登校は親の責任 そんなことどうでもいい で、次どうする?が重要!

★『不登校は大半は親の責任』この言葉嫌いじゃない

私はTVは見ない

この言葉はネットの記事で拝見した

 

その言葉に対して

私は何のためらいもなく

『うん、その通り!』

って心底共感した

 

私達親子の中ではこの言葉は

”正しい”と認識している

 

まぁ実際私のような母親はゴロゴロいるだろう

同じように過指示・過干渉・過保護で子どもを育て

人からがんばっていると

認められたく無意識に母親をやっている親が

ゴロゴロいる

 

断定はできないが

あくまで推測・・・

 

ただ本人にとってこれは潜在意識レベルの無意識

 

だから

自分がそんなことを考えているとも

求めているとも分からない

そして

気付いていない

 

たとえ 気付いていたとしても

素直にそれは受け入れない

 

なぜなら

なんとなく格好悪い

そしてみっともない

 

そんな風に感じる

肝っ玉の小さい母親であった私

 

そんな私のような母親が多い

気がする

 

私は同じ不登校児を抱える親と会ったことはない

ネットの記事や情報に触れるたびに

自分と似ているケースの親子が多く

自分と同じような子どもへの感情や対応をしている

親の姿に触れると

みんなどこも同じだなって感じる

 

ただ

どんな環境でどんな親子関係で繋がっているのか

本当のところは分からない

 

私が知り得る情報はたった一つのピースに過ぎず

全て同じと言う言葉でくくるのは

他の不登校児の親子に失礼だ

 

だからみんなが同じだとは思っていない

私もみんなと同じではない

似ているな 程度

 

その上であくまで

我が家に関して言えば

私に関して言えばの話

 

 

娘達が不登校になったのは

親の潜在意識の問題で

娘達に責任など一切ない

 

学校側にだって一切責任なんてない

まぁ本当のところ

親の私にも主人にも責任なんてない

 

じゃ~どこに責任があるのかと言えば

世の中の常識

これ一択

 

なぜなら

無意識に学校へは行くもんだと思い込まされている

学校へ行って良い大学へ行って良い会社に就職すれば幸せになると

思い込まされている

 

私より上の世代 さらにその上の世代は

その道のりしか知らない

 

その道のりを歩めなかったから

大変、苦労、幸せじゃなかった

と思い込んでる

 

だから学校へ行かなければ

その道のりすら見つけられない

 

そして大変、苦労、幸せじゃない 

未来が待ってるって勘違いし

後世に幻想であるその道を進める

 

そうこれは私の両親

私の両親はそんな思い込みが強かった

 

でもね

私気付いちゃったんだよね

 

それがタダの思い込みで

クソみたいなくだらない思い込みで

そのクソみたいな思い込みのせいで

自分の頭を使わなくなっているということに

 

 

幸せになれない本当の理由は

自分の頭を使わないこと

これが幸せになれない本当の理由

 

学校へ行こうが行こまいが

幸せには直結しない

関係ない

 

考えることはとても疲れる

エネルギーを消耗する

大変な作業

 

そんなエネルギーをごっそり持っていかれる

”考えること”は脳にとっては邪魔な存在

 

だからみんなと一緒がいい

楽な方へと楽な方へと

脳は私を誘導する

 

もとい、誘導していた

 

みんなと一緒の方がなんだか安心できて

正しい生き方がそこにあるって思い込んでる

 

そして一緒じゃないと

”不安”という見えないものを発動させる

 

これが脳の自己防衛機能

これが発動するとこの機能の存在を知らなければ

あらがえない

 

そうやって脳がエネルギーを消耗させないように

”不安”を発動させ

思考することをストップさせる

 

脳にとって好都合だが

私にとっては不都合な現実

 

今はこの脳の仕組みを知っている人は大勢いる

向上心、知的好奇心に溢れている人達は

だいたい知っている

 

賢い人達があらゆる方法で教えてくれている

これを教授しないなんて勿体ない

 

脳科学という学問があり脳の仕組みは解明され証明され

今では子どもにでも分かるように説明されている

 

ただ情報はあるのに受け取らない人がいる

その答えは簡単

 

自分の頭で考えることを今までにしてきていない

 

だからこの作業が面倒に感じ

脳がこの情報を受けとらない

 

今まで自分の頭で考える作業をしてきていない人にとっては

とても難しい作業だと感じる

思い込まされている

 

だからいろんないいわけを持ち出し

考えない理由を考え、楽な方を選ぶ

そして

今までと変わらない生き方を選択する

 

まぁこれも自分で考えて出した答えなら正しい選択

その先を全て自分で背負っていけば

なんら問題ない

 

他人に責任をなすりつけなければ

自分で出した答えは全て正しい選択になる

 

親の意思に

周りの意思に

ありふれた常識に従う方が楽だから

と 自分の頭をフル稼働しないのは間違ってる

 

まぁそういう人は相変わらずの人生を歩めばいい

それがその人の選んだ道なんだから

それが正しい道

 

向かう先、目的地はみんな違う

同じにはならない

 

みんなどこへ向かってもいい

どんなスピードで進んでもかまわない

 

親子だから

家族だから

夫婦だから

という理由で同じ目的地

同じ速度を設定する必要はない

 

もうそんな同じを強要しなくても

自由に生きていける時代になったんだ

 

少なくとも

我が家には”同じ”は存在しない

そして存在させたくない

 

みんな自由でいい

 

その代わり

自由を手にした代わりに責任は全て自分で取る

これさえ肝に銘じれば

なんてことはない

 

責任って言おうと

凄く重くて辛くて苦しい

怖いもののように感じるけど

それは違う

 

責任とは”考えること”

 

何か問題が起きればその都度その都度

考えればいいだけのこと

難しいことじゃない

 

問題を解決しているうちに

だんだんパワーも付いてくる

成長する

 

だから子どもには小さな頃から

小さな責任を少しずつ背負わせる

これで少しずつ耐性がつき成長する

 

脳の仕組みを受け入れるだけで

思い込み、勘違いに気づける

簡単なこと

 

自分の頭で考えないから

これが脳の罠だって理解出来ない

 

まぁそんなもんだ

大したことじゃない

 

そんな私の頭で考えた

不登校の本当の原因は”脳”

 

原因は脳にあるが責任は脳にはない

というか脳に責任を取らせるなんて無理だよね

 

う゛~なんかよく分からなくなってきた

 

要するに

原因は”脳”にあるんだけど

脳は責任なんて取れなくて

そんな責任を押しつけても無意味な話

 

というより責任なんてどうでもよくない?

 

娘達が不登校になった原因は

間違いなく親の私にある

 

違う・・・親の私の”脳”にある

責任は私の脳にある

 

ただ原因が私の脳にあるからと言っても

どう責任をとるのかって話

 

今 出来る事は

原因は私にあるって分かっているんだから

同じ間違いをしなきゃいいわけで

今まで頭をフル稼働してこなかったのだから

これからどうするかをフル稼働させて考えればいいだけのこと

 

これをいつまでも他人に責任転嫁してると

物事は何も変わらなくて現状は悪化するだけ

 

自分の脳の過ちを認め

受け止めるだけで物事は好転する

そして今好転している最中!

 

結構簡単なこと

 

複雑に考えて思考がストップする時は

問題を把握出来ていないとき

そんな時は細分化

(これ方法、仕事の時によく使うよね)

 

不登校の大半は親の責任』って言葉にイラっとしたら

単純に図星(*゚Д゚)

 

でも私はこの言葉にイラつかない

責任が自分にあるって認めていなければ

この言葉に怒り奮闘していた

(きっとね)

 

でも実際は共感の気持ちの方が大きい

 

ということは

ちゃんと自分の頭で考え

自分自身を受け止めることが出来ている

 

誰も当事者の気持ちなんて分からない

子どもの気持ちも

親の気持ちも

みんな他人の気持ちなんて分からない

 

誰かがよしよしと慰めてくれて

不安な気持ちに寄り添ってくれても

本当の問題は解決しない

 

原因を知ることは必要だけど

責任の所在地を知ること

見つけることは

探し出すことは

大して重要じゃない

 

誰に責任があっても

誰かが責任を負ってくれたとしても

本当の問題は解決しない

 

必要なのは現状を受け止め 次どうするかを

自分の頭をフル稼働させて考えること

これだけ

 

これで考えて出した答えを

出来る事からコツコツと取り組む

 

この作業に向き合わなきゃ何も変わらない

 

出来ないことはやらない

今の自分に出来ることをコツコツと取り組む

それがいつか自分の自信になり自分の強みになる

 

周りはその姿を優しく見守ってあげればいい

 

急かさず 優しく見守ることが

私に出来る唯一の親としての役割

 

そう思って

のんびりな娘達を見守っている

 

ただ元々過干渉だった私には

この見守ることが

すっごく難しい

 

簡単なようで簡単じゃない

でもやらないわけにはいかないんだ・・・

 

私が出来る事は

娘達の将来の責任を負うことではない

娘達を信じて見守ること

 

それが私が親になった理由なんだ

親になったからこそ学べることなんだ

 

と 自分に言い聞かせる毎日を送っております<(_ _)>

『不登校』『義務教育』を忘れ 次のステージへ👟

★『不登校』という言葉が薄れてきた

 

娘達が不登校児になって1年と9ヶ月

もう今では

不登校』という言葉に何の感情も抱かなくなった

 

ネットの記事で不登校のタイトルを見かけても

なんだか他人事

それもそのはず

 

学用品、教科書、学校からの配布物も家庭訪問もない

な~んにもない

 

たまに長女の担任が手紙を届けてくれるが

それは単なる手紙 紙切れ

長女も軽く目を通す程度で

なんの感情もない

話題にすらならない

 

あまりにも学校とかけ離れた生活のため

我が子が義務教育期間中であるということを

忘れる

 

でもこれが普通で

今更学校への生活を想像することも出来ないし

想像もしたくない

 

心の中ではもう既に

義務教育を卒業したかのような気になっている

勘違いしている

 

学校から離れて分かったこと

学校自体から離れると

不安を感じない

娘達だけ・・・なんていう感覚がなくなる

 

あるのは

娘達は私の目の前で元気に生きてる

この現実だけがある

 

たぶんこれは”慣れ”って奴

良くも悪くも ”慣れ”です

 

みんなの中にいるから

みんなと違う娘達に違和感を感じる

 

みんなと一緒にいるのに

みんなと同じじゃないから

みんなと違う娘達に不安を感じる

 

”みんなと同じ”って言葉がどれだけ無価値で

どれだけ邪魔な言葉なのかを知っていても

みんなの中に入ると

自分の信じるものが

もろもろと崩れ落ちる感覚に襲われる

 

でもこれは脳の仕組み、脳の反応

生きるための生存本能

 

脳が勝手に作り出した感覚で

真実とは違う

 

だから 単なる思い込みで勘違い

 

それに気が付いたら

問題はきれいさっぱりなくなった

 

自分の気持ちを揺さぶる世界から抜け出せば

どうってことはない

 

比較する対象がなくなれば

どうってことはない

ただそれだけ

 

自分を取り巻く環境を

自分の望む世界を作ることは

そんなに難しくなかった

 

元々嫌なことから目を背ける癖があった

これがまさしく今活かされている

 

自分さえそれが正しい選択だと分かっていれば

間違いじゃない

全て正しい選択になる

 

見なくていいものは見なければいい

要らない物はどんどん手放し

身軽になって

好きなように生きればいい

 

ただ

それがどんなに自分に合っていて

それがどんなに必要なことなのかは

自分にしか分からない

 

だから

他者には理解を求めない

 

これを体験するために

私は今 生きている

 

 

不登校の何がいけなくて

何が問題で

何が不安にさせるのか

 

その答えが分かった今

不登校』という言葉自体

バカバカしい

 

これに振り回されるのは

時間の無駄

 

とまぁ~

なんでも分かったかのような

なんでも知っているかのような

偉そうな私になっているのが

ここ最近面白い😏

 

ある意味滑稽に近い

でもそれでいい🎶

不安で落ち込んでいる母親より

うんとマシだ

 

そして

娘達がこの先どうやって成長していくのか

これが楽しみで仕方ない

 

今まで体験したことのない世界

どんな風に転ぶか、楽しみで仕方ない

 

どんな風に親の私達に関わり

親の私にどんな問題が降りかかってくるのか

 

本当に問題が起きるのか

本当に困った事になるのか

知りたい

体験したい

 

ほらね、やっぱりね

って思うかも知れないけど

それでも体験しないと分からない

 

いつだって体験したくてうずうずしている

 

本当に学校へ行かないことが

学歴がないことが

将来困るのか

 

以前は少なからず

困った事にはならないよう

違う道を探ろうと必死だった

 

でもよくよく考えれば

娘達の将来なんて私の知ったことではない

 

何が楽しくて何が幸せなのかは娘達にしか分からない

そう考えたら

私が必死になる理由なんて

これっぽちもない

 

そんな風に考えたら

娘達のことを考えるだけ無駄

 

自分の将来を考える時間を大切にした方が

有意義だ

 

 

一般的な親子が進む道と我が家が進む道

見えてくる世界はどんな風に違うのか

体験できるまたとないチャンス

 

みんなと違う将来

私と娘達も違う

そんなこと当たり前なのに

なんだか混同していた時期があった

 

でも今は自分の生活

自分の将来を考えてる

 

世の中楽しんだもの勝ち

まさにこの言葉通り

 

どうにもならない娘達の将来を考えるより

どうにかなる自分の将来を私は考える

 

こんな風に考えられるのも

ちゃんと自分の頭で考えたから

 

自分で考え

自分で考えて見つけた答えだから

不安を感じない

 

要するに考えることを常に他人任せにして

現実と向き合わず生きているから不安がつきまとっていた

 

このことを知るために

娘達が不登校になり私は不登校児の親になった

 

そうやって考えたら

全てに意味がある

 

考えることの必要性を教えてくれた貴重な体験

そして私を救ってくれた貴重な出来事

 

自分で考えないことがどれだけ愚かなことなのか

損なことなのかを学んだ1年と9ヶ月

 

そして

それが自分を苦しめていることの

これが本当の原因だって分かったら

今までの過去がくだらなく感じた

 

そう だから今は

アホな過去の自分を理解し

今までとは違う角度で物事を見る

 

それが私自身の成長

 

私も娘達も

まだまだこれから

 

娘達はもちろんだが

40代の母親の私だっていくらでも変われるし

いくらでも成長する

自分で自分のことを諦めなければ

 

生きている以上

成長するしかない

現状維持は衰退

前進あるのみ!

 

それくらい

ノープロブレムな現実になってきた

 

正直我ながら この思考

ご立派!素敵!

娘達にも主人にも感心される🤩

 

たぶん不登校児の親には私みたいな奴

なかなかいないんだろうな

 

いたら会ってみたいよ~

一緒に楽しい未来の話がしたい

単純に楽しそう!面白そう!🤩

 

思考の仕方で全てが変わる

今起きている現実も

これから起きる現実も

全て自分の思考次第で変わる

 

これが面白すぎてたまんない

たぶんこれはスピリチュアルと言われる世界

思考とか言っている時点で目に見えない世界

 

この感覚に魅力を感じ

今はこの世界にどっぷり浸かっている

 

思考の使いかた

脳の使いかたを理解し

自分で自分のことをコントロールする

 

そして

自分で自分の未来を作れるってなんとなく分かってきた

そしてそのことを思いっきり信じてる

 

感覚的に今目の前にある現実が

自分の理想とする形になってきているから

腑に落ちた感じで

だんだんと分かってきた

 

学校で学んできたことが全てではなかった

今まで学んできたことが正しかったって

感じることが出来なかった

そして不満ばかり

 

なら今までとは違う方法を試すしかない

 

目に入るものばかりに左右され

目の前にあるものばかりを信じていた

でもそれが違っていた

 

それらが正しいわけじゃないって知った

だから次は

目に見えない感覚的なものを信じる

意識する

 

今までのやり方が上手くいかないんだから

今までのやり方とは違うやり方でチャレンジする

 

これを今度はライフスタイルに

取り入れることにした

 

何故か最近時間が足りなくて

自分の中でアンフェアな感覚がうずうずしてる

 

なんだか自分ばかりという感覚が溢れてくる

 

そうそれは

娘達への不満

 

私だって一人の人間で

ようやく自分自身に目覚めたところ

 

その今この時に娘達の世話ばかりする母親でいるのは

もったいない

というより母親の存在って要らない

害でしかない

 

自分の経験上そう感じるから

娘達とも境界線を引きたい

 

そんな風に主人に愚痴る日々が少しずつ増えてきた

 

何かを見直す時期

何を手放せと言われている・・・

 

そう

そろそろ娘達を手放す時かもしれない

コロナの後遺症?不登校児の長女の味覚変化?

長女の味覚変化でライフスタイルが少し変化した

コロナの後遺症かな?

長女の味覚が変わったまま未だに戻らない

 

7月に家族でコロナに罹り

その後遺症のせいか

長女がお肉類をまったく受け付けなくなった

要するに食べられないと言うこと

 

コロナの後遺症に味覚障害という言葉があることは知っていた

 

最初は一過性のもので

体調が元に戻れば味覚も戻ると思っていた

 

だからあまり気にもしていなかった

それが

あれから3ヶ月が経った今もなお

味覚は戻っていない

 

長女の口の中にお肉を放り込むと

なんとお肉がヘドロに変化する?!

 

当初 体調不良で口の中がまずくなっているだけ

しっかりと歯磨きをして

念入りに口をゆすいで

きれいさっぱりとさせたら

美味しく食べられるだろう と

安易に考え

安易に対応していた

 

だけど

何も変わらない

 

何度か調理方法、味付けなどを工夫して

お肉にトライしたが

ずっとヘドロのまま・・・

 

良くなる兆しはなかった

 

お肉を口に入れると

ヘドロのような匂い・味がするらしく

すぐに吐き出す

クソ まずいらしい

 

鶏肉、豚肉、牛肉これら全般

そして冷たい状態でも温かい状態でも

感じ方は同じ

 

卵は冷たい状態であれば問題なく食べられるが

温かい状態だと卵もヘドロに変わる

 

だから目玉焼き、卵焼き、スクランブルも

作って冷蔵庫で冷やし冷ましてから食べる

こうしないと食べられない

 

冷やすことで匂いが軽減されるのか

なんとか食べることが出来るよう

 

味覚が変化してからいろんな食べ物を

いろんな食べ方でトライした

 

とりあえず原因が何かは分からないが

分かっていることは

お肉だけはどんな状態でも受け付けられないということ

 

いささか不思議なことが長女の体に起きてしまった

 

たまたまコロナがきっかけになっただけ

 

思春期の体には何が起きても不思議じゃない

今まで感じなかったことが感じるようになり

違和感を感じたり

感覚がやたらと敏感になったり

 

とまぁいろいろ変化が起きても不思議じゃない

単純に思春期の一環で

そんなものだと

簡単に割り切っている

 

とりあえず野菜と魚介類は温度に関係なく

美味しく食べられるようなので

今は野菜と魚介類がメインの食生活

 

傍からみれば肉が食べられないことが

不憫に感じられるかもしれないが

本人曰く

『別に美味しく感じないのだから食べなくていい』

と言っている

 

なんなら

『ヘドロなんて食べたくないわ』

と笑っている

 

まぁそうだわな

としか言いようがなく

我が家では特別問題にはならず

その状態を受け入れ今に至る

 

美味しいと感じられるものが食べられないわけではないので

苦痛は感じないよう

単純に食の好みが変わっただけ

長女的にはその程度の認識

 

私的にはお肉より魚介類が食べられることの方が

断然うれしい!

なんなら好都合な話

 

日本のお肉、スーパーに売っているお肉はそんなに質が良くない

この本にその理由が記載されている

興味のある方はどうぞ!

ただちょっと世の中に不信感を抱くかもしれない

捉え方次第では

 

少なくとも

私と娘達はそんな感情を抱いた時期があった

 

今ではいろんな情報を得ながら

自分達の出来る範囲

自分達で考え出した答えだけを実行している

 

だからあくまで食の実態の教科書に過ぎず

全ては実行できていないのが現実

そしてそれでOKと考えている

 

で、話は戻って

 

タンパク質は体にとって重要

お肉自体は本当なら大事なタンパク源で

体に取っては大切な栄養素

 

それは事実なんだけど

問題はそのお肉の中身

 

つまりそのお肉の元の動物の食生活が鍵になってくる

その食される動物の飼育環境に問題があるため

お肉の質が私が知っていた現実とは違っていた

 

正直この本の情報を信頼している私は

食べるべきものではないと考えている

 

また

遺伝子組み換え食品も元々避けていたので

この観点からも

お肉は食べさせたくない

というか食べなくていい

 

まぁ読んだら分かるけど

母親としては避けられるなら避けたいと思ってしまう

内容がいっぱい書かれている

 

とは言え

育ち盛りの娘達の体が欲するならと食卓に出していた

 

食べたいものを我慢させ

食べたくないものを体に良いからと言って

食べさせることはしてこなかった

 

長女は元々 魚介類が好きじゃない

だから

日常的に食することは難しかった

 

骨がある魚は苦手

貝やエビ、イカも嫌い

 

そこへお肉を排除したら食べるものが野菜と果物

さすがにそれは現実的に無理

さすがに可哀想・・・

 

だから時期が来るまで待っていた

 

体が欲した時

必要になった時

その時考えれば良い

その時がきたら食生活を

シフトチェンジすればいいと考えていた

 

自分で気付いて自分で必要なことなんだと理解しなければ

あらゆることが継続できない

もうこれが身にしみてよく分かってる

 

無理維持させることは時間の無駄でもある

そして体力的にも無駄

 

だいたいそのサインは

体に不調をきたした時に来る

このときが見直す時

考える時

 

そして今長女が自分の体を見直し

どうすれば快適に食事を楽しめるかを考える時

 

お肉を食べることが本当に必要かどうか

ヘドロに感じるお肉をどう調理したら美味しく食べられるようになるのか

長女自身が考えた

 

そしてその考えた末出した結論が

お肉を食べることをやめた

 

コロナを機に長女は自分から肉類の摂取を放棄した

 

これはこれで本当に私的には好都合な話

無理矢理ではなく

長女の体、長女の意思で変わってくれた

 

私はなんの労力も使っていない

しめしめって感じ🤭

 

家族みんなが肉についての知識を得ているため

なんの違和感もなく

自然な形で長女の食スタイルは変わり

家族みんながそれを受け入れた

 

まぁそもそも肉断ちしている親がそばにいて

肉断ちしても美味しく食べられるものが

普通に目の前にあるのを知っているため

あんまり悲観せずともすんなり移行できたんだろう

 

普通の食生活をしていたら

お肉が食べられない?

じゃ~これから何食べればいいの~?

って頭の中が真っ白になるんだろうけど・・・

 

元々普通の食生活じゃないから

あんまり特別感もなかった

 

既にグルテンカゼインフリーの食生活で

制限のある食生活をしているため

概ね耐性が出来ている

 

食べられる食材を使って美味しく食べられる料理を作ればいい

ただそれだけのこと

習慣は強い!

 

ちなみに私はもう一年くらい肉断ちをしている

私は食べられないわけではなく

食べることにメリットを感じないから食べない

 

お肉の質の問題もあるが

それに加えて体への負担を大きく感じたので

食べることをやめた

 

食べると体が重くなり、消化に時間がかかることが

自分の体で分かる

そのため

お肉を食べる意味が見いだせない

 

不快感と時間のロスにストレスを感じ

肉絶ちした

 

私の場合はたぶん極端なケース

これを人に話すと怪訝な顔をされる

 

で、何食べるの?みたいな

 

人の体ってそんなに沢山のものを食べなくても

いろんな種類のものを食べなくても

ちゃんと機能する

体はちゃんと維持できる

 

私は体に必要なものを必要な分だけ食べる

これが快適だと気付くのに

40年かかった

 

だから長女の体が今肉を要らないと判断しているなら

それでいい

それがベスト

 

きっと常識とは違う

 

ちまたでは毎日3食しっかりといろんな物を食べましょうと言う

学校でもそう教えている

 

食べ物を取り込む体も

取り込む体の生活スタイル

活動スタイルもまちまちなのに

みんな同じように教育される

 

体に必要なものが本当はどれくらいなのか

知っている人は一体どれくらいいるんだろう?

 

自分の体に必要な分

必要な栄養素

または自分の体が欲している食べ物

 

これらとちゃんと向き合って食べ物を摂取している人は

どれくらいいるんだろう?

 

みんな考える時間も与えられず

考える機会も与えられず

 

少なくとも私は今の食生活に出会うまでは

考えたことなんてなかった

 

だからまだ中学生の長女が

自分の体と向き合うこの時間が持てたことが

本当にラッキー

そう感じる

 

間違っていようが正しかろうが

そこはあまり重要じゃない

 

とりあえず自分で考える

この行為に意味がある

 

本人しか分からない

長女にしか分からない

 

とりあえず学校へ行ってなくて良かった

 

学校の給食 という問題にぶち当たらない

悩まなくて済むのが

本当にありがたい

 

みんなと同じでなければいけない

この暗黙のルールの中で生活するには

 

自分の考えを持ったり

自分の考えで行動したり

自分に素直に向き合う生き方を選んだ長女には

学校は不向きとしか言いようがない

 

それに毎日手作り弁当っていうのも面倒くさいし

やっぱり我が子は不登校向き

 

家でご飯が食べられる

自分の体を大切にした生活を送れる

家が一番我が家には合っている

 

この当たり前のことを感じられることが幸せ!

 

というわけで

7月のコロナをきっかけに

お肉がヘドロに感じるようになってしまった長女は

今がんばって自分のご飯を毎日作っている

 

長女は実家で暮らしながら

自分の食べる物を自分で考えて用意して食べている

 

と言ってもかなり手抜き料理・・・

一人暮らしをし始めた学生さんみたいな食事

 

それでも長女はその状態を不満には思わず

今のこの生活を自分で選んでいる

 

おかげで私の家事の負担が減った

 

というわけにはいかなかった・・・

まだ次女がいた

夏休み明けの不登校 不安に感じたら自分の頭でよく考えて!

久しぶりのブログ

 

最近モヤモヤする

頭の中で何かぐちゃぐちゃしてる

適度に吐き出さないと・・・

自分のことが分からなくなる

 

というわけで吐き出します!

 

前回のブログ記事から一月が経った

記事を更新していないにもかかわらず

記事を読んでくれる人がいる

 

不思議だ!?

そして同時に

とってもうれしくて 感動もの😭

 

毎日アクセス解析を覗いては

”見てくれてありがとう!”とつぶやく

 

毎日誰かと繋がっているような気がして

温かい気分になる

 

勝手な思い込みだが

私にとっては都合のいい思い込み

これで十分幸せを感じる

 

それでもちょっと欲が出て

少しは誰かの役に立てているのかなと

うぬぼれてもいる自分もいる😏

 

正直 ただただうれしい現実がそこにある🧡

 

 

アクセス傾向の情報からすると

不登校の原因”に関する記事にアクセスがある

 

”夏休み明けの不登校

たぶんこれに関連して

私の不登校に関する記事が閲覧されていると推測

 

やっぱり不登校か・・・

 

自分で不登校記事を書いておきながら言うことではないんだが

不登校って最初の小さな入り口に過ぎなくて

不登校自体は別に大した問題じゃないんだよね

 

問題なのはその奥そこにある

子どもを取り巻く環境

 

そこを見直さないと変えていかないと

子ども達は救えない

 

どうにもこうにも変わらない

いくらカウンセリングして話を聞いても

何も変わらない

 

そしてそれを変えられるのは子どもではなく

唯一 親なんだ

子どもを育てる 

子どもの一番近くにいる親・大人なんだよね

 

だけど 

その大人達が自分に原因があるって気付かないから

認めないからタチが悪い・・・

 

そして変わるのは親

だけど

子どもへの接し方とか見方とか

そんな生ぬるいことでは変わらない

 

根本を変えないと

すぐに元に戻ってしまう

 

つまり 親の潜在意識

ここを見直さないと

上手くいかない

 

親の潜在意識を正しく整えてあげることが大事

ここが整っていないから

親も子も 苦しくなる

そして自体は悪化するか何も変わらないか

 

私は不登校問題について

こんな風に考えている

 

正しいとか間違っているとか

そんなことどうでもいい

私は潜在意識がすべてだと知っている

 

だから新聞やネットの記事で不登校情報を目にすると

そんなアプローチでは

何も変わらない

 

と少々残念な気持ちになる

 

9月から新学期

不登校問題が一番スポットライトを浴びる時期

 

世の中には

もしかして我が子が・・・なんて考えて

心配する親御さんが沢山いる

 

今現在不登校の子もいれば

不登校になりかけている子もいる

 

子どもの数だけ不安があり

常に不安と隣り合わせで親は生きている

以前の私はそうだった

でも今は全く真逆の考え

 

 

私は不登校児の娘達を不憫には思っていない

どちらかと言えば

不登校児になれたことをすごいとさえ思い

尊敬している

 

確かに最初は学校へ行けないくらいエネルギーを奪ってしまっていたこと

母親としての私の言動や接し方

よかれと思ってとっていた行動が間違っていたことで

罪悪感は感じていた

 

そして

エネルギーバンパイアという言葉がぴったりな私の両親の元で

娘達を育てしてしまったことにも罪悪感を感じずには

いられなかった

 

ただ学校自体に行けないということに対しては

さほど罪悪感は生まれなかった

 

それは心底 私自身が学校が嫌いだからだろう

 

比較、競争、いじめ、劣等感

信頼できるはずの大人が意図も簡単に裏切ってくる場所

そして未熟な子どもの集まりで互いに傷つけ合ってしまう場所

 

要らぬ不安をガンガン押しつけ

要らぬインプットばかりを強要する場所

 

アウトプットの仕方を知らない大人の集団

それが学校で

その中で一体何が学べるのか

考えもしずに送り出していた

自分に後悔する

 

まぁそんな考えだから

学校なんて行かなくていいし

行く必要はない

 

これを堂々と娘達に伝えられることは

私にとってはありがたいこと

 

なぜなら 娘達に嘘をつかなくていい

 

学校が良い場所ではない

害を与える場所だと知り感じながらも

娘達に嘘をついて学校へ送り出すことの方が辛い

 

かなり行きすぎた考えだが

きっと私の内側に学校への反発心があるため

そのような現実が目の前に現れる

 

ただ娘達からこぼれる学校のイメージも

私とそう変わらない

 

親子だから似ているのか

時が経っても学校自体がアップグレードしていないのか

そのどちらか・・・

 

ただ不登校になって分かったことで

悔やまれることは

 

娘達の育て方が悪かったこと

そして間違っていたこと

これだけだ

 

私は知らず知らずのうちに娘達の心を

いとも簡単に傷つけていた

この事実を受け止めることが辛かった

でも現実 そうなんだから仕方ない

深く反省しております💦

 

それには

私は私なりの理由があり脳の仕業

この脳の仕組みを認識していなかったことが原因

 

とまぁ~脳のせいにして過去のことと割り切っている

そして間違いが分かればあとは軌道修正するのみ

ただそれだけ

これが分かればなんてことはない

 

というわけで

過去のことは

ちゃんと娘達に謝りました

 

これからはお互いに親と子というよりは

望む現実に向かって一緒に歩める同士として

生きていこうと話し合った

 

大人だから子どもだから

親だから子だから

といった枠は必要ない

 

個人をちゃんと認め尊重できる生き方をして行こう

となった

 

今までそれができていなく

それが必要なことだとも知らなかった

 

そんな尊重という言葉が親子のなかに存在しなかったため

いろんな不具合が出ていた

 

家族であっても親子であっても

境界線を引くことはとても大切

 

私は

中学生と小学生の娘達にいつも自分の考えを共有している

そして娘達の考えも共有させてもらっている

 

互いに価値観を共有することは

個々を認めるために大切

現在地を把握するためにも役立つ

 

よって今は以前にも増して

娘達が不登校であることに

ケロッとしている

 

何か問題でも?

そんな感じ

 

っていうかあまり不登校でとやかく言われることはない

言ってくる人は決まって身内だ

 

本当の赤の他人は『へぇ~そうなんだ』で終わる

多少興味は持つかも知れないが

それは一時的

 

人は自分が一番だから他人なんてどうでもいい

 

 

現実不登校の原因が私の育て方の間違い

ただ そこを咎めても仕方ないので

間違っていたものは改善するしかない

それだけのこと

 

過去をむやみに正当化しても意味がない

仕方ないの言葉で片付けて

そのままでも意味がない

 

やるべきことは

間違いを認め改善し

次どうするかを考える

これだけのこと

 

そして

行動しないことには現実は変わらない

 

変えたくないのであれば現状維持でいい

ただ現状維持はその場所にとどまっているように見えるが

実際は衰退していくのみ

これは変えられない

 

なら進むしかない!

 

 

不登校になるまで自分自身の育ちが悪かったなんてことも

知らなかった

というより考えなかった

 

自分が悪いと思い込んでいた

でも本当は

私が悪いんじゃなくて

私を育てた環境が悪い

 

私を育てた親が未熟すぎて

私の育て方を間違えた未熟な親が悪い

 

そんな風に考えたこともなかった

 

子どもは純粋で無垢だ

だから余計に気をつけなければいけない

 

簡単に子どもの心をズタズタと切り裂いてしまう

そしてその切り裂かれた心をずっと抱えて成長していく

 

また我が家が機能不全家族だったなんてことも気付かなかった

どこにでも居る普通の家族だと思っていた

 

みんなおんなじって言葉で

現実を直視していなかった結果が最悪な家族を作り出していた

 

すべて身の回りに起こることは偶然ではなく必然

ちゃんと理由があって起きている

 

私は娘達を通して多くを学んだ

ようやく学べた

強いて言うなら学べる時期に達した

 

不登校は学びのきっかけに過ぎなくて

でもそこから得られたものは計り知れない

 

物事の捉え方、見方で目の前に起こる現実は変わる

この捉え方、見方は潜在意識によって変わる

潜在意識がどんな過去と情報で埋め尽くされているかによって

目の前の現実が変わり

自分に引き寄せる現実も変わる

 

この潜在意識について深掘りすると

マジで面白い

 

脳には牽引の法則がある

 

自分の口から発する言葉を自分の耳で聞いて脳がそれを聞く

すると脳はこの人間はその言葉の現実が欲しいんだと認識

そしてその認識された現実を脳が引っ張ってくる

 

いわゆる引き寄せの法則

 

子どもを不安な目で見て

不安、不安と口にしていれば

必然と不安な現実が引き寄せられる

 

実際に不安を感じる時は

現実には起きていない

ありもしない出来事をあれやこれやと想像して

一人で不安になっていることが多い

 

自分でメンタルを下げ

些細な出来事が大きく膨れ上がり

恐怖で押し潰される

 

現実には形として成していないものなのに

自分の頭で想像し、口に出して発するから

目の前に嫌な出来事がわんさか溢れ

身動きが取れなくなり悪い事ばかりが起きていると捉える

 

自分で不安の種をまき散らし

不安な現実を回収しているだけ

不思議な光景

 

こういった脳の仕組みを学校が教えてくれれば

行く価値はあるし

生きる上で楽になる考え方だから

学んでおいでって

喜んで背中を押してあげられる

 

だけど

実際はそんなこと頼んでも教えてもらえないし

こんなこと学校の先生達は知らない

 

娘達の学校は管理教育の学校なので

まぁなにから何まで不要

 

余計なこと学ばなくてイイ

わざわざ足かせになることを刷り込ませる必要はない

 

学校なんて行かなくて問題ない

困らない

 

困った時に初めて学びの必要性を理解する

何が本当に困っていて

何が必要なのか

 

その時になって考えればいい

 

この考える癖を身につけ

自分なりの考えを吐き出す

 

正しい答えじゃなく

本当の自分の気持ち、考えを吐き出す作業

これができればいつだって生きていける

でもこれが難しいんだ

 

そしてその吐き出した考えから自分の目的を見つけ

それに見合った行動を起す

 

この繰り返しで娘達は成長する

私はこれでいいと思っている

というより

これが全ての核心

 

だから学校へ行ってあれこれインプット(学習)させられるよりも

まずはアウトプット(行動)して

それに必要なことをインプットするればいい

 

あぁ~やっぱり学校のシステムとは真逆の発想だ

アウトプットが先でインプットは後

 

これが娘達にとっても納得のいく現実で

私達が求めた答え

 

だから

不登校になる

不登校になりそうだと不安に感じていると

不安な現実がどっと押し寄せるよ

 

それよりどんな学びが得られるかなって

ワクワクしながら子ども達を見てあげて

 

そしたら本当に学校へ行きたい子どもなら

親のワクワクした表情に引き寄せられ

嫌なことはどっかに行ってしまうから

 

または親のワクワクに引き寄せられ

子ども自身も自分のワクワクを求めて

違う場所を求め探しに行くかも知れない

 

不登校=危険ではない

新たな発見

課題の見つけるチャンス

 

この課題を見つけることを面倒だとか

考えることが辛いと感じる時は

今までに自分がそれらをやった経験がないということ

 

不安に感じる時は

物事を自分の頭で考えていないということ

 

周りに決断を委ね

答えを求めて生きてきているということ

 

これがどういうことかは

自分で考えて決断し行動すると

体感し府に落とすことができるので必然的に理解できる

 

だからそれを学ぶために

何度でも自分で考えないと前に進めない現象が現実が

何度も目の前にやってくる

 

でも大丈夫!

一度経験すると分かるから後は楽ちん

体験して自分のものにすれば

自分の力になりその経験が使えるものになる

 

あっ怖くない

大丈夫だってね

 

不登校になりそうなときは

よ~く考えてみて

 

何が大切で何が望みなのか

それは子どものためなのか

親自身のためなのか

 

自分の頭でちゃんと考えて答えを導き出せば

どんなことにもブレずに生きていける

 

それは自分軸ができることにも繋がる

そしたらどんどん生きることが楽しくなる

 

はぁ~相変わらず

私は今が楽しい🎶

 

ようやくモヤモヤしていた感情が吐き出せた

あれこれ考えるんだけど吐き出さないから

分からなくなる 見失うんだよね

 

これでスッキリ!

 

また吐き出します!

心が沈みかけているためひと休みします 今の私に必要なことは立ち止まること⌛

★元の体調に戻れないだけでこんなにも心が沈んでしまう

夏風邪を引いてから約2週間

食事も以前より少し少ない程度ではあるが

元の食生活に戻りつつある

 

さすがにお粥とお味噌汁がメインの回復食では

活動するにはエネルギー不足

 

なんとか元の体調に戻したくて

最近お粥とお味噌汁の食事を卒業した

 

在宅ワークは1週間程度休んでいた

それ以上休むことも可能だったが

休めば休むほど感覚を取り戻すのに時間がかかりそうだった

 

それに完全復活するのを待っていては

時間がかかりそうで予定が立たなかったので

1週間をめどに

少しずつ体調と相談しながら

在宅ワークの仕事に復帰した

 

私が取り組んでいる在宅ワーク

基本一日のノルマはない

 

取り組んだ作業分だけが成果報酬としていただける仕組み

だから作業しなければ報酬額が少なくなるだけ

別に大して困った事にはならない

 

それでも自分の中にノルマを設定しているため

仕事復帰した時はかなり疲れてしまった

まだまだべき思考も強く

病み上がりな状態なのに

がんばらなくてはと思い込んでた

 

自分の好きな作業のはずなのに

パソコンに向かって作業している体勢が

体にはしんどくてパソコンに向かえない

通常のノルマがなかなかこなせなかった

 

それでも少しでも取り組めたら

”なんとかがんばれたね!”って

そうやって自分を褒めながら慰めながら作業をしていた

 

それでも復帰して1週間が経っても

なかなか体調が以前と同じまでには回復していかないためか

次第にメンタルが落ちていった

 

自分のメンタルがこんなに沈んでいるのは

何年ぶりだろう・・・

 

鬱状態とまではいかないが

あまりよろしくない状態

 

今まで普通に出来ていたことが

かなりがんばって気分を持ち上げないと取り組めない、出来ない

この状態がかなりストレスだ

 

毎日のルーティンが体調不良でことごとく

進まなくなるだけで

こんなにも自分にダメだしをする

 

自分にいささか厳しい一面があるため

自分で自分を追い込んでる

 

病み上がりで上手くいかなくて当たり前

そうと分かっていても

長年の習慣か自分に厳しい

 

一体どうしたんだろう・・・

沈んだ心に戸惑いが隠せない

 

というより心が動き出せないことに

イライラしている

時間だけが進み焦る

 

メンタルが沈み、この状態が続くと

精神疾患の母のように病気に逃げるようになってしまう

 

近くに見本が存在するため

簡単に想像がつく

 

今のままではよくない

なんとしても抜け出したい

 

そう思いながらも沈んだ気分を持ち上げられない

何かして楽しもうという気にもなれない

 

今まで何をどう楽しめていたかさえ

分からなくなってしまった

 

そもそも楽しめていたことがあったんだろうか

なんて考えるようになり

ちょっと面倒くさい感情が膨れ上がっている

 

 

娘達の将来の不安を解消するために始めた在宅ワーク

自分の思考の整理をするために書き続けているこのブログ

知識を得ることが好きで本を読むことが好きなはずなのに

読んでいても頭の中に入ってこない読書

 

体も疲れているが

頭も心も疲れているよう

 

不登校児の親として

いろんなことを見直し

自分との対話をずっと取り組んできた

 

でもどうやら少し変化が必要らしい

今のままでは行き詰まるよ

そんな風に言われている

 

何かが違う

どう修正していけばいいんだろう?

 

あれもこれも

自分の好きなこと

自分らしさを追い求めて

次から次へと手を出しすぎたのかもしれない

 

そろそろこの辺で安全点検をしなさいって

今一度自分の中で優先順位をつけなさいって

言われているよう

 

やらなきゃいけないこと

やりたいこと

本当に自分にとって必要なこと

ゆっくり考える時間が必要らしい

 

ずっと考えてきたつもりなんだけど・・・

そうでもなかったのかな

 

どこをどう点検したらいいのか

いまいち分からない

 

わからないってことが

いわゆる 時間が必要だってことの証明

 

学生の時からずっと走り続けてきた

自分との対話なんてしたことがなく

考える事が苦手な私は

暇な時間が苦手

 

思考すれば大概ろくでもないことしか考えない

すでに今もあまりろくでもないことを考えている

 

ネガティブなことを考える時間があるなら

考える暇を与えないくらい

走り続けるタイプ

 

でも立ち止まれって言われている

誰かに言われている

 

とりあえず今がしんどいぞ!

 

ちゃんと現実と向き合い

優先順位をつけ

一つに集中しろって言われている

 

立ち止まることは怖い

変化に随時対応して

あれこれ行動し動き回っている方が楽なんだ

 

だからずっと動きまくってきたんだけど

年齢的なものもあるのか

体がついてこなくなった

 

ここ最近

血行不良という形で体もサインを出してる

体も頭も心もみんな繋がっている

 

今までがんばった

ちょっとくらい立ち止まって

自分の心を見直したって

どうってことない

 

今それが必要なんだから

それに従うしかない

 

だから少し立ち止まる

思考の整理も大切だけど

単純に自分のこの先を考えなきゃいけない時期に来た

 

パソコン作業も体にとってはかなりの負担

このまま続けていいものかも

ずっと気になっていた

 

 

というわけで少し立ち止まる

上手く自分と向き合えるかは分からないけど

心と体が辛い状態で

このままがんばっても

きっとすぐに強制終了させられる

 

それに私が立ち止まる姿は

娘達にもお手本になる

 

あんまり親ががんばりすぎて一生懸命過ぎると

子どもも同じように

常にがんばらなきゃって思い込む

 

ほどほどに手を抜くことも

学んだほうがこの先きっと楽だ

 

たまには情けない親になろう

それくらい

ゆるく生きたい

 

がんばってる方が張り合いがあって

楽しい気分になれることを知っているんだけど

 

それでもやっぱり無理をしてるから

疲れてしまう

 

辛いときは逃げよう

私は今までそうやって自分で逃げる選択もしてきた

親になったからって

逃げられないわけがない

 

とりあえず

考える時間を作ろう

 

行き先が分からなくなったから

一度立ち止まってゆっくり考える

これが私の選択して出した答え

 

いいも悪いもない

 

こうやって自分に言い聞かせないと

逃げることが悪いって思ってしまう

 

きっと子どもの頃からの習慣

 

でもそんなことは無視して

今は立ち止まる

 

そんな時もあっていいんだ

とりあえず少し身軽になろう

 

ひとまず立ち止まる

そして ひと休みする

 

また動き出したくなったら

楽しめるようになったら楽しんだらいい

薬を飲まずに自然治癒で夏風邪を治す 初めての体験です💊

★薬を飲まずに自然治癒を試みた初めての夏風邪(コロナ)

 

今まで夏でも冬でも

風邪っぽい症状が現れると

いつも決まって

”早めの○○” っと言われ

症状が悪化する前からいろんな薬を飲まされていた

 

私の両親は薬が大好き

ちょっと調子が悪くなると

すぐに病気かもって騒ぎ立て

薬を飲みたがる

 

熱が出ればすぐに解熱剤

頭がちょっとでも痛くなれば鎮痛剤

鼻水が出れば鼻水を止める薬

喉がイガイガし始めたら喉の薬

そして最後に風邪の総合薬

 

今はいろんな症状に対応した薬が山ほどあり

簡単にドラッグストアで購入出来る

 

私の両親は薬をサプリメントと間違えているかのように

いろんな種類の薬を飲むよう促す

そしてそれが愛情であると勘違いしている

 

とりあえず

しんどい状態のまま生活することは体に良くない

そう言って

病気になりかけたらすぐに薬

これが日常的

 

世間様はどうなのか知らないが

私の両親はこれが常識

 

それでも対処できないと感じると

かかりつけの病院へ行かされ

3日間ぐらいの抗生物質と解熱剤、とんぷくを処方され

帰ってくる

 

かかりつけの病院へ行くときは

決まってピーク時を過ぎたとき

本当にしんどい時は

病院にすら行けない

 

ちょっと状態が落ちつきかけた頃

病院へ行き

処方された薬を飲む

 

それを飲み終えると

後はどうすることもできないので

普段の日常に否応がなしに戻されていく

 

風邪が治ったから日常に戻ると言うよりは

いつまでも休んでいられないという理由で

ちょっとしんどいなって言いながら

日常へ復帰する

 

するとしんどい中で汗をかいて

いつの間にか治っている

 

最後には自分で熱を上げ

体を治していく

そんな感じ

 

体調に不快を感じ

”いつの間にか治る”のにかかる時間は

早くても1週間ぐらい

きっとそれくらいはかかっていた

 

そしてこれが以前の私の風邪の治し方

いつもこんな風に治していて

不思議とこれで風邪が治ったと思い込んでいる

 

薬を服用していてもある程度の時間はかかる

それなら今薬を服用せず治そうとしている私は

もっと時間がかかって当たり前なのかもしれない

 

気長に自分の体と向き合うしかない

 

グルテンカゼインフリーの食生活にし

薬の副産物を知った今

どんな薬も体には取り込みたくないと感じ

薬断ち

 

緊急事態を除いては

自分で治すと決めている

 

体には自分の体を治せる力をちゃんと宿している

白血球にリンパ球

彼らがいる限り体は絶対回復する

 

神様はそうやって人間の体を作った

少なくとも私はそう信じてる

 

 

今回の夏風邪は

私の体の中にいる白血球さん達が本当に存在して

私の体を治してくれるのか体感する絶好のチャンス

 

正直体感しないことには本当の意味での

納得もない

 

ここで自分で治せれば

もう風邪だろうがコロナだろうが怖くない

 

私はインフルエンザのワクチンもコロナのワクチンも

受けていない

 

唯一主人だけが2回ほどコロナのワクチンを接種

それは仕事上 半ば強制

 

ワクチン済の主人と

ワクチン未接種の私

薬は服用せず

がんばったのは水分補給と休養

たったこれだけ

 

ダウンしてから丸2日間は食事も一切なし

熱があるうちは白血球さん達の活動を邪魔しないために

一切食べ物は口にしなかった

 

というより

体中が痛くて食欲なんて一切ない

 

体の老廃物は尿と汗で外へ出す

これを徹底して

ひたすら横たわっていた

 

私も主人もピークは2日間

一度熱が出てしっかり汗をかくと

あっという間に体中の痛みが引いた

 

主人は汗をかくと一気に快方へ向かい

すぐに食欲が出て

アイスやら口当たりがいいものを

すぐに食べ始めていた

 

私は主人とタイムラグがあったため

また熱もさほど上がらなかったため

少し緩やかなピークだった

 

微熱の37.4度までしか上がらなかったので

部屋のエアコンを切り

ほどよく温かい環境を作り

汗を出させた

 

汗がかけると主人と同じように

一気に楽になった

 

この時汗をかくことが一番大事だって気付いた

 

夏でエアコンの効いた部屋で休んでいたため

体の中はじんわり暑い

 

でも室温が27~28度

やや涼しい環境に身を置いていたため

暑いはずなのに血行不良を起していて

体の中で熱を作り出せない

 

すると

自分で体温を上げられない私の体には

エアコンの効いた部屋は体に合っていなかったようで

上手く汗がかけず熱を作り出すのに時間がかかった

 

幸いにも主人が先にピークを過ぎ

汗をかくと楽になると教えてくれたため

エアコンを切り

布団にくるまって汗を出したから良かったものの

 

いつも薬に頼って病気を治してきた私は

熱の役割を体験したことがなく理解もしていなかったので

少々汗の存在に気付くのが遅くなってしまった

 

血行不良を起しやすい私は菌に弱いと言うより

どこまで行っても血の巡りに苦戦したわけだ

 

汗をかきピークが過ぎても

自分の体で熱を作り出せない私は

ここからの回復にまた時間を費やした

 

ピークを過ぎた後も

元の体調に戻すことに苦戦している

 

血行不良をよく引き起こすせいか

自分の体で熱が作り出せない

 

いつまで経っても体は冷えていた

そして寒く感じた

 

私の体の中の白血球さん達が少ないということなのかな

非常に残念なお知らせだ

 

白血球さん達がいてくれれば

ガツンと高熱が出る

 

それは白血球さん達が活発に活動している証拠

風邪菌だけでなく

要らないがん細胞なんかも排除してくれる

それで人の体は健康でいられる・・・

 

そう考えると

高熱にならない=楽 じゃない

高熱が出ないのは困った事

 

白血球さん達が活発じゃない、もしくは少ないっていう証明

 

こんな風に考えるのは

熱が出る仕組み

体の中の免疫細胞の白血球さん達の活動の仕組みを

理解しているから

 

とてもじゃないが

この仕組みを理解していないと

熱が出たら不安で不安で仕方ない

 

たぶんこんなにも楽観的には捉えていない

 

自然治癒の仕組みを理解しているだけで

体の中の反応がありがたく思え

熱が出ることが

神様からのギフトだって感じる

 

ことの摂理が分かると

熱も痛みも怖がることない

 

どちらかと言えば

不安や恐怖の感情が表れると痛みは増す

そう思っていた方が正しい

 

だから

痛くなったら”大丈夫!大丈夫!”

”体が今私の中の要らないものを浄化しようとしてくれてる”

”これから強くなるために、今 体ががんばってる~”

って自分に言い聞かせてた

 

でもこれだけのことで

ふっと痛みが和らいだのを実感

 

だから次女に高熱が出た時も

『白血球さん達が風邪菌を退治してくれてる最中だから

白血球さん達の邪魔しちゃいけないよ』って笑ってた

 

信じられるってすごい

私は嘘を言っているわけでも

まやかしを言っているわけでもない

ただそう感じ

次女に伝えた

 

とりあえず

私も娘達もワクチンは接種していない

それでも特別たいしたことにはならなかった

 

確かにちまたで後遺症と言われる咳

これは今でも続いている

 

薬を服用していないので

全く菌がゼロになっているわけではないだろうから

しかたない

 

それに一日中エアコンの効いた部屋で生活している

この暑さで致し方ない部分もある

 

でもなんとかこの夏風邪で

少しは抗体ぐらいは作れたんじゃないのかな

 

とりあえず

なんとか家族4人

まだ完全復活とまでは言えないが

なんとか緩やかに生活している

みんなで協力しながら日々を送っている

 

もしかしたら薬を使って治した方がいいって

思う日が来るかも知れない

 

でも今はこの判断で正しいと信じてる

 

結局不安が不安な現実を連れてくるんだから

不安に思わず

大丈夫って信じることが一番

 

昨日より今日

少しでも体が楽になっていれば

回復している

それでOK!

 

薬を飲まずに自然治癒させる方法は

たぶんちゃんと回復したって言えるまでには

もう少し時間がかかる

 

それでも少しずつ体の免疫を強化し

自分自身も強くなれれば

この方法は悪くない

 

現代人は時間がなくいつも忙しい

そのため早く治そうと薬を服用せざる終えないのも

分からなくもない

 

でもきっと

薬を飲んでも飲まなくても

結果治るまでの時間はそんなに大差ないかもしれない

 

その人自身が元々持っている免疫力、体力さえしっかりしていれば

数日で治してしまう

 

でもこれで分かった

 

自分で自分の体は治せる

私に必要なのは血行不良を起さない生活を送ること

 

もしまた夏風邪を引いても

大丈夫だってわかる

 

風邪との戦いは風邪菌ではなく

不安や恐怖との戦い

 

これさえなければ

ゆっくり体を休めなさいって

神様に言われているって思えば良い

 

仕事やら家事やらめまぐるしい毎日に

ちょっと休憩したらって言われていると思えばいい

 

病気は自分と向き合うチャンス

そして体を強化するチャンスでもある

 

そうそう強化する絶好のチャンス!なんだ

ちょっとキツいけど

抗体を作るにはある程度のきっかけがないと

作り出せない

 

怖がっている暇はないね

強くなれるって面白がった方がいいね!

 

自分のことを信じて

ゆっくり休養することが一番大事!

 

そしてこの経験で心も体も強くなれる

 

たかだか夏風邪です!

体の強化期間です!パワーアップしなきゃね🤩

夏風邪を引いたかと思ったらどうやらコロナでした・・・


★月経と血行不良でダウンした私にまたもや試練が・・・

7月の上旬に主人は久しぶりの旅行を満喫

主人が友人と旅行へ行った際に持ち帰ってきたもの

それは”コロナ”だった

 

久しぶりの友人との旅行を満喫した主人

ただそれだけでは終わらなかった

帰宅してから酷い咳が出始めた

 

帰宅後一日だけ有給を取り

家でのんびりと過ごす予定だった主人

あいにく帰宅すると私がダウンしていた

 

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

 

そのため

帰宅後娘達と家事をする羽目になり

ゆっくりと休んでいる暇はなかった

 

主人は帰宅後でも元気に娘達と買い物に行ったり

ダウンしている私の代わりを務めてくれたり

いつもと変わらない様子だった

咳を除けば

そして翌日普通に仕事へ行った

 

いつもと同じ日常が戻ってきたように感じたが

咳だけは酷くなっていった

 

それでも本人はお構いなし

いつもと変わらない日常を送ろうとしていた

 

旅行から帰宅後3日目

からしんどいと言い始め 

咳もさらにパワーアップして酷くなり

一応仕事へは行くものの

お昼で早々に早退

 

あれよあれよという間に

主人はダウン

 

旅行の疲れで夏風邪でも引いたかな?

私と主人の中ではそんな程度の認識

 

体は熱いが熱はさほど高くなく

37度にも達していなかった

 

だから部屋を涼しくし

氷枕で頭を冷やし水分補給だけして

ゆっくり休んでいてた

 

実はコロナが流行出してから

グルテンカゼインフリーの食生活に切り替えた私達は

誰も風邪すら引いたことがなかった

 

私がたまにアレルゲンを誤って口にしたり

月経時の血行不良を併発し

体調不良を起すことはあっても

風邪を引くことはここ数年なかった

 

だから正直主人が風邪を引いて

ちょっとびっくり

 

そんな風に久しぶりの風邪にびっくりしていたら

次女が足や腕の関節が痛いと言いだし

マッサージして欲しいと私のところに来た

 

どうしたんだろうねと言いながら

細い手足をマッサージし痛みを緩和させた

 

すると私も下半身の節々が痛くなり

プラスして酷い下痢にみまわれた

 

思わず主人が部屋を冷やし過ぎているせいで

温度差についていけず

下痢を起したと考えた

 

慌てて上着を羽織り温かくするものの

私も結果

週末にはダウンしてしまった

 

あれ?主人の風邪が移った?

月経時の血行不良から

免疫力の低下も回復していないうちに

私は主人の風邪をもらってしまった

 

そして私の前に関節が痛いと言い出した次女も

数日後には熱を出しダウン

 

唯一長女だけケロッとしていた

 

ただみんなが一斉にダウンしたため

つまらないのか

ひたすら一人でゲームに没頭

 

次女は熱を出したがすぐに回復

 

次女は幼い頃から熱に強く

39度を超えていてもへっちゃらで遊んでいる

そんな子

 

そのせいか今回も熱が38度を超えても

ipadを片手に歩き回りへっちゃらな顔をしてゲームをしていた

 

そしてさすがにしんどくなると

ゲームをやめて

ガツンと眠りにつく

 

これで次女はすぐに回復

要するに次女は寝れば治る

そんな体質

子どもの体は思ったより強い

 

それに比べ大人の私達は

ダウンしてから2,3日はまともに眠れなかった

 

熱も微熱に変わり体の節々がさらに痛み出し

寝て回復させたかったのに

私達は二人ともうまく眠れずただ耐えていた

 

熱が出始めてピークが過ぎた頃

主人が私と次女への感染を不思議に思い

一緒に旅行へ行った友人へ連絡

 

するとただの夏風邪じゃないことを知った

 

友人は旅行の帰宅後の翌日の夜に発熱

病院でコロナの陽性反応を確認したよう

 

友人は高熱が続いたようで頓服を沢山服用

でもほとんど効かず

発症してから3日ほどでやっと頓服が効き

楽になったと教えてくれた

 

私と主人は思わず

夏風邪じゃないの?って疑ってしまった

 

そう

”コロナ”だった

 

私達の中にいる病原菌は

どうやらコロナのよう

 

まさかと思い

自宅にコロナの簡易検査キットがあったので

主人が検査キットを使用

 

陽性反応が出た

 

なるほど

だから私にも移り

次女にも移ったのか

なんて納得してしまった

 

本当コロナの感染力は強い

なんて関心していた

 

一応コロナに感染したことは私と主人だけの秘密

娘達は未だに知らされていない

 

コロナって聞かされれば不安だけが膨れ上がる

何もなくても怖くなる

だから知らせていない

 

娘達にはいつかみんなが回復し元気になったら

笑い話に乗せて伝えることにしている

 

とりあえず

私達は誰も病院へ行っていないので

頓服もなく

鎮痛剤も解熱剤もない

自宅には一切薬はない

 

グルテンカゼインフリーの食生活にしてから

薬は一切服用しないと決めているため

水分補給と自分達の自然治癒力を信じて回復するのを待った

 

夏風邪だろうがコロナだろうが

やることは同じ

 

私達の体の中にいる免疫細胞達に活躍してもらうだけ

私達はその妨げをしないよう

じっと痛みに耐えるだけ

 

ダウンして3日ぐらいでピークは過ぎ

汗をしっかりかけると痛みも一気に引き

体は楽になった

 

最初にダウンした主人が3日でピークを越え

あっさりと回復

 

仕事へ行かなきゃって思いが

病気から主人を回復させた

 

でも咳だけは今もまだなかなか治まらない

 

私はピークを過ぎても体調はなかなか回復しない

 

どうも筋力不足が原因で

自分で自分の体温を上げられず体がずっと冷えたまま

体の節々の痛みも和らいでいるのに

体調が回復しない

 

コロナでダウンしていると言うよりは

自分の体の血行不良に手を焼いて

ダウンしている感じ

 

結局ダウンして一週間も何も出来ない状態が続いた

こんなにも何も出来ない状態の自分を見たのも初めてで

驚いていた

いつの間にかだいぶ貧弱になってしまった

 

今はとりあえず

なんとかお粥とお味噌汁を作って

体の中から温めて熱を作り出し

なんとか回復させている

 

だけど正直なところ

誰かの為に生きることをやめて

自分の為に生きると決めた今

 

自分の為にいつもの日常に戻るという

強い動機はなかなか生まれてこない

 

そのためか今一つ回復しきれていない

うだうだしている私が

まだ布団の中でくすぶっている

 

やばい

なんだか生きる目的を短時間のうちに

見失ってしまった

 

私がダウンしている間

娘達は自分達で自分達の生活をまかなってきた

 

もう私は必要ではない

そう思うと

何を支えに踏ん張ればいいのか分からない

 

なんて自分勝手なんだろう・・・