何を食べたかで人生が変わる  

毎日こころ豊かに グルテン・カゼインフリー 米粉・大豆粉・オートミールに助けられて生きている

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専業主婦の私は家に居ると自分を追いこみ、過去からの潜在意識が自分を苦しめる

★家に居たくないからお出かけする

5月のゴールデンウィークのお出かけをきっかけに

娘達を留守番させ出かけられる事を知った私と主人は

娘達から解放される喜びを覚えてしまった

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

あれから毎週のように

週末になると私は主人と二人であちらこちらへと

娘達を置いて出かけるようになった

 

自分達の行動に罪悪感を持つ必要はない

娘達をないがしろにしているわけでもない

 

自分達の欲求もちゃんと受け入れよう

親である私達の心も大切にしようと夫婦で決めた

 

私と主人は長女と長男の組み合わせ

二人とも一番最初の子

 

比較的おっとりしていておとなしいが

正義感が強く自己犠牲も強い

そして世話焼き

常に周りを意識して行動し

自分は二の次

 

それをお互いに認識し

そろそろやめようとなった

 

この性格が仇になっていると自覚したわけだ

 

いらない固定観念はもう捨てて

楽に生きようと二人で決意

 

今まで

母親とは

父親とは

を意識しすぎ

自分達で自分の首を絞めてきた

 

親ではあるが私達も一人の人間

まずは自分を満たす

それが回り回って娘達を大切にできると信じ

今は自分達に集中することにした

 

娘達もある程度大きくなり

ちょっとした手助けは必要かも知れないが

初めから手を貸さなければ何もできないほど幼くはない

 

娘達も自由になりたいと

不登校児になった

 

親の私達も不登校児の親として

堂々と自由に生きようと決めた

 

まぁ正直 なんとでもなると思ってる

とりあえず今できる事をコツコツやるだけ

その積み重ねが未来に繋がる

 

だから今から先のことを考えても無意味で時間がもったいない

そう考えたら悲観する事は何一つないって分かった

 

 

元々凝り固まった固定観念に縛られていたのは私

これでなきゃ

こうじゃなきゃが強かったのは私だ

 

その私が自分を縛っていたものを自分で解いたから

ほぐれたらあっという間

 

やりたいことをやりたいようにやるだけ

ただそれだけだった

 

そしてやり始めたのが主人とのデート!

 

なぜデートかというと

単純に家に居たくなかった

 

というのも

家にいるとなぜか常に家事をしてしまう

 

私にとって家はあまり休める場所じゃない

それに好きじゃない両親も居る

 

そしてなにより”家事”がネック

そう意外にもここへのこだわりが強かった

 

家事には終わりがない

そして際限なく溢れている

 

休みの日ぐらいゆっくりのんびりすればいいのに

なぜかこのゆっくりのんびりが私にはできない

 

何もやらない時間、ボーとしている時間=怠けている

そんな風に見られるのではと思い

しっかり働かなきゃって思ってる

 

空いた時間ができると

自分で次から次へと家事を見つけて際限なく働いてしまう

休んでいる暇がない

というより休めない

 

ここへ少しでも休むと

がんばっていない自分を否定

自己否定が始まる

 

何もやらないという時間の使い方に罪悪感を感じてしまい

何もやらない時間を作ることが私には難しい

 

たぶん精神疾患の母がいつも何もしていない状態

母曰く 

何もできない状態 なんだけど

この状態の姿に父がよく怒っていた

 

だから何もしていない状態は悪いことだと

思い込んでいる

そして働いていないと無価値だと考えている

 

よって私は家の中でゆっくりくつろぐことも

休むこともできない

 

 

日頃 一応家事に在宅ワークに子育て(ちょっと手抜き)

取り組んでいるんだから休日は休んだらいい

頭の中ではそう思っているのに

心の奥底でもう一人の私がそれを許してくれない

これは過去から積み上げてきた潜在意識がそうさせている

 

だから以前は

主人が休日に家の中でゴロゴロまったりしていると

なぜだかイラついて小言を言っていた

 

”私は家事をしているのに

どうしてあなたは何もしないの”

ってね

 

主人に言わせれば

『やりたくないならやらなきゃいいよ』って

あっさりとした言葉が返ってくる

ほとんどスルー状態

相手にされていない🤣

(これだから喧嘩にもならない)

 

要するに私は周りに家事をやりなさいって

言われているわけじゃないのに

自分で自分に命令してる

 

休日でも時間があるなら

しっかり家事をやりなさい

家をきれいにしなさいって

自分に命令している

 

ただそれだけなの

でもこれが結構辛いんだよね・・・

まぁこれがおかしな話

 

でも現実に頭の中にこの考えが存在していて

私の潜在意識にこの固定観念が存在している

 

本当は自分もゆっくりゴロゴロしたい

ただそれだけなのに

潜在意識がそれではダメって言ってる

ちゃんとやらなきゃだめだって渇を入れてくる

 

幼い頃からの親の姿で勝手に身につけた固定観念

それがいつまでも自分を縛っている

でもこれに気づいたら

あっなんか違うって分かった

 

主人がゆっくりしている姿を見た時に

イラつくのは間違ってるって分かった

 

毎日会社へ行って仕事している

休日ぐらいゆっくり休んだらいいんだ

 

私も毎日家事をがんばってる

私だって休日ぐらいゆっくり休んだらいいんだ

 

そう思うことが健全で

自分に休むことを許可してあげればいい

 

誰かの許可を求めなくていいんだ

イラつくのは間違いで無駄だって分かり

自分に言い聞かせる事が必要だってわかった

 

今までの固定観念で自分を追い込まなくていいよって

常に言い聞かせる

 

でも実際問題 私が休日にゆっくりしようとすると

ちょっと問題が出てくる

 

それは誰が家事をするのかってこと

 

家事をゼロにすることは不可能なので

最低限のことをみんなで分担することに

 

主人に私が抱え込んでしまうなんとも言えないこの気持ちを

共有してもらった

娘達にも共有してもらった

 

そして抱え込まなくてもいい環境作りを計画

その環境作りの一環が主人とのデート

 

家に居て家事をみんなに分担してもらうのもいい一つの手なんだけど

やっぱりなかなか休めない

 

家に居るから家事が生まれる

それなら家から出てしまえば

その時間は必然的に家事ができないことになる

そうやって物理的に家事に取り組めないようにしてみた

 

こんな風に考えないと家事から逃げられないなんて

変だよね

でもそれくらい潜在意識って根深い気がする

簡単に切り替えられない

 

ってなわけでとりあえず毎週のように

娘達を置いて出かけていた

 

今までなかなかできなかった

ウインドウショッピングに躍起になり

いろんな場所へ出向いた

 

まぁ沢山歩いて沢山見て回って

主人といっぱいおしゃべりして

二人の時間を共有した

 

お互いの過去の話

いろんな物の考え方

娘達に対しての思い

自分達のこと

両親のこと

 

家ではちょっとシビアで

娘達の前ではタブーな話も

いろいろ話せた

とってもいい時間だった

 

でもさすがに毎週は疲れたね

ちょっと出歩き過ぎたね😅

 

在宅ワークをスタートしてから睡眠時間が4時間ぐらいで

毎日家事と在宅ワークに追われ

休憩すらできない毎日

 

何をそんなにがんばっているのか

よく分からない状態で

常にがんばっていないといけないっていう固定観念

何にでも存在しているって気付いた

 

家事に在宅ワークにお出かけに

なんでもやり過ぎはよくない

ほどよく手を抜く感覚を身につけないと

どれも上手くいかなくなる気がした

 

親の私がいつも何かに追われ走り続けていると

娘達も自然と走り続けなきゃって思ってしまう

 

私は自分の親とは反対の生き方をしているが

これが自分の望んだ姿なら問題ない

 

だけど私は少しゆっくりしたいと思い始めたんだから

ゆっくりできるような環境に整える必要がある

 

自分の感情、感覚を無視して生きていたから

今まで何も考えずに過ごしてきたから

考え始めるのに時間がかかったけど

そんな難しいことじゃない

 

考えることに慣れて考えることを少しずつ増やしたら

自分から取り組めるようになったし

出来る事も増えてきた

 

こんなちょっとした気づきだけど

私は自分のことを少しずつ大切にでき

好きになってきている

 

また少し自己を肯定してあげられるきっかけをつかんだ

自分で決めて取り組むだけで自己固定感は上がるんだ

 

ということは逆に

人に決められた事を取り組む度に自己肯定感は下がるのかも知れない

 

そう考えたら

娘達に何も指示してはいけないということがよく分かる

 

私の指示で自己肯定感を下げてしまうのは

もったいないし残念でしかない

 

娘達も自分で考え自分で決め行動すれば

自分で自分の自己肯定感を上げられる

 

誰かに自己肯定感をあげてもらうじゃなくて

自分で自己肯定感を上げる方法を身につける事が必要

 

そうすれば他者にも依存しなくて済む

他人軸から自分軸で生きることにも繋がる

 

少しずつでいい

この感覚を経験し自分で自分のことを育てていって欲しい!

 

私はこれからも娘達を置いてお出かけしよっと

体の状態をちゃんと見て自分でコントロールできるよう

練習しよう!

遅延型アレルギー症状 またもや体調不良 体からのお知らせ・・・

★久しぶりに遅延型アレルギー症状 何を学ぶ?

ここ一週間鼻水、鼻づまり、くしゃみが止まらず

呼吸がしづらくずっと微熱続き

 

一日中ぐだぐだでボーとして

ただただ しんどい一日を送っている

 

グルテンカゼイン、乳製品以外の摂取で

こんなに酷くなったのは初めて

 

あっもしかすると

たまにあった鼻水・・・

あれは排毒作業だったのかも・・・

 

軽い症状だったから

気にしていなかっただけかもしれない

 

今回はいろんな要因が重なり

もうもう たまらん状態として出現

体が訴えてる

これ以上見て見ぬふりするな ってね

 

体の変化を受け取らないと

痛い目に遭うぞ ってね

 

そんな体からのお知らせが来たので

原因を追及し考えてみた・・・

 

 

私はグルテンを摂取すると30分も経たずに

肩こり、首こり、頭痛が発生する

 

グルテンカゼインを排除した食生活

この食生活を送るとかなりかなり体は敏感になり

すぐに違和感や痛みを感知する

 

以前は日常的にグルテンを摂取していたので

ほぼほぼ毎日軽い頭痛

 

気温の変化や気圧の変化

原因はだいたい体の外にあると思い込み

痛みに慣れてあきらめていた

 

この状態に月経時が重なると

起き上がることも動くこともできず

ずっと丸まった状態

 

頭を高くすると胸から上の方に血が一気に巡り

気持ち悪くなり嘔吐するので

動かず痛みが引くのを待つしかない状態

 

月経時に重なると薬も一切効かず

ただただ時間がホルモンが元に戻るまでと

じっと耐えるしかなかった

 

そんな痛みに耐えるしかない

なんとも生きた心地のしない時間を送っていた

 

 

乳製品を摂取すると

一般的に花粉症、アレルギー性鼻炎と言われる症状が起きる

 

鼻水、鼻づまり、くしゃみ、目のかゆみ、体のかゆみ

頭皮のかゆみ

そして微熱状態がずっと続きボーっとしている

 

マスクは外せないし

鼻栓も外せない

起き上がると

つーっと鼻水が垂れてきてしまう

これまたなんとも言えない状態

 

家事がまともにできずイライラする

体調と相談しながら最低限の家事で精一杯

とても普通に日常生活を送れる体ではない

 

今回グルテンも乳製品も摂取していない

いつもと変わらない制限された食生活を送っていたはず

 

なのに乳製品を摂取した時と同じ症状が出ている

なぜ?なぜなんだ~💢

 

間違えて乳製品でも食べたのか?

外食してないのでその可能性はゼロ

 

自分の事なので記憶を辿れば分かる

だけど

なかなか思い当たる物がない

 

特別いつもと違う物は食べていない

 

と言うことは

今まで食べられていたものが

何らかの原因で体が異物だと認識し

反応し始めたということ

 

そんな風に推測してみた

 

主人曰く

花粉の時期なんじゃないの?

最近気温の変化が大きいから

体がついていかないんじゃない?

寒いだけじゃない?

 

なんて生ぬるいことを言う

 

だけど

グルテンカゼインフリーの食生活に目覚め切り替えてから

一度も花粉を気にしたことはない

 

寒いからくしゃみが出る

それもあるにはあるけど

鼻炎状態が連日続くことはあり得ない

 

グルテンカゼインフリーになって

ハウスダスト

気温の温度差も

なんなら三女(猫)の毛も

トリガーとなるものに振り回されることはなかった

 

なのにここ一週間

めちゃめちゃ酷い鼻炎の症状が出ている

これは絶対におかしい

免疫細胞達が戦闘モードに入ってる

 

一体何が敵なんだ?

 

 

グルテンカゼインフリーを知るまでは

すぐに病院へ行き薬を処方してもらうのが日常的

 

両親は病院が大好き

少しでも体に不具合が出ると

医師に相談し薬を処方してもらう

 

辛い状態をそのままにしておく方が体には良くない

病院へ行ってすぐに薬を出してもらい

ちゃんと薬を飲んで楽になりなさい と言う

 

この教えでアレルギー症状が出ると

すぐに病院へ行き大量の薬を持ち帰り

きっちり言われたことを守り服用していた

 

当たり前だが

鼻炎の症状のまま日常生活を送ることは困難な為

当時は毎日アレルギー反応を抑える薬を服用していた

 

おかげで鼻炎の症状は治まり

難なく日常生活は送れる

 

だけど・・・

 

アレルギー反応を抑える薬は私の体の中にいる

私の体を守ってくれる戦士達=免疫細胞達を

ことごとくやっつけてしまった

 

私の体を守る戦士達は薬によって

症状の鎮圧と引き換えに全滅したよう

 

いやいや全滅とまではいってないかも・・・

ただ目に見えないけど

私の食生活、薬の服用期間、頻度を考えれば

確実に免疫細胞の数は減少してる

減少していないわけがない

 

おまけに薬は免疫細胞の戦士達だけではなく

体の中の一番の要である腸の壁

外敵から体への侵入を防ぐ

最も重要な壁にもダメージを与えてくれた

 

これがいわゆる

腸の壁が穴だらけの状態=リーキーガット

外敵、異物の侵入を防げない状態

 

私の腸はずたぼろで荒れ果てた地となっている

そう思っている

 

グルテンカゼインフリーの食生活にして3年以上が経つのに

まだ私の腸の壁は治っていない😭

 

 

腸の壁を傷つける要因は薬だけじゃない

私の免疫細胞達が誤作動したときも腸を傷つける

またストレスも敵だ

 

今回も一番の原因が何かはよく分からない

 

今まで気にせず食べていたものがトリガーになったのか

いろんな要因が重なって酷い症状として現れただけなのか

 

いろんな要因とは

月経時やストレス

これらはどちらも免疫が低下する

これが一番の原因なのかもしれない

 

免疫が下がっている時は本当・・・要注意!

私は年中 月経時は要注意!

 

女性の体は強いようでもろい

過信していると痛い目に遭う

 

とりあえず私の腸の中にいる戦士達は

私の大好き物を敵、異物と見なし攻撃しているから

今鼻水、鼻づまり、くしゃみが続いている

 

これがいわゆる排毒作業

 

この作業によって体の中に入れてしまった原因物質を

体の外に追い出してる

 

私の体にとっては大切な作業で

必要な作業なんだけど

 

普通にこの状態に耐えるのはマジでしんどい

薬に頼らず生活するのは本当に死にそう

 

ここ数日寝るときもマスクして口呼吸

鼻がバカになってて息が吸えない

寝ている間に死ぬかもなんて考えたり

それくらい鼻呼吸ができない

苦しすぎる

鼻で呼吸がしたいよ~

 

口呼吸は喉が痛くなって

これまた風邪でも引いたら面倒くさい

 

もうこんな状態はこりごりだ

ってなわけでまた一つ制限する食べ物が増えてしまった

 

これを

主人に話したら

『制限しすぎだから過剰に反応するんじゃないの?』

『治ったらまた食べればいいじゃん』

って笑って言う

 

いやいや

あなた代わりに家事してくれるの?

仕事から帰ってきて自分の夕飯作ってくれるの?

 

”私に休んでていいよ

ゆっくりしてていいよ”って

言えないんだから

安易にまた食べればいいじゃんとか

言わないでよ~

 

辛さを分かってもらえないのは

これまた正直 つらい

 

でもこれを求めても仕方ないし

主人は嫌味で言っているわけではないから

やっぱりこの状態にならないように気をつけるしかない

 

食べなきゃいいだけ

ただそれだけ 

 

ちなみに

主人も以前は年中鼻炎

時期的に軽くもなるがほぼ毎日鼻をすすっていた

 

でもグルテンカゼインフリーにしたら完治

だから主人は自分の体で体感し理解している

 

主人は私と違ってたまに解禁する

友達と外食したときなどは好きな物を気にせず食べる

それでアレルギー反応を起こすときもあれば

まったく何も起こらないときだってある

 

アレルギー反応が出ても一日寝ればすぐ排毒作業は終わる

不思議だ・・・

 

私と主人と何が違うんだろうって

二人で考えた

 

そして分かった

明らかに違うものがあった

 

それは薬の服用

薬の服用頻度と期間だった

 

主人も症状が出ていた頃は

仕事に支障がきたすほど酷い鼻炎症状だったので

薬を服用していた

だけど常時ではない

 

私は出産後自律神経のバランスを崩し

月経痛も酷く子宮内膜症も患っていたこともあり

低量ピルを7年間服用していた

 

それにプラスしてアレルギー症状が年中あったので

アレルギー反応を抑える薬を同じく7年

 

これにまた常時肩こり頭痛が酷かったので鎮痛剤

 

どれもちゃんと病院で処方してもらい

内科、婦人科ともに薬の服用状態は双方ともに把握してもらっていた

そして常時服用していても問題ないと言われていたので

服用し続けていた

 

ここが私と主人の違いだった

薬を服用していたことが一番の大きな要因

私だけすさまじく酷い状態

 

お互いグルテンカゼインで遅延型アレルギーは起こす

だけど私はリーキーガットで腸が正常でないため

免疫細胞達の活動は激しく

アレルギー症状、鼻炎症状がとてつもなく酷い

 

もうこれを理解しているから

誰がなんと言おうと反応する食べ物は食べないし

薬も飲まない

そう決めている

 

はぁ~早く排毒作業終わらないかな・・・

少しずつ鼻呼吸ができるのが幸せ

 

健康が一番

体調不良なんかまっぴら

 

ちなみに今回トリガーになった食べ物は

ピーナッツバター、アーモンド、炒り大豆

 

どれも食物アレルギーを引き起こしやすい食べ物

薄々覚悟はしていけど仕方ない

 

ピーナッツバター大好きだったから・・・

かなり残念

 

でも普通の日常を送りたいから制限する

どーってことない

 

美味しい物は他にもたくさんある

健康でいなければ

美味しい物を美味しいと感じられない

 

まだまだ腸は修復されていない

 

そして免疫が下がっているのも最近よく感じる

生活の見直しが必要かもしれない

 

自分の体は自分にしか分からない

誰にも分からない

守れるのは自分だけ

 

最近ちょっと自分に負担をかけていたのかもしれない

それに気づけよって

体からお知らせが来た

 

健康でいるには知恵と努力が必要!

また学び直しが必要なのかも知れない📚

不登校ブログを始めて一年 娘達より母親の自分を紐解く作業に追われている

はてなブログからのメール

はてなブログから

”過去の同じ時期に投稿した記事を振り返る”

というメールが来た

 

いつもとは違うメールが来たので

ちょっと(*゚∀゚)びっくり

でもこれはただのお知らせのよう

 

それが今回ありがたいお知らせになった

私にとって 

一年を振り返るちょうどいいきっかけになった

 

 

私はあまり過去を振り返らない

嫌なことには目を背けるタイプ

振り返るのが怖くて振り返れない

ただの臆病者・・・

 

高校の終わり頃から始めたアルバイトをきっかけに

自由に働き、活動できるようになってからは

嫌なことからはすっぱりと逃げて逃げまくってきた

 

アルバイトでも仕事でも

自分に合わなくなったり

つまらなくなったり

楽しくなくなったり

嫌いな人ができたり

 

とりあえず自分にストレスがかかり

憂鬱になった瞬間、我慢する間もなく

すぐに切り替えて行動していた

 

友達でも恋人でも

急に冷めたり

疑ったりするようになると

 

嫌なことを考えていることが耐えられず

自分の時間を費やすのは

損している気がして

誰に何を言われようとも

嫌なものは嫌と逃げてきた

 

仕事も人間関係もすべてそのスタンスだ

 

逃げ切れなかったのは家族だけ

いつも家族だけは逃げ切れなかった

 

そして一番の強敵である自分からは

いつも逃げられなかった

 

要するに一番の強敵は自分の中にある”執着””こだわり”だ

これに自分自身が逃げ切れず

知らない間にこいつらに潰されていた

 

私は自己分析が苦手

嫌な場所から逃げることは得意だが

自分自身とは向き合わない

 

自分の得意なこと

苦手なこと

白黒はっきりさせる勇気がなくて

その現実を受け止める自信がなく

いつも曖昧にしてきた

 

自分の事がよくわからない状態で

闇雲に走っている感じ

 

仕事や人間関係からは簡単に逃げられるが

本当の意味での自分からは逃げられず

 

ただなんとなくどこかに向かって走っている

どこがゴールなのかもよくわからないが

立ち止まることが許されないと思い込み

ひたすら走る日々

そんな状態の日々を過ごしていた

 

物心ついた頃から

ただなんとなく生きている

 

これといって生きる目的が分からず

生きる目的がない、分からない状態が悪いかのようにも思え

生きていることが面倒くさいと思う時がよくあった

 

そして30歳には生きることをやめようと考えていた

 

だから今度はそれを目標に

20代は将来を考えず今を適当にただ楽しんでいた

 

その楽しんでいた20代に主人と出会い

楽しい時間の流れに身を任せて結婚し長女を出産

 

30歳で終止符を打つつもりが

楽しさに身を任せていたら

生きることをやめられなくなっていた

 

さすがに主人と娘

家族を持ってしまっては

一人だけ生きることをやめますとは言えない

 

そして生きていることも悪くないかもと思い

また生きることをやめる理由がなくなってしまった

 

というより自分が生きて娘を生かさなきゃ

これが生きる目的に代わり

”生かさなきゃ”という

この気持ちが強くなった

 

生きる目的が出来てしまった

 

娘を育てる

ただそれだけだった

 

でもこれは母親になれば普通のこと

母親が子どもを育て守る

 

だた世の中にはいろんな情報が飛び交っていて

あれがいい

これがいい

これはダメ

あれはダメ

 

何か人と違うことをすれば

間違っているんじゃないか?

何か責め立てられるんじゃないか?と

不安になり神経がピリピリしていた

 

そこへ小さな娘がちゃんと生きているのかどうか

お昼寝している姿

夜寝ている姿にも恐怖を感じていた

 

ちゃんと起きるかしら

生きているかしら🥶

 

あの小さな娘の寝息

お腹が上下に動く様子をよく観察していた

というより恐怖で確認していた🤣

 

一人で小さな娘を家で育て守っている時間は

かなりの恐怖でストレス

 

一人目は本当に怖かった

これが毎日続いていたんだから疲れて当然

 

元気に健康に育てられたら

それだけで◎なのに

 

いつの間にか

”ちゃんと””しっかりと”が求められ

要求されているように勘違いし始めた

 

子どもを育てられているだろうか

健康に育っているんだろうか

というより

”いい子”に育てられているだろうかに変わった

 

どこかで答え合わせを常に求め

間違っていないか確認していた

 

正解とされる答えが用意されていないと

とても不安だった

 

そうやっていつも見えない重圧がかけられていた

 

その重圧をかけていたのは

世間でも親でもない

紛れもない私自身だ

 

私自身が周りの情報に流され

良い悪いもよく分からない状態で

子育てをスタートしたから流されていた

 

そして答えのない問題にどう対処していいか分からない

応用力のない人間なため

自分の中で整理しきれない

いろいろ悩んだ

 

いろんな情報があり便利になった反面

私にはかえって不都合だった

混乱しかなかった

 

自分に合う合わないを取捨選択するだけなのに

沢山ある情報から一番を探そうと躍起

正しい答えはこれだって

答えを探さしてしまう

それが

勝手に自分に重い重圧をかけ苦しめていた

 

そう・・・

いつも自分を苦しめていたの自分以外の誰かだと思って

責任転嫁していた

でも本当は違う

 

バリバリに凝り固まった過去の自分が

私を苦しめていた

 

それをこの一年でようやく理解した

 

立ち止まる時間

休憩する時間すら自分に許さなかった

 

ゆとり、余白がなければ

自分とは向き合えず自己分析する暇もない

 

いつも誰かに見張られ

いつも一生懸命働いていなければ価値がない

だから

とりあえずせかせか働く

 

この生活が間違っていたらしく

娘達に強制的にストップさせられた

そのきっかけが娘達の不登校

 

娘達には娘達なりの不登校の理由があり

私には私なりの不登校の親としての理由がある

 

私は娘達の不登校をきっかけに

生まれて初めて自分と向き合うことを余儀なくさせられた

 

きっとこの時間が必要だったから今この形で現れた

私はこの時間でいろんな事を学ぶ時間を与えてもらった

 

一年前のこの時期

不登校についてのブログをスタートした

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

一年はあっという間

娘達が不登校になったのは去年の2月

 

思いもよらなかった現実が急に現れ

あたふたしていた

 

想定外の現実で

慌てて主人と情報収集し

娘達の状態を分析

 

何が正しいのか

何が間違っていたのか

よく分からず

 

いろんな感情が交差し

情報も交差していた

 

それでも一番に大切するのは娘達

それは今もさほど変わってはいないが

その当時は何が何でも娘達が一番だった

 

自分達の子育てを振り返り

情報と照らし合わせるジャッジする日々が続いた

 

それでもジャッジしたからといって

娘達が学校へ行くわけではなかったので

次第に親の私達が早い段階で

方向転換を始めた

 

普通に無難に生きれればいいと思っていたが

どうやらそうはいかず

普通じゃない道を娘達は歩みたいらしく

普通じゃない道へ進んでいった

 

それが正解かどうかも分からない

なおかつ自分の事ではないので

余計に心配になる

 

母親とはたぶんそんなもんだろう

 

その”そんなもんだ”を理解し受け入れるには

今までの思考パターンを打破しないことには

自分が辛くなる

 

理想と現実のギャップに惑わされないよう

心を乱されないよう

自分の考えをしっかりと持ちキープする

 

そのために私と娘達

私自身について考えまとめたのが

今の私のブログ

 

最近は不登校と言うより

精神疾患の親について問題が出されているので

それを今考え

吐き出している

 

きっとずっと蓋をしていた

自分の親との境界線を

今ちゃんと引かなきゃいけない時期にきた

 

このブログに書くことで

少しずつ自分の考えを押し出している

 

つたない文章でわかりにくいところもあるが

それはたぶん私がまだかみ砕けていない

理解していない証拠

 

それを咎める必要はないので

今はこのレベルだと思い

そのまま書き続けている

 

完璧にはなれないから不完全でいく

それでいいんだと

自分に言い聞かせ

それでよかったんだと

体験させるための場所でもある

 

別に誰かに説明する必要もないし

理解してもらう必要もない

ここに書く必要すらないと言えばない

 

それでも

このブログに書くことを習慣にしなければ

絶対に本当の自分には向き合わなかった

過去の自分を受け入れられなかった

 

脳は楽が好きだ

怠ける生き物だ

こいつの言いなりになると

ろくな事にはならない

 

それが分かった

 

自分と向き合うことをためらい逃げていてもいいけど

きっとそれは間違った生き方だから

何度も修正するよういろんな形で問題が起きる

 

このブログを書いている時間は

もう一人の私と一対一で勝負している時間

 

だから少々荒っぽい言葉を使い喧嘩腰になる時も・・・

あくまで自分と喧嘩しておりますので😤

 

そんな時間が一年も積み重なっていたとは

私って案外すごいかも

 

あれだけ苦手だった自分と向き合う作業

自分の考えを外に押し出す作業が

毎日の積み重ねでできるようになった

 

ただ自分の思いのはけ口に

自分の思考の整理をするために書き始めたブログで

自己成長を感じ

勝手に自己肯定感を上げていた

 

自分で決めて自分で考えて行動する

それはどんな結果が生まれても

自分が選んだ道だから後悔しない

 

ブログを書くことで思考の整理ができるって聞くけど

やってみて本当だって理解できる

 

何事もやってみて体験しないと分からない

一年かけて私はもう一人の自分に出会い

体験したい願望が強いことを知った

 

またこれから一年かけて私はどんな自分に出会うんだろう

 

振り返るって悪くないかも

嫌な過去ばかりで直視できないと思っていたけど

 

見方を変えれば成長できる要素が

いっぱいごろごろ落ちているのかも知れない

 

またこれからも少しずつ拾い集め

汚く汚れていた記憶の原石を

少しずつ磨いていく

 

この作業で私自身も磨かれ成長する

 

最初はグルテンカゼインフリーについて発信し

その次は不登校の娘達に路線変更

かと思えば次は自分自身についての

ただの成長ブログ

 

人の人生はいろいろ複雑だってことで

まぁなんでもあり

まぁいっかにしておこう😊

 

最後になりましたが はてなブログさんへ

振り返るきっかけのメールを送って下さって

ありがとうございます🧡

とても貴重な時間でした✨

家族それぞれが自分の世話を自分でする もとある場所に返し学んでいる

★自分の世話を自分でする それが生きるということ

両親の洗濯という家事を手放し

半ば強制 突っぱねて数月

 

父は週に2、3回

夜に洗濯機を回している

 

母から細かくチェックや指導が入り

それに対して文句を言いながらも

なんとか生活の一部の活動として

洗濯に取り組んでいる

 

昼間は仕事して夜は家事をする

70歳手前の父にはなかなか楽な作業ではない

 

正直可愛そうな姿として映ることもあるが

家事を全面的に放棄している母に連れ添っている父の

これは言わば責任

 

長年連れ添っている母が精神疾患

家事すらまともに出来ない状態を父は受け入れている

それなら最後まで自分達の生活をも丸ごと

受け入れる必要があった

 

精神疾患でも連れ添うと決めているなら

側にいるのが正しいと思っているなら

父が責任を持つべきなんだ

 

それを”家族”という言葉で

なんでもかんでもくくり

若くて動けるからといって下の世代に

上の世代の面倒を見ることが当たり前かのように

自分達の生活の世話を押しつけられるのは

もう耐えられなかった

 

面倒を見ることによって

本来学ばなきゃいけないこと

もっと大切な事へ向き合わなきゃいけない時間が奪われる

そう考え

親の面倒を見ている場合ではなかった

 

子が親の面倒を見る

この固定観念は昔はまかり通っていたかも知れないが

今の我が家ではもう通用しなかった

ただそれだけだった

 

最近私はいろんなものを手放し見捨てた

なんだか荒っぽい気もするが

 

これくらいのことをしないと

自分と親との間に境界線を引けないと気付いた

 

なんせ今まで気付かなかったわけで生きづらくもあった

でも少しずついろんなことをほぐすように

行動すると いとも簡単に楽になれた

 

私の悩み、問題の種はいつも両親

両親はいつも対処療法

 

お互いに根本に向き合わないため

私はそれを仕方のないものだと

半ば諦めていた

 

そう本当はこれでよかった

諦めてればよかった

これを自分事と捉えなければ問題にならなかった

 

そうやって割り切り

問題を私の中へ持ち込まれなければよかったのに

ついつい親のことに首を突っ込んでいた

 

今やっている考えること

これを思春期の時にしてこなかったため

ずるずる年月だけが過ぎて今

考える事余儀なくやらされている

 

きっと生きているうちに

学ばなきゃいけないことはちゃんと用意されていて

それをいつの段階で学ぶかの問題なんだろう

 

多くは思春期の時期に自分と親を分け

自分を確立していくんだろうが

私はそれをさせてもらえる環境になかった

 

今ようやく娘達と主人のサポートにより

そこへなおかつ

両親が年老いて弱って体勢が逆転したことがチャンスとなり

”今ここだ!”っと言わんばかりに

娘達に背中を押され

長年目を背けていたことのを

今いろんな形で学んでいる状態

 

まぁそんな感じ

 

私が何もかも投げ出し

我が家と両親との間に露骨に境界線を引き始めたから

かなり困惑しご立腹な父

 

70歳手前で孫は不当校児となり

実の娘は反抗期に入り

長年連れ添っている伴侶は

現実の変化に適応出来ず

精神疾患の症状が悪化

 

自分達が甘えすぎていたことに

無理矢理気付かされ

見放される孤独感を

ヒシヒシと感じながら見えない不安に追い込まれていた

 

でもこれは分けて考えるしかない

それこそ仕方ないこと

 

我が家では両親の夫婦関係を解消すればいいのでは

という答えしか最善策が思いつかない

 

母の精神疾患の症状が悪化する時は

決まって父が関係する

 

要するに未だに父にちゃんと自分の気持ちを打ち明けられない

 

母の考えを何一つ否定せずに聞いてくれる父ではない

ということを知っているので

本音を隠してしまう

 

そして母もいつの間にか自分の本音が分からなくなり

周りの顔色ばかり気にして自分の気持ちと向き合わない

 

私もそうだったのでよく分かる

でもそれでは前に進めない

絶対に現実は良くはならない

 

もう我が家は大人も子どもも

結局周りのご機嫌取りばかりして

自分をないがしろにしてきたため疲弊していた

そしてそれは絶対に幸せへとは繋がらない

この学びが一番の収穫だ

 

 

父は自分がいなければ母は生きていけないと

そう思い込んでいる

 

でも実際は父がいなくても生きていける

お金と世話をしてくれる人がいれば生きていけるんだ

残念だが父である必要はない

 

人なんてそんなものだ

だから母もそんなもんだ

 

だから我が家ではそんな両親を見て

 

一緒にいて苦しい相手となぜ一緒にいるの

どうして自分を押し殺してまで我慢し

一緒にいなればいけないの?

 

本当に生活出来ないの?

本当に生きていけないの?

 

究極生きていけないと思い込んでいるから

二人は離れられないし

離れようとしない

 

それはそれで一つの夫婦の形で別に問題はない

 

ただそう思うなら

なぜ仲良く夫婦関係を築こうと努力しない

互いに互いを受け止め

折り合いをつけて生きていこうとしない

 

小中学生の娘達にすらもうこれぐらいのこと理解出来る

そして理解してしまった上に

そのしわ寄せを受けていると分かったら

黙ってはいられない

 

結局両親は自分の理想や願望が全て正しいと思い込み

変わるのは相手だと思っている

そして相手が変わってくれるのを待っている

 

でももう分かってしまった

 

絶対に相手は変わらない 

私が生まれて40年

変わった試しがない 

これが答えだ

 

相手なんか気にせず

自分が変われば物事は簡単に動き出す

 

私は自分で体験済なので

このことがよく分かる

 

行動して変わり出すと

物事は少しずつ速度を増していき

そこへ時間も味方に付いく

行動した方が物事は解決する

 

少なくとも絡み合った関係は少しずつほぐれていく

 

現実父は洗ってもらえない洗濯物が溜まり

下着が底をついた頃

しぶしぶ洗濯機の使い方を尋ねてきた

 

やり方を覚えるために設定方法をスマホに撮り

記録する

 

出来ない事なんてない

やろうとしないだけ

やってみたら簡単

これが行動することによって体感した

 

そして行動するにつれ

できないという不安な気持ちは少しずつなくなり

自分でもできるという達成感に変わっていき

多少の疲労感はあるものの出来ないという不安は少し消えたよう

 

回数をこなすうちに見えない不安は少し解消され

私に頼らなくてもまだ自分達のことは自分達でやれるかもと

考えるようになった

 

不安を感じたら行動する

なんでもいいから体を少し動かす

そのちょっとした押し出しの気持ちさへ踏ん張れば

なんとかなる

 

たった数回の洗濯で

父は6人分の洗濯をしていた当時の私を労う言葉が出てきた

 

きっと知らなかったんだろう

どんな気持ちで家事をやっていたのか

 

だから今私の気持ちを学ぶ為に

洗濯という家事に取り組んでいるんだろう

年寄りだからといって

”可愛そう”という言葉で学ぶ機会を奪ってはいけない

 

娘達にしても両親にしても

生きると言うことは

自分のことを自分で守れるようになること

勉強なんかより自分を守る事を学んで欲しい

 

出来る者が何から何まで手助けして

学ぶ機会を取り上げてはいけない

 

そんな風に解釈するようになってから

問題は全て学びだと捉えられるようになり

心が軽くなった

罪悪感もなくなった

 

私は自分の持ちすぎた家事を一つずつ手放し

もとある場所に返している

ただそれだけのこと

 

というわけで両親に洗濯という家事を返したら

次は娘達にも洗濯という家事を返すことになった

 

娘達はたまに洗濯物をたたむ作業を手伝ってと頼むと

渋々だけど手伝ってはくれていた

 

でもその時から気になっていたよう

なぜ祖父母の分までやらなくちゃいけないんだろう

 

なぜ自分達が祖父母の分までという

違和感が強かったようで

我慢して仕方なく取り組んでいたとのこと

 

イヤイヤ取り組むから無駄に時間がかかったり

露骨に嫌な態度をとる

 

でも両親の洗濯物は両親に返したので

今度は誰の為でもない

自分の洗濯物を自分でやるということになった

 

これはこれで納得らしい

なぜなら自分の洗濯物だから

 

どんな干し方でも

どんなたたみ方でも

私は何も言わない

 

好きなようにやればいいという提案で

娘達の洗濯物は洗濯機に入れて回し干したたむという

一通りの作業を全て任せた

 

そしたら二人でなんだか楽しそうにやっている

二人分なので量も少ないし

季節的にそんなにかさばる服もないので

短時間で終わる

 

以前は6人分となれば一日に2,3回は洗濯機を回していた

たたむ作業だって結構時間もかかる

 

それが今では一日1回

なんと楽なこと😊

 

この方法 もっと早くから実行していれば良かった

家族みんなで家事に取り組めば

一つ一つの作業は簡単になり短時間で済む

効率は悪いかも知れないが

一人一人のストレスは減る

 

娘達は私を親の呪縛から解放させるために

生まれてきたのかしら?

 

ってそんなわけないか

 

でもとりあえず

抱えている荷物を少しずつ手放していく

この感覚はすごい!またもや娘達に感謝!

自分の育ちを振り返れば親を世話する理由なんてどこにもない 私は自己中になる!


★両親の洗濯を放棄することで互いの本心が見えてきた

親の面倒をみるために同居したわけではない

だけど心の奥底に

私が面倒みなきゃという固定観念

 

この考えが自分では気付かないくらい

根強く根を張っていた

 

親をリスペクトし愛しき存在だと感じているなら

これは問題にはならない

 

でも今の私は 

いや昔からずっと

そのどちらの感情も存在しない

 

物心ついたころから私は両親から何度も離れようとしていた

言っても無駄だとわかりながら

言わずにはいられず

何度か駄々をこねていた時もあった

 

原因は精神疾患の母との生活

これにほどほど嫌気がさしていた

それは耐えがたい日常だった

 

いろんな事が制約され

やりたいこともやらせてもらえず

自分に決定権のない生活

 

強迫神経症潔癖症の母はとりあえず普通じゃない

いろんなものにバイ菌がいると考え

あらゆるものにアルコール消毒をする

 

よく私は体中に除菌スプレーを振りかけられていた

何か汚いものを触れば手を洗えば済むものを

バイ菌を殺すように私に除菌スプレーを

これでもかっていうくらい浴びせる

 

それでも母の気が済むならと

言うことを聞いていたが

今思えば異様な光景

 

自分が親になったら分かった

気が狂ってる

 

コロナ過でアルコール消毒が出回っていたが

ゴキブリにズプレーを駆けて殺すように

母は私の手や体にスプレーをしていた

 

この時父も同じように母にスプレーをかけられ

黙ってやり過ごしていた

 

この時点で私を守ってくれる人は存在していなかった

 

父も母の気が済めばといった感じだ

この人達はお互いの顔色を伺い

子どもの事は二の次だ

そんな親だったんだ

 

母は料理はほとんどしない

食事はほとんど買い食いばかり

 

洗濯もまともにされずいつも洗濯物は溜まった状態

潔癖症で汚いのはイヤなはずなのに

汚れると触れないという気持ちが出現し

汚くなった場所はそのまま放置

 

掃除すれば済むはずなのに

掃除が出来ない

 

よく家の中に立ち入り禁止区域が出現していた

 

本当よくこんな人と生活していたもんだ

こんな生活がイヤで

母との生活に不満が大ありでいつも家を出たいと文句を言っていた

 

あの時父の祖父は一人暮らしだった

元々同居していたが

母と祖父が反りが合わず

母が家を飛び出したことをきっかけに

家族で祖父の元から独立した

 

そこへ一人暮らしの祖父が病気を患ったことを理由に

親戚のお姉さんが祖父の生活の援助の為に住み込んだ

 

それを聞いて知っていたので

私も祖父の元で生活したいと志願した

 

母との生活を送るぐらいなら祖父の世話をしながら生活する方がマシ

それにお姉さん達も集まっていて楽しくやっていると

聞いていたので親戚のお姉さん達との共同生活の方がいいと

考えた

 

でも父はそれをいつもように私を我慢さ許してはくれなかった

話すら掛け合ってもらえなかった

 

祖父の元を出てきた身なのに

私だけ祖父の元へ帰るなんて事は母が許さない

家を出たら二度と帰ってこれない

 

家を出たら最後

二度と家の敷居をまたぐことは許されない

家族ではいられない

 

とまぁ父はいつものように母を理由に

私の気持ちをねじ伏せていた

 

その当時私は高校生で

アルバイトすらしたことがなかった

 

世間の厳しさを知らない生ぬるい子どもが

何をどんなにわめいても

両親には私の思いは届かなかった

いつも簡単にかき消され

汲み取ってももらえなかった

 

そうそう私はいつもあの頃

両親の帰宅が遅くなると心がウキウキしていた

 

事故に遭っているかな?

何か事件に巻き込まれているかな?

このまま帰ってこないかな?

 

なんて非現実的なことをいつも妄想しては落胆していた

 

なんでかいつもちゃんと帰ってくる

そしてまたいつもの何もさせてもらえない生活

不自由で汚い日常に戻されがっかりしていた

 

私は中高校生の時ぐらいからこんな妄想をして

両親から独立することを夢見ていた

 

なんなら親に捨てられひとりぼっちになった方がマシだとも

思ったこともあるくらい

それくらい精神疾患の母との生活はイヤで

逃げたかった

 

それなのにそんな独立心が強かったことも

すっかり忘れてしまっていた

 

たぶん成長するにつれ目の前の日々がめまぐるしく過ぎ

学生の時は勉強

大人になってからは仕事へ注力が注がれ

両親への独立心はいろんなことで霞んでいった

 

忙しくなると自分のことを考える時間がなくなる

それはそれでよかったのかもしれない

 

結局考えたところでどうすることも出来ないし

どうにもならない

だから諦めたのかもしれない

 

でも思い出しちゃったんだよね

 

あの時の感情をそのままの状態で放置していた

あの時の私を慰めずにほったらかしにしていたから

今ふつふつと憎しみの感情が増して出現している

 

そんな状態だから余計に

親の面倒をみることは当たり前

娘だから

自分の親だから

これが普通だから

 

この価値観で物事を受け止めようとするから

苦しい

自分自身にいい加減にしろよって

渇が入った

 

誰に言われたわけでもないのに

自分の中に親への固定観念が存在し

それが私を苦しめていた

 

本当の自分の気持ちと

親の面倒をみなきゃいけないという固定観念

 

ここに大きなズレがあり

この気持ちの整理をしないままずるずる過ごしてきた

 

そしていつの間にか

親のせい

周りのせい

固定観念のせい

 

自分以外を悪者だと思い込み

現実から逃げていた

 

自分自身と向き合う作業って本当面倒くさい

かなり体力を消耗する

簡単にできないから考えること自体から目を背け

自分を誤魔化す方が楽だからそっちに流れてしまう

 

でもそれじゃいつまで経っても問題は解決されない

もう独立出来る年齢で固定観念なんてぶっ壊せばいい

もうあの頃の私ではない

 

過去の自分は過去の自分で置いておこう

だってあの時はどうすることも出来なかった

仕方ない あれでいいんだ

よく耐えた

がんばった

 

あの時は親に従うしか現実生きられなかったわけで

我慢して親元にいたのは間違いじゃない

 

ただあの時のことを過去の出来事で終わらせるだけでなく

今に繋げよう

そうすればあの時の私に意味が持てる

 

受け止めることは出来ても

受け入れることは出来なかった

これが現実

でもそれをバネに変えることは出来る

 

要するに

昨日まではその固定観念で生きてきたが

今からもそうである必要はない

 

今日からは自分の意思で物事を変えられる

変えていけると考えることが

今の私には必要でちょうどよかった

 

この方が心には建設的で健全

自分を大切にする理由がここにある

 

そしてここからは自己責任

必然的に今までと同じようにはいかない

 

親の顔色を伺って最終的に親に従っていた私ではなくなるため

私は一人で歩くことになる

 

幸いにも主人と娘達は今のところ

私と同じ方向を向いている

だからみんなで両親から独立しようと決意

 

そんなわけで両親の洗濯という家事を何が何でも

二人に返すことにした 半ば強制的に

 

予想通り話し合いは穏便にはいかず

父から飽きられた

 

『年老いた親を見捨てるのか

おまえは自分のやりたいことばかりで

家族のことはどうでもいいのか』

 

とまぁ呆れた言葉を浴びせられた

 

 

私は今在宅ワークに取り組んでいる

私の自活のため

そして娘達が将来学歴のない状態で

社会へ出たときの

偵察がてら始めた活動

 

娘達の将来を闇雲に不安に感じるよりは自分の目で体験し

少しでも不安を解消させようとした行動

 

そして始めた在宅ワークで毎日が時間に追われ

その中でやりたくないことをやらされている感覚にさいなまれ

ストレスがかかりすぎている

 

それを私は正直に両親に伝え

本来あるべき場所に返したいと提案

 

でも正直父はまだ働いている身

そして母との二人分の食事、買い物を担っている

 

そこへ洗濯物までやらされては自分が参ってしまうと訴え

私の希望をすんなりとは受け入れなかった

 

でも私は不思議だった

 

父より年上のいわゆる老夫婦は近所にも数組健在している

その方達はどんな夫婦仲かは分からないが

見るからに二人で生活している

 

と言うことは二人の生活を二人で切り盛りして生きているということ

 

それなのになぜ私の両親はその夫婦より10も若いのに

娘の私に家事を任せないと生活できない状態なのか

 

単純に頼れる相手がそこにいて

自分達で生きるという覚悟をしていないだけ

そうとしか考えられなかった

 

私は今自分の人生を生き直そうとしている真っ最中なのに

親の面倒でやりたくもないものに時間をとられ

ストレスの中自分を押し殺して生きるほど

もうばかじゃない

 

もうそんな親をベースにした生活は嫌

納得もいかない

私はもう精神疾患の母を受け入れる気はさらさらないと伝えた

 

そして

 

どうして娘が自分の人生を生きたいと言っているのに

親のあなた達はそれを受け止めようとはしてくれないんだと

泣きながら訴えた

 

どちらかと言えばこの気持ちの方が強かった

実の娘が人生をやり直したいと言っているのに

なぜそれを応援してくれない

 

所詮私はあなた達の世話係なのか

そんなつもりで生まれてきたのか・・・

 

もうこれ以上親ベースの姿を娘達には見せられないため

私は引き下がらなかった

 

私がこの状態でまた自分を誤魔化しながら生きれば

私が年を老いたとき

同じように娘達を頼って追い詰める

 

それだけは嫌だった

そしてそれは間違っている

だからやめるんだ

 

結局親は娘である私の事より

孫である娘達の事より

自分達の生活を維持することを優先的に考えている

 

そして常に誰かに幸せにしてもらうと考えている

 

口では家族が 家族がって言ってるけど

一番可愛いのは自分

 

でもそれは間違っていない

そう自分が一番!

 

だから私も娘達も一番に可愛がるのは自分

親の世話なんてやってられない

 

心から自然と何の見返りも期待せず

ただやりたいと思った時以外は

何もしちゃいけない

 

根本的に親ベースの価値観が根強いから

その都度考えよう

 

これは誰の為

本当に自分がやりたいことなのかどうか考える作業を

すっ飛ばしてはいけない

 

誰もがみな一番自分が可愛くて一番大切

私は私が一番 

 

やりたくないことは何がなんでもやらない

私にだってちゃんとやりたくない理由が存在する

 

私の気持ちをないがしろにする親など

私にはいらない

親子の関係はいつまで続く? 私は心の中で子であることをやめた

★手放したいもの それは親子の関係

最近私の中に芽生えたモヤモヤ感

それは

親と子どもって

いつまで親と子でいなければいけないんだろう?

 

去年の秋頃両親達の夕食宅配を検討し

1月から正式にスタートした

protect-rich-mind-body.hatenablog.com

 

あれから5ヶ月ぐらいが経ち

食事の負担は減り

少しはストレスが軽減されたかと思いきや

すぐに他にも抱えていたことが浮き彫りになり

イライラしていることに気付いた

 

それは洗濯物

私は6人分の洗濯を一人でやっていた

 

私の母は精神疾患強迫神経症躁鬱病

精神がある程度安定していて

元気な状態であっても

私達と同居をスタートしてから一度も

洗濯機を触ったことがない

 

実は同居する前から洗濯という家事から手を引いていた

母が出来ないことは、父が代わりにやっていた

同居した時既に母はほとんどの家事から手を引いていた

 

そんなこととは知らず

同居したと同時に

私は両親の家事を一気に引き受けてしまった

うかつだった🥶

 

今思えば父にとってやっと解放される瞬間だったのだろう

自分の負担が減る

そんな気持ちだったんじゃないかな

 

私は当時30代

体は自由に動き活動的

ホルモンバランスを崩し

体調が悪くなったのは次女を出産してからだったので

それまではなんとか普通に生活していた

 

同居したての頃は

次女がお腹の中にいたが二人目ということもあり

あまり不安もなかったので

比較的元気だった

 

妊婦ライフが大変だったわけではないが

確実に妊婦だった

 

幼い長女を連れた妊婦が

同居したとたん

なぜか両親の家事までも任され

やるのが当たり前という現実に切り替わっていた

 

よくやってきたな・・・

私 がんばったな・・・

と自分を褒めてあげたい

 

それと同時に

あんなにがんばる必要があったんだろうかとも

疑問に思う・・・

 

妊婦だから安静に とは思わないが

なぜ妊婦である自分の娘に

自分達の家事を平気で押しつけられたんだろう

と自分の両親に不信感を抱いた

 

子どもを産んで育てると

親の大変さやありがたみを感じるとよく言うが

 

私はどちらかと言えば

そんな感情はあまりない

 

なぜ子どもを産んで育てる大変な時期に

私を助けてくれないんだ

 

大変な時期だと経験済のはずなのに

なぜ病気を盾に私に寄りかかろうとするんだ

 

そんななぜ?の感情

怒りの感情の方が強かった

 

でもそれが言えなかった”私が悪い”

この一言で終わる

 

そして母は精神疾患だから仕方ない

この一言で

私の気持ちはいつも蓋をされた

 

私の親は親らしいことを何一つしていない

いつだって精神疾患だから病気だから

なんでも都合よくいいわけに使い

助けられたことがない

 

まぁその分何でもやれるようになった

生きていくための生活レベルは普通に身についた

 

でも出来れば出来るほど

やればやるほど自分で自分の首を絞めることになっていった

 

いつだってやれる人がやればいい

そんな考えで母への割り切りを覚え

今まで生かされてきた

 

でもね

私 もうバカじゃないよ

いろんな事を知り学ぶ事で現実が見えてきた

 

母が自分から病気と契約を交わし

安易に武器として使ってしまい

精神疾患から抜け出せなくなっている

 

またその状態を父は理解した上で

互いに共依存の関係を維持し

お互いに現実逃避をしている

そして家族にだげ助けを求める

 

何が問題なのか分かっているはずなのに

現実と向き合わず答えを出さない

 

覚悟もしないため

自分では何もしない

 

誰かがなんとかしてくれるだろうと

家族に機嫌を取らせ

毎日を誤魔化しながら生きている

 

という目で見るようになってから

 

私の中で両親は毒親になり

手を差し伸べる価値がないと判断した

 

 

今から10年前

私は30代で両親は50代

同居すると同時に中途半端な世代交代が始まった

 

昔の流れで家に女が新たに入ると

世代交代が余儀なくされる

 

これで私の母も結婚した当初

大変な目に遭い

その時を境に精神疾患になった

 

義父と反りが合わず言いたいことも言えず

我慢の日々

 

母の味方であるはずの父は

義父側を擁護するから

母はいつも一人で戦っていた

 

私の母もあの時はがんばっていた

 

なのに自分が受けていた苦労を

こともあろうか娘にも背負わせ

いつの間にか当たり前のように

娘におんぶしてくれと被害者ぶる

 

父も私が家に戻ったら自分は家事から手を引ける

そう考えたんだろう

 

両親は”もう年だから”という言葉を武器に

いろんな事を手放し当たり前に私に押しつけてきた

 

私には両親がそうやって自分達のやるべき事から

逃げて昔の習慣を持ちだし自分達だけ

生ぬるい生活をしようとしているように

見えてならなかった

 

私は子育てと介護

両方を背負う気はない

 

私の両親は自分の親の介護などしていない

母の精神疾患を理由にあらゆる事から逃げてきた

 

なのに自分達が年をとり

体力に自信がなくなると

面倒をみてくれ、世話をしてくれ

 

年寄りを世話するのは子どもの役目だ

と言わんばかりにのしかかってくる

 

これがおかしいってことに早く気付き抵抗すれば良かった

子どもとして育ててもらった時間より

親の面倒をみる時間の方が長いなんておかしい

そんなのイヤだ

やってられない・・・

 

みんながそれぞれ自立して

協力して生きていかなきゃいけない時代に

昔の習慣を持ち出されては困る

 

あの頃は私はまだ若く

両親と共依存関係にあると自覚がないため

為すがままだった

 

妊婦ではあったが体は軽く元気

大きなお腹でも平気で家事がこなせた

またそれが良くなかった

 

私の両親にはその姿は

甘えさせる絶好のチャンスとして

映ってしまった

 

たぶんこのとき私の中の承認欲求は大いに満たされたんだろう

沢山の家事をこなし

両親に期待され感謝され

喜んでもらえる

 

でもその代わり両親から感謝はされるが

大事なものとの時間は削られていった

 

家事を沢山こなす分

長女への時間は削られほったらかしだった

 

その結果 回避型の愛着障害を招いている

 

でも実は薄々気付いていた

私は母親向きじゃないということ

 

私は子どもの相手が苦手

長女との時間は退屈で

どう相手をしてあげればいいか分からなかった

 

だから家事をして手が離せない状態を作り

長女を主人に任せることは好都合だった

 

結局私も自分の都合のいい状態へ逃げていた

私も私の両親も本当しょうもない人間だ

 

親になるべき人種ではない

かなりの未熟者

 

 

私の両親はいつもイヤなことから逃げている

 

イヤなことはやらなくていい

でも自分が生きていくための生活ぐらい

自分で確立しなければいけない

それが生きると言うこと

 

そんな事までイヤといい逃げるなら

早く迎えに来てもらえ!

必死に生きている人に失礼だ

 

だけどこれをなぜか両親には言えなかった

まぁそれが普通かな

 

私は親に自分の意思をちゃんと伝えられない性格

これがなぜ出来ないのかを理解しようとしなかったため

私にも責任がある

 

私と両親は3人とも自立していない

互いに自立していない状態で

寄りかかろうとするからみんな共倒れ

 

精神的に良好な関係が築けていない親の元へ

自分の内面を理解していない私がのこのこ戻ってしまった為

不具合が起きた

 

同居したこと

家事を一心に引き受けたこと

全て私の承認欲求を満たすためだったんだろう

 

親子の共依存はなかなか切れない

結婚して親になっても

共依存している自覚がないと

何度も同じ事を繰り返す

 

でも今は

共依存体質だと自覚している

だから

両親の食事から手を引いた

 

そしてもう一つ洗濯という家事

これも今では完全に手を引いた

 

両親の洗濯をする度にイライラしていた

なぜ私がやらなくてはいけないのか

いつまでやり続けるのか

 

単純に洗濯物の量が多く疲弊して

イライラしているのかと考えたが

そうじゃなかった

 

自分の嫌いな人の洗濯物

やりたくもないのに

やらなくちゃいけない

 

やりたくないって言えないことに

イライラしている

 

だから精神が安定していない母に

私はお構いなしに告げた

 

『もうあなた達の洗濯物はしない、

これからは自分達のことは自分達でしてください』と

 

まぁこれがすごい剣幕で大げんか

 

もちろん母が洗濯を出来ないことを知っていたので

最初から父に洗濯してもらうよう提案

 

そしたら父の洗い方は不安だから

お金を払うから私に洗って欲しいと言う

 

正直ふざけているとしか言えなかった

 

結局母は父を信用していないため

信用出来る私を頼ってくる

 

そもそもなぜ信用出来ない相手と夫婦関係でいるの?

ここをクリアにしないから

いつまで経っても下の世代にしわ寄せがいく

 

夫婦関係が荒んでいてそれを誤魔化すために

私が存在しいいように扱われる

 

これを私は自覚し

自分の存在が害だと感じた

 

こんな風に考えると

私には拒絶反応しか生まれなかった

 

家族の基盤はいつだって夫婦関係

お互いを認め合い

尊重しあっていない夫婦の元にいる子どもは

いつだって辛い

 

そんな良好な関係が築けていない夫婦関係に

いつまで子どもとして存在していなきゃいけないんだ

 

私は心の中で

この二人の子どもであることをやめた

 

だから二人の仲裁には一切入らないし

二人を手助けすることもしない

 

もうあなた達の子どもはいない

仲裁役は存在しない

夫婦の絆が問われる時

 

どうするかは夫婦で考えること

第3者が考えることじゃない

 

そして

今を生きていたいなら

自分のことくらい自分で面倒みろ!

それくらいの覚悟で生きろよ!

 

生きる覚悟を持たない奴は

私の親じゃない

 

みんなちゃんと一人で立てるんだ

立てないようにしているのは

いつだって過指示・過干渉の家族

 

てなわけで嫌いな両親の洗濯という家事を一切放棄して数月

 

結局父が文句たらたら言いながら洗濯している

それでいい

やればできるじゃん

 

生きることから身を引き行動しなくなったら

もうそこで全ては終わってしまう

 

体と脳を退化させているのは年齢ではない

楽な道を選んだ自分だ

 

自分の両親のような年の取り方はしたくない

そのためにはいつまでも行動しつづけなければいけない

 

休んでいる暇があれば体を動かせ!これに限る!

学校の教科書はつまらないから要らない というわけで早々に処分することに

不登校児の娘達には教科書は必要ない

4月に一度だけ娘達の担任の先生と会った

それは教科書を受け取るため

 

娘達の担任は

学校へ行かない意思を持っていることを

前任の先生から聞いて知っている

 

どれくらい話が伝わっているかは分からないが

学校へ行けない不登校児ではなく

自分の意思で学校へ行かないことを選択している不登校

であることは認識されていた

 

そして今年度から学年費の支払いを拒否させていただいたので

学校から受け取る物は何もないと思っていた

 

でもどうやら教科書は学年費からの購入ではなく

教育委員会からの無償配布ということで

受け取って欲しいと言われ

わざわざ自宅まで届けに来てくれた

 

その時私は娘達の担任の先生と初めて顔を合わせた

 

娘達は学校に未練はない

そしてどちらかと言えば関わりたくない気持ちが強かったので

一切顔は出さなかった

 

担任の先生がどんな人なのか興味もないし

まして教科書なんて欲しくない

 

だから先生が来たよと伝えると

子ども部屋へいそいそと隠れてしまった

 

私はそれに対して何も思わなかったので

私一人で先生を出迎え

使うことのない教科書をしぶしぶ受け取った

 

最初は必要ないから紛失した子のために

学校で使ってほしいなと提案したが

みんなに一律に配布している

教育委員会からの無償配布なので

気にせず受け取って欲しいと言われ

 

頑なに拒否をしても仕方のないことなので

とりあえず受け取った

 

正直無償と言われても

それが何か?と聞きたくなる

 

欲しくない物を家に持ち込まれる感覚は

正直気分が悪い

 

とりあえず受け取るだけ受け取って

その後は娘達と考えよう

 

私的には見るとなんとなく罪悪感が生まれ

本当は勉強した方がいいんじゃないって

思ってしまう

 

新品のきれいな教科書

使ってもらえないのはなんだか可愛そう・・・

勿体ない

そんなケチくさい考えが浮かんでこないわけでもない

 

とは言え 去年みたいに

私が娘達の代わりに勉強するのはもう時間的に無理がある

在宅ワークに毎日追われている私には

今はそんな暇な時間はない

 

だから罪悪感を生まないよう

娘達の目の届かない場所へ隠すことにした

 

それでもなんだかモヤモヤする

紙の物は邪気を吸うと言われ

私はいつも要らない紙のものはすぐに処分する

 

だからもう捨ててしまおうかと考えた

念のため娘達に相談

 

学校へ行かない娘達にとって使わない教科書を

”いつか”のために保管しておくべきか?

 

もしかして学校へ行くかも知れないから

万が一に備えて一年間保管しておくべきか?

 

私的には気が重くなる内容だった

でも娘達はあっけらかんと

 

『要らないから捨てていいよ』と言う

 

私は

『でももし万が一 気が変わって学校へ行きたくなったら?

その時 教科書がなかったら困らない?』

って聞いてみた

 

そしたら

『学校へ行ったとしても教科書はつまらないから必要ないよ

別の方法でその時は勉強するから要らない』

って笑って言うんだよね

 

そっか 教科書はつまらなくて必要ないんだ

確かにそうだ

 

当然のように

学校へ行って 机に向かって

教科書を開いてノートを使って勉強する

 

なぜかこれしか方法がないと思い込んでる

正直この勉強の方法が一番無駄なんだよね

 

教科書読んで問題を解いて○を付ける

この方法をあたかも”これが勉強”なんだと

思い込んでいるからいけない

 

私も長女の中学一年生の問題を教科書とドリルを使って

勉強した時があった

 

正直問題が解ける楽しさはあるが

知識が増えて理解度が増し興味が増したかと言えば

そんなことはない

 

あくまで問題をこなすことが目的で

何のためにやっているのかは意味不明だった

 

だから正直飽きる

そんな勉強より

自分の興味のあること

面白いと思うことを学んだ方がイヤでも頭に残り定着する

そして自分の経験として学んだことは財産になる

 

世の中には面白い学びはいっぱいある

学び方もいろいろある

 

いくら大切だと言われる学びでもつまらない教科書では

何にも頭に残らない

そしてそんなこと十分に分かっているし知っている

 

だけど学校へ行けばみんなと同じように学んでおいで

それしか言いようがない

 

私は本で学ぶこともあれば

ネットの記事やYou Tubeの動画で学ぶこともある

実体験で学ぶことだってある

 

体験し体感しこれが一番理解が早い学び方

 

働くことも働き方を本で学ぶよりも

体を使って体験して感じながら考えて学ぶ事の方が

覚えは早いし仕事は出来るようになる

 

間違えたり失敗したりすれば

それこそ学びの宝庫

 

そんなこと分かっているのに

義務教育という固定概念が邪魔する

 

私は娘達に合った学びかたで学べればなんでもいい

この考えを覆してはいけない

周りに流されてはいけない

 

娘達は教科書で学ぶことは合っていない

つまらないと感じ学ぶ気が失せるらしい

 

これはわがままでも何でもない

ただ合わないだけ

だから娘達に合う方法で学べることを探す

 

今は教科書でしか学べない事なんて

きっとこの世の中には何一つない

 

いろんな方法があり

私が知らない方法もたくさんある

 

そして一番重要なのが

娘達が学びたいって思ったことを

その時に学ぶ

 

これが一番大切で忘れてはいけないこと

 

周りがこれが必要

あれが必要 などと押しつけるから

上手くいかなくなる

時期が来るまで待てばいい

 

私は子どものころ勉強の仕方が分からなく

父親にバカ扱いされ

劣等感を植えつけられまくっていた

 

だから高校生まではほとんど勉強できなかった

それが高校生になると比較的自分に合ったレベルに進学するため

なんとかがんばれば勉強についていけることがわかった

 

それからだんだんと精神年齢が成長したことにより

勉強のやり方も自分で気づけるようになり

コツをつかんだ

 

勉強のやり方

試験での点の取り方

一つ分かると芋づる式に分かっていった

 

勉強のやり方を知った時には

こんな簡単な事なんだ

私でも出来るんだと気づいてうれしかった

 

だから私は高校生の時が一番勉強した

それも苦労して というよりは楽しんでやっていたので

勉強なんて簡単だと思い込んでる

 

そして勉強出来たことにより

勉強ができないというコンプレックスを

自分で解放した

 

でもこれも私事でとどめておけば良かったものの

自分の経験から

私は勉強のやり方、試験での点数の取り方を

長女に早い段階で教え込もうとしていた

 

今思えば

私は親につけられた劣等感の恨みを

長女で晴らそうとしていた

 

私は勉強のやり方が分からずバカ扱いされ

でもやり方さえ知っていればバカ扱いは受けない

それを証明しようとしていた

 

小学4年生頃からだんだんと学校の勉強が難しくなり

それまで簡単に点数が取れていたものも

そうはいかなくなる

 

私はこの時期から本格的に長女にテストの点の取り方

勉強のやり方を頼まれてもいないのに教えていた

これがまた余計な事だった

 

長女が望んでいないのに余計なことをした

ここでもまた反面教師が裏目に出た

 

長女が勉強したくて点数を取りたくて

望んだことなら

私のやったことは正当化できる

 

でも長女は勉強が出来ようが

点数が悪かろうが一切気にしなかった

 

だから実際には半ば無理矢理

 

勉強が出来るのがいい

試験で高得点を取るのがいい

勉強出来ればバカにはされない

 

そうやって私が思い込み

勉強ができる子に育てようとしていた

 

私の父親に娘をバカにされないよう

見返すための道具に使っていたのかもしれない

 

もちろんその当時はそんな風に考えている自覚はない

ただそれに付き合わされている長女は

嫌気が差していただろう

 

まぁそんなこともあり

私はもう娘達の意思を尊重せざる終えない

 

正直私の過去がみんな娘達に降りかかっている

そう感じずにはいられなかった

 

だから次女が教科書は要らないと言った時

その言葉をそのまま受け入れ

処分することを実行するまでだと思った

 

万が一を考え

次女の意思に反し取っておくということは

私のするべき事ではない

 

処分したことで問題が起きた時は

それはそこで娘達が何かを学ぶ時

 

だから要らない物は我が家に置いておくべきじゃないと判断し

古紙回収で処分することにした

 

この際

学校の教科書以外にも

まだ数冊市販のドリルや問題集がある

 

いつかやるかもしれないからと

勿体なくて捨てられなかった

 

でも使わないものは

目に入るだけで気が下がる

紙類はそこに存在しているだけで邪気を溜める

 

さっさときれいさっぱり片付ける

自分の気持ちに方を付けるべきなんだ

 

娘達はちゃんと片を付けている

私も見習って片をつけ処分をしよう

 

なんだか私の存在も要らない気がしてきた

いっそのこと娘達に片をつけられ

きれいさっぱりしたい

 

親子の関係もなんだか煩わしい・・・

 

とりあえずは

簡単に処分できる教科書から

きれいさっぱりとね😊

 

きっと捨てたところで困りはしない

物がイヤでも増えていく現代

要らないと思うものは

意識的に持たないようにしよう

 

心も脳も軽くしよう

 

要らない物に囲まれて

大事なものを見失わないように